All Chapters of 跪くのはあなたです 流産の夜、私を選ばなかった夫は五年後、後悔する: Chapter 111 - Chapter 120

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111話 ダウンタイム

今まで私は幾度となく、体を美しくする為に施術を受けて来た。胸を豊胸し、二重にして。そういった施術にはダウンタイムがあって、その間、外には出られなくなる。完全に人に知られずにそれをやり遂げて来られたのは、ダウンタイム中は人に会わないからだ。今までは森崎の家の人間にも知られずに部屋に籠る事は不可能だった。何故ならお母様が居たから。でも今、お母様は療養で家に居ない。普段から森崎のお父様には良く思われてなくて、通常であれば接触など無い。つまり今回のシミ取りのダウンタイムは森崎の家で過ごせるという事だ。使用人に見られたって、そんな事はどうでも良い。どうせ彼らの言う事なんて、誰も聞かないのは私自身が良く知っている。シミ取りのダウンタイムは長くなると半月にもなる。最初の三日程はレーザーを当てた箇所にかさぶたが出来たりして、一番、人に見せられない状態だ。そしてまさに今、顔に貼ったテープの下でそれが起こっている。手鏡でそんな顔を見ながら私は痛みに耐える。くるみ、これを乗り越えれば私はまた美しくなるわそう自分に言い聞かせる。◇◇◇愛沢くるみはサロン・ド・オーキッドの経営や運営に関わっていない……。それを加山良江から聞いて、皆がそれぞれに何かを考えているようだった。「確かに愛沢くるみは女王のように振る舞い、スタッフも皆、愛沢くるみの言いなりのように見えますが、それは彼女が売り上げを上げているから、というのと、太い客を掴んでいるからというのが大きいんです」加山良江がサロン・ド・オーキッドの内情を話してくれる。「私自身、サロン・ド・オーキッドでは娼婦の一人というだけなので、それ程詳しくは無いですが、それでもサロン・ド・オーキッドの中では古株なので、見ないようにしていても、見てしまう事もあります」それはそうだろう。遼大も私も湊も加山良江の話は知らない世界の話だ。「サロン・ド・オーキッドがずっと愛沢くるみを女王として来た訳ではありません。歴代の女王は他にも居ます。そこはクラブのナンバーワンと同じです」売り上げが高い人間がナンバーワンとして君臨する世界……。「私がサロン・ド・オーキッドに入った時には愛沢くるみは既に女王でしたので、いつから女王となったのかは分かりませんが、ここ数年は確実に女王の座をキープはしています」経営や運営に愛沢くるみが絡んでいるなら、それ
last updateLast Updated : 2026-05-11
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112話 気付かない、気付けない

湊が聞く。「EMSO(アイゼンバーグ医療戦略機構)の日本支局への視察は明日?」そう聞かれて私は頷く。「えぇ、その予定よ」そう言いながら遼大を見る。遼大はPCから離れて、明日の支度を始める。私は遼大に近付き聞く。「加山さんにPC触らせて大丈夫なの?」そう聞くと遼大が笑う。「あぁ、あれはこの為だけに用意した端末だから大丈夫」そう言われて私も笑う。「この為だけに用意したの?」そう言うと遼大が私の頭をポンポンと撫でる。「あぁ、恐らく入って来る情報量が多いだろうと思ってね」言われてみれば確かにそうだ。人一人のスマホとPCの中身をバックドアから送信させているのだから、それはかなりの量になる。そんな膨大な量の情報を自分が愛用しているPCに入れるには、データ量がかさんで重くなりかねない。それならそれで、愛沢くるみ用のPCを一台、手配した方が手っ取り早いし、効率的だ。自分自身がデータの精査をしなくてはいけない状況を回避も出来る。そう思うと、目の前の遼大はやっぱり計り知れないなと思う。「本当にあなたって、未知数ね」そう言うと遼大が私の額を軽く小突く。「ミステリアスと言って欲しいね」そんなやり取りで少し笑う。◇◇◇燈が高嶺さんを見上げて笑う姿に俺は心が締め付けられた。五年前に俺が愛沢くるみに多少は影響されていたとしても、許されない暴言を吐いたのは事実だ。そんな俺であっても、燈は俺を救ってくれた。愛沢くるみの犯罪行為、現在進行形で進む愛欲の女王による支配。それらを証明する為に、更にその愛欲の女王の治療までもが、燈と高嶺さんにかかっていると言っても過言ではない状況だ。燈が辿り着いた七年前の颯太の死の真相。まだ全容は把握出来ていないとしても。愛沢くるみが自身の関わっているサロン・ド・オーキッドの実情を颯太に暴露し、颯太の事故を誘発した事を立証するのは難しいが、愛沢くるみのデータの精査をする事で、逃げられない証拠が挙がる可能性だってある。そして俺が掴んだ五年前の愛沢くるみの仕掛けたラインプロスという堕胎薬による燈の流産。監視カメラに映った薬剤師にも話を聞かないといけないかもしれないと思い付く。「燈」呼び掛けると燈が振り向く。「ん?」そう聞かれて俺は微笑んで言う。「前に監視カメラの映像を見せた時に愛沢くるみにラインプロスを渡していた薬剤師……
last updateLast Updated : 2026-05-12
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113話 試着

