氷室様はふっと表情を引き締め、繋いでいた手を静かに離した。先ほどまでの柔らかな空気は一瞬で消え去り、そこには「氷室グループの若き首領」としての冷徹な眼差しが戻っていた。「咲希。感傷に浸るのは、ここまでだ。明日から、本格的な訓練を始める」「え……?あ、はい。覚悟はしているつもりですけど」急な態度の変化に、私は瞬きを繰り返した。さっきまでの優しい空気から一変して、彼が仕事モードの『氷室社長』に戻ってしまったことに戸惑う。「神崎にも協力してもらう。氷室家の婚約者として、誰の目から見ても隙のない振る舞いを身につけてもらう必要があるからな」氷室様は立ち上がり、書斎のデスクから一冊のスケジュール帳を取り出した。その指先は、ビジネスの商談を進める時のように冷厳で、迷いがない。「まずは基本動作。エスコートの受け方、社交場での微笑み方。そして――」氷室様は、私を射抜くような鋭い視線で言葉を継いだ。「恋人同士としての、身体接触(スキンシップ)だ。人前で自然に手を繋ぎ、腕を組む。さらには、周囲に仲睦まじさをアピールするための……」彼は一度言葉を切り、私のすぐ目の前まで歩み寄った。ふわりと、彼がいつも纏っている洗練された香水の匂いが鼻をくすぐる。高い背から見下ろされる圧倒的な圧迫感に、心臓が激しく跳ねた。「……必要なら、キスの練習も行う」「っ!」私の頬が、一瞬で火が出たように熱くなる。キス。その単語が頭の中で何度も反響し、目の前がクラクラとした。演技だと、これは契約のための「特訓」だとわかっている。けれど、至近距離にある氷室様の美しく整った唇を見つめると、喉の奥がカラカラに渇いた。もし、本当にこの唇が重なったら……。想像しただけで、立っていられなくなりそうだった。「できるか?躊躇すれば、周囲に偽物だと見破られるぞ。パーティーの場
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