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All Chapters of SWEET×SWEET: Chapter 11 - Chapter 20

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 飲むことになるのは確実なので、車はひとまず会社に置いて行くことにして、電車で最寄の駅に行き、そこから五分ほど歩く。  カウンターで社名を告げると、二階の座敷にいるということで上がってみる。 すでに飲み会は始まっている時間なので、さぞかし盛り上がっているだろうと思ったが、襖の向こうからは控えめなざわめきしか聞こえてこない。  靴を脱いでから襖を開けると、さほど広くない二間を繋げた座敷には、ぎっしりと社員たちが座っていた。見事に男女混合で席についてはいるのだが、その表情は飲み会という名の合コンを楽しむというより、まるで通夜だ。  一体何事かと不審に思った啓太郎だが、すぐにその理由がわかる。 若手が集まっての合コンだと頭から思い込んでいたが、そうではなかった。なぜか中年の女性社員に男性社員、そのうえシステム開発部の部長の姿まである。若い社員もいることはいるが、実に居心地悪そうな顔をしていた。  来たくて来たわけではないと、表情が語っている。「羽岡さん、こっち」 啓太郎を誘った男性社員に呼ばれ、狭い隙間を通って隣に行く。男性社員の反対隣には、見かけたことのない三十代後半の女性が座っており、澄ました顔でビールを飲んでいる。「……誰?」 近くのコート掛けにコートを引っ掛けてから座りながら小声で尋ねると、男性社員も声を潜めて教えてくれた。「商品部の係長」 目の前には鍋が用意されているが、肉は食われてしまったらしく、皿には野菜や豆腐しか残っていない。酒を飲みたいというより、とにかく腹が減っている啓太郎は、仕方なく野菜を次々に鍋に放り込む。「で、何がどうなってるんだ」 凄味を帯びた声で尋ねると、男性社員はとぼけた顔を見せる。「なんのことだ?」 「飲み会じゃなかったのか」 「飲み会でしょ。商品部とシステム開発部合同の」 「合コンじゃなかったのかっ」 ここで男性社員がニヤリと笑った。「俺は、合コンなんて一言も言わなかったと思うぜ、羽岡さん。どう解釈するかは、あんたの勝手だけど」 騙された――。ようやく気づいた啓太郎は、ガクリと肩を落とす。一気に一日の労働の疲労が押し寄せてきて、同時に嫌な虚脱感に襲われていた。「うちの部長が好きなんだよ。部下たち集めてイベントするの。前回なんて、ボーリングだぜ? 今日の飲み会に巻き込まれた商品部も哀れなもん
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** 上司の手前、会話が弾むわけでもなく、気をつかい合う若手社員たちは、実に窮屈そうだった。黙々と鍋を突き、顔を寄せ合って話している。もしかすると、この場から抜け出すタイミングをうかがっているのかもしれない。 啓太郎も、いつ席を立とうかと頭の中で算段していた。豆腐や野菜ばかり食べていて、腹が膨れるとは思えない。「まあまあ、そんなに肩を落とさないでよ」 そう言って男性社員にポンポンと肩を叩かれる。調子のいい奴だと思いながら啓太郎は軽く睨みつけたが、わざとらしく怯えたふりをしながら、男性社員は言葉を続けた。「女の子たちが、羽岡さんに参加してもらいたがってたのは本当なんだって。だから、この飲み会はアレだけど、このあと若手だけの二次会があるから、そこで楽しむのが今回の本当の目的だと俺は思ってるんだよ」 「……本当に、若手だけだろうな?」 「本当。これは信じて」 仕方ないので、今だけ我慢するかと啓太郎が頷きかけたそのとき、ジャケットのポケットに入れてあるスマホが鳴る。メッセージを知らせる着信音に、啓太郎は思わず顔をしかめる。  無視もできずスマホを取り出して見てみると、思ったとおり裕貴からだった。 メッセージアプリに送られてきた文面は、一行目に『至急』となっており、次の行からは、買い物を頼みたい品目がズラリと書いてあった。