All Chapters of 子どもはまだかと責められ、夫には離婚を告げられましたので、都合のいい妻は卒業します: Chapter 101 - Chapter 110

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第101話 排卵日じゃなくても、私に触れたいですか

「今回も、違いました」  扉を開けてそう言うと、朔弥さんはすぐには動かなかった。  私の手にあるティッシュを見て、それから私の顔を見た。  次の瞬間、腕を引かれ、額が彼の胸に当たった。 「次も、行きます」 「ああ」 ***  翌週、クリニックで次の周期の予定を確認した。  女医は、焦らせなかった。  ただ、私の基礎体温表と検査結果を見て、少しだけペンを止めた。 「次の判定日は、少し早めに来てください」 「何かありますか」 「まだ、何かと言うほどではありません。確認したいことがあるだけです」  それ以上は、女医は言わなかった。  でも、帰り道、朔弥さんはずっと黙っていた。  私も、何も聞けなかった。  次の判定日までの一週間は、カレンダーの数字がやけに大きく見えた。  朝、体温計をくわえる。  電子音が鳴る。  数字を見る。  それだけのことなのに、毎朝、判決を待つような気分になる。  女医が言った「確認したいこと」は、妊娠という言葉ではなかった。  基礎体温の高い時期が、いつもより少し長く続いていること。排卵日の見立てが、前回より少しずれたこと。薬の影響もあるから、自己判断で一喜一憂するより、早めに来て確認しましょう、という話だった。  それだけ。  それだけなのに、私はその一言を何度も思い出した。  期待しすぎない。  でも、期待しないふりもできない。  そういう日が、こんなに疲れるものだとは知らなかった。  その間にも、知らない番号からのメッセージは途切れなかった。 『今月も通院ですか』 『御門の跡継ぎは、気長に待ってくださるといいですね』  毎日ではない。  けれど、忘れかけた頃に届く。  私たちの通院そのものではなく、こちらが気にする言葉を選んで投げてくる感じが、かえって気味悪かった。  朔弥さんは、すでに外部の調査会社を入れていた。  番号の契約元、送信に使われた端末、病院周辺で同じ時間帯にいた車や人。  拾えるものは拾っているらしい。  ただ、相手も雑ではなかった。 「一条さんですか」  私が聞くと、朔弥さんはすぐには答えなかった。 「近い場所にいる人間の影はある」 「一条さん本人ではない、ということですか」 「まだ断定できない」  その言い方が、余計に嫌だった。
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第102話 無事に生まれるといいですね

 その答えを待つ数秒が、やけに長かった。  女医は検査結果へ視線を落とした。 「検査の結果ですが」  膝の上で、予約票の端を握る。  悪いほうの想像が先に浮かんだ。  薬が合わなかったのか。  何か、見過ごせない数値が出たのか。  しばらく治療を休みましょうと、言われるのか。  隣で、朔弥さんの手に力が入った。 「妊娠されています」  何を言われたのか、すぐにはわからなかった。  妊娠。  何度も責められる材料にされた言葉。  まだかと追い立てられ、期待することさえためらうようになった言葉。  それが今、女医の落ち着いた声で告げられている。 「……本当ですか」  聞き返した声は、自分のものではないみたいだった。 「はい。ただ、まだごく初期です。これから慎重に経過を見ていきましょう」  私は膝の上の予約票を見た。  さっきまでただの紙だったものに、急に意味が生まれている。  お腹に手を当てた。  昨日までと何も変わらない。痛くもないし、重くもない。ここに何かがいると言われても、まだ信じられない。 「真尋」  隣から名前を呼ばれた。  朔弥さんは私を見ていた。  いつもなら迷いなく言葉を選ぶ人が、何も言えずにいる。 「朔弥さん」 「ああ」 「赤ちゃん、いるそうです」  わかりきったことを言うと、彼は一度だけ目を伏せた。  それから、私の手を握った。 「真尋との子だ」  その一言で、目の前が滲んだ。  御門の跡継ぎでも、家の血をつなぐ子でもない。  彼が最初に呼んだのは、真尋との子だった。 「はい」  私は手を握り返した。 「私たちの子です」  言った途端、声が崩れた。 「……よかった」  半分泣きながら笑うと、朔弥さんが椅子を寄せた。  肩に腕が回り、そのまま胸へ引き寄せられる。 「朔弥さん、先生が」 「今は無理だ」  何が無理なのか聞く前に、抱く腕が強くなった。 「ああ。よかった」  耳元で聞こえた声も、少し掠れていた。 「真尋との子が、ここにいる」  私は彼の上着をつかんだ。  涙が止まらない。でも、離れたくなかった。 「すみません」 「謝らなくて大丈夫ですよ」  女医は微笑んで、箱からティッシュを取って差し出してくれた。  朔弥さんは私を抱いたまま、それを受
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第103話 まさか、朔弥さんがこんなふうに変わるなんて

