All Chapters of 冷徹な夫が暴走愛?それでも妻は絶対に許さない: Chapter 191 - Chapter 200

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第191話

紗良は今日からダイエットを始めると心に誓っていた。しかし、美羽特製のダイエット食を一日食べただけで音を上げた。空腹で腹の虫が鳴りっぱなしになり、たまらず何か食べるものを探しに下の階へ降りた。すると、ちょうど澪がキッチンで、海晴のミルクを作っているところだった。澪は躊躇することなく、紗良に料理を差し出した。「どこが太ってるんですか?そのままで可愛いのに」その言葉を聞き、紗良の最後の防衛線は呆気なく崩れ去った。美羽がやってきて、大盛りの鴨蕎麦を見て、ニヤリと笑った。「ずいぶん美味しそうね」紗良は気まずそうに笑う。「あの……美羽も食べる?」「私が食べたら、紗良は何食べるのよ?」美羽のゾッとするような笑顔に、鳥肌を立てた紗良は、すぐさま彼女の手を掴んで謝った。「本当にお腹が空いちゃって。今回だけだから、明日からは絶対食べないから!」そう言って、手まで合わせて誓う。澪もそれに乗っかった。「そうよ、今日はお昼の量が少なかったから。それに女の子は、そんなに痩せなくてもいいわよ」美羽は小さく溜息をつく。「お肉は控えて」どうせ紗良は、明日になって後悔するに違いない。紗良は慌てて、肉を自分から遠ざけた。澪は苦笑しながら、美羽に尋ねる。「美羽も、お腹空いてない?何か食べたら?」美羽は答える。「私も何か作るわ。紗良に付き合うわよ」紗良はすぐさま席を立ち、美羽に椅子を引いてみせる。「どうぞ、どうぞ」美羽も蕎麦を食べ、それを見て紗良は罪悪感なしに食事を堪能した。翌朝。紗良は、美羽に叩き起こされた。下の階に降りると、タンクトップとショートパンツ姿の涼太がいた。鍛え抜かれた引き締まった体に、紗良は動機を見出し、昨夜食欲を我慢できなかった自分をぶん殴りたい気分だった。紗良は上機嫌で挨拶をする。「涼太さん、おはようございます!」涼太が紗良を見る。「おはようございます。昨夜はよく眠れましたか?」紗良は目を細めて笑う。「はい、とても!自宅にいるみたいに落ち着けました」「それはよかったです」涼太は美羽を見て言った。「これからは、ゆっくり体を休めるといい」美羽は紗良を横目で見て、笑顔で快諾した。「そうね。じゃあお兄ちゃん、紗良のことをお願いね。サボらせないようにしてちょうだい」涼太は「ああ」と頷く。
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第192話

美羽は一段落つくと、すぐに勲に電話をかけた。「何事かあった時ぐらい、連絡してきなさい」勲が気難しげに文句を言った。「ご心配をおかけしました。先週は栄和の仕事が多忙でして。今晩、お礼も兼ねてご挨拶に伺わせてください」美羽が丁寧に詫びを入れる。「引退した年寄りだ。いつでも時間はある」美羽は思わず微笑んだ。「ところで、一体誰を怒らせたんだ?まさか中山家の人間に正体がバレたわけじゃなかろうな?」勲は、百合が美羽の番組を差し止めさせたと知っていた。すぐに慶に電話をかけ、百合の身勝手さを厳しく咎めた。慶はただ反論もできずに平謝りするしかなかったが、状況を確認してから返事をするよう勲に求められた。「百合さんには恐らく正体はバレていません。ただ、私と柚葉があまり親しくなってほしくないのでしょう。私がその意向に従わなかっただけです」と美羽は事実を伝えた。勲は眉をひそめた。「なら、いつまで柚葉ちゃんを遠ざけているつもりだ?子供に罪はないだろう。あんなに素直で可愛い子なんだ。母親だと名乗って堂々と会えばいい」美羽はスマホを強く握りしめ、目を伏せた。内心では不安だった。自分が実の母だと知った時、「どうして自分を捨てたのか」と柚葉は恨むのではないか?翔平の気持ちも読めない。翔平は今、瑠衣を大切にしている。自分の正体がバレれば、柚葉と会うことすら禁じられるのではないかという恐怖が勝る。「まだ、決めかねています」美羽の声はどこか沈んでいた。勲は深追いはせず、本人の気持ち次第だと感じた。「会いたいなら会いに行きなさい。何も恐れることはない。自分の子供だろう?中山家が邪魔をするようなら、俺が黙っちゃいない」その言葉を聞いて、美羽の胸に熱いものが込み上げ、不安が少しだけ晴れた。「はい。そう言っていただけるだけで心強いです」「……」電話を切ると、美羽は大きく息を吐き出し、胸のつかえが下りたのを感じた。昼食後、美羽は車を走らせた。A大学へ向かうためだ。午後2時半からの講義に間に合うよう、早めに着く必要があった。A大学の駐車場に静かに車を停め、本部棟へ向かった。その時、後ろを銀色のベントレーが通り過ぎ、スッと停車した。運転手が駆け寄り、素早く後部座席のドアを開ける。上質な革靴が静かにアスファルトを踏んだ。颯爽
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第193話

