All Chapters of 三人の「ペテン師」に愛されて。〜詐欺師とイカサマ師とスリ師に身も心も奪われる私〜: Chapter 41 - Chapter 50

56 Chapters

消失しない記憶

 共同生活という名の甘い檻に閉じ込められてから、数週間が経った。  朝は鉄さんの淹れる濃いコーヒーの香りで起こされ、昼は圭さんの完璧に計算されたエスカレートに翻弄され、夜はレンくんの気配のない執着に肌をなぞられる。  マジシャンとして、私はタネを見抜くプロであるはずだった。けれど、この家の中に渦巻く三人の男たちの真意だけは、どれだけ目を凝らしても、その「仕掛け」が見えてこない。  その日は、三人が珍しくそれぞれの用事で外出していた。  私は一人、一階の店舗部分で、父が遺した古い道具箱の整理をすることにした。新宿の一件以来、私は父がマジックに込めた「隠されたメッセージ」を一つひとつ拾い集めることに躍起になっていたのだ。  だが、そこで私は、父の遺したものではない、「ある怪物」の隠し事に触れてしまうことになる。   きっかけは、カウンターの裏側、一番端にある収納棚の不自然な「隙間」だった。  父はこの店を隅々まで知り尽くしていたはずだ。けれど、その隙間には、父の設計にはない、ごく最近付け加えられたような、ごく薄い板がはめ込まれていた。 「……これ、レンくんの仕業?」  スリとしての彼は、隙間を見つける天才だ。私は指先をその板にかけ、スライドさせた。音もなく開いたその空間には、小さな、黒いビロードの箱が収められていた。  中を開けた瞬間、私の心臓が、マジックの失敗を悟った時のような嫌な跳ね方をした。  そこに入っていたのは、数枚の折れ曲がった写真と、古びた懐中時計。写真はどれも、父が生前に隠し撮りされたような不自然なアングルばかりだった。そして、その懐中時計。それは、父が亡くなったあの夜、警察が紛失したと断定していた、父の形見そのものだった。&
last updateLast Updated : 2026-05-17
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ステージの支配権

 扉の向こう側で、三つの異なる鼓動が聞こえるような気がした。鉄の重厚な沈黙。圭の計算された静寂。そして、レンの揺れる吐息。 彼らは「守るためだった」と言った。その言葉に嘘はないのだろう。だが、マジシャンにとって、舞台裏で勝手にタネを書き換えられることほど屈辱的なことはない。 私は、震える指先でネクタイを締め直した。絆創膏の貼られた指が、絹の布地を小さく弾く。 泣き寝入りするつもりはない。私はゆっくりと、鍵を開けた。「……お姉さん」「嬢ちゃん」「結さん、話を聞いて――」 三人が一斉に言葉を発しようとした瞬間、私は人差し指を唇に当てた。冷徹なプロの顔。父から教わった、観客を支配するための「静寂の作り方」だ。「……一階に下りて。今から、私のアシスタントとしての適性検査を始めるから」 カウンターの向こう側に私が立ち、三人の怪物がスツールに並んで座る。いつもとは逆の光景だ。私は父の形見である懐中時計を、カウンターの真ん中に置いた。「あなたたちは、私を何も知らないお姫様としてこの箱庭に閉じ込めておきたかったみたいだけど。……残念ね。私はマジシャン。騙されるより、騙す方が性に合ってるの」 私は一組のデックを取り出し、鮮やかなファン(扇状)に広げてみせた。三人の視線が、私の指先に吸い寄せられる。「今から、私の罰を受けてもらうわ。……拒否権はない。だって、あなたたちは私の大切な『形見』を盗んで、私を騙していた共犯者なんだから」 私はデックから三枚のカードを抜き出し、裏返しのまま彼らの前に並べた。「圭さん。あなたは心理学のプロ。……でも、私の心だけは読めなかったみたいね。鉄さん、あなたは最強のイカサマ師。……なのに、私のこの『子供だましの手品』を見抜けるかしら? レンくん、あなたは世界一のスリ。……だったら、私が今、あなたの心から何を『盗んだ』か、当ててみて」「圭さんのカードは、スペードのQ。……意味は冷徹な支配。あなたはこれから一週間、私の許可なく私をエスコートすることを禁じる。……あなたが一番嫌うのは、状況をコントロールできないことでしょう? その焦燥感を、たっぷりと味わって」 圭の眉が、わずかに跳ねた。彼は苦笑いとも、悦楽とも取れる表情で私を見つめる。 「……なるほど。僕の得意分野を封じることで、僕を無力な観客に突き落とすわけだね。……いいよ、そ
last updateLast Updated : 2026-05-18
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仕組まれた怪物たち

