ホーム / 恋愛 / 元カレの宿敵の腕で幸せになります! / チャプター 691 - チャプター 700

元カレの宿敵の腕で幸せになります! のすべてのチャプター: チャプター 691 - チャプター 700

906 チャプター

第691話

照史は咲夜の向かいに腰を下ろした。「花江さん、本当に申し訳な……」「一条さんのおっしゃる謝罪の気持ちは、まったく伝わってきません。そんな上辺だけの挨拶なら結構です」照史が最後まで言い終えるより先に、咲夜は冷ややかな声で遮った。彼女は相変わらず照史に視線すら向けようとせず、淡々と言った。「時間を守るという最低限のマナーすら守れない方なら、この商談はなかったことにしましょう」その言葉を聞いた瞬間、照史の表情がわずかに変わった。確かに、家を出る直前にちょっとしたトラブルがあった。だが、ここまで軽い態度を取っていたのは、相手が女性の咲夜なら、多少遅れたところでそこまで腹を立てることはないだろうと高をくくっていたからだ。しかし、現実は違った。咲夜は明らかに彼の態度に腹を立てている。照史は気まずそうに咳払いすると、ようやく態度を改めた。「ちょっと待ってください。今回は俺が悪かった。本当に申し訳ない。せっかくの商談なんですから、話だけでもしましょう。花江さん、そう怒らないでくださいよ」ここにきて照史も、ようやく自分が苦労して取りつけた商談だということを思い知らされた。しかも、今の彼女は怪我を押して、わざわざここまで来ている。自分の遅刻が原因で商談そのものを断られてしまえば、損をするのは自分のほうだった。だが、態度を改めた照史を前にしても、咲夜は冷笑を浮かべるだけだった。隣に座っていた千雪も、遠慮なく皮肉を口にした。「一条社長に謝る気があるかどうかなんて、もうどうでもいいんです。ビジネスをする人間が、時間を守るという最低限の約束さえ果たせないのなら、話すだけ無駄でしょう?しかも、遅刻しておいて謝罪まであんなに適当だなんて。まさか一条社長、自分には何の非もないとでも思っていたんですか?」千雪はそう言ってゆっくり立ち上がった。「約束の時間はもう過ぎています。社長は病院に戻って処置を受けなければなりませんので、お食事は一条社長お一人でごゆっくりどうぞ」千雪が車椅子を押して咲夜を連れていこうとするのを見て、照史は慌てて立ち上がり、二人の前に回り込んだ。信じられないとでも言いたげな顔で、「いや、本当にわざと遅れたわけじゃないんです。だからって、そこまで厳しくしなくてもいいでしょう?」と言う。おそらくここへ向かう途中の
続きを読む

第692話

食事が半ばまで進んだ頃、咲夜のもとに照史からメッセージが届いた。実を言えば、最初は何度も電話がかかってきていたのだが、咲夜はそのたびに着信を切っていた。仕方なく、照史はメッセージで謝罪してきたのだ。画面いっぱいに並ぶ長文をひと目見ただけで、咲夜は頭が痛くなってきた。延々と続く言い訳めいた文章を読む気にもなれず、たった一言だけ返信する。【実際に決定権を持っている人を連れてきてください。直接話します】その一言で、照史からのメッセージはぴたりと止まった。「何て言ってきたんだ?」千暁が笑いながら尋ねる。咲夜はスマートフォンを差し出した。「長文で必死に謝ってる。読んでみて」それを聞いて、千暁はスマートフォンを受け取ると、意外にも真剣な顔で画面をスクロールしていった。「今になってずいぶん誠意のこもった謝り方をしてるな。だったら今日の食事代くらい、勘弁してやるか」先ほどの個室で注文した料理は、まだ会計を済ませていなかった。千雪は咲夜を連れて個室を出たあと、親切にも照史のためにワインを一本追加注文しておいたのだ。もちろん、その代金もすべて照史につけてある。そもそも店を選んだのも照史で、個室を予約したのも彼だ。そのうえ咲夜も千雪も料理には一口も手をつけていないのだから、照史が会計をするのは当然といえば当然だった。食事代くらい咲夜に払えないはずもないが、それでも彼女は千雪の行動を黙認していた。今になって千暁が寛大にも食事代くらい勘弁してやろうと言い出すと、咲夜は即座に却下した。「別に食事代くらい払えるでしょ」何があっても、照史に得をさせてやるつもりはないらしい。千暁はまた笑わされたが、それ以上この話を続けることはなかった。スマートフォンを咲夜に返しながら、彼は言った。「祖父のほうは、もう同意した」本家へ戻ったあと、啓介は荻野家の先祖を祀る部屋に何時間も閉じこもっていた。秀子が何度呼びかけても、啓介は一度も出てこなかったという。どう説得したところで千暁を止めることはできない。それが分かっているからこそ、最後には千暁の決意を受け入れたのだろう。咲夜は箸を持つ手を止め、驚いたように尋ねた。「おじいちゃん、納得してくれたの?」「ああ」千暁が頷くと、咲夜は感慨深そうに続けた。「簡単な決断じゃなかったで
続きを読む

