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三つのチャンス――もう二度と愛さない
三つのチャンス――もう二度と愛さない
Author: 魔王君

第1話

Author: 魔王君
お腹を痛めて産んだ子供が、まさか母親の苦しむ姿を見て喜ぶ怪物だったとは、紺野明世(こんの あきよ)は夢にも思わなかった。

三十歳の誕生日。裏庭で、明世の胸が激しく軋んだ。発作だ。

薄れゆく視界の端、五歳の息子・紺野海斗(こんの かいと)が立っていた。

だが海斗は、明世の命綱である吸入薬を拾うどころか、遠くへ投げ捨てた。

幼い声が、残酷なほど鮮明に耳に突き刺さる。

「こうすればママ、もっと僕のことを見てくれるし、もっと愛してくれるって、未鈴さんが言ってたもん。

パパだって未鈴さんの言うこと聞いてるんだ。じゃあ僕のやり方も間違いないよ。こうすればママは絶対、僕たちをもっと好きになる!」

夫である紺野涼介(こんの りょうすけ)の答えを聞く間もなく、意識が闇に沈んだ。

最後に残ったのは、ひとつの冷たい決意――

もし目が覚めたなら、私を傷つけることで愛を試そうとする歪んだ親子、あと三回だけ、チャンスを与えよう。

……

四時間の蘇生処置を経て、鼻をつく消毒液の臭いが明世を現実へと引き戻した。

瞼を持ち上げると、喉の奥に焼けるような激痛が走り、息をするたびに胸が軋む。

無意識に夫と息子の姿を探したが、病室には冷たい空気が漂うばかりだ。

サイドテーブルの上で、スマホが震え続けている。力を振り絞って手を伸ばすが、指先数センチが届かない。

それに気づいた新人の看護師が、慌てて駆け寄ってきた。

「動かないで!やっと峠を越したんですよ。重度の喘息持ちだと分かっているくせに、どうして薬の管理を怠ったりしたんですか?本当に、命を何だと思ってるんです!」

明世には弁解する気力もなかった。まさか実の息子が薬を捨てたなどと、口が裂けても言えるはずがない。

スマホの画面を開くと、LINEは涼介とのトーク画面が開かれたままだった。画面を埋め尽くす吹き出しは、すべて自分からの一方的なメッセージだ。

インスタを開くと、入江未鈴(いりえ みすず)の投稿が目に飛び込んできた。

【茶トラちゃんが三時間も高い木から降りられなくなって大ピンチ。でも、二人の勇敢な騎士様が駆けつけてくれたの!消防士さんも「プロ顔負けだ」って褒めてくれたわ!】

添付された写真には、袖をまくって木に登り、猫を抱きしめる涼介と、その下でキャリーケースを掲げ、慎重に猫を受け取ろうとする海斗の姿があった。

未鈴はそんな二人を崇拝するような眼差しで見つめ、手を叩いて応援している。

なんて美しい、三人家族の光景だろう。

夫と息子が、死の淵をさまよっていた自分を置き去りにして、本命の飼い猫を助けに行っていたのだ。心配の言葉ひとつ寄越さずに……

明世は口元を歪め、写真をタップした。

海斗が着ているのは、今朝、自分がアイロンをかけたシャツだ。ママの誕生会でかっこよく見えるようにと、丁寧にアイロンをかけたもの。

それなのに今、息子はそれを着て別の女の前に立ち、父親と一緒に騎士気取りで振る舞っている。

指を下に滑らせ、何気なく家庭用監視カメラのアプリを開く。

昨夜設定したクラウドの自動バックアップが、新しい動画の通知を表示していた。

何かに引き寄せられるようにタップすると、画面には庭の東屋が映し出された。時刻は今日の昼食前だ。

「海斗くん、さっき言ったこと、全部覚えてる?」未鈴は、蜜のように甘い声で、絡みつくように言った。

「覚えてるよ」海斗の幼い顔に、真剣な色が浮かぶ。

「あのスプレーを捨てたら、ママに発作が起きたら僕が気づいて、薬を取ってって頼んでくるんだ。そうしたら僕がママを助けたヒーローになって、ママはもっと僕を愛してくれる」

