All Chapters of 冷徹な夫が暴走愛?それでも妻は絶対に許さない: Chapter 361 - Chapter 370

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第361話

翔平は、浩平の家で、少しの間彼に付き添っていた。そろそろ帰ろうか、という時だった。翔平は念入りに使用人に言い聞かせた。浩平に酒を飲ませないよう、しっかりと監視してくれ、と。「承知いたしました」と、使用人が答える。翔平は浩平と言葉を交わすと、そのまま邸宅を後にした。車を走らせ、中山家の本邸へと向かう。繁華街の通りには、秋の飾り付けがされていた。信号待ちで車を停めたときのことだ。横断歩道を渡る人混みの中に、見覚えのある二人の姿を見つけた。美羽はカーキのカジュアルなトレンチコートに白いロングスカートを合わせていた。秋風になびく長い髪の間から覗く、美しい横顔。手にはミルクティーを持って、隣の男と何か話しているが、その表情までは読み取れない。隣を歩く男は軽く頷きながら、眼鏡の奥から穏やかな眼差しを美羽に向け、静かに話を聞いていた。二人が横を通り過ぎるたびに、周囲の歩行者たちは皆、思わず振り返っていた。隠しきれないほどの美しさに、誰もが見とれていたのだ。信号が青に変わり、翔平はアクセルを踏み、その場を離れた。美羽と隆は劇場の方へと向かっていた。もともとオーケストラの約束をしていたため、二人とも予定が空いており、ちょうどこのオーケストラの東都公演の千秋楽と重なった。最近は仕事詰めでゆっくり休めていなかったから、美羽も少し気晴らししたかったのだろう。劇場に到着すると、指定の席へ座った。今日は満員で、空席はほとんどなかった。オーケストラの時間は90分間。開始から30分が過ぎた頃、美羽のスマホに柚葉から着信があった。彼女は急いで席を立ち、外へ出る。「イヴリンさん、いつ迎えに来てくれるの?」昨日、夕飯を美羽の家で食べる約束をしていたのだ。美羽の家族たちとの食事会だ。美羽は答えた。「5時を過ぎたら、迎えに行くからね」オーケストラの終わるちょうどいい時間だ。「じゃあ今、イヴリンさんのところへ向かってもいい?」美羽は考えた。今、柚葉は中山家の本邸にいるはずだ。本音を言えばあの場所には立ち寄りたくなかったが、断る理由もなく了承した。柚葉が到着するころには、オーケストラも終わっているだろう。美羽が席へ戻った。「今の電話、柚葉ちゃんから?」と隆が尋ねる。「うん。今日の夕飯を一緒
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第362話

あの時、確かに全力を出していた。あの日の翔平の冷たい表情を思い出すと不安になる。翔平の隠された交際をバラし、彼を傷つけた。あの根に持つ性格からして、復讐されるのではないかと美羽は思った。だが翔平からの動きはなく、裕貴にも特に連絡は入っていないようだ。もちろん、翔平が何もなかったかのようにやり過ごすなんて信じてはいないが。美羽は、柚葉を連れて帰ろうとした。すると、翔平が近づいてきて言った。「先に、柚葉を病院へ連れて行く」美羽は驚いて、柚葉を見た。柚葉は美羽を見つめて言った。「今日、急に咳が出ちゃったの。パパが病院で診てもらおうって」美羽は翔平を見上げた。結局何も言えず、隆に向かって告げた。「先生、先にうちへ戻っていてください」今日の午前中、隆と涼太は、新規投資案件への出資について話をしていた。昼になると、二人は連れ立ってレストランへ向かった。夜は、隆を家に招いて、一緒に夕食を取ることになっていた。隆は頷いて答えた。「分かった」隆は柚葉に別れを告げ、翔平に目を向けた。「失礼します」翔平は無表情な顔で、短く顎を引いた。その後、翔平は美羽と柚葉を車に乗せて病院へ向かった。診察は事前に予約してあった。病院に着いて診察を受けると、気温の低下に伴い、流行していた風邪の症状だと診断された。薬をもらい、いくつかの注意点を聞かされる。病院から出た時、美羽のスマホに、涼太からの着信が入る。「うん、もう出たよ」美羽は翔平の車に乗った時点で、涼太に送っていたのだ。【病院へ迎えに来て】そう言うと、電話を切った。美羽は翔平に言った。「私のお兄ちゃんが迎えに来てくれるから、送ってもらう必要はないわ」その言葉を聞き、柚葉がいきなり切り出した。「イヴリンさん、パパ明日から海外へお仕事に行くの。最後にご飯食べない?」美羽は、ハッとした。翔平が明日から海外出張へ行く。翔平は美羽を見て言った。「出張中、柚葉を頼むぞ」自分も海外へ行く時期と重なる。美羽は眉をひそめた。「嫌なら断っていいんだ」と翔平が言う。ドキッとする。上目遣いで訴えてくる柚葉を見つめ、美羽は確信した。このクズ男、絶対にわざとだ。黙り込んだまま、美羽は柚葉に答えた。「柚葉、今日は私の家で食べよう」「パパも連れてっていい?」
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第363話

