追放された名家の令嬢ですが、最恐の黒竜様は私なしでは息もできません のすべてのチャプター: チャプター 121 - チャプター 130

206 チャプター

第121話 砕かれた名家の夜と、黒竜の余波③

 甘ったるい香水の臭い。 理恩の胃の奥がギュッと収縮し、強烈な吐き気が込み上げてくる。「……触るな、麻里亜。スーツが汚れる」 理恩は露骨に嫌な顔をして、麻里亜の手を乱暴に振り払った。「え……?」「君の喚き声は頭に響くんだ。それに、その顔を鏡で見てこい。見苦しくて吐き気がする」 氷のように冷たい言葉をぶつけられ、麻里亜は信じられないものを見るように目を丸くし、そのまま絨毯の上にへたり込んだ。 中身が空っぽで、他人の注目を集めることでしか自尊心を保てない欠陥品。こんな騒音発生器を瀬理亜の代わりに隣に置こうとした自分の判断ミスに、理恩は心底苛立っていた。「理恩くんの言う通りだ、麻里亜。お前は少し黙っていなさい」 宗隆が冷たく言い放つと、麻里亜はヒッと息を呑んで口を塞いだ。「しかし、どうやって連れ戻しますか。力ずくで行けば、また窓ガラスが吹き飛ぶだけでは済みませんよ」 理恩が現実的な問題を突きつけると、宗隆は顎をさすりながら、少しだけ苦々しい顔をした。「……前妻が、よく言っていたな」「前妻、ですか。瀬理亜の母親ですね」「ああ。あの姑が管理していた、地下のガラクタ部屋のことだ」 宗隆は、忌々しそうに足元のガラスを蹴り飛ばした。「私は政略結婚で婿養子としてこの家に入り、必死に汗水流して有栖川の財をここまで大きくした。だが、本家の血筋だか何だか知らないが、前妻も姑も、気味の悪い因習ばかり大事にしおってな。埃っぽくて薄暗い地下の『奈落』に籠っては、訳の分からない儀式のようなことをしていた」 婿養子としてのコンプレックス。 血筋の正当性を持たないがゆえに、有栖川の権威を振りかざすことでしか自分を保てなかった小市民的な強がりが、宗隆の言葉の端々に滲み出ている。「この有栖川の血を純粋に引いているのは、結局のところ前妻が産んだ瀬理亜と麻里亜の二人だけだ。婿の私には触れられなかった血の繋がりを利用する何かが、あの部屋の奥に残っているかもしれん」 血縁という、物理的な距
last update最終更新日 : 2026-05-09
続きを読む

第122話 砕かれた名家の夜と、黒竜の余波④

 理恩が冷たく言い捨てると、麻里亜は口を尖らせて黙り込んだ。 カビの匂いと、古い紙が酸化したような独特の古書臭が鼻腔を突く。 階段を降りきった突き当たりに、分厚い樫の木のドアがあった。ドアノブの周辺には、長年の埃がこびりついている。「この鍵穴は、どうにも滑りが悪くてな。婿の私が近づくと、まるで拒絶しているように固くなるんだ」 宗隆がブツブツと愚痴をこぼしながら、キーケースから古びた真鍮の鍵を取り出し、鍵穴にねじ込んだ。 ガチャ、と。 錆びついた金属が擦れる嫌な音がして、重いドアがゆっくりと内側へ開いた。 隙間から流れ出してきたのは、ただのカビの匂いだけではなかった。 お香を大量に焚き染めたような、甘くて、同時にひどく線香臭い、むせ返るような匂い。 理恩は思わず顔をしかめ、口元を手の甲で覆った。「……これが、お義母様たちが使っていた部屋ですか」 スマートフォンのライトで室内を照らし出す。 四畳半ほどの狭い空間の壁際には、古い木箱や壺、見たこともない文字が書かれた和紙の束が無造作に積み上げられていた。 部屋の中央には、黒ずんだ木製の小さな祭壇のようなものが置かれている。「気味が悪いわね。さっさと使えるものを探して、上に戻りましょうよ。私の肌が乾燥しちゃうわ」 継母が腕をさすりながら、ドアの外から首だけを突っ込んで急かす。 宗隆は舌打ちをし、木箱の山の方へと歩み寄った。「前妻が大切に抱えていたガラクタは、この辺りに放り込んでおいたはずだ。瀬理亜が母親の形見だと言って泣いてすがっていたからな、それを盾にすれば、あいつを言いなりにできるだろう」 他人の思い出や弱みを、ただの交渉のカードとしてしか見ていない男の横顔。 理恩もまた、スマートフォンのライトをかざしながら、部屋の隅に置かれた小さな桐箱に目を留めた。 表面には、何重にも赤い紐が巻き付けられ、厳重に封がされている。 理恩は革靴の先でその箱を軽く小突いてから、手を伸ばして赤い紐に指をかけた。 ヒヤリと、氷のような冷たさが指先から伝
last update最終更新日 : 2026-05-09
続きを読む

