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All Chapters of SWEET×SWEET: Chapter 21 - Chapter 30

74 Chapters

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 行動を見透かされたことが恥ずかしかったわけではない。その行動に至るまでに、裕貴のことを考えてしまった事実に、後ろめたさを覚えてしまったのだ。 浅ましい欲情に、少なからず自分の存在も影響を与えていると裕貴が知ったらどんな顔をするか。そんなことを想像した啓太郎は、すかさずこう思った。 裕貴に知られたくない。 バカにされるとか、メシを食わせてもらえなくなるとか、そんな気持ちからではない。ただ、軽蔑されたくなった。「バカ、そんなんじゃない……」 「誤魔化さなくていいよ。いいじゃん、男同士なんだから、おれだって羽岡さんの切ない事情はわかってるよ」 裕貴がそんなことを言っても、まったく説得力がない。パジャマの上からいつもの大きめのカーディガンを羽織った裕貴からは、あまり男という性が感じられない。これが、啓太郎と同じようなごつい男なら、平気で際どい冗談でも交わせるのだ。  しかし少なくとも裕貴は、啓太郎にとってそんな相手ではない。 風が吹いて裕貴が寒そうに肩を竦め、乱れた前髪を掻き上げる。このとき形のいい白い額が露わになり、なぜか啓太郎はうろたえる。勘のいい裕貴が首を傾げた。「羽岡さん、どうかした? ぼーっとして。もしかして、いいところで中断させちゃった?」 からかうように言われ、一瞬カッと頭に血が昇った。気がついたときには啓太郎の唇は勝手に動いていた。「――働いている人間をからかうな」 自分でも意外なほど低い声が出ていた。裕貴もそれを感じ取ったらしく、驚いたように切れ長の目をわずかに見開く。「お前はなんでもできる時間があるだろうが、俺は違う。毎日疲れて帰ってきても、ただ寝るだけだ。誰かとつき合いたいと思っても、仕事の疲れを癒すことのほうが最優先だ」 そこまで一息に言ってから、啓太郎は大きく息を吐き出す。裕貴は何も言わず、ただ見つめてくるだけで、その静かな瞳にかえって啓太郎は苛立たされる。 胸の奥でくすぶっている感情を引きずり出し、裕貴に突きつけるように、さらにひどい言葉を投げつけていた。「こんなことを言っても、お前にはわからないだろうな。自分で買い物に出ることさえ嫌がっているぐらいだ。他人と目を合わせるのも、話すのも苦手なんだろ。俺の疲労と欲望をわかれってほうが無理な話だ。――引きこもっているお前にはな」 話し終えたときには全身が熱くなって
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**** 裕貴の怒りは、啓太郎の想像を遥かに上回って深かった。  その日から、啓太郎がいくらインターホンを鳴らそうが、メッセージを送ろうが、まったく応対してくれなくなったのだ。  元の関係に戻っただけだと思いながらも、胸にぽっかりと空いたような虚無感を埋めることはできない。 あまり疲れの取れていない顔を洗ってから、鏡を覗き込む。ヒゲを剃りはしたが、目が充血し、頬が少しこけたせいで、荒れた印象はあまり変わらない。「たった一週間で、人相が変わっちまったな……」 苦笑交じりに呟き、ダイニングに戻る。テーブルの上にあるのは、インスタントで入れたコーヒーと、夜中、仕事の帰りにコンビニで買ってきた菓子パンだ。これが啓太郎の朝食だった。 一週間前までは、裕貴の部屋に寄って、夜だけでなく朝メシを食べることが当たり前になっていただけに、これまでならなんとも思わなかった朝食にわびしさを覚える。  朝、今にもベッドに潜り込みそうな素振りを見せながらも裕貴は、コーヒーは豆から挽いて淹れていたし、最初こそ、冷凍したパンを啓太郎に解凍させたが、そのとき以外ではきちんと作ってくれた。 作業的に菓子パンをコーヒーで流し込み、ネクタイを締める。ジャケットとコートを羽織ると、アタッシェケースを手にして部屋を出る。  