「全部、見ていたわ」絵里はぎゅっと拳を握り、そしてゆっくりと開いた。「今夜、郁江っていう女性があなたに会いに来たんでしょ?」裕也の表情が微かにこわばる。見られていたのか。帰り道であんな様子だったのも頷ける。弁明しようと口を開きかけたその時。絵里はすでに視線を外し、淡々と静かな表情で告げた。「私たち、元々腹いせで結婚したようなものじゃない。世間に公表される前に、いっそ離婚しましょう」そう言い捨てて、絵里は拳をきつく握りしめる。とっくに覚悟は決めていたはずなのに、それでも胸が鋭く痛み、息が詰まるほど苦しかった。裕也の底知れぬ瞳が彼女をじっと捉えたまま、重い沈黙が続いた。彼の返事を待つ僅かな時間が、まるで死刑宣告を待っているかのように重苦しい。その重圧に耐えかねて、絵里は彼の答えを聞かずに逃げ出そうとした。踵を返そうとした瞬間、不意に手首を掴まれる。肌越しに温もりが伝わってくると同時に、裕也の低く掠れた声が落ちてきた。「離婚するのはいい。だが、理由を聞かせろ」絵里は弾かれたように顔を上げ、眉をひそめて彼を睨みつけた。「郁江のことじゃ理由にならないの?」絵里の胸が微かに高鳴る。「彼女、あなたの本当に好きな人なんでしょ?わざわざ帰国してまであなたに会いに来たんだから、私が身を引いた方が都合がいいんじゃない?」まくし立てる彼女を前にして、裕也は目元に笑みを浮かべ、まるで子供を甘やかすかのような優しい眼差しを向けていた。絵里は苛立ちを募らせる。「何を笑ってるの?私がそんなに滑稽?」「ほら、そうやって心に溜め込んでいるものを吐き出すと、少しはすっきりするだろう?」裕也は満足げに口元を緩めた。「二ヶ月前と比べて随分成長したな。あの頃のお前は、何でも一人で抱え込んで自分の中で処理しようとしていた。いい傾向だ。進歩してる。どうやら俺の妻になったことは、お前にとってもプラスに働いているようだな」言われなければ気づかなかったが、指摘されてみれば、絵里自身にも思い当たる節があった。和也のそばにいた頃は、自分の本音を押し殺すことに慣れきってしまい、結果として彼女は日増しに無口になっていったのだ。だが、今はそんな感傷に浸っている場合ではない。「じゃあ、あなたに感謝でもしろって言うの?
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