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第31話:仮面の夫婦と、控室の正体

ステージの下で、怒号とフラッシュが焚かれ、白金葵と佐藤翔太が警備員に連行されていく。 その光景を壇上から見下ろしながら、俺――黒岩悠斗は、深く息を吐き出した。 胸の奥を重く支配していた絶望が、すうっと消えていく。 同時に、数日前に藁にも縋る思いで彼らに接触したあの日のことを思い出していた。 正直に言えば、最初は恐怖すら感じていた。 ある日、会社の自分のデスクの引き出しを開けると、見覚えのない漆黒のカードが忍ばせてあったのだ。そこには、淡い青のラインと、必要最低限の言葉、そして秘密のチャットへと繋がるQRコードだけが記されていた。 誰がいつの間に忍ばせたのかも分からない、実体も知れない『返却請求代行会社』。 けれど、追い詰められていた俺は、そのカードに縋るようにメッセージを送った。すると数分後には丁寧な返信が返ってきた。 チャットでのやり取りの最中、驚いたのは『ご依頼人が男性の場合、誤解を避けるため、必要に応じて夫が同席することがある』という一文だった。代行業に夫婦で来るという発想が、俺にはなかった。 けれど、その気遣いが妙に安心できた。 指定された場所で、現れた二人を見た瞬間、俺は自分の考えが甘かったことを知った。 洗練された身のこなし、これまでの人生を乗り越えてきたのであろうと思うほどに理知的な瞳の女性、梨奈(りな)さん。 そして、柔らかな空気を纏いながらも、すべてを見透かすような静かな存在感を放つご主人の志遠(しおん)さん。 あの二人は、自分とは生きている世界が違うと、そう感じさせられた。 「……返却を始めましょう」 梨奈さんのその言葉を聞いたとき、震えが止まらなかった。 それは救いの言葉のようでもあり、同時に後戻りはできないのだと分かった。 白金葵の名前を出した瞬間、梨奈さんの目がわずかに鋭くなった気がした。何か関係しているのかと思ったが、プライベートに踏み込むのは違う気がして、俺は白金家の歪んだ実態を詳しく伝えた。 金と名誉のためなら、家族同士でも平気で踏みつけ合う白金家。 彼らとの婚約が決まった会食の日の出来事も、お二人にすべて話した。 店に入った瞬間から、白金家の人間は挨拶しても立ち上がらず、頭を下げても視線すら向けてこなかった。俺の父は横で何度も頭を下げ続け、俺にも目で合図を送ってきた。 地方の名家とはいえ、高
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第32話:新たな罠と、まさかの離婚届!?

「あの、如月さん……! 俺も、あなたたちのところで働かせてくれませんか!」 気づけば、俺は熱くなって頭を下げていた。白金家のような理不尽な奴らに踏みつけられる人間を、今度は俺が救う側に回りたい。 如月さんは驚いたように目を見張ったが、すぐに隣の真壁さんと視線を交わし、フッと優しく微笑んだ。 「いいわ。あなたの建設業界での人脈と視線、これからの『返却』に貸してもらうわね。よろしく、黒岩さん」 こうして、俺は『Blue Code Studio』の最初の同志となった。◇◇◇白金葵と佐藤翔太が失脚した華やかな発表会の翌日。 特別推進部署のオフィスに戻った私は、手元のタブレットに表示された、公式ホームページからの「一件の問い合わせ」を確認していた。 黒岩さんの時のように、私が裏でカードを仕込んだわけではない。 ネットの海の片隅にある私たちのページを、自力で見つけ出し、藁にも縋る思いでメールを送ってきた本物の迷い子。 画面に映る依頼人の名前は、浅倉結衣、二十四歳。 実家は、あの老舗商社だった。 (自分で言うのもなんだけど、立て続けにご依頼を頂けることの嬉しさは半端ないわね……) だけど、と私は複雑な思いを抱く。 