All Chapters of 御曹司の妻を辞めた日、私は社長になった〜久世家を出た元嫁は、格上エリートと人生を再建する: Chapter 101 - Chapter 110

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9.答えられない数字

莉奈が席につくと、会議室の空気が少し変わった。モニターにはまだKUZÉ ma vieのロゴが残っている。淡い色。細い文字。明るい写真。先ほどまでそこにあったのは、これから始まるブランドの話だった。誰に届けるか。どう見せるか。何を感じてもらうか。そこから先を確認するため、鷹宮は手元の資料を開いた。「では、いくつか数字を確認させてください」怜央が姿勢を正す。「はい」莉奈も鷹宮を見る。宗一郎は腕を組み、少し背もたれに体を預けた。美緒だけは視線を下げたままだった。ただ、手元に置いている資料の位置が変わっている。先ほど開いていた売れ残り率別損益。その上に、商品別収支。横にはEC関連資料。鷹宮はそこを一度だけ見た。そして、莉奈へ向いた。「まず、百貨店催事についてです」「はい」「初回分として予定している数量のうち、三割が催事終了時点で残った場合、どうしますか」莉奈はすぐに答えた。「ECへ回します」迷いはなかった。想定していた質問なのだろう。「全商品ですか」「いえ。賞味期限の短いものは難しいので、焼き菓子やジャム、調味料を中心に」「では、その分をECで消化する」「はい」「どのくらいの日数を見ていますか」莉奈がわずかに止まった。「日数?」「在庫消化までです」鷹宮は資料をめくらずに続けた。「現在のEC転換率を前提にした場合、催事残在庫の三割を何日で消化できますか」莉奈の視線が一瞬、手元の資料へ落ちた。答えは出なかった。「そのあたりは」莉奈が怜央を見る。「ECの数字と合わせて計算していると思う
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10.家内が少し

「最後に一つ、確認したいことがあります」鷹宮が言うと、会議室の視線が集まった。先ほどまでモニターに映っていたKUZÉ ma vieのロゴは消えている。残っているのは、白い画面だけだった。華やかな写真も。柔らかなコピーも。地域の風景もない。鷹宮は手元にあった補足資料を、机の中央へ移した。商品別粗利。初回ロット別試算。在庫残存率別の損益。百貨店催事とECの振り分け。継続。要見直し。停止。何度も目を通したページを、一枚ずつめくる。久世物産の四人は黙ってそれを見ていた。莉奈は、何を聞かれるのか考えているようだった。怜央はわずかに姿勢を直した。宗一郎には、特に身構えた様子はない。美緒だけが、鷹宮ではなく資料を見ていた。鷹宮は最後に、商品別の収支修正案を開いた。「この資料です」怜央が覗き込む。「収支の補足ですね」「はい」鷹宮は資料に指を置いた。「この収支修正案を作成したのは、どなたですか」短い沈黙が落ちた。答えにくい質問をしたつもりはなかった。作成者を確認しただけだ。それでも、すぐに名前は出なかった。莉奈が怜央を見る。怜央はその視線を受け、少し考えるように資料を見た。宗一郎は、なぜ鷹宮がそこを気にするのか分からないという顔をしている。美緒は動かなかった。ただ、膝の上に置いた手の指先だけが、わずかに重なった。「それなら」怜央が言った。そして、何でもないことのように隣の後方を示す。「美緒です」予想していた答えだった。それでも鷹宮の視線は、はっきりと美緒へ向いた。美緒が顔を上げる。
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11.それは手伝いではありません

