Semua Bab 愛人を選んだ夫が、離婚後に狂い始めました: Bab 311 - Bab 320

359 Bab

第311話 お兄さんじゃないかと思って

「そういえば」話が途切れたところで。今日見た名前を思い出した。「病院に来てる先生で」「うん」「前に話した」「最初のオンコールの日に来てくれた外科の先生」隼人くんが頷く。「郁人先生?」「うん」名前を知っていることに。少し驚いた。以前。一度だけ話したことを。覚えていたらしい。「今日」そのまま続けた。「手術予定の書類で」「フルネームを見たの」隼人くんの表情が。少しだけ変わる。「何て?」「綾瀬郁人先生」一度。短い沈黙が落ちた。隼人くんは。驚くというより。頭の中で。何かをつなげたような顔をした。「兄貴だね」やはり。そうだった。「多分」少しだけ笑う。「お兄さんじゃないかと思って」「そう」隼人くんが。小さく息を吐いた。「綾香ちゃんの病院に来てたんだ」「知らなかった?」「どこで手術してるとか、働いてるとかまでは」「いちいち聞かないから」隼人くんらしい答えだった。「似てる?」隼人くんが聞く。「顔?」「うん」綾香は。少し考えた。「言われたら」「少しだけ」「少しだけなんだ」「雰囲気が違いすぎるから」「兄貴は」隼人くんが。少しだけ笑う。「隙がないでしょう」「うん」すぐに答えると。隼人くんの笑みが。少し深くなった。「やっぱり」「でも」ちょっと考えてから、続ける。「冷たい人ではないと思う」「そうだね」返事は。思っていたより早かった。「郁人兄貴とは」少しだけ間を置く。「別に仲悪くないよ」“郁人兄貴とは”。ほんの少しだけ。言葉に含みがあるように聞こえた。でも。あえて、そこを追わなかった。家族の中に。それぞれ違う距離があることくらい。不自然ではない。隼人くんが。今。話したいところまででいい。「どういう人?」興味本位で聞いてみた。「もう会ってるでしょう」「病院でしか知らないから」隼人くんは。少し考えた。「見たままだよ」「説明になってない」「ちゃんとしてる」「それは分かる」「自分がやることと」少し言葉を探す。「やらないことが、はっきりしてる」郁人先生の。淡々とした話し方を思い出す。必要なことには。きちんと答える。けれど。自分から。余計な説明はしない。「この前」「別の病院で働いてるんですかって聞いたの」
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第312話 予定が合わない

隼人くんに会いに行った夜から。また。顔を見ない日が続いた。病院へ行き。患者を診る。帰宅して。翌日の予定を確認する。疲れて眠り。朝になれば。また病院へ向かう。その繰り返しの中で。隼人くんとのやり取りは。少しずつ短くなっていた。『今日、何時に終わる?』昼休みに送る。返事が来たのは。夕方だった。『診療の後、物件の担当と会う』『綾香ちゃんは?』『たぶん七時くらい』『今日は難しいね』画面を見つめる。会おうと約束していたわけではない。それでも。今日も会えないと分かると。少しだけ残念だった。『うん。また今度』送る。それ以外に。返す言葉がなかった。***翌日は。隼人くんの方が早く仕事を終えた。『近くまで行こうか』夕方。そう届いた。患者の記録を確認しながら。時計を見る。予定では。あと一時間ほどで終われるはずだった。『たぶん七時半には出られる』『待ってる』その言葉だけで。胸が少し軽くなった。今日は会える。病院の外で。短い時間でも。顔を見られる。そう思っていた。けれど。退院を予定していた患者の状態が。夕方になって変わった。家族への説明が必要になり。確認しなければならないことが増えた。時計の針だけが。先へ進む。七時半。八時。隼人くんから。催促は来なかった。代わりに。『まだかかりそう?』とだけ届いた。廊下の端で立ち止まり。短く返信する。『ごめん。まだ終われない』少しして。『分かった』続けて。『今日は帰って寝て』画面を見つめた。会いたかった。せっかく。隼人くんが近くまで来てくれようとしていた。でも。今から急いでも。疲れた顔で。数十分会えるだけ。翌朝も早い。隼人くんの言う通りだった。『ごめんね』送る。『謝らなくていいよ』すぐに返ってくる。優しい。だからこそ。余計に寂しかった。***病院では。郁人先生と顔を合わせることが増えていた。手術のある日。患者の引き継ぎ。病棟で確認が必要な時。会えば。自然に言葉を交わす。「白松先生」名前を呼ばれ。振り返る。「昨日の患者さん」「朝はどうでしたか」「落ち着いています」「そうですか」短い会話。それで終わる。郁人先生とは。予定を合わせなくても会う。仕事の中で
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第313話 会った感じしなかったね