第123話 白い翼とのカフェ再会と、黒竜の沈黙①

 ペントハウスのリビングに、場違いな電子音が響いた。 大理石のローテーブルの上に置かれたスマートフォンの画面が明るく光り、短いメッセージが表示される。『今日の午後、美味しい甘いものがあるお店に案内してよ。人間の街、もっと見てみたいの』 数日前に現れた、銀髪の来訪者からの連絡だった。 連絡先を交換した覚えはなかったが、いつの間にか登録されていたらしい。 画面を見つめていると、背後から高い体温が近づいてきた。肩越しに伸びてきた太い腕が、画面を覗き込む。「あの馬鹿。まだこの国に居座っていたのか」 喉の奥で、不機嫌に低く唸る音が鳴った。黄金に光る瞳孔が、液晶画面を忌々しそうに睨みつけている。 黎の胸板から発せられる熱が、薄いルームウェア越しにじりじりと伝わってきた。「お断りの返信をしましょうか」「当然だ。あんな騒がしい女に構う必要はない。この部屋の空気が乱れる」 そう言い捨てて、黎はソファへと戻ろうとする。 しかし、メッセージのすぐ下に、追加の文章がポンと表示された。『断ったら、またベランダから直接遊びに行くからね』 その文字を見た瞬間、部屋の空気がピシリと凍りついた。 数日前の、リビングの窓ガラスを吹き飛ばさんばかりの重圧と、白亜の遠慮のない言葉が蘇る。あのヒリヒリとしたやり取りを、この密閉されたペントハウスで再び繰り返すのは、できれば避けたかった。「……外で会った方が、部屋の空気は乱れないかもしれませんよ」 恐る恐る提案すると、黎の足が止まった。 ゆっくりと振り返った顔には、到底納得できないという不満が張り付いている。「お前を、わざわざ人の多い下界に連れ出すというのか。あんな、排気ガスと他人の吐いた息が充満するような場所に」「でも、ベランダから入ってこられるよりは……。それに、私も少し、甘いものが食べたい気がしますし」 最後に付け足した一言が効いたのか、黎の眉間から少しだけ険しさが抜けた。 大きく息を吐き出すと、太い指でネクタイの結び目を乱暴に緩める
last update最終更新日 : 2026-05-10
続きを読む

第124話 白い翼とのカフェ再会と、黒竜の沈黙②

 原因は、円卓を囲むように座る三人のいびつな空気感だ。 正面の席では、長い銀髪を揺らしながら、白亜が巨大なフルーツパフェにスプーンを突き立てている。「んー! この苺、すっごく甘い! 人間って、こういう小さい果物を甘くするのにすごい執念燃やすよね。最高」 頬に生クリームを少しだけつけながら、無邪気な声を上げる。 その横には、すでに空になったモンブランとチョコレートケーキの皿が重なっていた。細身の体のどこにそれだけの甘いものが入っていくのか、全く理解が追いつかない。 一方、すぐ隣に座る黎は、腕を深く組んだまま、テーブルの上のブラックコーヒーを親の敵のように睨みつけていた。 ダークスーツに身を包んだ巨体から発せられる空気は、ホテルの空調を無視するほどに重く、そして熱い。「……いつまで食い続けるつもりだ。さっさと用件を言え」 低く唸るような声が響くたび、テーブルの上のカップの液面が微かに揺れる。 白亜はパフェのグラスの底に残ったイチゴソースを丁寧に掬い取りながら、悪びれる様子もなく肩をすくめた。「用件って言っても、ただ観光の案内をしてほしかっただけだよ。人間の街って、面白いね。高いビルばっかりで、どこに行っても人がぎゅうぎゅうに詰まってる。みんな、すごく急いで歩いてるし」 カチャリ、と。銀のスプーンを空のグラスに置く。「急いで生きないと、すぐに時間がなくなっちゃうからなんだろうけど」 その言葉が落ちた瞬間、喉の奥がヒュッと鳴った。 ラウンジの軽快なBGMと、周囲の席から聞こえる微かな談笑の音。 それらすべてが、一瞬にして遠くへ押しやられたような気がした。 寿命の差。 数日前にペントハウスで突きつけられた、残酷な事実。 白亜はナプキンで口元を拭いながら、アイスブルーの瞳を真っ直ぐにこちらへ向けた。「ねえ、お姉さん。この何日か、人間の社会をいろいろ見て回ったんだけどさ」 透き通るような声は、パフェを食べていた時と同じように明るく、無邪気だった。「人間の世界って、変化のスピードが異常だよね。新しいお
last update最終更新日 : 2026-05-10
続きを読む

