All Chapters of 縁が逆転~元カレの叔父が夫~: Chapter 1001 - Chapter 1010

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第1001話

そう言い捨て、雅也は足早に会議室を後にした。残された役員たちは、突然の事態に顔を見合わせ、戸惑いを隠せなかった。しかし、彼らが雅也の急な退席の理由を知るのに、そう時間はかからなかった。今日、創和が最新開発チップ「銀河」の発表会を行ったのだ。律がステージ上で誇らしげに語る銀河のスペックは、現在展望技術が最終テスト段階に入っているレイ・グローリー第6世代と、ほぼ完全に一致していた。銀河の発表会の中継映像を見終えた雅也の顔は、これ以上ないほど陰惨に歪んでいた。「社長。創和が今日発表した『銀河』は、明らかに当社の第6世代をピンポイントで狙い撃ちしたものです。間違いなく、社内の何者かが第6世代のコアデータを外部に漏洩させています。でなければ、これほどまでにスペックが一致するはずがありません」「開発部の統括を呼べ」社長室へ向かう道中、統括はすでに雅也の意図を察していた。部屋に入るなり、彼は血相を変えて報告した。「社長。現在、開発部の全メンバーを対象に緊急調査を行っています。長くて三時間、三時間以内には、必ずデータ漏洩の有無と犯人を特定してみせます」「『有無』を調べる必要はない。漏洩は確実に起きている。お前がやるべきことは、その裏切り者が誰なのかを突き止めることだけだ」統括は青ざめた顔で頷いた。「かしこまりました。一刻も早く特定します」「下がれ。二十四時間以内に結果を出せ」統括が退室し、社長室は再び重苦しい静寂に包まれた。雅也は深く息を吸い込み、書類を手に取ったが、一行たりとも頭に入ってこなかった。第6世代には、すでに数兆円という途方もない開発資金が投じられている。もし裏切り者をあぶり出し、事態を覆すことができなければ、そのすべてが海の藻屑となる。雅也は書類を叩きつけるように置き、恭平を呼びつけた。「ファルコンに、現在の任務をすべて中断させろ。第6世代の開発に少しでも関与した全従業員、およびその家族と友人の身辺調査を徹底的に行え。三日以内に、直近で大金の入金があった者、あるいは不動産などを購入した者をすべて洗い出せ」恭平は顔を引き締めて頷いた。「かしこまりました。直ちに手配します」一方その頃。創和の新型チップ銀河の発表は、市場に凄まじい衝撃を与えた。発表直後から創和の株価はストップ高となり
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第1002話

律の言葉が終わった瞬間、会場は割れんばかりの拍手喝采に包まれた。質問をした記者も熱心に拍手を送り、興奮気味に言葉を続けた。「では、創和の開発メンバーの皆様を代表して、もう一つお伺いします。『銀河』が正式に市場へ投入された暁には、彼らにどれほどのボーナスを支給されるご予定ですか?」律は微かに微笑み、ゆったりとした口調で宣言した。「ボーナスは、最低でも一人あたり四百万円から。それに加えて、心身をゆっくり休めてもらうため、全員に一ヶ月間の特別休暇を付与するつもりです」その言葉に、会場はどよめきと熱狂の渦に巻き込まれた。現代の過酷なビジネス環境において一ヶ月の長期休暇など、多くの労働者にとっては夢のまた夢だ。それが今、現実のものとして提示されたのだ。「水瀬社長、それは本当ですか!?」記者は、まるで自分がその休暇をもらえるかのように目を輝かせた。律は頷いた。「ええ、勿論です」「ははっ、では私が代わりに、開発部の皆様から水瀬社長に御礼を申し上げます!」……その後も記者の質問は続き、律はよどみなく、完璧な受け答えで対応していった。発表会は終始和やかなムードのまま、終盤へと差し掛かった。しかし、終了の挨拶へ移ろうとしたその時、一人の記者がスッと立ち上がり、鋭い声で律に問いかけた。「水瀬社長。最後に一つ、よろしいでしょうか」律は口角に笑みを張り付けたまま、「どうぞ」と促した。「現在、ネット上で『創和が今日発表した銀河は、展望技術が開発中のレイ・グローリー第6世代のコアデータを盗用したものである』という噂が流れています。この件について、水瀬社長の見解をお聞かせください」律は顔色一つ変えず、自信に満ちた声で堂々と言い放った。「全くの事実無根、荒唐無稽なデマです。もしその主張を裏付ける証拠があるのなら、ネットの片隅でコソコソと流言飛語を撒き散らすのではなく、堂々と警察へ行くべきでしょう。流言は知者に止まる。ここにいらっしゃる皆様方には、根も葉もないデマに惑わされない、確かな判断力がおありだと信じています。そして、この悪質なデマは創和のブランドイメージを著しく毀損するものです。後ほど法務部に指示を出し、このような事実無根の言説を流布した者に対しては、断固として法的措置を取る所存です」律の態度は極めて冷静で、そ
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第1003話

