Alle Kapitel von 愛されること~夫と義妹に殺されたので、今世では悪女になります: Kapitel 51 – Kapitel 60

89 Kapitel

第50話 学院の女王様(1)

朝の陽光が校舎の大きな窓から差し込んでいる。このなつかしい景色に実花は目を細める。緊張感を孕む静けさ。政財界の令嬢が通うこの学院では、表向きは平等を掲げていても実際には明確な序列が存在する。家格や資産。才能や成績。人脈と将来性。あらゆる要素が複雑に絡み合い、生徒たちの立ち位置を決めている。本来なら、その頂点にいるのが藤宮実花だった。平安時代までその血筋を遡れるという藤宮家の一人娘。文武に優れた学年首席。容姿も申し分なく、本来ならばこの学院の誰もが頭を下げる存在であった。――本来ならば。「藤宮さん、おはようございます」「おはようございます」廊下ですれ違う生徒たちが挨拶するが、その目には嘲笑が混じっていた。そうだったなと、実花が前世の当時を思い出して苦笑してしまったとき。「実花!」記憶に引っ掛かる声がした。実花が振り返れば、恒一の従兄妹の一ノ瀬智花が取り巻きを連れて立っていた。腕を組んで顎を上げる姿はまるでこの学院の女王であるかのようだ。「見て、またよ」「本当にお優しいわよねぇ」「優しいというか情けないというか……」「仕方ないわよ。智花さんに嫌われたら大変だもの」ひそひそと声が聞こえたが、実花は聞こえないふりをした。否定の言葉はない。彼女たちの言葉は事実だった。実花は智花に気を遣っていた。恒一は従妹でたる智花を大切にしており、実花の言葉よりも智花の言葉を信用してきたからだ。恒一に嫌われないため智花に気を使い、何でも黙って譲ってきた。(その結果がこれ)実花が気を使うから、家格も学業も学院で下のほうの智花が女王のように振る舞うことに誰も文句を言えなかった。(でも、もう気を遣う必要はない)「おはよう」実花の淡々とした挨拶に周囲はざわめき、智花の目が吊り上がった。「平気な顔してよく学校に顔を出せたわね!」「……なんのこと?」怒りを顕にする智花に実花は首を傾げる。「美鈴姉さんのことよ!」「……彼女がどうかしたの?」美鈴がショックを受けたという、恒一が言っていたとあれかと実花は思った。大して興味はないが、取り巻きとともに通路をふさぐように立っている智花を退かすのも面倒だった。「美鈴姉さんはあんたのせいで事故に遭いかけて病院に運ばれたのよ!」「私のせい? どうして?」周囲
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第51話 学院の女王様(2)

「う、嘘よ……」「嘘? どうして?」うまく呼吸ができないとでも言うように、智花は浅い呼吸を繰り返す。「だって、あんた……だって、恒一兄さんのことが好きだったじゃない」「ええ、好きだったわ」実花もそれは認めた。自分でもみっともなく思うほど、縋り付くように執着していたあれを『好き』というのかは疑問だが。「でももう好きじゃないの」実花はあっさりと言い切る。「好きじゃないって……」「何かをきっかけに好きだったものが好きではなくなる。食べ物でも色でも人でも、そんなこと普通にあることじゃない」実花は穏やかに、諭すように智花に言った。◇◇◇智花は戸惑っていた。いつもの実花なら、恒一に嫌われないように焦りながら智花に気を使い、智花の思い通りに動いた。今朝、咲夜のことを聞こうと智花は恒一に連絡をした。婚約を祝う気持ちがないわけではないが、好きなブランドの新作発表があり、祝いの言葉と引き換えに実花に気になっている服を買わせようと思っていた。電話先の恒一は苛立っていた。事情を聴けば、昨夜美鈴が家を飛び出し、追いかけた恒一が道路脇に倒れている美鈴を見つけた。幸いなことに美鈴に意識があり、車に轢かれかけたと聞いた恒一は急いで美鈴を病院に運んだという。検査をして異常はなかったが、頭部に痛みを訴えたことから大事をとって美鈴は入院し、恒一はそれに付き添っていたという。美鈴のことが心配であることは本当だったが、苛立つ恒一の声に最初に思ったのは実花にもっと高いものを買わせるチャンスだということ。恒一をなだめてあげる代わりに、そう言えば実花はなんでもしてきた。「だから」実花の声に智花はハッと現実に戻った。◇◇◇「昨夜パーティー会場で、皆さんの前で言ったわ。恒一さんとは婚約しないって」空気が止まった。智花の目が大きく見開かれる。「……は?」「どうして驚くの? あなたも散々言っていたじゃない。私に恒一さんは勿体ない、恒一さんは美鈴さんと結ばれるべきだって」実花は首を傾げる。「そうなるかは分からないけれど、お二人の好きにしたらいいと思うわ。私にはもう関係ないもの」静かな声だった。しかし周囲への衝撃は大きく、あちこちで息を呑む音が聞こえた。「関係ない……」智花の顔色が変わる。「嘘よっ」「本当よ」「そんなはずない!」叫ぶ智花
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第52話 学院の女王様(3)