第125話 白い翼とのカフェ再会と、黒竜の沈黙③

「白亜」 空気を押し潰すような、重い声が遮った。 黎の黄金の瞳孔が、針のように鋭く収縮している。「それ以上、下らぬ口を叩くなら、ここがお前の墓場になるぞ」 右手の指先が、テーブルの大理石の縁に食い込んでいる。ミリ、ミリと、硬い石が軋む嫌な音が鳴った。 だが、白亜はふうっと短く息を吐き出して、呆れたように首を振った。「怒るなってば。事実を言ってるだけでしょ。黎、あんた、自分の執着がこの人にとってどれだけ重いか、ちゃんと分かってるの?」「俺はこいつを、外の淀みから守っている」「守る? ただの空気清浄機として箱に閉じ込めておくことが? それとも、本当は番にしたいから、自分の手元に縛り付けてるの?」 ドクン、と。 隣から、信じられないほど大きな心臓の音が響いた。 黎の口がわずかに開き、そして、何も言葉を発することなく、再び固く引き結ばれる。 否定の言葉は出なかった。 ただ、眉間を深く寄せ、視線をテーブルに落としたまま、ギリッと奥歯を噛み締める音が微かに聞こえるだけだった。 沈黙。 その答えに詰まる姿が、何よりも雄弁に物語っていた。 グラスの表面に張り付いた水滴が、重力に耐えきれずにツーッと滑り落ち、コースターに吸い込まれていく。 冷たい水滴の軌跡を見つめながら、息が浅くなるのを感じた。(私が、この人を苦しめている) 隣から伝わってくる、火傷しそうなほどの熱。 夜になれば、不器用に髪を梳いてくれる大きな手。 その優しさに甘えて、ずっとこのまま傍にいたいと願ってしまった。 でも、その願い自体が、重荷をどんどん大きくしているのだ。「……黎様」 震える唇を無理やり動かし、小さな声で呼ぶ。 黎の肩がピクリと跳ね、黄金の瞳がこちらを向いた。「私……」 何を言えばいいのか、分からなかった。 離れた方がいい、と言えばいいのか。それとも、命が尽きるまで傍にいるから許してほしいと、自分勝手な願いを口にす
last update最終更新日 : 2026-05-11
続きを読む

第126話 白い翼とのカフェ再会と、黒竜の沈黙④

 白亜の言葉の意味が、うまく頭に入ってこない。「おばあさんから受け継いだ力だと思ってたけど、違う。あんた自身の魂が、周りの淀みを吸って、自分の熱を燃やして綺麗な空気に変えてる」 白亜の視線が、再び黎へと向く。「黎。あんた、この人を傍に置けば置くほど、この人の命の炎を早く燃やし尽くさせることになるよ。普通の人間より、もっと早く灰になる」 ガタンッ! と。 黎が椅子を蹴り飛ばして立ち上がった。 背の高い椅子が後ろに倒れ、重い音を立てて床に転がる。 周囲の客が、一斉にこちらへ視線を向けるが、黎の放つ圧倒的な威圧感に気圧され、すぐに目を逸らして会話を止めた。「……帰るぞ」 低い声には、怒りよりも、何か決定的な恐怖から逃れようとするような切迫感が混じっていた。 太い手が伸びてきて、手首をガシッと掴む。 痛くないギリギリの力加減。けれど、絶対に逃さないという強固な拘束。「待ってください、黎様。お会計が……」「テーブルに置いてある。行くぞ」 見れば、テーブルの上には、分厚い紙幣の束が無造作に投げ出されていた。 引っ張られるようにして、ラウンジの出口へと向かって歩き出す。 背後から、白亜の声が追いかけてきた。「お姉さん!」 振り返ると、白亜はパフェのグラスの横で頬杖をつき、真っ直ぐにこちらを見つめていた。 アイスブルーの瞳が、静かに、けれどはっきりと問いかけてくる。「竜に愛される覚悟、ある?」 その声は、ラウンジのBGMにも、周囲のざわめきにも掻き消されることなく、鼓膜の奥深くまで届いた。 手首を掴む黎の手から、ドクン、ドクンと、重く早い心音が伝わってくる。 彼自身の迷いと、手放したくないという強烈な執着。 ホテルの自動ドアを抜け、外の通りに出る。 初夏の日差しがアスファルトを白く照らし出しているというのに、繋がれた手首の熱さだけが、世界で唯一の温度のように感じられた。 覚悟。 果てしない時間の中で、瞬
last update最終更新日 : 2026-05-11
続きを読む

