All Chapters of 冷徹な夫が暴走愛?それでも妻は絶対に許さない: Chapter 331 - Chapter 340

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第331話

美羽は、目を大きく見開いて翔平を見つめた。沈黙が流れる。周囲の空気は、死んだように冷え切っていた。どれくらいの時間が経っただろうか。美羽は冷静にこう言い放った。「それなら、あなたは自分の思い通りにできるけど、私はただ従うしかないというの?」翔平は深く息を吸い込むと、手を下ろして立ち上がった。そして見下ろすような瞳で、美羽を静かに見つめた。「俺と結婚し、柚葉を生んだ。その事実がある以上、お前の人生がお前ひとりの自由にならないことは分かっているはずだ」美羽は拳に力を込めて、強く息を吐いた。「あなたを好きになったことが、この人生で一番の過ちだったわ。5年前、愛しているというだけで私の尊厳をずたずたにされた。柚葉に対する責任はもちろん感じている。でも、柚葉を道具のように使って、私の人生をコントロールしようだなんて、もう二度とさせない」翔平は冷たい瞳をわずかに細めた。突然のことだった。翔平は口元を歪め、嘲るように笑った。「確かに5年前より、今のお前はずっと頑固で手ごわい。だが美羽、それだけじゃまだ足りないな」「これ以上私を追い詰めないで!」翔平は鼻で笑った。「いいから、柚葉の失われたこの5年間の穴埋めをどうするか考えるんだな」そう言い残して、彼は大股で2階へと向かった。美羽はその場に立ち尽くし、上がっていくその背中を見つめ続けていた。翔平の姿が見えなくなると、美羽はソファへ歩み寄り、どかりと深く腰を下ろす。顔を伏せて頭を抱えた。心身ともに限界だった。柚葉の声が聞こえてくるまでは。「ママ、ママ」美羽は感情を必死に押し殺し、階段を駆け下りてくる柚葉を受け止めた。柚葉はソファの美羽に抱きつき、甘えるように顔を擦り付けてきた。「ママ、私、いい匂いする?」美羽は穏やかに微笑んだ。「もちろん、一番いい匂いがするいい子よ」「ママも一番、いい匂いのするママだよ!そういえば、パパは?」美羽は柚葉を抱き上げて自分の膝に乗せた。「上にいるわ」柚葉は大きな瞳で美羽をじっと見ていたが、ふと黙り込んだ。美羽は理由のない不安に胸を締め付けられ、指で柚葉の頬をそっと撫でた。「あら、どうしたの?」柚葉は小さく聞いた。「イヴリンさん、本当に私のママなの?」美羽は柚葉を強く胸に抱きしめ、答えた。「もしマ
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第332話

柚葉は言った。「パパ、ママに謝って!」翔平は美羽を一瞥した。美羽は気づかないフリをして柚葉に言った。「柚葉。転ばないように気をつけなさい」翔平が歩み寄り、柚葉をひょいと抱き上げると、美羽の隣に腰を下ろした。「パパにどうやって謝れと言うんだ?」美羽は、さらりと体を少し横にずらした。翔平は、視界の端で美羽の身のこなしを捉えていた。柚葉が言う。「イヴリンさんがこれから1週間、私のママとして振る舞ってくれるの。だからパパはママの言うことを全部聞いて、絶対にママを怒らせないこと!」柚葉の言葉を聞いた翔平の鋭い眼差しが、まっすぐに美羽へ向けられる。美羽は顔をそらしてその視線を避けたが、なおも鋭い眼差しが背中に突き刺さっているような気がした。その時、柚葉が翔平の膝から飛び降りると、美羽に駆け寄った。「ママ、どうやってパパにお仕置きする?」美羽は柚葉を抱きかかえ、即座に返した。「今日はパパの相手なんてしなくていいのよ。柚葉はママと一緒に寝てね」柚葉は美羽の首に腕を巻きつけると、頬を寄せて甘えた。「うん!パパなんて知らない!」美羽はバッグを手に取ると、柚葉を抱いたまま階段を上っていった。柚葉は去り際、翔平に向かってフンと鼻を鳴らした。美羽は柚葉をベッドに連れていき、寝かしつけてからバスルームで一日の疲れを洗い流す。ベッドに戻りスマホを手に取ると、紗良からメッセージが届いていた。【美羽、柚葉ちゃんと本当の親子だって認めたの?】美羽は打ち返した。【とりあえず、という感じかな】紗良の返信は怪訝な様子だった。【とりあえずって?】美羽は簡潔に事の経緯を説明した。紗良は困ったように返す。【そんな曖昧なままじゃ、将来もし本当のことがバレたら、柚葉ちゃんはショックを受けないかな?】美羽には当然、その恐怖があった。今すぐ母親だと名乗って柚葉に夢を見させたとしても、自分は今、翔平との離婚裁判中だ。心安らぐ完璧な家を与えてあげられない今の状況では、逆に柚葉を深く傷つけることになってしまう。しばらくやり取りをして、二人は通話を終えた。紗良はスマホを置くと、隣で眠る詩音の寝顔を見つめた。自分の過去と重ね合わせると、今の美羽の状況はあの時の自分より何倍も険しく、苦しいはずだった。紗良は音を立てないように立ち上がると、
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第333話

