Todos os capítulos de 僕は僕が欲しいものなんて知らない 聖北学院大学演劇研究会 続編: Capítulo 121 - Capítulo 130

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第百十九話

百十九 ナベは大学三年生になった。大学卒業までに必要な単位はだいたい二年までで取り終えている。四年の必修科目である卒業論文も、三年で所属を決めて本格的に動き出すゼミも、いずれも比重は四年にかかってくる。そのぶん三年で必要な授業は、一・二年でナベが選んでいた量の半分ほどで済んでいた。「え、うそ。そんな楽なの?」 履修登録をしているとガジンが驚いていた。「うん。去年までがんばってとってたからね」「うらやましすぎる」「そのぶん、ガジンは去年芝居に関わってたじゃん。三回とも役者もやって、心理学実験もパスしたとかすごすぎだと思うけど」 今年の一月にも本公演が行われており、ガジンはそれに参加していた。ナベはその公演にはスタッフとしても参加せず、本番だけ少し手伝っただけだった。前の部長のケンが脚本演出をした公演で、とてもおもしろい内容だったので参加できなかったことを悔しく感じていた。「そうなんだよぉ。めっちゃがんばった。きつかったー」 ガジンは机の上に突っ伏す。「何事もトレードオフの関係だからまあ、どっちを選ぶかだよねえ」 と言いつつナベは去年演劇から、というか裕子から距離をとっておきたかったので、ちょうどよい選択をしたと思っている。だが時間がたった今も裕子との距離は測りかねていた。「ガジン、どこのゼミにするかもう決めた?」「沖教授のゼミにしようかなー、とは思ってる」「え、なに。産業心理学とか興味あったの?」「それはそこそこなんだけど、あの人おもしろいじゃん」「あー、まあね。あの人の授業、授業って言うより漫談に近いよね」「ナベは?」「俺は認知心理学に興味あるから、本峰専任講師のゼミにするつもり」 認知心理学は、人間が外界の情報を「知覚」し、「記憶」し、「思考」し、「判断」するプロセスを、情報処理の観点から科学的に解明することを目的としている。ナベは人の意思決定の過程に興味があった。何かを決めるのが苦手だと感じていたからだ。「そうなんだ。本峰専任講師はなんか、真面目そうな感じだね」
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第百二十話

百二十 今年も新入部員が三人入ってきた。サークル紹介では新二年生が三人しかいないので、ナベたち新三年生も参加して勧誘を行った。新一年生はまた男子部員一名、女子部員二名が入部した。近藤翔太(こんどうしょうた)、小林彩子(こばやしあやこ)、原田美咲(はらだみさき)の三人だ。 とりあえず新入部員がいたことはよかったが、いまの三年四年に比べると部員数が少ない。メンバーが減るほど一人にかかる負担は大きくなるので、もう少し多めに入ってくれるとありがたいが、そううまくいかない。他の大学の演劇部では部員が足りなくて公演のたびに助っ人を募集しているところもあるとナベは聞いたことがあったので、部員だけで公演できる状況にあるのは恵まれているのかもしれない。 新部長には理恵が就任した。前年度の三月、卒業式のタイミングで新部長を決める会議を二年だけで開いた。裕子との距離感を掴みかねているナベは、自分の心臓の鼓動がやけに大きく聞こえることが気になっていた。「部長やりたい人ー」 ガジンが口火を切り、周りを見渡すが誰も手を上げない。ナベは人をまとめる自信がまるでなかったので、やる気はなかった。しばらく誰も手を上げない。辺りを漂う雰囲気にナベの指先が汗ばむのを感じる。「どうしよう。推薦?」 そうガジンが口にすると、理恵が手を上げた。「私が部長やります」 理恵の立候補に『お〜』と拍手が湧き起こる。ナベもほっとし、先ほどまで感じていた鼓動が小さくなった。「誰もやらないならやろっかなーって感じなんですけど、支えてくれたら嬉しいです」「なんかあったら相談してね」「何でも手伝うよ」 裕子とガジンが声援を送る。「俺にできることなら手伝うよ」 とナベも言い添えた。指先についた汗の名残が気になり、分厚い生地のズボンにこすりつける。部長は荷が重いが、大変さはなんとなく想像がつくので手伝いたい気持ちは本心だった。 四月に新入部員が入った後、次回公演の会議が開かれた。会議では発言しなければならないプレッシャーを感じるので、ナベは苦手だった。「次回公演なんで
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第百二十一話

