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第261話

真紀は数部のスポーツ紙を取り出し、テーブルの上に並べた。どれも芸能欄のトップ記事として、萌花と蓮の写真を大きく掲載している。写真は一枚だけではなく、撮られた時期もばらばらで、中には、以前病院で萌花が蓮と初めて会ったとき、記者に隠し撮りされたものもある。もっともそのとき、蓮は帽子やマスクで顔を隠していたし、萌花も後ろ姿しか写っていない。よほど身近な人間でなければ、誰なのかまではわからないはずだ。ただ、その中に一枚だけ、はっきりと顔まで写っている写真がある。昨日、清水村で四人で歩いていたときのものであった。萌花と蓮、そして芽衣と健太。四人は手をつないで、子どもたちを真ん中にして歩いている。笑いながら話しているようにも見え、どう見ても仲のよい家族の一場面にしか見えない。しかも、全員の顔がはっきり正面から写っている。萌花は背筋が冷えた。昨日撮られたばかりの写真が、もう今日の芸能紙の一面を飾っている。見出しには【国際派俳優・蓮、実は極秘結婚か 子ども二人を連れた家族写真流出】と書いてある。記事の中身はさらにひどくて、根も葉もない話をいかにも事実のようにつなぎ合わせている。萌花は新聞を置いた。「これは……さすがに無理があります」真紀は淡々と言った。「芸能記事なんて、そんなものです。小さな噂の切れ端でも、いくらでも大きな話に仕立てられますから」萌花はすぐに言った。「私から説明します。きちんと否定すれば——」蓮の評判に傷をつけるつもりはない。彼は国内外で高く評価されているトップ俳優だ。こんな馬鹿げた記事で、これまで築いてきたものに傷がつくのは避けたい。真紀は萌花の言葉を遮るように、落ち着いた声で続けた。「対応はこちらで考えます。ただ、その前に一つ確認していただきたいことがありますが」真紀はまっすぐ萌花を見た。「二条さんと蓮は、実際にはどういう関係なんですか。なぜ蓮は二条さんをここへ連れてきたんでしょうか?」ここは、蓮の隠れ家のような場所で、真紀と千佳以外、この家の存在を知っている者はいないという。しかも、蓮は最初から真紀にここを教えていたわけでもなかった。昔蓮が半月ほど連絡を絶ったことがあり、そのとき真紀が車の位置情報をたどって、ようやくこの場所を見つけたのだという。萌花は正直に
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第262話

「ちなみに、昨日一面に出た写真も、蓮につきまとっている迷惑ファンによるものです」真紀は淡々と続けた。「この場所も長くは居られないと思います。いずれ彼女たちは突き止めてくるでしょう」そして、萌花をまっすぐ見た。「蓮にきちんとした恋人がいると公表すれば、少なくとも彼女たちの思い込みを断ち切るきっかけにはなるかもしれません」萌花はしばらく考え込んで、やがて静かにうなずいた。「わかりました。そちらにお任せします。私は構いません」萌花が承諾したのは、もちろん何も考えずに流されたからではない。蓮が昨日清水村で電話をしていたのは、ビザや渡航に必要な手続きを確認するためだった。蓮によれば、必要な手配はほとんど済んでいて、あとは萌花本人がいくつかの手続きに応じれば、すぐにでも出国できるという。萌花はカラリスに行って先輩を頼って、しばらく向こうで身を落ち着けるつもりでいる。だから国内でどんな報道が出ようと、正直なところ、萌花にはそれほど関係がない。戻ってくるころには、蓮との破局も発表されているかもしれない。それに、もし自分と蓮の交際が公表されれば、時雄にとっては少しばかり意趣返しになるだろう。本気で時雄に仕返しをしたいわけではないが、少しくらい胸をざわつかせることができるなら、それはそれで構わないと彼女は思う。萌花が思ったよりも素直に応じたことに、真紀は少しだけ表情を和らげた。「ありがとうございます、二条さん」それからしばらくして、蓮が二階から下りてきた。