隆はタイピングを止め、紗良の方を見て言った。「じゃあ、何がほしいんだ?」紗良は答えた。「それはまだ考えてない」「分かった。決まったらいつでも言え」「そうする」立ち去らない紗良を見て、隆は問いかけた。「まだ何かあるのか?」紗良はあごを軽く上げ、隆の本心を見抜いたような鋭い眼差しで言った。「お兄ちゃん、聞きたいことがあるなら隠さず言ってよ。今さら遠慮する仲じゃないでしょ?」隆は諦めたようにふっと笑うと、眼鏡を外して椅子に深く寄りかかり、疲れの滲む目頭を押さえながら言った。「美羽さんと、何を話したんだ?」紗良はありのままに、美羽とのやり取りを隆に伝えた。「やっぱりな」紗良は眉をひそめて言った。「美羽のこと、本当によく分かってるね」隆は静かに言った。「中山社長が美羽さんに対して、一度でも憐れみを抱いていたなら、彼女はこれほど決然とした態度にはなっていないだろうから」紗良は美羽がかつてどんな傷を負ったか詳細には知らない。だが、翔平という男を見ていて確信した。あの男は冷徹そのものの人間だと。翔平の態度は礼儀正しいし、美羽を見る時も笑みを浮かべている。だがその奥には、凍りつくような冷たさが潜んでいた。「美羽は今、間違いなくひどく傷ついているよ」紗良は思いつめたように言った。部屋に2秒ほどの沈黙が流れた。紗良は努めて明るい声を出した。「お兄ちゃん、今こそ美羽に寄り添ってあげる時じゃない?」隆は妹を一瞥し、言った。「分かった、もう寝ろ」紗良は唇を尖らせた。「はいはい。お兄ちゃんも今夜は早めに休みなよ」と笑いながら、こう付け加えた。「もう若くないんだから、健康に気をつけなくちゃダメだよ」「いい加減にしろよ?」紗良はお茶目に舌を出すと、そそくさと部屋から出ていった。去りゆく紗良の背を見送ると、隆はしばし静止し、それからノートパソコンを閉じた。自室に戻った隆は、鏡に映る自分を見ると、確かに以前より憔悴していた。口の周りは青みがかり、無精ひげもそのままだった。翌日の朝。朝食を摂りながら、翔平は美羽に告げた。「後で柚葉を連れて、ある小児循環器科の専門医を訪ねるぞ」美羽は驚いて顔を上げた。翔平は淡々とした眼差しで説明した。「柚葉は2歳の頃、心臓に持病を抱えていた。その時に救ってくれたのが榊原先生だ
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第334話