百二十一「ちょっと!どういうこと?ちゃんと自分の意思を示してよ。なにやりたくて演劇研究会に入ったの?」 やはり裕子が喝を入れた。ナベの鼓動は反射的に速まる。と言っても顔は笑っているので冗談で喝を入れているように見える。気づかれないように呼吸を落ち着かせるが、腋から汗が流れ落ちる冷たさを感じた。ふいに近藤翔太が手を上げた。「お、いいよ一年。えーと近藤くんだっけ」 理恵が近藤を指名する。「あのですね、役者をやりたいとかやりたくないとか以前に、高校で演劇やってたわけじゃなくて、なんとなく楽しそうだなと思って入ったので、いまいち自分が何やるのかわかってないんですよ。だから一回、先輩方がやる公演を経験してみないことにはいきなり新人公演とかちょっとできる気がしないです」 ナベはなんとなく近藤に空気の読めなさを感じたが、重たい空気を破ってくれるありがたさの方が上回った。「おー……いいね、近藤くん。淀みなくすらすらしゃべるね。あ、意見はわかったよ。なるほどねー。そっか、イメージわかないか。初めてだもんね。んー。次の公演、新人を多めに出す?」 理恵は意見を募る。「いやー。新人公演って新人が企画から本番まで考えて動いて成長するのが目的だから、本公演で新人を多めに出しても新人公演の代わりにはならないと思うよ」「うん、たしかに」 裕子の意見にガジンが同意する。「他に意見ある人いる?」 理恵が確認するが、首を振る反応があっただけだった。ナベは会議の終わりを予感し、少しだけ気分が軽くなる。「じゃあ、本公演やるか新人公演やるか多数決とりまーす。新人公演がいい人ー」 誰も手を上げない。「本公演がいい人ー」 近藤の意見が一年の総意ではないだろうが、発言しないということは反対でもないのだろう、とナベは推測する。積極的に望まれていないのであれば、本公演で問題ないと判断して手を上げた。今度は全員が手を上げていた。それを確認して理恵は一つうなずく。「ということで、本公演やることになりました。時期
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第百二十二話

百二十二 二年から三年に進級し、ナベの大学生活は格段に楽になっている。必要単位数が半分ほどになったことに加え、必修授業が五コマ目に無かった。どうしても受けたい選択授業の中にも五コマ目のものがなかったので、授業は全て四コマ目までに終わるよう履修登録済だ。 残念ながら英語と第二外国語の中国語は一コマ目からあるが、一コマ目の授業も週二日だけだった。慢性的な寝不足も解消されるかもしれないとナベは期待したが、肩こりと頭の重さは今もまだ残ったままだ。 四コマ目の授業を終えたナベは予定通りに乗換駅の大通駅で下車し、大型の本屋へ寄った。古本屋ではないのでインクの匂いが漂っているわけではないが、ナベの鼻にその匂いが感じられたように錯覚する。ナベは本が大好きだったので、視界を埋め尽くす本棚に囲まれていると幸せな気分になる。いつも歩いている小説・漫画コーナーに体を引っ張られるような引力を感じたが、意志の力で体を引き離して演劇・シナリオコーナーに足を踏み入れた。 もともとナベでも知っていた有名な脚本家のシナリオが目立つところに並んでいたが、演劇研究会に入部してから知った劇団の戯曲も目についた。ベージュ色の背表紙で統一された本は、古い時代のもののようだった。気に入った戯曲集を購入するつもりだったので、心が惹かれるかどうか何冊か立ち読みしてみることにした。 戯曲の世界に引き込まれていたナベがふと腕時計を確認すると、二時間ほど経過していた。足に鈍いだるさを感じ、頭が熱くなっているのを自覚する。腹の減り具合にもいまさら気づいた。予想外に遅くなってしまったので、ナベは自宅に電話をかけた。文句を言われることは予想できたので少しだけ憂鬱な気分になったが、すでに慣れてしまっていた。「あ、もしもし。浩二だけど」「どうしたの?」「いま大通駅にいて、今から帰るよ」「あんた、もっと早く電話しなさいよ。ごはんもうできてるのに」 予想通り、母親に文句を言われる。悪いとは思っているが、素直に謝ることができない。「うん、ごめん。ちょっと集中してて気づくの遅れた」「まあわかったわ。暗いから気をつけるんだよ」「うん、じゃあ」
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第百二十三話