 一週間の罰という名のゲームは、彼らの忠誠心をより深く歪ませ、結果としてこの箱庭の主導権を完全に私の手へと引き渡すことになった。 圭さんは完璧なフロアのワックスがけの合間に、私からの指示をただじっと渇望するような視線を寄越し、鉄さんは無骨な沈黙を貫きながら私の指先の動きだけを獣のように凝視し、レンくんは完全に気配を消すことを禁じられたせいで、借りてきた猫のように私の影の少し後ろを所在なげに歩いていた。 私が彼らを完全に御せるようになった、その絶妙なタイミングを見計らったかのように。父の遺した時計は、本物の奇跡を私たちの前に吐き出した。 深夜、三人を下がらせた後、私は一人でカウンターに座り父の懐中時計を分解していた。 精密ドライバーの先が、真鍮の細いネジを回す。時計の知識などマジックのギミック修理程度しか持ち合わせていないけれど、この時計の内部には、市川が喉から手が出るほど欲しがっていた「何か」がある。圭さんはそれを組織のリストと言った。 だが、歯車を一つひとつ外していく私の指先は、ある重大な仕掛けに触れてぴたりと止まった。「……これ、パンチマークと同じ?」 時計の最深部、文字盤の裏側にある地板に、肉眼では見落とすほどの微細な穴が、いくつも打ち抜かれていた。それは、あの日庭園で圭さんと見つけた『ハートのジャック』の星座のようなコードと、全く同じ間隔、全く同じ配列で並んでいた。 私は胸ポケットからハートのジャックを取り出し、時計の地板の上に重ね合わせた。 カチリ。 紙と金属の穴が、完璧に一致する。 その瞬間、光に透かした二つの穴の向こうに、文字の羅列が浮かび上がった。組織のリスト――ではない。そこに記されていたのは、羅針盤の目盛りのような数字の羅列と、たった一行の、父の直筆の文字。『加納、黒鉄、澁谷。三つの嘘を一つに重ね、始まりの舞台へ』 加納。黒鉄。澁谷。 それは、圭さん、鉄さん、レンくんの、本当の名字だ。「……どういう、こと?」 私の背筋に、氷水を流し込まれたような戦慄が走った。三人がこの店に集まったのは、父の事件の後だ。市川の脅威から私を守るために、偶然、あるいはそれぞれの思惑で集まったはずの怪物たち。 なのに、なぜ、事件の前に作られたはずの父の遺品に、彼らの本名が刻まれているの?「――そこまでだ、結さん。それ以上は、僕たちの
last updateLast Updated : 2026-05-19
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語られた最期のタネ明かし

「始まりの舞台」――そこは、父がかつて市川の組織に狙われる直前まで、私を連れて全国を回っていた頃に一度だけ使ったという、浅草の場末にある地下演芸場だった。  新宿で市川の虚飾を暴き、浅草の地下へと辿り着いた私。私の胸ポケットには、あの『ハートのジャック』と、地板に同じ穴が穿たれた父の懐中時計が、ひとつの重みとなって収まっている。  三人の怪物は、私の歩幅に合わせて静かに階段を下りていく。  鉄さんの威圧感も、圭さんの怜悧な気配も、レンくんの透明な足音も、今はすべてが私の背中を支える頑丈な盾だった。彼らは父の「命令」で集められ、そして今、自分たちの「意思」で私のために命を懸けている。  最下層の扉を開けると、そこにはカビと埃の匂いが立ち込める、小さな円形ステージがあった。客席はすべて取り払われ、中央にぽつんと、一つの古びた木箱が置かれている。父がかつて『人体消失マジック』で使っていた大型のイリュージョン・ボックスだ。 「……ここが、親父さんの始まりの場所か」  鉄さんが周囲を警戒しながら呟く。 「そうだね。市川の目が届かなかった、橘さんの唯一の『聖域』だ。結さん、その箱に、君の手元にある鍵を重ねる時が来たようだ」  圭さんに促され、私はステージへと上がった。  木箱の鍵穴は、普通の鍵の形をしていなかった。円形の、懐中時計の文字盤がそのまま収まるような、奇妙なくぼみ。  私は震える指先で、父の懐中時計をそのくぼみへと嵌め込んだ。そして、文字盤の裏の地板と位置を合わせるように、パンチマークの開いた『ハートのジャック』を隙間に滑り込ませる。  カチリ。  静寂の中で、狂った歯車が噛み合うような、重い金属音が響いた。木箱の底が開き、中からせり上がっ
last updateLast Updated : 2026-05-21
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純粋なマジック

