All Chapters of 跪くのはあなたです 流産の夜、私を選ばなかった夫は五年後、後悔する: Chapter 231 - Chapter 240

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231話 潜入

混乱の最中、俺は確実に見た。燈が背を押し出され、前に飛び出したその時、燈を押したその手の主を。愛沢くるみだった。愛沢くるみがその場にいたのは偶然だろう。俺に会いに来ていたのだから、その後、院内を歩いていても何の不思議も無い。おそらくは俺に話を聞いてもらえなかった事で、俺の周囲を探ろうとでもしていたのだろう。もしかしたら俺の個人オフィスに入り込もうとしていたのかもしれない。押された燈を庇ったのは高嶺さんだった。俺も手を伸ばそうとしたけれど、目の前の看護師が俺の方へ押し出されたのを見て、思わずその看護師を受け止めたのだ。俺の隣で警備員が刃物を持った新見悟を捕らえようと動き出していた。全てがあっという間の出来事だった。燈に縫合の処置を受けている高嶺さんを見て、俺は安堵した。燈が自ら縫合するなら大丈夫だ。俺は目の前の新見悟を見下ろし、嫌悪した。そしてこうも思ったのだ。俺ももしかしたら、こうなっていたのかもしれない、と。五年前、俺は確実に燈を嫌悪していた。それは愛沢くるみによる印象操作だったとしても、だ。「警察に引き渡せ」俺はそう言い捨てて、高嶺さんの元へ行く。「大丈夫ですか?」そう聞くと高嶺さんはその腕に燈を抱き寄せながら微笑む。「あぁ、問題無い」燈は高嶺さんの胸に顔を埋めて泣いているようだった。その様子を見て俺は微笑み、そしてその場のカーテンを引き、二人を周囲から隔絶する。俺は俺でやれる事をやる。今回のレベル4の騒ぎを納めなければならないのと。愛沢くるみを追わなければ。◇◇◇「レベル4!?」俺はそれを聞いて、思わず大きな声が出てしまった。「それで、高嶺さんと佐伯顧問は?」俺がそう聞くと高嶺さんの部下が言う。「総帥が怪我を」そう言われて俺はその場にいた全員に言う。「悪いが、外す」そう言ってEMSOの分析室を出る。佐伯顧問が分析してくれていたレプリトールディザスターの構造式を皆に説明していたところだったのだ。この分析結果を元に、レプリトールディザスターの中和を進めるつもりだった。「賀神さん!」声を掛けられ、振り向くと真壁早妃が走って来る。「高嶺さんは?」そう聞かれて俺は言う。「それを今から確認しに行く」真壁早妃もその顔に焦りを見せている。おそらくは高嶺が怪我をしたと耳にしたんだろう。「君も高嶺の様子が気にな
last updateLast Updated : 2026-08-23
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232話 嘘と工作と駆け引き

私は一瞬、あっけに取られていたけれど、すぐに背を伸ばし、言う。「あの、違うの……湊さん、最近、全然会ってくれなくなっちゃって……それで、少しでも湊さんを感じたくて……」目の前のPCは無情にもパスワードが違いますというメッセージの入った画面のままだ。これを見られたら私が湊のPCを無断で覗こうとしたことがバレてしまう。静かにそっとPCに手を伸ばし、モニターの電源を切る。湊は私を見て、冷たい視線を送って来る。(本当にどうしちゃったと言うのよ)それまでの湊なら私が湊に許可を得ず、勝手にオフィスに入って来ても、笑顔で迎えてくれたのに。「前にも言った筈だ。ここはくるみ、君が好き勝手に歩いて良い場所じゃないと」湊が冷たくそう言い放つ。確かに以前、湊には聖カトリーナを好き勝手に歩くなと言われた。もう好き勝手歩ける場所じゃないと、そう言われたのだ。「ごめんなさい……」しおらしくそう言い、私は椅子から立ち上がる。湊は入り口で仁王立ちになり、腕を組んでいる。「それで? どうしてここへ?」そう聞かれて私は湊を上目遣いで見て言う。「会議に行かなくちゃいけないって言われて、それで、少しでも湊さんの事を知りたくて……だって最近、湊さん、全然会ってくれないから……」そう言うと湊は表情一つ変えずに言う。「忙しいんだと言った筈だ。俺は聖カトリーナの理事で、脳外の専門医で、抱えている患者だって多いんだ」そう言われてしまうと反論の余地が無い。だって私は医者の仕事なんてこれっぽっちも分からないのだから。◇◇◇目の前の愛沢くるみを観察する。どうすべきか、さっきの現場に居た事を確認するべきか?それとも何も知らない素振りでこの場に留め置くべきか。愛沢くるみのその手が静かに動いた。PCのモニターの電源を切ったようだ。つまり、俺のPCを覗こうとしていた、という事だろう。パスワードの変更をしておいて良かった。万が一にも、PCを覗かれる事の無いように、パスワードの変更は実は随分前にしてあった。以前の俺なら愛沢くるみが勝手に俺のオフィスに入って来ても、気にも留めなかっただろう。むしろ俺に会いに来てくれた事を嬉しく感じていたのだ。その当時はPCなど覗かれても愛沢くるみは内容を理解は出来なかっただろうし、そんな事しか院内のPCには入っていなかったが。今は違う。今はそのPCで加
last updateLast Updated : 2026-08-24
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233話 借用書

