名家の恥と捨てられた娘は、契約結婚先で花開く のすべてのチャプター: チャプター 411 - チャプター 417

417 チャプター

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 でもどういうわけか、翔吾の心に苛立ちは生じなかった。 実加の歯に衣着せぬ物言いが、不思議と心地よいリズムとして耳に届いている。「ぶーぶー! はやい!」 後部座席から、理玖の明るい声が上がった。 チャイルドシートに固定された小さな体を揺らし、窓の外を流れる景色を短い指で指差している。 秋の山々、風に揺れるススキの穂、時折すれ違う軽トラックの音と振動。 理玖にとって、そのすべてが新鮮なエンターテインメントなのだろう。「ほら、理玖も速いのがいいって言ってんじゃんか。もっと、ちょっとはスピード出せって」 実加が後ろを振り返りながら笑う。「幼児の体感速度と実際の物理的な速度は異なります。視覚情報の処理能力が未発達なため、風景の流れが早く感じられるだけです」 翔吾がそう返すと、実加は呆れたように大きなため息をついた。「ほんっと、可愛くねえ男。理玖、メガネは頭が固いから駄目だなー」「だめだなー!」 理玖が母親の言葉を真似て、無邪気に笑う。 その声に釣られるように、実加が声を上げて笑い出した。「あははっ! ほら、理玖にも言われてるぞ、メガネ」 翔吾はルームミラー越しに、後部座席の理玖と、それを見て笑う実加の横顔を捉えた。 実加の目元は柔らかくゆるんで、口元には屈託のない笑みが浮かんでいる。(……悪くない) 翔吾はハンドルを握る力を、ほんの少しだけ緩めた。 張り詰めていた肩の筋肉から、余計な力が抜けていくのがわかる。 実加の乱暴な言葉遣いは、自分への気安さの表れだ。彼女は、翔吾という人間を飾らずに受け入れてくれている。 理玖の存在が、この狭い車内に温かな空気をもたらしていた。 論理や数式では絶対に導き出せない、まるで本物の家族旅行のような一体感。 自分がこの空間の一部として存在しているという事実が、翔吾の胸の奥をじんわりと満たしていく。 社員寮を出て一人暮らしを始めてからずっと抱えて
last update最終更新日 : 2026-07-17
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「おうよ。そこのメガネの兄ちゃんは、頭が良くて難しいことをいっぱい知ってるからな。頼りになる先生だぜ。……運転は下手だけど!」 実加がケラケラと笑った。 車内には、再び和やかな笑い声が満ちる。 窓の外には、秋の柔らかな陽射しが降り注いでいた。 エアコンの吹き出し口から出る風の音が、心地よいBGMのように聞こえる。 タイヤがアスファルトの継ぎ目を越えるたびに、軽い振動が伝わってくる。 翔吾は交差点に差し掛かり、ウインカーを下ろした。 カッチ、カッチという規則正しい音が車内に響く。 左右の安全を確認し、アクセルを踏み込む。 今度はガクンと揺れることなく、スムーズに車体を前進させることができた。「お、今の曲がり方はマシだったな」 実加が助手席から評価を下す。「言ったでしょう。学習とフィードバックのサイクルを回せば、最適化は可能です」 翔吾は前を向いたまま答えた。「いちいち理屈っぽいんだよ。素直に喜べばいいのに」 実加は呆れたように言うが、その声には刺々しさはない。 理玖はいつの間にか、チャイルドシートに身を預けてうとうとし始めている。 規則的な車の揺れが、心地よい眠気を誘っているのだろう。 翔吾はルームミラーで理玖の様子を確認し、カーブのたびにかかる遠心力を極力減らすよう、ブレーキの踏み方を調整した。 ◇  車は農業地域の集落へと入っていった。 道路の両側には、収穫を終えた田畑が広がる。 瓦屋根の立派な農家が点在しているのが見える。「この先の角を右だ。源じいさんの家はそこだから」 実加の案内に従い、翔吾はウインカーを出してハンドルを切る。 指定されたのは、少し山道を登った先。大きな柿の木がある農家の庭先だった。 柿の木には、オレンジ色に熟した実がいくつもぶら下がっている。 庭の隅には赤いトラクターが停め
last update最終更新日 : 2026-07-18