さりげなく、有名なケーキ屋のプリンまでリクエストされていることに気づき、啓太郎は小声で呟く。「あいつ、こんなものまで頼むかっ……」 啓太郎は慌てて、アタッシェケースを手に一度座敷を出る。廊下に屈み込んでアタッシェケースを開け、裕貴に持たされた雑誌を開く。有名所のスイーツの店が網羅された雑誌らしく、何かあれば、この雑誌を見て買いに行けと言われていた。  ご丁寧に雑誌には、店の開店・閉店時間や住所だけでなく、地図そのものまで載っている。啓太郎はケーキ屋の住所を確認すると、素早く移動時間を弾き出す。今から店を出て電車で移動すれば、間に合う。売り切れてなければの話だが。 髪を掻き毟りながら唸った啓太郎は、店の住所を頭に叩き込むと、雑誌をアタッシェケースに仕舞う。それから襖をわずかに開けると、自分をこの飲み会に誘い出した男性社員に声をかけた。「俺、急用ができたから、帰るぞ」 「えっ、まだ来たばかりなのに。というか、あと三十分も待てば
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** 「――買ってきたぞ」 啓太郎が袋を突き出すと、今日はシャツの上からぶかぶかのカーディガンを羽織った格好の裕貴が、淡々とした表情でまずスーパーの袋を受け取り、中身を確認する。「うん、OK。頼んだものが入っている。あとは……」 もう一つ、ケーキ屋の袋を受け取った裕貴は、すぐに眉をひそめる。自分が頼んだ店の袋ではないと気づいたのだ。「これ、違う」 「俺が行ったときには売り切れてたんだよ。だけどそんなこと言ったって、お前は納得しないだろうから、お前が付箋をつけていた別の店に行って、そこのケーキを買ってきた。これで文句ないだろうが」 最初に行った店にプリンが置いてないとわかると、啓太郎は一度会社まで戻り、車を運転して二軒目の店にケーキを買いに向かったのだ。こいつのために。「文句?」 外の冷気よりも冷たい眼差しを向けられ、啓太郎はすかさず言い直す。「……これで勘弁してください」 「仕方ないなあ。まあ、おれも鬼じゃないし」 うそを言えと内心で突っ込みつつ、啓太郎は玄関に入り、さっそく靴を脱ごうとする。すると、何かに気づいたように裕貴が露骨に顔をしかめ、急に啓太郎に体を寄せてきた。  肩の辺りに顔を寄せられたときは何事かと思ってしまい、反射的に両手を上げてしまう。「どうか、したか……?」 「羽岡さん、先に自分の部屋で風呂入って、着替えてきて」 「へっ。いや、俺、腹減って――」 「どうせすぐに出来ないんだから、その間に入ってきたらいいだろ」 一気に裕貴の機嫌が悪くなったことを察し、仕方なく啓太郎はレシートを裕貴に渡してから、自分の部屋に帰る。 コートとジャケットを脱いでから、気になってコートに顔を寄せてみる。まず匂ったのは煙草の匂いだ。煙草を吸う啓太郎としては、これは当然の匂いだ。あとは、少しきつめの香水の香りだった。  明らかに女物とわかる甘い香りは、少しばかり不快だ。どこでついたものだろうかと考えたが、居酒屋で脱いだコートを、女性もののコートの側にかけたときに香りが移ったとしか思えない。「もしかして、これか?」 独り言を洩らしながらワイシャツも脱ぎ捨てた啓太郎は、さっさと着替えを準備してシャワーを浴びる。 鍋を少し食べたとはいえ、そのあとに動き回ったので、また腹が減っていた。  シャワーを浴び、着替えを済ませてから、髪を乾
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 そういえば、と思い返す。何度もメシを食わせてもらっていながら、啓太郎は裕貴のことを何も知らない。引きこもりだということしか。  たとえば、引きこもって生活するにしても、生活費はどうしているのか。家族に援助してもらっているのか、何かしら仕事をしているのかも知れない。ゲームをやっていて、金が入ってくるとも思えない。「ということは、恋人は……」 「いたら、部屋が隣だけの他人に、甲斐甲斐しくメシなんて作ってやるはずないだろ」 甲斐甲斐しい、という表現には疑問が残るが、裕貴の言うとおりだ。  