服も着替えた。先ほどまでの乱れた様子はどこにもなく、蓮はもう、普段どおりの涼しい顔に戻った。すらりとして、どこか人目を引く華やかさがある。萌花は立ち上がった。「起きたんですね」蓮は真紀の姿を見ても、特に驚いた様子はなく、ただ彼女のそばまで歩いていき、淡々と言った。「もう帰っていい?」真紀は責めることも問いただすこともしなかった。その目にあるのは、ただ心配だけだ。「少しは落ち着いた?」蓮は萌花をちらりと見て、どこか居心地悪そうに短く答えた。「平気」萌花は何も言わなかった。その場にいる誰もが同じように口をつぐんでいる。昨夜から今朝にかけての出来事にはもう触れない。そんな暗黙の了解が自然とできている。午後になると、一同
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第263話

萌花が最初に思ったのは、逃げなければ、ということだった。けれど、逃げきれないこともすでにわかっているから、その場に立ったまま動かなかった。時雄は車にもたれている体を起こし、萌花のほうへ歩いてくる。萌花はわずかに眉を寄せた。ほどなくして、時雄は彼女の目の前に立った。「やっと帰ってきたな」先に口を開いたのは時雄だ。その声からは、怒りも安堵も読み取れない。萌花は彼を上から下まで一瞥した。「事故で入院したと聞いたんだけど。見たところ、手足はちゃんと揃っているみたいね」その口調はひどく棘があって、時雄の表情がほんのわずかに揺らいだ。目の奥の色が、いっそう冷たくなった。「少し話そうか」萌花は顔をそむけ、鼻で笑うように言った。「私たちに、まだ話すことがあるの?」「離婚届にまだサインしてない」その一言で、萌花はすぐに態度を変えた。「いいよ。じゃ、離婚の話をしましょう」もちろん時雄の車に乗るつもりはなく、萌花は近くにあるカフェを選んだ。店に入る前に、小春へメッセージを送り、住所も共有しておいた。小春からはすぐに向かうと返事が来た。いくら時雄でも、人目のある場所で彼女を無理やり連れ去ることはできないはずだ。もっとも今日の時雄にはそうする気配はなかった。二人はカフェに入り、窓際の静かな席に向かい合って座った。席につくなり、萌花は単刀直入に切り出した。「時雄、お互いに時間を無駄にするのはやめよう。離婚届にサインして」時雄は静かに答えた。「サインする。ただ条件がある」萌花は、その条件が何なのか、もうわかっているつもりだ。「子どもを産めと言うつもりなら、その話は聞かない。あなたに口を出す資格はないから」時雄は目を伏せ、しばらく黙り込んだ。テーブルの上に置かれた両手は強く握り込まれている。けれど数秒後、その指はゆっくりとほどけた。時雄の声は硬かった。一語一語、まるで機械が発しているように聞こえた。「子供のことは諦める。産むか産まないかは、君が決めればいい」萌花は一瞬、言葉を失った。わずか数日のあいだに、時雄が考えを変えるとは思っていなかった。しかしもし彼が本気なら、それは確かに都合がいい。萌花は冷ややかに言った。「安心して。産むつもりはない。あなたと
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第264話

時雄は萌花の目を見つめた。「蓮とは、もう一切関わるな。二度と会うな。たとえ向こうから連絡してきても、きっぱり断ってほしい」萌花は乾いた笑いを漏らした。「時雄、それどういう意味?」時雄はまっすぐ彼女を見たまま言う。「あいつは君にとって危険だ。彼をまともな人間だなんて思うな」萌花はすぐに言い返した。「あなた、いったい何様のつもり?私が誰と付き合おうと、もうあなたには関係ないでしょ。元夫なんだから。いや、元夫その二、だったね」「元夫その二」と言われた瞬間、時雄の顔色がわずかに変わった。「萌花。最後に一度だけでいい。俺を信じてくれないか」萌花は冷たく笑った。「どうしてあなたを信じなきゃいけないの?