All Chapters of 輝く私の背中に、夫は必死に追いつこうとした: Chapter 481 - Chapter 490

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第481話

だが、体内の熱は引くどころか、いよいよ激しく燃え上がる一方だった。成哉はネクタイを乱暴に引きちぎるようにして緩め、眼前の女性に熱を帯びた眼差しを向けた。昂ぶりを抑えきれず、喉仏が上下に激しく震える。「紬、もう一人子供を作ろう。お前と、やり直したいんだ」その下に組み敷かれた女性は、羞恥を孕んだ艶やかな笑みを浮かべた。その美しさは、まさに今にも花開かんとする椿のようであった。成哉はその姿に魂を奪われたかのように見惚れ、彼女の顎を掬い上げると、貪るように深く唇を重ねた。「んっ……成哉、もっと優しく……っ」一夜が明け、翌朝。望美の体は、まるでバラバラに砕かれてしまったかのような、重苦しい倦怠感に包まれていた。彼女は隣で熟睡している端整な貌の男を見つめ、満足げにゆっくりと口角を上げた。――成哉。これでようやく、あなたは名実ともに私のものになったのね。朝の光が室内に無慈悲に差し込み、成哉は不快げに眉を寄せ、重い瞼を開いた。しかし、そこで視界に飛び込んできたのは、自分に向かって妖しく微笑む望美の姿だった。「成哉、起きたの?」望美は甘ったるい声を出し、どこか恨めしそうに言葉を繋いだ。「昨夜は、あんなに激しくするなんて……少し痛かったわ……」剥き出しの首筋には、昨夜の情事を物語る生々しい痕跡が、鮮明に刻まれている。成哉の脳内は、瞬時に驚愕と混乱に塗り潰された。「昨夜……昨夜は、そんなはずじゃ……っ」彼は喉を詰まらせ、目の前の女を凝視しながら、絞り出すように呻いた。「……どうしてお前なんだ!?」望美の笑顔が一瞬だけ強張ったが、すぐに元の余裕ある表情を取り繕い、わざとらしく問い返した。「私じゃなかったら、他に誰がいるっていうの?」成哉は言葉を失い、心中に荒れ狂う動揺を抑えきれなかった。昨日、伯父の件で紬との間に深い溝と誤解が生じたばかりなのだ。もしこの過ちが紬の耳に入れば、二人の関係は取り返しのつかない破滅を迎えるだろう。成哉は何も語らず、重い足取りでベッドを降りた。「成哉、どこへ行くの!?」望美が焦燥を滲ませて呼びかける。だが、返ってきたのは、拒絶を物語る男の冷ややかな背中だけだった。彼女はシーツを指が白くなるほど強く握りしめ、瞳の奥にどす黒い憎しみの光を宿した。――こん
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第482話

望美は、芽依が突き出した手首を事もなげに掴み取ると、憎悪を孕んだ視線で彼女を射抜いた。「この恩知らずが。あれほど可愛がってあげたのに、私を突き飛ばそうなんていい度胸ね」「パパとママの仲を引き裂いたくせに!離してよ、この悪女!」芽依は涙を流しながら必死に抵抗する。その騒ぎを聞きつけ、別荘の執事や使用人たちが遠巻きに様子を伺い始めた。望美は低く毒づいたが、ふと、遠くにある絵美の寝室のドアノブが回るのが目に入った。彼女の口角が、微かに吊り上がる。「……いいわ。本物の『悪女』がどう振る舞うものか、その目に焼き付けてあげなさい」言い終えるが早いか、望美は芽依が再び振り下ろした手に合わせるようにして、背後の壁際へと力なく崩れ落ちた。「きゃああっ!」悲鳴を上げ、望美は下腹部を抱えて目に涙を浮かべた。「芽依ちゃん……私がお母様の場所を奪ったのが憎いからって、お腹の子にまで手をかけるなんて。この子だって、あなたと血の繋がった弟か妹なのよ……」芽依は一瞬、何が起きたのか分からず呆然と立ち尽くした。頬には涙の跡が光っている。「何を言ってるの……!悪女が産む弟や妹なんて、いらない!」「芽依ちゃん!普段どんな教育を受けているの!なんて口の利き方をするの!」絵美は生きた心地がせず、血相を変えて駆け寄った。「望美、大丈夫!?動ける?」望美は弱々しく首を横に振った。「大丈夫です……芽依ちゃん、きっと手が滑ってしまっただけですから」「手が滑ったですって?私の目にははっきりと、あなたがわざと突き飛ばされるのが見えたわよ!」絵美は望美を支えて立たせると、苦々しい表情を芽依に向けた。「芽依ちゃん、早く望美さんに謝りなさい!これからパパと彼女が結婚すれば、弟や妹は一人どころじゃないのよ。いい加減に現実を受け入れなさい。世界はあなたを中心に回っているわけではないの。あなたの母親だって、本当にあなたのことが大切なら、離婚したからといってあなたを置いて行ったりはしないはずよ!」絵美には到底理解できなかった。あれほど望美に懐いていたはずの子供たちが、なぜ近頃になってここまで険悪になってしまったのか。祖母の怒りと失望に満ちた視線を真っ向から浴び、芽依の悲しみは頂点に達した。「私は突き飛ばしてない!あの人が勝手に転んだの!」
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第483話

