外に出ると、浅井さんは何も言わずに歩き出した。置いていかれるほど速くはない。でも、並べとも言わない。その距離が、少しだけ楽だった。ビルの裏手に出ると、人通りはまばらになる。「さっきの続きだけど」浅井さんが言う。「伊藤が気にしてたこと」「……はい」「今の時点で全部は分からない」あっさりとした口調。「ただ、仮説はある」仮説。その言葉に、自然と背筋が伸びる。「聞きたいです」少し歩いた先で、浅井さんは足を止めた。「まず前提」振り返らずに言う。「今回の。データの改竄も含めて、伊藤の異動処理は早すぎる」「……私もそう思います」「理由は?」試されている。そう感じた。でも、不思議と嫌ではない。「準備されていたように見えました」言葉を選びながら続ける。「後任も、席も、全部」「発表のあとに決めたというより、前から決まっていた感じがします」「だから私的関係は理由じゃなくて、使われた」浅井さんが小さく頷く。「そうだと思う」短い一言。それだけで十分だった。「伊藤のレポートは、前から見てる」不意に言われて、少しだけ驚く。「……見てたんですか」「本社の週次と、プロジェクトの分析資料。あひるのに関連する内容も、たまたま多かった」淡々と続ける。「伊藤の資料は、数字の拾い方が正確すぎる」視線は前のまま。「都合よく読まないし、ズレをそのまま出す」「……普通だと思ってました」「普通じゃない」即答だった。「会社で評価されるのは、使いやすい数字だから」その言葉に、少しだけ苦くなる。「伊藤のは、使いにくい」「だから価値があるはずなんだよ、本来は」その言い方が、この人らしい。褒めているのに、温度は低い。でも、誤魔化していない。「……ありがとうございます」少しだけ視線を落として言う。「で」浅井さんはすぐに戻る。「伊藤が異動しなければいけなかった理由」「……分析ですか」「可能性は高い」断定しない。でも外さない。「数字の“使い方”と、本社が求めている方向性が合わなかったんだと思う」昨日の言葉が浮かぶ。バランス。タイミング。調整。——繋がる。「樹も...似たことを言ってました」「だろうね」浅井さんは驚かない。「彼は何か知ってますよね」「知ってる側だと思う」その一言が、少しだけ重い
Last Updated : 2026-04-29 Read more