美羽は利沙の話を聞いて驚いた。なぜそんなふうに考えるのか、理解できなかったからだ。涼太も、利沙が柚葉を美羽と隆の子供だと思っているなんて予想外だった。涼太が釈明しようとふと顔を上げた瞬間、階段のところに立つ翔平が目に留まった。翔平の表情は、言いようのないほど険しかった。利沙はそれ以上言葉を返さず、足早に去っていった。「もうすぐ診察時間外になっちゃう。喉がひどく痛むから、先にお薬をもらってくるわ」美羽は短く返事をした。「はい」涼太は美羽に車のキーを渡し、一緒にあとを追った。二人が診察棟へ歩いていくと、利沙が、さっきまで階段に立っていた翔平の存在にようやく気づいた。翔平の顔を見た瞬間、利沙はひどく動揺した。心当たりがあるのか、居たたまれない気持ちになり、さっと俯くと、背を向けて足早に奥へ進んだ。少し離れた場所で、利沙は無意識に振り返り、涼太に尋ねた。「今の男の人、何?さっきからじっとこっちを見てたわよ」涼太は深くは答えなかった。美羽は先に柚葉を連れて車に乗った。美羽はスマホを取り出し、涼太に送った。【お兄ちゃん、利沙さんに余計なこと言わないように言っておいて。変な誤解が生まれるから】涼太はメッセージを確認し、返信した。【了解】30分後、診察を終えた涼太たちが戻ってきた。一行は西峰邸へと帰宅した。あらかじめ伝えておいたこともあり、中山家の人たちは、柚葉の前では口をつぐんでいた。それでも美羽は心配だった。柚葉と一緒に夕食をとったあと、部屋へ連れて行って、一人で遊ばせておくことにした。食事が済むのを待って、美羽が部屋へ戻ると、柚葉が翔平とビデオ通話をしていた。柚葉はキッズ携帯を差し出して言った。「イヴリンさん、パパがお話ししたいんだって」美羽が受け取り、柚葉にパズル遊びをさせてから、バルコニーに出てドアを閉めた。「もしもし」翔平の声が響いた。「柚葉の世話で月見ヶ丘に残るのか、それとも柚葉をそっちへ連れていくか?」相変わらず自分勝手で、人を従わせようとする傲慢さだった。他人の事情なんて微塵も考えないのだ。美羽は溜め息をついた。「何か決めるなら、事前に相談してほしいと言ったはずよ」翔平は淡々と言い放った。「さっき確認しただろう?」美羽の顔色が変わる。「わざと意地悪を言っているでしょ
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第364話

