Tous les chapitres de : Chapitre 21 - Chapitre 30

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第21話

数日後。「羽川夫人、お久しぶりです」「羽川夫人だなんて……そんなかしこまらないでください」高級ホテルのレストランの個室にて。香織はある人物と会っていた。テーブルの上には紅茶とお茶菓子が並んでいた。香織の目の前に立っていたのは、五十手前の綺麗な女性だった。「私と叔母さんの仲ではありませんか。もっと楽にしてください」「ですが……」「以前のように呼び捨てにしてもらってかまいません」香織がそこまで言うと、彼女は根負けしたようだった。「そう、あなたが望むならそうするわ。香織、久しぶりね。最後に会ったのはあなたが羽川家に嫁ぐ前だったかしら?」「ええ、そうですね。叔母さん」香織が会っていたのは、父親の妹である滝沢美奈子(たきざわみなこ)だった。血を分けた兄妹ではあるものの、美奈子はあまり兄とは似ていない。社交的でおしゃべりな彼女は忠嗣とは正反対の性格だった。挨拶を済ませた二人は席に着いた。美奈子は紅茶を一口飲むと、口を開いた。「お兄様があなたのことを気にかけていたわ。たまにくらい顔を見せたらどう?」「……そうですね、考えておきます」美奈子のその言葉が香織のためについた嘘だということを彼女はよく知っている。いつも厳しかった父親が彼女を気にかけるはずがないから。「結婚生活はうまくいっているのかしら?」「……羽川家の噂はご存じではありませんか?」美奈子はピクリと眉を上げた。心当たりがあったのだろう。「……あまり順調ではなさそうね」「ええ、その通りです」香織は頷いた。亮太が愛人にかまけて本妻を蔑ろにしているという噂は、市内ではかなり広まっていた。顔の広い美奈子がそのことを知らないはずがない。「……大変な思いをしているようね」美奈子は紅茶の入ったティーカップを机の上に置いた。心配そうに香織を見つめる彼女と、目が合った。香織は今だと思った。「……私が今日、叔母さんをここへ呼んだのには理由があります」「……理由?」香織が今日叔母をわざわざこの場所へ呼んだのにはある狙いがあった。ただ近況を話したいというだけなら近場のカフェでよかった。わざわざ市外の個室レストランに誘う意味は別にあるのだ。「叔母さん、見てほしいものがあるんです」「……何をしているの?」そう言うと、香織は服を脱ぎ始めた。美奈子は驚いた顔で彼女を見つめた。「あなた…
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第22話

香織が叔母と会ってから数日、すぐに噂は市内に広まった。『羽川家の夫は愛人にかまけて妻を蔑ろにしているだけでなく、暴力まで振るっている』『羽川社長は暴力的で、部下たちにも普段から横柄な態度を取っている』噂は主に亮太を非難する内容だった。部屋で美由紀の淹れたお茶を飲んでいた香織に、彼女が驚いたように尋ねた。「奥様、噂が市内中に広まっていますよ!一体どんな手を使ったんですか?」「ちょっとお喋りなご婦人に協力してもらったのよ」香織はニヤリと笑みを深めた。彼女の叔母・美奈子はお喋りで顔の広い人だった。美奈子に秘密を喋れば明日には広まると九条家で噂されていたほどだ。香織はそんな彼女に目をつけた。「こんなにもすぐ、私の望み通りに動いてくれるとはね……」香織はそのことを知っていながら、あえて美奈子に亮太からの暴力を明かしたのだ。「奥様、上手くいったのはいいですけど……このあと旦那様が顔真っ赤にして部屋に突撃してくるんじゃないですか?」「まあ、確実にそうなるでしょうね……ほら、ちょうど聞こえてきたわよ」香織がそう言うと同時に、部屋の外から激しい足音が聞こえた。足音はだんだんこちらへ近付いてくる。「……!」真っ青になる美由紀とは対照的に、香織は面白そうに笑っていた。まるで迎撃する準備はできているとでもいうかのようだった。「香織!!!」すぐに亮太が扉を勢いよく開けて入ってきた。美由紀はビクリと肩を上げたが、香織は動じなかった。「あら、亮太」彼女は優雅に微笑みながら紅茶を一口飲んだ。亮太はそんな呑気な妻を前に、怒鳴り声を上げた。「お前、何てことをしたんだ!!!」「何のことかしら?」香織はわざとらしくとぼけた。「俺がお前に暴力を振るっていると、噂を流したのはお前だろう!」「あら、でもそれって噂じゃなくて本当のことでしょう?」「な、何を……」亮太はうろたえた。彼はたしかに、何回も香織に暴力を振るったからだ。「私、あなたに何度も殴られてとっても痛かったわ。か弱いレディーに暴力を振るうなんて最低よ?わかっているの?」「何がか弱いレディーだ。男を誑かす悪女のくせに」亮太はいつだって香織が悪女だと信じて疑わない。彼にとって日菜乃は聖女で、香織はその真逆の存在なのだ。「旦那様、いくら何でも言いすぎですよ!」「……何だお前」そこで亮太と
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第23話

