Home / BL / SWEET×SWEET / Chapter 51 - Chapter 60

All Chapters of SWEET×SWEET: Chapter 51 - Chapter 60

74 Chapters

-51-

 ふいにロビーに、にぎやかな声が響き渡る。柱の陰から顔を出すと、披露宴が終わった招待客たちの姿が一気に増えていた。啓太郎が出席していた披露宴の客たちか、別の会場にいた客たちかまではわからない。  にぎわうロビーの光景を横目に見ながら、啓太郎は会話を続ける。「これから出かけないか?」 さすがに意表をついた申し出だったらしく、裕貴からすぐに返事はなかった。『出かけるって、おれも?』 「ああ」 『……啓太郎って、無謀なところあるよね。引きこもりを外に連れ出そうとするなんて。この間の散歩のときもそうだったけど』 本当に呆れたように言われ、知らず知らずのうちに啓太郎の顔は熱くなってくる。自分でも、柄にもないことを考えついたものだと自覚しているだけに、それを裕貴に指摘されると居たたまれないのだ。  いっそのこと電話を切りたい衝動に駆られるが、それでも、とりあえず考えを裕貴に聞いてもらうことにする。 裕貴も、『嫌』という一言で拒絶はしなかった。呆れたような口調はそのままに、啓太郎に質問してきたのだ。『それで、行くってどこに?』 「決めてない」 『……もしもし、おれ、湯冷めしちゃうから、電話切ってもいいかな』 「今日は会社は昼までだったし、披露宴も座って食ってるだけだったから、体力がいつもより有り余ってるんだ」 体力が有り余っている、という言い方は変だなと、口にしてから気づいた。同じことを裕貴も感じたのか、クスクスという笑い声が耳に届く。鼓膜を刺激され、啓太郎の背筋はくすぐったくなった。『おれ、人がいるところに行くの嫌だ』 裕貴の言葉のニュアンスが変わる。啓太郎はここぞとばかりに早口で捲くし立てる。「ドライブはどうだ。それなら人と顔を合わせなくて済む。欲しいものがあれば、俺が車から降りて買ってきてやるし。車で行ける範囲なら、お前のわがままを聞いてやる」 耳を澄ませて裕貴の返事を待つ。  どれだけ裕貴が外に出ることに抵抗を持っているのか、一分近い沈黙が物語っていた。前に裕貴を散歩に連れ出したときの反応で、それはわかっているつもりなので、啓太郎も以来、外に出るよう誘うことはなかったのだ。 だが今夜は違う。他人の結構披露宴に出席して、友人たちとバカな会話をして、気分が高揚しているのかもしれない。  それに、自分のわがままに裕貴がつき合ってくれる
Read more

-52-

** 夜も早い時間帯のせいで、道路はどこも混んでいた。ハンドルを握りながら啓太郎は、早く帰らなければと思いながらも、一方で、裕貴もじっくり髪を乾かせるだろうと考える。  手触りがよく柔らかな裕貴の髪は、自分で適当に切っているということで、惜しいことに不揃いだ。いつか、きちんとした美容室に連れて行って、美容師に切らせたいのだが、さきほどの電話の様子では、当分無理そうだ。  もっとも、裕貴が普通に外に出られるようになったら、そのときは自分たちの関係も変わってしまうだろう。 そう考えた途端、啓太郎の胸に嫌な感覚が広がった。裕貴との今の関係をなくしたくないという自分勝手な願望を、このとき初めて、啓太郎は自覚していた。それに、裕貴を誰の目にも晒したくないという気持ちも――。 外に連れ出したいという気持ちと相反しているが、確かにどちらも、啓太郎の中に存在している気持ちだ。  裕貴自身は、どう考えているのだろうかと気になる。今のまま引きこもっていてはダメだと、多少なりとも考えているのか、できるならこのままがいいと願っているのか。 啓太郎は、裕貴の現状については知っているが、裕貴の気持ちについてはよく知らない。気ままでありながら、自分の殻にしっかり閉じこもった生活を送っている裕貴が、毎日どんなことを考えているのかすら。 信号で車を停めたとき、何げなくウィンドーに顔を向けると、気難しい顔をした男があった。反射して映った啓太郎自身だ。  こんな顔をして裕貴の前に出たら、結婚披露宴で他人の幸せにあてられたかと、からかわれるだろう。  短く息を吐き出すと、気持ちを切り替える。とにかくこれから、裕貴とドライブに出かけるのだ。 やっとマンションの前で車を停めた啓太郎は、さっそくスマホを取り出して裕貴にかける。待っていたのか、すぐに裕貴は電話に出て、こちらが何か言う前に、『今から下りる』と言ってあっさり電話を切った。 エンジンをかけたまま車を降りた啓太郎は、寒さに肩をすくめて裕貴を待つ。  目の前の通りは、さすがにまだ人通りはあるが、それでも多くはない。薄暗いだけ、この間の散歩のときより気は楽なはずだ。 マンションのエントランスから出てくる人影があった。しっかりとダウンジャケットを着ており、目深に被ったニットキャップに見覚えがある。  裕貴はまっすぐ啓太郎の元に
Read more