 翌朝、私は朔弥さんの腕の中で目を覚ました。  寝室のカーテンはまだ半分しか開いていない。隙間から朝の光が入っている。背中に回された腕は重くて、あたたかい。  幸せだと思った。 「おはよう」  頭の上から、寝起きの声がした。 「おはようございます」 「……吐き気は。痛みは。出血はないか」  返事より先に問診が来た。  まさか、朔弥さんがこんな風に変わるなんて思っていなかった。 「おはようの続きが、それですか」 「大事なことだ」 「吐き気はありません。痛みも、出血もありません」 「眠気は」 「今、起きたばかりですから。心配しすぎです」  わざとふざけてそう言うと、朔弥さんは真面目な顔で私の額に触れた。 「足りない」  即答だった。  朝食はダイニングで用意されていた。  白い皿にトースト、湯気の立つスープ、果物、ノンカフェインの紅茶。テーブルの端には、マタニティ用の部屋着と産院の資料が入った紙袋が三つ並んでいる。 「こんなに早く用意したんですか」 「必要になる」 「まだ昨日わかったばかりです」 「昨日わかったなら、昨日から必要だ」  微笑ましいはずだった。  なのに、どこか嫌な予感がした。  私はスープを一口飲んだ。やさしい味がする。  この幸福を、私はちゃんと味わいたかった。  けれど、食べ終わると、朔弥さんは一枚の紙を私の前に広げた。  今日の予定表だった。  午前、在宅。午後、休養。夕方、クリニックへ電話。夜、来客不可。  その下に、城戸ホテルズ案件、担当変更済み、と印字されていた。 「……これは何ですか」 「今日からしばらく、会社へは出なくていい。会議は在宅で受けられるようにした。城戸さんの案件は副担当へ回す」 「私に相談しましたか」 「昨日、会社は休んでほしいと言った」 「私は返事をしていません」  確かに、帰り道でそんな話をした気がする。  でも、こんなに早くというつもりではなかった。  朔弥さんはコーヒーカップを持ち上げた。こちらを見ない。  ちょうどその時、業務用端末が鳴った。差出人は、城戸ホテルズ案件を一緒に担当している後輩だった。 『本日の城戸ホテルズ案件、代理出席の件、承知しました。高瀬さんは体調優先でお休みください』  文章は丁寧だった。  だから余計に、違和感
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第104話 ひとつくらい、手放せばいいのに