「加山さん」遼大が声を掛ける。加山良江が振り向く。「そのPC持って行って良いので、落ち着ける場所で、データの整理お願いします」遼大はそう言って微笑む。ここは聖カトリーナの特別室だ。夜通しの作業には向かないだろう。「久遠家に戻って、作業を続けてくれ。前田には言っておく」湊がそう言う。加山良江はPCを一度、畳み、それを持って立ち上がる。「はい、それではそのようにさせて頂きます」私はそんな加山良江に言う。「加山さん、ありがとう」そう言うと加山良江が私を見て微笑み、言う。「いえ、私が出来る事をやるのみですので」加山良江はそう言って私たち三人に一礼し、部屋を出て行く。「俺も薬剤師の方を当たってみるよ、もしかしたら他にも愛沢くるみの協力者が混じっている可能性もあるからな」そう言われて初めて、聖カトリーナに波多野優斗以外に、愛沢くるみの協力者が居る可能性について、考えた。「確かにそうね。協力者が波多野優斗だけとは限らないものね」私がそう言うと湊が苦笑する。「そうなんだ、この聖カトリーナにその薬剤師以外に愛沢くるみに協力する者が居るとは思いたくないが」湊はそう言って私たちに向き合う。「明日の視察、俺に出来る事があれば、何でも言ってくれ」そう言われて遼大と顔を見合わせて微笑む。「あぁ、頼む」遼大がそう言うと、湊は頷いて、部屋を出て行く。扉が閉まり、遼大が大きく息をつく。「さて」遼大はそう言って少し笑い、言う。「燈にお願いがあるんだけど」◇◇◇遼大と共に聖カトリーナを出て車に乗る。「今更、なの?」私が笑いながらそう聞くと遼大も笑って言う。「今更だよな」でも遼大の言い分も分かる。私たちがそもそも、聖カトリーナに来たのは藤堂氏の手術の為だ。予後が良ければ、長居はしないのが私たちのそれまでのやり方だった。けれど、今回、聖カトリーナへ来た理由はそれが全てじゃない。街に出て、車が止まる。「どの店が良いのか、全く分からん」遼大がそう言うので私は笑って言う。「この街で男性用のスーツのお店なら、VERTICE《ヴェルティーチェ》よ」車が止まった場所から少し先にある高級店の名前だ。「燈が言うなら間違いないだろうな」そう言って車を降り、VERTICE《ヴェルティーチェ》に入る。入った瞬間に、仕立ての良い服を着た男性がすぐさま、近
last updateLast Updated : 2026-05-13
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114話 ブラックカード

