All Chapters of 二度の流産を越え、極悪セレブ界を完全制圧: Chapter 201 - Chapter 210

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第201話

だが翔太は構わず、容赦なく傷口をえぐるように畳み掛けた。「俺にキレても無駄だぜ。あの大騒動の時、お前が星歌さんに見せた態度は流産を信じていないなんて生易しいものじゃなかった。客観的に見て……『お前の流産なんて、夏蓮さんのトラブルに比べたらこれっぽっちも重要じゃない』って、全身で表現してたからな?」自分の子の命より、夏蓮の方が重要――翔太の放った言葉は、残酷なまでに的を射ていた。認めたくはなくても、あの時の飛鳥が星歌に見せた態度は、間違いなくそういうことだったのだ。飛鳥は翔太の言葉に深く図星を突かれ、ガンガンと割れるように頭が痛んだ。「……俺は、あいつが本当に流産していたなんて、これっぽっちも知らなかったんだ」翔太は呆れたように鼻で笑った。「誤魔化すなよ。これまで夏蓮さんのトラブルとなれば、お前はなんだって特別扱いしてきたじゃないか」「俺がいつ、あの女を特別扱いしたって言うんだ!?」飛鳥は苛立ちのあまり、デスクをドンッと強く叩きつけた。――特別扱いだと?ふざけるな。飛鳥は頭がおかしくなりそうだった。どうして周囲の人間は皆、俺が夏蓮さんを特別に想っているなどと勘違いするのか。翔太は冷ややかな目で飛鳥を見た。「違うのか?」「全部……死んだ兄さんのためだ!俺があそこまで夏蓮さんの世話を焼いたのは、兄さんが遺したものを守りたかったからに決まってるだろ!!」翼のことになると、飛鳥は今でも息が詰まる。この半年間、自分がどうやって正気を保ってきたのか、思い出すことすら恐ろしかった。翼の死は、巨大な岩のように飛鳥の心臓にのしかかっていた。周りの人間は皆、口を揃えて飛鳥に言い含めたのだ。「絶対に翼の血を絶やしてはならない」「何がなんでも夏蓮のお腹の子供を守れ」と。「子供」という二文字が、やがて絶対的な責任という呪いとなって、彼の心を雁字搦めにしていたのだ。土砂降りの雨の中で行われた翼の葬儀。身重の体で泣き崩れ、何度も気を失う夏蓮。あの時、冴島家という世界は、完全に音を立てて崩れ去ってしまったのだ。翔太はふっと鼻で笑った。「あー、そうかい。つまりお前は、死んだ兄貴のために義理の姉を大事に大事に庇護して……その結果、自分の家庭をぶっ壊したってわけだ」「お前……っ!」「お前が何
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第202話

「そもそも、以前星歌さんの反抗を力技でねじ伏せていた時は、あんなに自信満々だったじゃないか。どうして今になって急に手詰まりになって、俺に泣きついてくるんだよ」飛鳥は苛立たしげにタバコを深く吸い込んだ。「お前が考えないで誰が考える。昔から小賢しい悪知恵だけは回るだろうが!」たしかに、翔太は昔から機転が利くタイプではある。しかし、翔太に言わせれば、今回ばかりはワケが違った。「今回のは次元が違うんだよ!お前がやらかした事はデカすぎる。今の星歌さんはな、本気でお前を『捨てよう』としてるんだぞ!」翔太は容赦なく事実を突きつける。「いいか? 女が一度『この男はもういらない』って見限ったらな、過去にどんだけ愛してようが関係ない。今のお前なんか、道端の汚い犬以下にしか見えてないんだよ!」「…………っ」『犬以下』という言葉をぶつけられ、飛鳥の顔色はさらにドス黒く沈み込んだ。翔太はため息をついた。「耳の痛いことを言うようだがな、今の状態じゃ絶対に機嫌なんて取れない。お前にできる唯一の対抗手段は『意地でも離婚届に判を押さない』ことくらいだ。まあ、星歌さんのあの気性だ。それをやれば余計に死ぬほど嫌悪されるだろうがな」翔太の言う通りだった。現在の星歌はあらゆる手段を使って離婚を成立させようとしている。飛鳥がそれを拒み続ければ拒むほど、彼女の憎悪はさらに膨れ上がるだけだ。飛鳥はわらにもすがるような、しかしどこか威圧的な低い声で絞り出した。「……本当に、他に手はないのか?」「ないね。強いて言うなら……」翔太は少し口ごもり、やがて残酷な事実を口にした。「今すぐ星歌さんに『失った子供』を返してやることくらいだ」子供。その二文字を聞いた瞬間、飛鳥の心臓がドクリと嫌な音を立てた。――子供か……思えばここ数年、星歌は飛鳥の子供を授かるために信じられないほどの努力を重ねていた。しかし、この半年……翼が死に、冴島家が狂気の渦に巻き込まれてからというもの、彼女の中から子供への執着がふっつりと消え失せていたような気がする。翔太は沈黙する飛鳥の顔色を窺いながら、冷酷にトドメを刺した。「まあ、俺から言わせてもらえば……仮にお前が今、何かの奇跡を起こして子供を返せたとしても、あの星歌さんがお前を許すとは到
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第203話

