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第41話:主役が代わる5分前

ホールの前方にあるステージの照明が一段と明るくなった。 桐島ホールディングスと浅倉商事の合同プロジェクトが動き出した。 「おっ、いよいよ始まるな。麗香、行こうか」 顔を真っ赤にしていた直樹だったが、ステージの進行を機にこれ幸いとばかりに背を向けた。麗香専務の腰を抱き寄せながら、勝ち誇った顔で最前列の席へと歩いていく。取り巻きたちも、主人の後に続く犬のようにぞろぞろと移動を始めた。 ハンカチで手のひらの血を静かに拭いながら、会場の壁際に身を寄せる。 インカムにそっと触れ、小さくノック音を二回響かせた。 『こちら璃子。舞台、整いました』 『……璃子。手を切ったな?』 低く、地を這うような仁さんの声。 『何かされたのか? 璃子の身体は、髪の毛一本に至るまでこの俺のものだ。……許せない。明衣ちゃん、予定を早めろ。これ以上璃子を傷つける奴らは、俺がこの手で一人残らず引き裂く』 初めて聞くほどの激しい怒りの声だった。 『了解です。仁さん。では、私、横田明衣が返却請求代行の名に懸けて、最高のショーを整えます』 ステージ上には、浅倉商事の社長夫妻、そして今回のプロジェクトの鍵を握る浅倉結衣ちゃんが、緊張した面持ちで席についていた。 浅倉結衣ちゃんは、自分が桐島ホールディングスに利用されようとしていることも、婚約者である田中が裏で何を企んでいるかも、すべて知った上で今はまだ大人しく騙されている無垢な令嬢を演じている。 そんな浅倉結衣ちゃんの姿を、ステージの下からいやらしい笑みを浮かべて見上げている男がいた。 ――田中だ。 ジャケットの胸元をいじりながら、田中は浅倉商事の資産を乗っ取った後のバラ色の未来でも妄想しているのか、鼻息を荒くしてニヤニヤと歪んだ全能感を隠そうともしていない。 だが、そんな田中の背後に、音もなく一人の美女が近づいていく。 背中が大胆に開いた、ミッドナイトブルーのシルクドレス。 会場のどの令嬢よりも圧倒的な気品とオーラを放つその女性、聖子さんが、田中のすぐ耳元で、甘く囁いた。 「田中先輩。お会いできて嬉しいわ……」 「あ、浅浅……っ、じゃなくて、真壁さん!?」 田中が弾かれたように振り返る。その顔は、一瞬でだらしなく崩れた。地味な新人の聖子さんが自分を追ってこの最高級のパーティーにまでやってきてくれたという事実に、完全
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第42話:罪のカウントダウン

「――我が桐島ホールディングスと、浅倉商事の新たなる門出に!」 壇上で直樹がマイクを握り、いかにも一流企業の次期後継者といった風に胸を張って声を張り上げた。会場からは盛大な拍手が沸き起こり、隣に立つ麗香専務も勝ち誇ったような笑みを浮かべている。 その拍手は、突如として響き渡った「キィィィィン――ッ!!」という、鼓膜を突き刺すような激しいハウリング音によって無残に掻き消された。 「な、なんだ、音響トラブルか!?」 直樹が耳を塞ぎながら顔を顰める。 しかし、ノイズの直後にスピーカーから流れてきたのは、機械の故障音などではなかった。それは、あまりにも生々しい、聞き覚えのある男の声。 『本当さ! 浅倉商事の裏資産を合法的に吸収するプロジェクトの中心がこの俺さ。さっきも言ったじゃないか』 ホールの超高級スピーカーから大音量で響き渡ったその声に、会場全体が一瞬で水を打ったように静まり返る。 「え……? あれ、田中……さんの声?」 最前列の席で、大人しく騙されているフリをしていた浅倉結衣ちゃんが、わざとらしく周囲に聞こえるような困惑の声を上げた。 