鷹宮は、商品別収支の最初のページを開いた。「では、初回ロットについて伺います」美緒の肩が、わずかに固くなった。質問されることを拒んでいるのではない。自分が答える立場に置かれたことへ、まだ慣れていないように見えた。鷹宮は急かさなかった。「三つの案に分けていますね」資料には、商品ごとに三種類の発注数量が記載されている。楽観案。標準案。慎重案。単純に全商品の数量を同じ割合で増減したものではない。商品によって、三案の差が大きいものもあれば、ほとんど変わらないものもある。「はい」美緒が答えた。「なぜですか」美緒は一度、資料へ目を落とした。答えを探しているのではない。どこから話すべきかを考えているようだった。「初めての催事ですので、どの商品がどの程度動くか、まだ正確には分かりません」「だから三つに分けた?」「それだけではありません」答えは、鷹宮が予想していたより早かった。美緒は続ける。「商品によって、売れ残ったときの扱いが違います。賞味期限が短く、催事後に値引きしても消化が難しい商品は、初回を抑えた方がいいと考えました」鷹宮は低糖質和菓子の欄を見る。三案の差が大きい。「この和菓子ですね」「はい。見た目は華やかですし、試食で反応が取れれば販売数は伸びると思います。ただ、賞味期限が短いので、強気の発注をすると、催事が不調だった場合の損失が大きくなります」莉奈が口を挟んだ。「でも、あれはメインにしたい商品なんです。写真でも一番反応がよかったから」「はい」美緒は莉奈の意見を否定しなかった。「ですから、商品を外すのではなく、最初の数量だけ抑える形にしました。催事中に追加できるか、製造元にも確認しています」鷹宮は資料の注記を見た。追加
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12.久世美緒

会議が終わると、張りつめていた空気が少しだけ緩んだ。三崎が今後の連絡手順を確認し、怜央が次回までに提出する資料をメモする。宗一郎は椅子から立ち上がり、ジャケットの前を整えた。「本日は、率直なご意見をありがとうございました」「こちらこそ、ありがとうございました」鷹宮も立つ。「追加で確認したい事項については、一覧にしてお送りします」「承知しました」宗一郎は穏やかに応じた。先ほどまで、美緒の仕事をどう扱うかという話をしていた。しかし宗一郎の表情には、それを問題として受け取った様子はほとんどない。外部の専門家が、嫁の働きを少し高く評価した。その程度に収めたのかもしれない。鷹宮には、まだ分からなかった。莉奈はノートパソコンを閉じながら、美緒へ顔を向けた。「美緒さん、さっきの継続基準のところ、あとでもう一度見せて」「分かりました」「私、数字のところは本当に苦手だから」莉奈は悪びれずに笑う。「美緒さんが得意でよかった」美緒も、小さく笑った。「私も、見せ方のことは莉奈さんに教えてもらっていますから」自分の仕事を認められた直後でも、美緒は相手の長所を先に口にした。謙遜というより、そうすることが身についているように見えた。どちらが上かを決めたくないのか。自分だけが評価される状況を避けたいのか。あるいは単純に、莉奈の能力を正しく見ているだけなのか。鷹宮には判断できない。ただ、莉奈の言葉には悪意がなかった。美緒を下に見ているというより、自分にはできないことを頼める相手として信頼している。その信頼と、仕事に名前をつけることは、莉奈の中では別のものなのだろう。怜央がスマートフォンを確認しながら言った。「美緒、追加資料の一覧が来たら、先に見ておいてくれる?」「はい」
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13.また消えた名前

初回面談から四日後の午後、久世物産から追加資料が届いた。三崎が共有フォルダへ格納したのは、午後二時を少し過ぎた頃だった。鷹宮は別案件の資金繰り表を確認していたが、画面右下に通知が出ると、作業中のファイルを保存した。送られてきた資料は七点。KUZÉ ma vie事業計画修正版。商品別収支計画。初回発注数量案。催事終了後在庫処理案。EC販売移行計画。取引先別生産対応表。事業継続判断基準。前回の面談で確認を求めた内容は、ひと通り揃っている。作業は早い。期限まで、まだ二日あった。鷹宮は最初に、事業計画書の表紙を開いた。淡い色のロゴ。KUZÉ ma vie。その下に、提出元と担当者が記載されている。久世物産株式会社。新規事業担当 久世莉奈。確認 専務取締役 久世怜央。鷹宮は画面を見たまま、少し待った。それ以上の記載はない。作成者欄も。修正担当者欄も。美緒の名前もなかった。ページをめくる。一枚目はブランド概要。二枚目は顧客像。三枚目は商品構成。ここまでは莉奈の企画だと分かる。文章や写真の使い方も、面談で聞いた説明と一致していた。その次から、資料の性質が変わる。初回投資額。費用区分。商品別粗利。販促費の配賦。催事終了後に在庫が三割残った場合の処理。ECへ移行する商品と、値引き販売を優先する商品の区分。継続。要見直し。停止。前回、会議室で美緒が説明した判断が、そのまま反映されている。鷹宮は商品別収支計画を開いた。作成欄には、久世物産株式会社。
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14.もう一度、久世さんを

