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第11話:復讐の幕開け

翌朝。 コンペ会場へ向かう直前、麗香専務から「専務室へ来なさい」と璃子の会社用携帯に連絡が入った。別に、あの二人や、こんな理不尽な会社のために徹夜をしたわけではない。自分私自身のプライドを守るための戦いだが、何とも腹立たしい。 眠そうになる目を必死に見開いて、何度も自分の頬を叩いてみたり、化粧室へ行き冷たい水で顔を洗ったり……。そうやって必死に睡魔と戦いながら、山城グループとのコンペに使用するマーケティングデータを仕上げたというのに、お礼の一言もなく呼び出しだなんて、本当にどこまでも身勝手な人たちなのだ。 こんなことを心の中でブツブツ思いながら、廊下を歩いているうちに、麗香専務のいる専務室の前へと到着した。 これほどまでに豪華な木目のドアを見せつけられたら、中にはさぞかし仕事のできる人がいるのだろうと、普通なら思う。だけど、実際は中身のない無能が、見た目だけの圧でこんな豪華な部屋を用意してもらえている、これこそが給料泥棒と言えるのだろう。 (世も末ね) 静かにノックをする。 「失礼いたします。如月です」 璃子が入ってくるのを、今か今かと待ち構えているのだと思っていた。 けれど、ゆっくりとドアを押し開けると、室内は異様なほど静まり返っている。その不自然な空気に、何かが起きる、と直感が告げた。 「璃子、本当に完璧にできたんだろうな? 失敗したら、大損だからな」 開口そうそうに、直樹さんは椅子から立ち上がることもなく、これ見よがしに足を組み替えて鼻で笑った。 「ご確認をよろしくお願いします。麗香専務」 直樹さんの言葉を完全に無視して麗香専務の傍へ歩み寄り、手にしているタブレットをデスクへ置いた。 データを見たところで、麗香専務にはどんな意味があり、どんな効果があるのか、全く理解できないだろう。ただただ、怒りのはけ口をこちらに向けて難癖をつけるだけだ。 「それで、家政婦さん。これをどう説明しろと? わたくしに、恥をかかせるおつもりですの?」 麗香専務の反応は、思っていた通り。タブレットの画面を睨みつけ、すぐに璃子を睨み返す。そんな行動くらい、とうに観察済みだ。 「コンペと言えば、解説も必要だというのに。璃子はそれさえも準備していないのか!」 直樹さんは、組んでいた足を組み替えて勝ち誇ったように身を乗り出した。 「では、こちらをお使い
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第12話:逆転の幕開け

山城グループ主催のコンペ会場は、割れんばかりの拍手と歓声に包まれていた。 璃子が提出したマーケティングデータが、審査員たちを完全に圧倒した。プレゼンが終了した直後、ステージ上でマイクを向けられた。 「素晴らしい戦略でした、如月さん! これほどの緻密なデータを、一体どれほどの期間をかけて構築されたのですか?」 壇上のまばゆいライトを浴びながら、少し照れたような笑みを返して、マイクへ顔を近づけた。 「3年間、片時も欠かさず市場の動向を追い、分析し続けた結果です。本日はその価値をお見せできて光栄に思います」 頭を下げながら、璃子の心の中は至って冷静だった。 (人は裏切るけれど、データは裏切らない) パチパチと再び湧き上がる拍手の中、ステージの袖で、誰よりも激しく手を叩いている麗香専務の姿が視界に入る。 璃子がステージから降りるやいなや、周囲の有力者たちに聞こえよがしな大声で、肩を抱き寄せてきた。 「素晴らしいわ、如月さん! さすがは我が社が誇る私の優秀なアシスタントね! ねぇ直樹。私たちの目に狂いはなかったわ!」 「あ、ああ……! 当然だ、俺たちのプロジェクトだからな!」 興奮冷めやらぬロビーの隅で、麗香専務は直樹さんの腕に抱きつき、まるで自分がインタビューを受けたかのようなドヤ顔と弾んだ声で笑っている。 直樹さんもまた、自分が成し遂げたわけでもない成功に鼻の穴を膨らませ、傲慢な笑みを浮かべていた。 「これで山城グループからのシークレット・パーティーの招待状も、俺たちの手に入ったようなものだ。あの巨大財閥に気に入られれば、俺は日本のビジネス界の頂点だ!」 直樹さんは、主役でもないのに最高級のタキシードの襟を何度も直しながら、歓声を上げた。 「本当におめでとう、直樹! コンペを勝ち抜いたんですもの、当然の評価よ。山城グループの代表も、ようやくあなたの才能に気づいたのね」 その隣では、同じく華やかなドレスを身に纏った麗香専務が、うっとりとした表情で直樹さんの腕に抱きついていた。彼らはまだ、何も分かっていない。 あのコンペを通過させたデータが、後からどれほどの致命傷になるのかも。そして、その山城グループのシークレット・パーティーが、彼らにとっての処刑場になるのだということすらも。「……今です。――お願い
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第13話:仮面の下のスパダリ