裕貴の部屋の前を通りかかると、新聞受に新聞は入っていなかった。  息を潜めて生きているようなところがある裕貴なので、隣室とはいえ物音すら感じることは難しく、ときどき本当に部屋にいるのか不安になる啓太郎だが、こういうささやかなところで、裕貴の存在を感じることができる。 インターホンで呼びかけることなく通り過ぎると、啓太郎は仕事に向かった。 仕事は相変わらず忙しい。忙しすぎるといってもいい。  必要なシステム構築はなんとか目安となる期限までに間に合ったが、突然、仕様書にはないがパッケージに必要だと言われた機能を搭載するため、奔走中だ。「予算が下りなきゃ、こんなもん誰がやるかってんだよな」 出勤した啓太郎は、朝から首っぴきになって他のシステムとの連動の道を探し、なんとかカスタマイズの可能性を見つけだした。  予算計算書のコピーをデスクに投げ置いて、髪を掻き毟る。誰もいなければ、大声で叫び出したいところだ。「おー、荒れてるな、羽岡さん」 能天気そうな声
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**** 買ってきたプリンが入った箱を袋ごと目の前まで掲げ、啓太郎は大きく深呼吸を繰り返す。柄にもなく緊張しているのだ。 他人が見たら、変質者だと思われるかもしれない。マンションの一室の前にさきほどからずっと立ち尽くし、何度もケーキ屋の箱が入った袋を眺めているスーツ姿の男がいるのだ。しかも、夜中に。  通路の蛍光灯に照らし出される大きな男の図は、さぞかし気味が悪いだろうと啓太郎にも自覚はある。 立ち尽くしているのは裕貴の部屋の前だった。インターホンを鳴らそうとして、何度も躊躇している最中だ。  年上であるというプライドをひとまず置いて、とにかく謝って許してもらおうという気になったのは、この十日間、晩メシにカップラーメンを食べ続けているというのも関係あるだろう。 裕貴と知り合う前までなら、この貧しい食生活になんの疑問も感じなかっただろうが、今は違う。とにかく、飢えていた。  腹が満たせればいいというのではなく、五感すべてがきちんとした食事を求めているのだ。 だが、食事以上に啓太郎が求めているのは――。 よくわからないが、とにかく裕貴に会わなければいけないと、強い義務感と焦燥感に苛まれている。仕事をしていても気が気でなく、いつの間にか裕貴のことを考えているような状態だ。 怒らせたままで、隣人同士として生活していくのは息苦しかった。二度と顔を見せるなと、面と向かって言われてもいい。ケジメとして裕貴に謝りたかった。  そのきっかけとして、裕貴が食べたがっていながら、啓太郎が買いに行ったときには売り切れて買えなかったプリンを、外回りに出るというシステム開発部の女性社員に頼んで、今日買ってきてもらったのだ。 さすがに寒くなってきて、ブルリと身震いする。啓太郎はやっと覚悟を決め、インターホンを鳴らす。予測はしていたが、反応はなかった。  かまわず啓太郎は何度もインターホンを鳴らし続け、裕貴が応じるのを待つ。 しかし、普段引きこもって生活している裕貴の忍耐力は、啓太郎の予想を遥かに上回っていたようだ。五分ほど鳴らし続けても、ドアの向こうから気配すらしない。 半ば自棄になって、指の感覚がおかしくなるほどインターホンを鳴らしていた啓太郎だが、視線を感じてそちらを見ると、いつからいたのか、同じ階の住人が目を丸くして立っていた。啓太郎と同じく、遅くまで
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 街灯の明かりで浮かび上がる地上がやけに遠くに見える。五階といえば、やはりけっこうな高さなのだ。  いまさらながら、そんなことを実感した啓太郎はゴクリと喉を鳴らす。 フッと短く息を吐き出してから、手すりに両手をかけて力を込める。体を支えてバランスを取りながら、なんとか片足を手すりにかけることができる。  すかさず片手で手すりを、もう片方の手で仕切りを掴む。「……何こんなことで、命かけてるんだろうな、俺は……」 ぼやきつつも、もう片方の足も手すりにかけると、体がぐらつく。