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All Chapters of 偶然を装って: Chapter 31 - Chapter 40

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第三十一話 出席の理由

 一月も下旬に入り、ローンチまで残り二か月。毎日が、目の回るような忙しさだった。 あの夜以来、有馬とは、ほとんど目を合わせられなくなった。「業務には支障が出ないようにします」という有馬の言葉は本当で、紡にキスをしたことなど、もう、すっかり忘れてしまったかのようだった。 ――やっぱり、あのことはなかったことにされたんだ。 会議で顔を合わせるたびに、苦しくて、つらくて、その場から逃げ出したくなった。けれど、プロジェクトの責任者である紡が、抜けるわけにはいかない。腹に力を入れて、終わるまで乗り切るしかなかった。 紡は、今まで以上に、必死に仕事をこなした。仕事をしているあいだだけは、有馬のことを、頭の隅に追いやっていられた。けれど、同じプロジェクトに関わっているのがよかったのか、悪かったのか。追い出せたと思った途端、有馬から業務連絡が届いて、また考えてしまう。その繰り返しだった。 その日も、紡は精力的に仕事をこなしていた。商品の専用WEBサイトが、ようやく形になりつつある。デザイン案を見ながら、リンクの配置や導線を、ひとつずつ確認していく。 さすがは、セントラル・アドだ。代理店としては中堅だが、大手にはないフットワークの軽さがある。こちらの要望を、細部まで丁寧に反映してくれる。WEBサイトは、開いてからの数秒が命だ。そのあいだに「使いにくい」「見にくい」と感じさせてしまえば、ユーザーは、すぐに離れていく。いかに使いやすく、見やすく、わかりやすくするか。それでいて、商品のコンセプトから外れたデザインでも困る。その兼ね合いを、きちんと汲んで作ってくれているから、いいサイトに仕上がりつつあった。あとは、上層部の了承を待つだけだ。「よし」 トキワ文具側が指摘した箇所の修正を確認すると、紡は目を閉じて目頭を押さえた。そのまま椅子の背にもたれて、背伸びをする。 そのとき、スマホが震えた。画面を見ると、電話番号宛てのショートメッセージだった。見覚えのない番号。 たまに、まったく知らない番号からメッセージが届くことがある。たいていは、勧誘か、詐欺まがいのものだ。 またその類だろうと、削除しかけて――冒頭の一文が
last updateLast Updated : 2026-06-04
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第三十二話 高城との再会

 高城は、まだ大きく手を振っている。このまま無視すれば、また大声でなにか言われるに決まっていた。 できることなら、このまま回れ右をして帰ってしまいたかった。けれど、入口で踵を返せば、かえって会場じゅうの視線を集めてしまう。逃げ場は、もう、どこにもなかった。紡は、渋々、高城のもとへ向かった。一歩進むごとに、目の端で、有馬のいる方向だけは、はっきりと意識していた。「よう、白瀬! お前、変わらねえなー」 高城は紡の肩を馴れ馴れしく叩いた。紡と高城は、もともと、こんなことをする仲ではなかったはずだ。それでも紡は、こみ上げかけたため息を飲み込んで、慣れた笑顔を作った。「高城も、元気そうで」 高城は、はち切れんばかりの笑顔で答えた。「まあな」 これだけの人数が集まったのだ。幹事としては誇らしいのだろう。顔の赤さからして、もう、だいぶ飲んでいるらしい。「ところでお前、結婚は?」 高城が、遠慮なく踏み込んでくる。二十代も後半になれば、結婚している人間も少なくない。「いや……。仕事が忙しくて、なかなか時間がなくて」「なんだよ、彼女もいねえの?」「うん……まあ。今は」「お前、モテそうなのにな」 高城は、にやにやしながら、また肩を叩いた。「俺なんてさ、もう結婚して、子どもふたりだぜ」 なんだ。自分の話がしたかっただけか。紡は内心で小さく肩の力を抜いた。自慢話なら、適当に頷いていればいい。それなら得意だ。「そうなんだ。すごいな」 慣れたふうに受け流すと、高城はますます上機嫌になった。「だろ? だろ?」と笑顔を振り撒いている。周りの友人たちは、半ば呆れ顔だ。もう、奥さんと子どもの惚気をさんざん聞かされたあとなのだろう。「ほら、見ろよ。うちの嫁と子ども。かわいいだろ?」 やっぱり、そうくるか。 紡が「ほんとだ」と相槌を打つと、高城は満足げに、ワインをぐいっと飲み干した。 
last updateLast Updated : 2026-06-05
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第三十三話 お前、白瀬見てたよな