飛鳥はドアの前で何度か深く深呼吸をし、どうにか心を落ち着かせてから寝室に入った。室内は明るく照らされていた。星歌はいつの間にか目を覚ましており、ベッドに身を起こして誰かと電話で話をしている。飛鳥が入ってきたことに気づくと、彼女は早口に電話口へ告げた。「Y国の件はそっちで適当に処理してちょうだい。それじゃ、切るわ」ツーツーという無機質な音が響く中、飛鳥は彼女の蒼白な顔を見つめた。その胸の奥で、「Y国」という単語が嫌な音を立てて引っかかる。Y国……?どういう意味だ?なぜ星歌がY国と繋がりを持っている?そういえば、ここ数日、夏蓮の母親である陽子がY国で深刻なトラブルに見舞われていると聞いていたが……まさか、何か関係があるのだろうか。疑念が黒い渦のように渦巻いたが、飛鳥はそれを無理やり飲み込み、トレイを手に彼女の枕元へと近づいた。「……腹が減っただろう。厨房に君の好物を作らせた」「毒でも入ってるの?」星歌の口から飛び出したのは、氷のように冷たく、ひたすらに相手を嘲笑う言葉だった。「…………っ」すでに窒息しそうだった飛鳥の心臓が、その痛烈な一言でさらにきつく締め上げられる。――毒でも入っているのか。愛する妻から、命を狙われていると本気で警戒されている。そのあまりにも軽い口調が、どうしようもなく飛鳥の胸をえぐった。飛鳥の口角が引きつり、ひどく苦い笑みがこぼれ落ちる。「……すまない」謝罪?何に対する謝罪だ?流産したと泣き叫ぶ私を、信じなかったことに対してか?それとも、流産でボロボロになった私の命を、あんたの家族が幾度となく脅かし続けてきたことに対してか?まさかこの男の口から謝罪の言葉が出るとは思っていなかったのだろう。星歌は飛鳥を横目でねめつけ、その瞳にわずかな驚きと、それ以上の色濃い軽蔑を浮かべた。そのゴミでも見るような冷ややかな視線に、飛鳥は耐えきれず目を逸らした。「……まずは、飯を食え」飛鳥は椀を手に取ると、星歌の口元へとスプーンを向けた。「俺が食わせてやろう」「結構よ。さっさと出てって」星歌は容赦なく拒絶の言葉を叩きつけた。飛鳥の動きが止まる。星歌は心底吐き気がするとでも言うように、鼻先を歪めた。「あんたの匂い、臭くてたまらないの。同じ空
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第204話