「か、香織!!!」「……亮太、九条家の者に手出さないでくれる?」「何だと?」美由紀はすでに羽川家ではなく、九条香織の者となっている。彼女に手を出そうとする者を、香織は放っておくわけにはいかなかった。「いい加減にしなさい、亮太」「……」「お、奥様……!」美由紀は目に涙をためて香織を見つめた。「……美由紀さん、亮太と二人で話がしたいから出て行ってくれるかしら?」「で、ですが……!」「これは命令よ、早く行きなさい。私からしたら、あなたがこれ以上ここにいて彼に手を上げられるほうが困るのよ」「……」美由紀は渋々頷き、チラチラと二人に視線を向けながらも部屋を出て行った。部屋には香織と亮太だけになった。彼女は亮太にぶたれた頬をそっと手で押さえた。「やってくれたわね……」「俺が何をしたと?前に出たのはお前だろう」「私が出なかったら美由紀さんが犠牲になっていたでしょう」香織は頬を押さえながら椅子に座った。彼女は亮太の残酷さに驚きを隠せなかった。美由紀は香織と違い、彼の幼馴染で日菜乃よりもずっと長く時間を共にしている。そんな彼女に、何故手を上げることができるのだろうか。「あなたが私をぶってくれたおかげでまた噂になっちゃうわね」「……」亮太が眉をひそめた。香織にとっては都合がよかった。彼が見えるところに傷をつけてくれたおかげで、噂が真実なのだということを広く知らしめることができるのだから。「そうやって言っていられるのも今のうちだぞ」「あら、脅迫しているつもり?」香織の優雅な笑みが気に入らなかったのか、亮太はテーブルの上に置かれていたティーカップに入った紅茶を香織の頭にかけた。「……」香織の髪は紅茶で濡れてしまった。亮太はそんな彼女を嘲笑った。「いいザマだな」「こんなことをするだなんて、本当お子様ね」「俺は汚れたお前を綺麗にしてやろうと思ってやっただけだ」亮太が笑みを深めた。香織はそんな彼を煽り返すように、笑った。「そうね、私はたしかに汚れているわ。でもそんな汚らわしい女にキスをしたのは一体どこの誰かしら?」「……ッ!」亮太がうろたえた。彼にとって、あの日の行動は誰にも知られたくない黒歴史だったからだ。何故あのような行動をしたのかは自分でもわからなかった。本当は薄々勘付いていたが、香織の美しい見た目に我慢できなくなった
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第24話