両手ですがりついた仕切りがガタッと大きな音を立てた。 手すりの上に立つだけなら、まだ楽だ。だが啓太郎の目的は、ベランダの手すりを伝って裕貴の部屋へと行くことだった。  最大の難関は、手すりにまでせり出している仕切りの横を通り抜けることだ。今は支えになっている仕切りが、今度は厄介な障害物になるというわけだ。 数回ためらってから、仕切りの向こうにあるベランダの手すりを爪先で確かめる。感覚が鈍くならないようハダシになっているのだが、啓太郎はこの選択を少し後悔していた。  気温が低い中、外にある手すりは、氷のようにつめたいのだ。おかげで、素足で触れているとかえって感覚が麻痺しそうだ。「こんなところから転落死したら、俺は隣の青年の寝込みを襲おうとした変態男となるわけだな」 呟いてから、落ちるわけにはいかないと、啓太郎は気持ちも新たにする。それに、裕貴には言いたいことがある。 なんとか片足を隣のベランダの手すりにつけ、安定させる。あとは、素早く体を移動させられるかどうかだが、すでに啓太郎の足はガクガクと震えていた。  早くしないと――。  足に力を入れようとしたそのとき、裕貴の部屋のカーテンが揺れて一気に開かれた。窓の前に立った裕貴が大きく目を見開き、次の瞬間にはベランダに飛び出してきた。「なっ……」 咄嗟に言葉が出ない様子だったが、それでも裕貴は啓太郎の腰にしがみついてきて、こちら側に引き寄せようとする。「うわっ、バカ、バランスがっ……」 啓太郎は声を上げながら、ベランダに身を投げ出す。地上に落ちて叩きつけられるよりは、ベランダに叩きつけられたほうがマシだと、本能が判断したのかもしれない。 しかし、思ったような痛みはなかった。その理由を啓太郎は、自分の体の下から上がった声
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 トレーナーの上からカーディガンを羽織った裕貴は寒そうに首をすくめてから、部屋へと入る。そして啓太郎を振り返った。「命がけでおれに会いに来てくれたんだから、入れば」 素っ気なく言った裕貴が背を向ける。啓太郎はその背を見て、激しい感情の高ぶりを感じた。部屋へ入ることを許してくれたことへの感動とか、嬉しさとか、そんな単純な感情ではない。なんだか始末に困るような感情だった。 ありがたく部屋に上げてもらった啓太郎は、大事なことを思い出した。「おい、玄関のドアに、お前が食いたがってたプリンを引っ掛けてある。保冷剤を入れてあるから、大丈夫だと思うが――」 啓太郎の言葉を最後まで聞かず、裕貴は小走りで玄関に向かい、すぐにケーキ屋の箱が入った袋を手に戻ってきた。「プリンがあるなら、そう言ってくれればよかったのに」 「何度もインターホン鳴らしても、お前出てこなかっただろ」 恨みがましく睨むと、プリンを箱ごと冷蔵庫に入れた裕貴が澄ました顔で言った。「――で、用はそれだけ?」 ぐっと言葉に詰まった啓太郎だったが、ここでつまらない意地を張るわけにはいかなかった。なんのために危険なことまでして、裕貴の部屋に入ったのか。  拳を握り締めた啓太郎は、覚悟を決めて深々と頭を下げる。「この間は、悪かったっ。大人げなかった。疲れていたせいもあって、カッとしたんだ」 「なんのこと?」 思いがけない裕貴の言葉に、啓太郎は顔だけ上げる。腕組みした裕貴が意味深な笑みを浮かべて目の前に立っていた。「……お前、俺をからかって楽しいか?」 「楽しいに決まってるだろ」 即座に返され、一気に啓太郎の体から力が抜ける。頭を下げたまま大きく息を吐き出すと、髪をくしゃくしゃと裕貴に掻き乱される。「なんだか羽岡さん、ちょっと見ない間に、凄まじく生活に疲れた感が増したよね」 「あのな――」 勢いよく頭を上げた途端、眼前に裕貴の顔が迫ってきた。  男にしては線が細くて白くてきれいな顔を間近に見て、いまさらながら啓太郎は緊張する。よく考えてみれば、いままで裕貴と同じ空間にいて、こんなに接近したことはなかった。  さきほどベランダで裕貴の体を下敷きにしたことといい、やむなくとはいえ、今日は一気に二人の距離感が崩れたようだ。 力仕事など知らないような柔らかな手が頬に押し当てられる。ドキリと