令嬢や令息たちは裕福ではあるけれど、庶民派の自分には分かり得ない政略結婚だの、資金繰りだの、目に見えないドロドロしたものが確かに存在している。そして、それに巻き込まれる形で困惑し、苦しんでいる息子や娘たちがいるのだと、改めて気づかされた。 メールに綴られていたのは、血を吐くような悲痛な叫びだった。 『婚約者の田中さんは、人前では優しいふりをします。でも二人きりになると、私の容姿や性格を激しく否定し、「お前の家はうちの会社を通さないと立ち行かないんだぞ」と脅すんです。もう、限界です。別れてほしいと言っても「俺を捨てるのか? 親の会社がどうなってもいいのか」と……。このまま結婚したら、私は一生、彼の所有物になってしまいます。助けてください』 (……田中) 私の頭に、ある一人の男の顔が浮かぶ。 (あの中堅商社の社員で、私の同期の、あの田中のことなのかもしれない) 令息でも何でもない、ただの下級クラスの男。 それなのに、仕事で少し上流階級の空気に浸っているだけで、自分が偉くなったと勘違いしている哀れな男。 浅倉結衣さんの実家である老舗
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第33話:窓際の見守り人と、モラハラの正体

指定されたホテルの落ち着いたラウンジ。 約束の時間の十分前に到着した。ふと視線を感じて少し離れた窓際の席に目をやった。 そこには、ハットを目深に被り、サングラスをかけた不審……いや、見覚えのある男性が、何食わぬ顔でコーヒーを飲んでいた。仁さんだ。 (本当に来てる……) 昨日の「デートをするって言うのはどうだ?」というニタニタ顔がフラッシュバックして、少しだけ心臓のペースが乱れる。 璃子は小さく息を吐き、仁さんから一番離れた席へ向かう。だけど、お互いの視界には入る席を選んで腰を下ろした。 約束の時間ぴったりに、ラウンジの入り口に一人の女性が姿を現した。 黒髪の清楚なボブカット。少し困ったような、守ってあげたくなるような垂れ目がち。派手な化粧を好まず、育ちの良さが滲み出ている。 小柄で華奢なその姿は、璃子が事前に想像していた通り、いや、それ以上に庇護欲をそそる女性だった。 浅倉結衣さんは、キョロキョロと不安そうに周囲を見渡した後、璃子の姿を見つけると、小動物のように恐る恐る近づいてきた。 「あの……佐川、さん……ですか?」 「はい。佐川梨奈です。お待ちしておりました、浅倉さん」 璃子が微笑んで席を勧めると、浅倉結衣さんは「ありがとうございます」と消え入りそうな声で言い、向かいの席にちょこんと座った。 温かい紅茶が運ばれてきた後、浅倉結衣さんはぽつりぽつりと、メールに綴られていた地獄の続きを語り始めた。 「田中さんは、人前では『結衣、今日も可愛いね』なんて優しく微笑むんです。でも、二人きりの車内や部屋に入った瞬間に、顔がガラッと変わって……」 浅倉結衣さんの華奢な肩が、かすかに震えている。 「私の着ている服やメイクを『地味で不細工。俺が一緒にいてやるだけ感謝しろ』って毎日、否定されて……。一昨日の夜なんて、私のスマートフォンの連絡先を勝手に全部チェックされて、男友達の連絡先をその場で無理やり削除させられました……っ」 (連絡先の強制削除に、言葉の暴力……。完全に精神的な監禁じゃない) 静かな怒りが、私の胸の奥でフツフツと湧き上がる。 「別れたいって言っても、ニヤニヤしながら私の父親の名刺を目の前で破り捨てるんです。『お前の実家の老舗商社が持ってる大きな販路、俺の中堅商社が間に入ってやってるから維
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第34話:俺の妻に、何を言った?