昼休みを告げる鐘が鳴る。実花は教科書を閉じるとゆっくりと席を立った。その瞬間から周りの視線を感じ、それは教室を出ても変わらないどころか増えたほどだ。ひそひそと交わされる声。慌てて逸らされる目。今朝の智花との一件が学院中に広まっていることは明らかだった。(さすがはご令嬢養成学校)噂話は社交界での貴婦人の武器。令嬢たちは貴婦人の卵であり、学校であっても情報伝達の速さだけなら一流企業の社内ネットワークにも負けないかもしれない。そんなことを考えながら実花は苦笑した。.階段を下り、学食へ向かう間も注目は途切れなかった。その視線は単純な好奇心だけではなく、戸惑いと探り合いの色も徐々に濃くなる。実花にはその理由が分かっていた。今朝、智花の前で恒一と婚約することはないと宣言した。その言葉が真実ならばこの学院の女王が変わる。藤宮家の一人娘であり、学業成績も常に首席。元々の地位だけを見れば実花は誰もが認める頂点。しかし長年、自らその立場を曖昧にしてきた。恒一の従妹である智花に配慮し、彼女を自分よりも上位だと周囲に示し、彼女が自分に代わって女王のように振る舞うことを黙認していた。だから周囲も判断に迷っている。実花が本当に智花への配慮をやめたのか、それとも一時的な感情でそう言っただけなのか―――もし後者ならば危険だ。今ここで実花を持ち上げれば、後で智花の不興を買うかもしれない。だからこそ、誰もが様子見をしていた。.学食に到着すると、その空気はさらに顕著になった。実花の前にできた列、前方には何人もの生徒がいた。学院の暗黙のルールで、女王とされる令嬢が現れれば列の先頭まで譲らなければいけない。これまでは智花が現れると、智花は当たり前のように譲られて先頭に立っていた。だから実花が現れた瞬間、前方の生徒たちが微妙に動揺した。実花に配慮して譲るべきか。智花に配慮して譲らないべきか。迷っているのが見て取れる。誰もが実花の今朝の言葉を推し量っていた。実花は静かに口を開いた。「先を譲ってくださらないの?」列に並ぶことは苦ではないし、生来の性格と前の生の影響から譲らせることに抵抗はある。しかし、それ以上に自分がもう智花に配慮しないことを示したかった。実花の声は穏やかだったが凛としており、聞く者の背筋が自然と伸びる響きがあった。周囲は一
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第53話 未知の扉(1)