 妊娠がわかった翌朝、会社へ着くと、私の机から城戸ホテルズ案件の資料だけが消えていた。  ほかの案件は残っている。  予定表も、午前の役員会も、そのままだ。  なくなっているのは、城戸さんと進めていた新館再編の資料だけだった。  共有フォルダを開く。  昨日まで主担当だった私の権限が、「閲覧のみ」に変わっている。 「高瀬さん」  副社長が、気まずそうに会議室から出てきた。 「ちょうどご説明しようと」 「誰が担当を変えたんですか」 「変更ではありません。外部の実務責任者を追加する、と聞いています」 「誰から?」 「城戸ホテルズ側からです」  城戸ホテルズ側から。  朔弥さんではなく?  その言葉に、すぐには返事ができなかった。 「先方から正式な文書が届いています。法務が確認中です」 「私には?」 「社長室を通すよう指定がありました」  私の案件なのに、私を通さず、朔弥さんのところへ届いている。  会議室へ向かおうとしたところで、背後から名前を呼ばれた。 「真尋さん」  振り向くと、澄麗が淡い色の花束を抱えて立っていた。 「ご懐妊、おめでとうございます」  足が止まった。  妊娠を知っているのは、私と朔弥さん、クリニックの女医。それから昨夜のメッセージを確認した警備責任者だけだ。  社内には、まだ伝えていない。 「どちらで聞いたんですか」 「御門のお家に関わる大切なことですもの。自然と耳に入ります」  自然に。  病院の外で待っていた誰かも、自然のうちに入るのだろうか。 「お花は結構です」 「遠慮なさらないで。しばらく会社をお休みになると伺いましたので」 「誰からですか」 「皆さま、そうお考えになるでしょう?」  妊娠した。  だから会社からいなくなる。  澄麗の中では、相談するまでもなく決まっているらしい。 「休む予定はありません」  花束を包む薄紙が、澄麗の手の中で鳴った。  澄麗の顔が歪んだ。  笑みを保とうとして口元だけが持ち上がり、目がついてこない。 「どうして?」  問いは、考えるより先に出たようだった。 「ようやく赤ちゃんまで手に入れたのに、まだ会社にもいるおつもりなんですね」 「まで?」  聞き返すと、澄麗の視線が私の下腹へ落ちた。 「朔弥さんも、御門も、その子
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第105話 榊原理央は、驚くほどきれいな人だった

 翌日の午前九時、御門ホールディングスの第二会議室に、榊原理央は定刻ぴったりに現れた。  紺色のスーツに、白いシャツ。髪は後ろで固く束ね、細い銀縁の眼鏡をかけている。ヒールは低く、爪も短い。  派手なところは何もない。なのに、なぜか目を離してはいけない気がした。 「榊原理央です。本日から、城戸ホテルズ新館再編の進行管理を補佐します」 「進行管理の主担当は私です。高瀬真尋です」 「主担当は高瀬さんのままだと聞いています。私は工程の管理、収支表の再確認、緊急時の対応手順の見直しを任されています」 「では、なぜ私の権限が閲覧だけに変わっているんですか」  語気が強くなった。  榊原さんは、まっすぐ私を見返した。  その物おじしない目に、私は思わず息をのんだ。 「権限を変えたのは、私ではありません」 「では、誰が?」 「確認します。ですが、おそらく……」  城戸さんだ。  あの人は、榊原さんを使って私を試しているのか。  それとも本当に、私を城戸ホテルズの案件から外すつもりなのか。  城戸さんは、私の味方じゃなかったんだろうか。  会議が始まると、榊原さんは出席者へ案件一覧を配った。  未決裁、対外回答待ち、法務確認、現場判断。案件名の横には、期限と担当者まで記されている。 「いつ、この資料を受け取ったんですか」 「昨夜十九時です」  一晩で、ここまで確認したらしい。 「宴会部門の人員計画が、改装後稼働率七十二パーセントを前提にしています」 「それが問題ですか」  宴会部門の担当者が聞いた。 「広告計画のほうは六十八パーセントです。どちらかが古い」  担当者が資料を見直し、顔色を変えた。 「……人員計画のほうが古いです。四日前に、稼働率を下げています」 「では、採用人数も減らしますか」  私が聞くと、榊原さんは首を横に振った。 「正社員を減らす必要はありません。平日の派遣枠を一日四人減らせば、年間で一千二百万ほど下がります」  担当者が電卓を叩いた。 「合っています。その数字で人員計画を出し直します」  認めたくはなかった。  けれど、私が昨夜初めて渡された資料から、会議が始まって十分でこのずれを見つけ、修正案まで出せただろうか。  少なくとも今日の会議では、榊原さんのほうが私より仕事ができた。  そう
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第106話 城戸に嫉妬する君に、俺は嫉妬する

