葬儀が終わったあとの家は、奇妙な静けさを持つ。人が大勢いた時間の熱が、急に抜け落ちている。昼のあいだ絶えず鳴っていた玄関の開閉音も、会話も、湯呑みを置く音もない。代わりに、廊下の奥で時計が秒を刻む音だけがやけに近い。線香の匂いもまだ薄く残っていて、喪服を脱いだあとの身体にまで染みついている気がした。母は泣き疲れて先に横になり、父も明日の細かい確認を終えると、何も言わず自室へ引っ込んだ。リビングの灯りだけが残され、ダイニングテーブルの上には片づけきれなかった書類と、黒縁の香典帳、それから紙袋に入ったままの美里の持ち物が置かれている。和希はしばらく、その紙袋を見ていた。今日一日、ずっと人の前に立っていたせいか、身体のほうは疲れているはずなのに、座ってしまうと逆に眠気が遠のいた。頭の芯が乾いていて、何かひとつでも手を止めると、その隙間から別のものが流れ込んでくる気がする。だから、確認しようと思った。あくまで事務的に。勤務先への連絡に必要なものがあるかもしれない。保険証や社員証、何か手続きに要る情報が入っているかもしれない。そういう理由を先に頭へ並べてから、和希は紙袋を引き寄せた。バッグは昨夜見たときと同じ、黒に近いネイビーの革だった。持ち手を掴むと、体温がないはずなのに、まだ誰かの手の癖だけが残っているような柔らかさがある。ファスナーを開けた瞬間、ふわりと生活の匂いがした。ハンドクリームと、化粧ポーチの粉っぽい匂い。それに、洗った布の清潔さが少し混じる。生きていた匂いだと思った。そう思った途端、和希は一瞬だけ目を閉じた。今日、祭壇の写真や白い花を見ているあいだよりも、こういう匂いのほうがよほど残酷だった。花は死者のために用意される。けれどこれは、昨日までの生活のためにそこにあった匂いだ。中身を一つずつ出す。ポーチ。ハンカチ。小さな鏡。口紅。鍵。財布。どれもきちんと使われていた痕跡がある。財布の小銭入れにはレシートが何枚か折れて入り込んでいて、ドラッグストア、コンビニ、駅ナカのベーカリー。どれも、誰にでもある日常の買い物ばかりだ。その当たり前が、和希にはこたえた。
Last Updated : 2026-03-31 Read more