 酔っ払いの声は、どうしてこんなにも大きいのだろう。ざわつく会場の中でも、高城の声だけがひときわ大きく響いた。「有馬、お前、あのころさー、ずっと白瀬、見てたよな!」 陽気な声が、会場じゅうの注目を、一気にさらっていく。あちこちで、笑いが起きた。有馬と紡の高校時代を知っている連中だ。「確かに! 有馬、いっつも白瀬ばっか見てたわ」「あれって、そうだったの?」「告っちゃえばよかったのに」 会場がふたりの話題でにわかに沸いた。事情を知らない人間まで、「なになに? どういうこと?」と、首を突っ込んでくる。 無責任な好奇心が、あちこちからふたりに向かって伸びてくる。悪気は、たぶん、ない。それがよけいに、たちが悪かった。誰も本気で紡や有馬の十年を知ろうとはしていない。ただ、その場のひとときの肴にしているだけだ。 紡は、有馬の顔を見た。 その顔から、一瞬、表情が抜け落ちた。血の気がすっと引いている。けれど、すぐに、いつもの笑顔に戻った。いつもの笑顔に戻った。だが、その立て直しは普段よりわずかに遅かった。コンマ何秒かのためらいだった。長く有馬を見てきた紡にしかわからない遅れだった。グラスを持つ手の甲に、薄く筋が浮いている。それだけ力が入っているということだ。 その様子を見て、紡は息を呑んだ。 この流れは、まずい。このままでは、自分と有馬がこの大勢の前でまとめてからかいの的にされる。 どうしよう。 頭の中が真っ白になって、なにも考えられない。周囲の笑い声がまるで薄い膜の向こうにあるように、遠くくぐもって聞こえた。 周りは、ただ笑っている。十年前の冷やかしの続きのつもりで。彼らにとってこれは、軽い昔話の肴にすぎない。けれど、紡にとっては違う。「有馬が白瀬を見ていた」というその一言は、十年、紡が見ないふりをしてきたものにまっすぐ触れていた。もし、それが本当だったら。もし、有馬もあのころ自分と同じものを抱えていたのだとしたら。そこまで考えて、紡は慌てて思考に蓋をした。期待すれば、そのぶん否定されたときがこわい。考えるな。期待するな。十年、そうやって自分に言い聞かせて
last updateLast Updated : 2026-06-06
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第三十四話 終わった話、という終止符

 有馬は、紡の声が届かなかったかのように、歩き続けた。紡が、もう一度、声をかけようと口を開いたとき、有馬の歩調が、ゆっくりとゆるみ、止まった。街灯の光が、有馬の足元に、ぼんやりとした影を、落としている。 有馬は、紡に背を向けたまま、動かない。紡も、数歩離れたところで、立ち止まった。 会場の喧騒は、もう、ここまでは届かない。さっきまで、あれほど騒がしかったのに、この路地だけ、世界から切り取られたように、静かだった。遠くで、車が一台、通り過ぎていく。その音が過ぎ去ると、また、しんと静まり返った。ふたりのあいだに横たわる沈黙が、夜の冷たさと一緒に、少しずつ、濃くなっていく。 酒が少し入った状態で走ったせいか、息が上がっていた。たくさん飲まなくて、よかった。こんなときにまで、そんな打算が働く自分が、少し、おかしかった。 息を吐くと、白い筋になって、夜に散った。「有馬――」 紡は、静かに、有馬を呼んだ。声は小さい。それでも、この距離なら、届くはずだ。それなのに、有馬は振り返らない。聞こえているはずだと自分に言い聞かせながら、紡は言葉を続けた。「高城が、さっき言ってた、あれ――」「やめろ」 有馬は、振り返らないまま、紡の声を、遮った。低く、地を這うような声だった。その一言に氷のような冷たさがにじんでいた。 これ以上踏み込むのは無理かもしれない。紡は唇を噛んだ。 背を向けた有馬の肩が、かすかに強張っているのがわかった。拒んでいる。はっきりと拒まれている。その背中は近づくな、と言っていた。それでも、その肩がほんの少し震えているようにも見えた。寒さのせいなのか、それとも。そこまで考えて、紡はまた期待しかけた自分に気づいた。 ――でも。 なんのためにここへ来たのか。嘘までついて会場を抜け出して、有馬を追った。それは、一歩踏み出すためだったはずだ。ここで引いたら、十年前と同じになる。同じことをもう一度繰り返すだけだ。「本当は、俺のこと――」 そこまで言って、紡は喉の奥が締めつけられるのを感じた。喉がくっついたようで、その先の声が出ない。
last updateLast Updated : 2026-06-07
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第三十五話 十年前と同じこと

