《愛されること~夫と義妹に殺されたので、今世では悪女になります》全部章節:第 71 章 - 第 80 章

89 章節

第70話 悪女誕生(2)

数秒の沈黙。そして。『ははっ』高らかな笑い声。『あり得ない』「本当です」『それなら騙されている』「騙されていません」恒一は全く信じていないようだった。『あいつがお前と婚約する理由がない』「理由ならあります」(理由があるのは“私”なのだけど)『遊ばれているだけだ』「違います」『そんなわけがないだろう。あの男が何も考えていないはずがない』実花は黙る。反論する気も失せた。すると、電話の向こうから恒一を呼ぶ美鈴の声が聞こえた。『すぐ行く』遠のいた恒一の声は柔らかかった。恒一が美鈴を大事にしていることは本当なのだろう。『実花』そのまま美鈴を大事にして、電話を切ってほしいと思った。『お前なんかと婚約しようというのは俺くらいなんだから馬鹿な冗談はやめろ。不愉快だ』恒一は吐き捨てるように言った。実花は何も言わない。ただ頭の中で“なんか”という音が不快に響いた。『それよりケーキを買ってこい。すぐにだ』 プツッ通話が切れた。車内が静まり返る。最初に口を開いたのは実篤だった。「なんだあれは」本気で怒っていた。「あんな男を好青年だと評価していたなんて」「これを参考に俺の評価を上方修正してくれるといいのですが」光也は淡々としている。「あれとこれは別だ。そもそも、一ノ瀬健の発言には君にも責任がある」実篤が光也を見る。「そんな派手な顔をしているから実花が遊ばれているなどと言われるんだ」(お父様、それは理不尽ですわ)実篤の光也に対する発言は完全にとばっちりだ。しかし。「そうですね」なぜか光也はあっさり頷いた。「認めるのか」「遊んでいそうと言われますし、実際に遊んでもいましたからね」「表現が逆だ。実際に遊んでいたなら、“いそう”ではなく正しい評価だ」「ところで」「話を変えるな」光也が実篤を見る。「料亭の予約は変更できますか?」「三人にしろというのか?」「それもありますが」(あるんだ……)光也の図々しさに実花は少し感心した。こんな場面でも当然のように自分の要求をする。でも恒一の要求とは違う。同じ“図々しい”でも、恒一には苛立ったが、光也には思わず笑いが零れそうになる。「世間に、実花さんのほうが俺を選ぶ立場なのだと知らしめるべきかと」「……ふむ」実篤は腕を組んだ。しばらく考える。
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第71話 お嬢様の常識(1)

翌日、学校の前に停まった車から降りた瞬間から実花は視線を感じていた。ため息を押し隠し、昇降口に向かう。そこでも視線。とにかく視線。下駄箱の向こうから、廊下から。誰も話しかけてくることはない。だが実花の視界にいる全員がこちらを見ている。(やっぱり……)理由は分かっている。昨日の騒ぎが原因、つまり自分および自分の関係者のせい。(特に、あれ)夕方の校門前という、下校する生徒がたくさんいるところ。そこで、何もなくとも注目を浴びる光也が「実花の婚約者に立候補した」という爆弾発言をした。女子校であんなことを言われれば話題にならないはずがない。何度も言うが、あの光也だ。(藤宮という名前に感謝だわ)注目を浴びてはいるが、誰も近寄ってくることはない。実花が最高学年というのもあるが、何よりも『藤宮家の令嬢』だからだ。過去のせいで女王としての地位が確立できていなくても、下級生たちからすれば雲の上の存在。好奇心はあっても突撃できる相手ではない。だが。「藤宮さん、おはようございます」クラスメイトは別。実花の所属する特進クラスの令嬢たちは実花と同等、少なくともその認識を実花は不満には思っていない。それを彼女たちも知っているから、遠慮がない。「昨日のお迎えの件なのだけれど」「東国様とはどういうご関係なの?」「本当にご婚約を?」上流階級に所属する家の令嬢らしく口調は上品、態度も優雅。しかし聞いてくる内容はゴシップ誌のそれと変わらない。「詳しく聞かせていただける?」目が輝いているクラスメイトたちを前に実花は少し考えた。父にも光也にも隠すなと言われている。情報は広め、あの東国光也が実花の婚約者であるという事実を確実にすることで恒一から身を守りやすくなる。だから隠
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第72話 お嬢様の常識(2)