ソファに座り、自分の膝の上に引き寄せた柚葉に、美羽は静かに言った。「私も明日、仕事で海外に行くの」柚葉は大きな瞳をパチクリさせると、一瞬驚いたように見開いた。そして、輝いていた瞳がすうっと暗くなり、小さく呟いた。「イヴリンさんって、いつも忙しいのね」その寂しそうな口調に、美羽は胸に小さな棘が刺さったような痛みを感じ、少し苦しい声で謝った。「ごめんね」「イヴリンさん、いつ帰ってくるの?」「まだはっきりとは分からないわ。でも、会いたくなったら、いつでもビデオ通話をしてちょうだいね」柚葉は、何も言わずに力なくうつむいた。美羽は柚葉を抱き上げて自分の膝の上に乗せ、その頬にそっと手を添えながら優しく尋ねた。「柚葉、どうしたの?」そう言いながら柚葉を見ると、その目は真っ赤に腫れていた。美羽は胸が締めつけられるような思いがした。「柚葉」柚葉は手で目をこすり、しゃくりあげながら答えた。「ごめんね、イヴリンさん。泣きたくないんだけど……もうイヴリンさんに会えないって思うと、胸が苦しくなるの」詰まったような柚葉の声に、美羽は心臓を締め付けられる思いがした。柚葉の涙を優しく拭いながら、なだめた。「そんなに泣かないで。ずっと帰ってこないわけじゃないわ。仕事が終われば必ず帰るから」柚葉は美羽の顔を見つめて聞いた。「じゃあ、毎日連絡してもいい?」「もちろんよ。どれだけ忙しくても、必ず連絡するからね」「イヴリンさん。すぐに帰ってきてね」「仕事が終わったら、真っ先に柚葉に会いに帰ってくるわ」美羽は懸命に励ましながらも、胸の内で、柚葉に持病の影響が出ないかという不安でいっぱいだった。幸い、柚葉の顔色には目立った変化はなかった。どうにかこうにかして、柚葉を泣き止ませることができた。顔に残った涙を丁寧に拭き、ソファの上で柚葉を優しく抱きしめ、美羽は背中をポンポンと叩いた。やがて、柚葉は美羽に身を寄せたまま、いつの間にかすやすやと眠りに落ちていた。柚葉をゆっくりと抱き上げ、寝かせて布団をかけた。そして、美羽はベッドの端に座り、眠る幼い寝顔をじっと見つめた。不意に、あることを思い出した。美羽は慌ててスマホを取り出し、翔平に電話をかけた。しかし、着信は一方的に切られてしまった。美羽の顔色は一気に険しくなった。彼女は翔平へメ
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第365話

病院で会った時はマスクをしていて分からなかったが、帰宅してマスクを外したあとに見せた柚葉の顔に、今さら利沙の中で合点がいったようだった。こうして今改めて翔平を見ると、柚葉と顔立ちがそっくりじゃないの?「この人ってまさか、柚葉ちゃんの……お父さん?」澪の顔色も一気に曇った。澪のその反応を見て、利沙はすべてを察した。利沙は、病院で翔平がなぜあんなに不機嫌だったのかをようやく理解した。子供の実の父親の前で、「他人の子」なんて言ってしまったのだから。瞬時にして、背筋が凍りついた。見るからに関わらないほうがよさそうな雰囲気を漂わせていた。美羽は翔平を庭に引きずり出し、人気のない場所まで来ると立ち止まって振り向いた。「翔平、頭がおかしくなったの?一体何しに来たのよ?」翔平は目の前で怒る美羽を見下ろし、その瞳に冷たく危険な光を宿した。「誰を柚葉の父親にするつもりだ?」美羽は目を丸くし、ようやく事態を飲み込んだ。つまり、翔平は責任を問いただしに来たのか?利沙が柚葉を自分と隆の子供だと勘違いした、そのことだけで?だとしても……単なる小さな勘違いだなんて分かりきっていることなのに。わざわざここまでやって来るなんて。本当に心が狭い、クズ男。美羽は翔平を睨みつけ、皮肉めいた笑みを浮かべた。「そこまでして、自分が柚葉の父親だって証明したいの?はっきりさせないと、怒りで今夜は寝られそうにないんでしょ?」翔平は美羽をじっと見つめた。「いいわ。だったら今すぐみんなに言いなさいよ。『俺が柚葉の父親だ』って!」と、美羽は顎をしゃくって屋内を指した。逆光の中に立つ翔平の横顔は、影が濃く、その表情はどこまでも読めなかった。翔平が何も言わないので、美羽は眉を上げた。「中へ戻るのが嫌なら、私が全員呼び出してあげようか?」そう言い捨てて、美羽は翔平を突き放し、堂々と歩き出した。数歩進むと、手首を馴染みのある力で引き戻された。美羽は抵抗せず、振り返って彼を見た。「何するの?」翔平は横顔のまま、冷酷な瞳で美羽を射抜く。「俺を挑発して、そんなに楽しいか?」美羽は冷ややかな笑みを口元に浮かべた。「意に沿うことが挑発になるなんて、本当に扱いにくい人ね」美羽が言い終わるや否や、翔平がいきなり彼女の腕を掴み、強く引き寄
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第366話