***夜。隼人くんから電話が来た。入浴を終え。髪を乾かしている途中だった。「もしもし」『今、大丈夫?』「うん」電話の向こうから。小さく息を吐く音が聞こえる。『今日、ごめん』「仕事だから」『ほとんど話せなかった』「うん」否定できなかった。『顔は見たけど』隼人くんが。少しだけ笑う。『会った感じしなかったね』ドライヤーの電源を切った。部屋が。急に静かになる。「私も」それだけ答えた。画面越しではなく。電話の声だけでもなく。近くで。何でもない話をしたかった。仕事の途中ではなく。次の予定を気にせず。隼人くんの顔を見たかった。『次』隼人くんが言う。『いつ空いてる?』ベッドへ座り。カレンダーを開いた。「来週の火曜日」『俺、父親と会う』「水曜は?」『診療の後、採用の面談』「木曜日」『綾香ちゃん、オンコールでしょう』「うん」「金曜日は?」少し間が空く。『夜なら』自分の予定を見る。「プロジェクトの会議」『何時まで?』「たぶん八時」『じゃあ、その後』「隼人くん、次の日も診療でしょう」『綾香ちゃんも病院でしょう』どちらも。相手を止める理由にはならない。でも。無理をさせたいわけでもない。「一時間だけ?」あまりにも短くて、尋ねる。『うん』「遅くなっても?」『会いたい』迷いのない声だった。胸の奥が。小さく熱くなる。「私も」今度は。すぐに返した。金曜日。午後九時。互いのカレンダーへ。予定を入れる。一時間だけ。それでも。会える日が決まったことで。少し安心した。『今度は』隼人くんが言う。『仕事だけで終わらせないようにする』「仕事の途中で呼ばれたら?」『その時は仕方ない』「物件の話が延びたら?」『抜ける』「それは駄目でしょう」『じゃあ急いで終わらせる』少しだけ、笑った。「私も」『うん』「会えるように終わらせる」言った後。自分の言葉に。少しだけ引っかかった。仕事を急いで終わらせる。無理をする。そういう意味ではない。ただ。会うことを。空いた時間に回さない。隼人くんも。同じように思ったのかもしれない。『無理はしないで』「隼人くんも」『でも会おう』「うん」短い沈黙。電話越しに。互いの呼吸だけが聞こえる。
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第314話 足りない

金曜日。午後八時を過ぎた頃。プロジェクトの会議が終わった。最後の資料が閉じられ。席を立つ人たちの声が。会議室の中へ広がっていく。机の上の資料をまとめながら。壁の時計を見た。八時十二分。隼人くんとの約束は。九時。病院から会議の会場へ移動し。そこから。待ち合わせの店までは。三十分もかからない。今日は。間に合う。それだけで。少しだけ肩の力が抜けた。ここ数日。予定が延びるたびに。今日も会えないかもしれないと。何度も思った。でも。今夜は。仕事が終わった。スマホを開く。『終わった』送ると。すぐに既読がついた。『俺も』続けて。『先に着いてる』思わず。足が速くなる。***待ち合わせは。駅から少し離れた。小さな店だった。遅い時間でも。軽い食事ができる。照明は落ち着いていて。店内の席も。ほとんど埋まっていない。扉を開ける。奥の席に。隼人くんがいた。白衣ではない。濃い色のシャツ。髪は。いつものように後ろで束ねている。片手で。グラスへ触れながら。入口の方を見ていた。目が合う。その瞬間。表情が変わる。大きく笑うわけではない。けれど。目元が。はっきりと柔らかくなる。それを見ただけで。胸の奥にあった疲れが。少しだけ消えた。「お待たせ」隼人くんの前まで行く。「待ってないよ」「先に着いてるって」「十分くらい」「それは待ってる」「綾香ちゃんを待つのは」少しだけ笑う。「嫌じゃないから」向かいの席へ座った。久しぶりに。仕事の途中ではなく。二人きりで向かい合う。それだけなのに。どう座ればいいのか。少しだけ分からなくなった。クリニックでは。白衣を着たまま話す。病院では。郁人先生や。他の医師と。患者のことを話す。隼人くんとの連絡も。最近は。短いメッセージばかりだった。今は。目の前にいる。手を伸ばせば。触れられる距離。そのことを。急に意識した。「疲れてる?」隼人くんが尋ねる。「少し」「会議、長かった?」「今日は予定通り」「よかった」「隼人くんは?」「普通」「その顔」「何?」「普通じゃない時の顔」言うと。隼人くんが。少し笑った。「ばれるようになったね」「見るって決めたから」「うん」短い言葉。以
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第315話 帰したくない