――子供!確かに、かつての星歌は彼との間に子供ができることを心の底から待ち望んでいた。だが、自分は血の涙を流して我が子を失い、この男は夏蓮の子を何よりも優先したのだ。今さらこの男の口から「子供」という単語が出るだけで、内臓がせり上がるほどおぞましく、反吐が出る。星歌は、先ほど使用人が置いていったウェットティッシュを手に取ると、飛鳥の頬を張った自分の手のひらをゴシゴシと執拗に拭き始めた。まるで汚物にでも触れてしまったかのように。その一挙手一投足から、彼に対する痛烈な嫌悪と生理的な嫌悪感が痛いほどに伝わってくる。飛鳥は自分をバイ菌扱いするその動作をじっと見つめ、ギリッと目を細めた。「……そこまで、俺が疎ましいか」バシッ!星歌は丸めたウェットティッシュをサイドテーブルに乱暴に投げ捨てた。飛鳥に一瞥もくれることなく、絶対零度の声で告げる。「あなたが協議離婚の書類にサインしないなら、それで結構。すでに弁護士を動かして、裁判の準備を進めているわ」「…………!」「私は絶対に離婚する。だから、二度と子供なんて言葉を使って私を気持ち悪がらせないでちょうだい」吐き捨てるように放たれた「気持ち悪い」というその言葉は、鋭い氷の刃となって、飛鳥の心臓をグサリと容赦なく串刺しにした。「……ハッ。裁判、だと?」飛鳥の口から、どす黒く濁った笑い声が漏れた。いい度胸だ。俺と離婚するために、法的手段に出るまで準備を進めていたとは。そこまでして、俺から逃げたいと言うのか?かつて俺たちにあった愛情すらも、すべて踏みにじって?星歌はベッドに身を横たえ、冷え切った眼差しで飛鳥を見下した。「私はね、泥沼になんてせず、円満に別れてあげようと思ったのよ」――円満に別れる、だと?この数日間で、本港市の社交界をあそこまでひっくり返して見せておきながら、冴島家を崩壊の危機に叩き落としておきながら、どの口が「円満に」などとほざくのか!「ふざけるな……絶対にあり得ない!!」離婚?冗談ではない。星歌がどれほど狂ったように暴れ回ろうと、飛鳥は彼女を手放す気など微塵もなかった。彼の瞳に、偏執的でどす黒い狂気が宿る。「俺が生きている限り、お前が啓介と結ばれることなど天地がひっくり返っても許さない!!」飛鳥は猛然と立
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第205話

星歌はふっと笑いを漏らした。「……過去のことは水に流す?」「ああ。水に流す」星歌はもう一度、今度は声を立てて笑った。「まるっきり、私があなたに何か悪いことでもしたかのような言い方ね。あなたが、水に流してやるって?」水に流す?どの口がそんな言葉を吐くのか。まるで上位の者が恩赦でも与えるかのような、その傲慢な態度に、星歌は反吐が出そうだった。見下される飛鳥の呼吸が、ズンと重く沈み込む。星歌は氷のような声で宣告した。「私はね、これまでに二度もあんたの子供を身籠ったのよ!夏蓮は、あんたたち冴島家の人間でしょう?」「…………っ」飛鳥が言葉を詰まらせる。「あんたたち冴島家の人間が、私から二度も子供の命を奪ったのよ!それなのに……あんたが!冴島飛鳥が、それを水に流してやるですって!?あははっ、傑作ね!」自分で言ってて滑稽だと思わないの?嘲りの言葉が、鋭いナイフのように飛鳥を滅多刺しにする。飛鳥はたまらず、彼女の手首をガシッと掴み込んだ。「……俺が言っているのは、お前にもう水に流してくれと頼んでいるんだ。過去のことはすべて忘れろ」「……私に命令しているつもり?」星歌は掴まれた手首を引き抜こうとした。だが、飛鳥はさらに力を込めて彼女の細い手首を握り潰さんばかりに拘束する。「星歌……」「冴島家の人間がしでかした、あのおぞましい蛮行を! あんたの命令一つで忘れろって言うの!?ねえ飛鳥、あんた、自分を裏切った人間に対して今までどういう落とし前をつけさせてきた? 私が思い出させてあげようか?」――自分を裏切った者への報復。飛鳥と結婚して間もない頃、星歌はある凄惨な場面を目の当たりにしたことがある。飛鳥が、裏切り者の腕を一本平然と切り落とさせたのだ。あの時、星歌はあまりの恐怖と残酷さに腰を抜かし、言葉を失った。後になって知ったことだが、その男は長年飛鳥の右腕として仕えていたにもかかわらず、最終的に彼を裏切り、会社の重要機密をライバル企業に売り渡したのだという。「裏切り者」という言葉を聞き、飛鳥の顔色はさらに底知れぬほど黒く沈んだ。星歌は彼の怒りなど意に介さず、冷酷に言葉を叩きつける。「どうなの?あんたは心が広かった?相手の裏切りを笑って許してあげた!?いいえ、容赦
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第206話

