All Chapters of 跪くのはあなたです 流産の夜、私を選ばなかった夫は五年後、後悔する: Chapter 91 - Chapter 98

98 Chapters

91話 出動

一条先生から渡されたクリーム。「愛沢さんの為の特別な配合だよ」一条先生にそう言われた。特に使用の制限は無く、気になったら何度でも使って良いという。少しお高い気もしたけれど、美しさには変えられない。私はサロン・ド・オーキッドの女王なんだもの。家に帰ろうかとも思ったけれど、どうせ帰っても誰も居ないのだし、私はそのままサロン・ド・オーキッドに向かった。迎えてくれるスタッフたちは私を本当の女王のように扱ってくれる。私専用の部屋。そこに入って私は服を脱ぎ、妖艶な下着姿になる。全身を映す鏡に向かい、全身をチェックする。(うん、今日も完璧だわ)そう思ったけれど。やっぱり一条和輝に指摘されたからなのか、目元のシミが気になって来る。一条クリニックで買ったクリームを取り出す。真っ白なクリームは私のシミを抜いてくれる筈だ。お化粧をしていても、その上から塗布できると一条和輝は言った。私はそのクリームを指先に乗せ、目元のシミに塗り込んで行く。◇◇◇~仕掛け、完了~そうメッセージを送って、俺は一息つく。「悪いが、少し抜けるよ」スタッフにそう声を掛けて、俺はクリニックの奥にある、自身の個人オフィスに入る。うちのクリニックには数人の医師が常駐していて、俺が一人抜けるぐらいは余裕がある。椅子に座り、大きく息をつく。鼻の下に塗ってあった高嶺遼大から送られて来ていた軟膏を拭き取る。(本当に油断も隙もあったもんじゃないよな……)そう思いながら笑う。今日の愛沢くるみも、サロン・ド・オーキッドで会った時のように甘い香りを漂わせていた。高嶺遼大からはその香水に仕掛けがあるとは聞いていたから、警戒はしていたが。俺は愛沢くるみとはほぼ面識は無い。大学時代、学部でも優秀な学生として有名だった久遠湊が連れて来た、ものすごく可愛い子が居ると聞いて、興味が湧いた俺は、高嶺遼大に連れられ、その可愛い子を見に行った。そこに居たのが愛沢くるみだった。俺は幼い頃から両親が美容整形外科だった事もあって、目が肥えていた。だから愛沢くるみを見て、一目で“養殖”だなと分かった。その場に一緒に居た佐伯燈の方は、いわゆる天然の美人だ。誰の手も掛けられていない、生まれながらの美人。俺は密かに二人を見比べ、本当に天は残酷だなと思ったものだ。かたや作られた体のライン、飾られた虚飾の女……かたや天然の美人で、飾
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92話 空き瓶

私は自分の焦りが見えないように自分を律する。「今日は少し早いのね」そう言われて私は少し笑う。「えぇ、ちょっと時間が出来たものだから」そう言って、早々にスタッフルームに逃げる。愛沢くるみ以外の女性スタッフは、個人の部屋を持たない。ここはそういう場所だ。売り上げが一番高い女性が君臨する場所。そして愛沢くるみはここでは女王なのだ。雑然としたスタッフルーム。まだ早い時間だから、人は居ない。昼下がりのこんな時間に、来る人間など居ないのが普通だ。スタッフルームの奥の扉から外へ続く階段へ出る。足元に小さな段ボールがある。そこに愛欲の女王の空瓶がある事を私は知っていた。だって愛沢くるみに空になった瓶を捨てて来るように言われた事があったもの。愛沢くるみの為に作られた、と本人は思っているけれど、それは違う。ここへ来ている大物、千堂彰がサロン・ド・オーキッドのオーナーに言っているのを聞いた事がある。「客の頭の中をすっからかんにする、そんな匂いが充満していたら、もっと稼げるよな」最初は何の事を言っているのか、私には分からなかったし、私には関係ないと思っていた。でも今にして思えば、それはあの愛欲の女王の事なんだと分かる。愛沢くるみに作り、それを使わせる事で実験し、効果が出れば、本格的に裏業界に売り出す気なんだろう。愛欲の女王の空の瓶を一つ、持つ。どうせ、数の把握なんて細かい事はしていないに違いなかった。その辺は警戒を怠らずにやるべきだったのに、そういうところが抜けている。使い回しの瓶。甘い匂いに嫌悪しながら私はスタッフルームに戻る。手の中の瓶をカバンにしまい、今日はもうこのままサロン・ド・オーキッドを出ようと思った時だった。「加山さん」そう声が聞こえて振り向く。そこに立っていたのは愛沢くるみだ。「くるみお嬢様……」努めて今までと変わらないように接する。愛沢くるみは私の所へ来ると、私に抱き着く。「久遠家から出して貰えたの?」そう聞かれて私は甘い匂いに吐き気を感じながら言う。「えぇ、でもすぐ戻らないといけないんです」さも残念であるかのように、そう言う。愛沢くるみは私の顔を見ながら言う。「そうなのね、残念だわ」そう言われて私は同じように少し悲し気に微笑む。そしてふと思い付いて言う。「借金を返すのに、くるみお嬢様から頂いたものを売らなくてはいけなくて……」そ
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93話 共鳴