学生たちのチャットグループに、今日の講義は隆に代わって別の先生が担当するという連絡が入った。次々と教室に入ってきた学生たちは、美羽の姿を見ると、その美しさに目を奪われた。定刻になり、美羽は簡単に自己紹介を済ませると、講義を始めた。こうした講義など、美羽にとって難しいことではなかった。講義はすぐに終わり、休み時間の10分間には学生の質問に専門的な知識で丁寧に答えてあげた。女子学生が我慢できず、美羽に向かって言った。「イヴリン先生、とても綺麗ですね」美羽は微笑み、「ありがとうございます」と返した。その時、美羽のスマホが震えた。美羽はスマホを手に取り、廊下で電話に出た。「先生」電話の向こうから、隆の声が聞こえてくる。「順調か?」美羽は眉を動かし、「私を疑っているんですか?」と言い返した。隆は笑って言った。「まさか、信頼してるよ。明日には東都に戻る」「もう解決しましたか?」「ああ、全て終わった」美羽はふっと安堵の息をつき、「それならよかったです」と答えた。電話を切って教室に戻ろうとした時、見慣れた後ろ姿が階段を上がってくるのが目に入った。学長の吉岡靖(よしおか やすし)と、他の役員も二人一緒だった。翔平も美羽に気づいたようだ。美羽は靖たちに丁寧な挨拶をした。靖は教室の方を覗き込み、美羽を見て尋ねた。「佐野先生の代講ですか?」「はい。イヴリンと申します」隆の講義には、普段から学内の教員が見学に訪れることも多い。しかし今日は、隆が急用で講義を担当できなくなったため、教室にいたのは若手教員が二人だけだった。ちょうどチャイムが鳴る。美羽は靖たちに頭を下げて別れると、すぐさま教室の方へと歩き出した。終始、靖の傍らにいる翔平を一目も見ようとはしなかった。美羽は教室へ向かう。いざ、講義を始めようとしたその時、入り口からぞろぞろと人が入ってきた。靖たち以外、誰だというのか?靖は美羽を見て言った。「イヴリン先生、構わず続けてください」美羽は頷き、「ええ」と答えた。そして、氷のような顔をして真っ直ぐ前を見つめて入ってきた翔平をちらりと一瞥した。最前列にはまだ空席がある。役員たちの登場に、学生たちは思わず背筋を伸ばした。学長と同行していた翔平を目にし、その隆に負けないほどの容姿
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第194話