パッと、ステージ中央にだけ、まばゆい一筋のスポットライトが当たった。 そこに立っていたのは、誰もが見上げるような圧倒的な気品と品格を放つ、美しい仮面をつけた一組の男女。 (山城グループの、代表姉弟……!) 会場から「おおっ……!」と地鳴りのような歓声が上がる。 彼らこそが、このビジネス界の頂点に君臨する巨大財閥のトップ。 直樹さんは「チャンスだ!」と言わんばかりに、麗香専務の腕を引いてステージの最前列へとしゃしゃり出た。 「山城代表! 桐島ホールディングスのプロジェクトリーダー、芹沢直樹です! 本日の我が社のマーケティングデータはいかがでしたでしょうか!」 スポットライトの下で、仮面の男性が、直樹さんを一瞥で冷たく見下ろした。 そして、ゆっくりとその贅沢な仮面に手をかけ、外す。 「素晴らしいデータだったよ、芹沢くん。――ただし、我がグループが評価したのは、君たちの会社ではなく、そこにいる如月璃子さん個人の価値だ」 仮面の下から現れたその端正な素顔を見た瞬間、璃子の息が止まった。 (……え? 仁、さん……!?) いつもCrescent Moonで気さくに微笑んでいた、あの修理工の仁さんだった。そして、隣で艶やかな微笑みを浮かべて仮面を外したのは、彼の姉の聖子さん――いいえ、山城グループの副代表である美優さん。 「な、何っ……!? なんで、家政婦の男がここに……!?」 直樹さんがガタガタと膝を震わせ、顔面を蒼白にする。 「泥棒の分際で、我が山城グループのパートナーになれると本気で思っていたのか?」 仁さんの――いいえ、山城陸代表の声が、マイクを通して会場全体に響き渡った。 直樹さんが璃子から3年分のリソースとデータを奪い、不当に婚約破棄したという醜悪な事実が、絶対的な権力者の口から次々と暴かれていく。 「嘘よ! そんなの何かの間違いだわ!」 麗香専務が狂ったように叫んだその時、 「いい加減にしろ、この大馬鹿者がーーっ!!」 現れたのは、桐島ホールディングスの社長。麗香専務の父親だった。 すでに山城グループから直々に首を絞められていた社長は、般若のような顔で直樹さんの胸ぐらをつかむ。 「芹沢直樹、貴様を今この瞬間をもって経営幹部職から外れてもらう」 社長はそう言って、麗香専務の
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第14話:繋いだ手と、本当の呼び名