翔平は何も言わず、大股で美羽の後を追った。団地の敷地内に入って、ほどなくしてのことだった。美羽は体力が持たず、一度柚葉を下ろした。二人が手を繋ぎ、柚葉はもう片方の手で翔平の大きな手を握った。マンションへ向かう途中、柚葉は二人を交互に引っぱってはブランコのように揺らし、その顔からは終始笑みが消えることはなかった。少なくともこの瞬間だけでも、柚葉にとっての埋め合わせになればいい。榊原将臣(さかきばら まさおみ)の自宅に到着した。妻の榊原貴子(さかきばら たかこ)が翔平と柚葉を見ても驚いた様子はなかったが、美羽の姿を認めると少し予想外そうにした。「翔平さんに柚葉ちゃんね、さあ、上がってください」80歳になる将臣は、小児循環器科の権威として知られている。とうに第一線を退いていてもおかしくない年齢だが、週に2日は病院で診察を行っている。今日は自宅で休息を取っていた。「榊原先生、こんにちは」柚葉は丁寧に挨拶をした。その愛くるしい性格から、年配者にはいつも可愛がられる。将臣も思わず柚葉を抱き上げ、微笑んだ。「柚葉ちゃん、また背が伸びたな」柚葉は嬉しそうに、紹介した。「榊原先生、この人が私のママだよ」美羽は前に出て声をかけた。「榊原先生、初めまして」将臣は美羽のことをじっと見つめた。例年、翔平が柚葉を連れてくるときに美羽の姿を見たことはなかったからだ。「初めまして」「榊原先生、当時の柚葉の手術について詳しくお話を伺うことは可能でしょうか?」将臣は不思議そうに翔平へ視線を向けた。その件なら夫である翔平が全てを知っているはずだが、どう見ても二人は仲睦まじい夫婦の雰囲気とはかけ離れていた。将臣は余計な詮索はせず、「もちろんです」と応じた。翔平は美羽を一瞥してから柚葉に言った。「柚葉、おいで。ママと榊原先生とで少し話があるんだ」「分かった」と柚葉は小さく答えた。貴子が柚葉の小さな手を引いて、ピアノのある部屋へ連れて行く。自身もピアニストである貴子は、ピアノを習い始めたばかりの柚葉に教えたいと思えるほどの素質を感じていた。そうして柚葉はピアノのある部屋へと向かった。翔平はバルコニーに出て引き戸を閉め、美羽たちの会話の邪魔をしないように距離をとった。ラタンチェアに腰を下ろし、スマホで仕事の連
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第335話

将臣は頷くと、翔平に声をかけた。「以前送ってもらった健康診断の結果は問題なさそうですね。一年に一度はちゃんと受診してくださいよ」「分かっています」正午。二人は榊原家で昼食をとった。食後、早々に榊原家を後にした。柚葉は水族館に行ってイルカが見たいと言う。翔平は車を走らせ、水族館へ向かった。広い水族館で、柚葉はほとんどの時間を翔平に抱っこされて過ごした。美羽に抱っこをせがむこともあった。「イヴリンさんを疲れさせないために、パパが抱っこするよ」と翔平は優しく言い聞かせた。美羽は、翔平がイヴリンの名を口にした時、その声音に明らかな嘲りが滲んでいるのを感じ取った。柚葉は納得し、嬉しそうに言った。「じゃあママと手をつなぐ。ママ、手をつなごう」小さな手を差し出され、美羽は手を握り返さざるを得なかった。「ママ、ママ」と何度も呼びながら歩く柚葉の様子は、自分のママをみんなに自慢したくてたまらないという風に映った。翔平はカメラを構え、二人を夢中で撮影した。絵になる二人の姿は注目の的で、翔平は柚葉の荷物やバッグを提げながら、その様子を見守っていた。他人から見れば、どこからどう見ても幸せな家族に見えたことだろう。夜になり、3人は外で夕食を済ませた。帰りの車内で、柚葉は美羽に寄り添ったまま眠りについていた。美羽は淡々と言った。「グランド・ホテルまで送って」翔平はサイドミラー越しに美羽の顔を横目で見た。柚葉が眠った今、さっきまで顔に浮かべていた母親としての優しい表情は消え去っていた。車内には凍りつくような沈黙が漂う。翔平はそれ以上何も聞かず、車をUターンさせてグランド・ホテルへ向かった。美羽は柚葉を起こさないよう、ゆっくりと座席に横たえた。幸せそうに眠るその顔を見て、離れがたい想いがこみ上げる。柚葉と共に眠ることが、すっかり美羽の習慣になっていた。もう一度柚葉の頬をそっとなでてからドアを閉め、美羽はホテルへと歩き出した。立ち去る後ろ姿を見送ってから、翔平は再びアクセルを踏んだ。美羽は受付でチェックインを済ませ、カードキーを手に部屋へ向かった。扉を開けて中に入ると、ほどなくして昌明から電話がかかってきた。「明日の朝10時に開廷します。美羽さんは出廷されますか?」翔平は来るはずがない。
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第336話

