Tous les chapitres de : Chapitre 31 - Chapitre 40

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第31話

「しゃ、社長……」忠嗣に腕をガッシリと掴まれた亮太の顔は真っ青だった。香織は父親が自分を守ってくれたということに驚きを隠せなかった。(……お父さんが、私を庇った?)驚くのも当然だ。香織の記憶の中にいる父親はいつだって冷たくて、血を分けた子供に関心がなかったからだ。そんな父が、自分を守るようにして前に立つだなんて。「羽川社長、私の娘に何をしているのかと聞いているんだが」「社長……誤解です……」亮太は青い顔のまま答えた。彼がこのように追い詰められている姿を香織は初めて見た。(自分より上の立場の人間に媚びへつらおうとするところは相変わらずね)亮太は臆病な人間で、か弱い女性には当たり散らし、自分より上の者には何もできなかった。それが亮太という男だった。「誤解だと?ならこの手は一体何をするつもりだったんだ?」「そ、それは……」忠嗣の鋭い視線に、亮太は何も言えなくなっていた。彼は握った手に力を込めた。「ウッ……」亮太が苦しそうにうめき声を上げた。いくら年を取っているとはいえ、忠嗣はまだまだ見た目が若く、体力もある。亮太は抵抗することができなかった。「社長さん、やめてください!」二人の間に日菜乃が割り込んだ。亮太を庇うように忠嗣の腕に触れた日菜乃に、彼が眉をひそめた。「……君は黙っていてくれと言わなかったか?」「黙っていることなんてできません!」「……」日菜乃に触られるのが不快だったのか、忠嗣は亮太の腕から手を離した。「亮太さん、大丈夫ですか?」「……あぁ」握られていた亮太の腕には、忠嗣の手の痕がくっきりと残っていた。「社長さん、あんまりですよ!むしろ社長さんが亮太に暴力を振るっているようなものではありませんか!」「……とんでもないことを言いだすのだな、君は」この状況で亮太の肩を持つとは。どうやら日菜乃の彼に対する愛は本物だったようだ。(ホンット、メンタルの強い女ね……)こんな暴力男を心から愛することができるだなんて、香織は日菜乃に感心した。「……どうやら羽川社長が妻にDVをしているというのは本当だったようだな」「……!」忠嗣は先ほどの亮太の行動を見て、確信したようだった。(お父さん……!)彼はチラリと香織を見た。「このような場所に娘を置いておくわけにはいかない。離婚が成立するまで、香織は九条家に連れて帰ることと
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第32話

美由紀を連れて九条家へと戻った香織は、久々に帰ってきた我が家に感嘆の声を漏らした。「わぁ、懐かしいわね!」「羽川邸くらい大きいです……さすがは九条家……」幼い頃から過ごしてきたこの邸宅にようやく帰ってくることができた。もう亮太と日菜乃のことで辛い思いをしなくていいのだと思うと、香織は涙が出そうになった。(離婚が成立するまで泣いてはダメよ……)しかし、父親を味方に付けれたのは大きい。父・忠嗣は香織よりもずっと頭の切れる人だったからだ。そんな彼が離婚を後押ししてくれるのなら、いくら亮太とはいえ拒否することはできないはずだ。中へ入ると、ある人物が香織を出迎えた。「香織さん、帰っていたんですね。おかえりなさい」「……………有真さん」九条有真(くじょうゆま)。香織の父・忠嗣の再婚相手だ。香織は前世含めて彼女とはあまり話したことが無かった。彼女は父よりも一回り以上年下で、香織とのほうが年が近かった。二人が再婚したのは香織が十五歳の頃で、それから亮太と結婚するまでほとんど関わりを持とうとしなかった。『お父さんは騙されているのよ!あの女はお父さんの財産が目当てなんだわ!』香織は自分と違って父から愛される有真が気に入らなかった。事あるごとに、周囲にそうやって言いふらしていた。(今思えば私も愚かだったわね……不倫の末の結婚というわけでもないし……ただ歳が離れているというだけで勘違いしちゃって……)有真は父が経営する会社の社員だった。そこだけ見れば亮太と日菜乃に似た関係性だったが、誰も傷付けていないというのが最も大きな違いだ。(むしろ傷付いたのはお父さんのほうよね……)母は不倫の末に離婚、相手と再婚まで平然とやってのける人だった。当然、辛くないわけがない。その心の傷を癒してくれたのが有真だったのだろう。彼女は日菜乃と違って、穏やかで優しい女性だったから。「今日からしばらくここで暮らすことになりました。短い間になるでしょうが、よろしくお願いしますね」「は、はい、香織さん」香織が返事をしてくれたことに驚いたのか、有真が目を見開いた。「私は部屋へ戻りますね」「は、はい、ごゆっくり!」前世では微妙だった義母との関係性も、今世では良くなることを期待して。香織はそのままにされてある部屋へと向かった。「私が出て行った前と何も変わらないのね……」「
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第33話