教室の外では、靖が美羽の講義を絶賛していた。「イヴリン先生の教え方は、どこか佐野先生に似ていますね」美羽は微笑みながら答えた。「佐野先生は、私の目指すべき目標ですので」靖は大きく頷いた。しばらく立ち話をしたが、靖たちはその場を後にした。終始、翔平は美羽に一言も話しかけず、美羽も彼を視界に入れなかった。翔平がようやく去った後、美羽はようやく安堵の息を漏らした。ある学生が大学の掲示板に、講義中の美羽の横顔をアップした。教壇に立ち、知的な気品を纏った完璧なスタイルと美しい横顔。俯いて講義に集中する姿は、まさに完璧な才女そのものだった。掲示板では、イヴリンと隆の間には一体どんな関係があるのかという憶測が飛び交った。二人の雰囲気があまりにもお似合いだったからだ。もちろん、ネット上の議論など、美羽は全く知らなかった。講義が終わった後、さらに学生たちの質問に答えた。美羽は隆の職員室へ戻り、本と資料を克治に預けた。「イヴリン先生、お疲れ様でした」美羽は優しく笑った。「いえ、それほどでもありません」職員室を後にしてエレベーターに向かうと、ちょうど前でエレベーターを待っている翔平の姿があった。美羽は、ハッとして足を止めた。翔平が踵を返し、こちらを振り返った。目が合った瞬間、迷いなく美羽は背を向け、職員室の方へと歩き出した。再び美羽が職員室へ入ると、克治は驚いて言った。「何か忘れ物ですか?」美羽は椅子に腰を下ろして言った。「もうちょっと待ってから帰ろうと思います」克治は不思議がったが、それ以上は聞かなかった。ちょうど学習上の悩みがあった彼は、そのまま美羽に教えを請うことにした。間近にいる美羽を前に、克治の耳はみるみる赤く染まっていった。美羽はそれにも気づかず、淡々と説明を続けている。「そういえば、イヴリン先生が大学の掲示板に載っていましたよ。学生の間で大評判なんです、スレッドもすごい伸びです」美羽は不思議そうにした。すると、克治がスマホを見せる。覗いてみると、称賛の声と共に、隆と美羽が恋人同士なのかという邪推が多く並んでいる。美羽は思わず呆れ、小さく苦笑した。それから10分ほど経った後。ようやく職員室を出ると、そこにはもう翔平の姿はなかった。大学を出たのは4時半で、まだ
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第195話

間も無くして、リビングに現れた翔平は、勲の前に進み出て言った。「勲先生」勲は翔平をひと睨みし、機嫌が悪そうに言った。「何の用だ?」翔平は傍らに立ち、腰を低くして言った。「母の行いは確かに軽率でした。お詫び申し上げます」今日、百合から電話があり、翔平はこの件を知ったのだ。百合は自分が悪いとは露ほども思っておらず、むしろ勲がイヴリンを庇い過ぎることに腹を立てていた。もちろん、そんな不満を口にできたのは翔平の前だけで、勲の前で言えるはずもなかった。勲は鼻で笑った。「君のお母さんのせいなのか、それとも君自身が悪いのか?」翔平は言い訳ひとつせず、即答した。「自分の非でもあります」その素直な態度を見ても、勲は翔平を信じきれなかった。外面は完璧だが、本心ではどう思っているか、本人にしか分からないことだからだ。勲は言った。「俺に謝ってどうなる?」夕食の支度が整ったところで、リビングへ戻ると、そこに翔平がいた。また彼かと思い、美羽は驚きを隠せなかった。このクズ男は、尾行でもしているのだろうか?翔平が振り返ってこちらを見た。すると、立ち上がり、美羽の方へ歩み寄ってくる。迫り来る翔平に、美羽は足が一歩後ろへ退きそうになった。だがここは北条家であり、勲もいる。美羽は必死に自分を律した。翔平は美羽から一歩のところで止まった。大柄な彼が逆光の中に立ち、強いプレッシャーを放つ。美羽は拳を握り締め、翔平を見上げた。彼は言った。「テレビ局の件、謝罪させてほしい。どのような補償でも要求してくれ」美羽はまばたきをした。今日翔平が勲を訪ねたのは、百合が自分を解雇させた件についてだったのか。だが分かっている。この男の言葉は、謝罪さえも偽善だということを。美羽は視線を冷たく外し、言った。「謝罪も、補償も不要です」「では、何が必要なんだ?」美羽はもう一度翔平を見た。「あなたからの謝罪はいりません。ただ、私の前から消えてくれればそれでいいです」翔平は表情ひとつ変えず、何も言わなかった。重苦しい沈黙がその場を包んだ。「もういいだろう」勲の声が響いた。美羽と翔平は同時に目を向けた。美羽は一歩前に出て言った。「北条先生、夕食の用意ができました。先に食事になさってください」勲はうなずき、翔平に言った。「君の分は
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第196話