第127話 祖母の予言と、奈落の残響①

 ホテルのラウンジから地下駐車場までの道のりは、驚くほど無言のまま過ぎた。 太い指に手首を掴まれたまま、その大きな歩幅に合わせるのに必死で、足元の絨毯の模様ばかりを見ていた。 車に乗り込むと、革張りのシートが冷たく背中を撫でる。 重いドアが閉まる鈍い音が、密室の完成を告げた。 運転席に座る巨体から、怒りとも焦りともつかない、ギリギリと張り詰めた熱波が伝わってくる。 ハンドルを握る関節が、革が悲鳴を上げそうなほど力み返り、白く変色していた。『竜に愛される覚悟、ある?』 白亜の透き通るような声が、まだ耳の奥でチリン、チリンと小さな鈴のように鳴り続けているような気がした。 車が走り出し、初夏の明るい日差しがフロントガラスを照らしているというのに、車内は冷凍庫のように冷え切っていた。 シートベルトの金具を無意味に指でなぞりながら、隣の横顔を盗み見る。 彫刻のように整った顎のラインは固く引き結ばれ、前方から一切視線を逸らそうとしない。 いつもなら「空気が澱んでいる」と文句の一つでも言うはずなのに、頑なに口を閉ざしている。 寿命の差。 その事実を突きつけられ、明確な反論ができなかった不器用な主は、ただひたすらに沈黙を盾にして自分を守っているようだった。「……あの」 たまらず声を出すと、隣の広い肩がビクッと跳ねた。「……なんだ」 地を這うような低い声。怒っているというよりは、何かを極度に警戒しているような、硬い響きだった。「エアコン、少し寒いです。温度を上げてもいいですか」 その言葉に、目に見えてホッとしたような息が漏れる。「……ああ。好きにしろ」 太い指先が、乱暴な手つきでコンソールパネルのボタンを叩く。 カチッという音と共に、吹き出し口から微かに温かい風が流れ込んできた。 それでも、二人の間にある見えない氷の壁は、溶ける気配を見せない。 地下駐車場のエンジン音が切れ、車を降りる。 コンクリート
last update最終更新日 : 2026-05-12
続きを読む

第128話 祖母の予言と、奈落の残響②

「……なぜここにいる」 隣に立つ大柄な男の喉の奥から、純度百パーセントの不機嫌な唸り声が漏れた。「なんでって、ゲストルームのベッド借りるって言ったじゃん。ベランダの窓、少し開いてたからお邪魔させてもらったよ。このプリン、すっごく美味しいね! 卵が濃い!」 悪びれる様子もなく、白亜はケラケラと笑いながら四つ目のプリンに銀のスプーンを突き立てる。「勝手に入るな。今すぐベランダから放り投げるぞ」「まあまあ、怒らないでよ。ちゃんと家賃代わりの有益な情報を持ってきたんだから」 白亜はソファから立ち上がり、窓の外、東京のビル群を見下ろした。 手にしたプリンの瓶をコトリとテーブルに置き、長い銀髪をバサリと背中へ払う。「ラウンジでさ、お姉さんの魂の匂いを嗅いだとき、どこかで似たような気配を感じたなーってずっと思ってたの。それで、上空からちょっとこの街の空気の淀みを観察してみたんだけど」 アイスブルーの瞳が、真っ直ぐにこちらへ向けられる。 先ほどまでの無邪気な笑みは消え、何百年も生きる生き物特有の、底知れぬ深さを持った視線だった。「お姉さんが前にいたっていう家。あそこの地下から、お姉さんと同じ、すごく古い『清浄な空気』の痕跡が漏れてるよ」 有栖川の家。地下。 その単語を聞いて、背筋にぞくりと冷たいものが走った。 カビと埃の匂いが充満する、あの冷たくて薄暗いコンクリートの地下室。「地下って……あの家には、使われていない物置部屋があるだけです。古い家具やガラクタが放り込まれているだけで……」「ううん。もっと奥。土の底の、もっと深い場所に、何か古いものが埋まってる。……お姉さんの魂の匂いと、よく似た何かがね」 隣で聞いていた呼吸音が、ふっと不自然に止まった。「……奈落か」 ぽつりとこぼれ落ちた、ひび割れた声。「奈落?」「有栖川の屋敷の地下深くにある、古い穴倉のことだ。……
last update最終更新日 : 2026-05-12
続きを読む