「これって湊が私たちに音声を聞かせているって事よね?」そう聞くと遼大が自分のスマホを見ながら言う。「前に湊くんに渡してあった、ペン型の通信装置からだな」そう言えば前に愛沢くるみが久遠家の屋敷に何の前触れもなく来た事があって、その時に遼大が湊に何かあった時の為に、と湊にペン型の通信装置を渡してあったのを思い出した。『あぁ、その件か』湊の声がそう言う。湊の息遣いまで聞こえて来そうな程、高性能のマイクが音声を拾っている。『ついさっき、ERで起きた騒ぎを知っているだろう? あれを収めなければならない。主犯の男は警察に引き渡すとしても、原因の究明はしないといけないからな』湊が努めて冷静にそう言うのが聞こえる。『だから今は、悪いが空いている時間が無いんだよ』そう言われた愛沢くるみは何と返すんだろうか、そう思っていると、愛沢くるみの声が聞こえて来る。『でも私の方もそんなに時間の猶予は無いの』まぁ、愛沢くるみからしたら、波多野優斗を人質に取られている状況で、お金を渡さないと警察に行くとまで言われているのだから、確かに時間の猶予は無い気がしているだろう。愛沢くるみを脅している新田豊は波多野優斗と一緒に今、聖カトリーナに居て、治療を受けているだなんて思いもしないだろう。いや、新田豊が搬送された事を分かっているのだから、愛沢くるみが冷静なら、湊に会いに来るのでは無く、まさしく新田豊が何故、搬送されたのかを調べるべきだったのだ。(お金が欲しいの? それとも自由?)今の愛沢くるみの状況は思わしくは無い。森崎家の当主であり、遼大の実父である森崎健太郎はおそらく愛沢くるみに資金を渡していない。今までは森崎家夫人である望美さんを味方に付けていたから、森崎家の財産をある程度は動かせただろうけれど、今はそうじゃないだろう。そうだとしたら今の愛沢くるみの資金の出どころは、自分自身という事になる。今まで自分の身で稼いで来た資金がどこまで愛沢くるみに残っているかは分からないけれど、あの愛沢くるみの事だ、それ程、多くは無いだろう。パトロンだった千堂彰を失い、レーザー治療のせいでサロン・ド・オーキッドへ行く事も出来ず、八方塞がりの状況の中、やはり縋ったのは湊だった。(それはそうよね、厚顔無恥にも私にお金の無心をしに来たくらいだもの)大きな溜息が聞こえて来る。湊がついた溜息だ
last updateLast Updated : 2026-08-25
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234話 友人

