All Chapters of 元カレの宿敵の腕で幸せになります!: Chapter 561 - Chapter 570

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第561話

千雪は気まずそうに笑った。「『時雨庵』って、確か荻野家の傘下じゃなかったですか?その……大丈夫なのかなって思って」彼女が本当に心配しているのは、咲夜が荻野家の人間と顔を合わせてしまうことだった。そうなれば、また荻野家側の人間から嫌味や皮肉を言われるのは目に見えている。少なくとも千雪の目から見れば、千暁と瞳、それから啓介と秀子以外の荻野家の人間には、まともに付き合える相手がほとんどいない。できることなら、関わらないほうがいいと思っていた。そんな千雪の説明を聞いた咲夜は、思わず笑った。「何が不都合なの?これから何社かとの会食も、全部『時雨庵』でやればいいじゃない。千暁が私のために開いてくれた店なのに、どうしてあの人たちを怖がって足を運ばないなんてことをしなきゃいけないの?それに、食事代は荻野グループの経費で落ちるんでしょ?荻野家がお金を払ってくれるなら、わざわざ別の店で無駄にお金を使う必要もないし、そのほうがずっとお得じゃない」千暁はかなり早い段階で、咲夜に打ち明けていた。時雨庵は、純粋に咲夜のためだけに開いた店なのだと。そして、彼のあの見事な料理の腕前も、時雨庵の料理人たちから教わり、磨き上げたものだった。実は以前、千暁は時雨庵を咲夜の名義に譲渡しようとも考えていた。しかし、咲夜に断られてしまった。その後もさまざまな出来事が重なり、譲渡の話はずっと先延ばしになっていた。だが、時雨庵の従業員たちは皆知っていた。咲夜が自分たちのオーナーの恋人であり、いずれこの店のオーナーになる人だと。そのため、従業員たちは咲夜に対して非常に親切で、彼女のことを心から慕っていた。咲夜が時雨庵に行くたびに、厨房では彼女のためにさまざまな料理が特別に用意された。主食からデザート、軽食に至るまで、すべて咲夜の好みに合わせて特別に作られていた。咲夜の言葉を聞いた千雪は、突然自分の額をポンと叩いた。「私ってば、なんでそこまで考えが回らなかったんだろう!」彼女は叫ぶように言った。これまで千雪は、ただひたすら荻野家の人間を避けることばかり考えていた。相手が咲夜に余計な嫌がらせをしないように。だが、なぜ逆の発想をしなかったのだろう。どうせ荻野家側は今でも時々顔を出して、咲夜を不快な思いにさせている。ならば、
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第562話

夕暮れ時、咲夜は先に時雨庵に向かった。千雪はG.M社側の代表者を迎えに行っている。咲夜は目的地に到着すると、千雪にメッセージを送った。ここにはもう何度も来ているため、すっかり勝手が分かっている。店員に軽く挨拶をすると、そのまま千暁の個室に向かった。ほどなくして、千雪はG.M社側の人間を連れて個室に入ってきた。G.M社はここ二年ほどで急成長を遂げた企業ブランドで、将来性も非常に高い会社だった。花江グループは、G.M社との提携交渉の機会を得るために、これまでかなりの努力を重ねてきた。今回やって来たのは一人の中年男性だった。その隣には、咲夜より少し年下に見える女性アシスタントが付き添っている。男性の名前は成瀬一真(なるせ かずま)。一真は、普段から感情をあまり表に出さない人物だった。今回、彼が景浦市に来た目的は、花江グループを視察することだった。しかし、向かう途中で、最近の花江グループの混乱について耳にしていた。彼は咲夜を見るなり、単刀直入に切り出した。「花江社長。実は今回こちらに来た目的は、御社の状況を確認するためでした。しかし、聞いた話では……花江グループは最近、あまり安定していないようですね」以前の花江グループは、雅紀の誤った経営判断によって倒産寸前まで追い込まれたことがある。その後も会社の業績は伸び悩み、将来性も決して明るいとは言えなかった。だが、咲夜が経営を引き継いだ後、あのファッションショーをきっかけにブランド価値を再び取り戻した。それこそが、G.M社側が何度かやり取りを重ねた末、今回視察に来ることを決めた理由だった。本来なら、もっと早い時期に訪問する予定だった。しかし、最近は会社の繁忙期に加え、国内外のファッションショーへの参加も重なり、非常に忙しかった。そのため、視察の予定は後回しになっていた。まさか、延期している間に、花江グループ側で再び問題が起きるとは思わなかった。景浦市に向かう途中、一真は社内の専門チームに、花江グループについて改めて評価を依頼した。そして、チームが出した結論は一致していた。現在の花江グループには、自社と提携するだけの条件が整っていない。この状況で本当に提携を進めれば、むしろ自社の足を引っ張る結果になる可能性がある。それでも一真
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第563話