その光景を目の当たりにした望美は、爪が食い込むほど強く拳を握りしめた。――ふん、あのクソ婆……息子が当てにならなくなれば、今度は孫に縋ろうというわけ?悠真に対しても、どす黒い怒りが込み上げる。あれほど可愛がってやったというのに、結局は紬に言いくるめられ、あっさりと手のひらを返すとは。「芽依ちゃん、私は大丈夫よ。絵美さんがおっしゃる通り、あなたが謝ってくれさえすれば、私は気にしないわ」望美は膨らみ始めた下腹部を慈しむように撫でながら、芽依にだけ向けて、勝ち誇ったような挑発的な笑みを浮かべた。張り詰めていた芽依の感情は、その薄笑いによって一気に沸点を超えた。「私は悪くない!あなたが勝手にふらついただけじゃない!もし私が本気で突き飛ばしていたら、赤ちゃんどころか、あなただって今頃ここにはいなかったはずよ!」「芽依ちゃん、なんてひどいことを……」望美は目を見開き、悲劇のヒロインを演じるように傷ついた表情を浮かべた。「まだこの世に生を受けていなくても、この子もしっかりとした一つの命なのよ?」「泥棒猫の分際で、パパの子を産む資格なんてない!」芽依は激昂のあまり、喉が張り裂けんばかりに叫んだ。「いい加減になさい、芽依ちゃん!しつけが足りなかったようね。こんな幼い身で、これほど残酷な言葉を口にするなんて!」絵美の理性は怒りに塗りつぶされていた。彼女は間髪入れず、控えていた使用人たちに命じた。「芽依ちゃんを部屋へ連れて行きなさい。一歩も外へ出してはなりません!自分の非を認め、望美さんに謝罪する心を持つまで、閉じ込めておきなさい!」悠真がたまらず口を挟もうとした。「おばあちゃん、それはいくらなんでも――」「悠真くん、妹を思う気持ちはわかるけれど、あの子はあまりに聞き分けがなさすぎる!今のうちに厳しく正しておかなければ、将来取り返しのつかない過ちを犯し、天野家の汚点になりかねない!」絵美の剣幕は、もはやとりつく島もなかった。顎を上げ、反抗的な眼差しを向ける芽依の姿には、憎き紬の面影が色濃く映っていた。それが絵美の苛立ちに油を注ぎ、彼女は使用人たちを怒鳴りつけた。「何をもたもたしているの!私の命令が聞こえないの!?」芽依の瞳は、絶望と屈辱で満たされていた。かつてはこの屋敷で誰からも愛されるお嬢様だったはずが
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第484話