隣をいいかと尋ねた割には、篠原真理は実花の返事を待つことなく隣の席へ腰を下ろした。その仕草が妙に目に留まる。格好いいと実花は感じていた。背筋はすっと伸び、制服の着こなしにも隙がない。自分と同じデザインとは思えない。実花は前の生の記憶を辿った記憶の中にある篠原真理は二十代の半ば。いま目の前にいる彼女と同じくどこか王子様めいて見えた。前の生で、篠原真理と面識はない。結婚後に参加したパーティーでは、藤宮家の後継者として顔つなぎに勤しむ恒一の傍を離れることを許されなかった。だから実花が一方的に知っているだけ。話した記憶もない。それでも、彼女の名前は憶えている。篠原家は江戸時代から続く名家。元は呉服商として財を築き、明治後期から宝石商へと転身。その後も事業を拡大し、現在では国内有数の資産家として知られている。ただ、それだけなら名門の一つで終わる。だが篠原家が世間の注目を集めた理由は別にあった――― 篠原真理の母親だ。篠原真理の母親である篠原真琴は、歴史ある篠原家の女性当主として有名だ。しかも、夫を持たず女手一つで娘を育て上げたシングルマザー。ワイドショーや週刊誌が好きそうな話題。実際、前の生でも篠原家を取り上げた記事を実花は何度も見かけた。(こうして見ると、話題になるのも分かるわ)前の生での篠原真理は、スキャンダラスな出生を鼻で笑い飛ばすように堂々としていた。そして彼女の美貌。中性的な男女どちらの魅力も感じる彼女の容姿がメディアを引き付けていたのだろう。いま目の前にいる若い篠原真理からも、実花が知る将来の美しさの片鱗がすでに見えている。ただ―――。(彼女、この学校にいたかしら)居るだけで目立つ篠原真理。同じ学校の出身ならば、実花も覚えているはず。しかし、実花にその記憶はない。(世界の流れが変わった、とか?)あのパーティーの日から、実花は前の生と違う選択を続けている。その影響が色々なところに出ているのか。そう考えたとき。「私の顔にご飯粒でもついてる?」「え?」実花は飛び上がりそうになった。「さっきからすごく、熱い視線で焦げつきそうなくらいジッと見てくるから」「っ!」篠原真理が笑う。実花は自分の顔が熱くなるのを感じた。「あの……ご、ごめんなさい」「謝らなくてもいいけどね」穏やかな
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第54話 未知の扉(2)

午後の授業が始まっても、実花はまったく集中できなかった。黒板に書かれる数式も教師の説明も頭に入ってこない。ノートは取っている。教科書も開いている。しかし意識は別のところにあった。(あの胸の高鳴りはなんだったのかしら……)昼休みの出来事を思い出してしまう。篠原真理のことを思い返すだけで胸の奥がざわつく。心なしか鼓動が速くなった。笑顔を思い出すたびに顔が熱くなる。これはまるで――。(恋のときめきみたいな……って!)実花は慌てて首を振る。違う。違う違う違う。恋ではない、絶対に違う。(だって相手は女性よ!)前の生も含めて実花は男性しか好きになったことがない。光也にときめいたことは認めよう。でも、光也も男性だ。(だからときめきだと分かる……違うわっ! あれとは違う、うん。憧れよ。きっと憧れ)自分に言い聞かせる。格好いい女性への憧れ。それは女子校ではよくあるもの。(尊敬とか親愛とか、そこから始まる疑似的恋愛……恋愛って、違うのよっ!)  『え……可愛すぎる』真理の声が脳裏によみがえる。「っ!」実花は思わず机に額をぶつけそうになった。可愛いと言われただけだ。女子の可愛いなんて初見で述べるあたりさわりのない挨拶のようなもので、特別な意味なんてない。(そうだというのに……)思い出しただけで心臓がおかしくなる。(だから違うの!)自分の心の中で必死に否定する。恋ではない、 断じて恋ではない。そんなやり取りを何度も何度も繰り返しているうちに授業は終わった。気付けば放課後だった。「……疲れた」実花は机に突っ伏した。もちろん勉強で疲れたわけではない、自分自身との不毛な戦いで疲れたのだ。『ときめき』を否定し、自分の感情を分析すれば『ときめき』に行きつき、それを否定する。たまに篠原真理との時間を思い出してはときめいて、また否定する。その無限ループで精神力がごっそり削られていた。そのとき―――スマートフォンが震えた。疲れていた実花は画面を見ずに応答ボタンを押した。「はい」『実花!』聞こえた声に顔が引きつる。恒一だった。(……最悪)一瞬で疲労感が倍増する。『なぜ美鈴の見舞いに来ないんだ!』恒一の開口一番それだった。実花は沈黙した。意味がわからない。本気でわからなかった。「……なぜ私がお見
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第55話 好きな人(仮)