咲夜の言葉に込められた意味は明白だった。貴社が花江グループとの提携を望むにしても、望まないにしても、今後も良好な関係を続けていける。何事も話し合いで解決できる、ということだ。そこまで言われてしまえば、一真もこれ以上悩み続けることはせず、咲夜の言葉を受け、そのまま食事を続けた。食事が半分ほど進んだ頃、一真の隣に座っていた女性アシスタントの携帯電話が鳴った。彼女は申し訳なさそうに咲夜と千雪を見る。「すみません。少し電話に出てきます」そう言うと、女性アシスタントはスマホを手にして個室を出て行った。それからしばらくして、女性アシスタントは戻ってきた。彼女は一真の耳元に身をかがめ、小声で何かを伝える。すると、一真の表情がわずかに変化した。彼は何気ないふりをしながら、咲夜に一瞬だけ視線を向ける。だが、その一瞬だけだった。すぐに視線を逸らした。咲夜も、一真の視線が自分に向けられたことに気づいていた。そして、彼の表情が一瞬で変わったことも、余裕で見抜いていた。彼女が口を開き、何か言おうとしたその時。一真はすでに箸を置いていた。顔には取り繕った笑みを浮かべている。「花江社長、申し訳ありません。会社で急な問題が発生したようで……どうやら食事を続けることができそうにありません。すぐに戻らなければならなくなりました」そう言い終えると、咲夜が返事をする間もなく、一真は立ち上がった。そして、アシスタントを連れて慌ただしく個室を後にした。その背中を見送りながら、千雪は驚いたように目を見開いた。「え……これ、どういうことですか?」食事の途中で、簡単に挨拶だけして帰る?まさか、自分たちが化け物にでもなって、二人に襲いかかると思っているのか。千雪は一真の行動に、完全に呆れていた。しかし、咲夜は特に何も言わなかった。ただ、いつも通りゆっくりと食事を続けている。そんな彼女を見て、千雪は尋ねた。「花江さん……この提携の話……」彼女が言いたかったのは、もうG.M社としなくてもいいのではないか、ということだった。相手には最初から誠意などなかった。さっき電話を受けに行った女性アシスタントにも、絶対に何かある。そうでなければ、電話一本で戻ってきた途端、あんな失礼な去り方をするはずがない。咲夜は取り
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第564話