 電車に揺られながら、紡は自宅マンションへ帰るつもりでいた。けれど、このまま帰ってもどんよりとした気持ちは晴れない。暗い部屋にひとりきりで天井を見上げる夜が、もう目に浮かんでいた。それに耐えられる気がしなかった。 気づけば紡は、途中の駅で電車を降りていた。改札を抜けて足が向かった先は自宅ではない。水瀬の家だった。頭で決めるより先に、足のほうが行き先を選んでいた。 土曜日の二十三時。連絡もなしにこんな時間に訪ねるなんて、非常識だ。それはわかっている。わかっていても足は止まらなかった。同窓会の帰り道で泣いた頬が、夜風に乾いてひりひりと痛む。その痛みだけが、さっきまでの出来事が現実だったのだと、紡に教えてくる。瞼の裏には、街灯の下でこちらに背を向けたまま動かなかった有馬の姿が、まだ焼きついていた。走ったせいで上がった息は、とうに落ち着いている。なのに胸の奥のざわめきだけが、いつまでも引かなかった。 水瀬のマンションのエントランスに立ち、部屋番号を押そうと指を伸ばした。一瞬、躊躇した。本当に、このまま頼ってもいいのだろうか。こんな顔を、こんな時間に、見せてもいいのだろうか。けれど、紡には他に頼れる人がいなかった。思い切って番号を押した。『紡?』 インターホンから、水瀬の驚いた声が返ってきた。はっきりとした声だった。寝ていたわけではないと、すぐにわかる。 紡はカメラに向けて顔を上げた。スピーカーの向こうで、息を呑む音が聞こえた気がした。『入れ』 水瀬は短くそれだけ言って、解錠してくれた。 エレベーターに乗り、水瀬の部屋の階まで上がる。鏡面のパネルに映る自分の顔は、泣き腫らして無残だった。それでも、いまさら取り繕う気にもなれなかった。 玄関の前まで来てインターホンを押そうとした。けれど、その前に内側から扉が開いた。「ごめん。急に」「いいから、入れ」「うん……」 紡は玄関に足を踏み入れた。コートを脱ごうとして、その手が途中で止まった。「うっ……うっ……うわ
last updateLast Updated : 2026-06-08
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第三十六話 インターホンの向こう

 深夜一時半。紡はタクシーの後部座席から、窓の外を見ていた。 意識ははっきりしている。ただ、自分の意思で有馬のもとへ向かっているという確かな感覚だけが、頭の芯に灯っていた。ほんの数時間前、紡は同じ夜の街を、有馬から逃げるように走っていた。涙で前も見えないまま、ただ駅へ向かって。それが今は、まっすぐ、有馬のところへ戻ろうとしている。同じ夜のなかで、進む向きだけが、正反対になっていた。 週末の土曜日。いや、もう日付が変わっているから、正式には日曜日か。そんなどうでもいいことを考えてしまうのは、たぶん、緊張のせいだった。 夜の東京は、昼間の姿が嘘のように静まり返っている。すれ違う車は、昼間ほど多くはない。一台、また一台と、間をおいて通り過ぎていく。そのたびにヘッドライトが、紡の顔を白く照らした。光に浮かんだ窓のなかの自分の顔には、決意のようなものが滲んでいた。自分の顔を見て、いい顔だと思えるほどだった。 もちろん、よく見られた顔ではない。泣き腫らしたあとで、目は赤く腫れている。それでも、ガラスに映る顔には、やり遂げるという意気込みがたしかに見て取れた。 どの店もシャッターを降ろして、ひっそりとしている。街は、もう眠りについていた。そのなかを、紡はひとり、これから有馬の家へ向かう。 一度しか行ったことのない、有馬の家。けれど、そこへ至る道筋は、頭のなかにしっかり刻まれていた。一度しか通っていない道を、どうしてこんなに覚えているのだろう。どれだけ有馬のことが好きなんだと、自分で自分を笑いたくなる。笑いながら、少しだけ泣きたくもなった。 ついさっきまで、紡は水瀬の部屋で泣いていた。それなのに、こうして向かう先を自分で決められたのは、間違いなく水瀬が背中を押してくれたからだった。がんばれよ、という低い声が、まだ耳の奥に残っている。 しばらくすると、タクシーは減速して、ゆっくりと止まった。有馬のマンションに着いたのだ。 支払いを済ませてタクシーを降り、紡はマンションを見上げた。飾り気のないグレーの建物。真夜中に見上げると、敵を寄せつけない要塞のように見えた。あの高さのどこかに、有馬がいる。そう思うだけで、胸の奥が、きゅっと縮んだ。吐い
last updateLast Updated : 2026-06-09
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第三十七話 好きだ、という言葉