今まで散々私をだましてきたのに。そう言われると、なおさら蓮に会いたくなるんだけど。ニュースは見たんでしょ?私は今、蓮の恋人ってことになってるから。それに、蓮は私たちのことを被害者同盟って呼んでるの。なかなかいい名前だと思わない?」萌花の声には、からかうような響きと、はっきりした皮肉が混じっている。時雄の顔はさらに冷えていく。「あいつに別の狙いがあるとは思わないのか」萌花はコーヒーをひと口飲み、淡々と返した。「そんなことを見抜ける人間なら、最初からあなたと結婚なんてしてない」時雄の表情がひどく険しくなった。彼もまたコーヒーを口にした。カップを置いたときには、その顔からすべての感情が消えている。冷たく、遠く、どこか麻痺したような目で、彼は淡々と言った。「萌花、蓮の立場くらい、君にもわかるだろう。芸能人にとって、何が一番大事なのかも」彼の声には温度がない。「はっきり言っておく。俺がその気になれば、あいつのスキャンダルなんていくらでも掘り出せる。今は手の届かない場所で輝いているスターでいられるかもしれないが、明日には世間から一斉に見放され、泥をかぶって消えていくこともある」その言葉を聞いた瞬間、萌花の胸がまた痛くなり、あの息苦しさが再びこみ上げてきた。萌花が何より嫌いなのは、時雄がこうして上から人を押さえつけるように、脅してくるところだ。しかも彼は口にしたことを本当にやる人間だということは、萌花もよく知っている。萌花の指がコーヒーカップを強く握りしめる。時雄はゆっくり顔を上げ
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第265話

それでも、女性店員は目の前の男にほとんど一目で心を奪われた。それも無理はなかった。時雄は、初対面の人間でさえ思わず目を奪われるような男である。その顔立ちはあまりにも整っていて、どこにも隙がない。コーヒーを浴びてもまとっている空気は崩れず、少しもみじめには見えない。男が自分の好意を受け取らなかったことで、店員は今度は萌花へ矛先を向けた。「ちょっと、ひどくないですか。いきなり人にコーヒーをかけるなんて」そう言ってから、時雄のほうを見る。「お客様、通報しましょうか」しかし時雄は、冷えきった目で彼女を一瞥した。「失せろ」店員は一瞬固まり、それから今にも泣き出しそうな顔でその場を離れていった。時雄は、萌花にコーヒーを浴びせられたことなどまるで気にしていないようだ。「俺の言ったことをよく考えろ。考えがまとまったら会社へ来い。離婚届はそこで渡す」そう言い残すと、時雄は立ち上がり、そのまま店を出ていった。萌花も、しばらく椅子に座ったまま動かなかった。やがて立ち上がり、カフェを出た。ちょうど店の外で小春と鉢合わせた。今日は土曜日で休みらしく、小春はカジュアルな服装をしている。萌花がどこか放心したような顔で出てくるのを見るなり、小春は慌てて駆け寄り、彼女の腕をつかんだ。「時雄は?またいじめられたの?あのクズ男に」萌花は首を振った。ここから小春の勤めている法律事務所までは近い。萌花は言った。「あなたの事務所で話そう」すると小春は、少し気まずそうに口を開いた。「うちに行こう。私、事務所辞めたの」萌花は驚いた。その一言で、さっきまでのことが一瞬、頭から抜けた。「どうして?」小春がいた法律事務所は、国内でも指折りの大手である。三年も勤めているのに、なかなか正式に採用されなかったのも、おそらくその厳しさゆえだろう。「帰ってから話す」小春のマンションへ着くなり、萌花は待ちきれずに尋ねた。「ねえ、早く教えて。どうして辞めたの?」萌花は、自分のせいで小春の仕事に支障が出たのではないかと不安だった。前に、離婚届を持って時雄のところへ行ってもらったことがある。もしかしてそのせいで時雄を怒らせたのだろうか。けれど小春は突然萌花の腕にしがみつき、今にも泣き出しそうな、申し訳なさでいっ
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第266話

