新宿の演芸場跡地へ向かう準備を整え、私たちは『orange』の重い扉に鍵をかけようとしていた。 父が遺したハートのジャックのカードは、私の胸ポケットの中で微かな重みを持って収まっている。これから踏み込む場所が、父の死の真相に繋がっている。その緊張感で、私の指先は、不揃いに貼られた絆創膏の上からでも分かるほど強張っていた。 その時だった。 カラン、と。クローズの札を下げたはずの扉が、外側から静かに押し開けられた。 入り込んできたのは、夜の闇をそのまま引きずってきたような、深い灰色のスーツを着た男だった。五十代半ばだろうか。整えられた白髪と、縁のない眼鏡。一見すれば温厚な初老の紳士に見えるが、その瞳は、すべてを値踏みするような冷徹な光を湛えている。「……あいにくだが、店はもう閉まった。帰ってくれ」 鉄さんが一歩前に出た。その巨大な体躯が男を威圧するが、男は動じる風もなく、懐から一枚の名刺を取り出した。「おやおや、手荒な歓迎だ。……私は市川様の代理として、こちらのお嬢様にお見舞いを申し上げに来ただけなのですが」 市川。 その名を聞いた瞬間、店内の空気が一変した。 圭さんがグラスを拭いていた手を止め、レンくんが梁の上から音もなく床へ降り立つ。三人の怪物の瞳から、日常の体温が完全に消え失せた。「……市川の使い、ですか」 私は震える声を押し殺して、男を真っ向から見据えた。 男は薄く笑うと、店内の調度品をゆっくりと眺め回した。その視線が、父が愛用していた古いシルクハットに止まる。「結さん……あなたの御父上は、実に見事なマジシャンでした。……そして、それ以上に優秀な裏切り者でもあった」「裏切り者……? 何を言って……」「彼は市川様の右腕として、多くの帳簿を管理していた。だが、彼は最後に欲を出した。組織の機密を盗み出し、それを盾に市川様を強請ろうとしたのです。……あなたが今持っているそのカード、それがその扉を開ける鍵であることを、我々は承知しています」 男の言葉に、私は目眩を覚えた。お父さんが、誰かを強請る? そんなはずがない。彼はいつだって、マジックで人を幸せにすることだけを考えていた。「嘘よ。お父さんはそんなこと……」「嘘か真実か、それを決めるのは常に勝者です。……なあ、そうだろう? 加納くん」 男の視線が、私の隣に立つ圭さんへと向けら
Last Updated : 2026-05-07 Read more