第693話

「本当に下半身が動かないのかどうかなんて、あなたたち、もう何度も何度も探りを入れてきたじゃない」まさか、自分たちのやっていることが誰にも気づかれていないとでも思っていたのだろうか。咲夜の言葉を聞いても、遥斗は表情ひとつ変えなかった。「仕方ないだろ。俺だって言われたことをやってるだけだ。父親に指示されれば、そのとおりに動くしかない」つまり、自分は命令に従っているだけだと咲夜に言いたいらしい。咲夜は思わず笑ってしまった。「裏で誰が糸を引いているかなんて、私は興味ないわ。この株が欲しいのが遥斗さんなら、売ってあげてもいい。前に天志さんには時価の三倍を提示したけど、断られた。今度は遥斗さんのほうから欲しいと言ってきたんだから、四倍よ。一円たりともまけるつもりはないわ」ここへ来る前から、遥斗も咲夜が相当な高値を吹っかけてくることは覚悟していた。それでも四倍という金額は、さすがに彼の想定を大きく上回っていた。咲夜はさらに続けた。「荻野家の分家筋には、四倍で買うと申し出ているところもある。でも、遥斗さんは一応あきの弟だから、私も無理難題を押しつけるつもりはないわ。この条件でいいなら、今すぐにでも契約できる」そう言って、咲夜は一通の株式譲渡契約書を取り出した。目の前に置かれた契約書を見て、遥斗は咲夜が最初から準備を整えてここへ来ていたのだと悟った。彼は改めて、咲夜をじっくりと観察した。戻ってくる前に、遥斗も咲夜については一通り調べていた。資料に書かれていたとおり、世間知らずで甘い女なのだろうと思っていたが、どうやらそうとも限らないらしい。もともと咲夜を侮っていたつもりはない。だが、彼女がこれほどまでに意外な一面を次々と見せてくるとは、さすがに思っていなかった。契約書を差し出したあとは、咲夜もそれ以上何も言わず、ただ黙って遥斗が考えるのを待った。遥斗は契約書を見つめながら、咲夜がこれほどあっさり株を手放そうとしているのは、啓介のほうで何か動きがあったからではないかと考えていた。実は、啓介は今回の件に同意する前に、わざわざ人を遣わして天志を本家に呼び戻していた。それだけではない。荻野家の分家筋の中でも発言力を持つ重鎮たちまで集めていたのだ。啓介は全員の前で、千暁が荻野グループを離れ、今後は療養に専念する
続きを読む