「かしこまりました」恭平が退室して間もなく、雅也のスマホが鳴った。櫂からだ。「雅也。水瀬律のあの『銀河』ってのは、一体どういうことだ?本当にお前の会社のデータが盗まれたのか?」半年前から、櫂は展望技術が第6世代で目指している開発の方向性を把握していた。だからこそ、今日律が発表した銀河のスペックが、展望技術のそれと不気味なほど酷似していることに気づいたのだ。あんな偶然など絶対にあり得ない。「ほぼ間違いないだろう。現在、誰がコアデータを漏洩させたのか洗い出しているところだ」櫂の声には、どこか気怠げな嘲笑が混じっていた。「第6世代のデータが漏れたとなれば、たとえ裏切り者を突き止めたところで、裁判には長い時間がかかる。来年、お前の会社が第6世代を予定通りリリースできるかどうかは、完全に未知数になったわけだ……俺たちで進めている新エネルギー自動車のプロジェクトに、支障はないんだろうな?」雅也の瞳が暗く沈んだ。「案ずるな。支障は出させない」「それなら安心した。犯人探しが早く片付くことを祈ってるよ。この後会議があるから、邪魔して悪かったな」電話が切れ、雅也はスマホをデスクに置いた。彼はゆっくりと立ち上がり、全面ガラス張りの窓際へ歩み寄った。眼下を行き交う車のライトと人波を見下ろしながら、彼の顔色は限界まで陰惨に沈み込んでいった。間もなく、ファルコンから報告が入った。しかし、それは絶望的な内容だった。第6世代のプロジェクトに関与したすべての人間――少しでもデータに触れる可能性のあった者から、開発フロアを担当する清掃員の家族に至るまで、徹底的に金の流れを洗ったが、誰一人として直近で不自然な入金や不動産購入の形跡は見当たらなかったのだ。「社長……これからどう動きますか?」恭平の顔色は蒼白で、その声には隠しきれない焦りが滲んでいた。もし創和が展望技術のコアデータを盗用したという決定的な証拠を掴めなければ、第6世代に投じた数兆円という莫大な開発費は完全に水の泡となる。展望技術にとって、これは先の第5世代と東雲の機械の相性問題とは比較にならないほど致命的な一撃だ。主力となる新製品を市場に出せなくなった企業に、未来を託す投資家などいない。たとえ今から第7世代の開発に着手したとしても、さらに数兆円の資金と数年の歳月が必要
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第1004話