「お次は燈の番だよ」そう言われて少し驚く。「私?」着替え終わった遼大は笑って隣を指差す。「隣にレディーススーツの専門店があるって、あの人から聞いたよ」あの人、それは遼大に大量のスーツを持って来たあの男性だ。振り返るとその男性は微笑んで言う。「女性用スーツの最高峰でしたら、お隣にありますÉCLAT《エクラ》をお勧めいたします」VERTICEが頂点を意味するなら、ÉCLATは輝きを意味する……。頂点の隣にあるお店の名が輝きとは秀逸だ。遼大が支払いの為のカードを出そうとしたのを止めて、私がカードを出す。「私からのプレゼントにさせて」そう言うと遼大が微笑み、言う。「分かった、良いよ」プラチナのカードを出し、支払いを済ませる。大きな黒い箱に入ったスーツを三つの袋に入れて貰い、遼大がそれを一気に持ち、言う。「じゃあ、行きましょうか、お嬢様」少しお道化てそう言う遼大に笑う。VERTICEを出て隣のÉCLATへ入る。今度は上品な女性が近付いて来てゆっくりと優雅に、そして深々と頭を下げて言う。「いらっしゃいませ」私が何かを言おうとした瞬間、今度は遼大が言う。「明日の大事な視察の為に、彼女にスーツを」そう言うと、その女性は微笑んで言う。「こちらへどうぞ」奥へ案内され、さっきとは真逆の展開が始まる。そんな状況を見て私は笑う。(今度は私が着せ替え人形って訳ね? いいわ、遼大を大富豪のように扱ってあげる)そう思いながら私は試着室に入る。「うーん、もっと良いのがありそうだな」着替えて出て来ると、遼大がソファーに座ったまま、そう言う。私は肩をすくめて、また試着室に戻る……何回か同じ事を繰り返し、遼大が選び出したのはアイスシルバーのスーツ。鏡に映った自分を見ると、確かにさっきのVERTICEで遼大に私が選んだミッドナイトブルーのスーツの横にこのアイスシルバーのスーツを着た私が立てば完璧だ。「このスーツと一緒に、チャコールグレーのスリーピースのパンツスーツと、ミッドナイトサファイアのスーツ、それからスノーホワイトのノーカラーのやつも一緒に包んでくれ」そう言う遼大に女性の店員さんが微笑んで頷く。「かしこまりました」そう言って支度をする店員さんを横目に私は遼大に聞く。「四着も買うの?」そう聞くと遼大は微笑み言う。「燈が何でも似合うから悪い」
last updateLast Updated : 2026-05-14
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115話 血筋

静かな夜、こうやって遼大と向き合って、レストランで食事をとるのはいつ以来だろうか。遼大はスマートにオーダーを出し、私を見て微笑む。私はクスっと笑って言う。「いつもあなたと居ると忘れちゃうんだけど、あなたもちゃんと高嶺家の令息なのよね」私がそう言うと、遼大も笑う。「母方の高嶺家には感謝しているよ。居場所の無かった俺を引き取って、立派に育ててくれたしね。だからその恩義を返すっていう意味でも、俺はEMSO(アイゼンバーグ医療戦略機構)に入った訳だけどね」食前酒が運ばれて来る。「乾杯」そう言われて私は遼大とグラスを合わせる。「乾杯」一口飲むと、爽やかなフルーツの味が広がる。「美味しい」私がそう言うと遼大は微笑み、言う。「俺が燈の好みを外す訳無いだろう?」そう言われて笑う。グラスを置いて、ふと思う。そういえば遼大自身の話は来た事が無かった。「ねぇ、あなたがEMSO(アイゼンバーグ医療戦略機構)の責任者になるまでの話、まだ聞いて無いわ」ブラックカードを持っている事、そしてEMSO(アイゼンバーグ医療戦略機構)の責任者になるまでの話……まだまだ知らない事がたくさんある。「俺がどうやって責任者になったかって話を聞きたいのか?」そう聞かれて私は頷く。「えぇ、もちろん。愛している人の話は聞きたいものよ」私がそう言うと、遼大は一気に顔が赤くなる。「愛している人、か……」そう言いながらまた食前酒を飲む。そんな遼大が可愛く思えて、また新しい面を発見したなと思う。◇◇◇部屋に運ばれて来た食事。一人、部屋の中で黙々とする食事は侘しいものだ。(どうして私がこんな目に……)そう思っていても、今は誰とも会えないのだから仕方ない。ヒリヒリする顔の痛みに耐えながら、私は食事を口に運ぶ。テープの下がどうなっているのかは分からない。見たくてもテープを剥がすにはまだ早いからだ。肌に刺激を与える事は極力避けなければ。それが私の求める美への近道なのだから。それにしても、今の森崎家には誰も居ないようで、物音がほとんどしない。たまに使用人が歩くような足音がするだけで、お父様もまだお帰りになっていないようだし。お母様がどこに療養に行っているのか、誰も知らないようで、屋敷の使用人の誰に聞いても答えは聞けなかった。近場の療養所なら、レーザー治療のダウンタイム後なら会いに行
last updateLast Updated : 2026-05-15
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116話 微かな希望