***店を出た時には。午後十時を過ぎていた。約束した一時間は。もう終わっている。「駅まで送る」「隼人くんは?」「車」「明日も診療でしょう」「うん」「早く帰った方がいいよ」「綾香ちゃんも」同じ言葉を。互いに言う。それでも。すぐには別れなかった。夜の通りを。ゆっくり歩く。駅へ向かえば。十分もかからない。けれど。どちらも。少しだけ歩く速度が遅かった。人通りが減った場所で。隼人くんの腕が。私の腕へ触れる。偶然かと思った。けれど。次の瞬間。指先が。手へ触れた。確かめるような。短い接触。私は、手を引かなかった。隼人くんの指が。ゆっくりと絡む。手をつなぐ。何度も。したことがあるわけではない。それなのに。久しぶりに触れたせいか。手のひらだけで。身体の内側まで熱くなった。隼人くんは。何も言わない。何も言えなかった。ただ。握られた手に。少しだけ力を返す。その瞬間。隼人くんの指が。強くなる。会えなかった時間が。その力へ表れているように思えた。駅へ近づく。人が増える。それでも。隼人くんは。手を離さなかった。「このまま」隼人くんが。前を向いたまま言う。「帰したくない」低い声だった。足を止めた。隼人くんも。同じように止まる。目が合う。仕事中には見ない目。自分の部屋で。キスをした時に見た。少し熱を含んだ視線。「……うん」何への返事か。自分でも分からなかった。帰りたくない。そう答えたのかもしれない。隼人くんの目が。少しだけ揺れる。それから。つないでいた手を引かれた。強くではない。一歩だけ。近づくように。隼人くんの前へ立つ。人の少ない建物の陰。通りの明かりが。隼人くんの横顔だけを照らしている。近い。互いの息が。分かる距離。隼人くんの手が。私の頬へ触れる。指先が。耳の近くへ髪をよける。触れ方は。以前と同じように丁寧だった。それなのに。今日は。その丁寧さが。少し苦しかった。もっと。近づいてほしい。そう思った。隼人くんが。表情を確かめる。そのまま、顔を背けなかった。背けたく、なかった。次の瞬間。唇が重なった。最初から。以前より深かった。久しぶりに触れたから。互いに。距離の取り方を忘
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第316話 前とは違う距離

隼人くんと会った夜から。数日が過ぎた。もう少し。そばにいてほしかった。帰りたくなかった。あの時に残った感情は。忙しい日常へ戻っても。完全には消えなかった。けれど。次に会える日を。すぐに決められるわけではない。隼人くんは。クリニックの拡大準備で。物件や採用の調整が増えている。私自身も。病院勤務に加えて。専門医研修の予定が入り始めていた。短いメッセージを交わし。会える日を探す。それでも。互いの予定が。きれいに重なる日は少なかった。会いたいと思う気持ちを。前よりはっきりと自覚しながら。また病院へ向かい。目の前の仕事を続けていた。***プロジェクトも。病院へ戻っている間に。順調に進んでいた。最初は。病院と地域の医療機関を。どうつなぐのか。必要な機能や。全体の仕組みについて。大きな方向を話し合っていた。今は。基本となる設計がまとまり。実際の運用へ向けた調整に入っている。病院から。地域のクリニックへ。どの情報を共有するのか。共有された後。薬や治療方針が変わった時に。誰が更新するのか。患者本人から。どの時点で同意を取るのか。システムを作ることだけではなく。現場で使い続けるためのルールを。具体的に決める段階だった。システムの試作画面も。少しずつ形になっている。基本的な患者情報。治療の経過。処方内容。退院後の注意点。必要な項目を。病院側と地域側の双方から。確認できるようになっていた。まだ。実際に運用できる状態ではない。それでも。構想だけだったものが。画面として見えるようになったことで。プロジェクトが。現実へ近づいているのは分かった。病院へ戻ったことで。以前とは違う意見を出せるようになっていた。クリニックにいた頃は。病院から患者を受け入れる側として。何の情報が必要なのかを考えていた。今は。患者を地域へ送り出す病院側で。どこに負担が生じるのか。どの情報が。更新されないまま残りやすいのか。両方の立場から。見ることができる。今日の会議では。共有した情報を。その後どう更新するのか。変更があった場合。病院と地域の医療機関の。どちらが責任を持つのか。運用と契約の両面から。整理することになっていた。***会議室へ向かうと。入
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第317話 仕事をしやすい相手