個室の扉が、外からの一撃で吹き飛んだ。咲夜と千雪が顔を上げた瞬間、何者かが中へ吹き飛ばされてきた。激しい衝撃音とともに、椅子だけでなくテーブルまで揺れ、そのまま数センチほど押し動かされる。「うわっ……!」千雪は驚きのあまり、慌てて咲夜の腕をつかんだ。そのまま咲夜を自分の後ろへ下がらせようとする。しかし咲夜はすぐにバッグとスマホを拾い上げると、逆に千雪の腕を引いて一緒に後退した。咲夜が目にしたのは、一人の人間が勢いよく蹴り飛ばされ、そのままテーブルの下へ転がり込んでいく光景だった。その人物は咲夜たちに背を向けたまま、体を丸めている。だが、痛みに呻く声すら上げなかった。咲夜でさえ、思わず息を呑んだ。……これは、相当痛そうね。彼女が近づいて確認するべきか迷っていたその時、個室の入り口から、一人の男が堂々と歩いて入ってきた。遥斗だった。彼は冷たい表情のまま、テーブルの下でうずくまっている人物に視線を向ける。そして何か言おうとした瞬間、ふと、視線の端に咲夜と千雪の姿を捉えた。その瞬間、遥斗の顔色が変わる。彼は個室の中を見渡し、それから咲夜に視線を移した。遥斗は背後から入ってきた人間たちに目配せをする。先にあの人物を外に連れ出せ、という合図だった。もし咲夜にその人物の顔を見られたら――咲夜もまた、遥斗を見つめていた。心の中に疑問が浮かぶ。――どうして……彼なの?本当に世の中は狭い。まさに因縁の相手と鉢合わせしたようなものだった。もちろん、咲夜は遥斗の表情が一瞬変化したことにも気づいていた。彼女の視線は再び、テーブルの下にいる人物に向かう。なぜか、その後ろ姿に見覚えがある気がした。「遥斗さん、何をしているんですか?」咲夜は、遥斗の後ろにいた人間たちが個室に入り、テーブルの方向に向かおうとしているのを見て、鋭く問いただした。その時、テーブルの下にいた人物が、咲夜の声を聞いてようやく口を開いた。「……咲夜さん」彼は腹部を押さえていた。全身から激しい痛みが伝わってくる。おそらく、肋骨も何本か折れている。遥斗の表情がさらに険しくなった。「何をぼさっとしている。さっさと連れ出せ」その声を聞いた咲夜は、すぐにテーブルの下に視線を向けた。ちょうどその人物が
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第565話

遥斗は咲夜を見つめながら、まさか彼女が時雨庵の従業員たちから、ここまで慕われているとは思ってもいなかった。今では、店長自ら彼女を守ろうとしているほどだった。咲夜は雅之の後ろから歩み出ると、真正面から遥斗の視線を受け止めた。「遥斗さんがどんな手を使って陽向をここへ誘い出したのかは知らない。でも、遥斗さんには陽向を殴る権利がない」考えなくても分かる。陽向を無理やり瞳から離れさせるためだ。自分が瞳にした約束を思い出し、咲夜の胸には瞳に対する申し訳なさが込み上げてきた。この件について、陽向からは何の連絡も来ていなかった。ついこの間までは「絶対に捕まらない」と言っていたではないか。そう考えるほど、咲夜の苛立ちはさらに募っていった。そんな咲夜の問いかけに対し、遥斗は淡々と口を開いた。「花江さん、これは俺たち荻野家の問題だ。花江さんに関係がないだろう。このガキは身の程知らずにも高嶺の花を狙っているんだ。少し痛い目を見せて何が悪い?」「そう」咲夜は軽く返事をした。「別に何も悪くない。ただ、人数を頼みにして弱い者をいじめたり、年下を相手に偉そうに振る舞ったりする人間を見るのが気に入らないだけ。見ていて不快だし、目障りだったから、ただのお節介を焼きたくなっただけよ。仕方ないじゃない。毎日が平和すぎて退屈なの。ちょっとした暇つぶしでもしようと思っただけだけど、それがどうしたの?何が悪い?」咲夜は遥斗自身の言葉を利用して、そっくりそのまま彼に返した。その瞬間、遥斗の表情がさらに暗く沈んだ。咲夜はわざとやっている。態度も言葉も、隠す気がないほど傲慢だった。そして、遥斗の顔色が悪くなればなるほど、咲夜の笑みは深まっていった。「花江さん、この件に本気で首を突っ込むつもりなのか?」遥斗の声には、明らかな苛立ちが滲んでいた。彼はようやく瞳の名前を利用して、あの狡猾な陽向を誘い出したのだ。そして待ち合わせ場所を時雨庵にしたのも、ここが瞳がよく陽向と食事をする場所だったからだ。そうでなければ、相手が信じるはずがなかった。遥斗は、この階に誰かが上がってくることなど想定していなかった。ここは荻野家が特別な客をもてなすための専用フロアであり、荻野家の人間が案内するか、許可を出さない限り、誰も上がってくることはで
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第566話

