All Chapters of 元カレの宿敵の腕で幸せになります!: Chapter 191 - Chapter 200

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第191話

咲夜は、風一が自分に譲渡契約書を渡してくるなど想像もしなかった。風一は真剣な眼差しで咲夜を見つめる。「咲夜ちゃん、よく聞きなさい。当時、お前のおじいさんがいなければ、森崎グループに今日などなかった。これは、わしら森崎家が花江家に負っている恩なんだ。あの時、英樹に金を出させたのも、その恩を返すためだった。だが、お前のおじいさんが森崎家のためにしてくれたことと比べれば、あんな金額など足元にも及ばん。それなのに、あの馬鹿はわしに隠れて、その金を盾に花江家の株を5%も奪った挙げ句、あれほどの仕打ちまでしたんだ」最後のほうになると、風一の声はわずかに震えていた。本来、風一が英樹に命じたのは、無条件で花江家を支援することだった。なぜなら、かつて花江家が森崎家にしてくれたのも、まさにそういう助けだったからだ。当時、咲夜の祖父は手持ちの資金をすべて注ぎ込み、売れる骨董品は売り払い、さらには自らの名義で森崎グループの保証人にまでなった。そうして初めて、森崎グループは倒産の危機を乗り越えられたのだ。言い換えれば、咲夜の祖父がいなければ、森崎グループは風一が経営を引き継いだ翌年には他社に吸収され、景浦市の財界から姿を消していたはずだった。その恩を、風一は一日たりとも忘れたことがない。だからこそ、英樹にも晴南にも、決して忘れてはならないと言い聞かせてきた。それなのに、英樹がまさか自分の目を盗み、そんな恩を仇で返すような真似をしていたとは。風一は夢にも思わなかった。今日差し出したこの株式譲渡契約書は、その償いの一部に過ぎない。実際にはすでに、咲夜名義の基金設立にも着手していた。その基金はすべて咲夜のためだけに運営される予定だった。だが咲夜は何度も首を振る。「風一おじいさん、本当に無理です。こんなもの受け取れません。それに、祖父も生前言っていました。森崎グループが今の地位を築けたのは、風一おじいさんご自身にその力があったからだと。祖父はただ少し手を貸しただけだって。それに、その恩なら、この何年もの間に十分返していただいています」実のところ、咲夜は当時の事情を詳しく知っているわけではない。彼女が八歳か九歳の頃、祖父は病気でこの世を去った。その最期に雅紀に残した言葉はただ一つ。「昔のことを恩に着
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第192話

咲夜がどうしても受け取ろうとしないため、風一も最後には折れるしかなかった。彼は仕方なく譲渡契約書を脇に置く。そして咲夜を見つめながら、しみじみと口を開いた。「わしはな、お前と晴南は必ず結婚するものだと思っていたんだ。だから、この譲渡契約書もずっと前から用意していた。お前が森崎家に嫁いでくるその日に、直接手渡そうと思ってな。だが結局、縁があっても結ばれる運命ではなかった。せめて何か償いをしたかったんだが……それすら受け取ってもらえないとなると、わしの気持ちのやり場がないじゃないか」そう言うと、再び目元を赤くした。その言葉を聞きながら、咲夜の箸がわずかに止まる。――つまり、この譲渡契約書はずっと前から用意されていたものなのか。では、晴南の自分への想いは、一体どれほど本物だったのだろう。その瞬間、彼女はようやく理解した。なぜ英樹が、あのようなやり方で花江グループを少しずつ飲み込もうとしていたのかを。風一が自分を気に入っている以上、この株式譲渡の話を森崎家が知らないはずがない。森崎家は晴南と自分を結婚させたかった。そうすれば、風一が持つ株式はいずれ自分の手に渡る。それに英樹は、風一が生きているうちに花江グループを強引に飲み込むことはできない。確かに森崎グループの経営権は受け継いでいたが、風一には依然として大きな発言力が残されていた。咲夜が知る限り、森崎グループの重要案件において風一の意向を無視して物事を進めることはできない。だからもし晴南が自分と結婚し、甘い言葉で懐柔しながら、自発的に花江グループを森崎グループに統合させることができれば、風一に対しても筋が通る。英樹の計算は、実に巧妙だった。もし当時、咲夜が違和感を覚えず、森崎家の支援に別の思惑があることを調べていなければ、本当に英樹の思惑通りになっていたかもしれない。咲夜は風一を見つめた。「風一おじいさん、本当に受け取れません。お気持ちだけで十分です」英樹の思惑に気づいてしまった今、なおさら森崎グループの株を受け取るわけにはいかなかった。そこまで言われてしまえば、風一も彼女の意思を尊重するしかない。その後の食事中、咲夜はできる限り両家の話題を避けた。代わりに日常の何気ない出来事を話しながら、穏やかに会話を続ける。風一
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第193話