***会議が始まる。大貴から。現在の進行状況が。簡単に共有された。基本となる項目と。病院から地域側へ。情報を渡す流れは。すでにまとまっている。試作版を使った。簡単な確認も始まっている。今後は。実際に使う前に。情報が変更された場合の扱いと。責任の分け方を。決めなければならない。その説明の後。予定していた藤本先生に代わり。優が参加することが伝えられた。「東郷です」優が。短く頭を下げる。「藤本先生から」「これまでの論点は引き継いでいます」「今日は」「情報を共有した後の更新と」「責任の分け方を中心に」「契約へ反映できる形へ整理します」前置きは短かった。すぐに。議題へ入る。現在の案では。退院時に。病院が必要な情報を入力する。地域のクリニックが。その内容を受け取り。診療に使う。その後の経過も。地域側から追加できる。大枠は。すでにできている。ただ。優が。資料の一部を指した。「退院後に」「地域側で薬が変更された場合」「病院側の情報にも」「反映されますか」企業側の担当者が答える。「今の案では」「地域側の記録にだけ残ります」「では」優が続ける。「次に病院を受診した時には」「古い情報が残っている可能性がある?」「そうなります」自分も同じ箇所が気になっていた。「それだと」口を開く。「連携した情報を」「病院側でそのまま使うのは難しいです」優が。こちらを見る。話の先を促すだけの視線だった。「患者さんの状態は」自然に、続ける。「病院を出た後も変わります」「薬や治療方針が変わっているのに」「病院側に古い情報が残れば」「確認の手間が増えるだけではなく」「判断を誤る可能性もあります」「変更した側が」「共通の情報を更新できる形が必要です」企業側の担当者が。少し考える。「両方から変更できると」「責任が曖昧になりませんか」答えるより先に。優が資料へ視線を落とした。「更新できることと」「責任の所在は」「分けて整理できます」ペン先で。該当箇所を示す。「変更した人と時間が残れば」「誰が何を更新したかは確認できる」「更新できる項目を」「役割ごとに制限する方法もあります」そこまで説明してから、向き直る。「現場では」「以前の情報を消す必要も
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第318話 病院に戻ったの?

***会議の終わりには。次に確認することが。はっきりしていた。情報の更新は。上書きではなく。履歴を残す。変更できる項目は。病院側と地域側で分ける。患者への同意は。退院時だけに限定せず。情報共有を始める前までに取る。例外となる状況は。私が。病院とクリニックの両方から整理する。プロジェクトは。順調に進んでいる。だからこそ。今まで見えなかった。細かな問題が見つかり始めている。それは。停滞ではない。実際に動かす段階へ。近づいている証拠だった。参加者が。席を立ち始める。大貴が。横を通る。「例外の具体例」「来週までにもらえる?」「うん」「病院側で聞いてみる」「クリニックの分も頼む」「分かった」大貴は。そのまま。別の参加者へ声をかけた。資料をまとめて会議室を出る。廊下を進んでいると。後ろから足音が近づいた。「綾香」振り返る。優が。数歩離れた場所に立っていた。会議中より。少しだけ表情が緩んでいる。「何?」「今日」優は。少し間を置いた。「会えて嬉しかった」小さく息を吐いた。「そういうの、やめて」優は。すぐには引かなかった。「別に」静かに返す。「思ったことを言ってるだけ」「言わなくていいこともあるでしょう」「あるけど」優は。私の顔を見る。「これくらいは」「言ってもいいかなと思って」以前なら。その一言だけで。胸の内側が硬くなった。優の気持ちを。また押しつけられるのではないかと。距離を取りたくなったと思う。今も。少し踏み込まれたとは感じた。けれど。優は返事を求めていない。会えたことを理由に。次の約束をしようともしていない。ただ。嬉しかったと口にしただけだった。「仕事中は」少し、間を置いて伝える。「やめて」「今はもう終わったから」少し食い下がる声に。優を見た。「そういうところ」「変わってないね」「全部変わったら」優が。わずかに口元を緩める。「別人になるから」その返しも。優らしかった。ほんの少しだけ、笑ってしまった。それを見ても。優は何も言わない。ただ。目元に残っていた硬さが。少しだけほどけた。「ところで」優が尋ねる。「今もクリニック?」そこで初めて気づく。病院へ戻ったことを。優には伝えて
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第319話 あまり嫌がらないでほしい