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 包丁を手にした裕貴が体ごと振り返り、不思議そうな顔をして啓太郎を見つめてくる。「羽岡さん、俺をからかうなって、怒らないわけ?」「それで今度は、俺がお前を無視するのか? どう考えたって、俺の分が悪いだろ。俺はお前に相手してもらわないと困るけど、お前は俺の相手なんてしなくても困らないんだから」「おれの相手なんてしてくれる変わり者……、羽岡さんだけだよ」 裕貴がちらりと苦い表情を見せる。初めて見る表情に啓太郎は目を見開いたが、視線に気づいたのか、逃げるように裕貴は背を向けてしまった。** 十日ぶりに裕貴が作ってくれたのは、ポテトグラタンに、チキンボールの入ったスープだった。そこにパンも添えて出され、啓太郎は感動しながら味わう。 久しぶりのまともなメシだった。熱々のグラタンに息を吹きかけながら食べていると、裕貴は正面のイスに腰掛け、啓太郎が買ってきたプリンの蓋を開け始める。「――……必死に食べてる姿見てると、ないはずの母性が疼きそうになるよ、羽岡さん」 突然の裕貴の言葉に、危うく咳き込みそうになる。なんとか口の中のものを飲み込んだ啓太郎はムキになって言った。「ないはずのものが疼くかっ」「それもそうだ」 にっこりと笑った裕貴がペロリとスプーンを舐める。不覚にも、裕貴のその仕種に動揺した啓太郎は、マカロニを探すふりをしてグラタン皿に視線を落とす。 イスの上で片膝を抱えてプリンを食べるという、あまり行儀のよくない姿勢を取りながら、裕貴は前触れもなく尋ねてきた。「――でも、羽岡さん、あのとき観てたんだろ、エロ動画」 フォークにマカロニを突き刺したところで啓太郎は一瞬動きを止める。顔を上げると、際どいことを口にしたばかりとは思えない無邪気さで、料理の巧い『悪魔』はプリンを食べていた。「お前なあ……、『でも』がどこから繋がっているのか、俺にはさっぱりわからんぞ」「観てた?」 人の話を聞けという抗議は、口中で消える。啓太郎はガシガシと髪を掻き毟ると、半ば自棄になって答えた。「まだ、観てなかったっ。――これで満足かっ」 大笑いするかと思った裕貴だが、大げさなほどの同情の表情を見せた。まだ、笑われたほうがよかったかもしれない。「羽岡さんさあ、あんまりつらいようなら、そういうお店行きなよ。家がいいって言うなら、デリヘルだってあるし、精神的安らぎを
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 すぐには啓太郎は、裕貴の言葉の意味がわからなかった。「はあ?」 「だからさ、今の羽岡さんの言葉を聞いてると、おれってけっこう条件にぴったりじゃないかと思ってさ。今だって金もらってメシ作っているんだから、時給について考慮してもらえるなら、いくらでもオプションをつけてあげるよ?」 「オプションって、お前な……」 どう見ても、裕貴は男だ。  啓太郎は身勝手な『時給制の恋人』について、前提として『彼女』と言ったはずだが、裕貴はあまりその点について重要視していないらしい。そうでなければ、男の裕貴が自ら名乗りをあげるはずがない。 啓太郎の視線は無意識に、裕貴の胸元に向けられる。トレーナーの上から見ても、当然だが柔らかそうな膨らみなどない。それに、さきほどベランダで倒れ込んだときに下に敷きこんだ裕貴の体は、細身ではあったが骨格は男のものだった。 間違っても、女の体と錯覚できるものではない――。 ここで啓太郎は我に返る。まじめに分析するまでもなく、ありえない話だと思ったのだ。そもそも、裕貴と女を比較すること事態、間違っている。「あまり俺をからかうなよ」 苦笑した啓太郎に対して、裕貴は挑むような強い眼差しを向けてきた。まるで、啓太郎の心の奥底の動揺を見抜いたかのような目だ。「からかってないよ。それに羽岡さん、おれ以外にアテがある? 仕事が忙しくて出会いがないだろうし、羽岡さんが今いる部署って、男の人ばかりなんだろ。しかも、ずっと部屋にこもったままでの作業だ。