「瞳……」咲夜は、瞳が立て続けに五杯もの酒をあおるのを見て、思わず制止した。そんな飲み方をしていたら、すぐに酔い潰れてしまう。心配そうな咲夜の視線を受けた瞳は、泣き笑いのような痛々しい笑みを浮かべた。「大丈夫。ただ……琉安(るあ)っていうクソ野郎が結婚するだけだから」その言葉に、咲夜は目を見開いた。向井琉安(むかい るあ)が結婚するの?今日の瞳の機嫌が最悪だった理由が、ようやく分かった。琉安――瞳の初恋の恋人。正確には、元恋人だ。当時、瞳は家族の反対を押し切り、どうしても家柄の釣り合わない琉安と一緒になろうとした。そのせいで、危うく荻野家と絶縁しかけたほどだった。だが皮肉なことに、琉安の家族もまた、名家の令嬢である瞳を快く思っていなかった。瞳に隠れて、琉安に別の女性を紹介していたのだ。もともと我が強く、わがままな性格だった瞳は、それでも琉安のためにずっと我慢を重ねていた。ところが、琉安の母親はそれをいいことに要求をエスカレートさせ、最後には自分の病気を理由に、息子に別れを迫った。さらに荻野家側も二人の仲を引き裂こうとしていたこともあり、結局、二人は破局という結末を迎えた。あの頃、瞳がどれほど苦しんでいたか、咲夜はすべて見てきた。だからこそ瞳は、その後も荻野家に戻って家業を手伝うことを拒み、外で人と共同で法律事務所を立ち上げる道を選んだのだ。今に至るまで、瞳は両親と和解していない。別れてからまだ七、八か月しか経っていないというのに、琉安はもう結婚することになってしまった。咲夜は何度も慰めの言葉をかけようとした。だが、言葉は喉元まで出かかっては消えていく。どう慰めればいいのだろう。誰が見ても分かる。瞳は、まだ琉安を忘れられていない。結局、慰めの言葉の代わりに、咲夜はただ酒を手に取った。気づけば二人は無言のまま、一杯、また一杯と杯を重ねていた。その合間にも、瞳は琉安への罵詈雑言を吐き続け、咲夜も適当に相槌を打つ。やがて瞳は罵りながら涙をこぼし、ついには咲夜にしがみついて大泣きした。ひとしきり泣き終える頃には、酔いもすっかり回っていた。瞳は大きく手を振りながら叫んだ。「男なんてみんなクソよ!別に琉安がいなくなったくらいで生きていけなくなるわけじゃないんだから!
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第194話