「……」香織が忠嗣に連れられて家を出て行ったあと、亮太はしばらく放心状態になっていた。彼は香織を愛してはいなかったが、彼女との離婚までは考えていなかった。九条家との繋がりを持つのは彼にとってもメリットが大きかったからだ。しかも、すでに亮太のDVが週刊誌に取り上げられてしまったあとだった。このタイミングでの離婚となれば、原因は間違いなく彼にあると周囲はそう思うだろう。この先のことを考えて、気が重くなった。気落ちした様子の彼に、日菜乃が声をかけた。「社長、そんなに落ち込まないでください。私だけはずっと社長の傍にいますから」「日菜乃……」「世界中の人間が社長を嫌おうとも、私だけは社長の味方ですから!」日菜乃は笑顔で彼を抱きしめた。「……」彼女の腕の中で、彼は微笑んだ。いつだって彼の味方となってくれるのは彼女だけだった。やはり自分には彼女が必要だ。亮太は強くそう思った。「このような形で奥様と離婚してしまったことは私も残念に思います……」「……すでに全て過ぎたことだ。過去を悔いたところでどうにもならない」亮太は落ち込んだ様子の日菜乃を宥めるようにポンポンと背中を叩いた。今はこの先のことを考えなければならなかった。「……まだ完全に終わったわけではない」名誉を挽回する方法なんていくらでもある。亮太はじっと考え込んだ。どうにかならないか。このままでは会社にまで傷が付いてしまう。それだけは何としてでも避けなければならない。「――社長、私に案があるんです」「……案?」日菜乃は自身を見つめる亮太に、ニッコリと笑った。***「奥様……いえ、お嬢様。これからはどのように過ごすおつもりですか?」「いつまでも実家にいるわけにはいかないし……そうね、仕事を見つけるのが先かしら」その頃九条家では、羽川邸から戻った香織が部屋でくつろいでいた。このように穏やかな時間を過ごすのは、彼女にとって久々だった。「私は社会人経験なんてほとんど無いから……しばらくはお父さんの会社で働かせてもらおうと思うの」「それはいいですね、お嬢様ならきっとうまくやれますよ」「そうかしら?でもほんとはちょっと不安なのよね……全てが初めてのことだから」「お嬢様は素敵な方ですから、きっとみんなに受け入れられますよ」美由紀はニッコリと笑った。彼女は九条家でも変わらず、香織の身の回り
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第34話