紬の瞳に、隠しきれない驚愕の色が走った。この人は、人間スキャナーか何かなのだろうか。どうして一瞬で悟ってしまったの?「大丈夫よ、ただの軽い風邪なんだから……」言い終わるより早く、熱を帯びた彼女の額を、大きな掌が優しく包み込んだ。紬は呆然と瞬きを繰り返す。「……本当に、大したことないのに」理玖は、今まさに手渡そうとしていたアップルパイの袋を、無慈悲にもひょいと取り上げた。「嘘つきさんには、お粥がお似合いだ」その言葉を聞いた瞬間、紬の表情は絶望に染まる。「平気だってば。アップルパイを食べる前に、ちゃんと薬も飲んだんだから」理玖は彼女の頭をぽん、と軽く叩き、呆れたように苦笑した。湯気が立ち上りそうなほど熱があるというのに、この期に及んでまだ強がっている。「いい子だ、言うことを聞いて。アップルパイはまた今度、元気になってからな」理玖の半ば強引な介助によって、紬は再びベッドの中へと押し戻された。彼は迷いのない手つきでお粥を煮込み、傍らで薬を煎じ始める。いつもなら病に伏せると心細くなる紬だったが、今回は不思議と活力が湧いてくるのを感じていた。彼女はそっとベッドを抜け出し、キッチンへと足を運んだ。理玖が持参した生薬を丁寧に煎じている様子を、興味深く見守る。「……調剤までできるの?」「ああ。子供の頃は虚弱でね。漢方に通じていた祖父と一緒に暮らしていたから、見ているうちに自然と覚えたんだ」理玖は火を最小限に絞ると、小さな器に一杯分の薬を注ぎ分けた。語られなかった理玖の幼少期に思いを馳せ、紬の胸がちくりと痛む。「……大変だったのね」「君が飲み干してくれれば、苦労も吹き飛ぶよ」理玖が差し出したのは、見るからに禍々しい、どろりとした漆黒の液体だった。その瞬間、紬は頭を鈍器で殴られたような衝撃を覚える。顔は再び苦悶に歪み、思わず息を止めた。「やっぱり遠慮しておくわ。実はそんなに酷くないの。もうすっかり治った気がするし」紬は手足をバタつかせ、どうにか逃げ出そうと試みる。だが理玖は、そんな彼女の魂胆をすべて見透かしたように、意味深な笑みを浮かべて囁いた。「大丈夫だ。見た目ほど不味くはないよ」紬は再びその真っ黒な液体を見つめた。視界に入れるだけで歯の根が浮きそうだ。以前、悠真と芽
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第485話

「何をぼんやりしているんだ?食べないのか」理玖がふと振り返ると、紬はどこか呆然とした様子で彼を見つめていた。理玖は目を細めると、腰に巻いていたエプロンを解き、フルーツフォークを彼女に差し出した。「ゆっくり食べるといい」「……うん」紬は小さく口を動かし、差し出されたリンゴをかじった。頬に熱が宿るのがわかる。理玖が再び彼女の額にそっと手を当て、熱を確かめる。「熱は下がったようだが、どうしてそんなに顔が赤いんだ?」「ゴホッ、ゲホッ……!」紬は顔を伏せ、耳たぶまで朱に染めながら激しく咳き込んだ。しっかりして、私……!「もう大丈夫よ。佐々木さんから何度も電話が来ていたみたいだけど、忙しいなら先に帰ってもいいのよ」理玖がティッシュを取り出し、彼女の口元を拭おうとした。その手がふと止まる。「あんなものはすべて些細なことだ。彼一人で事足りる」紬は、男の長くしなやかな指先が自分の顎に添えられるのを、ただじっと見つめていた。まるで幼子を慈しむかのように、丁寧に、優しく口元を拭ってくれる。鼻先をかすめる清々しい松の香りが心地よく、胸の奥を柔らかい羽毛でなでられているような錯覚に陥った。――頭がふわふわとする。きっと、熱のせいだ。絶対に、そうに違いない。その頃、港では――文人が、海上で衝突した二百億相当の損害を出すであろう二隻の巨大貨物船を前に、震える手で煙草をくわえていた。「社長、早く助けに来てください……私一人では、到底抱えきれません!」――結局、スタジオへ行く予定はキャンセルとなった。幸い、スタジオの近くに引っ越した雅乃がラッキーの様子を見に行ってくれ、グループチャットに動画を送ってくれた。元気そうに跳ね回っているラッキーの姿を見て、紬は安堵の息を漏らした。午後の穏やかな日差しに包まれ、紬はいつの間にか深い眠りに落ちていた。一通の電話が、彼女を強引に引き戻すまでは。紬は重い瞼をこじ開け、スマホの画面に目を落とした。表示された名前に、一瞬思考が停止する。――凛花?彼女が自分に連絡を寄越すなど、まずあり得ないことだった。だが、不審に思いながらも電話に出るなり聞こえてきたのは、絵美の詰問するような怒声だった。「紬!芽依ちゃんはそっちに行っているの!?あなたが余計なことを教
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第486話