美羽は立ち止まった。翔平は、ずっとここで待っていたようだ。翔平はタバコを最後の一口まで吸うと、吸い殻を地面に捨て、つま先で揉み消してから、その場に佇む美羽の方を向いた。彼の漆黒の瞳は、奥底が見えない。美羽は、言いようのない危険な気配を感じ取った。美羽はバッグを握り締めると視線を落とし、自分の車へと向かった。しかし、翔平の車がちょうど進路を塞いでおり、彼が車を動かさないことには帰れないと気づく。美羽は足を止め、翔平に向かって言った。「中山社長、車を退かしていただけますか?もう行かないといけませんので」だが、翔平は美羽を見つめるだけで、車を移動させる素振りすら見せない。彼は言った。「イヴリンさんへの借りがある以上、その件を片付ける必要があるからな」美羽は翔平を睨み返した。「唯一の解決策は、二度と会わないこと、いいですか?」翔平はふっと笑い声を漏らした。「俺がイヴリンさんを付け回してるとでも?俺はそんなに暇じゃないんだ」会話の途中で、翔平が美羽の方へと歩み寄った。嫌な気配を感じた美羽が後ずさると、背中を車にぶつけた。反射的に動こうとしたが、その直後、男の大きな体が覆い被さり、彼は片手を車につくと低く顔を寄せてきた。翔平の体から漂う淡い高級なウッディ系の香りが、強い威圧感と共に美羽を飲み込んだ。美羽は目を見開き、息が止まるほどの緊張を覚えた。翔平は低い声でつぶやいた。「それとも、俺がイヴリンさんを好いているとでも思っているのか?」美羽は、翔平の瞳の中に潜むあからさまな嘲りを目にして、拳を震わせた。次の瞬間、パシッ!美羽は勢いよく腕を振り、翔平の頬を平手打ちした。時間が止まったかのような感覚。周囲の空気が凍りついた。美羽は翔平を押し退けると、神経を研ぎ澄ませたまま足早に運転席に飛び乗り、ロックをかけた。手のひらのひりつくような熱を感じながら、体は止まらぬ震えに襲われ、心臓は激しく波打っていた。本当に翔平を叩いてしまった。これからどんな報復を受けるのかと思うと恐ろしかった。それでも、ずっと前からこうしたかったのだ。後悔は少しもなかった。しばらくして、美羽は無力に腕を下ろした。椅子の背もたれに体を預ける。どれくらい時間が経っただろうか。後方からエンジン音が聞こえ、ようやく現実に戻る
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第197話

隆がそれに気づいていたのか、特段驚いた様子もなく言った。「で、涼太さんは紗良のこと、どう思ってるんだ?」美羽が呆れたように答えた。「兄は、頭はいいけど恋愛には鈍感なんですよ。理系男子ですし。まあ、自然に任せるしかないですね」隆は深く頷いて言った。「涼太さんは信頼に足る男だ。彼が紗良に興味を持ってくれるなら、これほどいいことはない」「うまくいくといいですね。紗良は竹を割ったような性格だし、母も気に入ってます。やっと運命の人に出会えたんだと思います」隆は美羽の目をじっと見つめ、落ち着いた声で続けた。「5年経った。美羽さんもそろそろ、自分の幸せを探してもいいんじゃないか?」視線を受け止めた美羽は、少し目を伏せて唇を噛んだ。「まだ籍も抜けていないから、まずはその手続きが終わってからにしましょう」一度の失敗が、再婚への意欲を削いだわけではなかった。隆は静かに頷き、それ以上は何も言わなかった。その日の夕方。隆は美羽と共に今井家へ帰った。正人と澪は隆を快く迎え入れ、紗良もまた家の一員のように隆を出迎えた。「本当に痩せたんだ」「でしょ?決めたことは最後までやり遂げるのが私のポリシーだから」隆は優しく微笑んで言った。「ええ、お見それした。誰よりもたくましいね」「隆さん!」詩音が駆け寄ってきた。隆は腰を屈め、詩音を軽々と抱き上げた。「……」しばらくして悠斗と涼太も帰宅し、3人で挨拶を交わした。大勢が食卓を囲み、賑やかな夕食を楽しんだ。土曜日のこと。悠斗が美羽を遊びに誘ったが、美羽は丁重に断った。柚葉と会う約束があることを知り、悠斗も深追いしなかった。美羽がどんなに翔平への恨みがあろうと、柚葉が美羽の子であることに変わりはないからだ。朝7時、柚葉から電話がかかってきた。「イヴリンさん、おうちどこ?お迎えに行くから!」柚葉の声はワクワクして期待に満ちあふれていた。月見ヶ丘へ行くべきだろうか?美羽は突然の誘いに、どう答えていいか戸惑った。正直、あの場所にはもう二度と足を踏み入れたくなかった。「ねえ、イヴリンさん!」柚葉が甘えるように呼んだ。我に返った美羽は問いかけた。「柚葉ちゃん、もしよかったら、こっちに遊びに来ない?」そうすれば、翔平との接触を避けられる。しかし柚葉は
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第198話