「いい子ね」未鈴は笑いながら、海斗の髪を撫でた。「これは二人だけの秘密よ。ママからもっとたくさんの愛をもらえるように、手伝ってあげるから!」

「やった!未鈴さんって本当にすごいね!だからパパも未鈴さんのこと大好きで、いつもご褒美にチューしてるんだよね!」

そう言って、海斗は小さな唇を尖らせて未鈴の頬にキスをした。

画面の中で親子のようにじゃれ合う二人を見つめながら、明世はすべてに予兆があったのだと悟った。

長年愛してきた夫は、本命を甘やかし、あろうことか子供を唆して母親を襲わせていた。彼はとっくに、自分を裏切っていたのだ。

明世は画面を凝視したまま、抑えきれない手の震えを感じた。胸を刺すような痛みに耐えかねて、瞳を閉じる。

過去の記憶が、雪崩のように押し寄せてきた。

明世と涼介は幼馴染だった。彼は臨海市随一の資産家の御曹司で、留学から帰国して家業を継いだエリートだ。

二十代で紺野グループの企業価値を数倍に押し上げ、臨海市の全ての女性が憧れる最年少の青年実業家となった。

一方、明世は紺野家に仕える家政婦の娘に過ぎない。涼介の両親の慈悲で、彼のそばにいることを許され、同じ名門校に通わせてもらえただけだ。

眩いばかりの涼介を見つめながら、明世の密かな恋心は、決して口に出せるものではなかった。

けれど六年前。帰国した彼が酔った勢いで部屋を訪ねてきて、「結婚してくれないか」と告げたのだ。

密かな恋が、ついに実を結んだのだと思った。

だが、結婚して思い知らされた。それは、彼が未鈴に九十九回振られた後の、百回目の「当てつけ」に過ぎなかったのだと。

アルプス山脈で、ドローンを使って求婚の文字を描いても、未鈴は笑って「もう少し待って」とあしらった。

アイスランドの黒砂海岸を貸し切りにして花火を打ち上げても、未鈴は「結婚なんて制度に縛られたくない」とはぐらかした。

そして百回目。タイムズスクエアの巨大スクリーンの下で、未鈴は最後通告をした。「三年後には必ず結婚するわ」と。

涼介は指輪を放り投げて帰国し、手頃な明世と成り行きで結婚したのだ。理由はいかにも簡単だった。

彼女は一番面倒がなく、一番従順な選択肢だったから。

結婚して一年後、明世は海斗を出産した。幸せな日々もあったはずだ。

それが一ヶ月前、未鈴が離婚して帰国し、海斗の外国語教師になってからすべてが狂い出した。

涼介の襟元には、頻繁に赤リップの跡が残るようになった。

海斗も「未鈴さんの家で遊びたい」とせがむようになり、帰宅すればまるで別人のようになっていた。

以前は自分にべったりだったのに、突然、まとわりつかなくなった。

昔は薬を持ってきてくれた優しい子が、今では薬を隠すようになった。

かつて自分を世界一だと誇ってくれた「ナンバーワンのファン」は、今では「ママはダンスが下手だ」と言い、「家で家政婦の仕事をして、パパと僕の世話をするべきだ」と言い放つ。

今日になってようやく、自分がどれほど滑稽な間違いを犯していたか気づいた。

夫は本命と焼け木杭に火をつけ、息子までもが、その女の意のままに操り人形と化していたのだ。

「紺野さん?大丈夫ですか?」看護師が明世の顔色の悪さに気づいて声をかける。「先生をお呼びしましょうか?」

「大丈夫です」明世は目を開け、溜息のような声で尋ねた。「私の夫と息子は?」

「お会計を済ませたら、すぐ出て行かれましたよ。動物病院に急用があるって」

看護師は不満げに口を尖らせた。「本当に、猫が奥さんやお母さんより大事なんて、ふざけていますね」

明世は力なく笑った。涙が一筋、こめかみを伝って落ちる。

そう、どんな猫が命より大事なのか?もちろん、未鈴の猫だ。

バン!

病室のドアが乱暴に開かれ、涼介が海斗の手を引いて入ってきた。

ふわりと漂ってきたのは、動物病院特有の消毒臭。おそらく、あの猫の健診を終えたばかりなのだろう。

「ほら、ママに謝りなさい」涼介が息子の背中を押す。

海斗はベッドの傍まで寄ってくると、つま先で床に円を描きながら言った。「……ママ、ごめんなさい」

明世は顔を背けたが、息子の目に一瞬浮かんだ苛立ちを見逃さなかった。

彼は苛立っていた。手筈通りなら、ママがそこで「薬を取って」と言うはずだったからだ。

「海斗はわざとやったわけじゃない。まだ子供なんだ、遊びに夢中になることだってある。お前も、そんな大事な薬をきちんと管理しないから悪いんだぞ」

涼介の声には、抑揚のない。「未鈴が動物病院で猫の世話をしてて、一日中何も食べてないんだ。俺が食事を届けに行かないといけない」

夏の夜の湿気を含んだ暑さの中、明世は骨の髄まで冷え切っていくのを感じた。

目覚めてからずっと、涼介は一度も「大丈夫か」と聞いてこなかった。

部屋に入ってからの言葉は、ひとつは息子の言い訳、もうひとつは自分への非難。

心も目もすべて未鈴で埋め尽くされ、今日が妻の三十歳の誕生日であることすら忘れている。

明世は突然、綿のような疲れを感じた。

明世が何も言わないのを見て、涼介は眉をひそめた。「まあいい。今日はお前の誕生日なんだから、機嫌よくしてくれよ。子供相手に意地を張るな」

「俺と海斗で、お前にプレゼントを用意したんだ」

彼はポケットからベルベットの箱を取り出した。中にはローズゴールドの腕時計が入っていた。「退院したら俺がつけてやる」

明世はそれをちらりと見た。未鈴が先週、SNSに投稿していたのと同じモデルだ。

彼女が「ダサくて趣味じゃない」と嫌がって受け取らなかったものが、自分の誕生日プレゼントになるとは。なんという皮肉だろう。

明世は微笑み、溜息のような声で言った。「私からも、サプライズがあるの」

親子は同時に顔を上げ、海斗は明世のそばに飛びついた。

「なになに?僕が一番欲しかった、レーシングカーのおもちゃ?」

彼女は窓の外を見つめ、海斗の目に浮かんだ失望を見ないふりをして、もう口を開かなかった。

父子が病室を出ていくまで、彼女は心の中で二人に告げた。

チャンスを与えるのは、あと三回だけよ。

それを使い切ったら、あなたたちにはもう愛想を尽かすからね。
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