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「ふう……」 翔吾は深く息を吐き出した。全身の毛穴から緊張が抜け出ていくような感覚だった。 背もたれに体を預け、眼鏡の位置を直す。 慣れない運転で、何よりも実加と理玖の安全を預かっているのだと思えば、どうしても緊張してしまっていた。「お疲れ。まあ、初回にしちゃ上出来だ。無事に着いたしな」 実加がシートベルトを外し、笑いかけてきた。 その言葉に、翔吾はわずかに口角を上げる。「ありがとうございます。次はもう少し、スムーズな加減速を心がけます」「おう、期待してるぜ。ほら、理玖、着いたぞ。降りるよ」 実加が後部座席のドアを開け、チャイルドシートのベルトを外してやった。「んしょっ」 眠い目をこすりながら理玖がシートから滑り降りるのを、実加がしっかりと抱き止めた。 翔吾も運転席から降り、車のキーをジャケットのポケットにしまう。 足元には土の感触。少し湿った土の匂いと、柿の実の甘い香りが風に乗って漂ってきた。「源じいさーん! 久しぶり。実加だよー!」 実加が大きな声で母屋に向かって呼びかけた。「さあ、行きますか」 翔吾はジャケットの裾を軽く整えると、実加と理玖の隣に並んだ。 母屋の引き戸がガラガラと音を立てて開き、農作業着姿の老人が顔を出した。 深いシワの刻まれた顔が、実加の姿を認めてぱっと明るくなる。「おお、実加ちゃんじゃないか! よく来たなあ」「じいさん、久しぶり! 旅館の立て直しの時は世話になったな。理玖もこんなに大きくなったんだよ」 実加は理玖を前に押し出した。 理玖は以前、一度だけせせらぎ亭に来たことがある。生後7か月の頃だ。 その時に源じいさんにも会っていた。「こんにちはー」 理玖がペコリと頭を下げると、老人は目を細めて笑った。「こりゃあ立派になった。前はまだ、ハイハイしてたのになあ。そっちの兄ちゃんは、ええと…&hel
last update最終更新日 : 2026-07-18
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「じいちゃん、ばあちゃん。理玖の離乳食の野菜、送ってくれてありがとな。すっごく助かったよ」 実加がお茶をすすりながら礼を言う。「なんのなんの。うちの畑で採れたもんでよければ、いつでも送るさ。理玖ちゃんが美味しそうに食べてくれるのが、一番の喜びだからな」 老人は笑いながら理玖の頭を撫でた。「特にしいたけが美味くて! 理玖も好きだもんな、源じいさんのしいたけ」「うん! しいたけ、好き!」「そうか、そうか。そりゃあ嬉しいねえ」 彼らのやり取りを横目に、翔吾は出された漬物を一口食べた。 パリッとした食感とともに、程よい塩気と野菜の甘みが口の中に広がる。「これは、大根の浅漬けですか。塩分濃度と浸透圧のバランスが絶妙ですね。野菜本来の水分がしっかりと保たれています」 翔吾が真面目な顔で分析すると、老人の妻がころころと笑った。「難しいことはわからないけど、長年作ってるからねえ。お口に合ってよかったわ」「ほら、メガネ。また理屈っぽいこと言ってる。美味しいなら美味しいって言えばいいだろ」 実加が横から小突いてくる。「美味しいという主観的な評価を、客観的な事実として言語化したまでです」 翔吾が反論すると、農家の夫婦は「いいコンビだねえ」と顔を見合わせてさらに笑った。 縁側には、穏やかで温かい時間が流れていく。 理玖は庭の隅にいる犬に興味津々で、実加が見守る中、とことこと歩いていった。 翔吾はその光景を、お茶を飲みながら眺めていた。「かーちゃん! わんわん!」「おう、犬だな。可愛いじゃないか」 犬は中型犬で、少し長い毛並みをしている。「理玖ちゃん、触ってみるかい? その子は大人しいから大丈夫よ」 老人の妻が立ち上がって、犬小屋の方へ歩いていった。 犬はのんびりと理玖を見上げている。 老人の妻は理玖が犬を驚かせないよう注意しながら、毛並みを撫でさせた。「ゆっくり優しくね。そうそう、上
last update最終更新日 : 2026-07-19
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 段ボール箱のずっしりとした重みが腕に伝わってくる。土の匂いがふわりと鼻をかすめた。 トランクを開けて、箱を安定する位置に慎重に置く。「ほら理玖、じいさんたちにバイバイだ」「ばいばーい!」 理玖が小さな手を振る。「また来いよー!」 農家の夫婦が見送る中、翔吾は車を発進させた。 帰りの道も、行きと同じようにカーブが続く田舎道だ。 けれど翔吾のハンドル操作は、行きよりも少しだけスムーズになっていた。「お、帰りはずいぶんマシになったな」 助手席の実加が、窓の外を眺めながら言う。「データが蓄積されれば、出力の精度は上がりますから」 翔吾は前を見たまま答えた。「相変わらず可愛くねえ返しだな」 実加はそう言いながらも、声には笑いが混じっている。 後部座席では、理玖が遊び疲れてすっかり眠りに落ちていた。 スースーという規則正しい寝息が聞こえてくる。 トランクからは、もらったばかりの野菜の土の匂いが微かに漂ってくる。 車内は、行きよりもさらにリラックスした空気に包まれていた。「今日、来てよかったな」 実加がぽつりと言う。「ええ。農家の皆さんもお元気そうで何よりでした」 翔吾はウインカーを出して、交差点を曲がる。 実加は窓の外に目を向けたまま、言葉を継いだ。「なんかさ、源じいさんたちの顔見たら、もっと頑張んなきゃなって思ったわ」「清掃業務のことですか?」「それもあるけど。ウチ、チーフになっただろ? 下の子たちに教える立場になって、色々と考えることが増えたんだよ」 実加は腕を組み、シートに深く背中を預けた。「掃除のやり方だけじゃなくて、お客さんへの気配りとか、そういう目に見えないものをどうやって伝えるか。それが難しいんだよな」 翔吾はルームミラーで後方を確認しつつ、実加の言葉に耳を傾ける。「暗黙知の形式知化ですね。個人の感覚や経