どのようなことをお調べに?」実花の質問は彼女たちにとって意外だったが、よく考えれば納得もできた。藤宮家の一人娘として、好物件の男性たちが積極にアプローチしてくれる立場。それに―――全員が視線で会話をする。実花が恒一しか目に入れていなかったことは、この場の全員が知っていることだった。「そうですね。家族構成、学歴、交友関係は常識として、おすすめは趣味ですわね」「趣味を知ることで休日の過ごし方、ご交友関係、あとはお金の使い方なども分かりますわ」「趣味を知るのはお見合いのテッパンですが、テッパンになる理由があるのですわ」「私は嫌いな食べ物をお聞きするようにしています」「過去の恋愛遍歴を聞くのはあまりお勧めしませんね」「でも参考にはなりますわよ」彼女たちの会話に実花は目を丸くした。そんなことをしたことがない。前の生は恒一しか見ていなかったから、他の男性について知ろうと思ったことはなかった。「結婚は墓場、つまり我慢ばかりとなるということですが、『できる我慢』と『できない我慢』があると思いますわ」「猫派が犬派の家に嫁ぐようなものですわね」「私は家業の都合で多分海外の方に嫁ぎますが、和食に理解のある方がいいですわ」「味噌と納豆はハードルが高いと言いますわよ」「納豆なしは我慢できると思いますが、味噌なしは我慢できそうにありませんわ。毎日バターとクリームの生活は地獄です」「食事は毎日のことですから、好みが合ったほうがいいですわね」だんだん会話の内容が食事に移行していたが、その気持ちが実花にはよく分かった。前の生で実花は自分が和食党に関わらず、夫でなく義妹のために洋食三昧を強いられてきたのだ。「分かりますわ!」(東国さんにいろいろ聞いておくべきことができたわ)実花は考え込んだ。確かにそうかもしれない。趣味や好きなことは、人柄を知るには大切なことだ。光也の趣味を知らない。好きなことも知らない。休日に何をしているのかも知らない。知らないなら、聞いてみればいい。積極的に考えられるようになった自分の変化に実花はまだ気づかない。◇◇◇光也の会社でバイトをする火曜日。「東国さん」「何だ?」タイミングを計って声をかけたとはいえ、実花の問い掛けにすぐに応えてくれる光也。手も止めてくれている。「趣味は何ですか?」「突然だな」「
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第73話 怖いのはあなたじゃない

 『君を堕とすのが俺の目標だからだ』光也の言葉に、実花は言葉を、思考さえも奪われた。(なにを……)言っているのだろう。この人は。あまりにも自然に、さらりと言った。呼吸をするように。自分の言葉が持つ破壊力を理解していないかのように。言葉はまだ失われたままだが、感情が戻ってきて心臓がドクリと大きく跳ねる。痛いほど心が揺れて、痛みが前の生を思い出させる。東国光也は、多くの女性の憧れだった。SNS上では彼の名前とハートマークは必ずセットで、彼への賛辞は何度も読んだ。光也と一夜を共にしたという女性は羨望の対象だった。当時の実花も、彼が魅力的な男性であることは分かっていた。容姿とか、社会的地位の高さとか、資産や将来性とか、そういう魅力なのだと思っていた。でも、それは違うのだと今なら分かる。正確にはそれらは東国光也の魅力の一部で、キッカケでしかなくて。(本筋は、きっとこっち)こんなことを自然に言うところ。特別扱いだと感じさせるところ。真っ直ぐにこちらを見るところ。(こんな人に恋をしないほうが難しい)そして。(こんな人に恋をしたら、きっと、この人しか見えなくなってしまう)この人の言葉で笑い、この人の機嫌で泣き、この人が世界の中心になる―――そんな気がした。(恋などしたくない)実花は無意識に拳を握った。恋は死だと前の生で学んだ。恒一を愛した。愛したから、恒一しか見えなかった。愛したから、嫌われたくなくて、捨てられたくなくて、必死に恒一に縋った。そして殺された。心も、人生も、最後には身体も―――全部奪われた。(もう二度と、恋でなんて死にたくない)「何を考えている」不意に声が降ってきた。実花ははっと顔を上げる。
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第74話 休日の二人