遥斗は何も言わず、ただ冷たい表情で咲夜を睨みつけていた。その目には、今にも火花が飛び散りそうなほど激しい怒りが宿っていた。まるで、いつ爆発してもおかしくない状態だった。咲夜は怒りに目を見開く遥斗を真正面から見返し、険しい表情の中にわずかな嘲りを浮かべていた。どうせ時雨庵は自分の縄張りのようなものだ。自分には何も恐れる理由などなかった。咲夜の挑発を前に、遥斗は体の横に垂らしていた両手を強く握り締めた。手の甲には青筋が浮かび上がっている。彼は燃え盛る怒りを必死に抑えていた。咲夜の微塵も怯まない態度は、はっきりと遥斗に告げていた。――今日、何としてでも陽向という男を守り抜くつもりだ、と。その時、遥斗の脳裏には再び天志の冷酷な警告の言葉が蘇った。瞬間、彼は板挟みの状況に陥った。今この場で咲夜と完全に敵対するつもりはない。しかし、これだけ大勢の人がいる前で、咲夜にプライドを傷つけられたまま引き下がることも、到底受け入れられなかった。心の奥底で渦巻く凶暴な衝動をようやく押さえ込み、遥斗は冷たい声で口を開いた。「花江さん、ここで余計な世話を焼く暇があるなら、どうして兄の行方をもっと気にしないんだ?」そう言うと、彼の唇の端には皮肉げな笑みが浮かんだ。遥斗はわざと咲夜の前で千暁の話を持ち出したのだ。なぜなら彼はよく分かっていた。咲夜の部下が向こうに行ったところで、千暁本人に会う機会など絶対にない。彼女が送り込んだ部下は、とっくに天志の手の者によって阻まれている。千暁の情報を得られない咲夜が、誰よりも焦っていることを、遥斗は理解していた。そして今の言葉は、まさに咲夜が最も気にしている傷口に、刃を突き立てるようなものだった。言葉を終えた瞬間、咲夜の顔色は予想通り一気に険しくなった。彼女は鋭い視線を遥斗に向ける。それを見て、遥斗は薄く笑った。「こうしよう。ひとつ取引をしないか。俺が花江さんに兄の消息を教える。その代わり、今泉陽向を俺に渡せ」彼は咲夜の弱点を握り、勝ち誇った笑みを浮かべ、条件を突きつけた。遥斗には確信があった。咲夜が千暁の消息を知りたがっていることは間違いない。千暁の消息と引き換えに陽向を渡すという条件なら、咲夜にとっても決して損ではない。しかし、咲夜は彼の
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第567話

遥斗は、自分が咲夜を完全に思い通りにできると思っていた。だが、実際の咲夜はまるで何も気にしていないような態度を見せている。それだけではない。その態度には、露骨な嘲りまで含まれていた。ようやく抑え込んだはずの怒りが、再び猛烈な勢いで込み上げてくる。遥斗の顔は怒りで青ざめ、燃え上がるような視線を咲夜に向けた。「俺が兄の顔を立てて、花江さんに礼儀を尽くしてやっているだけだ。調子に乗るなよ。今日、今泉陽向を渡すかどうかはお前の勝手だ。だが、その男は必ず俺が連れて行く」そう言い終えると、遥斗は自分が連れてきた一団に視線を向け、冷たい声で命じた。「関係のない奴には手を出すな。あの男だけ連れて行けばいい。もし連れて行けないなら、この場で始末しろ」ここまで丁寧に話してやったのに、それでも咲夜は聞き入れず、陽向を守ろうとしている。ならば、もう自分には何も言うことはなかった。遥斗の言葉の意味は明白だった。咲夜が自分からこの件に巻き込まれに来るなら、それは彼女自身の選択だ。言うべきことも、言う必要のなかったことも、すでに全て伝えた。ならば、奪還の過程で誤って彼女を傷つけてしまったとしても、それは彼女自身が背負うべきことだった。遥斗の言葉を聞いた咲夜は、反射的に後ろにいる千雪に視線を向けた。「もう来た?」目だけでそう問いかける。千雪はスマホを確認し、小声で答えた。「来ました」その言葉が発せられた瞬間、店の外から別の一団が勢いよく飛び込んできた。そこには、黄色く染めた髪に派手なタトゥーを入れた、顔立ちだけは爽やかな青年が、鉄パイプを手にした数十人の男たちを引き連れて立っていた。その金髪の青年は大声で叫ぶ。「どこだ!?俺のか弱い高嶺の花はどこにいる!?」「……」千雪は言葉を失った。彼女は雅之の後ろに隠れた。絶対に出たくなかった。恥を晒す気など微塵もない。この馬鹿はどうせまた、俺様系社長ラブロマンスでも読んでいたのだろう。この中二病全開のセリフ……この金髪野郎、本気で絞め殺してやろうかしら。咲夜だけではない。遥斗もまた、金髪青年の登場に完全に呆気に取られていた。――一体、どこから湧いてきたんだ、この金髪野郎は。遥斗の目が冷たく細められ、口を開こうとしたその時。すでに金髪青年
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第568話

