All Chapters of 追放された名家の令嬢ですが、最恐の黒竜様は私なしでは息もできません: Chapter 111 - Chapter 114

114 Chapters

第111話 温かい掌⑤

 黎は一度も振り返ることなく、地獄絵図と化したリビングへと背を向けた。 床に転がる有栖川の家族たち。 理恩は壁際で完全に意識を失い、父と継母、麻里亜も恐怖で硬直したままピクリとも動かない。 黎は彼らに、ゴミ屑でも見るような一瞥すら与えなかった。 彼の視界には、もはや腕の中にいる私しか存在していない。 片腕で私の背中と膝裏をしっかりとホールドしたまま、黎はスラックスのポケットから器用に黒いスマートフォンを取り出した。 画面を見もせずに、親指で短く操作する。「……俺だ。車を回せ。有栖川の正門前だ。一分で来い」 それだけを言い捨てて、通話を切る。 黎が砕け散った巨大な窓枠を越えて、外のテラスへと足を踏み出す。 その足元で、理恩の真っ赤なネクタイが、泥とガラスの破片と共に無惨に踏みにじられた。 夜の雨は、いつの間にか細い霧雨へと変わっていた。 風はまだ冷たいはずなのに、黎の胸に抱かれている限り、寒さは微塵も感じなかった。 ◇ テラスから庭を抜け、正門へと向かう。 黎の歩みは揺るぎなく、私を抱えている腕も全くブレない。 正門の鉄格子の前に着くと、すでに一台の漆黒の高級セダンが、アイドリング状態で音もなく待機していた。 運転席から黒服の初老の男――いつも黎の手足となって動いている執事のような男――が慌てて飛び出し、後部座席のドアを恭しく開ける。「御影様。お迎えに上がりました。……お嬢様も、ご無事で何よりでございます」 黎は短く顎で応えると、私をまるでガラス細工でも扱うような慎重さで、革張りのシートの奥へと滑り込ませた。 続いて、彼自身も巨体を折り曲げるようにして乗り込んでくる。 バタン、と重厚なドアが閉ざされ、外の雨音と喧騒が完全に遮断された。 防音の効いた密閉空間。 車内の暖房が最大まで上げられているのか、吹き出し口から熱風が音を立てて流れ込んでくる。 黎は隣に座ると、無言のまま、自分の着ていたダークスーツのジャケットを脱ぎ
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第112話 温かい掌⑥

 窓ガラスの向こうでは、ネオンの光が雨粒に滲んで、まるで万華鏡のようにチカチカと色を変えている。 ペントハウスの地下駐車場に着いた時、車が停まると、黎は私の顔をじっと覗き込んだ。「……痛むか」 彼の指先が、私の鎖骨の下の傷跡に、触れるか触れないかの距離で宙を泳ぐ。「いえ。……黎様が来てくれたから、もう痛くありません」「……俺が、あんな箱にお前を閉じ込めていたせいで、……お前は、俺に愛想を尽かしたのだと思っていた」 ひどく小さく、不器用な声だった。 彼はずっと、そのことを恐れていたのだ。「愛想なんて……尽かしていません。ただ」 私は、彼の指先を自分の手で包み込んだ。「私は、黎様に『使われる』だけの道具になりたかったんじゃなくて。黎様と一緒に、『生きたい』と思っただけなんです」「…………」「お母様の思い出も、自分で選んだ石鹸の香りも。……黎様がいる世界で、黎様と同じ時間を生きて、一緒に感じたかった。……わがままでしょうか」 黎は、ふい、と顔を背けた。 薄暗い車内で表情はよく見えなかったけれど、彼の耳の先端が、微かに赤く染まっているのがわかった。「……わがままだ。……だが、俺も……同じだ」 黎は、私の手を握る力を、少しだけ強めた。「お前に吸い続けられるだけの、無機質な装置に成り果てるのは…………俺も、ごめんだ」 その言葉を聞いた瞬間、私の中で、一晩中張り詰めていた冷たい緊張の糸が、ふわりと完全に解けていった。 不器用で、一方的で、どこまでも歪な関係。 でも、私たちは今日、ようやくお互いの「温度」のありかを見つけたような気がした。 
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第113話 銀髪の訪問者①