第694話

咲夜は帰る途中、千暁からの電話を受けた。彼は、遥斗との話し合いがどうなったのか尋ねてきた。咲夜はありのままに答えた。「悪くなかったわ。三日だけ猶予をあげた。これくらいの金額なら、彼にとって用意できない額じゃないでしょ」あとは遥斗、あるいは天志が、それだけの大金を払う覚悟があるかどうかだ。千暁は静かに答えた。「問題ないだろう」そもそも、今の天志と遥斗に残されている道はこれしかない。天志であろうと遥斗であろうと、荻野グループの実権を握りたいのなら、金を出して咲夜の手から株を買い取る以外に方法はなかった。まして、もともと支配欲の強い天志が、ここで諦めるはずがない。だからこそ千暁は最初から、咲夜に天志と堂々と交渉させていたのだ。天志がどんな手を使ってでも、この株を手に入れようとすることを、彼は確信していた。グループ最大の株主になれば、荻野グループ内で圧倒的な発言力を持つことができるのだから。咲夜も、千暁が勝算のないことには手を出さない人間だと分かっている。だから今は、彼の考えに従って動くことにしていた。どうせ千暁に言われたとおりにやっていればいい。千暁は咲夜に念を押すように言った。「金が入ったら、そのまま自分で持っておけ。あいつらから俺たちへの、少し早い結婚祝いだと思えばいい」その一言に、咲夜は思わず吹き出した。それにしては、あまりにも桁外れのご祝儀だった。咲夜はそれ以上、この話題を続けなかった。もうすぐエレベーターに乗ると伝えようとしたそのとき、智哉が一人の女性と何やら揉めているように見えた。「あそこに今泉さんがいるような気がする」咲夜は確信が持てず、目を凝らした。「いったん切るわ。ちょっと見てくる」電話の向こうの千暁が返事をするのも待たず、そのまま通話を切った。智哉と一緒にいる女性を見ていると、どうにも見覚えがある。咲夜は千雪に頼み、車椅子を押して智哉のいるほうへ向かってもらった。近くまで行って、ようやく相手が誰なのか分かった。以前、自分にぶつかってコーヒーをこぼしてしまった、あの女性ではないか。あのとき、何と名乗っていたのだったか。そう、鷹司瀬里だ。だが、この様子を見る限り、瀬里はどうやら智哉と知り合いらしい。智哉は変装していて、そう簡単には正体を見破られな
続きを読む

第695話

智哉の目には、困惑の色がありありと浮かんでいた。「星奈、いったいどういうことなんだ?」智哉にそう問い詰められて、咲夜もようやく状況を理解した。つまり、瀬里という名前は偽名だったのだ。そして、彼女の本当の名前は星奈。星奈?その名前をどこかで聞いたことがあるような気がした。その瞬間、咲夜の脳裏に一つの情報が浮かんだ。彼女は信じられないような目で星奈を見た。「鷹司香織さんって、叔母さんなんですか?」思い出した。星奈は鷹司家の令嬢で、確か智哉とは婚約までしていたはずだ。それなら、智哉がどれほど変装していても一目で見抜けたのも納得できる。咲夜は智哉と星奈に視線を向け、二人を交互に見比べた。見れば見るほど、お似合いに思えてくるのはなぜだろう。星奈は申し訳なさそうに口を開いた。「ごめんなさい。騙すつもりじゃなかったんです。ただ、叔母のあとをこっそりついてきただけで……」「え?」咲夜はますます訳が分からなくなった。その反応を見て、星奈は思わず吹き出しそうになった。彼女は素直に、事の経緯を最初から説明した。「実はね、叔母がいつも咲夜さんのことをすごく褒めてるんです。今回も出張から戻る途中だったのに、わざわざ景浦市に立ち寄ってまで咲夜さんのお見舞いに来たくらいで。だから純粋に気になっちゃいました。あの仕事一筋で滅多に人を褒めない叔母が、忙しい仕事まで後回しにして会いに来るなんて、いったいどんなすごい女性なんだろうって」何しろ、香織はまるで感情を持たない金儲けマシーンのような人間だった。彼女にとっては、何よりも仕事が最優先だ。実を言えば、咲夜が布地を探しに桜ノ宮市へ向かった頃から、香織が咲夜の名前を口にすることが徐々に増えていた。そのせいで、星奈もすっかり咲夜に興味を持つようになったのだ。彼女はネットでも咲夜についてかなり調べ、関連する出来事を片っ端から読んでいた。そのため、咲夜がこれまでどんな経験をしてきたのかも、ある程度は知っている。特に最初の頃、咲夜が晴南みたいな最低の男と付き合い、、あれほど追い詰められていたことを知ったときなど、星奈は画面越しに「何やってるの!」と言いたくなるほど、もどかしくて仕方がなかった。幸い、その後の咲夜は星奈を失望させなかった。最低な男には容赦なく
続きを読む