瑠衣は美羽を見て言った。「あ、イヴリンさん」その口調は、まるで家の女主人そのものだった。美羽は返事をせず、翔平へ視線を向けた。端正な顔立ちは冷え切っていて、その胸の内はまったくうかがえない。美羽は翔平に挨拶する気などさらさらなかった。翔平もまた美羽をじっと見つめるだけで、言葉を発しようとはしなかった。その場の空気が一瞬、張り詰めた。どうやら翔平は、前に美羽から受けた平手打ちを忘れてはいないようだ。「ねえイヴリンさん、今日は馬を見に行こうよ。私のポニー、紹介するからさ」柚葉の声が響く。美羽は一瞬、きょとんとしてから視線を柚葉に落とした。その時だ、運転手が高級ミニバンを寄せ、車を停めてドアを開けた。柚葉は美羽の手を引き、車に乗り込もうとする。「早く乗ってよ、イヴリンさん」美羽は断る権利なんてなかった。だが、ここに居続けるよりは、柚葉と一緒に乗馬クラブに行く方がよっぽどいい。柚葉を抱き上げてチャイルドシートに座らせると、美羽は隣に腰を下ろした。今となっては、翔平と瑠衣には二人きりで存分にイチャついていてもらい、自分は柚葉の相手をしていればいいとさえ思えた。まあ、それが現実的でないことは百も承知だ。「パパ!」柚葉が急かすように翔平を呼ぶ。ちょうどその時、翠が家の中から柚葉の持ち物をまとめ、翔平に手渡した。それを受け取ると、翔平は瑠衣の方を向き、「乗りな」とだけ言った。瑠衣が乗り込もうとした瞬間、柚葉が声を上げた。「パパ、浩平さんも一緒に来るんでしょ?瑠衣さんはその車に乗ればいいじゃん」動きを止めた瑠衣は、口元に作り笑いを浮かべて答えた。「柚葉ちゃんに付き添ってあげたくて」「イヴリンさんがいてくれるから大丈夫だよ」と柚葉が即答する。柚葉の言葉を聞いた途端、瑠衣の表情がひきつるのを美羽は見逃さなかった。瑠衣の柚葉に対する優しさは表面だけのもので、心の中では苛立ちを抑えきれずにいるのだ。聡明な柚葉は、その打算的な優しさにきっと気づいているのだろう。それを知った美羽の心は少し軽くなった。美羽の視線を感じ取り、目が合うと、瑠衣は瞳の奥に宿る冷たさを隠しきれなかった。瑠衣が翔平に泣きべそをかいたような顔を見せる。翔平が柚葉の横まで歩み寄り言った。「瑠衣は先に車に乗れ。浩平とは現地で合
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第199話