その夜は遼大から色々な事を聞いたけれど、高嶺家がEMSO(アイゼンバーグ医療戦略機構)の創設者の一族だったのには驚いた。それだけ医療界に影響力がある家門だもの、それならブラックカードを持っている事も納得がいく。「祖父はね、不治の病を治したくて、その治療薬を見つけたくてEMSOを作ったそうだよ」そう言って微笑む遼大は誇らしげで素敵だった。世界最高峰の研究機関であるEMSOの創設理由までもが崇高で、遼大の血筋が気高く、そして正統なものだと感じる。「だからこそ、愛欲の女王みたいなものがEMSOの中から出る事は絶対に許せない」そう言われて私は感じる。(そうか、愛欲の女王の排除は遼大にとっては弟の復讐と共に、自身の祖父が作ったEMSOの名誉を守る為の戦いでもあったのね)「でもさ」遼大がそう言って私を見る。「一番の理由はやっぱり燈なんだよ」そう言われて聞く。「私?」そう聞き返すと遼大が頷く。「あぁ、燈」言われても意味が分からない。「どういう意味なの?」そう聞くと遼大が少し笑って言う。「俺の愛している人が苦しんでる、だからこそ、助けたいんだ」そう言われて少し照れて笑う。(そういう意味ね)私は以前、新見医師から聞いた、聖カトリーナの医師不足についての事を思い出す。「私が七年前に愛沢くるみに嵌められて、医師を辞めてしまった事の余波は聖カトリーナにも影響が出てるの」そう言うと遼大が頷く。「医師不足、だな」あの時、私が反論もせずに全ての咎を受け入れてしまった事。その事の影響は大きい。「あの当時は燈だってレプリトールを投与されていたんだ、無気力になっていても仕方なかったんだ」遼大にそう言われて、苦笑する。「そしてその薬も千堂彰によって、提供されている」遼大の語気が強い。颯太の事故、そしてアレルギーの隠蔽による、颯太の死、更にはその後の私の医療界からの引退、そして仕掛けられた流産……。この全てにおいて、千堂彰と愛沢くるみが深く関わっている。不意に遼大のスマホが鳴る。こんな遅い時間に? そう思っていると遼大はスマホを確認し、少し微笑む。「良い知らせだよ」そう言って私にその文面を見せる。送り主は加山良江。~メールを整理している最中に、気になった言葉を発見いたしました~そんな書き出しのメッセージ。「地下の隔離室……?」私がそ
last updateLast Updated : 2026-05-16
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117話 甘い夜と戦闘準備

デザートまで楽しみ、遼大のブラックカードで会計をする。そんな遼大を見て少し笑う。「ん?」私が笑ったのでそう聞く遼大に私は言う。「ううん、何だか本当に富豪みたいだから」遼大はその言葉を聞き、私の腰を抱くと言う。「本当の富豪だって話はさっきしただろう?」そういう遼大に寄り添いながら私は思う。EMSOという世界最高峰の研究機関での五年間。共に夜通し研究をしたり、論文を読み漁ったり。そんな中で一度でも遼大の“富豪ぶり”は感じた事が無かった。それでもここへ舞い戻って来た時から遼大は何でも出来た。私を天才医師だと言うけれど、天才なのは遼大の方だ。その血筋も高潔で、志も高い。レストランを出て、車に乗り込み、ホテルへ戻る。こんなふうにゆっくりと過ごせる夜があるなんて、思いもしなかった。たくさんの買い物袋を提げて、ホテルの部屋へ戻り、ソファーに座る。「明日は大事な視察だ。今日は早めに休むか」遼大はそう言いながら買って来ていた自分用のスーツの紙袋を覗いている。私はソファーから立ち上がり、遼大の元に行くと、遼大に寄り添って言う。「コーヒーでも飲む?」遼大はそんな私を抱き寄せて言う。「帰したくない時に言うセリフだな」遼大に抱き締められて私はその胸に頬擦りしながら言う。「帰したくないのよ」そう言うと遼大が私の額に口付けながら言う。「俺も寝坊が怖いから一緒に居られると安心するな」そう茶化す遼大に少し笑い、私は遼大を見上げて言う。「いいわ、明日はちゃんと起こしてあげる」遼大は私を見つめて微笑み、私の頬に触れる。「……我慢なんてしないぞ?」そう言う遼大に言う。「いいわ」◇◇◇翌朝、目覚めると隣には遼大の顔。スヤスヤと眠っていて寝息を立てている。こんなふうに遼大の寝顔を見るのは初めてかもしれない。今まではずっと遼大が私を起こす事が多かったから。眠っている遼大の頬に触れる。遼大はそんな私の手を掴み、自身の腕の中へ引き込む。(……起きてる?)一瞬、そう思ったけれど、遼大はまだスヤスヤと寝息を立てていた。温かい腕の中にいつまでも居たいけれど、そうもいかない。「起きて、遼大」そう言うと遼大の眉間にしわが寄る。「……もう朝なのか?」そう聞く遼大の声はかすれている。遼大でも朝起きてすぐはこんなに声ががかすれたりするのだと思う。「そろそろ起きてシ
last updateLast Updated : 2026-05-17
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118話 視察開始