『お前が俺以外を好きになるって?』電話の向こうで恒一が鼻で笑った。心の底から嘲笑うような、あり得ないと言わんばかりの声音だった。実花は眉をひそめる。前の生の自分なら、この瞬間に後悔していただろう。見栄を張ってしまったとか、勢いで変なことを言ってしまったとか……そう反省して、恥ずかしさに顔を真っ赤にしたはずだ。だが今は違う。苛立ちしかない。方便でついた嘘であり、嘘であることは事実だが、この嘘は恒一が理解しないせいだ。嘘をつかせられているということ、そして「自分以外を実花が好きにならない」の決めつける傲慢さに苛立った。どうして自分が永遠に恒一だけを見ている前提なのか。「ええ、そうです」『くだらない嘘はやめろ』「嘘ではありません」『あり得ない』恒一の即答に実花のこめかみに青筋が浮いたが、まだ校内、周囲の視線もあるからの実花は急いで昇降口に向かう。『ほらみろ、何も言えないだろう?』実花が何も言わないことを、言い返せないと思った恒一の嘲笑うような声。『俺を嫉妬させたいようだが、好きな人がいるなどという下らない嘘を吐くとは』「嘘と決めつけないでください」『では誰だ?』「誰って……」実花は言葉に詰まった。勢いで言った方便、「誰か」なんて具体的な人物などいない。仕方なく頭の中で理想像を組み立てる。「優しくて、誠実で、責任感があって」『へえ』信じていない声音に実花は言葉を続ける。「思いやりがあって、周囲に気配りができて、」頭も良くて」言いながら、ふと気づいた。これでは駄目だ。ありきたりなことを言っているから具体性に欠けるし、外面がいい恒一に当てはまる要素がありそうだ。これでは説得力がない。『それだけか?』
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第56話 おとなの時間(1)

実花は勘の悪い人間ではない。だからこそ分かった。今の東国光也は百メートルくらい離れていても分かるくらい不機嫌だ。それくらい空気が冷えていた。「誰だ?」低いで詰問された。何を聞かれたか分かったが実花は敢えて勘違いをした振りをする。「一ノ瀬恒一さんです」でも手に持っていたスマートフォンを軽く揺らして、『電話の相手ですよ』という意思表示も忘れない。 好きな人だと誤解されては困るからだ。(先ほどまで熱弁していた相手が恒一さんだと思われたりしたら最悪よ) 光也は数秒実花を見つめたあと、ふっと口角を少しだけ上げた。先ほどまでの凍えるような不機嫌さが和らいだ。「解っていてすっとぼけるとは可愛らしいな」言葉だけ聞けば甘い。優しいどころか熱く蕩けそうな響きさえある。しかし実花は目の前に立つ光也の目を見た。真冬の湖面みたいに冷たかった。(温度差で風邪を引きそうだわ……)「あっ」不意に光也の手が伸びる。次の瞬間、実花のスマートフォンはあっさりと光也に奪われていた。「ながらスマホは危険だ」「でも……」実花は光也に手を伸ばした。しかし光也は軽々と腕を持ち上げる。身長差が憎かった。指先すら届かない。飛び跳ねるのはさすがにはしたないと実花は精一杯背伸びする。でも届かない。実花は唇を尖らせて光也を睨んだ。だが光也は怯むどころか呆れたような顔になるだけだった。「それならば言い方を変えよう」「返してください」「婚約者となる男の前で他の男と話すのはマナー違反だ」「それは東国さんが突然……」『何を言っている!』光也があとから現れたのだという実花の抗議に被さる
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第57話 おとなの時間(2)

 ガキにはさせてやれない遊び。そう言われて連れて来られた先を見上げて、実花は目を瞬かせた。ガラス張りの外観が近未来的な高層ビル、エントランスを行き交う人々は皆忙しそうにしている。「ここは?」「俺の会社が入っているビルだ」指差した看板、東国グループのロゴがあちこちにある。前の生でも縁がなくて来たことはなかったが、ここは東国コーポレーションの本社のほかに傘下の会社が多く入っているビルのようだ。「俺の会社はここだ」光也の名刺が目の前に差し出された。東国インタラクティブ。CEO。(広告会社……前の生では違う会社名だった気がしたけれど、このあと異動したのかしら……それよりも)実花は光也を見る。「遊び、だと言いませんでしたか?」「体験型テーマパークと思えばいい」「会社ですよね」「俺には大差ない。楽しむくらいが丁度いい」真顔で返されてしまった。実花には理解できないものの、専用エレベーターへと向かう光也についていく。この大きなビルの一画でしかない会社だとしても、東国グループ傘下の企業が多いからか、周囲の人は光也を見るたびに頭を下げていた。当然だろう。東国光也は東国家の後継者として最有力候補、いずれ東国グループのトップに立つ。東国グループといえば国内有数の巨大グループ企業。光也の説明によると、光也がCEOを務める東国インタラクティブの主な事業は広告運用、SNSマーケティング、デジタル戦略の立案などで、東国グループの中でも比較的新しいという。ただ光也が「新しい」というのは、頭の硬い重役や古参幹部を嫌った光也が就任早々に当初にいた役員たちをほとんど追い出して若手を据えたからで、それを聞いた実花は唖然とする。光也は自社を東国グループの中では異色の存在として知られているというが、その理由の九割は光也が原因に違いないと思った。
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第58話 おとなの時間(3)