加山良江によって持ち込まれた愛欲の女王の空瓶。底に残る愛欲の女王の数滴でさえ、私たちにとっては貴重なものだった。それを採取して、空瓶を消毒する。少しの違和感も残せない。慎重に偽の愛欲の女王を注ぎ、蓋をする。「加山さん、大丈夫?」私がそう聞くと加山良江が苦笑する。「解毒をして頂いてからは、視界が開けた感覚があって……サロン・ド・オーキッドの中の空気の淀みに嫌悪感がありましたが、何とか」前に湊に解毒した時も、同じような事を言っていたのを思い出す。皆、視野狭窄に陥るのがもしかしたら無自覚の症状なのかもしれない。きっと加山良江もMRIを取ったら、前頭葉に何かしらの異変が起こっているのだろう。ラボの扉が開いて、姿を現したのは湊だった。その手に紙袋を持っている。イルミの紙袋だった。「アトマイザーだ」そう言って紙袋の中から、蘭を模した小瓶を出す。手袋をした高嶺遼大がそれを受け取り、偽の愛欲の女王を注いで行く。その様子を見ながら私は言う。「香水のすり替えはどうするの?」そう聞くとアトマイザーの蓋を閉めた高嶺遼大が言う。「それは和輝に任せよう」そう言われて私は聞く。「一条さんに?」そう聞くと、高嶺遼大が少し笑う。「今、和輝の所のクリニックに愛沢くるみが通っている。目元のシミについて、少し仕掛けをしたそうだよ」そう言う高嶺遼大は少し楽しげだ。「仕掛け?」聞くと高嶺遼大が言う。「一条クリニックの売れ筋のシミ取りクリームに、メラニンを可視化する成分を混ぜたんだってさ」メラニンを可視化するクリーム……通常ならば絶対に混ぜない成分だろう。それをわざと混ぜたという事は。「シミ取りの為のレーザー治療に来させる為、だな」湊がそう言う。高嶺遼大が頷く。「そうだ、そのレーザー治療の時に、アトマイザーも愛沢くるみの持つ愛欲の女王の本体もすり替える」そう言われて納得する。「それなら、すり替えもスムーズに行きそうね」私がそう言うと、加山良江が口を開く。「あの、申し上げても?」そう聞かれて私は言う。「えぇ、良いわ」そう言うと、加山良江が言う。「サロン・ド・オーキッドの中には、愛欲の女王が充満しています。いつだったか、サロン・ド・オーキッドに来ていた千堂彰が、サロン・ド・オーキッドに来ている客の頭の中をすっからかんに出来るものがあれば、なんていう事も言
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94話 絶大なる効果