次回面談の日程案が届いたのは、その翌日の夕方だった。鷹宮は執務室で別案件の報告書を読んでいた。地方の食品卸会社。売上は横ばい。利益率は三年連続で低下。倉庫の統廃合案について、現場側と経営側の試算が一致していない。数字を追っていると、画面の右下に三崎からの通知が出た。久世物産・次回面談候補日および出席予定者。鷹宮は開いていた報告書を保存した。急ぐ必要はない。それでも、通知を後回しにはしなかった。共有された日程調整表を開く。候補日は三つ。いずれも翌週。久世物産側の出席予定者が、その下に記されている。専務取締役 久世怜央。新規事業担当 久世莉奈。商品部課長。経理担当者。EC担当者。以上。鷹宮は一覧を上から下まで確認した。一度閉じ、もう一度開く。記載は変わらない。久世美緒の名前はなかった。予想していなかったわけではない。先ほど確認した追加資料にも、美緒の名前は一つもなかった。久世物産の中では、初回面談で美緒が答えたことも、鷹宮が作成者として評価したことも、正式な役割変更にはつながっていない。面談が終われば、彼女は専務の妻へ戻る。次回の出席者を決める際には、会社の人間ではないという理由で外される。ただし、彼女が作った資料は会社の資料として使われる。鷹宮は出席予定者の欄を見たまま、内線を取った。「三崎さん、少しよろしいですか」「はい。すぐ伺います」三崎が入ってきたのは、二分ほど後だった。手にはタブレットを持っている。「次回面談の件ですね」「はい」鷹宮は画面を三崎の方へ向けた。「先方の出席予定者です」三崎が一覧を確認する。美緒の名
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15.外では業務になります

会議室は、駅から少し歩いたところにあるビジネスラウンジの一室だった。壁の一面がガラス張りになっている。外には共用の作業スペースがあり、ノートパソコンを開いた利用者や、資料を抱えて行き交う会社員の姿が見えた。白いテーブル。黒い椅子。壁面モニター。小さなホワイトボード。水のボトルと紙コップ。久世物産の役員会議室にあった重厚な長机も、創業者の写真も、社訓の額もない。久世家の応接室にある、座る位置だけで序列が分かるような調度品もなかった。ここにあるのは、仕事をするために必要なものだけだった。鷹宮は開始時刻の十五分前に入り、モニターへの接続と資料の配置を確認した。三崎は会議室の外にある小さな作業席で、久世物産から届いた追加資料を開いている。ガラス越しに目が合うと、三崎がタブレットを持ち上げた。準備はできているという合図だった。今回、久世物産から出席するのは三人。久世怜央。久世莉奈。そして、久世美緒。鷹宮が正式に出席を求めた資料作成者だった。開始時刻の五分前、ラウンジの入口に三人の姿が現れた。怜央が先頭を歩いている。その後ろに莉奈。美緒は最後だった。受付で来訪手続きを済ませ、案内を受けて会議室へ向かってくる。美緒の腕には、資料の入ったファイルが抱えられていた。鷹宮は立ち上がった。三崎がガラス扉を開ける。「本日はお越しいただき、ありがとうございます」「こちらこそ、お時間をいただきまして」怜央が代表して答える。莉奈も明るく頭を下げた。美緒は二人より半歩遅れて、「本日はよろしくお願いいたします」と挨拶した。前回と同じ、控えめな声だった。ただ、以前よりも硬さが少ない。濃紺のワンピースに、淡いグレーの
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16.自分のための資料