last update最終更新日 : 2026-07-20
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 かつての翔吾は、他人の成長や感情の揺れ動きに一切の関心を持っていなかった。 しかし今は、実加が前へ進もうとする姿を見るだけで、自分ももっと上を目指したいという強い動機付けが生まれる。 それに何よりも、彼女に頼られると純粋に嬉しい。(彼女の熱が、僕のシステムを常にアップデートさせている) 翔吾はハンドルを切る。 タイヤがアスファルトを掴む感覚が、手からダイレクトに伝わってくる。 夕日が山の稜線に沈みかけ、空は深い群青色へと変わりつつあった。 ヘッドライトのスイッチをひねると、前方の道路が白く照らし出される。「暗くなってきたな。理玖、起きねえかな」 実加が後ろを振り向く。「無理に起こす必要はありません。到着まであと15分ほどです。そのまま寝かせておきましょう」「そうだな。お前も運転、最後まで気ぃ抜けよ」「言われるまでもありません。安全運転は最後まで継続します」 軽妙なやり取りを交わしながら、車は静かな山道を走り抜けていく。 翔吾にとって、この運転席は今や緊張の場ではなく、安らぎの空間となっていた。 荷台から漂う土の匂い、実加のシャンプーの香り、理玖の寝息。 そのすべてが、翔吾の記憶のストレージに大切に保存されていく。 やがて、木々の合間からせせらぎ亭の明かりが見えてきた。 温かなオレンジ色の光が、旅の終わりを告げている。「着いたな。運転ご苦労さん。さあ、温泉と美味い飯が待ってるぜ」 実加が大きく伸びをした。 翔吾はウインカーを出し、旅館の駐車場へと車を滑り込ませる。 今度は一発で、枠のちょうど真ん中に車を停めることができた。「完璧な駐車です」 翔吾が宣言すると、実加は「はいはい、お見事」と笑った。 エンジンを切り、シートベルトを外す。 ドアを開けると、山の冷たい空気が車内に流れ込んできた。 翔吾は外へ出て、大きく深呼吸をする。 冷たい空気が肺を満たし、頭
last update最終更新日 : 2026-07-21
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408:約束の勉強会

 せせらぎ亭への社員旅行が終わって後、週末の昼前。 ホテル・サンクチュアリの近隣に建つ大型ショッピングモールのフードコートは、家族連れやカップルでごった返していた。 翔吾は実加との勉強会の約束を果たすため、待ち合わせ場所をここに指定したのだ。 周囲の人々は楽しそうにおしゃべりをして、子供たちは元気な声を上げている。 少し離れた臨時ステージでは、子供向けのキャラクターショーが行われて、子供たちが歓声を上げていた。 フライドポテトの油の匂いと、ハンバーガーを包む紙の匂い。 プラスチックのトレイがテーブルに置かれる乾いた音が、常にざわめきの空間を満たしている。 翔吾は4人掛けのテーブルを確保して、ノートパソコンを開いていた。 画面には、スプレッドシートで構築したマニュアル作成用のフォーマットが表示されている。 キーボードを叩いて体裁を整えながら、画面右下の時計を確認した。(実加さんたち、そろそろ到着する時刻だが) 周囲の騒がしさは、集中力を著しく削ぐノイズだ。 とはいえ幼児連れで気兼ねなく会話ができる場所となると、選択肢は限定される。「おう、メガネ! 待たせたな」 聞き慣れた声が降ってきた。 顔を上げると、片手で理玖を抱いた実加が立っていた。 休日の彼女はホテルの制服ではなく、ゆったりとしたパーカーにデニムという軽快な出で立ちだ。「しょーご!」 理玖が実加の腕の中で身を乗り出し、小さい手を伸ばしてくる。 翔吾はパソコンの画面を半分閉じ、立ち上がって会釈した。「お待ちしていました。座席は確保してあります。昼のピークタイムになるとさらに混雑しますから、早めに打ち合わせを始めましょう」 翔吾が向かいの席を手で示すと、実加は周囲をぐるりと見渡した。眉間に深いシワが寄っている。「いや、ちょっと待て。こんなうるさいとこで、マニュアルとかいう難しい話すんのか?」「幼児同伴で入店可能なカフェも検討しましたが、土日はどこも満席です。ここなら理玖く
last update最終更新日 : 2026-07-21
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