-53-

 だがすぐに、気を取り直したようにいつもの笑みを見せ、啓太郎のほうに身を乗り出してきた。「運転疲れたら、言ってよ。代わるから。啓太郎を助手席に乗せてあげる」 思いがけない申し出に、前を見据えたまま啓太郎は眉をひそめる。「お前もしかして……、車の免許持ってるのか?」 「おれ別に、生まれた頃から引きこもってるわけじゃないんだけど。これでも、大学通ってる頃に免許取ったんだよ。――まあ、それっきりハンドル握ってないんだけど」 「気持ちだけ受け取っておくから、助手席にちんまりと座っておけ」 ひどいなあ、と聞こえよがしにぼやきながら、再びウィンドーに顔を寄せようとした裕貴が、突然何かを思い出したように車中を見回し、後部座席へと身を乗り出す。「今度はなんだっ」 「披露宴出たんなら、引き出物もらったんだろ。何もらった? 見ていい?」 子供を助手席に乗せている気分だと思いながら、啓太郎は頷く。「引き菓子が、有名な店のチョコレートらしいから、やるよ。ついでに、引き出物も。確か、小鉢のセットだ。お前のところにあったほうが、有効に使えるだろ」 「まあ結局、おれのところで啓太郎がメシを食うわけだしね」 腕を伸ばして引き菓子の包みを取り上げた裕貴は、シートに座り直してから包みを開く。可愛い箱の中には、上品なチョコレートの粒が並んでいる。その一つを摘まみ上げ、口に放り込んだ裕貴に尋ねる。「美味いか?」 「んー、美味しい。花嫁さんが選んだのかな。いい趣味してる」 こいつは甘いものを口に放り込んでおけば、基本的に機嫌がいい――。  裕貴本人には言えないことを、啓太郎は心の中でこっそり洩らす。つい噴き出しそうになったが、寸前で堪える。いきなり口元に、チョコレートの粒が押し付けられたからだ。「おい――」 啓太郎が口を開いた途端、チョコレートが放り込まれる。舌の上でチョコレートが溶け、甘い味が広がった。「……ここのチョコが気に入ったんなら、今度買ってきてやる。俺が今常駐している会社の近くにデパートがあって、そこにショップが入ってたはずだ」 「最近、お菓子関係に詳しくなったよねー、啓太郎」 「誰かのパシリにさせられてるからな」 「よく言うよ。仲良く一緒に味わってるのに」 口ではどうしても、裕貴に勝てない。いつでも啓太郎の分が悪いのだ。「――それで、どこに行き
Read more