そうなると、会社で女の人と親しくなる暇もない。やっとの休みも、疲れているから外に出たくないって前に言ってたよね」 「……俺の置かれた境遇がいかに厳しいか、実感できるな。お前の口から言われると」 裕貴はニヤリと笑う。「その点おれは、楽だろ。羽岡さんの都合次第で会いにきて、用がなければ顔を出さなければいい。おれは引きこもりだから、外でばったり出くわして気まずい思いをすることもない。料理については、いまさら説明するまでもないし、性格はいたって温和」 「温和?」 啓太郎が露骨に眉をひそめてみせると、テーブルに身を乗り出してきた裕貴が自分の顔を指さす。「温和だろ。ついでに甘え上手」 「お前が甘え上手というのも初耳だ……」 「上手に甘えてみせるけど。そういうのが羽岡さんの好みなら」 試すような流し目
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 啓太郎は機械的にプリンを口に運びながら、ひたすら裕貴の後ろ姿を見つめる。  洗った食器を傍らに置くたびに、不揃いに切った髪が揺れ、その髪の動きをつい目で追いかける。 ぼんやりと、改めて裕貴という青年について啓太郎は考えていた。  顔立ちそのものはきれいだと思うし、性格は掴み所はないが、年下なのにつき合いやすい。実は二人とも理工学系の大学に通っていた(裕貴は中退したそうだが)という共通点もあり、話が合うのだ。そのうえ作ってくれるメシが文句なしに美味いときている。 裕貴が女であったなら口説いていたと、前に考えたことがあるが、本当は今も、その考えはあまり変わっていない。  だが現実として裕貴は男で、その裕貴が、時給で『恋人』のような役割を務めてもいいと言い出した――。 考えすぎて頭が痛くなってきた啓太郎は、プリンを食べてから立ち上がる。  足音を抑えて裕貴の背後に立つと、気配に驚いたように肩を震わせて裕貴が振り返った。「びっくりした……」 あっという間に啓太郎の手から、スプーンとプリンの容器が奪い取られる。  裕貴が洗い終えた食器を拭き始める頃に、やっと覚悟を決めた啓太郎は口を開いた。「――おい、さっきの話、本気か?」 そう問いかけた啓太郎の声はわずかに掠れていた。拭いていた食器を置いた裕貴が、体ごと振り返ってキッチンにもたれかかる。首を傾げるようにして言われた。「試してみる?」 いまだに裕貴が本気なのか冗談なのか、判断がつかない。迷いながらも啓太郎は足を踏み出し、裕貴にさらに近づく。「試すって、何をすればいいんだ……」 「そりゃもう、恋人にするような、あれやこれや」 必然的に啓太郎の視線は、裕貴の唇へと吸い寄せられる。さきほどまで甘いプリンを美味そうに食べていた唇に、同じくプリンを食べたばかりの自分の唇を重ねるのかと考えただけで、頭が沸騰しそうになる。 できない、と言ってしまえばそれで終わりなのに、できるかもしれない、と頭の片隅――いや、頭の大部分で思い始めている自分がいるのだ。しかし、踏ん切りがつかない。  とうとう啓太郎は、裕貴の肩に手をかけたまま動けなくなってしまった。「羽岡さん、フリーズ起こしちゃったよ」 裕貴がおもしろそうに声を洩らして笑う。やはりからかわれていたのだと思った啓太郎は肩にかけた手を引こうとしたが、そ
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 裕貴の腕を掴んで強引に隣に座らせると、ぐいっと肩を抱き寄せる。あとは勢いだった。 今度は啓太郎のほうから裕貴の唇を塞ぐと、すぐに下唇と上唇を交互にきつく吸い上げる。最初はされるがままになっていた裕貴だが、啓太郎の首に手をかけてキスに応え始めた。  心のどこかで、実は裕貴は他人との肉体的な接触を知らないのではないかと思っていたが、啓太郎の予想は外れた。裕貴は十分に慣れている。 高ぶる一方の興奮に歯止めをなくしかけ、強引に裕貴の唇を貪りそうになる啓太郎は、巧みにその裕貴に興奮を宥められていた。 啓太郎がきつく唇を吸い上げると、反対に裕貴は、啓太郎の唇を甘やかすように啄ばんでから、唇を割り込ませてくる。