会場の視線が、一斉にステージの下で凍りついている田中に集まる。 田中はさっきまで鼻の下を伸ばしていた顔を完全に引きつらせ、血の気を失った顔でガタガタと震え始めていた。 明衣ちゃんの容赦ない上映会は、まだ始まったばかりだ。 スピーカーから流れる音声は、さらに増していく。 『それに、数億の金が手元を動くんだよ。あそこにいる浅倉の娘なんて、ただの踏み台さ。計画が済んだら速攻で破棄してやる。俺が本当に愛しているのは君だけ……』 「な、何だ。これは! 音を止めろ! 誰か早くシステムを切れ!!」 壇上の直樹が顔を真っ赤にして、ステージの袖にいるスタッフに向かって怒鳴り散らした。しかし、会場の壁一面の大型スクリーンには、音量ゲージと共に【FILE:田中・背任横領および詐欺の決定的な証拠】という巨大な文字が明滅し、ビクともしない。 会場内は一気に蜂の巣をつついたような騒然とした空気に包まれた。 「おい、今の音声、本当か!?」 「浅倉商事の資産を乗っ取る計画だって!?」 「桐島ホールディングスは、裏でこんな詐欺師を抱え込んでいたのか!?」 さっきまで直樹の太鼓持ちをして
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第43話:誰も止められない

「自業自得、ね……」 会場の隅の影に隠れるようにしてその光景を見つめながら、璃子は小さく息を吐いた。 手元を見れば、直樹に踏まれたガラスの破片で切った手のひらから、まだじわりと赤い血が滲み、ハンカチを汚している。 「……これ以上、そんな者たちのためにその手を汚すなと言ったはずだ」 騒然とする人混みの隙間を縫うようにして、不意に璃子の前に大きな影が差した。 見上げた先、そこにいたのは、いつもcrescent moonで見せる気怠げな修理工の姿ではなく仕立ての良い、最高級のブラックスーツ。髪をきっちりと上げ、周囲の有力者たちが思わず道をあけるほどの、圧倒的な気品と支配者のオーラを纏った、仁さんが、そこに立っていた。 「仁、さん? 返却請求代行の依頼が、台無しになりますよ」 小声で璃子は告げる。 「それに、山城グループだとバレますよ」 璃子の声は、仁さんに届いていないのか、仁さんは答えない。ただ、酷く鋭く、そして狂おしいほどに切ない瞳で私の傷ついた手を見つめる。 まだ、完全に返却請求していない人たちがいるのに、どうして仁さんは表に出てきてしまったのだろうか。聖子さんはどうして仁さんを止めなかったのか。慌てて会場を見渡してみたけれど、聖子さんも、頼人さんの姿も見当たらない。 (どうしたらいいのだろうか?) 助けを求めるようにステージの浅倉結衣ちゃんへ視線を向けると、彼女もまた、この想定外の事態に深く困惑しているように見える。 すると、仁さんはためらいもなくその大きな手で私の手首を掴んだ。 驚くほど優しく、その腕でしっかりと璃子を抱きしめる。 声を上げる隙すらなかった。 周囲の喧噪など一瞥もせず、仁さんは軽々と横抱きに、お姫様抱っこで抱え上げたのだ。あまりのことにあたふたする璃子をよそに、仁さんの佇まいはどこまでも堂々としていた。 「璃子をどん底に突き落としたことですら、腹立たしいのに。何だ、今日は傷までつけて。こんな怪我を負わせた者らを前に、俺が黙って見ていられると思うか!」 仁さんは璃子を抱っこしたまま、会場全体を見渡す。 「いいか! この女性の手からこれほどまでに流血させておいて、この会場にいる者は誰一人として気に止めない。そんな企業とは、俺は最初から手を組む気などない!」 マイクを通さず
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第44話:契約結婚の終わり?