翔平は、激昂する隆の表情を冷ややかに見つめ、蔑むような瞳で冷たく微笑むと、視線を外し、何も言わずに邸宅の外へと歩き出した。去っていく翔平の背中を見つめ、隆は拳を固く握り締めて、指の関節を鳴らした。隆は振り返り、表情を作り直して美羽に声をかけた。「美羽さん、大丈夫か?」美羽は呼吸を整え、小さく首を横に振った。声にはまだ力がなかったが、「大丈夫です」と答えた。涼太も駆け寄り、心配そうに美羽に呼びかけた。美羽の様子を見て、彼女が何かを強制されていたことを察した涼太は眉をひそめた。「一体何を言っていたんだ?」美羽は深くため息をつき、冷静さを取り戻しながら怒りを滲ませた。「あの男、頭がおかしいのよ」美羽は簡潔に事の経緯を説明した。涼太は眉間にしわを寄せた。要するに、利沙が言った何気ない一言のせいだった。「どう考えても、あの男は頭がおかしいな」普段は冷静で言葉遣いが荒いことなどない涼太が、思わず毒づいてしまうほどだった。隆が尋ねた。「明日出国することは、柚葉ちゃんに話したのか?」美羽はうなずいた。「ええ、もう伝えました」隆はそれ以上何も聞かなかった。その後、美羽と涼太は隆を玄関まで見送った。隆が車で去ったのを確認し、二人は別荘へと戻った。涼太が聞いた。「中山社長はさっき、美羽に対してどういうつもりだったんだ?」美羽はこの二度の翔平の行動を思い出していた。どうか自分に対して変な期待なんて持っていないでほしい、と願った。「分からないわ」リビングに戻ると、正人と澪が美羽たちを待っていた。先ほど利沙が、見てしまった出来事を告げ口していたのだ。正人はその場でキッチンに包丁を取りに向かおうとし、澪たちが慌てて止めていた。「お父さん、お母さん、私は大丈夫よ。心配しないで。少し疲れたから、部屋で休むわ」「分かった、休んできなさい」美羽は2階へ上がった。杉山家の親戚たちにどう説明するかは、澪と正人に任せることにした。翌朝。美羽は柚葉のために自分で朝食を作り、部屋で一緒に食べた。一晩寝て、柚葉の機嫌はだいぶ良くなっていた。子供とはいえ分別のある柚葉は、イヴリンが仕事の出張に出るだけだと理解していた。毎日ビデオ通話をする約束までしていたのだ。悲しみが和らいだ様子を見て、美羽
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第367話

隆と紗良は、美羽一行を見送った。人影が見えなくなると、紗良は肩で隆を小突き、釘を刺した。「お兄ちゃん、峰行もあそこにいるし、急いで準備して追いかけたほうがいいよ。それに迅さんもまだ獄中とはいえ、いつ出てくるか分からないんだから」峰行と神崎迅(かんざき じん)は双子の兄弟だった。迅はかつて美羽に乱暴しようとして、強制わいせつ未遂で逮捕され、懲役5年の判決を受けた。だが、あれからまだ2年しか経っていない。美羽と悠斗がA国のY市に到着し、宿泊先となる邸宅に向かった。二人はここを拠点に滞在することになった。美羽は時差ぼけを直すため、2日間休息を取った。その後、会社へ戻り業務にあたった。不在だった数ヶ月間も業績は安定していたが、N・Sの投資に関する案件は以前の面談以来、何の音沙汰もなかった。美羽には、その理由が分かっていた。すでに離婚裁判を取り下げていたからだ。翔平にとっても、今さら自分を責める理由はなかったのだろう。今後もし翔平と法廷で争うとなれば、紗良や峰行の時のように簡単にはいかないだろう。翔平はあんなに非情な男なのだから。美羽はその日、プロジェクトや財務データに目を通したが、業績はどれも順調そのものだった。それからの数日間、集中して仕事に取り組んだ。こちらでは心乱される事もなく、国内にいた時より効率よく仕事が捗っていた。時間があれば、美羽はいつも柚葉とビデオ通話をした。柚葉は今、百合のもとで暮らしている。百合は最近、柚葉が翔平よりも、美羽の方に懐いていることに気づいていた。以前なら、出張中の翔平とは欠かさずビデオ通話をしていたはずだが、今や一番に名前を呼ぶのは「イヴリンさん」だった。何度か翔平からの電話を途中で切り、美羽の方へビデオ通話を切り替える場面もあったほどだ。柚葉がこれほど美羽に懐いていては、翔平もこの先、再婚するとなれば厄介だろう。それに、彼だってこの先ずっと、柚葉一人しか子どもを持たないつもりではないはずだ。我慢できなくなった百合が、つい翔平に釘を刺した。なんとしても翔平には美羽ときっぱり関係を清算してもらいたいのだ。だが翔平は淡々とした口調で答えた。「母さん、俺のことはもう放っておいて。柚葉のことだけ見ていてくれればいい」3日後、美羽は会社の幹部を集めて会食を
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第368話