だいたい裕貴の部屋には、他人の存在を感じさせるものは一切ない。誰かと一緒に写った写真もないし、細々とした小物だって、異性を感じさせるものはない。だからといって、友人が遊びに来ているといった様子も皆無だ。 妙にしんみりとした気持ちになり、啓太郎はそんな自分の気持ちを誤魔化すように、性質の悪い冗談を口にしてみた。「女嫌いということは、もしかしてロリコンだったりして――」 フライパンを手にした裕貴が振り返り、にっこりと笑いかけてくる。だが次の瞬間、大きく右足を動かしたと思ったときには、啓太郎の顔の横を何かが素早く通りすぎた。背後で音がして振り返ると、スリッパが床に落ちたところだった。「――おれ、そういう冗談嫌い」 左足のスリッパも脱ぎ捨てて、裕貴が言う。啓太郎としては、機嫌を損ねてはいけないと、テーブルに額を擦りつけるようにして謝るしかない。「すみません。もう言いません」 限りなく啓太郎の立場は弱かった。年下に頭を下げる屈辱に耐え切れないなら、自分の部屋に帰ればいいのだが、帰ったところでメシは食えない。そう思うと、頭を下げるぐらい安いものだ。それぐらい啓太郎のプライドが安いのかもしれないが――。 再び背を向けた裕貴に、懲りずに啓太郎は話しかける。「なあ、お前って生活費をどうしてるんだ?」 「何、そんなこと聞くなんて。おれを養ってくれるわけ?」 「……んなわけねーだろ」 今日は魚料理らしく、いい匂いが啓太郎の鼻腔をくすぐる。たまらず立ち上がって冷蔵庫を開けると、飲み会では飲めなかった缶ビールを取り出す。ちなみにこの缶ビールも、まとめて酒屋に注文して配達してもらっているのだそうだ。 冷蔵庫にもたれかかってビールを飲んでいると、そんな啓太郎を押し退けて、裕貴
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 目がおかしくなったかもしれんと、啓太郎は自分の目を擦る。すでに裕貴は背を向けてしまい、本当に笑ったのかどうかももう確認できない。 初めて裕貴の個人的なことに触れ、慎重にさらに探りを入れてみることにする。「株は、誰かに教えてもらったのか?」 「父親が、自分の小遣いは自分でどうにかしろ、という人間だったんだ。最低限の小遣いはくれたけど、それだけだ。それでまあ、ネットトレードに行き着いたというか。高校時代からやってたけど、大学に通ってる頃からのめり込むようになった」 「……父親は、何も言わないのか。お前の今の生活……」 裕貴は軽く肩を揺らして笑った。「言うわけないな。自分勝手を絵に描いたような人だから。子供のおれをほったらかしにして、仕事で世界中を飛び回っていた。そんな父親に、母親は愛想を尽かして出ていったんだ。おれが小学校にも上がらない頃に」 父親の仕事を尋ねたところ、ジャーナリストだという答えが返ってきた。「子供の食事になんて気にかける父親じゃないから、必然的に料理は覚えたんだ」 「だったら俺が美味いメシにありつけるのは、お前の親父さんのおかげ、とも言えるな」 平凡だが、両親揃った家庭で、姉二人のおかげで荒っぽく育てられた啓太郎は、裕貴の話にしんみりしかけたが、すかさず裕貴に指摘されてしまう。「自分でイイ事言った、と思ってるかもしれないけど、引きこもりの男にメシの世話をしてもらっている自分の人生、少し省みたほうがいいよ。羽岡さんのために、あえて厳しいこと言わせてもらうけど」 後ろ手に拳を握り締めながら、啓太郎は無理して笑顔を浮かべる。「――ご忠告をどうも」 もう一本の缶ビールを冷蔵庫から取り出して、テーブルにつく。それからさほど待つことなくメシの準備が整い、いつものように裕貴は、まず茶碗に山盛りのご飯を啓太郎の前に置いた。 今日の献立は、ブリの照り焼きに、野菜たっぷりのけんちん汁、そして、裕貴が自分の晩メシのために作って残ったという、肉じゃがだった。 脂の乗ったブリに箸を入れると、簡単に身が離れる。甘辛い醤油ダレの味も絶妙で、正直肉料理を期待していた啓太郎だが、すぐに不満は吹き飛んだ。「羽岡さんてさー、美味そうに食べるよね」 ガツガツとご飯を掻き込んでいると、傍らに立った裕貴が感心したように洩らす。啓太郎は上目遣いでニヤリと笑い