「高嶺!」そう言ってERに駆け込んで来たのは賀神さんだった。「賀神」遼大はそう言って、立ち上がる。遼大の腕を見て、賀神さんは痛そうに顔を歪める。「怪我をしたと聞いたが……」そう言って遼大の腕に巻かれている包帯を見る。「あぁ、問題無い。大丈夫だ」そう言って遼大が笑う。「一体、何でこんな事に」賀神さんがそう聞く。遼大は私を見て微笑み、そして言う。「全ては燈が優秀で有能だから、だな」そう言われて私は苦笑する。「聖カトリーナで今、ER部長をやっている新見悟が、自身の罪を暴かれた事で血迷ったのよ」私がそう説明すると、賀神さんが苦笑する。「それで刃傷沙汰か」賀神さんは遼大に聞く。「大丈夫なのか?」心配そうにそう聞く賀神さんは、本当に遼大とは良い関係なのだなと思う。「あぁ、燈がすぐに縫合してくれたからな。言うほど、血も流れていない」処置の為に切ったシャツが痛々しい。「とにかく一度、着替えに戻らないと」遼大がそう言う。賀神さんが来ていたスーツのジャケットを脱いで、遼大の肩に掛ける。「あぁ、悪いな」遼大がそう言うと賀神さんが笑う。「気にするな」そんな二人のやり取りを見ていると、本当に二人の信頼関係が良く分かる。◇◇◇ERを出ると、少し離れた場所に愛沢くるみが立っていた。愛沢くるみは私たち三人を見ると、すぐさま駆け寄って来る。(面倒な事になりそうね)私はそう思いながら遼大を見る。遼大も私を見て苦笑する。「燈ちゃん! 高嶺さん!」そう言いながら駆け寄って来た愛沢くるみは、私を見て、次に怪我をしている遼大を見る。「大丈夫?」あの騒ぎの最中に、愛沢くるみが居なかったとは思えない。白々しくそう聞く愛沢くるみに私は無表情で言う。「悪いけれど、あなたに構っている暇は無いの」そう言うと愛沢くるみは見事にウルウルと瞳を潤ませる。「心配で待っていたのに……」待たれる理由が無かった。私たちと愛沢くるみは友人同士でも何でも無いのだから。「失礼、あなたは?」賀神さんが私たちの間に割って入る。賀神さんを見た瞬間、愛沢くるみの何かのスイッチが作動したのが分かった。賀神さんを見て、愛沢くるみの何らかのセンサーが動いたのだろう。その瞳はパッと輝きを増す。「あの、私は燈ちゃんの友人の愛沢くるみです」傲慢にもそう自己紹介をする愛沢くるみに
last updateLast Updated : 2026-08-26
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235話 八重樫一晟

セキュリティー棟を出て歩きながら、考える。これで愛沢くるみの悪意が初めて確固たるものとなって、俺の目の前に現れた。今までは実際の実行犯は他に居て、愛沢くるみが実際に直接手を下す、なんて事は無かったのだ。それが今回、愛沢くるみ本人が悪意を持って燈の背を押したという映像を手に入れる事が出来た。これは大きな成果だろう。聖カトリーナの病棟の方へ戻ると、視界に見慣れた三人組が入って来る。高嶺さんと燈と賀神さんだ……そう思った時、もう一人、居る事に気付く。愛沢くるみだ。(燈たちに話しかけている……?)そう思いながら俺はその光景を見ていた。愛沢くるみと高嶺さん、燈の間に、遮るように賀神さんが立ち、愛沢くるみに背を向けて、俺の居る聖カトリーナの入り口の方へ促している。(一体、愛沢くるみは何が目的なんだ?)燈の背中を押して、刃の方へ押し出したくせに、その事をしらばっくれて、俺に嘘をついた女。更に俺のオフィスに勝手に入り込み、何か探るような素振りを見せ、金の無心までも図々しくしようとした……こうして改めて見直すと、今まで俺はどれだけ曇った目で愛沢くるみを見ていたんだろうかと思う。どうせどこにも逃げる場所なんて無い。愛沢くるみの最大のパトロンであった千堂彰は当局に拘束されているし、チマチマと金を巻き上げていた実弟の波多野優斗は新田豊によって助け出され、俺たちの側へ来ている。俺自身は愛沢くるみの財布にはならないし、森崎家は愛沢くるみから距離を取っている状況だ。つまり、誰も愛沢くるみの味方は居ない事になる。包囲網が愛沢くるみを追い詰めている、その手応えがあった ―― その時までは。◇◇◇賀神さんに促されるように私と遼大が歩き出す。愛沢くるみはそんな私たちを恨めしそうな目で見ている。この状況で、以前のように可憐な自分を装っても、誰も相手にしない事は愛沢くるみも分かっているのか、ただただ私たちを見ているだけだった。(スマートな引導の渡し方をするのね)私は賀神さんを見てそう思う。歩き出した時、不意に遼大のスマホが鳴る。遼大がスマホを取り出し、画面を私に見せる。「乙藤のお爺様からだ」そう言って遼大が電話に出る。そう言えば乙藤のお爺様が本宮啓二を足止めしてくれているんだっけ、そんなふうに思っていた私は遼大の話し声を聞いて、少し戸惑った。遼大の声のトーンが低い。「
last updateLast Updated : 2026-08-27
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236話 不敵な笑み