 城戸さんが、こちらを振り返った。 「高瀬さん。もうお帰りですか」 「はい」  返事をしながらも、私は榊原さんを見ていた。  目元も、鼻筋も、昼間と同じだ。眼鏡を外し、髪を下ろしただけなのに、どうして気づかなかったのだろう。 「今夜は会食ですか」  聞く必要のないことまで口にしていた。 「再建資金を出している顧問と会います」  城戸さんが答えた。 「榊原さんをこちらへ入れた方ですね」 「そうです。本人にも同席してもらいます」 「榊原さんもご一緒なんですね」 「ええ」 「さっき、圭介さんと呼んでいました。以前からのお知り合いですか」 「……ええ」 「ずいぶん親しそうですね」  私は何を言っているのだろう。  城戸さんが誰と親しくても、私には関係がない。  それなのに、私は彼の返事を気にしていた。  城戸さんが探るような表情で私を見た。  返事が来る前に、朔弥さんの手が私の腰へ回った。  そのまま、身体の方に引き寄せられる。 「真尋」 「朔弥さん」 「俺たちは帰る」  朔弥さんは私を見つめた。 「真尋。城戸と榊原がいつから知り合いかなんて、君が気にすることじゃない」  朔弥さんに見抜かれていた。  城戸さんが朔弥さんを見る。 「夫だからといって、高瀬さんが何を気にするかまで口を出すのは違うでしょう」 「君には関係ない」 「変わったと思いましたが、変わっていないんですね。御門社長」  朔弥さんの腕に力が入った。  榊原さんの視線が、私の腰に回った手から城戸さんへ移る。  彼女は何も言わなかった。ただ、私たち三人を順に見た。  二人とも声を荒らげていない。  それでも、二人は私を挟んだまま視線を外さなかった。 「帰りましょう、朔弥さん」  朔弥さんはまだ城戸さんを見ていた。  腰に回った手を押す。 「……わかった」  ようやく腕の力が緩み、朔弥さんは出口へ歩き出した。  車へ乗る直前、振り返る。  城戸さんが榊原さんのために後部座席の扉を開けていた。榊原さんはドレスの裾を押さえ、彼の車へ乗り込む。  よく似合っていた。  私は、車の扉が閉まるまで目をそらせなかった。 「いつまで見ている」  朔弥さんの声が近くでして、私は前を向いた。 「見ていません」 「振り返っていただろう」
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第107話 どうして、よりによって彼女なの

 唇が重なった。  私から近づいたはずなのに、すぐに腰を抱かれ、強く引き寄せられた。後頭部を支える手に力が入り、壁と彼の身体の間で、私はシャツをつかみ直した。  彼の息が頬にかかる。舌先が触れた途端、シャツをつかむ手に力が入った。  口づけは、いつもより性急だった。  離れたと思えば、また唇を塞がれる。私が城戸さんと榊原さんを見ていた時間まで取り返そうとしているみたいだ。 「……朔弥さん」  名前を呼ぶと、ようやく唇が離れた。 「苦しいです」 「悪い」  謝ったのに、腕はほどかれない。背中を撫でる手も止まらず、シャツ越しに彼の手のひらが動く。 「でも、離したくない」 「まだ嫉妬しているんですか」 「している」  迷いのない返事だった。 「城戸と榊原が親しい。君はそれが気に入らなかったんだろう」 「城戸さんは、仕事を見てくれた人ですから」 「仕事だけなら、榊原が城戸を名前で呼んだくらいで、あんな顔はしない」  鋭い。  確かに私は嫉妬していた。  だけど、朔弥さんが思っているような意味ではない。 「……違います」 「違わない。君は、あの二人の親しさに嫉妬した」  否定したいのに、言葉が遅れた。  城戸さんに選ばれたいわけではない。そう思いたいのに、榊原さんの「圭介さん」という声がまだ耳に残っていた。 「そんな君を見て、俺が平気でいられると思うか」 「……あなたが聞いたんでしょう」 「聞いた俺が悪かった。でも、答えを聞いたら、もっと腹が立った」  勝手な人だ。  でも、以前の朔弥さんなら、嫉妬を認める代わりに黙り込み、私を遠ざけていた。  今は、格好が悪くても口にする。 「では、どうしたら機嫌が直るんですか」 「俺を見てくれ」  朔弥さんの親指が、私の唇の端をなぞった。押されたところに熱が残る。 「今夜は、俺のことだけ考えてほしい」  そんな言い方をされたら、拒めるはずがない。  私はネクタイの結び目へ手をかけた。緩めて引くと、朔弥さんの顔が近づく。 「見ています」 「足りない」 「面倒ですね」 「知っている」  今度は私から口づけた。  腰を抱く腕が強くなり、そのまま身体が浮く。慌てて首へ腕を回すと、彼の胸へ身体が密着した。  朔弥さんは私を抱いたまま、寝室へ向かう。 「歩けます」
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第108話 お前が真尋の何を知っている