「一つ、ターゲットの破滅はあなたの幸せを保証しません」 璃子は目の前で涙を浮かべる浅倉結衣さんを、あえて突き放すような冷徹な視線で見つめ、言葉を紡いだ。 「一つ、一度契約した以上、一切の情に流されないこと。……よろしいですね?」 これは、契約を確定させる直前の、璃子からの最後の念押し。 この返却請求代行は、単なる復讐代行ではない。 奪われたものを取り戻す過程で、時には依頼人自身が現実を突きつけられ、傷つくことももちろんある。 それを想定した上で、璃子はこの返却請求代行の会社を設立している。 だからこそ、生半可な気持ちで引き受けるわけにはいかないのだ。 あとは、浅倉結衣さんの覚悟を聞くだけだ。 時計の針がカチカチと少しずつ進む音だけが響く。 「……はい。ここに依頼をした時点で、もう覚悟は決めていました。佐川さん、よろしくお願いします」 浅倉結衣さんが、震える指先で画面にサインを入れ、確定ボタンを押す。 ピコン。 静かなラウンジに、契約成立の電子音が小さく響いた。 同時に、田中の人生をゼロにするための猛烈なカウントダウンを開始された。 「よろしくお願いします、浅倉さん。契約は成立しました」 タブレットを収め、席を立とうとした、 「あの……佐川さん。実は、もう一つだけ、お話ししておきたいことがあって……」 瞬間に浅倉結衣さんが言いにくそうに引き留める。 璃子は頷きながら、座り直し、 「それでは、浅倉さん。続きを、お聞かせください」 「田中さんが、ご自分の会社にいる『如月さん』という女性の話を……」 (如月……私のことね) 同じ会社に勤めているのだから、名前が出るのは当然だ。 璃子は表情を一切変えず、 「その如月さんが、どうかされたのですか?」 その先の話を促した。 「その女性が、最近特別何とかと言う部署へ異動になったらしく。田中さんは、いつも『上司に媚びを売って出世した生意気な女だ』と言います。もちろん、田中さんも昇進したい気持ちが強く、羨ましく思って言っているのだと思っていました」 浅倉結衣さんは、呼吸を整えるように一息フッと吐き話を続ける。 「だけど、一昨日の夜はやはり田中さんの口の悪さが出まして、『たいして美人でもない女でも、枕営業すれば出世するわな。
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第35話:最強のジョーカー

「田中には女の誘惑と嫉妬、女の怖さも知ってもらわないとな」 仁さんは璃子の想像を遥か上に飛び越える言葉を口にした。 「仁さん、それどういう意味ですか? まさか……」 最悪のシチュエーションが浮かぶ。まさか仁さん、自分で女装でもして田中にハニートラップを仕掛けるつもりじゃ。 (いや、まさか、ね?) 「そうだ。そのまさか、だ」 ちょっと待って。 仁さんの自信満々な顔を見るに、今私の頭に浮かんだ「まさか」と、仁さんがドヤ顔で言っている「まさか」は、絶対に何かが違っている気がする。 だけど、今の仁さんは物凄く怖い。いや、見ているこちらが少し気持ち悪くなるほど、楽しそうにニタニタと笑っているのだ。 「……仁さん、一応確認ですけど、あなたがスカートを穿くわけじゃないですよね?」 「は? なんで俺が女装しなきゃいけないんだよ」 心底呆れたようにツッコミを入れられた。 (良かった、完全な取り越し苦労で) だけど、仁さんは一体、誰を、どのようにして使うつもりなのだ。 今回のターゲットである田中は、上流階級の空気に憧れる男。並大抵の女性じゃ、もちろん璃子なんかでは到底、無理。まず、マウントを取られて終わりだ。 「並大抵の女じゃないさ。うってつけの適任者が、ちょうど昨日、うちの同志になっただろ?」 仁さんはそう言って、ポケットからスマートフォンを取り出し、画面をタップした。 (適任者……? 昨日……あ、黒岩さん!) けれど、黒岩さんは建設業界の男性だ。 「女の誘惑と嫉妬」という仁さんの言葉と、どう結びつくのだろう。 もしかして、 「仁さん? 適任者とは、聖子さんのことですか?」 「姉貴の色気は、半端ないからな!」 仁さんは得意げにそう言った。 「聖子さんなら、『面白いわ!』と言ってくださると思いますけれど、頼人さんが反対するのではないでしょうか?」 冷静に指摘すると、仁さんは、 「黒岩さんと姉貴の二人で依頼をこなしてもらうとでも、言っておけばいいだろう」 仁さんはあっさりと言ったけれど、そう簡単に進むとは思えない。 だけど、浅倉結衣さんを傷つけずに簡単に婚約破棄へ持って行くことを考えると、浮気が一番手っ取り早い。それに、浅倉結衣さんのご実家の会社へのダメージも最小限に留められるはずだ。 ターゲットである田中が自滅する形で、それを