成哉の顔は怒りに震えていた。「紬は関係ないだろ!芽依ちゃんはまだあんなに小さいんだぞ。たとえ間違いを犯したとしても、一人きりで閉じ込めるなんてやりすぎだ!」「成哉、怒らないで……全部、私が悪いの。芽依ちゃんに誤解させてしまって……」望美は瞳に涙を滲ませ、か細い声で言った。「この子が望まれていない命だってことくらい、ちゃんと分かってるわ。たとえ流産したとしても、それは私の自業自得よ。芽依ちゃんはまだ子供だもの、何も分からないわよね。あの子がいなくなるって分かっていたら、私、ちゃんと絵美さんを止めていたのに……」成哉はその謝罪を無視した。望美には一瞥すらくれない。絵美はなおも怒りが収まらなかった。「成哉!望美のお腹にいるのは、あんたの子なのよ!芽依が何て言ったか知ってる!?『本気で押してたら赤ちゃんはいなくなってた』なんて言ったのよ!それなのに、まだあの子を庇うつもり!?あの子は母親の紬そっくりに、性根まで歪んでしまったのね!」その時、凛花が帰宅した。リビングに漂う凍てつくような空気に、彼女は思わず足を止める。芽依が家出したと聞き、真っ先に紬の顔が脳裏をよぎった。「あの子……紬さんのところへ行ったんじゃないかしら?」その推測を聞いた瞬間、絵美は即座に命じた。「早く紬に電話しなさい!」苛立ちを隠しもせず吐き捨てる。「まったく!母親のところへ行くなら最初からそう言えばいいものを、私たちをこんなに心配させて……家の中までめちゃくちゃにして!」「母さん!」成哉の声は、地を這うように低かった。望美はすかさず間に入る。「成哉、絵美さんも心配で混乱してるだけよ。今は芽依ちゃんを見つけるのが先決でしょう?早く紬さんに電話して」しかし、成哉は動かなかった。沈んだ声でぽつりと呟く。「……着信拒否されてるんだ」「あの女、あんたをブロックしたっていうの!?」絵美は火がついたように激昂した。――身の程知らずな女ね!天野家に嫁げただけでも、先祖代々の幸運だっていうのに!彼女は自分のスマホを取り出し、直接紬へ電話をかけた。だが、返ってくるのは無機質な通話中のアナウンスばかり。「お母さん、あなたもブロックされてるのよ」凛花が控えめに指摘した。絵美の顔は怒りで青ざめていく。
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第487話

車は何度も同じ場所を巡り続けたが、芽依の姿はどこにも見当たらなかった。街のランドマークである観覧車のそばを通りかかった瞬間、紬の胸を鋭い予感が貫いた。彼女はシートベルトをぎゅっと握り締め、焦燥を滲ませた声で言う。「遊園地へ行って」「分かった」理玖は理由を尋ねることなく、静かに進路を変えた。車が夜の街を走る間、紬の鼓動は次第に速まっていく。どうしても嫌な予感が消えなかった。――芽依は天野家を飛び出したあと、紬のマンションへ向かおうとしていた。だが、知っているのはマンション名だけで、正確な場所までは分からない。しかも手持ちの金もほとんどない。それでも何とか行ってみようと、芽依は通りでタクシーを拾い、乗り込んだ。タクシーの運転手は、幼い子供が一人きりでいることを不審に思ったのか、道中、どうして一人なのかと何度も探るように尋ねてきた。芽依は怖くなった。――この人、悪い人だったらどうしよう。目的地まで半分ほど来たところで、彼女は突然泣き叫び、無理やり車を降りた。運転手は慌てて路肩に車を停める。もともとは迷子だと思い、警察へ通報しようとしていたのだ。だが電話をかけ始めた瞬間、芽依はシートベルトを外し、そのまま外へ飛び出していった。「やっぱり外は悪い人ばっかりだ!」芽依は涙を流しながら、夢中で走り続けた。そして気づけば、完全に道に迷っていた。唯一の通信手段だったスマートウォッチも、とうとう充電が切れてしまう。夕暮れが街を染め始め、次々と街灯が灯っていく。その中で、道の突き当たりにある遊園地だけが、色とりどりの光に包まれてまだ賑わっていた。芽依はふと、以前ママに連れてきてもらった日のことを思い出した。観覧車で事故が起きた時、ママは身を挺して自分を守ってくれた。あんな高い場所、自分は見上げるだけでも怖かったのに。芽依はチケットを買うお金もなく、遊園地の入口にある街灯の下へ座り込んだ。胸の奥が、どうしようもなく苦しい。どうして前の自分は、望美の良いところばかり見ていたのだろう。ママが毎日のように口酸っぱく注意していたのも、自分の安全を思ってのことだった。飲まされていた薬だって、自分の身体のためだったのに。それなのに、どうして「口うるさい」とか、「うっとうしい」なん
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第488話