鏡に移った自分の姿に私は驚愕する。さっきまで美しく見えていた私の顔が……目元が……。加山良江に会いに行き、彼女を抱き締め、湊に口をきいてあげると適当な事を言っておいた。いつもそうだ。そうやって加山良江には便宜を図ると言っておけば、彼女は私を崇拝する。ずっとそうだった。だから今回もそうした。彼女は今、久遠家に閉じ込められている。たかが森崎の家で私に高嶺遼大と佐伯燈が森崎の家に来たと、告げ口をした程度で。その程度で久遠家から出して貰えないなんて。そう思ったけれど、久遠家は代々続く財閥家なのだ。使用人の水準も高い。自分の雇い主の情報を伝えるなど、あってはならない事なんだろう。そう思いながら私は自身の“女王の部屋”に戻った。スマホを手に取り、大きく柔らかいベルベットの椅子に腰かけ、予定を確認する。その時にふと、鏡が目に入った。そして私はその鏡を見て、驚愕したのだ。立ち上がり、全身を写す鏡の前に立つ。私の体を包む妖艶な下着は私の体をこれ以上無い程に飾り立ててくれている。それなのに、さっき、シミ取りクリームを塗った、あの気になっていた目元が少し黒ずんで見える。(どういう事なの?)(シミ取りクリームじゃないの?)そう思いながら私は鏡に映った自分の顔を、目元を凝視する。(こんなのおかしいわ! そんな訳、無いのよ!)そう思いながら私は一条和輝から買ったシミ取りクリームを手に取る。グランドクィーンと名付けられたそのクリームは一条クリニックでは売れ筋のクリームだ。スマホで検索してもおかしな検索結果は出て来ない。(特別な配合にしたと、一条和輝はそう言ったわね)そう思いながら私は別の可能性を考える。もしかしたらその特別な配合が私には合わないのかもしれない。何度も確かめるように鏡を見る。何度見ても最初に見た時より、シミが目立っているように感じる。これじゃあ意味が無い。私は手に持っていたクリームをバッグに放り込み、急いでメッセージを送る。~一条先生、大変なんです~◇◇◇送られて来たメッセージを見る。「もう効果を発揮したのか、それともそれだけ愛沢くるみが美に執着しているか……」そう独り言を呟きながら笑う。そして善良な医師の皮を被り、返信する。駆け込んで来た愛沢くるみの目元は配合したメラノ・リベレーターが効果を発揮している事を物語っている。「先生、
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95話 立候補

「愛沢くるみが引っ掛かった」高嶺遼大がそう言う。「一条さんの所に、もう行ったの?」私がそう聞くと高嶺遼大が頷く。「あぁ、特別配合のシミ取りクリームが功を奏したってさ」そう言われて私は微笑む。あの愛沢くるみの事だもの、自身の目元のシミなんて絶対に許せないに違いない。「すぐにレーザー治療がを始めるらしいが、それは今日じゃない」そう言われて私はホッと一息つく。「和輝はその辺、知り尽くしているからな」そう言って笑う高嶺遼大に聞く。「知り尽くしてる?」そう聞くと高嶺遼大が言う。「求めるものを、すぐに渡したんじゃ、有難味が無いだろう?」そう言われて少し笑う。「焦らすって事ね」そう言うと高嶺遼大が頷く。「あぁ、そうだ」不意に湊の持っているスマホが鳴る。湊はスマホを見て、微笑む。「呼び出しだ」湊が見ているのは病院用の呼び出し専用のスマホだった。「急患?」そう聞くと湊が頷く。「あぁ、そうらしい。脳外の俺が呼ばれるんだから、脳梗塞か、くも膜下出血か」湊はそう言いながら私たちを見て微笑む。「ちょっと行って来る」そう言われて私は湊に言う。「いってらっしゃい、何かあれば呼んで」湊は私にそう言われて苦笑する。「あぁ、いざとなったら、頼む」そう言って部屋を出て行く。その様子を見ていた高嶺遼大が言う。「湊くんはもう大丈夫そうだな」その声は優しく、何だか湊の兄のようだと感じる。私はそんな高嶺遼大に言う。「何だか湊のお兄さんみたいな言い方ね」そう言うと高嶺遼大が言う。「まぁ、そんなようなもんだ」そう言われて笑う。「一条クリニックの方での愛沢くるみのアトマイザーのすり替えと、本宅の方の愛欲の女王本体のすり替えだが」高嶺遼大が言う。「そうね、誰がどこへ向かうべきなのかしら」私がそう言うと、高嶺遼大が少し考えて言う。「まぁこの人員だと、愛欲の女王に侵されていない俺や燈が出向くのが一番だろうな」確かに高嶺遼大の言う通りだろう。私や遼大は愛欲の女王に晒されていない。だからこそ、その場でのちゃんとした判断が出来るだろうけれど、湊や加山良江では、もしかしたら体調に不良が出てしまう可能性だってある。本人に気付かれずにすり替えを完了させなければならない。「出来れば、レーザー治療中にスマホの中身もこちら側に送信したいところだが」そう言
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96話 吉兆と凶兆