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第36話:新人社員は、最強のジョーカー

世の男性の皆さま、お気を付け下さいね。 私、山城グループの山城美優こと真壁聖子の華麗に男を虜にする方法を世の女性たちへお教えいたしますわ。 まさかこの歳になって、地味なリクルートスーツに身を包んで「新人の真壁です」なんて、桐島ホールディングスのエントランスを潜る羽目になるなんてね。 でも、可愛い璃子ちゃんに「枕営業」なんて最低なデマを流したあの羽虫を処刑するためですもの、とびきり極上の授業を見せてあげるわ。 まず、ステップ1 『男のプライドを刺激する、完璧な格下を演じること』 田中みたいな「上流階級の空気に憧れる小物」は、自分より仕事ができる女や、高嶺の花には警戒してマウントを取ろうとするの。だから私は、配属された企画部署で、あえて少しおどおどした「何もできないドジな新人」として彼の前に立ったわ。 「あ、あの……田中先輩、ですか? 私、書類のコピーも上手くできなくて……。あの、これ、どうすればいいでしょうか……っ?」 少し上目遣いで、困ったように首を傾げる。これだけで、男は「俺が教えてやらなきゃ」と全能感に満たされるの。 次に、ステップ2 『パーソナルスペースの破壊と、嗅覚の支配』。 「あ、これ? これはね、俺がやってあげるから、真壁さんはそこに座って俺の仕事を見てて」と、鼻の下を伸ばして近づいてきた田中の耳元へ、さらに一歩踏み込む。 香水の代わりに、体温でふんわりと香る甘いホワイトムスクのボディクリームを仕込んでおいたの。彼の鼻腔を私の香りが掠めた瞬間、田中の瞳の奥の理性がパチンと音を立てて弾け飛ぶのが見えたわ。 (男って、本当に単純) 最後に、ステップ3 『限定的な特別感を与えること』。 「さすが田中先輩……! 課長はあんなに厳しいのに、田中先輩は本当に優しくて、お仕事ができて格好いいです……っ」 部署の誰もが近づかない彼を、私だけが「特別にリスペクトしている」という構図を作るの。外面だけは一流の田中にとって、これ以上の蜜の味はないわ。 「あ、真壁さん、今日の夜さ、仕事の後に少し美味い店で飯でもどう? 相談乗るよ」 「えっ……! 嬉しいです! 田中先輩と二人きりだなんて、緊張しちゃいます……っ」 (ふふ、本当に噂通りの、分かりやすくて哀れな羽虫ね) 初日でここまで食いつくなんて
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第37話:最強のジョーカー、エデン・ガローで仕掛ける

「リクルートスーツなんて、私の肌には退屈すぎるもの。さあ、皆さま、ここからはハニートラップ応用編、ステップ4よ」 『ギャップという名の、逃れられない猛毒を放つこと』。 昼間は地味でドジな新人リクルートスーツ姿だった私が、夜のデートに山城グループの令嬢としての本気を、いえ、ほんの少しだけ乗せたドレス姿で現れたらどうなるかしら? 答えは簡単。男は脳の処理が追いつかなくなって、私の言葉すべてを信じるイエスマンになるの。 クローゼットから選び抜いたのは、田中の安っぽい理性を一撃で粉砕するための衣装。あえて背中が大胆に開いた、けれど下品にならないミッドナイトブルーのシルクドレス。鏡の前で髪をふんわりとかき上げ、お気に入りのルージュを引く。 「さあ……お待たせ、田中くん。極上の地獄へ招待してあげるわ」 『姉貴、気合入れすぎだ。田中の心臓が止まったら作戦失敗だからね?』 一度自宅へ戻る車内、インカムから聞こえる仁の呆れ声に、私はハンドルを握りながらフッと妖艶に笑った。 「あら、これでもかなり手加減して、育ちの良さそうなドレスを選んだつもりよ? 録音・録画の準備、よろしくね。璃子ちゃん」 インカムの向こうで、璃子ちゃんが『はい、聖子さん! 