八重樫一晟は冷ややかな笑みを浮かべて私たちを見ると言う。「これはこれは。高嶺総帥。そんなラフな格好でいらっしゃったので、気付きませんでしたよ」確かに今の遼大は洗いざらしのシャツの上に、賀神さんが掛けてくれたジャケットを羽織っている。多少ちぐはぐな印象はしても、言うほど、おかしな格好では無い。八重樫一晟は不敵な笑みを浮かべたまま、不意に後ろを振り返る。リムジンに乗っていたのは八重樫一晟だけでは無かった。続いて降りて来た人物はおかしな格好をしていた。真っ白な白衣を着ている。髪は驚くほどに白く、それなのに顔は若々しい。「千堂弘……」遼大がそう呟くのが聞こえた。「千堂? あの、千堂?」私はそう遼大に問いながらも、白髪の青年に目を向ける。どう見てもまだ若い。それなのに白髪……その奇抜な容姿が目を引く。「千堂彰の異母弟だ。義理の兄の千堂彰が当局に拘束され、千堂家を実質的に支配しているのがあの男だ」遼大が小さな声でそう言う。千堂彰に異母弟が居たなんて。千堂弘はその無表情で八重樫一晟に聞く。「検体は?」(検体? 一体、何の話をしているの?)八重樫一晟は肩をすくめて千堂弘に言う。「本当に君という男は……」ほとんど呆れたようにそう言い、聖カトリーナの中を指差す。「まだ中に居る」それを聞き、歩き出そうとする千堂弘を制し、八重樫一晟が言う。「まだだ」そう言って八重樫一晟が私たちを見る。「高嶺総帥、私たちはこれで失礼しますね」そう言って一歩踏み出し、思い出したように言う。「あぁ、そうだ」そう言って私たちを振り返り、不敵に笑う。「腕の傷、お大事に」そう言って歩き出して行ってしまう。「高嶺」賀神さんが遼大に声を掛ける。遼大は歩き去って行く八重樫一晟を見ながら言う。「あぁ、分かっている。だが引き留める理由が無い」そう言って遼大は八重樫一晟の後姿を睨みつける。「とりあえず、一旦、ホテルに戻ろう」遼大はそう言って、湊を見る。「湊くんは聖カトリーナに留まってくれるか?」そう言って遼大が耳を指差す。「事情はリアルタイムで聞けるよう、イヤフォンを」湊が頷き、聖カトリーナに入って行った八重樫一晟と千堂弘を見ながら言う。「分かりました、俺もあの二人が聖カトリーナに来て何を仕出かすのか、ちゃんとこの目で見ておきたいですね。聖カトリー
last updateLast Updated : 2026-08-27
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237話 偽りの誘惑

八重樫一晟と千堂弘の後を追う。二人を追いかけて、追いつく。「お待ちください」そう俺が声を掛けると八重樫一晟がチラッと俺を見て、言う。「君が佐伯燈顧問の元夫か」そう言われて面食らう。そんな話を持ち出されるとは思っていなかった。八重樫一晟は俺に微塵も興味が無いのか、前をスタスタと歩く千堂弘に向かって言う。「千堂、待て」千堂弘は振り向く事無く、スタスタと歩き、一人の人物の前で足を止めた。千堂弘の前に立っていたのは愛沢くるみだった。愛沢くるみは目の前に急に知らない人間が立った事で戸惑っている。「あなた、誰?」そう聞きながら、自分の前に立つ白髪の男を追う形だった俺を見る。「湊さん、この人、誰なの?」愛沢くるみがそう言った瞬間、千堂弘は無造作に彼女の腕を強く掴み、力任せに自分の方へ引き寄せると、一切の感情を宿さないガラスのような瞳で、彼女の顔を至近距離からまじまじと覗き込んだ。その一切の遠慮のない不気味な手つきに、周囲の空気が凍りつく。その突然の行動と、その行動の異様さが目立つ。「千堂、手を出すな。彼女は大事な客人だ」八重樫一晟がそう言う。「客人……?」そう呟いて俺はそれが詭弁だと思った。さっき、正面玄関で千堂弘は八重樫一晟に“検体は?”と聞いたのだ。つまりは今、その千堂弘が腕を掴んでいるのが千堂弘の言う“検体”なのだろう。客人という言葉を聞いた愛沢くるみが目を輝かせる。その反応を見て、俺はこれが目的だったのだと悟る。今、愛沢くるみには味方が居ない状況だ。そんな状況の中、自分の事を客人と呼ぶ高級スーツを着た男が現れたら、愛沢くるみは間違いなく飛び付くだろう。「手を離せ、千堂」八重樫一晟はそう言って、愛沢くるみの腕を掴んでいる千堂弘の手を掴む。千堂弘はジロジロと愛沢くるみの顔を見て、そして手をパッと放した。すかさずその合間に体を滑り込ませた八重樫一晟は愛沢くるみに微笑み、言う。「あなたが愛沢さんですね」俺たちに向けたあの冷ややかな笑みでは無く、まさしく営業スマイルで愛沢くるみにそう言い、そしてさらに言う。「僕は八重樫一晟と申します。こっちに居るのが僕の友人の千堂弘。僕たちはあなたをお迎えに伺ったんです」愛沢くるみはそう言われて、嬉しそうに顔をほころばせる。八重樫一晟はそのまま愛沢くるみの手を掬い上げると、その手の甲に口付けた。
last updateLast Updated : 2026-08-28
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238話 誤算