第696話

咲夜から誘ったこともあり、何よりここは確かに立ち話をするには向いていない。そのため、智哉も咲夜の提案を断らなかった。二人は星奈を連れて病室へ向かった。病室へ戻る途中、咲夜はすでに千暁へメッセージを送り、事情を説明していた。千暁は相変わらず、下半身が動かない患者を完璧に演じている。咲夜の後ろから楽しそうについてきた星奈を見るなり、千暁はからかうように言った。「おや、どこの誰かさんの未来の嫁が追いかけてきたぞ?」そう言って、智哉に意味ありげに目配せまでしてみせる。星奈が智哉を好きなことは、彼らの交友関係ではとっくに周知の事実だった。何しろ彼女のアプローチはかなり派手で、智哉に何度拒絶されても、諦める気配をまったく見せなかったのだ。まるで行動そのもので、智哉に「私は本気であなたを口説いている」と伝え続けているようだった。智哉は堪えきれず、友人に思いきり白い目を向けた。いかにも嫌そうな顔で鼻を鳴らす。「黙れ。その可愛い口から、そんな無慈悲で人の心を傷つけるようなことばっかり言うな」その言葉に、千暁だけでなく咲夜まで笑ってしまった。一方、星奈の視線は病床に横たわる千暁へ向けられていた。そして真っ先に目が留まったのは、布団に覆われた彼の両脚だった。千暁が今置かれている状況を思うと、星奈は痛ましそうに千暁を見つめた。「あの、私、腕のいいお医者さんを何人も知ってるんです。咲夜さん、あとで連絡先を送りますね。千暁さんも、どうか諦めないでください。頑張ってくださいね。いつか奇跡が起きるって信じましょう」誰だって、こんなことが突然自分の身に起これば、そう簡単に気持ちを切り替えられるはずがない。今の千暁は何事もなかったかのように振る舞っているが、心の中ではきっと絶望し、苦しんでいるに違いない。そう考えただけで、星奈は千暁が気の毒で仕方がなかった。もう一度立てる可能性があるのなら、それに越したことはない。だが、もしどうすることもできなければ……彼のこれからの人生は、本当に大きく変わってしまう。咲夜にも、星奈が心から千暁のことを気の毒に思っているのが伝わってきた。今日初めて会ったばかりの他人でさえ、千暁が脚の自由を失ったことにこれほど心を痛めてくれる。それに比べて荻野家の人間たちの態度は、あ
続きを読む

第697話

咲夜の表情に気づき、星奈はすぐに我に返った。咲夜と目が合うと、星奈は彼女に小さく笑いかけ、気まずそうにすぐ視線を逸らした。そして病室の中へ目を向け、室内の調度品をひとつひとつ眺め始めた。本人は気づいていなかったが、急に視線を逸らして病室を見回すその仕草には、図星を突かれたあとの動揺がありありと滲んでいた。咲夜も星奈が気まずがっていることに気づき、それ以上何も言わず、さりげなく視線を外した。これ以上じっと見つめていたら、星奈をますます気まずがらせてしまいそうだ。智哉は軽く咳払いし、星奈がこちらを向いたところで尋ねた。「お前がこっちに来てること、鷹司社長はまだ知らないんだろ?いつ帰るつもりだ?」星奈は首を横に振った。「しばらく帰りたくない」もともとは、いったい咲夜にどんな魅力があって、自分の叔母をそこまで夢中にさせたのか確かめに来ただけだったのだが……いやいや、違う。夢中という言い方はおかしい。それだけ強く印象に残った理由を確かめたかった、というべきだ。しかも、せっかくここで智哉にまで会えたのだ。星奈が早々に桜ノ宮市へ帰るはずもなかった。今の彼女の中では、景浦市に残りたいという気持ちは、これまでになく強くなっていた。智哉は淡々と彼女を一瞥した。「残ってどうするんだ?」腕に誰かがしがみつく感触がした。智哉が視線を落とすと、星奈が両手で彼の腕にしがみついている。そして、いたって真剣な顔で言った。「智哉さん、私、ここに残ってそばにいたい。追い返さないでよ。帰りたくないの」星奈は智哉の腕を揺らしながら、無意識のうちに少し甘い声を出していた。いつものように、彼の腕にしがみついて可愛らしく甘えてみせた。普段なら、この方法は智哉にもそれなりに効いていた。これまでは特に差し迫った事情もなく、智哉にも星奈をあやすくらいの余裕があったからだ。だが、今回は違う。今の彼は千暁を手助けしなければならず、自分の正体も当分の間は明かせない。そんな状況で星奈をここに残すのは、あまりにもリスクが大きかった。智哉は自分の腕に絡みついた星奈の手をそっと外すと、険しい顔で言った。「俺には大事な用がある」たったそれだけの説明で星奈を帰らせようとしたが、当然ながら彼女が納得するはずもない。星奈はすぐに約束し
続きを読む