-54-

** 裕貴のことを多少はわかっているつもりだったが、まだ甘かったらしい。  軽く鼻を鳴らした啓太郎は、次の瞬間、強烈に吹き付けてきた風に首をすくめる。このとき潮の匂いが鼻先を掠めていった。 コートの前を掻き合わせ、視線を前方へと向ける。闇がぽっかりと口を開けているかのように、夜の海が広がっていた。  月も出ていない夜なので、砂浜沿いの道にぽつんぽつんと設置された街灯の明かりだけが、かろうじて砂浜の一部を照らしている。波打ち際に近づけば、あっという間に闇に溶けてしまうだろう。 しかも今は冬で、海を渡ってくる風は身を切るほど冷たい。  こんな季節に、こんな時間、海に来たいと言うのは、絶対変わり者だ。そして啓太郎の連れは、その変わり者だった。 寒さもものともせず、裕貴は一人でさっさと砂浜に下りていき、砂に足を取られ、ときおりよろめきながらも、どんどん歩いていく。啓太郎は呆気に取られるだけだ。  まさか、車から降りるとは思っていなかった。裕貴が海が見たいと言い出したときは、車の中から海を眺めて満足するだろうと、簡単に考えていたのだ。  人気がない海に行きたいという裕貴のリクエストだったが、そもそも今の季節、釣り好きでもない限り、好んで海に遊びに来る人間はそうはいないだろう。 啓太郎が連れてきたのは、さほど大きくはない砂浜で、夏場でも一部の人間しか来ないという穴場だった。周囲に人家もないし、デートのついでにやってきたカップルの車もない。裕貴の条件を完璧以上に満たしているだろう。「あいつのわがままにつき合う俺も、相当の変わり者か……」 苦笑しながら呟いた啓太郎の目は、砂浜を歩き回る裕貴を追いかけていた。だが、次に裕貴が取ろうとした行動に、思わず大声を出す。「こらっ、砂浜にそのまま座るなっ」 振り返った裕貴が手を振りながら笑いかけてくる。花が開いたような清々しい笑顔だ。ふいに啓太郎の胸は熱くなった。「そっちに行くから、ちょっと待ってろっ」 そう言うと、啓太郎は急いで車のトランクを開け、割れ物を梱包するのに使ってそのまま積んであった毛布を取り出した。  毛布を抱えて、急いで裕貴の元へと駆け寄る。砂が革靴に容赦なく入って気持ちが悪いが、構わなかった。 砂の上に毛布を敷いて手で示すと、ちょこんと裕貴がその上に座り込む。啓太郎も隣に腰を下ろすと、革
Read more

-55-

「――子供の頃、おれ、体が弱かったんだ」 啓太郎は目を丸くして裕貴の横顔に視線を向ける。薄闇に浮かび上がる青白い顔は、健康的とは言いがたいが、病的とまではいかない。啓太郎の視線に気づいたのか、裕貴はこちらを見て笑った。「今は平気」 「体が弱いって、何か病気をしてたのか?」 「心臓の病気だよ」 思わず眉をひそめた啓太郎に、裕貴はひらひらと手を振る。「あー、そんな顔するほど深刻なものじゃないんだ。それにもう治って、健康体」 そうは言われても、啓太郎はつい、視線を裕貴の左胸へと向ける。裕貴の裸を何度か見ているが、胸に手術の痕らしいものはなかった。胸どころか、体中に傷らしいものはなかったはずだ。  啓太郎の顔を覗き込んできて、裕貴が悪戯っぽい表情となる。「今、おれの裸を想像してるだろ」 「バカっ……」 「わっかりやすいなあ、啓太郎は」 じゃれるように裕貴に首にしがみつかれ、危うく啓太郎はひっくり返りそうになる。寸前のところで裕貴の体を受け止め、なおかつ自分の体も支えた。  なんとか裕貴をきちんと座らせ、病気の詳しい話を促す。「おれの心臓には、心房と心房の間に穴が開いてたんだ。だから血の流れが変なことになって、心臓に負担がかかる。運動しても、すぐに息が切れてたよ」 「子供にその症状はつらかっただろ」 「まあね。おかげで、外では遊べないし、体育の授業なんてずっと休んでた。もちろん、遠足や林間学校も欠席。参加ぐらいできたんだけど、うちの人間が過保護でさ。だから修学旅行も行かしてくれなかった。おかげでおれ、学校では浮きまくってたよ」 言いながら裕貴は笑っている。しんみりした話、という雰囲気ではなく、裕貴もそういう方向に持っていきたいわけではないらしい。「おかしいのは、うちの人間なんだ。学校行事でみんなはどこに行ったって話をすると、休みの日に同じ場所に、タクシー使って連れて行ってくれるんだよ。遠足や林間学校の空気は味わえなくても、同じ場所に行ったって記憶は残るだろうって」 「うちの人間って、それ、親父さんのことか?」 裕貴からかえってきたのは曖昧な返事で、表情からも、否定と肯定のどちらの意味を含んでいるのか読み取れなかった。  ただ、前に裕貴本人が、父親は多忙で、子供を放って世界中を飛び回っていると言っていた。だとしたら、裕貴が言っているの
Read more