「そうだね、助かった」複雑な気持ちは表に出さず、素直に感謝した。「病院は忙しい?」「そこそこ」「そっか」優は。私の顔を見た。「無理はしないで」そのまま、何も返さなかった。大丈夫とも。心配しなくていいとも言わない。優の気遣いを。否定する言葉も出なかった。短い沈黙が落ちる。けれど。居心地が悪いとは思わなかった。優も。返事を求めなかった。手にしていたファイルを。持ち直す。「藤本先生の方に」「緊急で入る案件が増えてる」「だから」「今日だけじゃなくて」「これからは俺が」「こっちの調整へ入ることの方が」「増えるかもしれない」「そうなの?」「もともと」優は続ける。「この案件は」「藤本先生と二人で進めてたし」「内容も把握してる」「藤本先生が」「急ぎの案件を多く持つなら」「俺がこっちへ入った方が」「調整もしやすいから」理由は。十分に筋が通っていた。私がいるから。優が無理に参加しようとしているわけではない。プロジェクトを進めるための。自然な役割分担だった。「だから」優が。わずかに声を和らげる。「仕事だから」私の表情を、一度だけ確認する。「あまり嫌がらないでほしい」「別に」すぐに、答えた。「嫌じゃないよ」言葉にした途端。優の口元が。ほんの少しだけ緩んだ。大きく笑うわけではない。それでも。安心したことは分かった。「本当に?」「仕事自体は」少しだけ、考えて続ける。「正直、やりやすかったし」「優が入ることに」「問題があるとは思ってない」優は。短く頷いた。「分かった」それ以上。確かめようとはしない。また会えることを。喜ぶ言葉も口にしなかった。「しばらくは」優が言う。「俺が来ると思うから」「そう」仕事らしい声に戻した。「よろしくお願いします」優も。目元をわずかに細める。「こちらこそ」その切り替えは。もう不自然ではなかった。「じゃあ」優が。廊下の先を見る。「また次の会議で」「うん」「お疲れさま」「お疲れさま」優は。その場に残らず。先に歩いていった。反対側の出口へ向かった。***建物を出ると。夜の風が。頬に触れた。駅へ向かいながら。今日のことを思い返した。隼人くんと会った夜。もう少し。一緒にいたいと思
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第320話 現地へ

プロジェクトは。少しずつ。会議室の中だけでは。決められない段階へ進んでいた。病院と。地域の医療機関を。どのようにつなぐのか。共有する情報。更新する人。患者から同意を得る方法。基本となる運用は。前回までの会議で。ある程度整理されている。次に必要なのは。実際の現場で。その仕組みが使えるのか。確認することだった。既存の病院だけではなく。新しく作られる医療施設も。この連携へ参加する可能性がある。その一つが。真哉兄さんが関わっている。病院建設の案件だった。まだ。開院前。建物も。一部は工事中だと聞いている。それでも。患者の受け入れ方。地域のクリニックとの役割分担。情報を管理する仕組みは。今のうちから決めなければならない。完成してから。現場に合わせようとしても。変えられないことがある。設備。人の動線。情報を確認する場所。誰が。どの場面で入力するのか。それらを確認するために。プロジェクトの一部のメンバーで。現地を視察することになった。***午後の会議は。前回と同じ部屋で始まった。壁の画面には。建設中の病院の簡単な図面と。今後の予定が映されている。綾香の隣では。大貴が。視察に必要な項目を確認していた。「綾香」「病院側で見たいところ」「追加ある?」「情報を入力する場所と」綾香は。資料へ視線を落とす。「退院の説明をする場所」「それから」少し考える。「救急で入った患者さんを」「地域へ戻す時の流れも見たい」「分かった」大貴が。そのまま項目を加える。話は。すぐに次へ進んだ。優は。少し離れた席で。契約関係の資料を確認している。前回の会議から。実際に。優が法務側の調整へ入ることが増えていた。藤本先生が。急ぎの案件を多く抱えているため。今後も。優が参加する回の方が。多くなる可能性がある。そう聞いていた通りだった。それでも。優がいることに。綾香が身構えることはなくなっていた。必要な時に話す。必要がなければ。それぞれの仕事をする。その距離が。少しずつ自然になっている。***会議が始まると。建設中の病院について。担当者から説明があった。開院後は。周辺のクリニックから。患者を受け入れる。治療が落ち着けば。再び地域へ戻
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