瞳がイケメンを呼んだという話は、あっという間に千暁の耳に入った。しかも咲夜まで一緒だと聞き、千暁はすぐさま店に駆けつけた。個室に到着した時には、瞳はすっかり泥酔していた。隣の男性の服を引っ張りながら、「エイトパックの腹筋を見せてよ」と騒いでいる。だが、個室の中に咲夜の姿はなかった。その瞬間、千暁の表情がさらに険しくなる。ちょうど彼が部屋に足を踏み入れた時だった。少しふらついた足取りで、咲夜が外から戻ってきた。大勢の男性たちに囲まれた状況からようやく抜け出した彼女は、マネージャーを呼びに行っていたのだ。イケメンたちは皆きちんとソファに座っているだけで、誰一人として度を越した行動はしていない。だが問題はそこじゃなく、酔った瞳が口にする数々の危険発言だった。聞いているだけで顔が熱くなり、しかも周囲にはあれだけの男性がいる。咲夜は何度、瞳の口を塞いでしまいたいと思ったことか。とはいえ、酔っ払いに理屈は通じない。仕方なくマネージャーを呼び、ソファで気まずそうに顔を見合わせていたイケメンたちを下げてもらおうとしたのだ。まさに公開処刑レベルの惨状だった。そして今、千暁の張り詰めた背中を見つけた瞬間、咲夜は驚きのあまり酔いが覚めそうになった。ぱちぱちと瞬きをする。――酔ってる。そう、きっと酔っているのだ。でなければ、どうしてここに千暁がいるのだろう。酔ってる、絶対酔ってる。そう自分に言い聞かせながら再び目を開くと、千暁はすでに振り返っていた。深い双眸がじっとこちらを見据えている。その眼差しは、見る見るうちに色を深めていった。咲夜は思わず息を呑む。あれ?今、自分は千暁の目の中に怒りを見た気がした。やっぱり酔って幻覚を見ているに違いない。千暁がこんな場所に現れるはずが――そう思い込もうとした矢先、千暁はすでに彼女の前まで歩み寄っていた。全身から冷気のような圧を放ちながら、鋭い視線で見下ろしてくる。咲夜は緊張で唾を飲み込んだ。「あの……まず弁解を――」言いかけて、はっとする。「違う、説明させて!」慌てて言い直した。千暁は眉をわずかに上げる。その顔には、「どうぞ、弁解してみろ」とでも言いたげな表情が浮かんでいた。咲夜は背筋がぞくりとした。泣きた
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第195話

まったく、あっさり寝落ちしてしまった。その結果、自分だけが千暁の突き刺さるような視線を真正面から受ける羽目になるとは。さすがは親友だ。楽しいことは一緒に分け合い、面倒ごとは自分ひとりで背負わせる。もともと咲夜も気後れする性格ではない。だが、自分と千暁がすでに入籍していることを思い出すと、これは……いや、どう考えても何かがおかしい。千暁は咲夜の後ろについてきて、腰をかがめると瞳をひょいと抱き上げた。そして咲夜を見て言う。「歩けるか?先にこいつを車へ連れて行く。君はここで待っていてくれ。すぐ迎えに戻る」咲夜もすっかり酔っているように見える。今は二人同時に面倒を見る余裕はない。まずはこの酔っ払い――瞳を車に運ぶのが先だった。咲夜は首を横に振る。「自分で歩ける。ここに一人で残るのは嫌」そう言いながら、そっと手を伸ばして千暁の服の裾をつまんだ。「こうして掴んでれば……ついて行けるから」その仕草を見た瞬間、まるで新妻のように自分の服を掴む咲夜の姿に、千暁の機嫌は一気に上向いた。唇の端をわずかに緩める。「分かった。ちゃんと掴んでろ。帰るぞ」――帰ったら、今日イケメンたちを指名した件についてじっくり話を聞かせてもらうがな。もちろん咲夜は、そんな彼の内心など知る由もない。ただ素直に服を握ったまま、おとなしく後ろをついて行った。駐車場に着くと、千暁は瞳を後部座席に半ば投げ込むように放り込んだ。その直後、咲夜も腰をかがめて後部座席に乗り込もうとする。だが千暁は彼女の肩を軽く押して、そのまま助手席に連れて行った。咲夜が座るのを確認すると、彼は身をかがめて近づき、シートベルトを締めてやる。その時だった。後部座席の瞳がうっすら目を開け、ぼんやりしたまま手を伸ばした。そして咲夜の頭をぐいっと押し、千暁のほうに突っ込ませた。不意打ち同然のその動きに、咲夜の唇が千暁の唇に触れた。二人は真正面からキスをしてしまった。咲夜は目を見開く。ぱちぱちと瞬きを繰り返しながら、信じられないという表情を浮かべた。一方、千暁の瞳はさらに深みを帯びる。瞳はすぐに手を離し、何事もなかったように座席へ倒れ込んだ。咲夜もようやく我に返り、慌てて千暁を押しのけようとした。しかし目の前の男は、すでに平然
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第196話