下唇を甘噛みされたときは熱い疼きが腰の辺りに広がり、啓太郎は思わず、両手で裕貴の頬を包み込んでいた。「おれとのキス、気に入った?」 キスの合間に裕貴が言い、啓太郎は返事の代わりに苦い表情を浮かべる。素直に頷けるはずがなかった。裕貴は啓太郎の本音がわかったらしく、喉の奥から笑い声を洩らす。「金払う価値はあると思ってくれたんだ」 図星を指された啓太郎は、深く裕貴の唇を塞ぐ。啓太郎の求めがわかったのか、裕貴は素直に舌を差し出し、二人は互いの舌先を触れ合わせた。  気持ち悪いどころか、抵抗すらない。それどころか、裕貴とのキスは気持ちよかった。「……お前、抵抗ないのか? キス……とかで、俺から金もらうのって。メシ食わせて金を取るのとは、まったく意味が違うだろ」 啓太郎の質問に、裕貴はまずペロリと唇を舐めてきた。内心うろたえたが、あくまで平静さを装う。これ以上裕貴に主導権を握られてはたまらないと、啓太郎の中で妙な危機感が働いたのだ。 裕貴は一瞬、キスの最中とは思えない冷えた表情を浮かべ、視線を伏せる。「金を取るのは罪悪感を感じないためだよ。おれじゃなく、羽岡さんが」 「俺?」 「これでおれ相手に、変な遠慮しなくていいだろ。おれは、金でどうにかできる相手で、本人も納得していることだ、って」 裕貴の屈折した気持ちが透けて見えた気がして、啓太郎は一度体を離そうとしたが、それを察したのか裕貴のほうから唇を塞いできた。  逆らえないどころか、啓太郎のほうから裕貴を求めて、差し出された舌を衝動のままに吸ってやる。 こうされることを裕貴が望んでいるのだと思えば
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**** パッと目が覚めた啓太郎は、すかさず脳裏に蘇った夜更けの光景に、朝からベッドの中で身悶えそうになる。 恥ずかしさと、居たたまれなさと、妙なくすぐったさと――。 唇にはまだ、裕貴とキスした生々しい感触が残っていた。それだけでなく、抱き寄せた骨っぽく薄い肩の感触も、手は覚えている。  実はあれは夢だったのではないかと、今になって思う。普通に考えてみれば、隣の部屋の青年が、あんな突拍子もない提案をしてくるはずがない。  そうだとすれば、自分の欲求不満はとんでもないところにまで来ているのかもしれないと、啓太郎は空恐ろしくなった。 もう一度頭から布団を被ろうとして、我に返る。今は何時だと思い、サイドテーブルに手を伸ばす。目覚まし時計代わりのスマホを取り上げ、時間を確認した次の瞬間、啓太郎は飛び起きた。「マズイっ」 いつもなら、とっくに部屋を出ている時間だった。  どうしてアラームが鳴らなかったのかと、危うくスマホに八つ当たりしそうになる。だが、よく考えてみれば、裕貴との出来事ですっかり動揺した啓太郎は呆然としてしまい、時間を設定し忘れたのだ。 自分自身を罵る言葉を呟きながら、急いで身支度を整えて部屋を飛び出す。  裕貴の部屋を横目に見つつ一度は通りすぎたが、どうしても気になった啓太郎は腕時計で時間を確認して、引き返す。 裕貴の部屋のインターホンを乱暴に鳴らすと、いきなりドアが開いた。  さすがに裕貴は眠っていたらしく、足元がふらついており、長い前髪の間から覗く目も半分閉じている。「……今日は、朝メシは抜きで行ってよ、羽岡さん……。眠くて、作るの無理――」 ドアに寄りかかりながらそんなことを言う裕貴の姿が、どうしても啓太郎の中では、深夜の巧みなキスの相手と一致しない。  やはり昨夜のことは夢だったのだ、と思いつつも、啓太郎は急に体の奥から突き上げてきた衝動に勝てなかった。 強引に玄関に押し入り、後ろ手でドアを閉めると、持っていたアタッシェケースを足元に置く。驚いたようにやっと裕貴が目をはっきり開いたときには、啓太郎は有無を言わせず裕貴の頭を引き寄せた。「羽岡さんっ……」 裕貴が何か言いかけたが、かまわず唇を塞ぐ。キスしながら啓太郎は、今この瞬間すら夢なのではないかという思いが拭えなかった。  頑なに引き結ばれていた裕貴の唇
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