楓は雅也の向かいに腰を下ろした。「創和の『銀河』が、展望技術のレイ・グローリー第6世代のデータを盗用したって噂、本当なの?」雅也は眉をひそめた。「会社の問題だ。君が気にする必要はない」彼がはぐらかそうとするその態度で、楓は春樹の噂がほぼ事実であると確信した。「社内のスパイは、もう見つかったの?」「まだだ。現在、直近で創和側の人間と接触した形跡のある従業員を洗い出しているところだ」雅也の疲労が色濃く滲む顔を見て、楓の瞳に痛切な思いが過った。「従業員だけを洗っても意味がないかもしれないわよ。第6世代の全コアデータを創和に引き渡せるような人間なら、社内でそれなりの権限を持っているはず……株主たちの中に、怪しい人間はいないの?」雅也の顔色が沈んだ。「まだ洗っていない。だが、従業員から何も出なければ、恭平に指示して株主の身辺調査に切り替えるつもりだ」株主の利益は、展望技術の存続と直接結びついている。自社のコアデータをライバルに売り渡すなど、自分の首を絞めるも同然だ。まともな思考力を持った人間なら、そんな誰の得にもならない愚行を犯すはずがない。だからこそ、雅也は彼らを最初の容疑者リストから外していた。楓は頷いた。「ええ。もし株主からも何も出なかったら……私が水瀬律に接触してみるわ。上手く立ち回れば、彼から何かボロを引き出せるかもしれない」その言葉が出た瞬間、雅也の表情は氷のように冷え切った。「ふざけるな!あいつが君にどういう執着を抱いているか、よく分かっているだろう。会社を延命させるために君を危険に晒すくらいなら、俺は迷わず会社を潰す」男として、愛する女を守るどころか、彼女を矢面に立たせて自陣を救おうとするなど、そんなのは男の風上にも置けない下劣な真似だ。彼の顔に浮かぶ激しい怒りと決意を見て、楓はそれ以上食い下がるのを諦めた。「ごめんなさい、今の話は忘れて。ただ状況を聞きたかっただけだから、もう仕事の邪魔はしないわ。先に帰る。あなたも、あまり無理して遅くまで残業しないでね」「ああ。夜は俺を待たなくていい。かなり遅くなる」本当は、今夜も徹夜になる可能性が高かった。だが、彼女を不安にさせたくなくて、雅也は言葉を濁した。「ええ、分かったわ」社長室を後にし、楓は幼稚園へ湊を迎えに行った。
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第1005話

律と一緒にいることは、楓にとって近親相姦と何ら変わりなかった。律の顔に張り付いていた笑みが、完全に凍りついた。「楓。桜井雅也の会社が倒産してすべてを失えば、君は必ず俺の元へ戻ってくる」「まず第一に、私は一度もあなたと付き合ったことはない。だから『あなたの元へ戻る』という言葉自体が成立しないわ。第二に、もし無理やりあなたと一緒にさせられるくらいなら、私は迷わず死を選ぶわ」楓の言葉が刃のように突き刺さるたび、律の顔色は蒼白になり、やがてどす黒く変色していった。彼は体の脇に垂らした両手を強く握り締め、こめかみには青筋が浮き出ていた。「そこまで……俺を忌み嫌っているのか?」「ええ」過去の彼の一方的な付き纏いも、今の狂気じみた執着も、すべてが彼女にとって気味が悪く、吐き気がするほど嫌悪の対象でしかなかった。本当に愛しているなら、なぜここまで自分を追い詰め、強要しようとするのか。律はそれ以上言葉を発さず、ただ陰惨な瞳で彼女を見つめ返した。楓、君が俺を憎もうが、嫌悪しようが構わない。這いつくばってでも、俺は必ず君を手に入れる!間もなく、湊が園から出てきた。楓は律を一瞥することもなく、湊の手を引き、そのまま背を向けて立ち去った。走り去っていく黒のマイバッハが完全に視界から消えるまで、律は氷のような顔でその場に立ち尽くしていた。「お父さん。今日はお迎えに来てくれたの?」不意に小さな手が自分の服の裾を引くのを感じ、律が視線を落とすと、そこには不思議そうな顔をした慎が立っていた。律は無理に笑みを作り、慎を抱き上げた。「ああ。今日は仕事が早く終わったからな」慎は律の首に両腕を回した。「お父さんが毎日お迎えに来てくれたらいいのになぁ」美雨に見捨てられたと悟った慎は、今度は律に捨てられないよう、必死に彼の顔色をうかがい、子供ながらに精一杯の機嫌取りをしていたのだ。律は息子からの「依存」を心地よく感じ、笑みを深めた。「ああ、これからはなるべく早く仕事を片付けて、毎日迎えに来てやる」「ほんと?ありがとう、お父さん!お父さん大好き!」慎は律の頬にキスをし、これ見よがしな愛想笑いを浮かべた。だが、律は息子のその偽りの笑顔の裏にある不安と打算に全く気づいていなかった。彼にとって、息子から必要とされ
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第1006話