着替えを終えた私と遼大が賀神さんの前に戻って来た時には、その部屋には加山良江も来ていた。「来ていたのね」私がそう言うと、加山良江は微笑んで言う。「湊様がすぐにホテルの部屋に行くようにと、そう仰いましたので」そう言われて私は遼大と顔を見合わせる。何かあったのかもしれない。私たちは部屋のソファーにそれぞれが座り、状況の整理をすべく顔を合わせた。「まず、八重樫一晟だが」遼大がそう口火を切る。「彼はEMSOの監査統括理事長だ。俺を蹴落とそうとしている反高嶺派の筆頭である本宮啓二の上司にあたる人物で、政財界や医療関係の大物とも太いパイプのある人物だ」遼大がそう言ったのを加山良江がPCに打ち込んでいく。「そして、一番、重要なのは」遼大がそう言って私を見る。「俺と燈、そして八重樫一晟には因縁がある」遼大がそこまで言った時、部屋のチャイムが鳴る。顔を見合わせた私たちの中で賀神さんが立ち上がる。「私が出ます」そう言って部屋の扉を開けに賀神さんが向かう。「因縁、ですか」加山良江がそう呟く。「あぁ、そうなんだ。燈が五年前にEMSOに来た時に、ちょっとした意見のぶつかりがあってね」遼大はそう言いながら苦笑する。あれはちょっとした意見のぶつかり、なんていうものでは無かった。私がEMSOに入る事に反対した八重樫一晟を、遼大が責任者という立場を使って黙らせた形になってしまったのだ。もちろん、その後、私はEMSOに貢献をし、決断を強行した遼大の面目を保った訳だけれど、その時にぶつかった八重樫一晟には先見の明が無いと判断される材料になってしまったのだ。そこから八重樫一晟が勢力を巻き返すのは相当、努力が必要だっただろう。「燈! 高嶺さん!」駆け込んで来たのは湊だった。「湊くん、どうした?」遼大がそう聞くと、湊が言う。「愛沢くるみが八重樫一晟に連れて行かれました」その場にいた全員が息を飲んだ。あの時、千堂弘が言った“検体”とは、愛沢くるみの事だったのだろうか。湊は急いで来たのだろう、息を切らしている。「愛沢くるみの事を良く分かっているような口ぶりでしたよ、愛沢くるみを客人と呼び、その手の甲にキスまでしたんです」湊にそう言われて、驚く。「手の甲にキス!?」私が思わず聞き返すと湊が私を見て頷く。「あぁ、そうなんだ。そうやって扱われる
last updateLast Updated : 2026-08-28
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239話 確保