萌花は少し気になって尋ねた。「玉城さんの後ろ盾ってなに?」小春はむしろ驚いたように目を丸くした。「知らないの?玉城さんはクロノスの所属でしょ」クロノスくらいは、萌花も聞いたことがある。国内でも最大級の資本力を持つ芸能プロダクションだ。ただし、所属タレントの数は多くない。けれど、その一人一人が芸能界で大きな存在感を放っている。クロノスと契約を結ぶ条件は非常に厳しいと言われているが、一度所属できれば、一年以内に必ず第一線へ押し上げられるとも言われている。しかもその事務所は、所属タレントを徹底的に守ることで有名だ。小春はさらに続けた。「クロノスの社長って、かなり謎の多い人なんだけど、政界にも強いパイプがあるって噂なの。だから所属タレントに下手なことをする人はそうそういないよ。だから安心して」萌花はそれを聞いて、少しだけ胸をなでおろした。小春が尋ねる。「それで、これからどうするの?やっぱり海外へ行く?」萌花は首を振った。「時雄がはっきりこの子を諦めると言った以上、わざわざ海外まで行く必要はないと思う」小春はふと思い出したように言った。「それなら、聖和総合病院の先生に予約を取ってあげる。母の知り合いで、産婦人科では国内でも指折りの先生なの」「ありがとう、小春」その日の午後、小春は萌花に付き添って病院へ向かった。一通り検査を終えると、医師は検査結果を見ながら言った。「妊娠十週近いですね。経過は順調です。本当に、妊娠を続けないということでよろしいですか?」萌花はうなずいた。「できるだけ早く、お願いできますか?」医師はエコーの画像に目を落としたまま、少し表情を引き締めた。「妊娠中に出血したことはありますか」萌花はうなずいた。「予定外の妊娠でした。四週目くらいのころに出血があったんです。そのときは妊娠しているとは思わなくて、生理だと思っていました」「それは普通の出血とは少し違います」医師は、手元の報告書を確認しながら続けた。「検査結果を見るかぎり、あなたの子宮はもともと少し小さめで、子宮内膜もかなり薄いようです。その状態で受精卵が着床し、ここまで順調に育っていること自体、非常に珍しいことです」萌花にはすぐには意味がわからなかったが、それでも胸の奥が不安にざわめいた。
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第267話

萌花はしばらく、頭の中が真っ白になっていた。「……わかりました。もう少し考えます」その場ですぐに答えを出すことはできなかった。もし医師の言うことが事実なら、確かに軽々しく決められる問題ではない。萌花は、将来一生子どもを持たないつもりでいるわけではない。男はいなくてもいいが子どもは好きだ。小春は萌花に付き添って診察室を出た。彼女の表情も重かった。「萌花、やっぱりこの子、産んだほうがいいと思う。父親がいなくたって大丈夫よ。私たち二人で育てればいい。絶対に、愛情が足りないなんて思わせないから。私、子どもを持つつもりないの、知ってるでしょ?萌花が仕事に集中したいなら、私が一緒に育てるから」萌花が迷ったのはほんの数秒だった。それから、ひどく静かな声で結論を出した。「この子、産むことにする」小春は目を見開き、すぐに嬉しそうな顔になった。「え、そんなに早く決めたの?何日か悩むと思ってた」以前の萌花なら、きっともっと慎重に考えたはずだけど、今は状況が違う。時雄は自分から親権を放棄すると言った。しかも、それを明記すると言っている。なぜ急に考えを変えたのかはわからないが、その言葉だけで、萌花の中にある不安はずいぶん軽くなった。そう決めると、不思議なほど胸が軽くなった。この数日、心の奥ではずっと揺れていたのだと思う。芽衣と健太の無邪気な笑顔を見てから、その迷いはますます大きくなっていた。時雄が本当にこの子を奪おうとしないのなら、産むという選択もあるのかもしれない。