第698話

「だったら……」咲夜は遠慮がちに手を挙げた。「星奈さんに残ってもらうのはどう?」そう言って、智哉の意見を窺った。実を言えば、咲夜は二人のやり取りをすっかり気に入っていた。見ていて面白くて仕方がないのだ。彼女がそう言った途端、星奈はまるで救世主を見るような目を咲夜に向けた。「私も、それがいいと思います!」星奈は大喜びし、咲夜を見れば見るほど好きになっていった。智哉は、星奈を残せば何かと支障が出るのではないかと心配している。だが、咲夜の考えは違った。どうせ星奈には、すでに智哉の正体を見抜かれている。今さら無理に隠そうとするほうが、かえって不自然だ。彼女がここに残ったところで、それほど大きな影響はないだろう。千暁も咲夜の考えを察し、智哉を見て言った。「俺も問題ないと思う」夫婦そろってそう言われては、智哉もこれ以上追い返すわけにはいかなかった。彼は真剣な表情で星奈を見た。「残ってもいい。ただし、三つ約束しろ。一つ目。お前は俺のことを知らない。俺は智哉じゃない。ここでは『森川一成』という名前で、千暁に雇われているボディガードだ。二つ目。俺とは距離を置け。正体を知られるわけにはいかない。約束した以上、必ず守ってくれ。最後に……」智哉はそこで一度言葉を切った。「何が起きても絶対に首を突っ込むな。星奈、一つでも守れなかったら、その時点で帰ってもらう」星奈が、ここまで真剣な智哉を見ることは滅多になかった。普段も彼女に対して冷たい態度を取ることは多いが、それでも何だかんだ言って、かなり大目に見てくれていた。だからこそ星奈も、今回は真剣な顔で約束した。「分かった。智哉さんがやろうとしてることの邪魔は絶対にしない。ちゃんとわきまえてるから」智哉がいったい何をしようとしているのかは分からない。それでも、それが彼にとってどれほど重要なことなのかは、星奈にも感じ取れた。智哉は彼女を一瞥した。「じゃあ、今この瞬間から俺とは距離を取れ。お前は俺のことなんて知らない」智哉が最後まで言い終わらないうちに、星奈はぴょんと彼のそばから飛び退き、一気に距離を取った。そしてにこにこと笑いながら智哉を見る。「そこの無愛想な方、このくらい離れてれば大丈夫ですか?もう少し遠くに行ったほうがいいですか?」その口調
続きを読む