「せいぜい足掻いてください、桜井社長。俺は他の客の相手がありましてね。失礼します」言い捨てると、律は踵を返し、その場を立ち去った。雅也は彼が遠ざかる背中を氷のように冷たい目で見据え、グラスに残っていた酒を無造作に飲み干した。水瀬律。その余裕の笑みがいつまで続くか、見物だな。雅也は空のグラスをウェイターのトレイに置き、会場を後にしようと歩き出した。しかし、出口に向かう途中で拓海と鉢合わせた。拓海の口角には嫌味な笑みが張り付き、雅也を見るその目には隠しきれない優越感と嘲笑が宿っていた。「やあ、桜井社長。奇遇だな。最近、展望技術のチップがあちこちでトラブルを起こして大変だと聞いているが。問題解決に奔走する暇もないのに、こんなパーティーに顔を出す余裕はあるのかい?」五年前、彼が雅也に提携を持ちかけた時、雅也は彼を一瞥もせずに鼻であしらった。だが今や、その展望技術の無様な姿を見下ろす側に立っているのは、この自分なのだ。雅也は無表情のまま彼を一瞥した。「遠藤拓海。うちの事情に随分と詳しいようだが、毎日暇を持て余して他社を監視しているのか?余計な忠告だが、展望技術の心配をする暇があるなら、自分の会社の足元でも見直した方がいい。自分が手を組んでいる相手が、人間なのか、それとも人を喰らう化け物なのか。お前はまだ気づいていないようだからな」律と拓海が裏でどんな工作をしているかなど、雅也はとうの昔にすべて把握していた。ただ、拓海が律のような男と手を組むのは、まさに悪魔と契約を交わすようなものだ。いずれ利用価値が搾り尽くされ、自分がどうやって破滅したのかすら気づかないまま死んでいくだろう。拓海の顔色が変わった。「桜井社長。俺の心配をしてくれるのはありがたいが、それよりも自分の心配をした方がいいんじゃないか?展望技術のような大企業が、ある日突然あっけなく倒産してしまったら、さぞかし惜しいことだからな」雅也は微かに口角を上げた。「安心しろ。万が一倒産するとしても、間違いなくお前の会社の後だ」「……俺を脅す気か?」拓海の瞳に侮蔑の色が過る。桜井雅也は、まだ展望技術が「誰も手出しできない絶対的な王者」だとでも勘違いしているのか?第5世代のトラブルが発覚して以来、裏でどれほどの人間が展望技術の息の根を止めようと虎視眈
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第1007話

翌朝。恭平は血の気を失った顔で、ファイルを手に社長室へ駆け込んできた。「社長……これをご覧ください……」雅也はファイルを受け取り、中身に目を通した。彼の表情は見る見るうちに冷酷な氷の刃のように研ぎ澄まされていった。「社長。現時点では、藤川駿(ふじかわ しゅん)取締役が水瀬律と密かに頻繁な接触を繰り返していたことまでは確認できました。しかし、彼が第6世代のデータを漏洩させたという決定的な証拠はまだ……」雅也は淡々と遮った。「これ以上調べる必要はない。奴で間違いない」経営陣の人間以外に、第6世代の全コアデータをコピーして律に引き渡せる権限を持つ者などいない。これまで雅也が経営陣を疑わなかったのは、第6世代の失敗が彼ら自身の莫大な利益の損失に直結するからだ。だが、その常識を覆すほどの、会社の損失を補って余りある巨額の報酬と甘い誘惑を、律が彼に提示したということだ。だからこそ、彼は自らの会社を売るという凶行に走ったのだ。「社長、これからどう動かれますか?警察に……」駿は、展望技術の株式の10%を保有する大株主であり、これまで会社の成長に多大な貢献をしてきた重鎮だ。恭平も、調査の過程で様々な人間を疑ったが、まさか彼が裏切り者だとは夢にも思わなかった。だが今となっては、最もあり得ないと思われていた人間こそが、真実の核心に最も近かったのだと思い知らされた。「焦るな。奴を警察に突き出す前に、ファルコンに指示して、奴が第6世代以外にどのような機密データを創和に売り渡したのかをすべて特定させろ」「かしこまりました」恭平が退室すると、雅也は即座に佐智雄に連絡を入れ、至急会社へ来るよう命じた。三十分もしないうちに、佐智雄が息を切らせて社長室に飛び込んできた。「叔父さん!こんなに急に呼び出して、どうしたんだ?」「展望技術の中枢データが、ほぼすべて外部に漏洩した可能性が高い。このままいけば、倒産は免れないだろう」駿が本当にコアデータを律に売り渡していたのであれば、展望技術は完全に後手に回り、致命的なダメージを受けることになる。佐智雄の顔から一瞬で血の気が引いた。「なんだって!?中枢データが漏洩するなんて、そんなことあり得るのか!?」「今ここでその原因を論じても意味がない。お前は帰社次第、直ちに桜井グループと
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第1008話