 厚手の遮光カーテンのわずかな隙間から、一本の鋭い光の帯が、ダークブラウンのフローリングを真っ直ぐに切り裂くように伸びていた。 ペントハウスの最奥に位置する、プライベートルーム。 昨夜、リビングの巨大なガラス窓が粉々に吹き飛んでしまったため、吹き込む夜風を避けるようにして、この最も奥まった寝室へと避難していた。 静かだ。 微かな空調の稼働音すら聞こえないほどの、完璧に密閉された静寂。 重く心地よい泥のような眠りの底からゆっくりと浮上し、貼り付いたような瞼を微かに持ち上げた。 視界の端にぼんやりと映るのは、最高級のエジプト綿で作られた、真っ白で滑らかなシーツの皺。 少しだけ身じろぎをしようとして、すぐに自分が全く身動きの取れない状態にあることに気がついた。 背中から腰にかけて、ズシリとした圧倒的な質量がのしかかっている。 太く、硬い腕が、肋骨を折らんばかりの力で腹部を抱きすくめ、背中には、人間の平均体温を遥かに超える、火傷しそうなほどの熱い胸板がぴったりと張り付いていた。 ドクン、ドクン。 規則正しく、少し遅い心拍の音が、背中から直接、肺の奥へと響いてくる。 黎だ。 背後に身を横たえ、まるで自分の最も大切な宝物を外敵から隠す竜のように、その大きな身体で私を完全に覆い隠していた。 首筋のすぐ横、後頭部の髪の間に、高い鼻梁が埋もれている。 スゥ、ハァ、と。 掠れた、けれど昨夜のような狂気を一切含まない静かな寝息が、鎖骨のあたりに規則正しく吹きかかっていた。息を吐き出すたびに、薄い唇が肌に微かに触れ、背筋をゾクゾクとした静電気が駆け抜ける。 昨夜の記憶が、鮮明に蘇る。 有栖川の屋敷。理恩の冷ややかな手。鼻をつく香水の悪臭。 そして、暗闇の中から現れた、漆黒の鱗を持つ異形の姿。 あの時、私は確かに恐怖よりも安堵を感じていた。この大きな腕の中に閉じ込められることが、今の私にとって唯一の救いなのだと、心の底から思えたのだ。 少しだけ姿勢を変えようと、シーツの中で膝を曲げた瞬間だった。「…&hellip
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第114話 銀髪の訪問者②

「……フィルターというものは、空気を循環させなければ意味がありません。こんな風に隙間なく抱きしめられていたら、空気が通りませんよ」「問題ない。皮膚表面から発せられる微細な浄化成分を直接吸収している。むしろ、この密着度こそが最も効率的なのだ」「そんな機能、ついていません……」 呆れ半分で息を吐き出すと、不満げに喉の奥でグルリと低い音を鳴らした。 そして、高い鼻先が、首筋から耳の下あたりを、まるで自分の縄張りを確認する猟犬のように執拗に嗅ぎ回り始めた。「ひゃっ……、ちょっと、くすぐったいです」「動くな。……まだ、あの家の匂いがする気がする」 その言葉に、小さくため息をついた。「気のせいです。昨夜、三回もお風呂で洗ったじゃないですか」 有栖川の屋敷からこのペントハウスに帰還した直後、「不浄な泥がついている」と言って、強引にバスルームへと押し込まれた。 そして、彼自身の手で、髪の毛一本一本、指の先から足の裏に至るまで、たっぷりの泡で執拗に洗い流されたのだ。 手つきは決して乱暴ではなかったけれど、「他人の匂い」を完全に削ぎ落とそうとする異様な執念と、肌の隅々まで触れてくる大きな掌の感触に、お湯の中で顔を真っ赤にして耐えるしかなかった。「髪から、まだあのラベンダーのシャンプーの香りがしているはずです」「シャンプーの匂いなどどうでもいい。言っているのは、もっと根本的な気配の話だ。……あいつらの、安っぽい悪意の匂いが、髪の奥にこびりついている気がしてならない」 そう言い捨てると、後頭部に顔を埋め、スゥーッと深く、長い息を吸い込んだ。 大きな肺が膨らみ、背中を強く圧迫する。「……もっと、匂いで上書きしなければ」 薄い唇が、うなじに触れた。 チュッ、という微かな水音が鳴り、そこから高い体温が直接肌の下の血管へと染み込んでくる。「っ……! れ、黎様…&
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