第129話 祖母の予言と、奈落の残響③

 黄金の瞳が、遠い過去の情景を映すように細められる。「老婆の持つ空気は、この街の人間どもよりは澄んでいた。だが、肺の痛みを完全に消し去るほどの力はなかった。……ある日、老婆はこう言ったのだ」『私には、この地の淀みを払い切ることはできません。けれど、私の孫娘が、いつか本当の清らかな風を連れてくるでしょう』 祖母の声を、私はもう正確には思い出せない。けれど、膝に頭を預けた時の線香の匂いと、白髪の混じった手が髪を梳いてくれた温度だけは、身体のどこかにまだ残っていた。 その祖母が、私の知らないところで、黎様の孤独を知っていた。私が生まれるより前から、暗い奈落の底で、二人は同じ淀みを見ていたのだ。 胸の奥が、カッと熱くなった。 あの雨の夜、裏庭で偶然出会い、都合のいいフィルターとして拾われたわけではなかった。 祖母は、知っていたのだ。この街の地下で苦しむ、巨大な存在のことを。「俺は、その言葉など信じていなかった。人間の寿命など一瞬だ。孫娘が来る前に、焼け焦げる方が先だと思っていた」 太い指先が、目元を覆うように当てられる。 肩が微かに上下し、絞り出すような呼気が漏れた。「だが、雨の夜。裏庭で倒れ伏していた胸に触れた手のひらから、あの老婆と同じ、いや、それ以上に純度の高い風が流れ込んできた。……だから、手放せなくなったのだ」 その言葉は、甘い告白ではなかった。必要だから離せないという、ひどく身勝手で、痛々しいほど切実な本音だった。 それでも胸の奥がきゅっと軋む。私を見つけた理由が能力だったとしても、今、目の前で言葉を選べずに苦しんでいるこの人を、ただ怖いだけの怪物だとはもう思えなかった。 不器用な、告白のような響きだった。 単なる機能への執着ではなく、何百年もの苦痛の果てに現れた「予言の証明」としての重み。 白亜が、テーブルに両手をついて身を乗り出した。「お姉さん、あんたのその力、おばあさんから受け継いだものだったんだね。でも、おばあさんの痕跡が残ってるあそこの地下には、その力を安全に使うための『何か』が隠されてるは
last update最終更新日 : 2026-05-13
続きを読む

第130話 祖母の予言と、奈落の残響④

 けれど、もしそれを解決する方法があるのなら。「……行きます」 声が、震えずに口から出た。 ソファに沈んでいた巨体が、バッと顔を上げる。「馬鹿なことを言うな! あの家には二度と近づかせんと言ったはずだ!」 空気をビリビリと震わせる怒声。「でも、このままじゃ、私は……」「お前が灰になる前に、俺がこの街の淀みをすべて吸い尽くしてやる! だから、ここから動く必要はない!」 ドンッ! と、大理石のテーブルを叩く大きな音。 置いてあったプリンの空き瓶が跳ねて、床に転がり落ちた。 怒っているのではない。ただ、ひどく怯えているのだ。 有栖川の家に戻って、また傷つけられることを。 そして、命が尽きるかもしれないという現実から、ただ目を背けようとしている。 その不器用な必死さが、どうしようもなく可笑しくて、同時に泣きたくなるほど愛おしかった。「……嫌です」 フローリングを強く踏み締め、黄金の瞳を真っ直ぐに見返す。「私は、灰になりたくありません。……もっと長く、美味しいプリンを食べて、お茶を淹れて、笑って生きたいです」 肺いっぱいに、清潔な空気を吸い込む。「だから、取り戻しに行きます。おばあ様が、残してくれたものを」 視線が激しく絡み合う。 顎の筋肉がギリッと硬く引き締まり、何かを言い返そうと口を開きかけた。 だが、その言葉が音になることはなかった。 部屋の空調の音が、やけに大きく聞こえる。 ただ真っ直ぐに見つめ返す視線の前で、やがて、深く、重いため息を吐き出して、乱暴に頭を掻き毟る姿があった。「……チッ。どいつもこいつも、勝手なことばかり言いおって」 忌々しそうに吐き捨てながらも、その声には先ほどまでの頑なな拒絶はもう含まれていなかった。 横で見ていた白亜が、ポンッと軽く手を叩く。「決まりだね! じゃあ、明日にでもその『奈
last update最終更新日 : 2026-05-13
続きを読む
前へ
1
...
1112131415
...
21
コードをスキャンしてアプリで読む
DMCA.com Protection Status