お腹を痛めて産んだ子供が、まさか母親の苦しむ姿を見て喜ぶ怪物だったとは、紺野明世(こんの あきよ)は夢にも思わなかった。三十歳の誕生日。裏庭で、明世の胸が激しく軋んだ。発作だ。薄れゆく視界の端、五歳の息子・紺野海斗(こんの かいと)が立っていた。だが海斗は、明世の命綱である吸入薬を拾うどころか、遠くへ投げ捨てた。幼い声が、残酷なほど鮮明に耳に突き刺さる。「こうすればママ、もっと僕のことを見てくれるし、もっと愛してくれるって、未鈴さんが言ってたもん。パパだって未鈴さんの言うこと聞いてるんだ。じゃあ僕のやり方も間違いないよ。こうすればママは絶対、僕たちをもっと好きになる!」夫である紺野涼介(こんの りょうすけ)の答えを聞く間もなく、意識が闇に沈んだ。最後に残ったのは、ひとつの冷たい決意――もし目が覚めたなら、私を傷つけることで愛を試そうとする歪んだ親子、あと三回だけ、チャンスを与えよう。……四時間の蘇生処置を経て、鼻をつく消毒液の臭いが明世を現実へと引き戻した。瞼を持ち上げると、喉の奥に焼けるような激痛が走り、息をするたびに胸が軋む。無意識に夫と息子の姿を探したが、病室には冷たい空気が漂うばかりだ。サイドテーブルの上で、スマホが震え続けている。力を振り絞って手を伸ばすが、指先数センチが届かない。それに気づいた新人の看護師が、慌てて駆け寄ってきた。「動かないで!やっと峠を越したんですよ。重度の喘息持ちだと分かっているくせに、どうして薬の管理を怠ったりしたんですか?本当に、命を何だと思ってるんです!」明世には弁解する気力もなかった。まさか実の息子が薬を捨てたなどと、口が裂けても言えるはずがない。スマホの画面を開くと、LINEは涼介とのトーク画面が開かれたままだった。画面を埋め尽くす吹き出しは、すべて自分からの一方的なメッセージだ。インスタを開くと、入江未鈴(いりえ みすず)の投稿が目に飛び込んできた。【茶トラちゃんが三時間も高い木から降りられなくなって大ピンチ。でも、二人の勇敢な騎士様が駆けつけてくれたの!消防士さんも「プロ顔負けだ」って褒めてくれたわ!】添付された写真には、袖をまくって木に登り、猫を抱きしめる涼介と、その下でキャリーケースを掲げ、慎重に猫を受け取ろうとする海斗の姿があった。
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