百二十三 それから何日か本屋に通い、ようやく気になる一冊を購入した。小説や漫画と比べると戯曲集は割高で、もう少しで二千円になろうかという金額だった。出費は痛かったが初めて買う種類の本なので納得して買うことができた。購入した本は戯曲賞を受賞した戯曲が集められたもので、十作品ほど掲載されていた。台本決めの日までまだ一週間以上あるので、一日一作品以上読めば充分間に合う。 ナベは本にかけられたビニールを剥がすと、真ん中くらいのページを開いて匂いを嗅いだ。本独特のインクの匂いがする。新刊でも古本でも、新たな本を買うと匂いを嗅いでしまう癖がナベにはあった。 ゼミについては、志望動機を書いた書類を提出し、希望した本峰ゼミに無事入ることができた。希望者が多い場合は選考となり、成績順で選ばれると聞いていたためナベは安心した。「えー、みなさん。認知心理学の授業をとっていた方はすでに私のことを知っていると思いますが……逆に、認知心理学の授業とってなかった方はいますか?」 初めての本峰ゼミの授業で本峰専任講師が挨拶を始め、ゼミ生の顔を見回した。本峰ゼミの学生は八人いたが、誰も手を上げない。ナベも当然授業を受けている。「ですよね。みなさん、認知心理学に興味あるからこのゼミを選んだんですよね」 本峰はホッとしたような表情をする。本峰は三十過ぎくらいでまだ若い。ナベの本峰に対する印象は真面目な研究者だった。「えー、三年のゼミでは来年の卒業論文のテーマ決定に向けていろんな論文や実験を知ることで自分の研究の方向性とか、興味がどこにあるかを確認するのが目的になります。いまの段階ですでに決まっている人もいるかもしれませんが、いろいろ知ることで、あ、やっぱりこっちの方が興味あるな、とか変わることもあるので興味を持って参加してもらえればと思います」 ナベはなんとなくの方向性は決まっていたが、これを研究してみたいという確かなものはなかったので、一年の猶予があるのはありがたいと感じた。 購入した戯曲集をナベは毎日読み進めている。何編か読んだがこれといってやりたいものは無かった。つまらない戯曲だというわけではない。大学生が
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第百二十四話

百二十四「はい、では台本決めの会議を始めます」 約束の期日になり、理恵の司会で会議が始まった。場所は部室だと少し狭いので多目的ホールを使っていた。久しぶりの変わらない景色にナベは懐かしさを感じた。「どうしようかな。じゃあ、じゃんけんして勝った人から時計回りで発表することにします」 じゃんけんした結果、ナベが勝ち残ってしまった。ふだんじゃんけんは弱いので驚いた。こんなところで運を使わなくていいのに、ともったいない気分になった。いちおうどんなふうに紹介するか考えてはいたが、一番最初になるとは思っていなかったので心の準備ができていない。手の感覚がふわふわしたままでかばんから戯曲集を取り出した。「お、ナベそんな本持ってたんだ」 ガジンが興味深げに本に注目する。高いお金を出したおかげで全体の約束を破ることにならずに良かったとナベは改めて思った。一人一つ自分がやりたい台本を持ってくるのが台本会議のお約束だ。戯曲集のずっしりとした感触はナベにすこしだけ愛着を抱かせていた。「そうそう、戯曲集なんて初めて買ったよ。えー、それじゃあ、さっそく俺の推薦する本を発表します。なんか戯曲賞とったやつらしいんですけど、話はですね、スパイが主人公の物語です。小国と大国っていう二つの国があって、大国は小国に戦争を仕掛けて占領しようとしてます。主人公は小国出身で国の機関から命令されて大国の官僚になります。十年以上ただその国の官僚として働いて、どんどん出世していって、最終的に大国の首相になります。そのころには大国のことが大切になり始めていて、自分がスパイでいるべきか悩むんですけど、首相として小国と平和条約を結ぶことでスパイとしての目的も果たすっていう話です。話自体もおもしろいんですけど、全体的にコメディがところどころにさしはさまれてるので、楽しい舞台になると思います。以上です」 話し終えると拍手が起こり、ナベは緊張を解く。頭が熱くなっているので、わりと集中していたことに気づいた。「この話が選ばれたら、ナベ演出する?」 理恵に質問され、ナベの脳裏にいままでの台本会議の記憶が蘇る。大体の場合、選ばれた本の担当者が演出もやると言っていた。だが、ナ
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第百二十五話