加山良江の立候補を聞き、私と高嶺遼大は顔を見合わせて頷き合う。「それならお願いする形になるけれど」そう言うと加山良江が言う。「承知致しました」そう言う加山良江にはほんの少しの迷いも無い。「データ移行に使うものを用意しておこう」高嶺遼大がそう言って、部屋を出る。私も加山良江もそれに続く。◇◇◇一条クリニックでの予約を取った私は視線を伏せて歩く。今回気付いた目元のシミが気になって仕方ない。(私は美しくある筈でしょう? 豊胸もして、バレないように顔だって少しずつ変えて来たのに)車に乗り込み、運転手に言う。「森崎の家に戻って頂戴」車が走り出す。森崎の家は裕福では無いけれど、車くらいなら何とかなる。これで車も使えないのなら、森崎の家に居る意味なんて、本当に無くなってしまうわ。真っ赤なイルミのバッグから手鏡を出し、目元のシミを見る。(やっぱり、濃くなっている気がする……)どうしてなのかしら。一条和輝は一時的にターンオーバーのサイクルが乱れているだけだと言ったけれど。それでも気になるものは気になる。だからこそ、レーザー治療の予約を取ったのだけど。予約はすぐには取れなかった。レーザー治療の予約は明日になってしまった。すぐにでも取り除きたいのに!このままではサロン・ド・オーキッドにも行けない。私の使っている部屋は照明が明るいのだ。そこでふと思い付く。そうか、だったら照明を落とせば良いのよね。普段は強い照明の中で自分自身を魅せる事にこだわっていたけれど。たまには趣向を変えれば良いんだわ。レーザー治療した後は紫外線にも気を付けないといけないし、強い照明はしばらく止めて……そう思った私は車中で電話する。「あ、私よ。私の部屋の照明をしばらくの間、少し落とすわ。お肌の調子が悪くてね、よろしくね」一方的にそう告げて電話を切る。レーザー治療の料金は数万円程度。その程度のお金なんて、一晩で稼げるわ。◇◇◇「あ、先生」院内に戻った私を見つけた看護師が声を掛けて来る。「どうしたの?」足を止めて聞くと、看護師が言う。「藤堂氏の意識が戻りました」そう言われて私は高嶺遼大を見る。「すぐに行こう」高嶺遼大がそう言う。加山良江に向き直り、言う。「あなたは一度、久遠家に戻って」そう言うと加山良江が言う。「はい、分かりました。私の方で持っている
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97話 配置