社長室のドアをノックして中に入ると、雅也はデスクで書類に目を通していた。聞き慣れた足音に顔を上げた雅也は、楓の姿を認めた瞬間、わずかに口角を緩めた。「来たのか」楓は持参した朝食の包みをテーブルに広げ、優しい声で言った。「少し何かお腹に入れて。どんなに忙しくても、体が資本なんだから」雅也は全く食欲を感じていなかったが、彼女を心配させまいと、書類を置いて向かいの席に座った。楓が彼に箸を手渡した時、彼女は彼の下顎に無精髭がうっすらと生え、目の下には濃い青隈が張り付いているのに気づき、胸が締め付けられるように痛んだ。「先に食べてて。私、髭を剃ってあげるから」雅也は小さく頷いた。「ああ」彼が料理を口に運んだのを見届けてから、楓は休憩室へ向かった。背を向けた瞬間、彼女の視界が不意に滲んだ。ここへ来る途中、明里から電話があった。「展望技術は今回、本当に倒産するかもしれない」と。彼女自身は、雅也と一緒に苦労することなど少しも恐れてはいなかった。ただ、誇り高くプライドの高い彼が、この現実を受け止めきれないのではないかということが何よりも怖かった。彼のような男にとって、自らの手で築き上げた会社が倒産するということは、天国から地獄へ突き落とされるのと何ら変わりない絶望なのだから。休憩室の洗面台で冷たい水を顔に叩きつけ、目が赤くなっていないことを確認してから、彼女は雅也のシェーバーを探し出した。十分後。彼女が温かく蒸したタオルとシェーバーを手に休憩室を出ると、テーブルの上の朝食はきれいに空になっていた。彼女は一瞬動きを止め、それから彼の傍へ歩み寄った。「ソファに横になって。先に蒸しタオルで温めるから」「ああ」雅也がソファに仰向けになると、楓は彼の口元から顎にかけて温かいタオルを当て、彼のこめかみを優しく揉みほぐした。間もなく、雅也の規則正しい寝息が聞こえてきた。彼女は手を止め、タオルをそっと外し、シェーバーで丁寧に髭を剃り始めた。彼を起こさないよう、その動作は極めてゆっくりと、慎重なものだった。十数分かけて、ようやく顎の髭をきれいに剃り終えた。彼女は再びタオルで彼の顔を優しく拭い、シェーバーとタオルを洗って干すために休憩室へ戻った。そして空になった弁当箱を片付けると、足音を忍ばせて社長室を後にした。
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第1009話