百二十五 順番に台本が発表されていき、投票に移る。それぞれがどの台本がいいかメモ紙に書いて理恵の持つ回収箱に入れていく。すぐに集計は終わった。また充実した日々が始まる予感にナベは胸が高鳴った。「はい、それじゃあ次回公演の演目を発表します。集計の結果、瞳ちゃんが推薦した『ブロークン・ギア』に決まりました〜」 会議のメンバーから拍手が起こる。ナベはブロークン・ギアに投票しなかったが、悪くないとは思っていたので不満はなかった。本公演が始まったことに体が反応し体温が熱くなる。 この戯曲はサクマドロップスという劇団の既成台本だ。舞台は現代だがタイムマシンと未来人が出てきて、捻じ曲げられた本来の人生を主人公が取り戻すために奔走する話だ。自分の欲しいもの、正しさに熱を入れて突き進むところにナベは惹かれていた。「えーと、じゃあ演出を決めて司会を交代したいと思います。瞳ちゃん、演出やる?」 理恵が瞳に確認する。瞳は発表の時、ナベと同じように誰もやらないならやると言っていた。もし瞳がやっぱりやらないと言ったら演出を決める必要が出てくる。そうなると三年のナベが選ばれる可能性は決して低くないので頭の後ろあたりがざわりとした。「うーん。誰かやりたい人いますか?」 瞳は前に出て他のメンバーの顔を見回すと、おずおずと一年の小林彩子が手を上げた。「え!?彩子ちゃん、いいの?」 瞳が期待のこもった目で見ると、彩子は頬をかいた。ナベも内心喜んだが、上級生としてふさわしい反応ではないかもしれないと反省する。「さすがに演出はちょっと力不足だと思うので、演出助手をやらせてもらえたらと思います。わたし、ブロークン・ギア東京まで観に行って、その時台本も買ったので好きな話なんです」「へー!そうなんだ、それはちょっと頼もしいな。うん、それなら私も一人で演出やるより心強い」 瞳は彩子を歓迎し、役割が決まる。ほう、と小さくナベは息を吐いたが、すこしばつが悪くなって無意識に左耳を触る。「それじゃあ、演出を瞳ちゃん、演出助手を彩子ちゃんお願いします。司会もバトンタッチします」 理恵はそ
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第百二十六話

百二十六「お待たせしました。それじゃあ、オーディションでやるシーンを発表します。メモの用意はいいですか?」 瞳が声をかけると部員たちは一斉にメモや携帯電話を取り出す。「はい。シーン1、2、3、5、8、9です。もう一回言いますよ。1、2、3、5、8、9ですよ。メモできてない人いないですか?」 全員メモできたようだった。その日は全員で台本をコピーし、公演参加希望者全員分の製本をした。それから一週間、ナベは自宅で台本を深夜まで読んだり、セリフの練習をしたりした。もちろん大学でも多目的ホールや空き教室を使っての稽古がすでに始まっていた。瞳と彩子が中心となり、基礎練と読み合わせ、台本を持ったまま動きをつける立ち読み稽古が行われた。瞳も彩子も演出は初めてだったので、その練習の意味もかねていた。 そしてオーディション当日を迎える。瞳と彩子は役者希望者全員に第三希望まで書かせていた。それをもとにオーディションの配役が割り振られる。「それでは、シーン1から始めます。主人公マシマタクヤをガジン、ライバルのニカイドウジンをナベ、婚約者のコザクラシノブを裕子ちゃん、歴史調停局員のリヒトをデカ、同じくマーサをもえちゃん、主人公の同僚サトウフトシを翔太でお願いします。すぐ始めるので準備お願いしまーす」 ナベは台本を持って立ち上がる。このオーディションでどの役になるのか決まるので、当然緊張しているが、役者としてのブランクもそれを助長させていた。すでに指先が汗で濡れている。台本が折れるほど強く握りしめ、舞台に上がる。「大丈夫ですかー?行きまーす、用意……」 瞳の手を叩く音でシーン1が始まる。台本を持ったガジンと翔太が舞台上に並んで立っている。それを舞台袖で息を整えながらナベは見ていた。「もったいぶんじゃねえよ、タクヤ」 台本を持った翔太がセリフをしゃべる。当たり前かもしれないがセリフをしゃべっているように聞こえ、生きた人間の話し方ではないように感じた。「まあ、待てって。そんな急かすなよ。ここまでこぎつけるのまで本当に長かったんだけど、じつはさ……」
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第百二十七話