仁さんは璃子を腕の中に閉じ込めたまま、一般客は立ち入ることのできない、VIP専用の奥まった控室へと強引に足を進めていく。 静かに扉が閉まり、会場の騒音が遠のいた。 仁さんは璃子をふかふかのソファにそっと横たわらせると、自ら部屋の救急箱を取り出した。 璃子の目の前に片膝をつき、「手を出して」と言った。 そっと手を差し出した。 仁さんは璃子の手をまるでもろいガラス細工を扱うように、愛おしそうに両手で包み込む。 その指先は、璃子を傷つけられた激しい怒りと、一歩遅ければもっと酷いことになっていたかもしれないという恐怖で、微かに震えているようだった。 そして、消毒綿で優しく、本当に優しく傷口の血を拭い始めた。 「痛むか? ……すまない。俺がもっと早く動いていれば、お前にこんな傷を負わせずに済んだのに」 傷口に、仁さんの熱い吐息がかかる。そのあまりの距離の近さと、その指先から伝わる痛いほどの過保護さに、璃子の心臓がうるさいほどに脈打ち始めた。 「仁さん……私たちは、復讐のための契約結婚のビジネスパートナーのはずです。そこまで自分を責めないでください」 璃子が無理に微笑んで見せると、仁さんの消毒を動かす手が、ピタリと止まった。 ゆっくりと上がった仁さんの美しい切れ長の瞳が、璃子の目を真っ直ぐに捉える。 「ビジネスパートナー、か。お前は本当に、罪な女だな」 仁さんは自嘲気味に言った。 包帯を巻き終えた璃子の手を、そっと自分の頬に寄せた。 仁さんの肌の熱が、手のひらを通じてダイレクトに伝わってくる。 「俺は璃子をただ拾ったわけじゃない。……俺の命のすべてをかけて愛する女を、ようやく見つけたんだ。最初から、契約だけのつもりだったのは璃子だけだ」 頭が真っ白になる。 契約、ビジネス、利害関係――これまで自分を縛り、守ってきたはずの冷たい言葉たちが、仁さんの熱い告白によって一瞬で融解していく。 驚きに固まる璃子の顎を、仁さんの長い指先が優しく上向かせた。 逃げることなど許さないと言わんばかりに、仁さんの顔が近づいてくる。 「もう、仕事の相棒のフリをして見守るのは限界。……覚悟しておけ」 降ってきたのは、熱く息が詰まるほどに深い、初めてのキスだった。 奪うような強引さと、壊れ物を慈しむような優し
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第45話:因果応報のカウントダウン

大型スクリーンに映し出された、あまりにも鮮明で、一切の言い逃れを許さない証拠の数々。 ホールの照明が落とされ、青白い光の中に浮かび上がったのは、佐藤翔太が観念して裏金工作の全容を生々しく自白している供述動画だった。 続いて、田中がどのペーパーカンパニーを経由して資金を吸い上げていたかを示す、裏口座の生々しいログ。そして極めつけは、麗香専務が「自宅待機命令」という会社の処分を完全に無視し、裏で糸を引いて璃子をハメようと画策していた決定的な音声データだった。 スピーカーから麗香専務の傲慢な声がホール全体に鳴り響くたび、会場を埋め尽くす賓客たちからは、 「うわぁ……」 「これは完全にアウトだな」 「桐島ホールディングスも落ちたものだ」 容赦のない軽蔑と哀れみの混じった声が次々と漏れ出した。さっきまで名門企業としてスポットライトを浴びていたはずの桐島社長、麗香専務、直樹が、一瞬にして衆人環視のさらし台に立たされた。 「な、なんだこれは……! 捏造だ! こんなの、ただの嫌がらせだろ! 営業妨害で訴えてやる!」 直樹が顔を真っ赤にして、血管を浮き上がらせながら見苦しく叫ぶ。しかし、壇上に立つ頼人さんは、慌てる素振りすら見せず、眼鏡の奥の瞳を細めると、フッと鼻で笑った。その侮蔑に満ちた笑みが、直樹の言葉がいかに無価値であるかを証明していた。 「捏造、ですか? 直樹さん。我が『Blue Code Studio』をどこの三流探偵事務所とお思いですか?」 頼人さんはゆっくりと歩を進め、直樹を見下ろした。 「ここにあるすべてのデータは、すでに我が社の法務部を通じて、警察および金融庁への提出が完了しています。国家機関によって法的に本物の証拠として受理されたデータに対して、これ以上の見苦しい言い訳は通用しませんよ」 頼人さんの静かで淡々とした言葉は、その場にいるすべての者たちの肝までも冷やすほどの威力を持っていた。一切の感情を排除した。その言動とジェスチャーには、会場の誰もが「もしこの男を敵に回せば、自分も一瞬で社会的に抹殺される」と思わせるほどの圧倒的な迫力があった。 「さらに、麗香専務。貴女は会社から自宅待機を命じられていた身でありながら、処分を無視して田中と密会し、浅倉商事との合同プロジェクトを不正に我が物にするための指揮を執っ