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**** 珍しく目覚ましが鳴る前に目が覚めた啓太郎は、のろのろと出勤の準備をしながら、コーヒーを飲むため湯を沸かそうとする。しかし、コンロに手を伸ばしかけたところで動きを止めた。 普段はコーヒー一杯を飲むだけで朝は済ませるのだが、腹が減って仕方ないときは、常駐している会社の近くにあるコーヒーショップやファストフード店で朝食をとっている。  今日もそうしようかと思った啓太郎は、ここで大事な隣人のことを思い出した。 急いで身支度を整えると、アタッシェケースを抱えて部屋を出る。そして裕貴の部屋のインターホンを押した。 実は、朝から裕貴の部屋に寄るのは初めてだった。まだいまいち、裕貴の生活の実態が掴めていないため、なんとなく避けていたのだ。しかし腹が減っている今、いい機会なのかもしれない。  裕貴が聞いたら怒り出しそうな自分勝手な理屈を、啓太郎は頭の中で考える。 インターホンを押してもすぐに反応がないため、さすがにこの時間は寝ているのかと諦めかけたとき、ドアの向こうで物音がする。  インターホン越しのやりとりもなく、チェーンを外す音に続いて、薄くドアが開いた。「……まだ、晩メシの時間には早いと思うんだけど……」 これ以上なく不機嫌そうな声で裕貴が言う。啓太郎はすかさず、ドアが閉められないよう爪先をドアの隙間に突っ込んだ。「寝てたか?」 「これからちょっと寝ようかと思っていたところ」 玄関先で相手をするのが面倒になったのか、裕貴がドアを大きく開けてくれる。  啓太郎が部屋に上がると、電気がついているのはパソコンがある部屋だけだった。朝だというのに一台のパソコンには電源が入っており、どうやらゲームをしていたらしい。「で、用は?」 羽織ったカーディガンのポケットに両手を突っ込みながら、素っ気なく裕貴が問いかけてくる。「朝メシ食わせてくれないかと思って」 「今の時間なら、ファミレスでもコーヒーショップでも、どこでも空いてるだろ」 そんなことで来たのかと言いたげに、裕貴が乱雑に前髪を掻き上げる。今にもベッドに潜り込みそうな気配に、慌てて啓太郎は口を動かす。「うまいメシが食いたいっ」 「残念でした。今は店じまいです」 「そんなこと言うなよ……。なんか作ってくれ」 「やだよ。おれもう、朝メシ食ったんだから」 「残りもの――」 「一
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「――……羽岡さんさあ、早く面倒見てくれる彼女でも見つけたほうがいいよ。そんな姿見てたら、なんかこっちも物悲しい気分になるんだよね。いかにも貧相な男なら平気だけど、一応モテそうな見た目してるだろ羽岡さん。そんな人が、おれの家の冷蔵庫を漁っている姿が情けなくて」 「俺にそんな姿をさせたくなかったら、メシを作ってくれ」 裕貴はにんまりと唇だけで笑った。もしかして目も笑ったのかもしれないが、長い前髪のせいでそこまで見えない。「意外に隙を見せると、母性本能旺盛な女の人が引っかかるかも」 「甘いぞ、お前」 啓太郎は社会人になってからの自分の恋愛遍歴を思い出し、朝からヘヴィな気分になる。「これまでつき合ってきた女が言うことは、だいたい決まってるんだ」 「例えば?」 啓太郎はパンを一口食べてから話してやる。「SEってそんなに忙しい仕事なの? ずっと前から約束してたのに、なんでドタキャンなんてできるの? 顔が強張ってるけど、わたしといて楽しくない? 啓ちゃんて、夜はいつもスマホが繋がらないね――。あと、何があったかな」 人が心の痛みを耐えながら話しているというのに、裕貴は腹を抱えて爆笑していた。  眠気が吹っ切れたようで、けっこうなことだ。「笑うなっ。全部実際に、俺が言われたことなんだぞ。仕事を任せていたプログラマーが夜逃げしたときですら、デートの約束をすっぽかさなかったというのに、顔が強張っているぐらい大目に見ろって言うんだ」 「だって、『啓ちゃん』って呼ばれてたのかと思ったら……」 「お前がウケるポイントはそこかっ」 真剣に話しているのもバカらしくなり、啓太郎はパンにかぶりつくと、牛乳をたっぷり入れたカフェオレで流し込む。