メッセージが届いていた。~加山さん、久遠家には着いたかしら? もし出られそうなら会って話したいのだけど~そう綴られているメッセージ。以前の私なら、何か理由を付けて、久遠家を出て、愛沢くるみに会いに行っていただろう。どうしてそうも、盲目的に愛沢くるみに時間を費やしていたのか、自分でも分からない。さて、何と返信しよう。しばしの間、考えて私は文字を打つ。~くるみお嬢様、お誘い頂きありがとうございます。ですが、久遠家からは出られそうにありません~それだけ打って送信する。この事も燈お嬢様や湊坊ちゃんにも報告しておかなければ。◇◇◇「和輝から連絡が入った」高嶺遼大にそう言われて私は聞く。「何て?」そう聞くと高嶺遼大が言う。「レーザー治療の予約は明日だそうだ」そう言われて私はタイミングの良さに感心する。全てが上手く噛み合っているように感じる。「急いで作った甲斐があったわね」そう言うと高嶺遼大が笑う。「そうだな」聖カトリーナで私が使っている特別室に入る。「明日はどうするの?」そう聞くと高嶺遼大が言う。「俺は森崎家には入りやすい。何せ、俺は森崎家の息子だからな」それはそうだ。この間もそれで遼大には愛沢くるみの部屋に行って貰ったんだから。「じゃあ、私が一条クリニックへ行って、アトマイザーのすり替えね」私がそう言うと高嶺遼大が頷く。「あぁ、それが一番、燈にとっても安全だ」安全と言われて少し笑う。「安全?」聞き返すと高嶺遼大が私を抱き寄せて言う。「そうだよ、燈の安全が一番大事じゃないか」高嶺遼大を見上げて聞く。「そう?」高嶺遼大は私の頬に触れて言う。「一条クリニックなら、和輝も居る。その他のスタッフも居る。他人の目があるのは大事な事だ」それはそうだろう。誰よりも他人の目を気にしている愛沢くるみが相手なのだから。五年前のあの日が脳裏に蘇る。あの日、湊の個人オフィスで。私は愛沢くるみと二人きりになった。その途端、愛沢くるみは化けの皮を剥がして、私に牙を剥いたのだ。自身の悪意をこれでもかと私に浴びせた。あれ程の吐露をしておきながら、五年経った今、愛沢くるみは私の前でも可憐に振る舞おうとしている。それが周囲の目を欺く為に、周囲を自分の味方にする為に、必要な事なんだろうと分かっていても、苛つきを超えて、おぞましいとさえ感じ
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98話 取り戻したもの

藤堂氏のデータを入力し、完了する。思えば、藤堂氏の手術の依頼を受け、聖カトリーナへ来たけれど、これも何かの導きだったように思う。私のすぐ隣では高嶺遼大がスマホのデータ移行の為の準備をしている。「そういえばさ」高嶺遼大が言う。「ん?」そう聞くと高嶺遼大が少し笑って言う。「EMSO(アイゼンバーグ医療戦略機構)の責任者である俺が日本に来てるんだから、日本支部に挨拶に行くべきだよな」そう言われて初めてその事に思い当たる。「そういえば、そうよね」そう言って笑うと、高嶺遼大も笑う。「日本支部には行った事が無いからな。内部がどうなっているのか、視察に行くのはアリだな」千堂彰の事もある。日本支部の倫理審査委員会・委員長という立場でありながら、愛欲の女王のような未承認の薬品を使った、いわば違法な薬物をEMSOから外へ出していると知られてしまうのは打撃になる。それが許されている土壌なのかどうか、日本支部がどういう形で成り立っているのかを、知らなければならない。「明日はすり替えがあるし、藤堂氏の経過観察もあるから……」私がそう言うと高嶺遼大が言う。「まぁ、早くても明後日か」そう言われて私はふと、湊が言った事を思い出す。「そういえばね」そう話し出すと高嶺遼大が聞く。「ん?」私は湊から聞いて、ずっと引っ掛かっていた事を遼大に話す。「三年位前にベンゾジアゼピン系物質が表情筋の弛緩や麻痺を起こして表情筋が死に“ベンゾ・マスク”になるっていう論文が発表されていたのを、湊が読んだって言ってたんだけど、あなた、知ってる?」そう聞くと高嶺遼大が少し考える。「ベンゾジアゼピン系物質の影響とベンゾ・マスクについて、か……」私は自分の記憶を遡っても、そんな論文を目にした記憶が無かった。「そんな論文、出ていたかしら?」そう聞くと高嶺遼大が何かを思い付いたのか、言う。「ちょっと待ってくれ」そう言って自身のPCを開き、キーボードを叩き出す。「ベンゾジアゼピン系物質……ベンゾ・マスク……」独り言を言いながらキーボードを叩いていた高嶺遼大の手が止まる。「見てくれ」そう言われて高嶺遼大のPCの画面を見る。そこに映し出されていたのは湊の言う、三年程前に出されていた一つの論文。『ベンゾジアゼピン系物質の影響とベンゾ・マスクの脅威について』そう銘打たれた論文
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