美羽は心を落ち着かせてから、柚葉を抱きしめる腕を解き、告げた。「柚葉ちゃんのママは、ずっと柚葉ちゃんのことを愛しているのよ。でも、どうしても離れなければならない理由があったの。ママは必ず柚葉ちゃんの元へ戻ってくるわ」柚葉は美羽を見つめ、小さな手で彼女の頬の涙を拭うと、不安そうに尋ねた。「イヴリンさん、どうして泣いているの?」美羽はその小さな手を握り、言った。「私は大丈夫。絵を描くんでしょ?一緒にお手伝いさせて」柚葉は嬉しそうに頷いた。アトリエの入り口にいた翔平は、音も立てずに踵を返し、その場を去った。美羽はアトリエの中で、柚葉と一緒に絵を描いていた。先ほどまでの気分の悪さは、いつの間にか吹き飛んでいた。翔平は1階のリビングのソファで、浩平からの電話を受けた。「今日は柚葉ちゃんが一緒にいるなら、俺と瑠衣は乗馬クラブの方には行かないでおくよ」翔平は短く返事をした。「ああ、瑠衣と一緒にいてやってくれ」浩平はそれ以上何も言わず、「分かった」とだけ返事した。電話を切って、翔平はスマホを置くと、2階の方を一目見た。お昼になり、翠が2階へ上がり、柚葉の部屋を訪れた。「柚葉様、お昼ごはんの時間ですよ」柚葉はソファに座り、ぬいぐるみを抱えながらテレビを見ていた。うさぎの耳を指先で弄んでいる。美羽はその時、独立したサニタリースペースにいた。「清水さん、お昼ごはんは私とイヴリンさんの分もここへ運んできて」翠は柚葉の隣に歩み寄り、説得した。「翔平様がダイニングでお待ちですよ」柚葉はまだ怒っており、下の階へは行こうとしない。翠は重ねて言った。「柚葉様、瑠衣様はこんなによくしてくださるのに。そんな外の人を前に瑠衣様を悪く言うなんて……あのイヴリンさんと出会ってからそんなに長くないでしょう?何か悪い目的があるかもしれません。もし柚葉様に危害を加えたらどうします?」「……」翠が言い終わらないうちに、柚葉は怒って顔色を変えた。「イヴリンさんの悪口を言わないで!イヴリンさんはそんなことしないわ。出て行って、もう大嫌い!」柚葉は翠を押し出し、出て行くように言った。翠は柚葉がこれほど取り乱すとは思わなかった。美羽がサニタリースペースから出てくると、ちょうどその現場を目の当たりにした。「はいはい、分かりました
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第200話

翔平の姿を見て、美羽の手が止まる。柚葉は翔平を見上げて、それから顔を背けて知らんぷりをした。翔平が歩み寄ってきて、美羽に言った。「柚葉と二人で話をさせてくれ」美羽は翔平を一度見て、返事をせずに柚葉に優しく声をかけた。「外で待ってるね」柚葉は小さく頷いた。柚葉に人形を手渡すと、美羽は立ち上がってドアの外へ出て、静かに扉を閉めた。下の階へ降りると、そこには翠の姿があった。翠は台所の方へ歩いていこうとしている。「ちょっと、待ちなさい」翠が立ち止まり、美羽の冷徹な顔を見上げて、胸がどきりとした。「何をするつもりですか?」美羽はゆっくりと翠に近づくと、冷ややかな瞳でその様子を凝視した。「一つ聞くけど、あなた、この家ではどういう立場なの?柚葉ちゃんに対して、何様のつもり?」翠の顔色が険しくなる。「イヴリンさんに何の関係があるんですか?私と柚葉様は、イヴリンさんみたいな他人よりずっと親密なのですよ」美羽が言い放つ。「自分が家で長年仕えてきたからって、調子に乗って主人を説教していい立場になったなんて勘違いしないでね。ただのお手伝いでしょ?」「生意気な……他人であるイヴリンさんに言われたくないですね……あっ!」美羽は間髪を入れず、翠の頬を叩いた。翠は頬を押さえ、目を丸くして信じられないという風に美羽を睨みつけた。「私を叩くなんて……」「私の陰口を言っていたんだもの。叩かれて当然じゃない?」翠は怒りで目を真っ赤にしていた。この家には長年いて、瑠衣にさえ一目置かれる存在だったのだ。それなのに、この誰だか分からない女に叩かれるなんて。翠はわっと食って掛かって、やり返そうとする。美羽はするりとかわすと、足をひょいと出す。「うわっ!」年老いた翠は床に叩きつけられ、激しい痛みに悲鳴を上げた。騒ぎを聞きつけた恵たちが慌ててリビングへ飛んできて、倒れ込んでいる翠を見つけた。「清水さん!」恵たちはすぐに翠を抱え起こした。恵が美羽を厳しく叱り飛ばそうと顔を上げた瞬間、エレベーターのドアが開いた。翔平が柚葉を抱えて出てきた。柚葉は目が赤く腫れていたが、すっかり泣き止んでいた。「翔平様」恵が呼びかける。翔平は、抱えられながら青ざめる翠と、何事もなかったかのように堂々としている美羽を交互に見て、
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