咲夜の一言によって、その場は瞬く間に混乱状態になった。遥斗はもはや体裁など気にしていなかった。そして千雪の元彼もまた、かなり気性の荒い性格だった。遥斗の部下たちが前に出てきた瞬間、彼は手にしたパイプを振り上げ、真っ先に突っ込んでいった。彼が動いた以上、連れてきた手下たちも一斉に加勢し、その場は瞬く間に乱闘状態となった。雅之と時雨庵の従業員たちは、迷うことなく咲夜と千雪を背後に庇った。「花江様、もっと後ろに下がってください。怪我でもしたら大変です」雅之は自分の大柄な体を盾にするようにして、咲夜を守った。彼は周囲をくまなく見回し、隙を突いて誰かが咲夜を傷つけることがないよう、細心の注意を払っていた。その一方で、乱闘の隙を見つけては、手にしていた電卓を振り上げ、遥斗が連れてきた人間を何度も叩きのめしていた。彼はすでに胸を張って、オーナーに約束していたのだ。時雨庵の敷地内にいる限り、誰一人として花江様の髪一本傷つけることは許さない、と。幸いにも、この個室は十分な広さがあった。そうでなければ、これほど大勢の人間が押し込まれて乱闘など始めれば、身動きすら取れなかっただろう。咲夜は、自分を必死に守るように立つ雅之と時雨庵の従業員たちを見つめ、胸の奥に温かなものが込み上げてくるのを感じた。本当なら、自分一人でも十分に身を守ることはできる。たとえあの連中が目の前まで迫ってきたとしても、咲夜が怯えることなどなかった。やがて、騒ぎも十分に大きくなったところで、雅之は部下に指示を出し、店内トラブルとして警察に通報させた。警察が到着すると、雅之はすぐさま、遥斗が陽向を一方的に殴っている防犯カメラの映像を提出した。そして遥斗を主な加害者として名指しし、店の営業に重大な支障を与えたと強く訴えた。一方、咲夜については、あくまで自衛のために人を呼んだだけであり、防衛行為に当たると説明した。その結果、咲夜側の人間は、事件の当事者として扱われないことになった。陽向は殴られた被害者だったため、警察の事情聴取に協力する予定だった。だが、負った痛みに耐えきれず、その場で意識を失ってしまった。咲夜はすぐに陽向を病院へ連れて行き、医師に診断書を書いてもらうよう依頼した。千雪と彼女の元彼は一緒には来なかった。元彼の名
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第569話