一方その頃、病院にいる都子も精神的に限界を迎えていた。つい先ほど、夏蓮に対して「翼はもう死んだんだから、現実を受け入れなさい」とたしなめただけなのに、夏蓮はそれをきっかけにパニックを起こし、完全に発狂してしまったのだ。さらに、都子のもとに一つの極秘情報が飛び込んできていた。夏蓮の母親である陽子が、Y国で政府の高官と強力なパイプを繋いだらしいというのだ。もしかすると、夏目家を襲っている今回の絶体絶命の経済的危機も、その高官の力であっさりと解決してしまうかもしれない。その情報を耳にした瞬間、都子の夏蓮に対する態度は、手のひらを返したようにガラリと変わった。夏蓮が飛鳥とくっつくことには相変わらず反対だが、少なくとも、星歌のようにゴミ扱いして冷遇することはできなくなったのだ。現在、夏蓮は病室で「翼さんを出して!翼さんに会わせてよォッ!」と発狂して泣き叫び続けており、都子はその対応にすっかり疲れ果てていた。加えて、夏蓮の子供の容体も悪化の一途を辿っている。だからこそ、せめて飛鳥に病院へ来てもらい、この修羅場を収めるための精神的支柱になってほしかったのだ。星歌が黙ったまま応じないのを見て、電話越しに都子が甲高い声で喚き立てた。「聞いてるの!?夏蓮の子供が死んだら、あなたはそれで満足だっていうの!?」「――ふんっ」星歌は思わず鼻で笑った。「あの子が死のうが生きようが、私に何の関係があるんですか?さっきから嫌味ばかり言って、何のつもりです?」星歌の声音は、氷のように冷たかった。「どうしろって言うんです?私が産んだ子でもないのに、実の母親みたいに嘆き悲しめとでも?冴島家って、ずいぶんと理不尽なルールがあるんですね」都子のネチネチとした言い草に、星歌はもう大人しく従う気など毛頭なかった。容赦なく真っ向から噛み付く。電話の向こうで、都子が荒く息を呑む音が聞こえた。まさか星歌からこんな反撃を受けるとは思っていなかったのだろう。星歌はさらに畳み掛ける。「本港市中の名家のお歴々に聞いてみたらどうですか?次男に嫁いできた嫁に対して、長男の子供を自分の子と同じように愛せだの、何かあったら実の母親以上に泣き叫べだの、そんな要求をする家がどこにあるのかって」「なっ……!」「そんな家に、誰が大事な娘を嫁が
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第207話

まさか……Y国で、また誰か有力なパトロンでも見つけたっていうの?陽子の男を誑かす手腕や、人脈を築く交際能力の高さは、星歌も認めている。本港市の社交界では、「夏目陽子の財産はすべて、男たちのベッドの上で築き上げたものだ」とまで噂されているくらいだ。だが、今回は身動きすらろくにとれないような最悪の状況のはず。それでもまだ、そんな離れ業をやってのける力があるというのか?「夏蓮は今、ひどい鬱状態で、あの子の容態も予断を許さないの!」都子のヒステリックな声が、再び星歌の鼓膜を打つ。「あんたみたいに健康な人間が、飛鳥を独り占めしてどうするの!彼を今すぐ病院によこしなさい!」「独り占めって……」星歌は呆れて鼻を鳴らした。「病院に行かせたいなら、そっちで勝手に説得すればいいじゃないですか。本人が行かないのを、私のせいにしないでくださいよ」まるで、星歌が飛鳥の足にすがりついて引き留めているかのような言い草だ。都子の言葉の端々には、「星歌が飛鳥に執着して離れようとしない」という思い込みが滲み出ている。都子が何か言い返そうとする前に、星歌は嘲るように言い放った。「私だって、空気を読んでさっさと冴島家から出て行きたいんですよ。だったら、飛鳥に早く離婚届にサインさせてくださいよ!冴島家どころか、本港市からだって出て行ってあげますから。ほら、すごく物分かりがいい嫁でしょう?」――ガチャリ。星歌が言い終えた直後、背後のドアが開く音がした。振り返ると、ドアの前に飛鳥が立っていた。彼の手には、グラスに入ったフルーツジュースが握られている。だが、その表情は鉛のように重く、暗かった。星歌を見つめる飛鳥の瞳には、底冷えのするような暗い執着と怒りが渦巻いている。言うまでもない。星歌が電話口で放った「早く離婚届にサインさせて」という決定的な一言を、彼はすべて聞いていたのだ。電話の向こうで、都子が汚い言葉で罵りながら一方的に通話を切った。「ツーツー」という無機質な電子音が響く。星歌は画面を伏せると、ベッドの傍らに立つ飛鳥に向かって軽く肩をすくめてみせた。そして、スマートフォンを放り投げるようにベッドへ落とす。長い脚を動かし、飛鳥がゆっくりと距離を詰めてきた。グラスをサイドテーブルに置くが早いか、身を屈
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第208話