雅也は恭平を制するように手を挙げ、枯れ果てたような低い声で命じた。「お前は先に出ろ」恭平は少し躊躇ったが、意を決して口を開いた。「社長。今最優先すべきは、直ちに藤川の身柄を拘束することです。さもなければ、展望技術は本当に……」「株主たちに連絡しろ。十時から緊急株主総会を開く」「……かしこまりました」恭平が退室すると、雅也は窓辺へ歩み寄り、遠く広がる海を無表情で見つめた。かつて、何か行き詰まった時や考え事をする時、彼はよくここから静かに海を眺めたものだった。そうしているうちに、自然と解決の糸口が見つかった。だが、この窓から海を眺めるのも、これが最後になるかもしれない。午前十時。展望技術の緊急株主総会が開かれた。駿を除く、すべての株主が出席していた。雅也は、ただならぬ空気に落ち着きなく身をよじる株主たちを冷ややかに見回し、口を開いた。「展望技術は、間もなく倒産する可能性が極めて高い。全員、その覚悟をしておけ」その言葉は、静まり返った会議室に落とされた爆弾だった。瞬く間に阿鼻叫喚の騒ぎとなった。「なんだと!?社長、冗談にしてはタチが悪すぎますぞ!」「東雲の機械故障の一件でしょう?あれは先方の設備の問題ではないですか!仮にうちへのダメージがあったとしても、倒産などあり得ないでしょう!」「創和が昨日発表した『銀河』のせいですか?確かにスペックは第6世代と酷似していますが、創和が発表した価格は、我々が想定していた第6世代の価格よりも遥かに高額です!市場に出れば、うちが負けると決まったわけじゃない!」「そうですとも!こんな急に倒産だなんて、納得いきません!」……次々と口にされるのは、信じられないという拒絶と、見えない恐怖に対する怒りだった。雅也は彼らの言葉を無視し、手元のPCを操作してメインスクリーンに資料を投影した。「今日の会議に、一人欠席している株主がいる。誰かはお前たちも気づいているだろう。会社のあらゆる中枢データが、奴の手によって創和へ売り渡された。現在、創和は展望技術のコア技術と機密情報をすべて掌握している。この意味が分かるな?」全員が絶望に目を見開き、息を呑んだ。気の小さい者は完全に血の気を失い、椅子から転げ落ちそうになっていた。会社の全データが敵の手に渡る。それは、衆人環視の
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第1010話

その事実を突きつけられ、株主たちの顔はさらに絶望的な色に染まり、会議室は再び重苦しい静寂に包み込まれた。雅也は短い沈黙の後、淡々と告げた。「まずは各自、手持ちの業務を整理しておけ。法務部には、企業秘密の不正取得の罪で直ちに創和を提訴させる。だが、この手の訴訟は泥沼化し、途方もない時間がかかる。展望技術の体力が、判決まで保つ保証はどこにもない」創和側が意図的に裁判を長引かせれば、展望技術と共倒れになる道を選んででも、市場を他の企業に明け渡す隙を作ることになる。誰も言葉を発することができないのを確認し、雅也は冷徹に宣言した。「異議がないなら、本日の会議はこれまでだ」そう言い捨て、彼は立ち上がり、会議室を後にした。社長室に戻ってしばらくすると、恭平がドアをノックして入ってきた。「社長。先ほど創和の社長室から連絡がありました。水瀬律が、社長と面会したいとのことです」雅也の表情が暗く沈んだ。長い沈黙の後、彼は重々しい声で命じた。「……午後二時、この部屋へ通せ」午後二時。律は時間通りに雅也の社長室に姿を現した。「こんにちは、桜井社長」律の顔には余裕の笑みが張り付き、雅也を見下ろすその視線には、隠しきれない優越感と嘲笑が混じっていた。雅也は無表情のまま彼を見据えた。「水瀬社長。俺に何の用だ?」律は雅也の向かいのソファに腰を下ろし、ゆったりとした口調で切り出した。「桜井社長。展望技術が我が創和を提訴する件について、少しお話ししたいと思いましてね」「話すことなど何もない。創和が違法な手段で展望技術のコアデータを窃取した。だから訴える。至極当然の権利だろう?」「そんなことをすれば、展望技術と創和が共倒れになるだけですよ。ですから、何かお互いにとって『折衷案』がないか、話し合いの場を持ちたいと思いまして」雅也は冷笑した。展望技術の中枢機密をすべて盗み出しておきながら、今更「解決策」を話し合おうだと?「泣き寝入りして無様に破滅するより、共に血を流して共倒れになる方が遥かにマシだ。水瀬律、お前と話し合うことなど何一つない。帰れ」律がこのような下劣で無意味な戯言を並べるために来たと知っていれば、最初から面会など許可しなかった。雅也が一切の交渉を拒絶し、冷酷に突っぱねるのを見て、律はわざとらしくため息をつ
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