男は目を細め、ゆっくりと腰を屈めた。「じゃあ、君が僕にご馳走してくれる?」芽依はポケットの中に残っていた最後の四百円をぎゅっと握り締めた。目の前の男からは、不思議と自分を傷つけようとする気配を感じない。「子供にアイスを奢らせるなんて、恥ずかしくないの?」芽依は顔を上げ、そのまま立ち上がった。「いいわ、行きましょう」その男――黒澤渉は、わずかに口角を上げた。「いいよ」――紬と理玖が遊園地へ駆けつけた時、入口には何台ものパトカーが停まっていた。その光景を目にした瞬間、紬の心臓が大きく脈打つ。嫌な予感が、急速に現実味を帯びていった。人だかりをかき分けながら進むと、警察官たちが薄汚れた身なりの浮浪者風の男を取り押さえ、連行していく姿が見えた。「なんてことするの!子供を狙うなんて、こんなクズは死刑にすべきよ!」「ナイフで十人以上の子供を刺したらしいわ。親がそばにいない子ばかり狙って……一人は連れ去られかけたんですって!」「こんな悪魔、生かしておく価値なんてないわ!」野次馬たちの怒号が飛び交う。断片的な言葉を耳にするたび、紬の足から力が抜けていった。――まさか。そんな偶然、あるはずがない。彼女は人混みを飛び出し、少し離れた場所に停まる救急車へ向かって、もつれる足で駆け出した。理玖も険しい顔つきのまま、その背中を追う。負傷した子供たちを抱き締め、泣き崩れる親たちの中――一人だけ、ピンク色のドレスを着た少女のそばには、誰の姿もなかった。紬は「子供とはぐれた」と説明しながら近づき、遠くに見えたそのドレスを目にした瞬間、息を呑んだ。去年の夏、芽依の誕生日に自分の手で仕立てたプリンセスドレス。芽依が数ある服の中でも、何より大切にしていた一着だった。胸を締め潰されるような苦しみが、一気に紬を襲う。一歩進むごとに、刃の上を裸足で歩かされているようだった。「芽依ちゃん……芽依ちゃん……」紬は震える声でその名を呼んだ。返事をしてほしい。でも、返事を聞くのが怖い。相反する感情が胸の中で激しくぶつかり合う。彼女が近づくより先に、医師が険しい表情で告げた。「あなたが保護者ですか?この子は非常に危険な状態です。腹部を刺されており、出血量が多すぎる。現在、意識不明です
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第489話