それから数日後。とあるニュースが情報週刊誌の表紙を大きく飾った。『羽川グループの社長、愛人妊娠させ妻にDVか』週刊誌には香織の背中や腕に刻まれたアザの写真が載せられていた。そして事前に録音していた亮太の暴言のテープまで存在しているというのだから、世間は彼に蔑みの目を向けた。「……うまくいったようね」香織は美由紀が買ってきた週刊誌を開き、勝利の笑みを浮かべた。誰もが知る有名企業の社長・羽川亮太のDV疑惑は瞬く間に話題となり、大手サイトのトップニュースとなった。香織は叔母にDVの件を打ち明けたあと、知り合いの記者にも会っていた。彼は最初こそ信じられないようだったが、テープや身体に刻まれたアザなどを見せると掲載を約束してくれた。「羽川社長は外面だけはいいからね」「みんなアイツに騙されてるんですよ」亮太は世間では若き敏腕社長として知られていた。数年前、悲劇的な事故で両親を同時に亡くしてから、彼は羽川家のトップとなった。突然の不幸に、世間は彼に同情の眼差しを向け、応援する声まであったほどだ。市内での亮太の人気は凄まじく、妻である香織が冷遇されていることを知ってもなお、人々は香織に何らかの問題があるのだと思い込んだ。しかし、今回の香織の暴露によって彼の評判は崩れ落ちた。国中が彼の本性を知ることとなったのだ。「ここにいると息が詰まりそう、散歩したいからついてきてくれる?」「はい、奥様」香織は美由紀を連れて外に出た。家の近所を歩いていると、近隣住民が香織を見ながらヒソヒソと話していた。彼女に向けられたその視線は、以前のように悪意的なものではなかった。同情、憐憫など様々だ。香織は今さらそんなことを思われたところで嬉しくもなかった。「あの人たち、本当腹が立ちますね。これまで散々奥様のこと批判してたくせに」「まぁまぁ落ち着いて」あかさらさまに敵意を向けようとする美由紀を、香織は何とかなだめた。「これから大変なことになるわよ」週刊誌に掲載されてしまった以上、香織と亮太だけの問題ではなくなった。きっと両家を巻き込む大きな戦いになるだろう、と香織は心の中で覚悟を決めた。***亮太と香織の記事が発表されたちょうどその頃。九条グループの社長・九条忠嗣は本社の社長室にて週刊誌に大きく飾られた娘の写真をじっと眺めていた。香織の背中にできた大きなアザ
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第25話

週刊誌に亮太と香織の記事が掲載されてからというもの。亮太は近隣住民、会社の社員たちからの好奇の目に晒されていた。「……」歩いているだけで、女性たちからは嫌悪の視線を向けられる。自分を見ながらヒソヒソと噂する者。「ほら、あの人よ。ああいう大人にはなっちゃダメだからね」「……」亮太を見た子連れの母親が、連れていた男児に言った。彼はあまりの屈辱に耐えられなかった。自身を好き勝手言う者たちの胸倉を掴んで怒鳴りつけたいところだったが、そのようなことをしたところで逆効果だ。すでに彼の評判が地まで落ちてしまっている今、これ以上下げるわけにはいかない。何よりここは人目が多い。彼が我慢するほかなかった。(クソッ……何故こんなことになったんだ……!)亮太はイライラがいつまでたっても収まらなかった。蔑みの目を向けられているのは、彼の子を妊娠している日菜乃もだった。彼女は近所を歩いているだけで人々からの侮蔑の目に晒された。国中に亮太のDVが知れ渡ってしまっている以上、どこへ行っても似たようなことを言われるだろう。それだけではなく、お腹にいる子どもは「呪われた子」とまで言われているのだという。亮太は唇を噛んだ。(これもすべてあの女のせいだ……あの女がこんなことをしなければ……)彼は一連の騒動のすべてを香織のせいにした。今すぐにでも彼女の部屋へ行き、怒りをぶつけたい気持ちを彼は必死で抑えた。今はそのようなことをしている場合ではなかった。自分に嫌疑の目が向けられている以上、一刻も早く声明を出さなければならなかった。「社長」背後に控えていた芹沢が心配そうに彼に声をかけた。亮太がこれほど追い詰められているのを、彼は初めて見た。「芹沢、声明を出すぞ。いいか、認めたら負けだ。やっていないと押し通すんだ」「はい、社長」亮太は香織に嵌められた分、彼女に仕返しをしようと考えた。絶対に認めてやるものか。今度はお前を嘘つき女にしてやる。「最後に笑うのは俺だ……残念だったな、香織……!」亮太は社長室で一人勝利の笑みを浮かべた。彼は香織の真の目的を知らなかった。「社長!羽川社長!」「……いきなり何だ」そのとき、部屋に芹沢が慌てた様子で入ってきた。「九条グループの社長が……近いうちに羽川社長とお会いしたいと言っています!」「…………何だと?」九条グループ
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第26話