「このドレス……本当に似合ってるかしら?」「とてもお似合いですよ!今日のお嬢様はどこの誰よりも美しいです!」夜の六時を過ぎたころ。香織は美由紀と共に食事会の準備をしていた。秘書から誘いを受けたあと、忠嗣は何と香織の元へデパートの外商を送った。ドレスやアクセサリー、靴などを好きに選んでいい、とのことだった。香織は父の予期せぬプレゼントに大層驚いた。(お父さんが私のためにあそこまでするなんて……てっきりあの外商は有真さんのために来たものだと思っていたから驚いたわ)美由紀と一緒に選んだドレスは露出は控えめだが、華やかなピンク色のドレスだった。前世では亮太の趣味に合わせて清楚なドレスばかりを着用していたが、香織には華やかなドレスの方が似合っていた。着替えを済ませた香織の髪の毛を、美由紀が丁寧に結った。「美由紀さん、ヘアアレンジもできるのね」「ええ、母子家庭だったので母は忙しくて……昔から一人で何だってやってきましたからね」美由紀は幼い頃に父親を亡くし、女手一つで母親に育てられてきた。「できましたよ、簡単なまとめ髪ですが……」「あら、とっても綺麗ね」美由紀は簡単なまとめ髪だと言っているが、香織の髪は丁寧に編み込まれ、下の方で一つにまとめられていた。「あなた、美容師にでもなったらよかったのに」「向いてますかね?」「ぴったりよ」美由紀は嬉しそうに笑った。前世ではいつも硬かった表情が、今ではだいぶ柔らかくなった。「今日のドレスには、きっとこの花のヘッドドレスが似合いますよ」「そうね、あなたの目を信じてそれにしようかしら」最後に髪飾りやネックレスなど、アクセサリー類を着けて完成だ。「お嬢様、とっても美しいです!」美由紀が目をキラキラ輝かせた。香織は元々かなり美しい部類に入る。彼女は気付いていないだろうが、中高では学年のマドンナ的存在だったほどだ。「そう言ってもらえるだなんて、嬉しいわ」「当然ですよ、お嬢様は本当にお綺麗です!今日のお嬢様を見ればきっと、九条社長も驚くでしょう」「お父さんが……」人前で滅多に感情を露わにすることのないあの父が、驚くだなんて想像がつかない。前世の記憶含め、香織の中で父親という存在はいつだって冷たく、仕事優先な人だった。そんな彼が、娘をこうして夕食に誘ったのだ。それだけでも大きな変化である。(お父さん
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第35話

忠嗣が香織と夕食をとるために予約したのは、市内にある高級ホテルのレストランだった。ホテルを見上げた香織がポツリと呟いた。「お父さんったら、ずいぶんいいところを予約したのね」「お嬢様とお食事をするのは久しぶりですからね」香織の横に立っていた秘書が苦笑しながら言葉を返した。香織はまだ父親が自分を気遣っているということを信じてはいなかった。「これじゃまるで……お父さんが私を大切に思っているみたいだわ……」「お嬢様……」何だか変な気分だ。こんな風に優しくされるのは慣れていない。秘書は終始何か言いたそうにしていたが、結局何も言わなかった。「……行きましょう、お嬢様。社長がお待ちです」「ええ」香織はホテルの中へと入った。「レストランは十五階になります。エレベーターで行きましょう」「ええ、そうね」秘書と共にエレベーターへ乗ろうとすると、中から出てきた長身の男とぶつかった。よろけた彼女の体を、相手の男が咄嗟に支えた。大きくて骨ばった手。がっしりしていて、何だか頼りがいがあった。そして、何故か懐かしい香りが彼女の鼻をくすぐった。「あっ、すみません」「……」香織は男を見上げた。(あら、何て綺麗な人……)香織とぶつかった男は、黒い髪をセンター分けにしており、非常に整った顔立ちをしていた。彼女は実はかなりの面食いであった。亮太も羽川家の奇跡と呼ばれるほどの美貌を持ち合わせていることで有名だった。しかし、今香織の目の前にいる男は――(亮太以上かも……?)香織はこれほど美しい男を見たことがなかった。彼は切れ長の瞳でじっと彼女を見つめていた。何も言わずにそうやって見つめられ、彼女は顔が赤くなった。どうして黙っているんだろう。もしかして、私が何か言うのを待っているのか。そう思った香織が口を開きかけたそのとき――「――礼音!」「……!」一人の美しい女が、彼の傍に駆け寄った。彼は香織からスッと手を離し、女の元へ向かって行った。「あ……」女は礼音と呼ばれた彼の腕に絡みついた。「もう!礼音が来るのをずっと待ってたんだよ!」「……待たせたようだな、悪かった」彼は振り払うこともせず、彼女を受け止めた。(何だ……彼女いたのね……)そりゃあそうだ。あんなに綺麗な人に恋人がいないはずがない。ついさっきまで、香織の脳内では恋に落ちたときに歌う有名な
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第36話