 浅草の地下で父の最期のタネ明かしを見届けてから、数ヶ月。  市川の遺した因縁も、父が命を懸けて仕掛けた大がかりなイリュージョンも、すべては夜の帳の向こうへと収まるべき場所へ収まった。  私たちの本拠地であるマジックバー『orange』には、以前と変わらない――いや、以前よりも少しだけ騒がしくて、酸素の薄い「平和な日常」が戻ってきている。  そんなある日の午前中。私たちは店の仕込みを休み、近くの地域の公民館へと向かっていた。 「……おい、ガキ。テメェ、さっきから嬢ちゃんの隣をキープすんじゃねぇよ。荷物持ちなら俺一人で足りてんだ」「鉄さんの歩幅が大きすぎるだけ。僕は空気だから、お姉さんの隣にいるのが一番自然なの。ほら、お姉さんの右手、僕がちゃんと護衛してあげてるし」   大きなボストンバッグを肩に担いだ鉄さんが地鳴りのような声で威嚇すれば、レンくんは私の右腕にすり寄ったまま、涼しい顔で私の指先を弄んでいる。 「二人とも、公共の場で騒ぐのは非合理的だよ。結さん、今日の子供向けマジックショーのタイムスケジュールだけれど、シナリオ通りに進めれば、子供たちの興奮のピークは開始十五分後に訪れるはずだ」  仕立ての良いサマーニットを着こなした圭さんが、私の左側に並んで完璧な微笑みを浮かべる。  三人の怪物たちを引き連れて歩く私は、すれ違う主婦の方々に何度も二度見されていた。潜入捜査の時よりも、ある意味で周囲の視線が痛い。 「……みんな、今日は地域の子供会からの依頼なんですからね。不穏な空気を出したり、誰かの財布をスリ盗ったり、言葉で子供を泣かせたりしたら、即座に出入り禁止の罰にしますから」  私が釘を刺すと、三人はそれぞれ「ちぇ」「分かってるって」「善処しよう」と、
last updateLast Updated : 2026-05-22
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終わらない主導権争い

 週末の『orange』は、昼間の公民館での賑やかさとは打って変わり、心地よいジャズと琥珀色の灯りに満たされていた。市川の影が消え、平和を取り戻したはずのこのカウンターは、けれど夜が深まるにつれて別の意味での「危険地帯」へと姿を変える。  カラン、と入り口のドアが乱暴に開いたのは、夜の十一時を回った頃だった。 「おぅおぅ、ここが噂のマジックバーかぁ? おい、ねーちゃん! 一番強い酒持ってこい!」  入ってきたのは、ネクタイを緩め、いかにも一歩手前で理性を置いてきたようなスーツ姿の酔客だった。足元がおぼつかない割に声だけは大きく、すでに出来上がっているのは一目瞭然だった。 「いらっしゃいませ。お客様、本日はすでにかなり召し上がられているようですが……」  私が努めて穏やかな声でカウンター越しに声をかけると、その男はねっとりとした視線を私の手元に落とした。 「あぁ? いいから出せよ。それよりよぉ、ねーちゃんの手、絆創膏だらけじゃねぇか。そんな手でまともな手品ができんのかよ。ほら、ちょっと見せてみろって」  男は言うやいなや、カウンター越しに私の右手を強引につかみ取ろうと、脂ぎった手を伸ばしてきた。  その指先が、私の皮膚に触れるよりも早く。 室内の「空気」が、一瞬で凍りついた。 「お客様。当店のバーテンダーに気安く触れるのは、いささか『非紳士的』だとお分かり頂けないでしょうか」  最初に動いたのは圭さんだった。彼は男の手首を、まるで見えない糸で縛り上げるような滑らかな動作で、寸前で叩き落とした。その顔には、一分の隙もない完璧な微笑みが張り付いている。だが、その瞳の奥にあるのは絶対零度の光だった。 「な、なんだお前は! 客に指図する気か!」「いいえ。僕はただのソムリエで
last updateLast Updated : 2026-05-24
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進展