-56-

「――今は、お前をどこかに連れて行ってくれないのか?」 咄嗟にそんな質問をぶつけると、驚いたように裕貴は目を丸くした。悪いことを聞いたかと、啓太郎が後悔しかけたとき、再び裕貴が勢いよく首にしがみついてきた。「お前はじっと座ってられんのかっ」 パッと顔を上げた裕貴がにんまりと笑いかけてくる。「今は、啓太郎がいるだろ。引きこもりを二度も外に連れ出せたんだから、大したもんだよ」 裕貴を引き離そうとしていた啓太郎だが、動きを止めてまじまじと白い顔を覗き込む。頬を包み込むようにして触れると、冷たくなっていた。途中でコンビニに寄って、カイロぐらい買うべきだったと、今になって後悔した。「……行きたいところがあるなら、いつでも言え。いつでも連れて行ってやるとまでは言えないけど、俺が休みの日になら、お前のわがままに善処してやる」 「おれも、啓太郎のデートコースに、気が向いたらつき合ってやるよ」 「はいはい、可哀想な男につき合ってください」 わざと卑屈な言い方をしてやると、肩にぐりぐりと頭を押し付けられた。新たな裕貴の攻撃にプッと噴き出した啓太郎は、両腕でしっかりと裕貴を抱き締める。  この瞬間、腕の中にある感触がたとえようもなく愛しくなって、啓太郎は内心で困惑した。**『夜の海見物デートコース』には、翌日、けっこうなオチがついた。 夜更けになってやっと仕事から解放された啓太郎は、自分の部屋に帰るよりもまず先に、裕貴の部屋に立ち寄った。  インターホンを押すと、いつもよりゆっくりとチェーンを外す気配がして、ドアが開けられる。「おい、何か腹にガッツリ溜まるようなものを食わせ――」 足元に落としていた視線を上げながらリクエストを告げていた啓太郎だが、裕貴の顔を見た途端、声を失う。 パジャマの上からいつもの大きめのカーディガンを羽織った裕貴は、マスクをしていた。全身から倦怠感が漂っており、マスクから覗く顔は全体に赤く、目も真っ赤に充血している。苦しげに肩を上下させているところまで確認してから、啓太郎は慌てて玄関に入ってドアを閉めた。入り込む冷気に、裕貴が寒そうに肩をすくめたのだ。「……お前もしかして、風邪か……?」 「この姿を見て、それ以外の何に見えるって言うんだよ」 憎まれ口は相変わらずだが、声は掠れて聞き取りにくい。  よろよろと覚束ない足取
Read more

-57-

 コートを脱いで手を洗うと、タンシチューを温めながら食器の準備をする。  出した食器をテーブルの上に置いていて、薬の袋に気づく。さすがの裕貴も引きこもり云々と言っていられず、自分の意思で病院に行ったらしい。 啓太郎は薬の袋を取り上げ、どこの病院に行ったのか確認する。  印刷されていたのは、ある総合病院の名だった。記憶にない病院だが、病院名の下には住所も記されており、おおよその場所については把握できる。ただ、ここから一時間近くはかかる場所だ。「裕貴、病院には一人で行ったのか?」 隣の部屋を覗いて尋ねると、布団に包まった裕貴がもぞもぞと動いて顔をこちらに向け、マスクを口元からずらす。「そうだけど……、なんでそんなこと聞くの」 「ということは、タクシーを呼んだのか?」 「やむをえず」 よほど風邪でつらかったのだなと思いながら、啓太郎は手にした薬の袋を示す。「この病院、遠かっただろ。近所に内科があるのに……」 「そこ、子供の頃からのおれのかかりつけ。遠いから面倒だけど、心臓のことで万が一っていうこともあるから、診てもらったんだ」 啓太郎は再びベッドに歩み寄り、床の上に座って裕貴と目線を合わせる。「何か心配なことがあったのか?」 昨夜、裕貴から心臓が悪かったということを聞かされたため、一瞬啓太郎の中を、不吉なものが過ぎる。マスクで口元を覆い直しながら裕貴は目を細めた。どうやら笑ったらしい。「一人暮らしを始めてから、こんな大風邪引いたの初めてだから、念のためだよ。それに、今のおれの心臓はピンピンしてるって。それどころか、少しは運動しろって言われた。風邪ひいてゼエゼエ言ってるのに運動しろって、意味わかんないよ」 啓太郎はほっと息を吐き出して、裕貴の前髪を優しく梳いてやる。「俺はわかるぞ。――つまり、お前の体は鈍ってるってことだ。夜中や明け方に、ちょっと散歩してみたらどうだ」 「……風邪がよくなったら考えてみる」 減らず口、と洩らして啓太郎は笑う。  髪や頬を撫でてやっていると、裕貴が心地よさそうな表情を見せる。「啓太郎の手、ひんやりして気持ちいい」 「お前は、熱いな。熱はどれぐらいだ」 「――四十度、近く」 「そりゃ重症だな」 「肺に影が出てるって言われた。肺炎寸前だったみたい」 思わず啓太郎は天を仰ぎ見る。症状を聞いて、ます
Read more