エレベーターで十五階まで上った香織は、父の待つレストランへ向かっていた。これから彼女は父親と二人きりで食事をする。こんなに緊張するのは初めてかもしれない。「お嬢様、お先にどうぞ」「ええ、ありがとう……」レストランの前までやってくると、ホテルのスタッフが二人を案内した。「九条様ですね、一番良いお席をご用意しております」「一番良い席……?」都内で有名な高級ホテルの、さらには一番良い席をわざわざ香織のために用意しているだなんて。一体どういう風の吹き回しなのか。(本当は有真さんを誘うつもりだったけれど、彼女が急に行けなくなったとか?)いや、そんなことはありえない。香織はたしかに家を出る前、継母の有真と挨拶を交わした。そのときの彼女はやけに嬉しそうで、いってらっしゃいと笑顔で手を振っていた。「九条様、お席はこちらになります」「……!」じっと考え込んでいるうちに、到着したようだ。「――来たか」「お父さん……」レストランの奥にある個室スペースの椅子に、父親が座っていた。父の忠嗣は香織をじっと見つめていた。そんな父に何を返せばいいのか、父が自分に何を期待しているのか。わからなかった香織は、ひとまず胸の前に手を置いて一礼した。「……このたびは、招待してくださってありがとうございます」「……」「お、お嬢様……!」焦る秘書とは対照的に、忠嗣は何も言わなかった。「……座りなさい、そのような堅苦しい挨拶はこれからしなくていい」「あ、はい……」香織は妙な気まずさを感じながらも、忠嗣の正面に座った。料理が運ばれてくるまで、二人の間には沈黙が流れた。(お父さん、どうして私を急にこんなところに呼んだの……?)父の真意を知りたかったが、彼女から父親に話しかけることはできなかった。今世ではメンタル面において強くなったと思ったのに、まだまだ父の前では弱い自分のままであったことを悟った。忠嗣はワインを一口飲むと、口を開いた。「……九条家での暮らしはどうだ」「……快適に過ごせています。お気遣いありがとうございます」「そうか、それはよかった」忠嗣はそう言ったが、その表情は変わらなかった。彼は昔から感情を表に出さない人だった。それは娘である香織の前でも同じだ。彼女は父親のそんなところが苦手だった。早く終わらないかと心の中で願っていた香織に、忠嗣は突然申
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第37話

それから一週間後。「初めまして、九条香織です。これからよろしくお願いいたします」「……」香織は父親の会社で新入社員として入社していた。彼女を見た社員たちはしばらく固まったあと、ヒソヒソと噂話をし始めた。「九条って言った……?もしかして社長の娘さん……?」「間違いないわ。社長の娘、夫と離婚して実家に帰ったらしいわよ」「よりによって何でこの部署に……社長の娘とか気使うわー……」「……」香織の第一印象はあまり良くなかった。コネ入社、血筋が良いだけ、だとか散々な言われようだ。しかし香織はそんな中傷など気にも留めなかった。彼女が羽川家で受けた屈辱に比べれば、こんなもの大したことないからだ。彼女は自分を見て眉をひそめる社員たちにニッコリと笑いかけた。「精一杯頑張るので……よろしくお願いします」「よろしくね、九条さん」そのうちの一人の女性社員が、親しげに香織に話しかけた。長い黒髪を後ろで一つにまとめている彼女は、香織より少し年上に見えた。「私は桜庭柚果(さくらばゆずか)。九条さんの教育をすることになってるの。わからないことがあったら何でも聞いてね」「はい、ありがとうございます」幸いにも、優しくしてくれる人はいるようだ。羽川家で暮らしていたときのように味方が全くいないというわけではないみたいで、香織は安心した。「さっきの返しは見事だったよ、さすがは社長の娘なだけあるね」「ありがとうございます、ああいうのには慣れているので」香織は笑った。辛かった過去も今ではだいぶ乗り越えることができている。「ここに入社できただけで光栄なんです。私は社会人経験が無いので、皆さんのお役に立てるかどうか……」「大丈夫大丈夫、心配しないで!きっとすぐにできるようになるよ!それに九条さん、あの城星大学を出てるんだよね?なら期待できるね!」城星大学は亮太も通っていた、都内でも有名な難関私立大学だ。香織は元々頭が良く、自らの力で難関大学の受験に合格した。「ありがとうございます、先輩」柚果の優しい言葉に、香織はほっと胸を撫で下ろした。先ほどの緊張がすっと消えていくようだった。この人の元でなら、この先やっていけるような気がする。「さぁ、早速始めようか」「はい、先輩!」やる気に満ち溢れたその声と同時に、香織の初出勤が幕を開けた。***「疲れた……」時間はあっと
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第38話

