جميع فصول : الفصل -الفصل 510

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第501話

その声は決して大きくなかったが、冷ややかな朝の空気を切り裂くには十分だった。そこに懇願の響きはない。躊躇いもない。あるのは確固たる決意だけだ。息を切らして追いついたイラルドが、背後から声をかける。「奥様、それはあまりにも危険すぎます――」「私も行くわ」セレーネは真っ直ぐに前を見据え、より強い口調で繰り返す。「今度ばかりは、後ろでただ待っているなんてご免よ」ラミアは彼女を長く見つめた。まるで、言葉や恐怖よりもさらに奥深い何か――もはや無視することなどできない悪夢から生まれた、愛と決意を読み取ろうとするかのように。ジェイは長く息を吸い込んだ。簡単に口にするにはあまりにも重すぎる何かを、慎重に量っているかのように。やがて紡ぎ出されたその声は、低く断固としており、苦渋の決断に満ちていた。「奥様……もしあなたが同行されるとなれば、一体誰がここに残る子供たちを守るのですか?」その問いが、冷たい朝の空気に重く留まる。それは誰もが想像していたよりも遥かに深く、彼らの胸を突き刺した。セレーネは押し黙った。周囲の人々――ジェイ、ラミア、ビョルン、そして将軍たちを見回すと、皆一様に気まずそうな表情を浮かべていた。まるでその言葉によって、最初から目を背け続けてきた冷酷な現実を突きつけられたかのように。誰一人として、セレーネの目と長く視線を合わせようとする者はいなかった。ジェイはさらに言葉を継ぐ。ほんの一言でも間違えればセレーネが完全に崩れ落ちてしまうと恐れるように、その口調はひどく慎重だった。「ラミアは我々に同行します。アイレとルナも彼女を補佐することになる。ですから……子供たちを使用人だけに任せきりにして、本当に安全だと思われますか?」セレーネは彼を見つめ返す。呼吸が途中でつっかえてしまったかのように、胸が激しく締め付けられる。「あの子たちは、実家へ連れて帰るわ」やがて彼女は告げる。声は微かだったが、確かな決意が込められていた。「サイラーが守ってくれる」ジェイはゆっくりと首を横に振った。「奥様……若君とお嬢様の存在を知る者は多くありません。公爵閣下の高貴なる黒髪と赤い瞳を受け継いでおられるとはいえ、未だ正式なお披露目すら済んでいないのです。それが何を意味するか、お分かりでしょう」セレーネに分からないはずがなか
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第502話

セレーネは、すでに身支度を終えていた。体をすっぽりと覆い隠すダークカラーの大きなマントが、遠目にはそのシルエットを完全に曖昧なものにしている。ジェイが先に馬に跨がり、続いてセレーネを引き上げて自分の前に座らせると、その厚い布地が朝の風に煽られて微かに翻った。セレーネは鞍をきつく握り締めている。落ちるのが怖いからではない。一度でも深く息を吸い込めば、そのまま全てが崩れ去ってしまいそうなほど、ひどく不安定な感情を必死に堪えているからだ。一行が出発する直前、セレーネは最後にもう一度だけ振り返った。これからしばらくの間、彼女の人生から遠ざかることになる城の門前。そこに、ダグニーとディヴリオがサイラーと並んで立っている。ダグニーは無理やり作ったような痛々しい笑顔を浮かべ、自分が強いのだと見せつけるように元気いっぱいに手を振っていた。ディヴリオはほとんど動かず、ただ叔父の手をきつく握り締めている。その目は瞬き一つせず、セレーネを見つめていた――これが長すぎる別れになることを恐れ、母親の顔を必死に目に焼き付けようとする、小さな子供の眼差しだった。セレーネは手を挙げ、その振る手に応えた。彼女の笑みは薄く脆い。ママは戻ってくるから。心の中で、彼女は語りかける。何があっても、絶対に帰ってくるから。馬が歩み始める。ゆっくりと、そして次第に遠くへ……あの城――彼女の家であり、彼女が愛し、そして深く傷ついた場所が、ゆっくりと背後のシルエットへと変わっていく。……一行は森の小道を抜け、冷たい石壁や高い塔を置き去りにして、より荒涼とした危険な道へと進んでいく。馬の蹄の音が、セレーネ自身の急激な心音と混ざり合って響いていた。静寂が、重く圧しかかる。やがてセレーネが口を開いた。その声は、蹄の音にかき消されそうなほど微かだった。「ジェイ……ディリアンは、本当にたった一人なの?」ジェイは長く息を吸い込み、ようやく答えた。すぐには振り返らず、真っ直ぐに前を見据えたままで。まるで、互いの目を見て語るにはあまりにも重すぎる事実であるかのように。「遠くから、数名が密かに閣下の後を追っております」やがて彼は告げた。「姿を見せることはなく、必要がなければ近づくこともありません。彼らが公爵閣下をお守りします」セレーネは小さく頷いたが、それ
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第503話