人を殴っておいて、何の代償もなく済むと思わせるわけにはいかない。払うべきものは、きっちり払わせる。それこそが咲夜の目的だった。咲夜は顔に浮かべていた笑みを消すと、自分の腕を強くつねった。すると、みるみるうちに目元が赤く潤んでいく。そして、外で待機していた警察を病室に呼び入れた。陽向はこういう場面での演技が妙に上手かった。すぐさま演技を始める。ベッドに横たわった彼は、力なく痛みを訴えていた。頭がくらくらする、吐き気がすると何度も口にし、そのたびに苦しそうにえずく仕草を見せていた。それでも、事情聴取にはきちんと協力した。話を聞けば、遥斗は瞳のスマホを使って陽向にメッセージを送っていた。内容は、瞳本人からの連絡を装い、【家から抜け出してきたけれど、行く場所がないから時雨庵で待っているね】というものだった。時雨庵は、瞳がよく陽向を連れてきていた場所だったため、彼は何の疑いも抱かなかった。瞳のことが心配で、深く考えることもなく時雨庵に向かったのだ。この階には、瞳専用の個室もあった。まさか扉を開けた先にいたのが遥斗だとは、陽向も想像していなかった。そして異変に気づき、逃げようとした時には、すでに手遅れだった。遥斗が連れてきた人間たちは退路を塞ぎ、陽向を個室の中に引きずり込むと、何の説明もなく拳を振るい始めた。陽向もその場で反撃した。だが、いくら腕に覚えがあっても、多人数を相手にすることはできない。陽向は必死の抵抗を続け、ようやくの思いで個室から逃げ出した。しかし、相手も追いかけてきた。そして、そのうちの一人が陽向を思い切り蹴り飛ばした。陽向はその勢いのまま、咲夜がいた個室の中へ転がり込んできた。その後の出来事については、咲夜もすでに知っている。遥斗が瞳のスマホを使って陽向に連絡していたと聞いた瞬間、咲夜の表情は険しくなった。つまり、これから瞳と連絡を取ることは、おそらくもうできない。以前、瞳がスマホを使ってこちらと連絡を取れたのも、きっと天志か遥斗が意図的に許していたのだ。瞳の警戒心を緩めるために。――本当に狡猾だ。供述を終えると、咲夜は警察を丁寧に病院の入口まで見送った。その間も、陽向はまだ「痛い、痛い」と声を上げ続けていた。咲夜は病床のそばまで
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第570話

咲夜はもともと千雪に電話をかけ、警察側の処理がどうなったのか確認するつもりだった。しかし病室を出た瞬間、正面から千雪の姿が目に入った。その後ろには蓮もついている。あの派手な金髪に加え、周囲に響き渡る大声で喚いているせいで、嫌でも目立っていた。蓮は殴られた箇所を押さえながら、「いてぇ、いてぇ」と大げさに声を上げる。「千雪、お前には心ってものがないのか?俺はもう痛くて死にそうなのに、少しも心配してくれないんだな。この薄情な女め。良心ってものがないのか。俺を捨てやがって……」千雪は天を仰ぎたくなった。彼女は足早に歩き、後ろで喚き続ける男を一刻も早く振り切りたかった。「俺を捨てた」だの何だのと大声で叫ぶのを聞いていると、千雪は思わず足を上げ、そのまま蹴り飛ばしたくなった。この男は、本当に昔から何も変わっていない。相変わらず痛々しい言動ばかりだ。蓮は相手にすればするほど、ますます調子に乗る男だ。それを知っている千雪は、湧き上がる苛立ちを必死に抑え、最後まで無視を貫いた。咲夜は遠くからすでに、蓮の意味不明な叫び声を聞いていた。そして、自分のアシスタントの顔に浮かぶ、まるで人生のすべてを諦めたかのような表情を見た。その瞬間、以前千雪がこの「元彼」について話していた時の、あからさまな嫌悪感に満ちた顔を思い出した。千雪は以前、咲夜にこう言っていた。元彼は中二病の少年みたいな人だ、と。今こうして実際に見ると、咲夜も確かに面白い人物だと思った。「花江さん」千雪は咲夜の姿を見つけると、まるで命綱を掴んだように小走りで彼女のもとに駆け寄った。蓮もすぐに後を追いかけてくる。「雪ちゃん、置いて行かないでくれ……」「蓮」千雪は振り返り、怒りを込めて彼を睨みつけた。「その口、閉じて」すると蓮は背筋を伸ばして敬礼するように頭を下げた。「かしこまりました。仰せのままに」そして口元にチャックを閉めるような仕草をし、千雪に媚びるような笑顔を向ける。それを見届けてから、千雪はようやく咲夜に向き直った。「向こうの件はすべて片付きました。ただ……荻野天志が弁護士を連れて警察署に現れ、荻野遥斗の解放を求めたんです。そして、そのまま彼を連れて行きました」正直なところ、千雪は天志と対面した瞬間、あの険しい表情を浮かべた中年男
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