INICIAR SESIÓN同じ東京にいながら、妹を救えなかった。 美里が遺した手記に記されていたのは、新興宗教・白燈院が“救い”の顔で近づき、罪悪感に値札をつけ、祈りさえ搾り取っていく地獄のような仕組みだった。 妹の死の真相を暴くため、和希は再会した幼なじみの弁護士・芳人と手を組む。 だが、その協力は無償ではない。 冷静で、美しく、どこか危うい芳人は、復讐に取り憑かれた和希に容赦なく踏み込み、傷も罪も欲望も暴いていく。 これは、奪われた祈りを取り戻すための復讐劇。 けれどその先で待つのは、断罪か、破滅か、それとも罰ではなく誰かを選ぶための愛か。
Ver más「私生活上の重大な問題と精神的混乱を抱えており」芳人が読み上げたその一文は、紙の上では妙に整っていた。乱暴な言い方ではない。声も荒くない。だからこそ、余計に悪質だった。和希は机の端を掴んだまま、その文字が頭の中で別の言葉に置き換わっていくのを感じていた。不倫したから。中絶したから。壊れたのは本人のせいだと。宗教に縋ったのも、その弱さのせいだと。白燈院は、もうそういう話にしようとしている。佐伯が代理人文書の該当箇所を手元へ引き寄せ、鳴海から届いたメッセージの控えと並べた。画面には、急いで打ったらしい短い文が並んでいる。支部間で回されている統一文言。対応時の注意点。精神的に不安定な元信者による誤認。私生活上の問題と依存傾向。個人的事情を組織へ転嫁する言説には注意。どれも、外向けに丁寧に磨かれた言葉だった。「だいたい見えましたね」佐伯が言う。「本人の傷や私生活へ話を戻して、組織のやったことを薄く見せたいんでしょう。白燈院は相談に応じただけで、深く縋ったのは本人の側だった、という形にしたい」和希は黙ったまま、それを聞いていた。喉の奥が焼けるように乾いていく。佐伯の整理は正しい。向こうが何をしようとしているか、はっきり分かる。分かるからこそ苦しかった。美里の不倫も。中絶も。供養へ縋ったことも。最後まで兄を巻き込みたくないと拒んだことも。全部まとめて、美里ひとりの問題にされるのだ。白燈院がしたことではなく、もともと脆かった人間が勝手に沈んだだけだという話にされる。そういう形で、美里の人生そのものが使われようとしている。芳人が次の紙へ目を落とし、低く言った。「鳴海の話だと、中ではもっと露骨だ。『自責傾向が強い』『家族に言えない秘密を抱えている』『依存が深まりやすい』。そういう見方を、そのまま今の防御に使ってる」「最初から弱かった人に寄り添っただけだ、という顔をしたいんでしょうね」佐伯は画面を見たまま続ける。「本人の傷へ話を戻して、組織の責任を後ろへ下げ
会議室の空気は、朝からずっと乾いていた。窓の外は曇っていて、ビルの谷間に差す光も白く薄い。天井灯の冷たい明るさが机の上を均一に照らし、紙の縁やクリアファイルの角を、刃物のように細く光らせている。机の中央には、昨日までに積み上げた資料がすでにいくつかの束へ分けられていた。鳴海が持ち出した帳簿のコピー。勧誘マニュアル。相談導線図。送金履歴。御影清花のメディア露出。黒瀬の会計処理に関する控え。美里のノートのコピー。録音データの書き起こし。それらは昨日までは、痛みの残骸のようにも見えた。だが今朝は違った。もう誰も、それを感情の断片としては扱っていない。どこを起点に置き、どこで繋ぎ、どこを先に出すか。そのための束として、机の上に静かに並んでいる。和希は会議室の端の席に座り、正面の壁ではなく、机の木目だけを見ていた。芳人は斜め向かいにいる。黒いファイルを開き、資料の順番を入れ替え、必要な箇所へ付箋を貼っていく。その横顔は仕事のときのそれだった。昨夜、給湯スペースで交わした言葉の重さも、そのあとにできた決裂も、表面には一切出ていない。佐伯はノートパソコンを開き、提出資料の骨子らしいものを画面上で整理していた。こちらも感情を挟む余地のない動きだった。和希と芳人のあいだに、もう私的な気配はない。会話が必要なときだけ交わされる。視線も、資料と机の上を行き来するだけだ。そのことが楽なのか、苦しいのか、自分でもまだ分からなかった。ただ、以前のように、沈黙の裏に別の熱が潜んでいる感じはもうなかった。それが、ほんの少しだけ寒かった。佐伯が画面から目を上げずに言う。「鳴海さんの供述の整理は昼までに一度固めます。そのあと、録音と手記の位置づけをもう一段詰めたい」芳人が短く頷く。「黒瀬側の金の流れは、もう少し補強が要る。親族会社の実体確認も並行でやる」和希はそれを黙って聞いていた。話の内容は理解できる。理解できるからこそ、言葉が余計に乾いて聞こえる。供述。位置づけ。補強。どれも必要な語だ。だがその一つ一つが、美里の痛みを別の形へ変えていく音のようでもあった。そのとき、会議室