隆は言った。「分かった。気をつけて。東都に着いたら連絡をくれ」「ええ」翌日の午前5時、美羽は空港へ向かった。搭乗手続きを終え、機内の座席で目をつむり、しばしの休息を取る。隣の座席に誰かが座る気配がした。だが、美羽は目を開けなかった。客室乗務員が朝食の配膳に来た時のこと。目を開けた美羽は、隣の席に座っているのが浩平だと気づき、驚いた。浩平は美羽が怪訝そうな表情でこちらを見ているのに気づくと、上品に微笑んで会釈をした。「イヴリンさん」すぐに、美羽は平静を装い、手渡された朝食を受け取った。そして静かにそれを食べ始め、浩平に話しかけるつもりは一切なかった。浩平も美羽の休息を邪魔するようなことはしなかった。2時間の空の旅。浩平はノートパソコンを広げ、仕事に打ち込んでいた。美羽はそのまま静かに過ごした。8時40分、飛行機は定刻通り東都国際空港へ到着した。浩平はノートパソコンをバッグにしまって立ち上がった。美羽も続いて立ち上がる。その時、バッグからうっかりチケットがこぼれ落ち、美羽がそれを拾い上げた。ふと振り返った浩平は、チケットに書かれた「美羽」という文字を目にした。立ち上がった美羽は、自分を見つめる浩平を見て言った。「何かご用でしょうか?」浩平はかすかに口角を上げて答えた。「いいえ、別に」飛行機を降りると、浩平は秘書を伴い、足早に去っていった。美羽はすぐに機内モードを解除した。事前に柚葉に連絡を入れていた。柚葉からは数回の着信があり、翔平からも電話が入っていた。美羽は歩きながら、掛け直した。「ママ」という電話越しの柚葉の声は、震えていた。その声を聞き、美羽の胸はナイフで刺されたような痛みに襲われた。「ごめんね、お仕事が急に入ってしまって。パパと一緒に過ごしててね。東都で待ってるから」ママが自分を置いていくことは悲しいが、忙しいことは分かっている。柚葉はそれ以上泣きじゃくることはなかった。「分かった。パパとすぐにそっちに行くね」「ええ」と美羽は短く返した。ターミナルを出て、美羽はタクシーを捕まえ、裁判所へと急いだ。入り口へ到着した時は、10時丁度だった。昌明は入り口で待機していた。裁判は非公開であり、小さな法廷が割り当てられていた。この件が、総資産数兆円の
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第337話

美羽は翔平を一瞥すると、そのまま隣を通り過ぎた。彼女は昌明の車に乗り込み、その場を後にした。翔平はその場に立ち尽くし、遠ざかる美羽を見つめていた。彼は凪のように静かな表情で、次に弁護士の方を向いた。「中山社長」「戻ってから話す」「承知しました」美羽は昌明の法律事務所へ戻った。今日の結末は、予想通りだった。今のこの国では、不倫や性格の不一致といった理由だけでは、離婚を認めさせるのは難しい。それに、翔平が明確に離婚を拒絶しているのだからなおさらだ。もちろん、手がないわけではないが、どうしても時間はかかってしまう。経済的な争点がある以上、それを利用して離婚に向けた交渉を有利に進めるのが最善だろう。美羽も今の状況を受け入れ、気持ちを切り替えていた。「分かりました」事務所を出た時、悠斗から電話がかかってきた。「美羽、今日は裁判だっただろう。結果はどうだった?」美羽は答えた。「後日判決が出ることになったけど、たぶん認められないと思う」予想通りの結果だ。「美羽。翔平さんと争えば争うほど、あいつの執着は強まるだけだ。あいつは絶対に負けを認めない男だから、今の状況には下手に触れず、冷めていくのを待つのがいい。直接的な対立は避けるべきだ」昨日一晩考え抜いたことで、美羽はようやく理解した。自分が翔平と争うたびに、彼の態度はかえって頑なになっていったことを。翔平に真っ向から挑むことは、自ら火の中に飛び込むのと同じだ。「分かってる」「それで、いつ戻ってくるんだ?」「もう東都に来ているわ」「昼食は食べたのか?」1時間後、悠斗と美羽はレストランで一緒に昼食をとった。涼太の会社の話が出た。すでにトウキ側が提携の打ち切りを申し出てきたので、毅側としても強くは出られない状況だ。自動車会社との協力関係はおおむね合意に至り、いくつか大きな案件を成し遂げれば、アーンアウトの条件をクリアすることは問題なさそうだった。それだけでも良いニュースだ。昼食を終えて、悠斗が美羽を実家まで送ることになった。今井家に着くと、門の外には、ロールスロイスが止まっていた。美羽は眉間にしわを寄せた。悠斗が車を止め、二人は家の中へ入った。すると、ちょうどリビングから出てきた翔平と鉢合わせた。翔平は二人を
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第338話