EMSO日本支局。そのビルは大きく、敷地内に入っても、車での移動が必要な程にその敷地も大きい。研究施設も併設している関係で、セキュリティーもしっかりしている。正面の門から車で入り、正面玄関へ車が停まる。既に正面玄関には何人ものスーツ姿の男性や女性が立ち並んでいる。遼大と私が車から降りると、日本支局の支局長である南野義男氏が私たち二人を迎えてくれる。この南野氏は研究畑の人間で、支局長ではあるものの、実際はこの日本支局を牛耳っているのは件の千堂彰だ。南野氏の後ろに大きくふんぞり返って、私たちをまるで見下すように見ている人物、それが千堂彰だった。(写真で見るよりも小柄なのね)私は加山良江のカメラロールや愛沢くるみのカメラロールに、あられもない姿で写っていた千堂彰を知っているからか、実物を見た所で、虚勢を張っているだけだという事くらいは手に取るように分かる。「高嶺遼大様、佐伯燈様、お待ちしておりました」南野氏が平身低頭でそう言って、私たちと握手を交わす。「急な申し入れですまないな」ミッドナイトブルーのスーツを着た遼大が威厳を込めて、威圧的にそう言う。遼大はその場に居る全員に宣言するように言う。「自己紹介しよう。私はEMSO本部グローバル総括総監、最高執行責任者の高嶺だ」高らかに宣言するようにそう言う遼大には誇りが見えた。そして。目の前の彼らは日本支局の人間なのだ、どうあがいたって本部の私たちの方が立場は上。それなのに、南野氏の後ろに居る千堂彰の私たちを見る目はどう見ても私たちを見下している。「日本支局の倫理審査委員、委員長の千堂彰です」でっぷりと太った初老の男――千堂彰がそう言う。遼大はその身長を生かし、まさしく千堂彰を見下ろして言う。「あぁ、君の事は以前から、噂は聞き及んでいる」遼大にそう言われた千堂彰はその表情を硬くする。こう見ると遼大はEMSOの正当な後継者であり、創設者一族の血筋を感じさせる程の圧倒的な存在感があった。そして。千堂彰は遼大と握手を交わした後、私には見向きもしなかった。それを見逃さなかったのは遼大だ。「千堂さん」遼大が声を掛ける。千堂彰が振り向く。「彼女にもきちんと挨拶をして欲しいね。彼女はEMSO(アイゼンバーグ医療戦略機構)の特殊医療戦略局、副局長であり、主席臨床顧問という公的な立場がある」そう言って遼
last updateLast Updated : 2026-05-18
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119話 警告音