飛鳥は本当に狂いそうだった。星歌の徹底した拒絶が、彼の理性をすり減らし、限界まで追い詰めている。だが、これ以上手荒な真似はできなかった。二度の流産で傷ついた星歌の体調を思えば、無理やり抱くことなどできるはずがない。飛鳥はのしかかっていた体を離し、ベッドの端に腰を下ろした。そして、星歌の細い体を強引に自分の腕の中へ引き戻す。サイドテーブルに置いてあった新しいグラスを手に取り、その唇に押し当てた。「……飲め」パシャンッ!!星歌は差し出されたグラスを無造作に払い退けた。グラスは床に叩きつけられ、無残に砕け散る。「…………」無言で見つめる飛鳥を睨みつけ、星歌は声を荒らげた。「離してって言ってるでしょ!」「……ちゃんと風呂には入った」飛鳥は腕の力を緩めることなく、耳元でぼそりと呟いた。「皮が剥けるくらい洗ったからな。もう臭くないし、汚くもないだろう?」どこかふてぶてしく、それでいてすがるような言い草だった。そんな態度が星歌の神経をさらに逆撫でする。苛立ちを隠さず睨みつけると、飛鳥は不敵に笑い、星歌の顎を指先で持ち上げた。「……別の方法で飲ませてほしいのか?」「別の方法」――その言葉の意味を、星歌が知らないはずがなかった。かつて、最初の子供を流産した後のこと。なかなか次の子供に恵まれず、都子から得体の知れない苦い煎じ薬を大量に飲まされていた時期があった。あまりの不味さと屈辱に、星歌が薬を拒絶するようになると、当時の飛鳥は嫁姑の間を取り繕うために、あの手この手で星歌をなだめすかしてきた。どうしても嫌がるときは、決まって別の方法……つまり、口移しで無理やり流し込んできたのだ。思い出すだけで虫唾が走る。星歌は顔を背け、冷ややかな声を投げた。「……会社、忙しいんじゃないの?」本来なら、今頃の冴島グループはトラブルの対応で火の車になっているはずだ。こんなところで油を売っている余裕など、一秒たりともないはずなのに。「……忙しい。だが、お前の方が大事だ」飛鳥はそう呟くと、星歌の華奢な肩にすり寄るように顎を乗せてきた。その声には、隠しきれない深い疲労が滲んでいる。まるで、外での戦いに疲れ果て、最愛の妻に癒やしを求める平凡な夫のように。昔の星歌なら、こんなふ
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第209話