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第46話:『Blue Code Studio』〜予期せぬ巨大な提案〜

重厚な防音扉に守られた、VIP専用控室。 つい先ほどまでのメインホールの喧騒が嘘のように、室内には張り詰めた静寂が満ちていた。 そこには、浅倉社長夫妻と浅倉結衣ちゃん、そして頼人さんに聖子さん、そして璃子と仁さんが一堂に会していた。 浅倉社長は、室内に佇むメンバーの顔ぶれと、彼らが放つただ者ではないオーラを肌で感じた瞬間、まるで足元にセメントを流し込まれたかのようにその場に硬直した。特に、璃子の隣で泰然と佇む男の姿に、浅倉社長の目はこれ以上ないほど見開かれる。 「そちらにいらっしゃるのは、本当に、国内最大財閥の山城グループを率いる、山城陸代表……ですか!?」 経済界の頂点に君臨し、メディアにすら滅多に姿を現さない生ける伝説。そんな男がなぜ、個人のトラブルの場にいるのか。 浅倉社長の頭の処理が追いつかない中、仁さんは至って平然とした様子で、ポケットから片手を抜いて口を開いた。 「ああ。彼女の夫の、山城です。不作法をお許しください。そしてこちらにいるのは、僕の姉である美優。その隣にいるのが、姉の夫で宇佐美ファイナンシャルグループを統括する、宇佐美頼人です」 仁さんが一通り、淡々と自己紹介を終える。 その豪華すぎる名売りに、浅倉社長は目眩を覚えたように壁に手を突いた。 「大企業間の複雑な紛争や、表に出せない巨額の国際トラブルを、卓越した法と圧倒的な資金力でことごとく闇に葬ってきたという……あの伝説のコンサルタント、頼人様……! 結衣、お前、山城代表だけでなく、この頼人様まで裏から動かしたというのか……! 一体、我が社の規模でどれほどの報酬を支払う約束をしたんだ!?」 浅倉社長の悲鳴のような問いかけに、浅倉結衣ちゃんは怯むことなく、むしろ誇らしげに胸を張って真っ直ぐに父親を見つめ返した。 「私が彼らを動かしたのではないのですよ、お父様。私は私の全財産、そしてこれから私が生み出す未来の価値のすべてを賭けて、彼ら『Blue Code Studio』と正式な契約を結んだのです。山城グループの権力に縋ったわけではありません。彼らの掲げる『理不尽な契約の打破』という理念に、私は投資したのです」 浅倉結衣ちゃんの凛とした答えを聞き、浅倉社長はしばらく絶句していた。言葉を失い、我が子の急激な成長を目の当たりにして呆然としていたが、やが
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第47話:それぞれの新しい一歩 〜契約結婚の終わり〜

私、浅倉結衣。 あの大騒動となったパーティーから、数日が経った。 世間は今、国内最大手の山城グループと、宇佐美ファイナンシャルグループという経済界の二大巨頭が同時に動いた『桐島ホールディングスへの三十六億円の損害賠償請求』のニュースで持ちきりだ。朝のニュースでも、週刊誌の紙面でも、彼らの不正と破滅が連日報じられている。 完璧な証拠を公衆の面前で握られた桐島グループは、株価が大暴落し、社会的に完全に失脚した。私を言葉巧みに騙そうとした田中も、警察の手によって逃げ場のない厳しい取り調べを毎日受けていると聞く。 けれど、世間のそんなお祭り騒ぎよりも、私にとって何より大きな変化は、今、社長室のデスクの向こうにいる父親の顔だった。 「結衣、この資料なんだが……君が新しく立ち上げたいと言っていた、古紙を使ったハンドメイドの紙作りの事業企画書だね。非常に素晴らしい着眼点だ。ただの廃棄物を、人の温もりがある美しい再生紙へと生まれ変わらせる……。我が社の出資で、ぜひ子会社としてスタートさせてみないか?」 浅倉商事の社長室で、父はかつてないほど真剣な、そして一人の父親としての優しい眼差しで私を見ていた。 「お父様……! はい、ありがとうございます! 