 翌朝、ダイニングのテーブルへ端末を置いた。  画面には、昨夜届いた資料を開いたままにしてある。 「これは何ですか?」  コーヒーへ手を伸ばしていた朔弥さんが、画面を見た。 「見たのか」 「私に届いた資料ですから」 「朝、俺から話すつもりだった」 「どうして、私の代わりが榊原さんなんですか」 「能力で決めた」  能力。  榊原さんのほうが、私より上だと言われた気がした。 「……つまり、私は榊原さんより能力が足りないと?」 「そうは言っていない」 「そう聞こえました」 「夜の緊急対応だけだ。榊原を君の代わりにするつもりはない」 「では、なぜ私へ相談しなかったんですか」 「代わりがいないと、君は無理をするだろう」 「無理と決めつけないでください」  朔弥さんがカップから手を離した。 「君だけの身体じゃない」 「無理かどうかは自分で判断できます」 「そこが心配だと言っている。必要な準備だ」 「私を守るためなら、私の知らないところで何を決めてもいいと思っていますか。そのやり方が間違っていなかったと?」  香澄さんのことを言っていると、朔弥さんには伝わったはずだ。  それでも、返事はなかった。 「昨夜、俺を見てくれと言いましたよね」 「ああ」 「なのに、あなたは私を見ていない」 「見ている。見ているから止めるんだ」 「見ているのは、私ですか? それとも、御門の子どもですか?」  朔弥さんの顔から表情が消えた。  言い過ぎた。それでも、謝れなかった。 「続きは会社で話します」 「真尋」 「続きは会社で聞きます。御門社長からの提案として」 「真尋」 「ですから、私情は挟まないでください」  朝食を残したまま立ち上がった。 「先に行きます」 「待て。俺も出る」  聞こえないふりをして、バッグを持った。 「真尋」  返事をしたら、また許してしまいそうだった。  だから、振り返らずに玄関を出た。 ***  午前九時。御門本社の役員応接室で、私と朔弥さん、城戸さん、榊原理央の四人が向かい合った。  朔弥さんが会議を始める前に、私は城戸さんと榊原さんを見た。 「勤務条件の理由から、先に私からお伝えします。妊娠しました」  城戸さんの微笑みが消えた。  私を見たまま、何も言わない。  驚いた
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第109話 女の視線は、私の腹に落ちていた