 自分で決めたことなのに、上がり框を越えただけで足が震えていた。どうしてだろう、と紡は思う。 有馬の後ろ姿を見ながら、ついていく。一歩踏みだすたびに、まるで氷の上を歩いているみたいに、身体の熱が奪われていくようだった。 自分で決めたことじゃないか。なにを今さら、おじけづいているんだ。 そう自分を叱咤する。けれど、足はガクガクと頼りなく震え、指先も小刻みに震えていた。紡はそれを隠すように、左手で自分の右の二の腕を握りしめた。「ソファに座って」 そう言うと、有馬はキッチンへ向かった。「……うん」 紡は言われたままソファに座った。この前と同じ場所だった。ここで、年末に、キスをした。 目を閉じると、あのときのことが鮮明に蘇る。有馬の息遣い、心臓の音、手のあたたかさ。そのすべてを本当は受け入れたかった。それなのに、口では、まるで違うことを言ってしまった。 今度こそ、間違わない。そのつもりで、この部屋に入ってきたのだから。 本当のことを伝えるのは、こわい。自分の気持ちを口にすることで、有馬との関係が壊れる場面を、何度も想像してきた。そのたびに、好きだという気持ちを、恐怖が奥へ奥へと押し込めてしまった。 友達でいいじゃないか。 何度、自分にそう言い聞かせたことだろう。友達として、有馬の横に立てれば、それでいいじゃないか。 けれど、有馬の一挙手一投足が気になってしまう自分は、友達としてはとっくに失格だった。有馬に一歩近寄られると、その分だけ後ろに下がり、一定の距離を保とうとしてしまう。半歩の距離を、いつも自分から作ってしまう。もう、そのことに、ほとほと疲れていた。「お待たせ」 香ばしいコーヒーの匂いに、現実へ引き戻された。目を開けると、有馬が紡の前にマグカップを置いた。コト、と硬い音がした。「ごめん。コーヒーにしたけど、ビールのほうがよかったか?」「ううん。コーヒーがいい。ありがとう」 今から大切な話をするのだ。酔った勢いで言ったのだと、有馬に思われたくはなかった。
last updateLast Updated : 2026-06-10
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第三十八話 プロジェクトは、偶然じゃない

 これは、夢ではないだろうか。 朔也は、自分の腕のなかで静かな寝息を立てている紡を、じっと見つめた。どれだけ見ても飽きないその顔は、まるで安心しきっているようだった。紡は朔也の背中に腕を回し、ぎゅっと抱きしめていた。 ――紡、かわいすぎるだろ……。 朔也は口元をゆるめた。にやけているのが、自分でもわかる。 昨日、朔也は長年想いを寄せてきた紡に、「ずっと好きだった」と言われた。もう友達でいることさえできないと、覚悟していたのに。それなのに紡は、友達以上の気持ちを、ずっと朔也に向けてくれていたのだ。 これまで、何度も失敗してきた。紡から距離を縮められると、自分の気持ちが知られてしまうのではないかという恐怖で、いつも先に遠ざかった。高校のとき、高城に「付き合ってるの?」と訊かれた。すると紡は「そんなんじゃないよ」と否定した。あれを、紡が朔也のことをそんなふうには想っていない証拠だと、ずっと思い込んできた。 だから、紡をあきらめるために、連絡先を全部消してアメリカまで行った。父の赴任についていく形を選んだのは、半分は、紡から物理的に離れたかったからだ。それだけ遠くへ行けば、忘れられると思った。けれど、海を越えても、紡のことは忘れられなかった。 再会してから、何度も気持ちが溢れた。こらえきれずキスをしてしまった夜には、ひどく後悔した。これでもう、紡の横に親友として立つことさえできなくなる、と。 やってしまったことは、取り返しがつかない。どれだけ悔やんでも、涙を流しても、結局はあきらめるしかないと思っていた。 それなのに。「紡。お前、強いな……」 昨日の熱が嘘のように冷えきった部屋に、朔也の呟きが溶けていった。動いたのは紡ではなく、朔也のほうだったのに。先に踏み込む勇気を持てなかった自分が、今は少し、恥ずかしかった。 耳を澄ますと、静まり返った街の遠くで、始発電車の走る音がかすかに聞こえた。空が白んできたのか、カーテンの隙間から、青白い光が差し込んでいる。その光が、紡のまつ毛に、薄い影を落としていた。 十年前、修
last updateLast Updated : 2026-06-11
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第三十九話 再会も、偶然じゃない