精一杯、頑張ります!」 田中の一件で、一時はすべてを失い、世界の底へ突き落とされたような絶望を味わった。けれど、私は諦めなかった。自分の力で、本物のプロフェッショナルたちと出会い、彼らを信じて契約を結び、結果として会社を、そして自分の未来を救い出すことができた。 あの日、VIP室で私の無謀な夢を真っ直ぐに応援してくれた『Blue Code Studio』の若き女性代表――如月璃子さん。 そして、璃子さんを誰よりも愛おしそうに、誇らしそうに見つめていた山城代表や頼人様たちの姿が、今も鮮明に目に焼き付いている。 『Blue Code Studio』 理不尽な悪を切り裂き、傷ついた人の背中を圧倒的な強さで押してくれる、孤独だった私のヒーロー。 あの怪しげで、だけどどこまでも誠実なスタジオに、自分の全財産を賭けて依頼をしたことは、私のこれまでの人生の中で一番、最高の選択だった。 如月代表、本当にありがとうございました。私は私の場所で、絶対に自分の夢を叶えてみせます。 *** 一等地に
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第48話:元婚約者とその女

浅倉商事の社内に『Blue Code Studio』のコンプライアンス指導事務所が常設されたのは、あの日からすぐのことだった。 オフィスの一角に設けられた真新しいオフィスには、最先端のセキュリティサーバーが並んでいる。横田明衣ちゃんが独自に構築した、社内の微小な資金移動や不正アクセスを1秒で感知する鉄壁の不正検知システム。そして、黒岩悠斗さんの容赦のない行動心理学に基づいた内部統制の仕組みによって、事務所は早くも表の経済界で「恐るべき抑止力」として絶大な成果を上げ始めていた。 これによって、浅倉商事の株価や社会的信用はかつてないほど高まっている。だが、私たちの本当の目的は、単なる企業の健全化ではない。踏みにじられた弱者の無念を晴らし、理不尽な契約の裏に隠された悪を暴くことだ。 「――璃子さん、これを見てください。少々、往生際の悪い鼠が、最後の下水に潜り込んだようです」 いつになく冷徹な声を響かせ、会議室の大型モニターの前に立った黒岩さんが、いくつかのデータをロードした。画面に映し出されたのは、数枚の鮮明な盗撮写真と、暗号化された不穏な通信ログの数々だった。 それを見た瞬間、璃子の背中に、バケツの氷水を浴びせられたかのような冷たい戦慄が走った。 写真に写っていたのは、数ヶ月前のあの日、元婚約者である直樹からすべてを奪われ、絶望のどん底で仁さんと出会った日。 区役所の夜間受付窓口から、婚姻届を提出して揃って出てきた璃子と仁さんの姿だった。 切り取られた写真の中の二人は、車に向かって歩きながら、お互いの指を深く絡ませるようにして「恋人繋ぎ」をしていた。 (あの時の……車に乗った直前に一瞬だけ視界を過った、フラッシュのような強い光……!) あの日、通勤前の女性がコンパクトミラーを傾けただけの反射光だと思って見過ごしてしまったあの光は、偶然などではなかった。やはり、最初から私たちを監視し、引きずり降ろそうと隙を狙っていた、何者かのカメラの望遠レンズだったのだ。 「桐島直樹、そして元専務の麗香の動きです。田中や佐藤翔太という手駒を完膚なきまでに潰され、36億円という天文学的な賠償請求を突きつけられて後がない二人は、この写真を使って一発逆転を狙っています。山城の本家、および大手週刊誌メディアに対して、『山城グループの若き代表が、身内のコ
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第49話:完全なる婚姻