コン、コン、コン。外から扉を叩く音が、ディリアンの意識を覚醒させた。冷や水を顔に浴びせられたような不快感を伴いながらも、抗うことのできない現実がゆっくりと彼を引き戻していく。彼は見知らぬ宿屋の細かいひび割れの走る古い木の板の天井を眺め、そして視線を窓へと移した。蒼白く、しかし確固たる意志を持った朝の光がすでに滑り込んでおり、新しい一日が完全に始まってしまったことを告げている。彼は短く息を吐き出し、狭いベッドから体を起こした。体がひどく重い。それは単なる肉体的な疲労からだけではなく、昨夜からずっと胸を押し潰し続けている何かのせいだった――彼自身でさえ、名前をつけることのできない何かのせいだ。ディリアンは扉へ歩み寄り、それを開け放つ。目の前にはモルウェンナが立っていた。その顔には完璧に計算された笑みが張り付いており、まるで今朝がごくありふれた朝であり、彼らの間に何事も起きていないかのように振る舞っている。「起きたばかりなのね」モルウェンナが言う。軽やかで、ほとんど甘い声だった。ディリアンは短く頷く。「入ってもいいかしら?」そう尋ねるモルウェンナの目は、すでに部屋の中を値踏みするように見回していた。ディリアンは一度背後を振り返った――まだ整えられていない小さなベッド、空の木の椅子、そして二人で過ごすにはあまりにも静かすぎるこの部屋を、そして再びモルウェンナへと顔を向け、頷いた。モルウェンナが足を踏み入れる。その宿屋は城の豪奢さとは程遠い、ひどく簡素な場所だった。そして昨日からずっと、ディリアンは口を閉ざしたままだ。その沈黙と無関心な態度は、彼女がどれほど必死に隠そうとしても、確実にその忍耐を内側から蝕み続けている。モルウェンナは椅子に腰掛け、優雅に脚を組んだ。「朝食は取らないの?」と彼女は問う。「下の階で食べればいい」ディリアンは平坦に答える。モルウェンナは頷き、少しの沈黙の後、ついに口を開いた。「ディリアン……あなた、本当は私と結婚したくないから、約束を破るための口実を探しているんじゃないの?」その問いは鋭く、単刀直入に空気を切り裂いた。「なぜ唐突にそんなことを聞く?」ディリアンの声は依然として落ち着き払っている。「あなたが、少しも嬉しそうに見えないからよ」モルウェンナは
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第504話