咲夜は思った。――これ以上ないほどの気まずさだ。ここまで自分のためを思ってくれる親友には、本当に「感謝」しかないわ。振り返らなくても分かる。千暁の探るような視線が、しっかりと自分に注がれているのを感じていた。いったいどこを探せば、こんな素晴らしい親友が見つかるのだろう。この瞬間、咲夜の中で瞳を始末したい気持ちは最高潮に達していた。しかし当の本人は、運転しているのが自分の兄だとまだ気づいていない。片手を挙げて誓うように言う。「本当だって、咲夜。兄の体、絶対見たほうがいいって。いやもう、本当にヤバいから。ちょっと待ってね、水着姿の写真もあるよ」そう言いながらスマホを探り始めた。その言葉を聞いた千暁は、道端に車を寄せると急ブレーキを踏んだ。――水着姿の写真?そんなもの、いつ撮られた?なぜ本人の自分が知らないんだ?今度は千暁のほうが、瞳を車から蹴り出したい気分になった。「いたっ!」瞳の頭がシートの背もたれにぶつかる。額を押さえながら涙目になった。「ちょっと!運転下手すぎない!?社員番号いくつ!?覚えとくからね!明日お店に行って低評価つけてやる!今日のチップはカットだから!」手にはしっかりスマホが握られている。千暁は笑っているのか怒っているのか分からない表情で瞳を見つめた。そのまま額を小突こうと手を伸ばしたところで、咲夜が慌てて止める。「酔ってるの!本当に酔ってるだけだから!酔っ払い相手に本気にならないで!」咲夜に宥められ、千暁は深く息を吐いた。瞳は実の妹だ。俺の実の妹なんだ。そう自分に言い聞かせる。だが瞳は危険が迫っていることなど微塵も察していない。スマホを操作し、写真を咲夜の目の前に突き出した。「ほらね!嘘じゃないでしょ?このスタイル!見てよこれ!見惚れない?」そこに映っていたのは、泳ぎ終えてプールから上がったばかりの千暁だった。角度からして、一目で分かる。瞳が本人に気づかれないよう盗撮した写真だ。千暁自身も、こんな写真を撮られていたことなど知らなかった。画面の中の千暁は、競泳パンツ一枚の姿。広い肩、引き締まった腰、すらりとした脚。均整の取れた黄金比の体つきは、確かに文句のつけようがない。とはいえ、瞳は一体何のために兄の写真を盗撮したのだろう
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第197話

しばらくすると、瞳の嘆き声も聞こえなくなった。彼女は窓にもたれたまま、すっかり眠り込んでいる。咲夜もまた、車の揺れに身を任せるうちに目を閉じた。瞳ほどではないにせよ、それなりに酒を飲んでいた。酔いが回り、強い眠気に襲われていたのだ。千暁は速度を落としながら車を走らせる。そして月見台に着いた頃には、咲夜も瞳も完全に寝入っていた。まず彼は車を降りると、瞳を担ぎ上げて家の中へ運ぶ。ゲストルームの大きなベッドに放り込んでから、再び咲夜を迎えに戻ろうとした。だが玄関へ向かう途中で、当の咲夜がふらふらとした足取りで中に入ってくるのが見えた。間取りが同じだったため、咲夜は家の中の調度品が少し違うことに首を傾げたものの、深く考えなかった。適当に靴を脱ぎ捨てる。そのままよろめき、危うく前へ倒れそうになった。千暁は素早く歩み寄り、彼女を抱き留める。咲夜は彼の胸にもたれながら、ぱちぱちと瞬きをした。目の前の男には見覚えがある。――ああ、さっき瞳のスマホに写っていた人だ。すると自然に、瞳が散々口にしていた言葉が頭をよぎる。腹筋、腹筋と一晩中騒いでいたせいで、今の咲夜の頭の中は「うちの兄なんて腹筋八つに割れてるんだから」でいっぱいだった。「腹筋、割れてるの?」考えるより先に、言葉が口からこぼれた。それだけではない。酒の勢いも手伝い、咲夜は両手を伸ばして千暁の体に触れようとする。何をしているのか自分でも分かっていない。ただひたすら、腹筋を確かめたい一心だった。千暁はその小さな手を掴む。そして熱を帯びた眼差しで咲夜を見つめた。眼差しが熱を帯びていく。自分はまだ、彼女がイケメンを指名した件について何一つ問い詰めていない。それなのに本人は、こんなにも無防備に自分を翻弄してくる。「腹筋が見たいのか?」掠れた声で問いかける。片手で咲夜の手を握り、もう片方の手でそっと顎を持ち上げ、自分のほうへ向かせた。「見たい?」咲夜は彼の深い瞳を見つめながら、小さく答える。「見たい」そのまま千暁は、握った彼女の手を自分の胸元からさらに下へと導いた。彼は低く笑った。「滑り台でもしてみるか?」その言葉に、咲夜の顔が一気に赤く染まる。呼吸も次第に乱れていった。慌てて手を引こうとするが
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第198話