 週末の騒がしい営業が終わり、店内には再びジャズのレコードだけが低く流れる静寂が戻っていた。一階の片付けを終えて二階のリビングへ上がると、いつもなら三方向から突き刺さるはずの熱い視線が、今夜はひとつ足りないことに気づく。  鉄さんは馴染みの酒屋との取引で遅くなり、レンくんは 「ちょっと夜風を盗んでくる」  と言って早々に影の中へ消えていた。つまり、この広い部屋には、私と圭さんの二人しかいない。 「お疲れ様、結さん。今夜の君のステージも、実に見事だったよ」  ソファに深く腰掛けた圭さんが、琥珀色の液体が揺れるグラスを傾けながら私を呼び止めた。ジャケットを脱ぎ、シャツのボタンを上から二つほど外した彼の姿は、いつもの完璧なバーテンダーの仮面を半分だけ外したような、妙に生々しい色気を放っている。 「ありがとうございます、圭さん。……私も、少しだけお酒、いただいてもいいですか?」  新宿での決戦、そして浅草の地下で父の最期の真相を知ってから、私たちを縛る「しがらみ」はすべて消え去った。彼らはもう命令で私を守っているのではない。その事実は、私たちの関係の境界線を、驚くほど曖昧に、そして危険なものへと変えていた。 「珍しいね、君が自分からアルコールを欲しがるなんて。……いいよ、僕が最高の一杯を作ろう」  圭さんは立ち上がり、カウンター越しではなく、私のすぐ隣へと歩み寄ってきた。彼の手には、二つのグラス。手渡される際、彼の長い指先が私の肌をかすめ、それだけで心臓がドクリと嫌な音を立てた。  一口、喉を潤す。果実の甘みの奥に、じわりと熱いアルコールが広がる。 「……これ、何のカクテルですか?」「『エックス・ワイ・ジィ』。カクテ
last updateLast Updated : 2026-05-25
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さらに進む

 圭さんとの熱い名残を部屋の空気に残したまま、数日が過ぎた。 あの日以来、店内の空気はさらに張り詰め、三人の視線は私の一挙手一投足だけでなく、私の「肌」そのものを値踏みするように追いかけてくる。 そしてその夜、均衡を破ったのは、一番静かで、一番透明な怪物だった。 深夜二時。鉄さんと圭さんが明日の大型クロースアップマジックの仕込みのため、一階の倉庫にこもってから一時間が経っていた。私は自分の部屋で、ベッドに腰掛けてパジャマのボタンを留め直していた。 カチリ。 鍵をかけていたはずのドアが、音もなく開いた。「……お姉さん。起きてる?」 暗闇の中から滑り込んできたのは、レンくんだった。彼の右手には、私が厳重に管理していたはずの自室のスペアキーが、指先で器用に弄ばれている。「レンくん……!? 鍵、どうして……」「これくらい、僕にとっては落ちてる石を拾うより簡単だよ。……それより、やっと二人きりになれた」 レンくんは私の返事を聞く前に、音もなくベッドへ這い上がってきた。いつもなら気だるげに燕尾服の裾を掴むだけの彼が、今夜は、まるで獲物を追い詰めた野生の豹のような、俊敏で容赦のない動きをしていた。 気づいた時には、私はベッドのヘッドボードと、彼の細い身体の間に挟まれていた。「……レンくん、ダメだよ。みんなが下に……」「下にいるから、今しかないんだよ。……あの二人はお姉さんをお姫様みたいに扱って、じわじわ外側から外堀を埋めようとしてるけど、僕はそんなに気が長くないの」 レンくんの両手が、私の両手首を掴んでベッドに縫い付けた。スリとして鍛え上げられた指の力は、驚くほど強くて、硬い。逃げようと身を捩ると、彼のしなやかな体躯が私の身体の上に完全に重なった。「ひゃっ……、レンくん、冷た……っ」「……お姉さんの体、すごく温かいね。ねえ、僕をその温かさで満たしてよ」 レンくんの髪が私の頬をかすめる。彼の体温はいつも低いのに、私を見つめるその瞳の奥には、すべてを焼き尽くすようなドロドロとした熱が灯っていた。 彼は自由な片手で、私のパジャマの襟元に手をかけた。スリの「上書きの魔法」だ。 彼の片手が私の鎖骨を強く圧迫する。脳がその強い刺激に気を取られている一瞬の隙に、私のパジャマのボタンが、まるで手品のように、一瞬で三つ目まで外されていた。「あ……っ」「ほ
last updateLast Updated : 2026-05-26
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一人の時間