――桐島ホールディングス、緊急取締役会。 窓から差し込む斜光すらも重苦しく感じるほど、緊迫した空気が張り詰める大型会議室。その最奥には、かつての栄華を失いかけて焦燥に駆られた直樹と麗香専務の姿があった。 そして彼らの対面には、直樹たちが「山城グループの絶対的な醜聞」をリークして味方につけようと、わざわざ頭を下げて呼び寄せた、山城本家の厳格な重鎮たちの姿があった。冷徹な眼光を放つ老人たちは、腕を組んだまま、静かに事の顛末を待っている。 カツ、カツ、と静かな室内に足音が響いた。 「お揃いのようですね。我がスタジオのクライアントでもない貴方が、わざわざ山城の本家の方々までお呼び立てして、一体何のご用ですか?」 仁さんが璃子の手を優しく、しかし誰の介入も許さないほど強く引きながら堂々と入室すると、直樹は待ってましたと言わんばかりに、下衆な歪んだ笑みを顔いっぱいに浮かべて立ち上がった。その目は狂気に染まり、勝利を確信した全能感に満ちあふれている。 「往苦しいぞ、真壁仁! ――いや、山城グループの若き最高権力者、山城仁代表と言うべきかな! お前がその身分を隠して我が社に経営コンサルタントとして潜り込み、あろうことか、そこの身の程知らずな元婚約者……如月璃子と不適切な関係を結んでいることは、全て調べがついているんだよ!」 バサァッ! と、直樹が勝利の咆哮とともに会議室の重厚なデスクの上に叩きつけたのは、あの薄暗い区役所前で撮影された盗撮写真だった。 「これは数ヶ月前の朝、お前たちが区役所の夜間窓口から出てきて、親密に、破廉恥にも手を握り合っている動かぬ証拠写真だ! 山城の本家が黙っていない極秘の監視の目を盗み、身内のコンサルタントの女を囲って職権乱用のスキャンダルを起こすとはな。麗香専務、マスコミへのリークの手配は万全だろうね!?」 隣で冷酷な笑みを浮かべ、ゆったりと腕を組んでいた麗香専務が、これ以上ないほど愉悦に満ちた声で頷く。 「ええ、直樹。下のメイン記者会見場には、すでに主要テレビ局や大手週刊誌の記者たちが全員集まっていますわ。山城代表の『不倫・職権乱用スキャンダル』として、今すぐ日本中に生中継の電波に乗せて、その汚れた化けの皮をブチまけて差し上げます。如月璃子、お前がどんなに偉そうに吠えようと、ここで社会的に一発で抹殺よ!」
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第50話:世紀の生中継〜完全なる婚姻と、剥ぎ取られた尊厳〜

――桐島ホールディングス、大記者会見場。 室内には無数のフラッシュが目も眩むほど激しく焚かれ、大型テレビカメラの赤いランプがすべて、日本中への生中継の開始を告げて点滅していた。集まった大手新聞社や週刊誌の記者たちは、経済界を揺るがす「山城グループ代表の決定的なスキャンダル」という特大のスクープを前に、異様な熱気で殺気立っている。 そんな中、壇上の記者席に引きずり出された直樹と麗香専務は、先ほどの取締役会での衝撃的な事実、仁さんが本名で籍を入れていたことから未だに立ち直れず、幽霊のように真っ白な顔でガタガタと目に見えて震えていた。 だが、すでにマスコミを呼んでしまった以上、もう後戻りはできない。直樹は心の中で「山城本家が裏切るはずがない、何かの間違いだ、ここで騒ぎ立てればマスコミが味方をしてくれる」と、往生際の悪い、致命的な現実逃避を繰り返していた。 「皆さま、お集まりいただきありがとうございます……」 麗香専務が、指先を震わせながら重いマイクを握りしめた。 事前に二人で綿密に作り上げていた『山城代表による職権乱用と、身内の女性コンサルタントとの不適切な不倫関係の告発』という偽りのシナリオを喋ろうと唇を動かす。だが、山城の本当の恐怖を目の当たりにした直後の彼女の喉は完全に干からびており、情けない掠れた声しか出ない。 その時だった。 バァン! と重厚な音を立てて、大記者会見場の後方の扉が左右に堂々と開け放たれた。 「な、何だ!?」 「誰が立ち入ってきた!?」 緊迫した空気が流れる会場の中で、ざわつくマスコミ陣の視線が一斉にその入り口へと向く。 逆光を背負って現れたのは、仕立ての良い漆黒の高級スーツを完璧に着こなした、山城グループの若きトップ。経済界の頂点に君臨する男、山城陸こと、真壁仁。 そして、その隣で一切の気後れもなく、凛とした美しさと圧倒的なオーラを放ちながら、真っ直ぐに前を向いて歩く『Blue Code Studio』代表、如月璃子だった。 二人が放つ絶対的な強者の風格に、会場にいた数百人の記者たちが圧倒され、一瞬にして静まり返る。 仁さんは大股で壇上へ上がると、凍りついている直樹の手から無造作にマイクを奪い取った。そして、会場全体、そしてレンズの向こう側で画面を凝視している日本中の視聴者へと向けて、低く背筋が凍るほどの冷静的かつ
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