 御門本社の役員応接室で、城戸さんは朔弥さんの問いを正面から受け止めた。 「少なくとも、高瀬さんの仕事を取り上げれば守ったことになるとは思っていません」  その言葉は、私が朝から何度伝えたことだった。  そして、それでも朔弥さんには届かなかったことだった。  それを、城戸さんが口にした。  だからこそ、朔弥さんには許せなかったのだと思う。 「……ずいぶん真尋を理解しているような言い方だな」  朔弥さんの声に、苛立ちが混じる。  城戸さんは表情を変えなかった。 「ずっと高瀬さんの仕事を見てきましたから」 「俺も見ている」  それを否定すれば、朔弥さんが傷つく。  わかっていた。  それでも、今の朔弥さんには言わないと伝わらないと思った。 「見ていません」  私が言うと、朔弥さんがようやくこちらを向いた。  傷ついた顔をしていた。  謝りたくなった。  けれど、今謝れば、話はまたそこで終わる。 「さっきから、あなたが見ているのは城戸さんです」 「関係ない」 「あります。私の勤務条件を話していたはずなのに、さっきから城戸さんと張り合っているだけじゃないですか」  榊原さんは資料を見ていなかった。  誰かが話すたび、その人の顔から残りの二人へ視線を移していた。  その表情は動かず、何を考えているのかわからない。 「御門社長の懸念は理解できます」  榊原さんが、初めて口を挟んだ。  全員の視線が集まる。 「高瀬さんと城戸さんは、会議でも互いの意図を汲むのが早い。そのぶん、お二人だけで話が進んでいるように見えることがあります。余計な誤解を避けるためにも、窓口は分けたほうがよろしいかと」  城戸さんが、榊原さんを見た。 「会議でも?」  榊原さんの返事が、一拍遅れた。 「今のお二人を拝見して、そう判断しました」  何を言っているのだろう、この人は。  ただでさえ、朔弥さんと城戸さんが対立しそうなときに。  火に油を注ぐようなことを言うなんて。  やっぱり、この人は、私を退かせるために送り込まれたのではないか。  だとしたら、誰に? 「……何の誤解ですか」  私が聞いても、榊原さんは答えを濁した。 「私から申し上げることではありません」  何も言っていないようで、私と城戸さんの間に何かあると匂わせて
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第110話 何があるかわかりませんもの

 御門本社の役員応接室前で、私は扉の取っ手を握ったまま固まった。  廊下に立っていたのは、一条澄麗だった。  会議に呼ばれていたわけではない。秘書も連れず、薄いベージュのコートを腕にかけて、まるで偶然通りかかっただけの顔をしている。  けれど、彼女の視線は私の顔ではなく、下腹に落ちていた。 「何をしているんです、こんなところで」  私が先に聞くと、澄麗はようやく顔を上げた。 「ただ、通りがかっただけですの。争う声が聞こえたので」  争う声。  応接室の中の話を、どこから聞いていたのだろう。  私はバッグを前へ寄せた。 「会議中です。部外者が立ち止まる場所ではありません」 「申し訳ありません。ご体調に障っていなければよろしいのですけれど」  相変わらず、丁寧に心配する様子をしている。  でも、表情がそれを裏切っていた。  澄麗の視線はまた、私の顔ではなく下腹へ落ちた。  背後で椅子が引かれる音がした。朔弥さんが応接室から出てくる。  城戸さんも、その少し後ろで足を止めた。  澄麗は二人を見て、また私へ笑いかけた。 「改めて、ご懐妊おめでとうございます。何があるかわかりませんもの。ご無理をなさらない方がよろしいですわね?」 「一条さん」  私はバッグを下ろした。 「何かあるような言い方はやめてください」 「まあ、わたくし、ただ心配しているだけですのよ?」  確かにそうだ。  外から聞けば。  それでも、ねっとりとまとわりつくような悪意があった。  廊下の端にいた秘書がこちらを見る。朔弥さんが私の横へ来ようとしたので、私は手のひらだけで制した。  止められたくなかった。  守られる形にされるのも、今は違った。 「心配という形なら、何を言っても許されると思わないでください」  澄麗はすぐに返さなかった。  人前で乱れる人ではない。だから、返事が遅れるだけで充分だった。  朔弥さんの手が、私の背中の後ろで止まる。  触れなかった。けれど、離れもしなかった。  澄麗は口元を直した。 「真尋さんは、お強くなられましたね」 「守るものが増えましたから」 「御門のお子様ですものね」  その言い方で、廊下の温度が変わった。  御門の子。  御門の血。  御門の跡継ぎ。  まだ名前もない小さな命を、彼女
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