 昨夜の喧騒が嘘のように、昼下がりのカフェは、おだやかな午後の光と焙煎された珈琲の香りに満ちていた。 私は窓際の小さな席に腰掛け、温かいカフェラテのカップを両手で包み込んでいる。 指先を見る。そこには、トランプの擦れや道具の仕込みで傷つくたび、鉄さんが無骨な手つきで貼り直してくれた新しい絆創膏がある。首元には、昨夜レンくんが残していった、噛みつくような熱い痕跡がまだ微かに疼いている。そして私の心には、圭さんが耳元で囁いた、あの退路を断つような甘いカクテル言葉の余韻がべったりと張り付いたままだ。「……はぁ」 小さく溜息を吐くと、カップの泡が静かに揺れた。 新宿の因縁が片付き、父の最期の真相を知った今、私たちを縛るしがらみはすべて消え去った。義務も契約もなくなったその真っ白なステージの上で、三人の怪物たちは、それぞれの方法で私を自分の「箱庭」に閉じ込めようと、剥き出しの本能をぶつけてくる。 圭さんの、五感すべてを絹の糸で縛り上げるような、巧妙で知的な支配。 鉄さんの、重たいブランケットで外敵をすべて遮断するような、圧倒的で無骨な守護。 レンくんの、気づいた時には心の最深部まで侵食しているような、透明で甘美な執着。 マジシャンとして、私はこれまで数々の「タネ」を見抜いてきた。けれど、彼らが私に向けるこの過剰なほどの情熱の解き方だけは、どのマジックの専門書にも載っていない。 私は窓の外を行き交う人々を、ぼんやりと眺めた。 誰もがそれぞれの日常を歩いている。もし、私がこのままこのカフェを出て、彼らのいない遠い街へ逃げ出したら、私は普通の「結」として、平穏な人生を送れるのだろうか。あの息苦しいほど酸素の薄い、怪物たちの檻から抜け出して――。「……ううん。そんなの、もう無理だよね」 自嘲気味に呟きながら、カフェラテを一口すする。 私は知ってしまったのだ。彼らがかつてどれほど深い闇の中にいて、それを父がどうやって救い出したのかを。そして、父の遺志を継いでステージに立つ私の指先を、彼らがどれほど愛おしそうに見つめていたのかを。 恐怖がないと言えば、嘘になる。一線を越える直前の、彼らの飢えた瞳を思い出すだけで、今でも背筋に甘い戦慄が走る。 けれど、それと同時に、彼らに触れられた肌が、彼らの言葉を欲する心が、どうしようもないほどの歓びで震えてしまうことも
last updateLast Updated : 2026-05-27
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残香とチェックメイト

 カフェでの一人だけの時間、そして『orange』への帰還。私は三人の怪物の愛という名のイリュージョンに、自ら進んで引っかかる覚悟を決めたはずだった。 だが、覚悟を決めることと、彼らが剥き出しにしてくる独占欲に理性を保っていられるかは、全くの別問題だった。 営業中の『orange』は、いつも通りの穏やかな時間が流れているように見えた。けれど、カウンターの奥に立つ圭さんの視線は、数日前の「未遂」の焦燥を孕んだまま、執拗に私の動線を追いかけてくる。 彼がグラスを磨く指先、私にボトルを手渡す瞬間の微かな残香。そのすべてが、私の心の防衛線をじわじわと侵食していた。「――結さん、今夜の君は少し手元が狂っているね。カードのシャッフルに、いつもはない迷いがある」 深夜、最後の客が扉の向こうへ消え、店内にジャズのレコードだけが響く静寂が訪れた瞬間、圭さんが低い声で私を呼び止めた。 鉄さんとレンくんは、明日使う大がかりな脱出用ボックスの点検のため、裏のガレージへ向かっている。店内に残されたのは、私と圭さんの二人だけ。数日前と、全く同じシチュエーションだった。「そんなことは……」「いいや、ある。心理学的に、隠し事や意識的な動揺を抱えた人間は、最も得意とする身体動作に微細な遅延が生じるんだ。……たとえば、僕に視線を合わせるのを避ける、今の君のように」 圭さんはカウンターの外へ回ると、私の退路を断つように、ゆっくりと距離を詰めてきた。ジャケットを脱ぎ、白いシャツの袖を腕まで捲り上げた彼の姿から、いつも私を煙に巻く「詐欺師の仮面」が剥がれ落ちていくのが分かる。「……圭さん、もう閉店作業は終わりましたから、私は二階へ……」「行かせないよ」 私が横をすり抜けようとした瞬間、圭さんの長い指先が私の手首を掴んだ。驚くほど強く、冷徹な拒絶を許さない力。そのまま強引に引き寄せられ、私はカウンターの壁へと背中を押し付けられた。「ひゃっ……!」「おあずけを食らった犬が、どれほど凶暴になるか……君なら計算できるはずだ、結さん」 至近距離で見下ろす圭さんの瞳は、完全に据わっていた。いつも私を優しく包む微笑みはなく、そこにあるのは剥き出しの飢餓感と執着だけだ。 彼は空いた方の手で、私の燕尾服の襟元をそっとなぞり、そのまま私の顎を強い力で持ち上げた。「……あの日は、邪魔が入った。
last updateLast Updated : 2026-06-03
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