「奥様!ひどいですよ!」「……いきなり何なのよ、あなた」週刊誌に記事が掲載されてからすぐ、香織の元に日菜乃がやってきた。彼女は目に涙をためて香織を睨んでいる。「あんなことするだなんて最低です!奥様がそんな人だとは思いませんでした!」「……あんなこと?」香織は少し考え込んで、それが亮太のDV疑惑についてだということに気が付いた。なるほど、そのことを責めにきたのか。そりゃあ自分の恋人がDV男だと批判されているのだからいい気はしないだろう。しかし、彼女が本当に心優しい人間なら香織を責めるのではなく、加害者である亮太を責めるはずだ。(あなたはどこまでも偽善者よ)香織は日菜乃を冷たい目で見つめ返した。「あなたも知っているはずよ。私は本当に亮太からDVを受けているわ。あの記事に書かれていることに嘘はないのよ」「ですが、ああやって世間に公表する必要がありますか?奥様のせいで亮太の評判が下がったんですよ。彼が今どれだけ辛い思いをしているか知らないんですね!」「あのね、日菜乃さん。DVは犯罪よ。つまり亮太は犯罪者であるということ。犯罪者なら当然、テレビや新聞に名前が出るわけ。何もおかしいことではないわ」”犯罪者”という呼び方をしたのが気に障ったのが、日菜乃が声を荒らげた。「夫を犯罪者だなんて!奥様はよくもそんなひどいことが言えますね!」「夫?私は亮太を夫だなんて思ったことはないわ」「な、何を……!」亮太は香織をこれまで一度たりとも妻として扱わなかった。外で平然と愛人を囲い、彼女には指一本触れることなく、愛人との間に子供まで作った。そんな人を、夫だと思えるだろうか。「ところで日菜乃さん、あなたさっき亮太のことを私の”夫”って言ったわよね?」「……何がおかしいんですか」アハハッと声を上げて笑い始めた香織に、日菜乃は眉をひそめた。「ごめんなさい、面白くてたまらなかったのよ」人前で声を上げて笑うのは香織らしからぬ行動だった。「私と亮太が結婚していたこと、知っていたのね」「当然知ってるに決まってます。私を馬鹿にしているんですか?いくら私が庶民だからって、奥様はそんなことを言うんですね」不愉快極まりないという顔で香織を見つめる日菜乃に、彼女は言い放った。「――てっきり知らないのかと思ってたわ。もし知っていたとしたら、あなたは妻のいる男と平然
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第27話

香織の部屋を出て行った日菜乃は、自室で一人悔しさのあまり拳を握りしめた。「何なのよ、あの女は……」日菜乃の知る香織は、いつだって亮太を深く愛し、感情的に行動する女だった。時には髪の毛を引っ張られたり、頬をぶたれることまであった。そのたびに亮太は日菜乃の味方をしてくれたため、むしろ都合がよかった。あまりにも夫に相手にされていないせいか、香織は心に余裕がなくなり、行動もエスカレートしていった。日菜乃はそんな香織を憐れに思った。しかし――「最近のあの女は……何だか人が変わったみたいだわ……」日菜乃はついさっき見た香織の姿を思い浮かべた。亮太を夫だと思ったことはない、という発言には驚かされた。彼をあれほど愛していた香織があのようなことを言うとは。(一体何があの女を変えたというの……?厄介だわ……)日菜乃は香織の変化に内心焦っていた。香織は性格に問題こそあったが、外見は日菜乃よりもずっと美しかった。幼児体形の日菜乃とは違い、香織は身長も高く胸も大きかった。女性としての魅力が香織のほうがずっと上なのは認めざるを得ない。日菜乃はベッドにドサッと座り込んだ。今、亮太は家にいない。週刊誌に掲載されたDV疑惑でそれどころではないのだろう。つい最近香織が頬に傷を作って外へ出たことにより、彼のDVをほとんどの人が確信していた。香織はそれを狙ってわざとやったのだろう。何とも狡猾な女だ。「外へ出たところで、蔑みの目を向けられるだし……」これまでの香織と日菜乃の立場は逆転していた。日菜乃は愛人という立ち位置ではあったが、若き敏腕社長の最愛の女性として近隣住民からの評判は良かった。むしろ二人を引き裂く悪女は香織のほうだった。だが、今は日菜乃と亮太が完全に悪者扱いされていた。『あの女……よく外へ出てこれるわね』『噂によると、社長に奥様への暴行をさせるように仕向けたのはあの愛人の女だとか……』『まぁ、何て恐ろしい女なのかしら……羽川社長といい、人は見かけによらないのね……』亮太も似たようなことを言われているのだと、日菜乃は秘書の芹沢から聞いていた。覚悟はしていたが、ここまで言われると、良い気はしなかった。そして、一人の若い女が口にした一言で、彼女は限界を迎えた。『――あの腹にいるのは呪われた子よ、犯罪者が生まれてしまうわ』『なッ……!』日菜乃は無意
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第28話