翌朝。咲夜は、じんわりとした熱さを感じて目を覚ました。勢いよく目を開ける。視界に飛び込んできたのは見慣れない部屋だった。そして、その熱の原因は腰にある。一本の腕が腰をしっかりと抱き寄せ、逃がさないように囲い込んでいた。背中にはさらに、熱い体温がぴたりと伝わってくる。咲夜は腰に回された手を見つめたまま、体をこわばらせ、一ミリも動けなくなった。その瞬間、昨夜の情熱的な光景が脳裏によみがえる。――うわっ!わ、私……千暁にキスしたよね?それだけではない。腹筋を見たいだの、腹筋で滑り台をしたいだのと言っていた気がする。咲夜は恥ずかしさのあまり目を閉じた。記憶が妙に鮮明だ。思い出すだけで穴があったら入りたい。――しまった……お酒は本当に人を駄目にする。それに色気も罪だ。昨夜の自分は一体何をやっていたのだろう。腹筋を見たのかどうかは覚えていない。だが、触ったことだけは確かだった。そして滑り台の件は、まったく記憶にない。咲夜は気づく。キスした後の記憶が、きれいさっぱり飛んでいるのだ。断片すら残っていない。――まさか私、そこで記憶が途切れてる!?視線を落とす。自分が着ているのは見覚えのない男性用のパジャマだった。咲夜は泣きたい気分になった。昨夜その後に何があったのか、本当に思い出せない。こっそり腰の腕を外そうと手を伸ばしたその時、腰を抱く力がわずかに強くなった。背後から低く掠れた声が聞こえる。「起きたのか」咲夜の頭は真っ白になった。背中が千暁の胸にぴたりと密着しているのが分かる。その声を聞いた瞬間、彼女は反射的に目を閉じた。そして寝たふりを決行する。――まだ起きてない。私はまだ寝てる。起きてない、起きてない。必死に自己暗示をかける。だが千暁は、彼女の不自然なほど固まった体から、すでに起きていることを見抜いていた。どうやら昨夜のことを思い出して、どう接していいか分からないらしい。そう考えると、思わず口元が緩む。背後からかすかに漏れた笑い声を聞き、咲夜は悟った。――バレた。完全にバレてる。彼女は観念して目を開けた。ここまで来たら寝たふりなど続けられない。咲夜は千暁の腕を振りほどき、勢いよく起き上がる。そして
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第199話