「違う、落ち着け」光也は実花を見て呆れたような息をつき、航を見た。「お前、補佐を欲しがってただろう?」「は?」航が目を丸くした。「欲しがっていたから連れてきた」 数秒の沈黙。航がゆっくり実花を見る。そして再び光也を見る。「藤宮のお嬢様にバイトさせる気か?」「何か問題があるのか?」光也は本気で不思議そうだった。「問題あるだろ」「どんな?」光也は腕を組んで悩む素振りを見せる。「仙女の如き美女だろうが、飯を食う以上は金が必要だ」「いやまあ」「金を稼ぐ手段を持つことは大事だ」光也は当然のように続けた。「親の金で生きていれば親に逆らえなくなる、男の金で生きていれば男に逆らえなくなる」航が黙る。実花も思わず聞き入った。「対等でいる手段がイコール労働とは限らないが、手段の一つであり、比較的楽なほうだと俺は思っている」光也は近くにあったテーブルに軽く腰掛ける。「ずっと不思議なんだが、婚約指輪は給与三ヶ月分と言うだろう」「いきなりだな」「では離婚後の女は何を食って三ヶ月生きるんだ?」光也は真顔だった。「女は離婚後半年間は再婚できないと法律で決まっている。それなのに生活費を三ヶ月分しか渡さないのは算数がおかしい」航が額を押さえる。「そこかよ」「常々疑問だった。結局は女にも実活しろって言っているということだ」実花は少しだけ笑ってしまった。変なところを気にするなと思ったが、だが光也らしいとも思ってしまった。 「というわけで」光也が実花を見る。「うちで働くといい」「というわけで、にはならないだろう」航が即座に間に入り、光也を止める。「親の許可がないだろう
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第59話 お嬢様の特技(1)

「それでは手紙の仕分けをお願いします」そう言って航が実花の前に置いたのは段ボール箱。手紙だと思って束、多くても文箱程度を想像していた実花は驚く。通販で馴染みのロゴマークがついた段ボールの中には大量の封筒が詰まっている。「これ、全部手紙ですか?」実花は目を瞬かせた。パソコンとモニターが並ぶ現代的なオフィスで、SNSやデジタルマーケティングを主力事業とする会社。 そんな場所で『手紙』という古くからある連絡手法の存在は異質だった。「意外でしょう?」航は苦笑した。「俺も最初はそう思ったのですが」航は手に取った一番上の手紙を実花に差し出す。実花は差出人を見る。差出人本人と思わしき名前と、実花も知る有名大学の名前が書かれていた。「大学名?」個人情報を保護するため自宅住所ではなく大学名を書いたのか?そんなことを思いながら、航に促されるまま中身を見る。「これは……履歴書?」そこに書かれていたのは、自己PR、資格、成績そして趣味と特技。「うち、いま新卒の採用募集をしていないんで、こうやって送ってくるんです」なるほどと感心する実花に、航は次の手紙を差し出す。差出人はなかったが、会社をあて先にした手紙にしては花の絵や押し箔など綺羅びやかだった。「……お見合い?」中には振袖姿の女性の写真。添えられた和紙をひらけば筆で女性の名前、学歴、趣味などが書かれていた。(写真を除けば就職希望者の履歴書と大差ない……)「永久就職というだけある……」「上手いこと言いますね」笑う航に実花は独り言が声に出ていたことに気づき少し恥ずかしくなった。「履歴書は捨ててしまって構いません」航によれば確かに中に優秀な人材はいるだろうが、採用でもなんでもルールを守ることは最低限の条件
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