録音・録画の準備、こちらで完璧にバックアップします!』と、健気で頼もしい声を返してくれる。その背後で、私の愛しい頼人さんが「聖子……頼むから無理はしないでくれ……」と今にも胃に穴が空きそうな声で呟いているのが聞こえて、最高のスパイスになるわ。 2時間後。 高級レストラン『エデン・ガロー』の前に現れた私を見て、待ち合わせ場所にいた田中は、言葉を失って金魚のように口をパクパクと開閉させていたわ。 「ま、真壁さん……!? え、本当に、昼間の……?」 鼻の下を限界まで伸ばし、完全に目がハートになって、私の胸元から目が離せなくなっている。 私は初々しい笑みを張り付かせたまま、そっと田中の腕に、私の豊かな胸が少し触れるくらいの絶妙な距離感で腕を絡ませたわ。 「お待たせいたしました、田中先輩。私、先輩とのディナーが楽しみで。それに、先輩と釣り合うように、ちょっと背伸びしたのですけれど……変、じゃありませんか?」 「へ、変だなんてとんでもない! 最高だよ、真壁さん! さあ、中へ入ろう!」 ウサギどころか、獲物を前にしたつもりの
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第38話:ミッドナイトブルーの誘惑と破滅の約束

田中の顔が「勝った!」と言わんばかりの、下卑た全能感に歪んだわ。 「な、何言ってるんだよ。真壁さん! 権力だの財力だの、そんなの俺がこれから桐島ホールディングスでいくらでも手に入れてみせるさ! 君の実家なんて関係ない、俺が君を養って、贅沢させてあげるから! だから……!」 どうやら彼の浅浅な脳細胞は、そのすべてを同時に手に入れようと欲張ったみたいね。 私はさらに視線を揺らし、今にも泣き出しそうな、庇護欲をそそる表情を作ってみせた。 「……それでも、私は田中先輩の足を引っ張ってしまうかもしれませんわ。だって……私の魅力なんて、何一つないのですもの。先輩の隣にいるために、私、何を信じればいいのか分からなくなってしまいました……っ」 潤んだ瞳で、すがるように田中を見つめた。 形のない愛なんて信じられないわ、と無力な女を演じてみせる。男の「特別な俺」を見せつけたい自尊心を極限まで煽る、最高の呼び水よ。 案の定、田中は完全にハメられたとも知らず、鼻息を荒くして身を乗り出してきたわ。 「そんなことない! 俺を信じてくれればいいんだ! 真壁さん、俺はただのサラリーマンで終わる男じゃない。現に、近々うちの桐島ホールディングスが浅倉商事の裏資産を合法的に吸収するプロジェクトが動いていてね、その中心にいるのが俺なんだ! 数億の金が俺の手元を動くんだよ!?」 ――あら。ごちそうさま、田中くん。 インカムの向こうで、仁と璃子ちゃんが「音声データ、バッチリ押さえました!」とガッツポーズしている姿が目に浮かぶわ。 「だから、俺には浅倉の娘なんていつでも捨てられる。証拠だってある、ほら、これを見てくれ!」 自分がどれだけ特別な男かを証明したくて仕方のない田中は、完全に理性を失った顔で、ジャケットの懐から小さなスエードの箱を取り出し、パカッと開いてみせた。 中に収まっていたのは、眩しく煌めくダイヤの指輪。 「田中先輩? この指輪って……いつ私のためにご用意してくださったのですか? 私たち、今日初めてお話ししましたのに……」 私は不思議そうに、けれど無垢な瞳で首を傾げてみせた。 一瞬、田中の顔がギクッと強張ったわ。 今日出会ったばかりの地味な新人に、最初から婚約指輪を用意しているはずがない。自分のつじつま合わせの嘘が破綻しかけて、
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第39話:二週間後の戦況報告