たとえ後になって時雄が考えを変えたとしても、親権を放棄することを離婚協議書に書いてあるから問題ない。そのときは、そのときで戦えばいい。小春もすっかり機嫌を直した。「私、第二のママになるんだね」そう言って、萌花を引っぱり、お祝いに何かおいしいものを食べに行こうとした。ところが階段を下りる前に、産婦人科の廊下で怜の姿を見つけた。怜の隣には若い男が一人ついている。怜も萌花に気づいて、顔色を変え、怒ったようにこちらへ歩いてくる。「萌花、なんでここにいるの?ここ、産婦人科でしょ」萌花は落ち着いた顔で答えた。「それは、こちらの台詞だけど」小春がすかさず口を挟んだ。「私が妊娠したの。萌花に付き添ってもらって診察に
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第268話

萌花は、もう怜のことに関わるつもりはない。彼女がどれほど落ちぶれようと、今の萌花には関係ない。萌花は小春のほうを向いた。「行こう。関係のない人に時間を使う必要なんてない」小春は怜を軽蔑するように一瞥して、萌花と一緒に歩き出した。しかし怜はどうしてもそのまま見過ごせなかった。胸の中にたまっていた悔しさと憎しみが際限なく膨れ上がっていく。萌花さえいなければ自分がこんな目に遭うことなどないと彼女は思った。そのうえ萌花は、自分が性犯罪者と一緒にいるとまで嘲った。今の自分がどんな状況に置かれているのか、何も知らないくせに。来希は破産し、一生かかっても返しきれないほどの借金を背負った。再起を図るどころか、今ではフードデリバリーの配達員をしている。朝早くから夜遅くまで働いても、一日に稼げるのはわずかな額だけだ。名ばかりの義姉であるはなは、自分たちを家から追い出した。怜は尚子と来希と三人で、古びたアパートの小さな一室に押し込められるように暮らしている。尚子は体調が悪く、働くこともできない。週に二度は病院で透析を受けなければならず、家では毎日のように泣いている。泣きすぎて、目まで悪くなりかけた。怜にはもう大学へ進む道もなかった。結局、まともな進学先も見つからず、評判のよくない短大に入ることになった。けれど、その学費さえ今は払えない。そして何より最悪なのは、自分が妊娠していることだ。妊娠を知っても、怜には取れる手段がない。中絶したくても、その費用すら用意できない。そんなとき、颯真の母親が訪ねてきた。そもそも、あの事件のあと、怜たちは颯真を性的暴行で訴えた。颯真は警察に身柄を押さえられ、処分を待つ立場になっていた。颯真の母が怜を訪ねてきたのは、その件を示談で収めるためだった。警察には、当時二人は交際していて、あくまで合意の上だと説明してほしいという。もちろん怜は最初、応じるつもりなどなかった。颯真など死ねばいいとさえ思っていた。彼のような金髪のろくでなしが、自分に釣り合うはずがない。しかし颯真の母は、怜が話を合わせてくれるなら、それなりの謝礼を払ううえ、将来芸能の仕事に関われるよう口を利くと言った。颯真の叔父は映画監督で、業界でもそれなりに名前が知られているらしい。怜は結局うなずいた。お金が欲
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第269話

萌花は冷たい目で怜を見ている。「何の用?」怜は歯を食いしばるようにして言った。「今日こそ、あなたが私にしたことを全部返してもらうから。そうじゃなきゃ帰さない」萌花は思わず笑いそうになった。「私があなたに何をしたっていうの?」「うちがこんなことになったのは、あなたが兄さんと離婚騒ぎを起こしたせいでしょ」怜の声には、抑えきれない怒りがにじんでいた。「普通、夫の妹が大学入試を控えてる時期に離婚なんかする?誰だって、受験生に影響しないように我慢するでしょ。身内が亡くなったって、まずは受験が終わるまで黙ってるものよ」萌花は呆れたように笑った。「あなた、本当に自分のことしか考えられないのね」「違う?受験生が一番大事に決まってるでしょ。