「……俺だって、こんな彩りのない生活はマズイと思うんだ。悶々とだってするしなあ。なんとかできるもんなら、とっくになんとかしてる」 「悶々とするほうの処理なら、別に彼女相手じゃなくてもいいじゃん。風俗に行けば」 単刀直入な裕貴の言葉に、大人の啓太郎のほうが怯んでしまう。一方の裕貴のほうは、口元に淡い笑みを浮かべて、じっと啓太郎を見つめていた。前髪の合間から、濡れたような目が覗いている。  啓太郎の動揺を見透かしたような眼差しに、さすがにムッとして反撃に出る。「そ、そういうお前はどうなんだよ。引きこもっているから、そういう
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**** 今日も帰りが遅くなりそうだと思いながら、昼休みの休憩室に入った啓太郎は、ドカッとイスに腰掛ける。  昼食を食べに行かないといけないが、今から外に出たところで、どの店もすぐには入れないだろう。だとしたら、もう少し時間を潰してから出かけたほうが楽だ。 本当は、弁当を持ってくるのが一番楽なのだろうが――。 さすがに、裕貴に弁当を作ってくれと言ったら、いい加減にしろと首を絞められるかもしれない。  無意識に顔をしかめた啓太郎は、首筋を撫でる。 そこで、誰かが忘れていったのか、テーブルの上に女性向けの雑誌が置いてあった。他の社員たちが雑談したり、スマホを眺めている中、啓太郎は雑誌を手に取ってパラパラと捲る。  表紙の『スイーツ』という言葉が目を引いたのだ。啓太郎自身は、甘いものは苦手ではないが、自分から積極的に買って食べるほど大好きというわけではない。ただ、裕貴は違う。 裕貴の部屋の大きな冷蔵庫をしょっちゅう覗いているが、その一角には常に、甘いものが入っている。それはケーキだったりチョコレートだったり、プリンだったり。  もちろん全部通販で取り寄せているのだが、幅広い品ぞろえに啓太郎は感心しながら、しっかりお裾分けと称して味わわせてもらっている。 食事に関しては、普通の定食屋での日替わりランチ程度の料金を取り立てるくせに、裕貴はデザートに関しては金を払えとは言わない。わかりにくいが、これが裕貴なりの微妙な優しさなのかもしれない。  もっとも、啓太郎は仕事が終わってから、あちこちのスイーツの有名な店に買いに行かされてもいるわけだが。 たまには裕貴に言われる前に、何か買って帰ってやろうかと考えながら、啓太郎はいつの間にか真剣に、雑誌に目を通していた。  このときふと目に止まったのは、あるパン屋の情報だった。海外の有名なパン屋らしく、つい最近、日本で初の支店をオープンしたのだという。つまり、裕貴はまだ食べていない可能性が高い。「美味そうだな……」 掲載されているパンの写真に、啓太郎はそれを朝食で味わう自分の姿を想像する。悪くなかった。さっそく帰りにでも寄ろうと考えたが、閉店時間を見て低く唸る。  どうがんばっても、今日の帰宅時間――そもそも日付が変わる前に帰宅できる自信がないのだが――に間に合いそうになかった。 啓太郎はハッとして
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** インターホン越しに名乗ると、珍しくドアの向こうの相手は驚いた様子だった。  警戒したようにそっとドアが開けられ、わずかに顔を覗かせた裕貴が目を丸くする。こういう表情もできるのだと、心の中で啓太郎はにんまりしていた。「――よお」 「よお、って……」 ドアを大きく開けた裕貴が、まじまじと見つめてくる。寝起きなのかまだパジャマ姿で、乱れた不揃いの髪をくしゃくしゃと掻き上げた。「……おれ、曜日の感覚がさっぱりないから自信ないんだけど、今日って、平日、だよね?」 「しっかりしろよ。平日に決まってるだろ」 啓太郎の答えに、わけがわからないといった様子で裕貴は眉をひそめる。「だったらなんで、昼間のこんな時間に、羽岡さんがここにいるんだよ。