どうして支局長の南野氏では無く、倫理審査委員長の千堂彰が案内するのか。誰もがきっとそう思っているに違いないのに、誰もそれを言い出せないくらいには、千堂彰のここでの力が強いのだろう。通常、視察はメインのフロアやメインで使っている研究ラボなどを巡回して、成果物の確認や現場の研究員たちに直接話を聞くとかで終わる場合が多い。要は表面上、上手くいってますを見せられて帰るだけという様式美がそこには存在する。遼大は研究施設に入る前に、ジェラルミンケースからタブレットを取り出し、それを見ながら歩いている。そして当初の予定通り、視察は進み、メインラボへの視察が終わった時、それは起こった。ビーーー!ビーーー!急に鳴り響く警告音。誰もが周囲を見回し、その警告音がどこで鳴っているのかを確認しようとしている。「何の音だ!」千堂彰が怒ったように言う。その表情を見て私はピンと来た。(これはもしかして……)遼大もきっと同じ事を考えていただろう。私と遼大は顔を見合わせて頷き合う。「すみません、どこかで誤って警告音が鳴ってしまっているようです」千堂彰が取り繕うようにそう言う。「早くこの誤作動した警告音を切れ!!」千堂彰が焦ったようにそう言う。「千堂さん」遼大が千堂彰を見て言う。「ここは研究ラボです。こんな警告音が鳴るとしたら、それは大惨事が起こっている可能性も視野に入れなくてはいけないのでは?」遼大にそう言われて千堂彰は慌てている。遼大はフロアに居る全員に対し、大きな声で言う。「皆さん、とりあえず原因が分かるまでは建物の外へ退避してください」本部の、それも最高執行責任者がそう言うのだ。誰もそれには逆らえない。たとえこの日本支局が千堂彰に牛耳られているとしても、それは最高執行責任者の前では無力も同然だった。「いや、そこまでしなくても大丈夫ですよ」薄っすらと額に汗をかきながら千堂彰がそう言う。遼大はそんな千堂彰に言う。「大切な研究員たちに何かがあってからでは遅いんですよ」そう言って遼大が更に言う。「支局長! 皆さんを退避させて!」その言葉に弾かれたように南野氏がメインラボの中に居る研究員たちを誘導し始める。「システム部へ行くぞ」遼大が私にそう言う。そう言われて頷き、遼大と共にメインラボを出る。「待ってください! 勝手にシステム部などに行かれては困りま
last updateLast Updated : 2026-05-19
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120話 隔離

「分かりました、ご案内します」急に後ろでそういう声がして振り向けば、そこには千堂彰が諦めた様子で立っている。「こちらへどうぞ」千堂彰の案内で地下へ向かうエレベーターに乗り、地下へと到着する。体感では地下数階分、下という感覚だった。(どれくらい下なのかしら……?)そう思いながらコンクリートの打ちっぱなしの地下の廊下を歩く。地上階よりも薄暗く、不気味な感じだ。「こちらへ」千堂彰がそう言って赤く光る警告灯の下へ私たちを誘導する。大きな扉の前で、千堂彰がその大きな扉の横に付いているパネルを操作する。不気味な音を立てて、扉が開く。「中へ」千堂彰にそう言われて中に入る。中は ――何も無かった。コンクリートの打ちっぱなしの壁があるだけで、窓も無い、ただの空間。ハッとしたした時には遅かった。振り返った私と遼大はその大きな扉が閉まるのを見た。扉の向こうで千堂彰が笑って言う。「二人だけで来るなんて、飛んで火にいる夏の虫だよ」扉は中から開けられないようになっていて、部屋の中には何も無い。「このままお二人にはこの部屋で朽ちて貰いましょうかね」くぐもった声が聞こえる。「あぁ、そうだ。新しい薬品の実験体になって貰うのも悪くない」部屋を見回す。換気ダクトはあるけれど、この部屋へ直接、何かの薬品を散布するとかの装置は付いていないように見える。コントロールパネルや、ケーブル類なんかも見当たらない。「やられたわね」私がそう言って遼大を見ると、遼大は微笑んでいた。「結構、大いに結構だ」余裕しゃくしゃくな様子でそう言う遼大に私は聞く。「何か、策があるのね?」そう聞くと遼大は満面の笑みで言う。「俺が対策を怠ると思うかい?」◇◇◇忌々しい二人組。端から俺を見下し、この支局の中の事を全て見抜いているかのような視線。本当に忌々しい。けれどその二人は、二人だけでしか来ていない。視察ともなれば、通常は何人もの人間が列をなして、行列を作り歩くものだ。それなのに、この二人は二人きりでこの支局へ入った。警告音が鳴ったのには驚いたが、素直に案内すると言った私の言葉に誘われて、二人はこの地下階に足を踏み込み、私によって隔離された。この地下階には私しか入れない。そうプログラム済みだ。今頃、コンクリートの部屋の中で絶望を味わっているだろう。人は飲まず食わずで
last updateLast Updated : 2026-05-20
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