夜になり、ドキドキ初出勤を終えた香織は九条邸へと戻った。結婚前はどんな小さな用でも車で送り迎えをしてもらっていた香織だったが、今日は歩きだった。(職場まではそう遠くないし……運動のためにも歩こう)羽川家では車に乗れないのが普通だったせいか、歩きに慣れてしまったようだ。しばらく歩くと、羽川家の邸宅に到着した。(今でもここへ帰るのは慣れないわね)香織はそう思いながら鍵を使って中に入った。「香織さん、おかえりなさい」「ただいま、有真さん」帰宅した香織を、継母の有真が出迎えた。夜ご飯を作っている最中だったのか、長い髪を一つにまとめてエプロンを着ていた。有真は忠嗣の二十歳年下で、香織の十歳年上だ。そのため、香織にとっては母親というより年の離れた姉のような存在だった。有真は二十五歳の頃に忠嗣と結婚してから仕事をやめて専業主婦となった。彼女は家事をするのが好きで、家政婦も雇わずに家の全てを一人でこなしている。香織の実母・美佐子とは正反対の人だった。美佐子は仕事もしていなければ家事もやらない。生まれた子供の世話ですらベビーシッターにやらせて外で遊び歩くような女だった。「料理中だったんですね」「はい、香織さんが仕事で疲れていると思ったので……何か美味しいものを作ろうと思ったんです」「……私のためにですか?」香織は驚いた。有真が忠嗣のためにではなく、自分のためにご飯を作っていたなんて。香織はかつて、彼女を毛嫌いし、ありもしない悪評を周囲に広めていた。そんな女のためにご飯を作ったのか。香織は過去の自分の行いを恥じた。「旦那様は今日仕事で遅くなるようです。もうすぐできますから……一緒に食べてくれると嬉しいです」有真は香織の顔色を窺いながら遠慮がちに言った。前世の香織なら、そんなもの食べられないと無視していただろう。「……ええ、もちろんです。私のためにわざわざありがとうございます、有真さん」「……香織さん!」有真は安心したように笑った。***リビングに移動した二人は、向かい合って食事を始めた。テーブルの上には有真が作った料理がズラリと並んでいた。まるで高級ホテルのブッフェのような完成度に、香織は驚きを隠せなかった。「有真さん、このお肉とっても美味しいです」「本当ですか!?ありがとうございます!香織さんのために丹精込めて作ったんです!」有真は
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第39話