-58-

**** プロジェクトのカットオーバーの目処がなんとか立ち、啓太郎は胸を撫で下ろしていた。このまま納期をぶっちぎり、『終わらない悪夢』ではないが、最悪の状態に突入するのではないかと、密かに危惧していたのだ。  もっとも、現状が少しも楽になるわけではない。単に、無理すれば納期が守れるという計算が成り立つというだけだ。 缶コーヒーを一口飲んだ啓太郎は、乱暴にマウスを動かしてから、キーボードを叩く。深夜から突入するテストのためにドライブの余裕を作っておこうと、もう使わないデータをどんどん削除している最中なのだ。  人に任せれば少しは楽できるのだが、どんなデータを消されるかわかったものではないし、だからといって人に細かく指示を出すぐらいなら、自分でやったほうが楽だ。 当然、今日だけでなく、明日も帰宅できないだろう。 ふっと啓太郎の指の動きが遅くなる。裕貴のことを考えていた。  裕貴の風邪は相変わらずで、二日続けて寝込んでいる。今朝も部屋に寄って様子を見てきたが、減らず口は変わらないものの、ベッドの中でぐったりしており、何も食べたくないと言うのを説得して、コンビニで買ってきておいたプリンを食べさせたのだ。 本当は裕貴を一人にしておきたくはなかったが、仕事も手が離せない。何かあったらすぐ連絡してくるようにと走り書きを枕元に置いて、啓太郎は仕事に出てきた。  心臓はもう大丈夫だと聞かされているが、それでも高熱が続いて体が弱っているとなると、何が起こっても不思議ではないと思ってしまう。 まさか意識をなくしているのではないかと、日に何度も考えては、不安に駆られる。  一度だけ電話をかけて、調子を聞いてみようか――。  啓太郎は隣のイスに置いたジャケットに視線を向ける。ジャケットのポケットの中にスマホを入れているのだ。 なんとなく気恥ずかしいものがあるが、裕貴を心配する気持ちのほうが先に立つ。  スマホを取り出すと、声があまり出ていなかった裕貴の負担を考え、啓太郎はメッセージを送ることにする。内容は簡潔だった。『生きてるか?』 返事は期待していなかったのだが、作業を再開して数分ほど経ってからデスクの上に置いたスマホが短く震える。  反射的に裕貴からの返信だとわかり、啓太郎の心はパッと光が差し込んだように明るくなった。仕事の疲れもこのときばかりは
Read more