峰行はそこに立ち止まり、去っていく美羽の背中を見つめると、口角を上げて視線を逸らした。運転手が車のドアを閉めると、部下が素早く歩み寄って礼儀正しく車のドアを開けた。峰行はズボンのポケットからスマホを取り出し、電話をかけながら後部座席に乗り込んだ。すぐにつながり、峰行はからかうように言った。「兄さん、今日誰に会ったと思う?」食事会の間。美羽は経営陣に、株を譲渡してK・Uから撤退する意向を伝えていた。翔平の干渉は一時的に止まっているとはいえ、離婚裁判を取り下げただけという現状だった。経営陣の一部からは、熱心な引き留めにあった。だが、美羽の決意は固く、誰もそれ以上は踏み込めなかった。この件が解決するまで、美羽は残って運営管理を続ける予定だ。会食が終わり、美羽がオフィスビルを出ると、路肩に停まった目立つアポロのスポーツカーが目に入った。その傍らには、サングラスをかけ、派手なシャツのボタンを少し開けた金髪のデイビッドが寄りかかっており、やけにファッショナブルに映っていた。美羽を見つけたデイビッドは電話を切り、背筋を伸ばして挨拶をした。その表情は快活で自信に満ちていた。美羽は彼の方へ歩み寄った。「夜にサングラスなんて、すごいわね」デイビッドは笑った。「キザに装うのは必要だろう?さあ、飲みに行こう」デイビッドは美羽に協力し、彼女の持ち株を高く買ってくれる相手を探し出していた。それは翔平とは無関係な相手で、翔平にも干渉させない手立てを確保していた。2日後には、交渉を進め、正式に契約を交わすことができる。デイビッドからの電話の後、美羽は一杯奢る約束をしていたのだ。デイビッドは紳士的に助手席のドアを開けた。乗り込んだ途端、美羽は車内に漂うおなじみの香水に気づいた。そして、足元にある何かを踏んでしまった。かがんで手を伸ばすと、口紅だった。同乗したデイビッドは美羽の手元の口紅を見て笑った。「化粧直しなんて不要だよ、イヴリンは今のままで十分美しいから。でも、僕のために綺麗にしてくれるなら大歓迎さ」美羽はその口紅をデイビッドに渡し、唇を歪めた。「これ限定品よ、うっかり落としちゃったんじゃない?」事の次第を察したデイビッドは、一瞬瞳を冷たく光らせたが、口紅を受け取る顔には少しの動揺もなく、落ち着き払っていた。
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第369話