あれから、二週間が経過した。 毎日、田中からもの凄い数の連絡が聖子さんの元へ届いている。 一日に数十件を超えるメッセージ、鳴り止まない着信、そして自分のスペックを自慢する長文のメール。田中の執着がこれほどまでに酷いとは、璃子には想像もしていなかった。もし自分がこんな男に目をつけられたら、恐怖で耐えられないと感じるほどだ。 「聖子さん、本当に大丈夫ですか?」 ノートパソコンに次々と同期される田中の「ストーカー履歴」を眺めながら、思わずため息を漏らした。 ソファで優雅にハーブティーを嗜んでいた聖子さんは、フッと艶やかな笑みを浮かべて美しい唇を開く。 「心配いらないわよ、璃子ちゃん。デートの付き合いは最低限にしている。たまにショッピングに付き合わせて、私が『あら、素敵ね』と目を留めた高額な商品を、田中は会うたびに必死になって買い漁っているわ。……まあ、私の好みではないから、全て受け取りを拒否して店から田中の自宅へ直接配送させているけれどね」 「えっ……受け取っていないんですか?」 驚く璃子に、聖子さんは当然のように美しい眉を上げた。 「当たり前でしょう? どこから湧いてきたお金か分かったもんじゃないわ」 要するに、山城グループの人間として、後から『恐喝』だの『贈賄』だのと言いがかりをつけられることのないように、足跡を一切残さないのだ。どれだけ高価な宝石や服を買い与えようとしても、聖子さんの手元には何一つ残らない。残るのは「田中が自分の意思で大金を使った」という店舗側の購入履歴だけ。 「貢がせるだけ貢がせて、私は一円たりとも直接は受け取らない。それがハニートラップの鉄則よ」 さすが聖子さん、美貌だけでなく、リスク管理も完璧で恐ろしいほどに冷徹だ。 すると、隣でタブレットを叩いていた仁さんが、意地の悪い笑みを浮かべて会話に入ってきた。 「姉貴にいいところを見せようと見栄を張り続けた結果、田中の個人資産はもうボロボロだから。クレカの限度額はとっくに限界突破。浅倉商事から裏金を引っ張る前に、自分の貯金だけじゃ足りなくて、裏のサラ金にまで手を出し始めてる。自分で自分の首を絞める、最高のお馬鹿さんだ」 仁さんがニヤニヤしながら見せてくれたタブレットの画面には、田中の銀行口座の履歴と、消費者金融3社からの借入状況が赤裸々に映し
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第40話:決着の舞台、開宴

桐島ホールディングスと浅倉商事の合同プロジェクトパーティー。 天井の巨大なシャンデリアが眩しく輝く大ホールは、政財界の有力者や着飾った人々で埋め尽くされ、熱気に満ちていた。 璃子はスタッフの一員としてインカムを耳に仕込み、トレイを持って会場の端を静かに歩いていた。視線の先には、主役気取りでワイングラスを傾ける直樹と、その腕にこれ見よがしに抱きつく麗香専務の姿がある。 「どこにでも、この二人は現れる」 璃子は思わず独り言を漏らした。 直樹、麗香専務の周囲には、取り巻きたちがお世辞を並べ立てながら囲んでいた。 いつも通り、感情だけで動く、計算も計画性もない人たち。 璃子が冷ややかに彼らを見つめながら通り過ぎようとした、その時だった。 「あら、ごめんなさい?」 わざとらしい、甲高い声が響いた。 麗香専務に媚びを売る有力者の令嬢が、璃子の進路を塞ぐようにしてわざと肩をぶつけてきたのだ。 次の瞬間、璃子のトレイから滑り落ちたシャンパングラスが、足元で激しく叩き割られた。 鋭い音。 砕け散る硝子。 「おっと、危ないな! 庶民は足元を見て歩かないからこうなるんだ」 間髪入れず、ある男性社員が璃子の肩を強く突き飛ばした。 バランスを崩し、床に手をつく。 砕けたガラスの破片が手のひらに突き刺さり、焼けるような痛みが走った。 でも、涙は絶対に出さない。ここで顔を歪めたら、彼らの思うツボだから。 騒ぎを聞きつけた麗香専務が、直樹の腕に抱きついたまま、ゆっくりと歩み寄ってきた。 その唇には、歪んだ冷笑が浮かんでいる。 「お祝いの席で、ずいぶんな注目を集めるのね。如月さん」 「勘弁してくれよ」 直樹は璃子を見下ろし、虫ケラでも見るかのように忌々しげに吐き捨てた。 「お前は、身の程を知れ。分かったな」 「直樹さん、いいのよ。お祝いの思い出作りも必要ですものね。……そうよね、如月さん?」 麗香専務の底意地の悪い言葉に、周囲の取り巻きたちからドッと嘲笑が湧き起こった。 ある女性が「これだから庶民は」と鼻で笑い、別の有力者は「不吉だわ、縁起でもない」と肩をすくめて璃子を蔑むような目を向ける。 誰も助けようとはしない。自分の立場を守るために、璃子を踏みつける方に回る方が楽だからだ。 璃子
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