 なぜ笑っているのか、自分でもわからなかった。 ただ、心の奥底から、じわじわと温かさが湧き上がってくる。それが、口元をゆるめさせていた。 ――なんだ。朔也も、同じことをやっていたのか。 朔也の告白を聞きながら、紡はこらえきれずに笑っていた。朔也は、会いたくて、そばにいたくて、少しでも機会がほしくて、仕事を利用した。卑怯だと自分を責めながら。 それは、手段こそ違え、紡が十年かけてやってきたことと、まったく同じだった。同じ恐怖を抱えて、同じように遠回りをして、それでも相手のそばへ行こうとしていた。互いに、相手は自分を好きではないと思い込んだまま。だから、笑ってしまったのだ。おかしいからではない。あまりにも、似ていたから。十年、すれ違っていたつもりで、ずっと鏡みたいに同じことをしていたのだ。滑稽で、それでいて、泣きたくなるほどいとおしかった。 紡はコーヒーをひと口飲んで、カップをテーブルに置いた。鼻腔を、苦い香りが満たす。テーブルの木目を、じっと見つめた。 朔也は、紡に会うためにしたことを、洗いざらい打ち明けてくれた。だったら、自分も話さなければ、フェアではない。十年隠してきた秘密を、今度は、自分の口から。紡は、静かに口を開いた。「……実は、俺も……」「……え?」 声が小さすぎて、聞こえなかったのだろうか。紡は顔を上げて、朔也を見た。しっかりと、目を合わせる。あの夜が偶然ではなかったと知ったら、朔也は、紡を気味悪く思うだろうか。せっかく両想いになれたのに、急に、不安が押し寄せてくる。 それでも、ここで黙ったら、朔也の勇気に応えられない。打ち明けてくれた朔也に、自分だけ隠しごとを残すのは、ずるい。紡は大きく息を吸って、言葉を押し出した。「あの夜、駅で再会した日。あれ、偶然じゃないんだ……」 とうとう、言ってしまった。 恐る恐る、朔也の顔をうかがう。朔也の表情は、凍りついていた。 ――こいつ、ヤバいやつだと思われたかな…&he
last updateLast Updated : 2026-06-12
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第四十話 今度は、偶然に頼らない

 朔也と手をつなぐ。指を絡めてぎゅっと握りしめると、じんわりと手のひらに汗をかいているのがわかった。 緊張しているのではない。ただ、朔也のぬくもりを、手のひらいっぱいに感じていたかった。 朔也が、紡の手を引いて、ベッドルームへ向かう。昨日とは違う、ゆっくりとした足取りで。慌てる必要も、急ぐ理由も、もうなかった。 そこへ向かえば、なにをするのかはわかっている。考えただけで、腹の奥が、ずくりと疼いた。身体が、勝手に期待している。けれど、その期待に、昨日のような怯えはもう混ざっていなかった。今日は、逃げる場所を探さなくていい。ただ、向かう先に、朔也がいる。それだけで、足は迷わなかった。 ベッドルームに入った途端、朔也が紡を抱きしめてきた。そこに、焦りはひとつもない。ただ、互いの体温を確かめたいという想いだけが、静かに溢れていた。 紡も、朔也の背中に腕を回し、力を込めた。心臓の鼓動が布越しに伝わってしまうのではないかと思うほど、胸が高鳴っている。それでも、構わなかった。きっと朔也も、同じだから。「紡」 耳元で、名前を呼ばれた。顔を上げると、息がかかりそうな距離に、朔也の顔があった。 朔也の顔が、ゆっくりと近づいてくる。唇が、重なった。互いの気持ちを確かめるような、やさしいキスだった。昨夜のキスが十年分の飢えだったなら、このキスは十年分の答え合わせだった。触れるたびに、ひとつずつ、意味が宿っていく。じんわりと、心の奥に火が灯った。まさか朔也と気持ちが通じ合う日が来るなんて、思ってもみなかった。 角度を変えて、啄むようにキスをする。チュッと音がするたびに、身体の芯が熱くなった。 ――好きだ。好きだ。好きだ。 唇を合わせるたびに、十年言えなかった気持ちを込める。朔也も、それに応えてくれた。同じ想いだったことが、心の底からうれしかった。 朔也の背中に腕を回す。背骨の窪みに沿って手のひらを這わせると、朔也の身体が、びくりと震えた。朔也も、感じてくれている。それだけで、胸が震えた。 朔也は、紡の髪に指を梳き込んで、後頭部に手のひらを当てた。自分のほうへ引き寄せると、キスが、深
last updateLast Updated : 2026-06-13
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