それから数日後。亮太のDV疑惑が週刊誌に取り上げられてからというもの、香織の周囲にいる者たちの態度は一変した。これまでは香織が悪者で、亮太と日菜乃は真実の愛を貫いている、というような扱いだった。(不倫が真実の愛扱いされるだなんて……笑っちゃうわ)今思えば、最初からすべてがおかしかったのだ。亮太も日菜乃も、周囲にいる人間たちも。香織が美由紀を連れて邸宅を歩いていると、亮太と出くわした。彼女は華麗にスルーしようとしたが、亮太が行く手を阻んだ。ここを簡単には通さないようだ。「あら、どうかしたの?また私を責めに来たのかしら?」「……」亮太は何も言わずにただ黙って香織を見つめていた。あまりにも世間からのバッシングにあっているせいか、目の下には薄っすらとクマがある。よく眠れていないのだろう。「暴力を振るいたければそうすればいいわ。まぁ、手を上げたところであなたの評判が下がるだけだけどね」「……………お前の父親が俺たちと話し合いをしたいと言っている」「……何ですって?」香織は耳を疑った。「明日の夜、ここ羽川家へ来るそうだ。お前も同席させるから、準備をしておけ」「……私は本当のことしか言わないからね!」亮太はそれだけ言うと、そのまま香織の前から立ち去って行った。「お父さんが羽川家へ来るだなんて……これまで一度も連絡を寄越さなかったくせに……一体どういう風の吹き回しかしら?」「奥様のことを心配しているのでは?」「……あの人が?」香織は最後に実家で見た父・忠嗣の姿を思い浮かべた。『お父さん、行ってきます。彼の良き妻になれるように努力します』『ああ』そう言うと、忠嗣は僅かに微笑んだ。いつも冷淡で無愛想な父の笑ったところを見るのは初めてだった。しかし香織は、今さらそんな顔をされてもまったく嬉しくなかった。(お父さん……私が家を出て行くのがそんなに嬉しいのかな……)香織が家を出る数年前、忠嗣はかなり年下の女性と再婚していた。香織は再婚相手の女性とはほとんど関わらなかったから、どのような人かはわからない。しかし、彼女が父の心を射止めたのは間違いないようだった。香織にもほとんど向けられたことのないような笑みを、彼女にだけは惜しみなく向けていたのだから。香織が家を出て行けば、忠嗣は愛する女性と二人きりになれる。そのことが嬉しくて笑ったのだろう。
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第29話