土曜日の朝、ダイニングへ入った実花は思わず足を止めた。「お父様?」そこには新聞を読んでいる実篤がいた。土曜日だが今日も仕事だと聞いている。そして、普段ならもう出社している時間だ。「どうされたんですか?」「別に」実篤は新聞から目を離さないまま言った。別にという雰囲気ではない。実花は言葉の続きを待った。「本当に東国君と出かけるのか?」「はい」「二人で、なのか?」「はい」「……とりあえず、食べなさい」「はい」実花は席につく。すぐに朝食が目の前に置かれた。「それで、スポーツクラブだったか?」「はい」「二人で、なのか?」「はい」先ほども二人かと聞かれたのに。実花は首を傾げる。「スポーツ、クラブだよな。クラブではなく」「はい。東国さんが契約しているクラブだと聞いています」「そうか。二人でなんだな」「はい」(まただ……)「お父様、スポーツクラブなので危険はないと思います」「護衛の話ではない」実篤は言葉を止める。「いや、護衛をつければいいか」「お父様、大袈裟ですわ」「大袈裟ではない」実篤は苦々しそうに呟く。気に入らないらしいことは分かるが、実花には理由が分からなかった。(もしかして)「大丈夫です」実花は微笑みながら答える。「東国さんにご迷惑はおかけしません」「だからそこは心配していない」実篤は何か言いかけたが、結局言葉を飲み込んだ。その様子に実花は少しだけ不思議に思った。
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第75話 君にはこのくらいがよく似合う

実花と光也が揃ってスポーツクラブへ足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。(誰だ、あの子)男性会員たちは思わず視線を向ける。高校生と思わしき、まだ少女と言っていい女性。まるでスポーツクラブの広告に出てきそうな、健康的で、爽やかで、どこか初々しい姿。しかしそれだけではない。ただ可愛いだけではないのだ。少女らしい愛らしさの奥に、将来どれほどの美女になるのか容易に想像できる顔立ちがある。まだ蕾。だが、確実に大輪の花になる。男たちの気持ちが浮き立つ。その一方で、女たちは別の意味で騒然としていた。(誰あの子)(若い……)(え? もしかして、高校生?)土曜日になると時々現れる東国光也。彼に会いたくて会員を続けている女性も少なくない。つけ入る隙がないからいつも見ているだけだが、だからこそ気づいた。今日の光也は違う。歩く速度。周りに向ける視線。どれも普段と違った。明らかに実花へ気を使っている。(何者なの? 彼女)(親戚? いや、あんな目はただの親戚じゃない)(腹違いの妹、とか? いや、認めなさい自分)(やっぱり彼女? 女子高生の彼女?)自分たちの予想に女性たちの心がざわついた。◇◇◇受付へ向かった光也を受付スタッフが笑顔で出迎える。「東国様、おはようございます」「おはよう」親しげな様子から、顔なじみだと分かる。「ご同伴の方は、御見学ですか?」「いや、体験コースを」「畏まりました。ビジター登録をいたします」手続きはすぐ終わった。「トレーナーはお付け
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第76話 夜の約束

「髪……?」光也が訝しげに自分の髪へ触れた。「……どういうことだ?」不思議そうな光也に、実花は首を傾げた。「少年野球って、みんな坊主頭なのでは?」数秒の沈黙。光也は理解できない顔をしたまま。「ぶっ……!」吹き出したのは二人の傍にいたスタッフだった。「あはははははっ!」堪えていたものが決壊したようだった。腹を抱えて笑い始める。「そ、そうか!」他の誰かが言った。「確かに野球少年といえば坊主!」「なるほど!」「いや、そのイメージはもう古くないか? いまどき坊主頭って」笑いが周囲へ伝染していく。それ以前から実花と光也は注目を集めていた。二人の様子をそれとなくみんな見ていたから、笑いの伝染は早い。実花は戸惑った。「可愛い……」そんな実花を見た誰かが言った。「天然って感じで、可愛い」「確かに」「放っておけない感じで可愛い」可愛がるような周りの反応に実花は困惑した。(そんなに変なことを言ったかしら)光也を見る。「……坊主頭ですよね?」思わず確認するように光也に尋ねる。「知らん」光也は即答した。「え……」自信があっただけに、実花はしゅんとした。そうではないのか。落ち込む実花の様子に光也は一つ息を吐く。ぽん、と実花の頭に手が置かれた。「坊主頭かどうかは知らん」もう一度言う。「俺は子どもの頃はアメリカにいたからな」実花は目を丸くした。光也は続ける。
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第77話 デートだろう