第699話

心臓がどくんと大きく跳ねた。スマートフォンを持つ手が、ひどく震えている。星奈は深く息を吸い、電話に出た。「もしもし、叔母さん」口を開いた瞬間、自分でも驚くほど声が掠れていることに気づいた。彼女はどうにか気持ちを落ち着かせ、普段と何も変わらないように振る舞おうとした。電話の向こうから香織の声が聞こえてくる。「星奈、どこに行ってるの?今どこにいるかは知らないけど、すぐに桜ノ宮市へ戻ってきなさい。家族から大事な話があるの」星奈は答えた。「叔母さん、何の話?そんなに大事なことなら、どうしてお父さんやお母さんから直接電話してこないの?私、今は帰れないよ。初華(ういか)が失恋しちゃって、気晴らしにあちこち連れていってるところなの」彼女が口にした初華のことは、香織も知っている。鷹司家の運転手を務める三宅秀吉(みやけ ひでよし)の娘で、幼い頃から星奈と一緒に育ってきたため、二人は昔からとても仲が良かった。ここ数日、三宅初華(みやけ ういか)が鷹司家にいないことも、失恋したことも、香織は秀吉から聞いていた。ただ、まさか星奈が付き添っているとは思っていなかった。それでも香織の口調には、有無を言わせない強さがあった。「初華が失恋して気晴らしに出かけること自体は構わない。でも今、家には本当に大事な話があるの。あなたには必ず戻ってきてもらわないと困る。今どこにいるの?」現在地を問い詰められ、星奈は一瞬慌てた。叔母の声がいつになく真剣なのが分かったからだ。「叔母さん、私、初華と北のほうにいるの。初華、昨日の夜、自殺しようとして病院に運ばれたんだ。今も私が付き添ってるの。叔母さん、こんな状態の初華を置いて帰るなんてできないよ。それはさすがにひどいでしょ?」星奈は嘘をついた。今はまだ鷹司家へ戻りたくなかった。なぜかは自分でも分からない。ただ、今すぐ鷹司家へ戻ることには強い抵抗があった。その話を聞いた香織は何かを思い当たったようで、やがて少し口調を和らげた。「分かった。それなら、いつ頃戻れそう?別に今すぐでなければならない話でもないから、あなたが戻ってきてから話すわ」どうやら、その話は星奈本人がいなければできないものらしい。星奈の目に、複雑な色がよぎった。彼女は唇を噛み、小さな声で答えた。「叔母さん、初華が落ち着いたら、
続きを読む

第700話

星奈はぎゅっと目を閉じた。「ギャンブルでとんでもない額の借金を作っちゃったの。返すお金がなくて、危うく借金して穴埋めしようとして……たぶん向こうから父に連絡がいったんだと思う。私……自分が馬鹿なことしたのは分かってる。自業自得だし、本当に反省してる。でも今、父はものすごく怒ってるはずだから、帰ったら絶対に脚を折られる……」鷹司家の躾は非常に厳しく、幼い頃から家族全員に、賭博や違法薬物などには絶対に手を出してはならないと言い聞かせてきた。小さく身を縮め、怯えたように震えている星奈を見て、智哉の眼差しはみるみる冷え切っていった。「ギャンブルなんかやったのか?お前は馬鹿なのか?その頭でよく賭け事なんかしようと思ったな?いっそのこと、その頭まで賭けて負けてくればよかったのにな」智哉は腹立たしそうに吐き捨てた。星奈は自嘲気味に冗談を返した。「頭まで失くしてきたら、首なし死体になっちゃうじゃん」言い終えた途端、智哉から凍りつくような視線が飛んできた。星奈はびくりと首をすくめ、唇をきゅっと結ぶと、大人しく黙り込んだ。智哉の目は、今にも彼女を八つ裂きにしそうなほど険しい。しばらくして、彼はようやく冷たい声で尋ねた。「いくら負けた?」智哉の鋭い視線に耐えきれず、星奈はおそるおそる指を二本立てた。「二億?」智哉の表情がわずかに和らいだ。「俺から金を出す。アシスタントに振り込ませるから、さっさと借金を返してこい。星奈、よく覚えておけ。次にまたギャンブルなんかにのめり込んだら、お父さんがお前の脚を折る前に、俺がお前の手を叩き折るからな」智哉は冷たい顔で彼女を睨みつけた。「たまに本気で、お前の頭をかち割って、中に何が詰まってるのか見てみたくなる」「智哉さんが詰まってるんじゃない?」星奈は考える間もなく、反射的にそう答えた。しかも言い終えると、いつものように智哉へ柔らかな笑みを向ける。智哉は言葉を失った。星奈はやがて笑みを引っ込め、ぼそぼそと付け加えた。「それと……二億じゃないの。二十億」「に……二十億?」智哉は再び怒りに火がついた。せっかく落ち着きかけていた血圧が、一気に跳ね上がったような気分だった。星奈は何も言えず、智哉と目を合わせる勇気すらなく、ただ俯いているしかなかった。ただ黙って、今に
続きを読む
前へ
1
...
6869707172
...
91
コードをスキャンしてアプリで読む
DMCA.com Protection Status