やがてディリアンが口を開いた。低く、しかしはっきりとした声だった。「お前は、セレーネの存在を脅威に感じているのか?」モルウェンナは少しだけ押し黙り、ゆっくりと首を横に振る。「そういうわけじゃないわ。ただ……目障りなのよ」彼女を真っ直ぐに射抜くディリアンの眼差しが硬直する。まるで、今モルウェンナが口にした言葉の一つ一つが、自分の解釈と同じ意味を持っているのかを確かめようとするかのように。鼻で短く嗤い、「あの女のことを考えるだけで、苛立たしいの」とモルウェンナが吐き捨てる。なんの警告もなしに、ディリアンはモルウェンナに握られていた手を引き抜いた。決して乱暴ではなかったが、そこには明確な境界線を引くような断固たる拒絶があった。「もういい。今は、そのことは考えるな。朝食を済ませて出発するぞ」少しの間彼を見つめていたモルウェンナだったが、やがてその口元に再び、あまりにも眩しすぎるほどの満面の笑みを浮かべた。「ええ」彼女は軽やかに応じる。先ほどの会話など、何の後腐れも残さなかったとでも言うように。二人は身支度を整え、宿屋の階下へと降りていく。焼きたてのパンと朝のスープの香りが漂い、他の客のざわめきと食器の触れ合う音が入り混じっていた。モルウェンナの向かいに腰を下ろしたディリアンは平静な顔を保っていたが、その心は明らかにここにはあらずだった。モルウェンナの微笑みとリラックスした様子の裏側には、周到に隠しきれない焦燥感が絶えず脈打っている。一方のディリアンは、彼女の目の前に座りながらも、その心は全く別の方向へと歩みを進めていた。まるでこの旅の歩みを進めるごとに、彼自身が捨て去ったふりをしている何かに、ますます近づいていくかのように。一方その頃、全く別の場所で、セレーネは森の中に張られたテントの中で目を覚ましたばかりだった。天幕の隙間から差し込む朝の光が、柔らかい線を描いて彼女の顔に落ちる。空気は未だ冷たく、湿った木と昨夜の焚き火の残り香が混ざり合って漂っていた。ゆっくりと身を起こし、少しの間座ったまま呼吸を整える。頭が重いのは単なる寝不足のせいだけではなく、悪夢の残滓がまだ完全に消え去っていなかったからだ。テントの入り口を開けると、すでにほとんどの者が起き出していた。出発の準備をする者もいれば、車座になって簡素
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第505話

セレーネは凍りついた。今まで曖昧だった真実の欠片が、唐突に一つの形を結び始めたかのように胸が激しく締め付けられる。もしそれが事実だとするなら、あの結婚式は単なる誓約などではなく、儀式であり、呪縛であり、彼女の想像を遥かに超える深く危険な何かの始まりだということになる。重い静寂を最初に破ったのはシグだった。その声は、自分でもこの問いを口にすべきか迷っているように微かにためらっていた。「なぜ、彼女は自分の出生地を選んだのだ?」と彼は問う。「ただ結婚式を挙げるためだけにしては、あまりにも……限定的すぎる」エリックが肩をすくめる。「郷愁に浸りながら結婚したかったんじゃないか?」彼は場を和ませようと、半分冗談めかして言う。「初めて世界を見た場所。全てが始まった場所でさ」ピーターも小さく頷く。「あるいは、あそこにはまだ彼女の親族が残っているのかもしれない。故郷というものは、大抵血の繋がりを秘めているものだからな」ルナが唐突に、激しく首を横に振った。「そうじゃないわ」と彼女は断固たる声で言う。「あんたたち、完全に勘違いしている」アイレが彼らを鋭く睨みつけ、冷ややかに言い放つ。「本当に何も考えてないのね。私たちが今、どんな状況に直面しているのか、全く理解していないわ」エドワードが眉をひそめた。「だったら。お前たちは知っているというのか?」ルナは息を吸い込み、周囲の顔を一人ずつ見回した。暖炉の炎が、彼女の真剣な瞳の奥で揺らめいている。「可能性は二つあるわ」その瞬間、全員の視線が彼女に釘付けになった。ずっと押し黙っていたセレーネでさえ、背筋を真っ直ぐに伸ばした。「一つ目は。彼女が、あそこで自身の『誕生』を繰り返そうとしていること」彼女は言葉を切り、その意味が周囲に浸透するのを待った。「そして二つ目は……自身の『誕生』を葬り去ろうとしていることよ」再び静寂が降り下りた。今度は先ほどよりも遥かに重苦しい。セレーネは自分の心臓が不規則に打ち鳴らされるのを感じていた。ラミアがゆっくりと頷く。「ルナの言う通りね」やがてラミアは、低く、しかし絶対の確信に満ちた声で告げた。セレーネは蒼白な顔で彼女を見つめる。「それは、一体どういう意味なの?」彼女は問う。その声の震えを隠し通すことはできなか
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第506話