どんな大ごとだって、受験生に合わせるのが当然じゃない」「誰がそんなことを決めたの?」怜は胸を張るように言い返した。「世の中がそうなの。みんなそうしてる」萌花は短く笑った。「だったら法律でも作れば?」怜は言葉に詰まり、顔を真っ赤にした。「とにかく、うちが破産したのも、私が受験に失敗したのも、全部あなたのせいよ。この疫病神」隣で腕を組んでいる小春が冷たく口を挟んだ。「それ、逆じゃない?うちの萌花は福の神よ。今まであなたたちの家が順調だったのは、萌花がいたからでしょ。恩も知らずに追い出したから、運まで逃げたんじゃないの」怜はそれでも引き下がらなかった。「たとえうちが破産したって、家も車も、それなりの資産はあるはずよ。離婚したとき、兄さんには少なくとも六億円くらい受け取れて当然なのに、何ももらってない。今すぐその六億円を返して」小春は鼻で笑った。「お金に困りすぎて頭がおかしくなった?よくもまあ、そんなこと言えるね。ちょうどいいわ、私は弁護士だから、訴えるならどうぞ。私が受けて立つから」萌花は、もう怜を相手にする気にもなれなく、小春の腕を軽く引いた。「行こう」萌花が歩き出すと、怜は慌てて追いかけて、萌花の腕をつかもうとしたが、実際にはまだ触れてもいなかった。その瞬間、怜はわざと大きく後ろへ倒れ込んで、体がそのまま階段を転がり落ち、下まで行くと腹を押さえながら、萌花を指さして叫んだ。「あなた、押したんでしょ!私を突き落としたのね!私の腹に赤ちゃん
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第270話

押すどころか、萌花は怜に触れてすらいなかった。警察は、防犯カメラの映像を確認したうえで、怜が自分で足を踏み外して転落したものと判断した。颯真もそれ以上はどうすることもできなかった。怜はそのまま手術室へ運ばれた。颯真は途中で誰かからの電話を受けると、そのまま病院を出ていった。萌花はすぐそばに立っていたため、相手が彼をゲームセンターに誘っている声まではっきり聞こえた。来希はほどなくして病院に着いて、まだ配達員の上着を着たままだった。再び萌花と顔を合わせた瞬間、来希の目にかすかな気まずさが走る。萌花がもう帰ったものだと思っていたのだろう。彼は服についた汚れを手で何度か払ってから、ようやく萌花の前まで歩いてきた。「まだいたのか」萌花はここで起きたことをひと通り説明し、防犯カメラの映像も来希に見せた。来希の顔は次第に険しくなっていく。監視カメラはちょうど怜の正面を捉えているため、彼女の表情までかなりはっきり映っていた。来希は怜の性格をよく知っている。転げ落ちる直前、怜の口元に浮かんだ悪意のある笑みを見た瞬間、彼女がわざとやったのだとわかった。映像を見終えると、来希は低い声で言った。「これはおまえのせいじゃない。あいつがどうかしてるだけだ」実際、来希自身も怒りを抑えきれずにいた。怜があのときの男と今も関わっていることも、まして妊娠していることも、彼はまったく知らなかった。このところ、来希はずっと再起の道を探しているが、彼を受け入れてくれる会社はどこにもない。はなとはまだ離婚届を出していないものの、すでに別居しており、実質的には離婚したのも同然だ。連絡ももう長いあいだ取っていない。来希は古い集合住宅の二DKを借り、尚子と怜と三人で暮らしている。ただ、怜はほとんど家に寄りつかない。普段は友達の家に泊まっていると言っていた。来希は膨れ上がった借金と尚子の絶えない愚痴に押しつぶされそうになり、結局、プライドを捨て、フードデリバリーや日雇いの仕事で日銭を稼ぐしかない。怜のことまで見る余裕など正直なところない。まさか、その間にこんなことになっているとは思いもしなかった。そのとき、手術室のドアが開いて、看護師が同意書を手にして出てきた。「幸田さんのご家族の方はいらっしゃいますか?」
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