紬は芽依の居場所を知った直後、真っ先に天野家へ連絡を入れていた。絵美の非難に対し、彼女は冷え切った視線を成哉へ向けた。「芽依は、どうして家出したの」「紬、今は私が話してるんでしょう!とぼけないで!」絵美が激昂する。だが紬は、その怒号を完全に無視した。狂犬とまともに言葉を交わす必要などない。成哉は昨夜、望美との間で起きた出来事を思い返し、どこか後ろめたそうに目を伏せた。「……芽依が望美を突き飛ばしたんだ。それで母さんが謹慎を命じたんだけど……あいつ、ベランダから逃げ出した」パァン――乾いた音が響き渡る。次の瞬間、紬の平手が成哉の頬を鋭く打ち据えていた。望美が悲鳴を上げ、慌てて成哉を庇うように自分の後ろへ引き寄せる。「紬さん、暴力を振るうなんて酷いわ!芽依ちゃんが勝手に思い詰めて家を出ただけよ。私たちは何一つ酷いことなんてしてない!」パァン――今度は望美の頬に、容赦のない平手打ちが飛んだ。望美は一瞬呆然としたものの、すぐに憎悪を滲ませた視線で紬を睨みつけ、奥歯を噛み締める。「紬さん……それで気が済むなら、いくらでも私を打てばいいわ!」「紬、よくも手を出したわね!誰を叩いたと思っているの!」絵美は怒り狂った。だが、成哉が必死に押さえ込んでいたため、すぐには飛びかかれない。そんな中、紬は無表情のまま拳を握り締め、今度は絵美へ向けて突き出した。絵美の瞳が驚愕に揺れる。「紬、やめろ!衝動的になるな!」成哉が慌てて制止した。我に返った絵美は深く息を吸い込み、ヒステリックに言い放つ。「姑を殴るなんて、いい度胸じゃない!さあ、叩きなさいよ!いっそ殺せばいいわ!殺して、一生刑務所に入ればいいのよ!ちょうど警察もいるんだから、あんたはそのまま連行されて、私は病院送りになるだけだわ!」「あなたを殴るなんて、私の手が汚れるだけですわ」紬は嫌悪を隠そうともせず、冷たく吐き捨てた。「少しは口を慎んだらどう、この老いぼれめ。地獄へ落ちる時、列に並ぶ手間くらいは省けるかもしれないわね」「この……っ、不届き者が!」絵美の顔は怒りで赤紫に染まった。何不自由なく甘やかされ、常に周囲から持ち上げられてきた彼女に、ここまで真正面から言い返した人間など紬以外にいない。いつの間にか周
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第490話

しかし、振り下ろされたその手が紬に届くことはなかった。理玖が壁のように立ちはだかり、絵美の行く手を遮ったからだ。灰色の瞳は冷え切って沈み、その表情には、今にも嵐が吹き荒れそうな凄みが宿っている。「……気は済んだか」重たい瞼をわずかに持ち上げ、理玖は鋭い視線を絵美から成哉へ移した。口元には、嘲弄を滲ませた薄い笑みが浮かんでいる。「これが、お前が俺に『証明してみせる』と言っていたものか?」成哉は拳を強く握り締めた。昨夜――「守れないなら、二度と紬に触れるな」と挑発された彼は、理玖に向かって、自分こそが紬を守れるのだと豪語したばかりだった。まさか、これほど早くその言葉を打ち砕かれることになるとは思ってもいなかった。確かに彼は、絵美を止めようと全力を尽くした。だが結局、その暴走を食い止めることはできなかったのだ。成哉は持ち上げかけた手を力なく下ろし、敗北感に押し潰されそうになりながら話題を逸らした。「今は……芽依のことが最優先だ」「こちらの男性がすでに輸血を済ませてくださったので、最悪の事態は免れていますよ」看護師が善意からそう告げた。その一言は、成哉の頬を再び強烈に打ち据える平手打ちのようだった。父親である自分より、部外者である理玖の方が早く駆けつけ、しかも必要な手助けまでしていた。何一つ、自分は間に合わなかったのだ。意気消沈する息子の姿を見て、絵美の中で行き場を失った怒りが再燃する。「今日のことは、確かにこちらの監護不足もあったかもしれない。でも、あなたたちにも半分責任があるわ!」絵美は冷たく吐き捨てた。「芽依がここへ来るって分かっていたなら、もっと早く探しに来るべきだったのよ! そうすれば、こんなことにはならなかったはずでしょう。離婚も成立していないのに夫も子供も放り出すような女に、まともな徳なんてあるわけないわ!」「言いたいことは、それで全部か」理玖は終始、紬を背後に庇ったまま、冷ややかな眼差しを成哉へ向けた。そして鼻で笑うように告げる。「天野家の弁護士に伝えておけ。お前の母親宛てに送る内容証明への対応を忘れるな、とな」絵美の顔色が変わった。「……どういう意味よ!」理玖は静かに視線を上げ、ゆっくりと言葉を紡ぐ。「たとえ年配者であっても、公の場での誹謗中
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