私の目の前でリムジンのドアが閉められ、私はミニバンに乗るしか無くなってしまった。ミニバン乗ると扉が閉められ、車が走り出す。「どこへ行くんです?」不安になってそう聞くと運転手が言う。「こことは別のホテルへ向かいます」そう言われて私は走り出した車窓から外を見ながら呟く。「こことは別のホテル……」急に不安に駆られる。相手が誰かもちゃんとは分からない状態で、付いていくという判断は軽率だったかもしれないと思えて来る。私は慌てて自分のバッグからスマホを取り出し、検索を掛ける。◇◇◇「愛沢くるみの端末から動きがありました」加山良江がそう言う。「何が動いた?」湊がそう聞くと加山良江が言う。「八重樫一晟について、調べているようです」愛沢くるみのスマホにバックドアを設けてあるお陰で、愛沢くるみの検索履歴や、その内容までもが筒抜けである今の状況は、何よりも有り難かった。「八重樫一晟については、検索してもそれ程、怪しい情報は出て来ないからな」遼大がそう言う。それはそうだろう。「愛沢くるみがどこまで深く検索を掛けるかってところですね」賀神さんがそう言う。湊の話では愛沢くるみは自分を客人扱いしてくれた、良く知りもしない八重樫一晟にホイホイとついて行ったのだから、そこは望めないだろう。遼大が深く溜息をつき、言う。「やはり八重樫一晟に会いに行かなくてはいけないな」私はそう言う遼大に言う。「でも私たちが八重樫一晟に会いに行ったところで、自分の魂胆を開示してくれるなんて事、起こり得ないと思うの」そう言うと遼大が少し笑う。「そこはお互い様なんじゃないかな、互いに腹の探り合いを言葉のチョイスや声のトーンからやるしかない」その時だった。遼大のスマホが鳴る。その場にいた全員が顔を見合わせる。遼大はスマホを取り出し、画面に表示されている名前を全員に見せる。八重樫一晟全員が息を飲み、そして息を潜める。遼大はテーブルの上にスマホを置き、スピーカーボタンを押し、通話を開始する。「もしもし」遼大がそう言うと電話の向こうで八重樫一晟が言う。『高嶺総帥、八重樫です』移動中なのだろうか、声が弾んでいる。「八重樫理事長、何の御用かな」遼大がそう言うと、電話の向こうで八重樫一晟が言う。『もう既にお聞き及びだとは思いますが、愛沢くるみをこちらで確保させ
last updateLast Updated : 2026-08-29
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240話 備え

私がEMSOで頭角を現すようになってから、目の上のたんこぶのように感じていた高嶺遼大。EMSO創設者一族の期待を一身に受け、更にその期待に応え続けている男でもある。本当に腹立たしい。私自身が言うなればたたき上げなのに対し、高嶺遼大はエリートの天才肌。そしてその高嶺遼大に花を添えているのが今、まさしく高嶺遼大が一番大事にしている佐伯燈だ。佐伯燈がEMSOに入局するにあたり、私は徹底的に佐伯燈について調べ上げた。大した実力も無く、実績も無いような人間がコネで入れるほど、EMSOは甘くは無いからだ。調査によれば、聖カトリーナでERを実質的に取り仕切ってはいたが、特筆する程の実績がある訳じゃ無かった。そして何よりも。聖カトリーナで脳外科医のスーパーエリートとして名を馳せていた久遠湊と離婚した、と書かれていて、私はそれを懸念事項と捉えた。メンタル面がズタズタであっては、仕事にならないだろうと判断した。佐伯燈は離婚前に流産まで経験している。それはメンタル面が崩れ去っていてもおかしくない状況だったのだ。そしてその時期のEMSOはそんな危険分子を入局させるほど、余裕など無いと思っていたのだ。けれど、結局、それは私の杞憂で終わってしまった。入局して来た佐伯燈は最初こそ、高嶺遼大に守られて、仕事も休みがちだった。だが、徐々に復調し、そしてバリバリと仕事をこなすようになり、新薬の開発や世界中を股に掛けた活躍をし始めた。何よりも。佐伯燈は近年稀に見る天才医師だった。それを高嶺遼大が見抜いていたか? と問われれば、そうじゃ無かった可能性もあると思っている。が、この世界は結果がすべてだ。医師として難易度の高い手術をいくつもこなし、その度に論文を書き上げ、その実力と手腕で周囲を黙らせて行く佐伯燈と、そんな彼女を支え、守り、公私共にサポートしている高嶺遼大の相性が良かったのだろうと思うが、それは結果論だ。だから私は血の滲むような努力を強いられた。幸運にも私には交渉力があり、八重樫という固い地盤もあって、高尚な意志を持つ高嶺遼大とは一線を画す存在にはなれた。だが、それだけじゃ足りない。私を見下し、私の意見を聞かず、私に歯向かい、そして私を窮地に陥れた高嶺遼大には地の底、奈落に落ちて貰わなければならない。EMSOという世界的な組織を率いる創設者一族が、最高責任者の椅
last updateLast Updated : 2026-08-29
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