それから、直美が美羽のところに仕事の相談に来た。「美羽ちゃん」ハッとした美羽は我に返り、直美の方を向いた。表情を繕って、「はい」と声をかけた。美羽の様子がおかしいことに気づいた直美は、心配そうに尋ねた。「どうかしたの?すごく顔色が悪いけど」麻希からの連絡から、もう1時間が経っていた。翔平も、すでに知っているはずだ。「美羽はかつて、自分が翔平と口論し、それを聞いた柚葉が激しく泣き出してしまった時の、翔平の反応を思い出した。」初めて柚葉が今井家に来た夜、激しく泣きわめいた時も、翔平はすぐに駆けつけていた。どうやら翔平は、柚葉が取り乱すことを極端に恐れているようだ。将臣に言われた通り、柚葉の容態は落ち着いているとはいえ、情緒の落ち着きが何より大切だ。あの大手術は本当に命懸けだったし、柚葉はあと一歩というところまで追い詰められていたのだ……悲しみに沈む柚葉の姿が頭から離れず、美羽は胸が締め付けられるように苦しかった。ちょうど何か言おうとしたその時、スマホが震えた。着信画面を確認すると、美羽は電話に出た。「もしもし?」受話器の向こうから、翔平の氷のように冷たい声が聞こえた。「病院へ来い」その言葉を聞いた瞬間、美羽の気分はどん底へ落ちた。「どの病院?」翔平が告げたのは、ある病院の名前だった。電話が切れると、美羽は立ち上がり、バッグに荷物を詰め込みながら直美に言った。「直美さん、ちょっと病院へ行かないといけないんです。書類はそのままでいいです、手が空いたら後で見ときますから」美羽の緊迫した様子を見て、直美が不安げに尋ねた。「誰か入院でもしたの?」「柚葉です」30分後、美羽は病院へ駆けつけた。小児循環器科の特別病室へ向かうと、ドアを押した。ベッドの上、柚葉の小さな体は、静かに眠っていた。鼻には酸素吸入器が付けられている。翔平がベッドサイドに座っていた。美羽と視線が合うと、その瞳には冷たい光が宿っていた。美羽は翔平から目を逸らすと、重い足取りでベッドへ近づいた。蒼白な柚葉の顔を見て、胸が潰れるように痛む。美羽は翔平を見やり、声を潜めて聞いた。「今の状態は?」「安定している」と翔平は冷淡に言った。美羽はホッと息をつく。静かにベッドの端に腰かけ、柚葉の小さな手をそっ
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第339話