牧野の手には、お盆に乗せられた新しいフルーツジュースがある。それを見た星歌は、鬱陶しそうに手を振った。「下げてちょうだい。飲みたくないから」「ご安心ください、星歌様。ジュースは二杯絞りまして、先ほど飛鳥様が一杯召し上がりました。毒などは入っておりません」牧野が宥めるように言う。先ほどの食事の際、星歌が「毒でも入ってるんじゃないの?」と皮肉を言ったのを真に受けているのだ。飛鳥は「星歌が冴島家の人間を極度に警戒している」と思い込んでいるようだが、大きな勘違いである。星歌があの雑炊を無理やり飛鳥に飲ませた時点で、すでに冴島家全体に対する強烈な警告は済んでいる。祖母のキヨが命懸けの狂言で星歌を追い出そうとしたことへの報復として、星歌はあわや飛鳥を巻き添えにしそうになったのだ。キヨがどれほど星歌を憎んでいようと、大事な孫の命を危険に晒すような真似は、もう二度とできない。つまり、食事に毒を盛るような浅はかな手段には出られないことを、星歌はとうに理解していた。「毒が入ってるから嫌だとか、そういう問題じゃないわ。ただ飲みたくないだけ」「ですが……飛鳥様から、星歌様が飲み干すまで見届けるよう、きつく申し付かっております……」牧野が困り果てた顔で懇願してくる。「…………」やっぱり異常だわ。離婚だなんだとこれだけ激しくやり合っているのに、ジュースの一杯まで監視して無理やり飲ませようとするなんて。そこまでして自分を囲い込むことに、あの男は疲れないのだろうか?牧野の困り果てた顔を見て、星歌はため息をつき、お盆の上のグラスを手に取って一気に飲み干した。ちょうどその時。窓の外から、重厚な車のエンジン音が響いてきた。星歌は空のグラスを置き、窓辺へと歩み寄る。眼下の門を抜け、猛スピードで走り去っていく見慣れた漆黒の高級車――飛鳥が出かけていったのだ。ブーッ。手の中のスマートフォンが短く震えた。画面を見ると、飛鳥からのメッセージが届いている。【大人しくしてろ。絶対に逃げるなよ】「…………」……ようやく行ったわね。星歌の口元に、冷ややかな笑みが浮かぶ。「星歌様……」背後から、牧野が心配そうな声をかけてきた。「出て行って」星歌の声は、氷点下のように冷たかった。牧野は何か言いか
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第210話

……呆れた。本当に、この女の子供事情はトラブルだらけだ。双子の男の子の方は重病で、ジャン・ガスという名医を見つけ出さない限り助からない命の危機にあるというのに。せっかく健康に生まれたはずの女の子の方まで行方不明とは。「私の命ね……残念だけど、あなたなんかに取られる命はないわ」「……っ!」「娘を死なせたくないなら、こんなところで喚いてないで、さっさと探しに行くことね」それだけ言い捨てて、星歌は一方的に通話を切った。「――本当に、イカれてる」何かにつけて、少しでも気に食わないことが起きれば、何でもかんでも私のせいにしてくる。その病的な被害妄想には虫酸が走る。息をつく間もなく、再びスマートフォンが鳴り出した。画面を見ると、今度は都子からだ。通話に出た瞬間、泣きつくような声が飛び込んできた。「星歌……!星歌、これまでのことは私たちが悪かったわ!だからお願い、お義母さんに教えてちょうだい!あの子をどこへ連れて行ったの!?」孫娘が消えたとあって、さすがの都子も完全にパニックに陥っているらしい。いつもの傲慢で高圧的な態度は見る影もなく、これまでにないほど猫撫で声で語りかけてくる。だが、星歌にとって、これほど薄気味悪く、滑稽なことはなかった。……「お義母さん」、ですって?飛鳥に嫁いだあの日から、冴島家の人間は誰一人として私を本当の家族として認めてこなかった。ろくな実家がないと嘲笑い、散々ゴミのように見下して鬱憤晴らしの道具にしてきたのはどこの誰だったか。それが今になって、これだ。星歌はふっと嘲笑を漏らした。「都子さん。あなたのその言葉、哀れを通り越して滑稽ですよ」ほんの少し前、「空気を読んでさっさと冴島家から出て行け」と電話で怒鳴りつけてきたのは、一体どこの誰だっただろうか。それから何時間も経っていないというのに、今度は手のひらを返して「お義母さん」だと?星歌は冷酷に嗤った。「……子供はどこなのっ!」電話越しに、怒りを押し殺しきれていない都子の声が響いた。「どうして私が連れ去ったと決めつけるんですか?」星歌が鼻で笑って返すと、都子の怒りがとうとう限界を突破した。「あんた以外に誰がいるっていうの!?あんたがここ数日やってることは、全部夏蓮を死に追いやるためじゃないの
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