-59-

**** 自分の部屋のベッドに寝転がった啓太郎は、ぼんやりと天井を見上げる。自分の部屋にいながら、なんだか寛げなかった。  仕方なく起き上がると、冷蔵庫を開ける。缶ビールを取り出そうとして、その下の段に入れた箱に目が止まった。 ようやく仕事から解放されて気が抜けるのはいつものことだ。しかし最近は、それだけとも言えなかった。  自分の部屋にいるよりも、隣の部屋に入り浸ることのほうが多いからだろう。  裕貴のために買ってきたプリンは、まだこうして箱に収まって冷蔵庫に入っている。早めに渡してやろうと思い、起きているか確認のためメッセージを送ったのだが、返事がないのだ。 寝ているところを叩き起こすまでのことではないと、とりあえず啓太郎は自分の部屋に帰り、こうして形だけは寛いでいるのだが――。 正直、裕貴の顔を見ないと、一日が終わったという気がしない。  熱は少しずつ下がってきたと、今日の昼間までの文字でのやり取りでわかっているが、やはり顔を見ないと心配だ。 缶ビールを取り出して冷蔵庫を閉めた啓太郎は、上着を羽織ってベランダへと出る。手すりから身を乗り出し、仕切りの向こうの隣の部屋の様子をうかがうと、電気は消えていた。  それを確認して啓太郎は大きくため息をつく。 普段、裕貴の部屋の電気が消えているところをあまり見ることがないので、妙に不安を掻き立てられる。それに、寂しい。「……あいつ、本当に大丈夫なのか。熱は下がってきたなんて言ってたが、ぶり返しでもしてるんじゃないだろうな」 啓太郎は呟き、缶ビールを開けて呷るように飲む。風呂上がりだけあって、身を切るような風の冷たさも、喉を通るビールの冷たさも心地いいが、心が晴れることはない。やはり啓太郎の意識は、隣の部屋へと向いてしまうのだ。「しかし、風邪で寝込んでからのあいつ、主食がプリンになってるな……。コンビニで買ってきたプリンで満足できるんなら、普段買っている、気取った店のプリンの価値はどれほどのものだっていうんだ。意外に味がわかってないんじゃねーのか」 「――遠くまで買いに行かせるのが可哀想だと思って、気をつかってやったのに、そーんなこと思ってるんだ」 いきなり声がして、啓太郎は飛び上がりそうなほど驚く。見ると、仕切りの向こうから裕貴がひょっこりと顔を出していた。「なっ、お前っ……」
Read more

-60-

 笑う合間に咳をする裕貴を見ているうちに、つい片手を伸ばして裕貴の髪に触れようとする。裕貴が苦笑交じりに言った。「おれ、熱出してからずっと風呂に入ってないから、臭いよ」 「偉いな。俺の忠告を聞いて、我慢したのか」  きれい好きな裕貴は、熱で喘ぎながらも風呂に入りたいと言い張り、それを啓太郎が、熱が下がるまで我慢しろと叱り飛ばしていたのだ。  裕貴は唇を歪めて頷く。「啓太郎のバカヤローって言いながら耐えた。でも、明日は入る。もう限界」 啓太郎は、減らず口を叩く裕貴の髪を撫でてから、頬に触れる。燃えるように熱かった頬も、今はそれほどではない。熱が下がったというのは本当のようだ。「なんでそこで、俺がバカヤローになるのかよくわからんが、病人ということで不問にしてやる。風呂に入ったら、しっかり温まれよ。それから、湯冷めしないよう、しっかり髪を乾かして、暖かい格好をするんだぞ」 「――……啓太郎、お父さんみたい」 「好きに言え」 声を押し殺して笑った裕貴が、頬に押し当てた啓太郎の手の上に、さらに自分の手を重ねてくる。「啓太郎、キスしようか? 元気になったら、いっぱいしてあげるって、おれ言っただろ」 「……熱でうんうん唸ってたくせに、よく覚えてるな」 「唸ってないよ」 「いや、唸ってたな」 話しながら二人は仕切りにギリギリまで体を寄せ、手すりからわずかに身を乗り出す。  啓太郎は裕貴の唇に、そっと自分の唇を重ねた。熱のせいか、裕貴の唇はすっかり乾いており、いつもよりかさついている。 丹念に上唇と下唇を交互に吸ってやりながら、合間に舌先でなぞって唇を湿らせてやった。お礼とばかりに今度は裕貴のほうから啓太郎の唇を吸ってきて、スルリと口腔に舌を侵入させてくる。  ここまでは裕貴を労わろうとする気持ちが強かった啓太郎だが、この瞬間、胸の奥でじわりと欲望の種火が起こる。 頬にかけていた手を後頭部へと移動させる。髪を掻き乱すようにしながら裕貴の頭を引き寄せると、きつく裕貴の舌を吸い上げた。  熱く濡れた裕貴の舌が蠢き、巧みに啓太郎の口腔の粘膜を舐めて刺激してくる。心地よさに酔ってしまいそうになる魅力的なキスだった。いつもなら、このキスを心行くまで堪能するところだが今は違う。「……俺にさせろ」 唇を離してこう言うと、裕貴は首をすくめるようにして笑
Read more
PREV
1
...
345678
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status