外部会議室での面談から三日後、鷹宮は一通のメールを書いていた。宛先は、久世美緒。件名は、事業計画書について。起業を勧めるためのメールではない。久世物産を離れるよう促すものでも。美緒の現在の生活について、何かを尋ねるものでもなかった。前回の面談で示した選択肢を、美緒自身が比較できる形にする。そのために必要な、最初の作業を伝えるだけだった。鷹宮は本文を読み返した。先日お話しした件ですが、もし事業として考えるなら、まずは提供できる価値を一覧化してみてください。事業計画書の形式でなくても構いません。対象顧客、提供内容、これまでの経験、創業動機を簡単に書くだけでも十分です。最初から完成させる必要はありません。むしろ初稿で構いません。短い文章だった。起業するべきだとは書いていない。いつまでに提出してほしいとも。完成したら必ず見せてほしいとも書いていない。美緒が書き出した結果、事業にはできないと判断する可能性もある。現在の生活を続ける方がよいと考えるかもしれない。それも選択だった。鷹宮が決めることではない。メールには、久世家という言葉を一度も入れていなかった。前回の面談で、美緒がどのような扱いを受けているのか、仕事上確認できた事実はある。社員ではない。正式な役職もない。それでも、事業計画の中核となる資料を作っている。成果へ名前が残らない。それを本人も、手伝いや整理と表現する。だからといって、鷹宮が久世家を批判すれば、美緒の選択へ影響を与える。そこを離れることが正しいと、外部の人間が決めることはできない。鷹宮が伝えられるのは、美緒の能力が外でも仕事になるという事実だけだった。鷹宮はもう一度文面を確認し、送信した。返信は、その日の夜に届いた。あ
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17.動機と理念

「創業動機と理念です」鷹宮が答えると、美緒の視線が二つの見出しの間を動いた。創業動機。事業理念。美緒は、すぐには言葉を返さなかった。先ほどまで、料金や業務範囲について指摘されたときには、問題点を理解するとすぐに手帳へ書き込んでいた。今回は、ペンが動かない。自分では、二つを分けて書いたつもりなのだろう。鷹宮は創業動機のページを指した。「こちらには、なぜこの仕事を考えたのかが書かれています」「はい」美緒の声は少し掠れていた。「銀行勤務時代に、良い商品や技術を持ちながら、採算や販路の問題で事業を続けられなくなる会社を見たこと」鷹宮は文章を追う。「久世物産では、部署ごとに分かれていた情報をつなげることで、初めて事業全体の問題が見えたこと」「はい」「自分の仕事が、正式な仕事として扱われなかったこと」美緒の指先が、手帳の端に触れた。鷹宮は続けた。「資料に名前が残らず、自分が行った判断を別の人間の仕事として説明されたこと」会議室の空気が、わずかに変わった。美緒は顔を上げなかった。窓の外では、夕方の光がビルの間へ落ち始めている。室内の照明はすでについていたが、まだ窓から入る光の方が強い。「それを悔しいと感じた」鷹宮は言った。「だから、自分の能力を外で通用する形にしたいと考えた」美緒の喉が小さく動いた。「違いますか」「いいえ」しばらくして、美緒が答えた。「違いません」自分の資料に書いたことだった。否定するつもりはないらしい。ただ、鷹宮の口から言葉にされると、文章で読むよりも直接的に届く。美緒の表情には、そう受け取った痕跡があった。鷹宮は次に、事業理念のページへ指を移した。「こちらには、小規模事業者
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18.踏み込んではいけない

美緒との面談を終えたあとも、鷹宮には二件の予定が残っていた。一件は社内の投資審査。もう一件は、地方企業の再建案に関するオンライン会議。いずれも予定どおりに進めた。資料を確認し。質問を投げ。不足している数字を指摘する。感情を挟む必要のない、いつもの仕事だった。最後の会議が終わったのは、午後九時を少し過ぎた頃だった。三崎が議事録の確認を終え、鷹宮の執務室へ入ってくる。「本日の予定は、以上です」「ありがとうございます」「明日の朝一番は、九時からです」「確認しています」三崎は机の端へ、今日の面談記録を置いた。美緒との相談に関するものだった。相談料の入金確認。相談時間。主な指摘事項。次回確認予定。事務的な情報だけがまとめられている。「久世美緒さんの面談記録も、共有フォルダへ保存しました」「はい」「資料そのものは持ち帰られていますので、こちらにあるのは鷹宮さんのメモだけです」「問題ありません」美緒が作成した事業計画書は、美緒のものだった。相談を受けたからといって、許可なく複製する必要はない。必要な内容は、鷹宮自身のメモに残している。三崎は扉へ向かいかけ、少しだけ足を止めた。「厳しく言いましたね」鷹宮は顔を上げた。「理念の件ですか」「はい」三崎も面談へ同席していた。美緒が傷ついたことも。それでも問いを書き留めたことも見ている。「必要な指摘です」鷹宮は答えた。「私も、そう思います」三崎はすぐに同意した。「ただ、久世さんは、もっと評価されると思って来ていたのかもしれません」「かもしれません」「少し意外だったでしょうね」
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