悠斗は直接、美羽のいる個室を訪れた。デイビッドは悠斗と久しぶりに会った。悠斗はデイビッドを見て、少し警戒した。男の勘だろうか、デイビッドも悠斗の考えをすぐに悟った。やれやれ、イヴリンの周りには、どうしてこうも男が多いのか?しかも、隆よりも悠斗の方がずっと親しげに見える。「美羽」悠斗が歩み寄り、美羽の体を支えて立ち上がらせた。美羽はかなり飲んでいたが、度数の低いお酒だったため、ふらつきこそすれ意識はしっかりしていた。「大丈夫よ」デイビッドが歩み寄り、悠斗へ笑顔で声をかけた。「悠斗、久しぶり」流暢に話すデイビッドに対し、悠斗は手短に応じた。「久しぶりだな」デイビッドは聞き返した。「元気にしていたか?」悠斗は言った。「忙しいけど、元気だよ」「そうか。それなら良かった」悠斗は気のない返事を返すと、淡々と言った。「もう遅いので、美羽を送って行くよ」デイビッドは微笑んだ。「分かった」美羽がデイビッドに別れを告げた。「また明後日にでも連絡するよ」美羽は軽く頷いた。悠斗が美羽を支えて、個室から連れ出した。二人が去ったのを見て、デイビッドがスマホを取り出し、電話をかけた。すぐにつながった。「翔平、もう着くかい?」今夜は元々翔平と会う約束だったが、2時間だけ時間が空いたので美羽と飲んで語り合っていた。美羽なら、遅くまで付き合わないはずだから。「ああ、すぐに着く。あと、連れがいるんだ」デイビッドが言った。「了解」そう言うと、通話を切った。悠斗と美羽はホールを出て、駐車場へと向かっていた。その途中で、入ってきた二人とすれ違った。黒いシャツにパンツ姿の翔平は、相変わらず鍛え上げられた体に品を漂わせていた。しかし美羽には、彼の放つ抑圧的でどこか荒っぽい雰囲気が、前よりも色濃く感じられた。隣に立つ男は、短めのウルフカットに整えた髪に、整った顔立ちをしていた。深くくぼんだ目元と切れ長の瞳が、どこか陰のある印象を与えていた。見るからに一筋縄ではいかず、情け容赦のなさそうな男だ。男と目が合った瞬間、翔平を見た時以上に、美羽は恐怖で体が震え出した。悠斗は支えていた美羽が固まったのを、明らかに感じた。美羽の異変を見て、それが自分に対してではないと悟った翔平が、かすかに眉を寄せ
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第370話

美羽は悠斗の車に乗り込み、荒れた心を落ち着かせるためにしばらくの間、深呼吸を繰り返した。ようやく悠斗が静かに問いかけた。「あいつが、例の迅ってやつか?」美羽の身に例の事件が起きた時期は、ちょうど悠斗の仕事が立て込んでいた時期だった。悠斗は半年近く、美羽と連絡すら取れずにいた。ようやく連絡が取れた時、美羽が窮地に追い込まれていたことを知ったのだ。当時、隆は紗良の離婚問題でA国に行きっぱなしだった。美羽を守り、裁判を通じて迅を刑務所に送ったのは隆だった。それなのに、なぜこれほど早く出てきたのか?あの時、なぜ自分が美羽の側にいてやれなかったのか、悠斗は激しい後悔の念に駆られていた。今の美羽の様子を見て、悠斗はすべてを悟る。だが、翔平と迅が顔見知りだったとは、予想外のことだった。A国で何があったのか、正人と澪には、詳細は伝えられていなかった。美羽は額に手を当て、力なく一度うなずいた。美羽のそんな状態を見て、悠斗はそれ以上問い詰めなかった。当時、何があったのか、悠斗は詳しく知らない。ただ美羽が半年近くカウンセリングを受け、少しずつ立ち直ろうとしていたことは知っている。それを思うと、ハンドルを握る手に自然と力が入る。そして、邸宅に戻る。この日の夜、美羽はお酒の力を借りても深く眠れず、悪夢を見た。暗い部屋に閉じ込められ、夜通し聞こえてくる汚らわしい声に苛まれる夢だった。あの1週間、心と体は深刻な傷を負っていた。ふと目が覚めると、すでに午前10時を回っていた。ノックの音がして、美羽は体を起こした。「どうぞ」部屋に入ってきた悠斗が、美羽の顔色を見てベッドサイドへ駆け寄る。「夜、眠れなかったのか?」美羽は髪に指を差し入れ、頭皮を軽く揉んだ。「大丈夫。たぶん、昨日お酒を飲んだからだと思う」「二日酔いに効く薬を用意させた。すぐ持ってくる」美羽は静かに頷いた。悠斗は一度、部屋を出て行った。美羽はベッドを離れて身支度を済ませた。出てくる頃には、頭もだいぶすっきりとしていた。悠斗が届けてくれた薬と朝食が、バルコニーの丸テーブルの上に用意されていた。美羽は薬を飲むと、向かいの悠斗に問いかけた。「悠斗はもう食べたの?」「ああ、食べたよ」と悠斗が答える。美羽はスプーンを手に取り、雑炊を口に運んだ。
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