静まり返った宿屋の一室で、ディリアンはテーブルの前に立ち尽くしている。その視線は、そこに広げられた数々の品々に固定されていた。古代の呪文が刺繍された暗色の布、正体不明の液体が詰まった小瓶、そして異質なオーラを放つ幾つかの護符。どれも、彼が知る一般的な結婚式の道具ではないことは明らかだ。ディリアンは眉をひそめた。「それは何のためのものだ?」やがて彼は、低く冷ややかな声で問う。マントを脱いでいたモルウェンナが振り返り、ほとんど満足げとも言える薄い笑みを浮かべる。「もちろん、結婚式のためよ」ディリアンは再びその品々へと視線を戻した。胸の奥に、這い回るような不快感が広がっていく。恐怖からではない。彼の中の何かが、これら全てを完全に受け入れることを頑なに拒絶しているからだ。「異様だな」モルウェンナはくすくすと笑い声を漏らし、彼へと歩み寄ってくる。「ちっとも異様じゃないわ。私が魔女の血を引いていることは知っているでしょう?これらは全て必要なものなの。私たちの結婚式は、ただの人間の結婚式と一緒にはできないわ」ディリアンは長く息を吐き出した。理解できないし、正直に言えば理解したくもなかった。だが、それを止める気もない。言い争うことに疲れ果ててしまった人間のように、彼はただ小さく頷く。モルウェンナは少しの間彼を観察し、他愛のない世間話でもするかのように問いかけた。「普通、結婚する時は神父がいるものじゃない?」ディリアンはゆっくりと顔を向けた。「他の人間は入れたくないと言っていたのは、お前じゃないのか?」モルウェンナは微笑んだ。今度の笑みは先ほどよりも柔らかかったが、それがかえってディリアンに、罠に嵌められたような感覚を抱かせる。「あなたを信じているからよ。あなたならきっと、私たち二人の絆を確かなものにしてくれるでしょうから」ディリアンはもう一度頷いた。確信など微塵もない、ただ空虚な受容だけが伴う頷きだった。「嬉しいわ」モルウェンナは言葉を続ける。甘い毒のように低く滑らかな声だった。「あなたが私に従ってくれて。私の望み通りに全て動いてくれて」「一線を越えない限りはな」ディリアンは平坦に答える。くすくすと笑い声を漏らし、モルウェンナはさらに距離を詰めた。二人の間に隙間はほとんどない。彼女の眼差
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第507話

アイレとルナは押し黙った。その感情に報いるのに十分な言葉など、何一つ見つからなかったのだ。彼女たちはただそこに留まり、静かだが確かな意味を持つ存在として、無言のままセレーネに寄り添い続けた。セレーネは深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。目頭が熱くなっていたが、それでも涙は落ちなかった。彼女が強いからではない。泣く気力すらも残されていないほど、ひどく疲弊しきっていたからだ。残されたのは底知れぬ虚無感と、絶えず胸にぶら下がり続ける焦燥感だけだった。一体何時になったのか、セレーネはついに眠りに落ちた。しかしその眠りが本当に深くなることはない――それは極度に疲弊した肉体に与えられたほんの短い休息のようなものであり、彼女の意識はずっと覚醒したまま、決して手放すことのできない一つの名前を巡って彷徨い続けていた。目を閉じるたびに、ディリアンの残像が浮かび上がる。遠ざかっていく背中、断固としていながらもどこか躊躇いを帯びた足取り、そして、一度も彼女の方へ振り向くことのなかった、あの最後の眼差しが。宿屋の部屋は静まり返っていたが、空気はひどく重かった。部屋の反対側ではラミアがとうに眠りに落ちており、外の世界が破滅の危機に瀕していることなど全く意に介さないかのように、規則正しい寝息を立てている。アイレとルナは同じベッドに身を横たえ、背中合わせになりながら、やがて不安よりも睡魔に屈していった。皆が静かになってから随分と時間が経っても、セレーネだけがまだ起きていた。虚ろな目で天井を見つめ、自分の人生が一体いつからこんなにも苦痛に満ちたものになってしまったのかと、心の中で自問していた。疲労が完全に彼女を打ち負かして初めて、セレーネは本当の眠りについた。だが、訪れた夢すらも彼女に平穏を与えることはなかった――ディリアンの顔の欠片、馬の蹄の音、赤い光を反射する湖、それら全てが入り混じり、息の詰まるような暗い霧となって彼女を包み込んだ。コン、コン、コン。激しいノックの音で、セレーネはビクッと跳ね起きた。心臓が早鐘を打ち、呼吸が一瞬止まる。あの悪夢の中に引き戻されたかのようだった。「奥様」扉の向こうから、ジェイの静かだが毅然とした声が響いた。「朝になりました。出発の準備を」セレーネはゆっくりと体を起こし、以前よりもずっと重く感じられる毛布
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第508話