美羽はずっと、月見ヶ丘で柚葉に寄り添っていた。もうすぐ夕食の時間だ。美羽は自らキッチンに立ち、柚葉のために夕食を作った。隆に一本、電話を入れる。「先生、申し訳ありません。今夜のオーケストラには伺えなくなりました」隆は驚いた様子もなく言った。「直美から聞いたよ。柚葉ちゃんが病気になったんだって?」美羽は静かに頷く。「柚葉ちゃん、今はどうだい?」「もう落ち着いています」「それなら良かった。オーケストラなんていつでも聴きに行ける。今はまず柚葉ちゃんの看病をしてあげてくれ」「ありがとうございます」料理をしている間も、柚葉はひっつき虫みたいに美羽の後ろを追いかけ、野菜を洗う手伝いをしていた。その日の夜、美羽は泊まり込みで柚葉の看病をすることにした。夜8時頃、翔平が帰宅した。美羽はリビングで、柚葉と一緒にアニメを見ていた。「パパ」翔平は柚葉を抱き上げると、二人でしばらく仲睦まじく触れ合っていた。美羽は柚葉に言った。「先に向こうでパパと一緒にいてね。私はまだ少し仕事が残っているの」「分かった」と柚葉は言った。美羽は翔平のほうを一度も振り返ることなく、そのまま2階へ上がった。美羽は柚葉の部屋へと向かう。午後4時ごろ、美羽は一真に連絡し、ノートパソコンと処理すべき資料を月見ヶ丘まで持ってきてもらっていたのだ。その時、スマホが振動した。美羽は画面を確認してから電話に出る。「もしもし、デイビッド」「イヴリン、久しぶりだな。僕が恋しかった?」相変わらず軽い調子のデイビッドの声だ。美羽はクスッと笑い、素直に答えた。「別に」「酷いなあ。僕はイヴリンがすごく恋しかったのに」「そう?それは、他の女性を口説いている途中で?」デイビッドは笑い声を上げた。「焼きもちか?」「用がないなら切るわよ」デイビッドが尋ねた。「もちろん大事な用があるさ。ちょっと聞きたいんだが、離婚は済んだのか?」美羽は少し沈黙してから、問いには答えず言った。「デイビッドに一つお願いしたいことがあるの」デイビッドは眉を上げた。「イヴリンが頼みごとをするなんて、珍しいな。それで、何をすればいい?君の頼みなら何だって引き受けるさ」美羽は微笑んだ。「K・Uの株の処理を頼みたいの」K・Uは美羽が手塩にかけて育て上げ
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第340話

布団を柚葉に掛けてやると、その額にそっとキスをし、翔平は部屋を出た。美羽はその閉じたドアを見つめたまま、ため息をついて仕事へ戻った。柚葉は2日間、休暇を取って自宅で療養した。美羽はその2日間、邸内で仕事をしつつ柚葉に付き添った。翔平は通常通りに出退勤し、少し早めに帰宅しては柚葉の側にいた。ただ、この2日間、翔平と美羽は顔を合わせても、食事の席で少し会話を交わす以外、ほとんど言葉を交わさなかった。その日、美羽に昌明から電話が入った。裁判所での離婚は認められなかったようだ。想定通りの結末だった。同じ日のこと。幼稚園のお迎えを済ませると、紗良が詩音を連れて柚葉のお見舞いに訪れた。子供たちはカーペットに座り、積み木遊びに夢中になっていた。世間話をしていた時、美羽は隆が急性胃腸炎で入院したことを知った。「仕事にのめり込むとすぐ食事を抜く人でね。最近ずっと体調が悪いと言ってたのに病院にも行かなくて、今回ついにひどくなって入院することになったのよ」翌日ちょうど週末だし、美羽は見舞いに行くことにした。紗良が尋ねた。「美羽、今はここに住んでいるの?」美羽は仕方なく頷いて小さく返事をした。「柚葉は心臓が弱くて……しばらくは付き添おうと思って」柚葉が受けた手術の痛みを想像した。あの日、病室で眠る柚葉の姿を思い出し、美羽は胸が張り裂けそうだった。紗良は深く同感し、聞いた。「どうして柚葉ちゃんは心臓が弱いの?」美羽は答えた。「恐らく、私のお父さんからの隔世遺伝でしょうね」正人は以前から心臓に疾患を抱えていた。5年前に会社が危機を迎えた頃、彼自身の体調も極限状態まで悪化していたため、再建の目処が立った後、精力を使い果たし、会社を手放さざるを得なかったのだ。もっとも、ここ数年は引退してゆっくり療養できたおかげか、体調はすっかり回復している。紗良は子供たちを見つめてつぶやいた。「本当に、人生に完璧なことなんてないのね。豊かな暮らしには、必ず代償が伴うというわけね。相手が離婚に応じない以上、これ以上争うのは大変な苦労だと思うわ」かつて自分自身が、峰行との離婚成立までに2年近くかかったことを、紗良は思い出す。今の美羽も状況は似ている。もちろん翔平の離婚拒否は、美羽を愛しているからではない。美羽は静か
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