「……すごい」このスタジアムを遠目に見たことはある。だがこうして来て間近で見ると、巨大なスタジアムは夜空に浮かび上がって見えた。周りにも背の高い建物はいくつもある。東京の中心部だ。しかし、このスタジアムの存在感は圧倒的だった。外壁を照らす照明。行き交う人々は様々なデザインのユニフォームを着ている。試合開始前だというのに、周囲はすでに祭りのような熱気に包まれている。皆が一斉にスタジアムに向かって歩き、入口でそれぞれのチームに分かれる。「入場行進みたいです」「日本人は整列が上手い」「楽しい……です」「それは良かった」野球中継で見たことはある。でも実際に来るのは初めてだった。光也に案内されて中に入って驚く。ドームだと思ったのに外が見える。屋根の向こうから夜風が入り込んでくる。「屋内ではない、のですね」「開放感があったほうがいい」「……開放感」光也の言う通り、ざわめきが風と共に抜けていくのが気持ちいい。「気に入ったか?」「はい」実花は素直に頷いた。「想像していたよりずっと大きいです」光也は微かに笑った。「まだ驚くのは早いぞ。試合はこれからだ」.光也に案内された席に来て、実花は戸惑った。「……え?」思わず周りを見渡す。周りの席は映画館のように席が階段状に並んでいるのに。(……ソファ?)胸ほどの高さの壁で仕切られたプライベートボックス。長いソファ。テーブル。バックネット裏だから球場全体を見渡せる眺望なのに。「モニター? あそこで野球をやるんですよね?」実花はグラウンドを指さす。光也は当然と言う顔をする。「あっちも
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第78話 父、参戦

目の前で、光也が目を見開いている。明らかに驚いている。(鉄仮面と評される東国さんを驚かせたと思えればいいのに)顔に集まった熱は治まらない。それどころか、どんどん熱くなる気がする。光也の唇が小さく震えたからなおさらだ。「……笑い飛ばしてくださいよ」「悪い」謝らせてしまった気がして居たたまれない。しかも光也に謝らせたと思うと頭が混乱する。「うん」光也の声がしたと思ったら、顎から光也の指が離れた。そのまま光也の手は実花の頭に向かう。 ポンッ軽い衝撃を感じた。「君の可愛いおねだりに負けて今まで何も食わせなかった俺のミスだ」「……強請ってなんていません」強請った記憶はない。ただ夕食をどうするか聞かれて「球場のご飯を食べてみたい」とは言った。(おねだりではなかったはずだわ)照れを隠すため、実花は変なところで意固地になっていた。「しかし」光也にしては煮え切らない声がした。「何がいいか分からんな」光也の言葉に首を傾げた。「東国さんはここに来るのは初めてなんですか?」「ときどき来るが、飯を買ったことはない」光也がスマートフォンを操作して、スタジアム内の売店が並ぶ一覧表を実花に見せる。「こんなに……」ホットドッグ。フライドチキン。ハンバーガー。丼物。カレー。スイーツ。想像以上に種類が多い。「たくさんありますね」「何を食いたい?」(丼物にも惹かれるけれど、野球観戦なのだから……)「ホットドッグを食べてみたいです」野球の世界大会を見たとき、ホットドッグを楽しそうに食べていた観客を思い出した。「分かった。買ってくるから待ってろ」
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第79話 野球場の監督たち

「なんだその格好は」実篤にそう言われて実花は目を瞬いた。その台詞を今の実篤に言われるとは思わなかったからだ。(お父様はチームユニフォームを着ているのに?)濃淡が違うだけのグレーのスーツばかり着ている。それが実花の中の実篤のイメージだった。いまの実篤は色鮮やかだ。胸元にはチームロゴ。首にはタオル。背中にはリュック。しかも、そのリュックからは応援旗らしきものまで覗いていた。「お父様……」実花は思わず凝視した。「その格好は一体……」「私のことはいい」即答だった。だが全然よくない。父親のリュック姿など初めて見た。応援旗などなおさらだ。どう見ても今日思いつきで買ったものではない。「これは一昨年の期間限定ユニフォームだな」「一昨年!?」(つまり、これは家にあったの……?)実花は衝撃を受けた。.「全く、東国君に任せるのではなかったよ」実篤は眉を寄せる。「なぜ実花はこんな格好でここにいる」「……」実花は自分の姿を見下ろす。ショートパンツもスポーツソックスも、これまでの実花ならば着ようともしなかったもの。(やっぱり……)少し落ち込んだ。自分でも慣れない格好だったが、使用人も光也も似合うと言ってくれた。それでも父親から見れば似合わなかった。父親なのだから、似合わないものを似合うとは言わないだろう。だから使用人も光也もあれは社交辞令で、似合わないが本当だったのかもしれない。「来なさい」「はい……」実花は素直に頷いた。売店に行くと言ったのだから、今すぐ帰されるわけではない。そう思うことにした。(それに、お父様が不機嫌なままで
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