重すぎる言葉だった。お前の罰になりたいんじゃない。お前の最後になりたい。その一言は、和希の胸の奥へまっすぐ落ちた。まっすぐ落ちたのに、救いにはならない。むしろ逆だった。そこまで欲しいと言われることが、今の和希には息苦しかった。最後という言葉の中に、寄り添いより先に、閉じ込める響きを聞いてしまう。和希はしばらく黙ったまま、芳人を見ていた。給湯スペースの白い灯りの下で、芳人の顔は静かだった。静かなまま、もう引っ込められないものを口にしてしまった人間の顔をしている。そのことは分かる。分かるから、余計に苦しい。軽い言葉ではない。慰めのために適当に言ったのでもない。ずっと胸の奥に抱えていたものが、とうとう出てしまったのだと分かる。それでも、和希には受け取れなかった。最後になりたい。その言葉が、和希の中では別の形に聞こえてしまう。自分のところで終わらせたい。誰にも渡したくない。壊れる先まで抱え込みたい。そういう欲と、きれいな言葉が混ざっているようにしか思えなかった。和希は唇を少し開き、それから低く言った。「それは愛じゃない」芳人の目が、わずかに細くなる。和希は視線を逸らさなかった。今ここで目を逸らしたら、飲み込まれる気がした。「結局、お前は手放したくないだけだ」喉の奥がひりつく。それでも止めなかった。「俺が欲しいんじゃなくて、自分のものにしたいだけだろ」言い切ったあと、換気扇の音だけが低く回る。芳人はすぐには返さなかった。その沈黙が、和希にはひどくきつかった。怒鳴って否定してくれた方が、まだ楽だったかもしれない。だが芳人はそうしない。ただ、まっすぐ見てくる。その視線の重さだけが、和希の言葉の棘をそのまま返してくる。和希は、自分が完全に間違っているとは思えなかった。芳人の欲は本物だ。自分の壊れ方ごと抱え込みたいような、危うい熱がある。そのことは、もう十分すぎるほど分かっている。だから怖い。優しさだけなら、まだ縋れた。けれど芳人の中にあるのは、優しさだけではない。執着と独占が混
会議室を出たあとも、和希の耳にはまだ芳人の最後の言葉が残っていた。隠して守れる段階は、もう過ぎてる。廊下の蛍光灯は白く、均一で、逃げ場がなかった。会議室の扉が閉まる音だけがやけに乾いて響き、その向こうに佐伯の気配が遠ざかる。資料の束も、録音の書き起こしも、美里のノートのコピーも、全部まだあの机の上にあるはずなのに、和希にはもう、自分の身体の内側にまで並べられているような感じがした。足は自然に給湯スペースのほうへ向いていた。狭い流し台と電気ポット、使いかけの紙コップの束、壁際の小さな冷蔵庫。夜の事務所の中でも、いちばん人の顔が消える場所だった。換気扇の低い音がしている。そこに立つと、ようやく誰にも見られていない気がした。和希は流し台の縁に片手をつき、うつむいた。呼吸が浅い。怒鳴ったわけでもないのに、身体の奥だけがひどく疲れている。美里を守りたいと思うことと、白燈院を崩すために美里の傷を出さなければならないこと。そのどちらも本当で、そのどちらも譲れないままぶつかって、胸の内側が擦り切れていた。背後で、足音が止まる。振り向かなくても、芳人だと分かった。一定の歩幅、迷わない止まり方、その気配だけで分かるくらいには、もう長くこの男の近くにいる。和希は振り向かなかった。「戻れ」低く言うと、自分でも驚くほど声が掠れていた。芳人は戻らない。返事もしない。ただ、すぐ後ろにいる。その沈黙が、会議室にいたときよりもずっと近く感じられた。「今、顔見たくない」それも本音だった。理屈で押し返されたことが苦しいのではない。正しいと分かっていることを、正しい順番で言われたことが、兄としてどうしようもなく痛かった。芳人は間違っていない。だからこそ、見ていると自分の浅さばかり浮き上がる。「分かってる」芳人がようやく言った。その声はまだ低かったが、会議室の中の声とは少し違っていた。立証可能性を切り分けていたときの平坦さではない。感情を消してはいないのに、無理に近づいてもこない声だった。和希は流し台の金属面に映る、自分のぼやけた輪郭を見た。ひどく疲