翌日。「奥様、九条様がいらっしゃったそうです」「そう、今行くわ」夜になり、軽く準備を済ませた香織は自室から下の階へと移動した。香織の父であり、九条グループの社長・九条忠嗣が到着したようだ。忠嗣が羽川家へ来るのは初めてだった。香織は実家を出て以来、家族との連絡を絶っていた。亮太との結婚は、香織自身が強く望んだことだった。自分の我儘でこういう風になったのだから、何があっても我慢しなければならないと思い、助けを求めることだけはできなかったのだ。「……」香織は父親に久々に会うことを考えると、何だか緊張した。彼女の記憶の中の父親は、いつも厳格で冷たい人だったから、なおさらだ。何かキツいことを言われるのではないか、自分を責めに来たのだろうか、などとつい余計なことを考えてしまう。「奥様、そう不安にならないでください。きっとすべてうまくいきますよ」「美由紀さん……」緊張で固くなっている香織の背中を、美由紀がさすった。彼女は落ち着きを取り戻し、父親の待つ部屋の扉を開けた。「…………香織」部屋の中には顔色の悪い亮太がいた。どうやら香織が一番最後だったようだ。そして、彼の正面には――「揃ったようだな」「……お父さん」父・忠嗣が座っていた。(……最後に見たときよりもちょっと老けたかしら?でも相変わらず元気なようね)前世での記憶があるせいか、何だかとても懐かしい気持ちになった。香織が最後に見たときよりも多少歳は取っているが、醸し出す独特のオーラや威厳は変わっていない。「お久しぶりです、お父さん」「ああ、元気にしていたか」「……………はい」香織はしばらく迷ったあとに頷いた。父親にそうやって言われると、何だか泣きそうになってしまう。(……誤解してはいけない、お父さんは私のことなんて何とも思っていないんだから)今回だってただ、九条家の名を汚されたからここへ来たというだけだ。香織は必死でそう自分に言い聞かせた。「……何をしている、早く座りなさい」「あ、はい……」香織は扉の前に突っ立ったままだったことに気付き、慌てて亮太の隣に座った。(……日菜乃は来ていないようね)図太い彼女のことだから、今回の話し合いに参加するかもしれないと思っていたが、そこまでではなかったようだ。「……羽川社長」「……はい」忠嗣は机をトンッと指で叩いた。「先日
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第30話

「日菜乃……!?何故お前がここにいるんだ……!?」彼女の登場には亮太も想定外だったようで、驚きを隠しきれていない。日菜乃は亮太に駆け寄ると、彼をギュッと抱きしめた。(……………何をしているの?)香織と忠嗣の前でそのようなことをするだなんて、気が狂ったのか。しかし、彼女はいたって正常のようだった。「社長さん!亮太さんをそんなに責めないでください!」「……………何だと?」忠嗣は眉をひそめた。「ひ、日菜乃……やめるんだ……」彼女の胸に抱きしめられた亮太は、焦ったように彼女を制止したが無駄だった。「たしかに奥様は社長さんの大切な一人娘ですけど……そうやって双方の話も聞かずに判断するのはよくないと思います!」「……君は私が羽川社長の話を聞いていないというのか?」「どうせ香織さんの話を信じているんでしょう?香織さんは社長の娘さんですから、そういう風になるのも仕方のないことです」「……」忠嗣は呆れて何も言えなくなったようだった。日菜乃はこれまでのやり取りをまるで聞いていないまま、感情に任せてここへ突入してきたようだ。「ですが、今回ばかりは亮太の話もきちんと聞いてください!」「……ところで、君は一体誰なんだ?」「私は山川日菜乃です!」「何故君がここにいる?羽川社長とはどのような関係なんだ?」忠嗣の問いに、亮太の顔が真っ青になった。(あらあら、一体何て言うつもりかしらね……)この状況で愛人だと素直に言ったら私は日菜乃を尊敬するだろう。まぁ、普通の人ならそんなこと言うわけがないが――「私は亮太の恋人です!彼の子供を一人産みました!今は二人目を妊娠中です!」ほんとに言いやがった、この女。香織は一周回って日菜乃を尊敬してしまった。「恋人だと……?羽川社長には妻がいるのではなかったか?」忠嗣が亮太に鋭い視線を向けた。「え、ええ……その通りです……」亮太は冷や汗をかきながらも頷いた。「しかし、私には彼女が嘘を言っているようにも見えない。ということは、君は羽川社長の愛人ということで間違いないか?」「愛人だなんて!そんな風に言わないでください!」日菜乃は忠嗣の発言が気に障ったのか、声を荒らげた。「私たちは愛し合っているんです!私は香織さんよりもずっと亮太から愛されているんです!ただ香織さんより出会うのが遅かっただけですよ!」「……認め
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