有真は結婚する十年前まで、忠嗣の経営する会社の社員として働いていた。彼女は一般家庭の生まれだったが、努力を重ねて有名大学を卒業後、大企業へと就職することができた。そんな有真は、学生時代から明るい性格でクラスの人気者だった。絶世の美人というわけではなかったが、穏やかで優しく、いつだって周囲に気さくに振舞うその姿は男女問わず魅了した。――そんなところが、彼を虜にしたのかもしれない。彼女が九条グループに入社してから一ヵ月、有真は広い会社内で迷子になっていた。(道に迷っちゃったわ……会議室はどこかしら……)会議が始まるまではあと少しだ。入社早々遅刻するわけにはいかない。有真は焦っていた。彼女はしばらくウロウロしていると、トイレの近くで壁にもたれて立っている一人の男性を見つけた。「あ、あの!すみません!」「……?」彼は有真の声に振り向いた。(す、すごい顔……あまり寝れていないのかな……)男は目の下に大きなクマを作っており、年齢は四十前後くらいに見えた。有真はその鋭い視線に恐れおののいたが、今は彼しか頼れる人がいなかった。彼女は勇気を振り絞って尋ねた。「か、会議室に行きたいんですけど……どう行けばいいですか?」「……」男は何も言わずに有真をじっと見つめた。そしてしばらくすると、有真が歩いていた反対側を指さした。「……あっちだ」「……!」口数は少ないし、顔は怖いけど……でも、親切な人だった。「ありがとうございます!」誰なのかは知らないが、ありがたい。親切に道を教えてもらった有真は急いで会議室へと向かって行った。彼が彼女の勤務する九条グループのトップ・九条忠嗣であったことを有真が知ったのはその数日後だった。***数日後、有真は昼休憩に忠嗣と出会った場所を再び訪れていた。また会えるかなぁと僅かな期待を抱いて。「あ、いた!」「……」有真の予想通り、忠嗣はあの日のようにトイレの傍の壁に立っていた。この場所は普段あまり社員たちが訪れない場所だった。そのため、一人になるには最適だったのだ。「あの!この間は親切に道を教えてくださってありがとうございました!」「……お前」そこで忠嗣は、有真が数日前にたまたまここで出会った女だったことに気付いた。あぁ、そういえばそんなことあったな、くらいの認識だった。「お礼を言いたくてここまで来たんです」
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第40話

「あ、あの!」「……」そして数日後、有真は再び彼と出会った場所を同じ時間帯に訪れていた。有真の予想通り、彼はそこにいた。忠嗣は有真を見て眉をひそめた。彼女はそんなこと気にもしなかった。彼は前と変わらず死んでしまいそうな顔をしていたからだ。(心配だわ……ちゃんと寝れているのかな……)忠嗣は二十も年下の新入社員と仲良くするつもりはなかったようだが、有真は何故か彼が放っておけなかった。もしかすると、そのときから既に彼に心惹かれていたのかもしれない。有真は胸の高鳴りに気付かないフリをしながら、彼の前に立った。「……プレゼントです、社長」「何だ、何のつもりだ」有真はそう言いながら入浴剤を彼に手渡した。彼女の手の中にある小さな箱を見た忠嗣は、不快そうに眉をピクリとさせた。しかし、有真はそんな彼を前にしても怯まなかった。彼女は他の社員とは全てが違ったのだ。「とっても良い香りがするんですよ。娘さんもきっと喜ぶはずです!」「……」忠嗣は受け取るのを渋っていたようだったが、有真はそんな彼の手を軽く握って強引に手に持たせた。このとき、忠嗣には十二歳になる娘がいた。前妻との間に生まれた子で、母親は不倫の末に彼女を置いて一人家を出て行ったのだという。有真は忠嗣と同じくらい残された娘のことが気にかかっていた。命をかけて産んだ子供を置いて他の男の元へ行くだなんて。とても考えられなかった。「社長、ちょっとくらい休むことも大切ですよ。娘さんも寂しい思いをしているのではないですか?たまにくらいは……家族で過ごされてみては……」「新入社員のくせに生意気だな」忠嗣にそのような物言いをする社員は有真が初めてだった。秘書ですら彼にそこまでは言わないだろう。しかし、むしろ新鮮で面白いと彼は思った。有真にとって忠嗣は、住む世界が違う人だった。だが、彼女は元々相手の生まれや立場などはあまり気にしないタイプの人間だった。このときの有真は、悩む彼を助けてあげたい、そんな気持ちで胸が埋め尽くされていた。その日から、忠嗣と有真の不思議な関係が始まった。***二人は同じ時間に、いつもの場所で定期的に会っていた。会うと言っても、ただ有真が許可も得ず彼の元へ行っていただけだが。しかし忠嗣は、いつしかそんな彼女を拒まないようになった。「入浴剤はいかがでした?社長」「……娘が喜んで
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