違う違う、違うって!絶対に違うってば!瞳は必死に自己暗示をかける。「うん、二人は続けてて。私は咲夜を探してくるから!」そう言い残し、勢いよくドアを閉めた。「……」咲夜は言葉を失った。いや、自分はここにいるのだが。いったい何を探しに行くつもりなのだろう。咲夜が呆然としていると、千暁が咳払いをして何か言おうとした。その瞬間――バンッ!ドアが再び勢いよく開かれる。同時に、瞳の絶叫が響いた。「きゃああああっ!千暁、この変態っ!うちの咲夜に何したの!?きゃああああっ!」あまりにも甲高い悲鳴に、千暁の腕の中から離れようとしていた咲夜は思わず足をもつれさせた。そのまま再び千暁の胸に倒れ込む。千暁も反射的に彼女を抱き留めた。「千暁!咲夜を放しなさい!放せってば!殴られたいの!?」それを見た瞳は悲鳴のような声を上げながら突進してきた。両手をぶんぶん振り回し、めちゃくちゃな連打を千暁に叩き込む。千暁は、その無差別攻撃が咲夜に当たるのを恐れた。片手で咲夜の後頭部を守り、そのまましっかりと胸の中に抱き込む。咲夜もまた、その保護するような仕草を感じ取っていた。体は彼に守られ、頬は千暁の胸元に触れている。その瞬間、まるで二人の鼓動だけが重なり合って聞こえるような、不思議な感覚に包まれた。一方の瞳は、兄を叩きながら怒鳴り続ける。「放して!千暁!白状しなさい!うちの親友に何をしたの!?信頼してたのに!まずは殴らせて!」ぽかぽかと拳が飛んでくる。もっとも、その程度の攻撃など千暁には痛くも痒くもなかった。ただ妹の言葉を聞くたびに額に青筋が浮かぶ。――これが実の妹でなければ、とっくに放り投げている。ようやく息が切れたのか、瞳は攻撃を止めた。だが千暁がまだ咲夜を抱いているのを見ると、じろじろと二人を見比べる。そして腰に手を当てた。「待って?何かおかしくない?二人、いつの間に私に隠れて付き合い始めたの?」まさか昨夜からではないだろう。そこで瞳はようやく思い出した。昨夜、自分が酔っぱらってイケメンを呼び、さらには千暁の腹筋写真まで取り出して咲夜に見せていたことを。「うわぁ……!」頭を抱えてその場でしゃがみ込む。そして自分の額をばんばん叩いた。全部自分のせいだ。酔ったと
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第200話

瞳は咲夜の手を引っ張ると、そのまま自分の部屋へ連れて行った。そして慌てた様子で、咲夜の全身を上から下までくまなく確認し始める。幸い、体には不自然な痕跡は見当たらない。それを確認してようやく安堵の息をついた。「よかった……本気で焦ったよ。兄が本当にとんでもないことしたのかと思った」自分の兄とはいえ、酒の勢いで理性を失うような展開が、大切な親友の身に起きてほしくはなかった。咲夜は視線を伏せる。少しだけ後ろめたい気持ちになっていた。まさか自分から千暁を捕まえて腹筋を触ろうとしていた、などとは口が裂けても言えない。黙り込んだ親友を見て、瞳の胸に嫌な予感がよぎった。「まさか……本当にうちの兄と……?」いや、そんなはずはない。心の中で即座に否定する。だって自分の兄の体格を考えれば、もし本当に何かあったなら、咲夜の体にまったく痕跡が残っていないなんてあり得ない。それはさすがに非現実的だ。もし咲夜が今の瞳の思考を知ったら、恥ずかしさのあまり地面に穴を掘って潜り込みたくなっただろう。何しろ彼女自身、昨夜の後半についてはほとんど記憶がないのだから。今朝、千暁と同じベッドで目を覚ました場面を思い出し、咲夜の頬は再び赤く染まった。何も言い返せない。すると瞳が勢いよく立ち上がる。「兄のところ行ってくる!」昨夜いったい何があったのか、気になって仕方がない。もし本当に何かあったのなら、兄には責任を取ってもらわなければならない。咲夜は慌てて瞳の腕を掴んだ。「ないない!本当に何もないから!」今朝の時点で十分すぎるほど気まずかったのだ。もし瞳がさらに千暁に詳しく聞きに行ったら、今後どんな顔をして彼と接すればいいのか分からなくなる。「本当に?」瞳はまだ半信半疑だ。探るような視線を向けてくる。咲夜は何度も頷いた。「本当。本当に何もないから。間違いなく本当」そこまで言われて、ようやく瞳も疑念を引っ込めた。瞳はベッドに腰掛けると、咲夜をじっと見つめる。あまりに真剣な視線に、咲夜は少し居心地が悪くなった。「ど、どうしたの?」瞳は近くのクッションを抱え込みながら、真面目な顔で言った。「ねえ、正直なところ、兄のこと、どう思う?」クズ男に傷つけられたばかりだし、今は恋愛する気になれないのは分かる
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