まさか、会社をクビになったとか――」 「お前、さらりと不吉なこと言うなよ」 思わず声を洩らして笑った啓太郎とは対照的に、裕貴はますます眉をひそめる。その理由を本人が口にした。「まさか、昼メシまで食わせろとか言うわけ?」 会社でちらりと似たようなことを考えたとは、口が裂けても言えない。 啓太郎はできるだけ素っ気なく、後ろ手に隠し持っていた袋を裕貴に押し付ける。すると裕貴は、手にした袋と啓太郎の顔を交互に見てから、袋に鼻先を近づけた。「いい匂い……」 「当たり前だ。焼きたてを買ってきたんだからな」 啓太郎の言葉を受けて、裕貴が袋を開けて中を覗く。数秒の間、なんの表情も浮かべなかったが、ようやく顔を上げたとき、裕貴の顔にあったのは意外にも無邪気な笑顔だった。「ここのクロワッサン、一度食べてみたかったんだ」 「美味いものを、俺だけ食うのも悪いからな。『お裾分け』だ」 「なんだ。それが言いたかっただけか。――はいはい、ありがたくいただきます」 可愛くない、と危うく言いそうになったが、寸前のところで堪える。「とにかく、俺の好意をありがたく味わってくれ」 そう言ってかっこよく立ち去ろうとしたが、このとき最悪のタイミングで啓太郎の腹が鳴った。しまった、と思いながら裕貴を見ると、すべてを察したようにニヤニヤと笑っていた。「……な、なんだよ」 懸命に強気を装うが、裕貴の前では無駄だった。ポンポンと肩を叩かれ、しみじみとした口調で言われる。「羽岡さんてさあ、なんで彼女できないんだろうね。こんなに優しいのに」
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-20-

**** 珍しく休日出勤のない日曜日、昼前に起き出した啓太郎は部屋の掃除をしてから、特にやることもなくパソコンに向き合っていた。 これまでなら、面倒ながらも食料のまとめ買いに出かけるところだが、裕貴の部屋でメシを食うようになると、そこまでの切迫感もなくなった。 わざわざインスタント食品の世話になったり、弁当を買ってきたり、仕事帰りにどこかの店に立ち寄らなくても、定食代程度の金さえ出せば、温かくて美味いメシが出てくる。 それに、裕貴は生意気ではあるが、話し相手になってくれる。 これまで考えたことなどなかったが、部屋で一人でメシを食っていると寂しいのだ。そのことを自覚したのは、裕貴がテーブルの正面に座り、他愛ないことを話すようになってからだった。 誰かと――裕貴と向き合ってメシを食うのが、楽しかった。「ヤバイだろ、この状況は」 パソコンのモニターを見ているつもりが、いつの間にか裕貴のことを考えており、啓太郎は小さく呟く。 ヤバイのは、短期間で裕貴と親しくなりすぎたことだ。隣人としてのつき合いをとっくに越えているだろう。 なら友人かと言えば、それも微妙だ。裕貴に対して友情は感じない。冷たい意味ではなく、そんな感覚を飛び越えて、むしろもっと近しい感情を抱いているのかもしれない。 不安定な存在である裕貴に抱く、不安定な感情。それはなんだか居心地が悪くて、啓太郎を落ち着かない気分にさせる。自覚した途端、目が逸らせなくなりそうだ。「はあっ、やっぱり欲求不満かー? こんなことを悶々と考えるってことは」 食欲は裕貴のおかげで満たされても、性欲だけは自分でどうにかするしかない。 マウスに手をかけた啓太郎はブックマークを開き、あるサイトをクリックしようとする。すると、デスクの上に置いてあったスマホが突然鳴った。 やましい気持ちの表れか、ビクリと体を震わせてから啓太郎は慌ててスマホを掴む。動揺してもたつきながら画面を見ると、裕貴からだった。 何事かと思いながら電話に出ると、ぶっきらぼうな声で尋ねた。「……なんか用か? 隣同士なんだから、スマホにかけてこなくてもいいだろ」『あれっ、ということは、今日はきちんと休みなんだ』 あっ、そうか、と啓太郎は心の中で洩らす。日曜日といえど、仕事に出ることの多い啓太郎なので、おそらく裕貴もそのつもりでかけてきた
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