ジェイはゆっくりと頷き、決断を下す。「安全に休める場所を探そう。長くは必要ない。体力を回復させるだけで十分だ。その後、夜が完全に明ける前に旅を再開する」その決断に異議を唱える者は誰もいなかった。一行は再び動き出す。今度の目的は、安全な休息の地を見つけることだ。セレーネは前を見据えていた。胸のうちは未だ焦燥感で満たされているが、今ならほんの少しだけ落ち着きを保つことができる。この重荷を背負っているのは、決して自分一人ではないのだと分かっていたからだ。結局のところ、自分たちの肉体の限界も考慮しなければならないため、彼らは足を止めた。この後には、おそらく全てを変えてしまうであろう何かへと向かう旅の続きが待っているのだから。城では、容赦のない雨が降り注いでいた。夕暮れ時から暗く沈んでいた空は今や完全に崩れ落ち、古い石壁の裏に隠された全ての焦燥を水底に沈めてしまおうとするかのように、激しく雨水を打ちつけている。風が高い窓を揺らし、ゆっくりと揺らめくカーテンが、部屋中に灰色の影を落としていた。ダグニーとディヴリオは、肩が触れ合うほど近くに並んで大きな窓の前に座っていた。二人とも押し黙ったまま、幾重にも重なって降り注ぐ雨を見つめている。分厚い雨のカーテンが、彼らと外の世界を完全に隔絶していた。ダグニーの顔には、言葉にしきれないほどの不安が張り付いている。一方のディヴリオは平静を装おうと努めていたが、その瞳は時折、隠しきれない焦燥に揺れ動いた。「ねえ……ママたち、旅の途中で雨に濡れてないかな?」やがてダグニーが口を開く。その声は軽かったが、微かな震えを隠し通すことはできていない。ディヴリオは少しだけ沈黙し、窓ガラスを叩きつける激しい雨を見つめた。「濡れてないといいけど」微かな声で、彼は答える。ダグニーが勢いよく顔を向け、眉をひそめた。「濡れてないといいけど、って?」声を荒らげて繰り返す。「絶対濡れてないって、保証できるの?」ディヴリオはゆっくりと首を横に振る。「ううん。僕には、何も保証できないよ」と正直に告げた。そして、少し躊躇ってから言葉を付け加える。「でも、ママなら絶対に大丈夫だよ。ジェイおじちゃんが一緒に行ってるんだ。おじちゃんなら、危ないことなんて絶対にさせないよ」ダグニーは小さく鼻を鳴
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第509話