百二十七「悪いフトシ、今日は早退する。会社には適当に言っといて」「は?おいタクヤ、なん……えぇー……」 走り去る音がナベの耳に届く。おそらくガジンがハケたのだろう。ナベと裕子が舞台に上がる。歩きながら息を吐いて一気に吸う。「シノブさん、そろそろランチの時間だね。少し早いけど、混み始める前に入っちゃおうよ」「うん、そうだね。あ、ここよさそう」 ナベは予想より大きな声を出せたことにほっとしつつ、裕子が普通に話しかけてきている状況に違和感を感じていた。もちろん裕子はナベではなくシノブとしてジンに話しかけていることはわかっている。もう一年以上経っているのにと思考が逸れかけ、オーディション中なのに集中しろ、と自分に喝を入れる。ナベと裕子が舞台上に置かれた椅子に腰掛けると、ガジンが舞台に戻ってきてつぶやく。「シノブ……」 ここからしばらくナベと裕子にセリフがなく、仲よさげに会話しているというト書きが台本に書かれている。ナベは口をパクパクさせながら裕子の顔を見て無理やり笑顔を浮かべるが、暑くもないのに体中から汗が噴き出してきたので早く進んでくれと願った。 デカともえも舞台に上がり、デカがガジンの肩に手を置く。「突然申し訳ありません。あなたの不安にお答えできる用意があります。とりあえず、わたしたちと一緒に来てもらえませんか?」「……は?そんなもの、他人にわかるわけないだろう」「リヒトさん、こいつ態度悪いですよ。協力なんかやめて私たちだけでやりましょうよー」 もえがガジンに悪態をつく。なかなかうまい演技をするな、とナベは感心した。デカの演技も悪くない。「マーサ。余計なことを言わないでください。……失礼しました。シノブさんとの関係で悩んでらっしゃるんですよね?記憶と違う、と」「なんで……」「ご説明しますので、一緒に来ていただけますね?——マシマタクヤさん」
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第百二十八話

百二十八 オーディションはシーン2に入っていた。「えー、次はタクヤをナベ、シノブをみさきちゃん、ジンをガジン、ジンの同僚役を翔太でお願いします」 さきほどまでジンの同僚役を演じていたナベは頭を切り替える。雑念を完全に取り払うことはできないが、ある程度集中できていた。頭は冷えている。「では行きまーす。用意……」 ぱん、と瞳が手を叩いてシーン2が始まる。舞台上にはタクヤ役のナベとシノブ役のみさきが立っている。「シノブ、会社の方はどうなの?世界を変える発明をしてるとか言ってたけど」「わたしは開発部じゃないから詳しいことは教えてもらえないっていうか、知ってても公表されるまで会社の外には言えないのよ」 みさきの演技もなかなかうまいとナベは感じる。ブランクがあるのでうかうかしていられないかもしれない。「うん、守秘義務があるよね。でも世界を変えるって、そんなすごい発明が日本で進んでるとはね」「そうなの。前に話してたニカイドウくんが話せる範囲で教えてくれるの。私たちと同じ大学だったんだけど、本当に覚えてない?」 セリフを覚えきるまでは台本を持ったままなので共演者の顔を見る機会が少ない。加えて左手の演技に制限を課す。その状況は自分の演技の質を落とすことが多いので、ナベはもどかしく感じた。「うーん、ニカイドウねえ。そんな大層な苗字だったら覚えてそうだけど。大学って人数多いからなあ。人の少ない授業とかゼミとかサークルが同じじゃないと知る機会がないよ」 このあたりの感覚はナベも共感できたのですんなりと話すことができた。大学生のあるあるなのかもしれない。「そうかもね」「……ええと、シノブ」「なあに?」 ナベは次のセリフを準備する。できることなら自信を持ってこんなセリフを言える人間になりたかった。「俺は世界を変えることはできないけど、シノブの人生を変えたい」 ナベは指輪を取り出すジェスチャーをする。けれどナベには自分が他人を幸せにできるなんて思わない
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