「宿主、この世界からの離脱を――本当に確認しますか?」五年間も沈黙していた機械的な声が、藤原瑠衣(ふじわら るい)の脳裏に低く響いた。突然の声に、彼女はわずかに眉をひそめたが、その返事は揺るぎない確かさだった。「ええ、そうしてください!」「この異世界は、あなたのすべての痕跡を消去します。離脱まであと三日。準備を整えてください」その声が消えると同時に、長く忘れられていた世界の雑音が、ゆっくりと瑠衣の耳に流れ込んできた。――いったい、どれほどの間、音を聞いていなかったのだろう。聴覚を代償に自らシステムを沈黙させてから、この異世界で、瑠衣は五年を過ごした。その五年間、白鳥逸斗(はくちょう はやと)は彼女を溺愛し続けた。一片の曇りもない、変わらぬ愛で。愛しい子供がいて、誰もが羨む「幸せ」が、そこにはあった。逸斗は、まるで自身の命を慈しむように、彼女を愛した。――あのメールを目にしなければ、の話だけど。AIアシスタントの「あいちゃん」が通話を接続し、スマホの画面が明るく光った。瑠衣の思考は遮られる。投影画面には、助手が素早く手話で話す姿が映っている。「藤原社長、白鳥社長よりお伝えします。今夜の宴会のご準備を。まもなくお迎えに上がります」今夜は白鳥家の晚餐会で、彼女はずいぶん前から用意を重ねてきた――ドレスは二階の試着室に掛けてある。「……行かなくていいと、伝えて。今日はちょっと、気分が優れなくて。行きたくないの」助手は硬直した。いつも進んで家族宴会に参加してきた瑠衣が、冷たく拒むなんて、彼には理解できなかった。通話が切れて間もなく、逸斗が駆けつけてきた。ソファに座る瑠衣の姿は、静かで、どこか寂寥を帯びた絵のようだった。逸斗は胸の奥がざわつくのを抑えきれない。「瑠衣、どうしたの……?どうして、行きたくないんだ?」彼は手話で問いかけ、続いて入ってきた助手が、さまざまな箱をローテーブルの上に積み上げていく。毎日顔を合わせていても、逸斗は彼女への「特別感」を欠かしたことがない。五年間も、変わることなく優しくし続けてくれた。けど、彼女はもう、少し疲れを覚えていた。「……別に。ただ、疲れただけ」「この前、誕生日に一緒にいられなかったから?本当にごめん。怒らないで瑠衣。約束する、二度と―
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