モルウェンナは押し黙り、自身の前からゆっくりと遠ざかっていくディリアンの背中を見つめていた。その男の足取りは力強く、微塵の躊躇いもない。まるで二人の間に生じた距離など、気にも留める価値がないとでも言うように。ほんの一瞬、彼女は身動き一つせず、ただ虚ろな眼差しでそこに立ち尽くす。やがて、その視線を周囲へと巡らせる。巨大な廃墟が再び彼女を迎え入れていた――崩れ落ちた壁、ひび割れた石、そして今や記憶の中にしか存在しない往時の栄華の残骸。胸の奥が、微かに締め付けられるのを感じる。ここは、かつて彼女の家族が暮らしていた城の跡地だった。魔女狩りが全てを容赦なく破壊し尽くす前は、笑い声と豪奢な生活がこの場所の隅々にまで満ち溢れていたのだ。崩れ去ったのは建造物だけではない。彼女の過去、家族、そして彼女が知っていた世界そのものが、ここで瓦礫と化したのである。モルウェンナは長く息を吐き出し、唐突に込み上げてきた感情を必死に押し殺した。ここには宿屋もなければ、温かい食事もなく、何の快適さもない。彼女が持っているのは、旅の初めから用意していた簡素な食料だけだ――どうにか飢えを凌ぐだけの、ただそれだけのもの。彼女はゆっくりと慎重な動作で、冷たい地面の上に敷き布を広げた。夜が深まるにつれ、森の空気は湿り気を帯び、肌を刺すように冷たくなっていく。廃墟の静寂の中で、モルウェンナはこの場所がどれほど孤独であるかを、そして、自分自身がどれほど孤独であるかを、再び噛み締めていた。ほどなくして、ディリアンが戻ってきた。その腕には何本かの薪が抱えられている。彼は多くを語ることなく手際よく薪を組み上げ、すぐさま火を起こした。小さな炎は徐々に燃え広がり、崩れ落ちた石壁にオレンジ色の光を反射させ、まるで過去の幻影に命を吹き込んでいるかのようだ。「これなら、火が消えることはない」炎が安定したのを見届けると、ディリアンは短く告げた。「眠れ」顔を上げたモルウェンナは、自身の向かいに腰を下ろしたディリアンを見つめた。炎の光がその男の顔を照らし出し、彫りの深い輪郭をさらに際立たせていたが、それでも彼はひどく遠い存在に感じられる。「ディリアン」彼女は静かに問う。「あなた、寒くないの?」ディリアンは彼女を一瞥し、すぐに視線を炎へと戻す。「火に当たっていれば、お
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第510話

セレーネは何も言わなかった。胸の奥で荒れ狂う全ての焦燥を呑み込み、ただ小さく頷いてその決断に従う。彼らは結局、その場所で夜を明かすことになった。誰もが早く作業を終えて少しでも静かに座っていたいと願っているかのように、テントが素早く整然と設営されていく。野営地の中央には焚き火が焚かれ、その柔らかく揺らめく炎は、土や木々の間から這い出してくる夜の冷気を追い払うのに十分だった。奇妙な静寂の中で、彼らは食事を取った。焚き火が肉体を温めてはくれるものの、誰一人として本当の温もりを感じてはいなかった。それぞれの思考は、ただ一つのこと――ディリアンと、今まさに彼の身に何が起きているのかということにばかり向かっている。少しだけ離れた場所に座るセレーネは、全ての感情を吸い取られてしまったかのような無表情で、虚ろな眼差しのまま炎を見つめ続けている。木々の向こうから足音が聞こえてきたことで、その静寂は唐突に破られた。一行が即座に体を強張らせ、反射的に武器へと手を伸ばす。ジェイが中腰で身構え、ラミアは鋭く感覚を研ぎ澄ませた。暗闇の中から一人の男が歩み寄り、やがて炎の光がその顔を照らし出す。「マテオ」誰かが、驚きを含んだ声でその名を口にした。マテオは焚き火からそう遠くない場所で立ち止まった。表情は険しく、その眼差しは鋭く警戒に満ちている。「閣下から合図があった」前置きなしに、彼は告げた。「これ以上近づくなとのご命令だ」全員が押し黙る。「モルウェンナが、何かを仕掛けている」マテオは言葉を継ぐ。低い声だったが、全員の心臓の鼓動を早めるには十分だった。驚きの色が、彼らの顔にありありと浮かんだ。顔を上げたセレーネの目が、少しだけ見開かれる。「何かを……?」ほとんど聞き取れないほどの声で、彼女は呟く。マテオは頷く。「そしてどうやら、モルウェンナは自分たちが尾行されていることに、初めから気づいていたようだ。だからこそ、閣下は距離を保てと命じられた。お前たちも、絶対に近づきすぎてはならない」彼は言葉を区切り、さらに重い口調で付け加えた。「その命令に従ってくれ」反論する者はいない。セレーネも含め、一人また一人と頷いていく。再びうつむいたセレーネは、膝の上で指をきつく握り締めた。ディリアンがまだ自分たちの安全を
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