仁さんは普段から、からかわれたりするとわずかにでも顔を赤くするほど、分かりやすい人でもある。だけど、今の仁さんからは、真剣な眼差しと本当のことを話そうとする姿勢が痛いほど伝わってきた。 (私が思っていることとは、違うかもしれない) そんな不安が頭をよぎる。だけど、璃子の胸には本能的に、さっきまでのコンペの緊張とはまったく違う、激しい鼓動が打ち始めているのを止められなかった。 「はい。聞きたいです」 勇気を振り絞って、真っ直ぐに仁さんの問いに答えた。 その瞬間、ふと我に返って周りを見渡すと、会場中の招待客たちの視線が突き刺さる。誰もがその意味していることを考えて、めまいを起こしそうだった。 今、璃子の傍で問いかけている人は、あの山城グループの山城陸さんなのだ。 会場には、誰もが陸さんの目に留まりたいと必死に着飾ってきた美しい女性たちが大勢いる。お近づきになりたいと思う者、羨ましいと睨みつける者――そして、「どうしてあの地味な事務員の璃子が」と困惑する者が居てもおかしくない、そんな異様な空間となっていた。 『聞きたい』と言ってしまったことに後悔するほどだった。 「さあ、行こうか」 そんな周囲の雑音なんて一切耳に入っていないかのように、仁さんはそう言って、璃子に手を差し出した。 「どこへ……?」 差し出された手を取ることもなく、璃子は首を傾げながらそう告げた。 「……ここは少し、騒がしくなりすぎた。答えの続きは、別の場所で」 仁さんは優しく璃子の手を引き、エスコートするように歩き出す。 ステージの袖では、仁さんの姉・聖子さんこと美優さんがすべてを察したように、艶やかな笑みを浮かべて小さく頷いた。 私たち三人が歩き出すと、報道陣や関係者たちが押し寄せてくる。 (これは、一体誰が、この情報をリアルタイムで流したのだろうか) それでも、仁さんはその人たちからの視線を遮るようにして、騒然とする会場を後にした。 裏口へと続く扉を開けると、そこにはすでに、エンジンをかけたまま静かに待機している山城グループの最高級送迎車が滑り込んでいた。 「どうぞ、璃子」 仁さんは、スマートに黒塗りのドアを開けた。 何をしても、自然な動きに自然な気遣い。 璃子はただただ促されるままの世間知らずな女性のように身をか
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第15話:見慣れた場所の、見知らぬ人影

聖子さんは『あのアパート』と口にしたけれど、マンションではないのだろうか。 「ある人物とも連携して、彼らの悪事の決定的な証拠をすべて揃えてあるわ。……璃子ちゃん、見る覚悟は、できてそうかしら?」 聖子さんはそう言って、鋭い瞳で璃子を見た。 「聖子さん、アパートって。もしかして、私と直樹さんがマンションへ引っ越す前に住んでいたあのアパートですか?」 気になることは、先に聞かないときっとすべてを理解しきれない気がして思わず告げた。 「璃子ちゃんに、もう一つ教えるわ。私たちは、その古いアパートの部屋を借りていたの。その理由は、もうすぐ分かることよ。どう? 他に気になることがあれば、画面を見る前に聞いて?」 聖子さんにそう言われて、気になることはもちろん、先ほど口にされた『ある人物』のことだった。なぜ自分たちのような一般人の二股劇に、そんな大物が関わっているのか。 だけど、見てはいけない、知ってしまえば引き返せないかもしれないと思えば思うほど、その禁断の真実を見たくなるのが人というものだ。ここで足を止めるわけにはいかない。 「……はい。見せてください」 声は小さくなったが、腹の底からの覚悟は十分にできていた。 聖子さんは本当に大丈夫かと、妹を心配するような痛ましげな表情を一瞬だけ見せてから、手元にあるタブレットの画面をそっとこちらへ向けた。 「これは……」 そこに映し出されていたのは、璃子がかつて直樹さんと暮らしていた、あのアパートの周辺で撮影された写真の数々だった。二人が寄り添い、親密そうに手を握り合っている姿。 物陰で愛おしそうに抱きしめ合い、そして、当然のように唇を重ねている瞬間―― (私の二度目の、誕生祝いをする日だ) 日付を見れば、それは璃子が直樹さんのために必死に尽くし、支えていた時期と完全に重なっていた。 二股をかけられているという確信は、ずっと胸の奥にあった。けれど、こうして言い逃れのできない実際の光景として目の前に突きつけられて初めて、それは璃子の被害妄想などではなく、おぞましいほど紛れもない事実なのだと完全に理解した。 どのご時世でも、こういう浅ましい裏切りなんてありふれている。珍しくもない、ただのよくある話だ。 不思議と、涙は一滴も出なかった。 悲しむ段階はとうに通り過ぎている
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第16話:逆襲の出社宣言――トカゲの尾切りは許さない

最高級送迎車が完全に停止する直前、聖子さんが思い出したように小さく手を打った。 「あ、ごめんね。言い忘れていたわ。裏口に頼人さんが来ているの」 (聖子さんの、お知り合い……?) 街灯の光も届かない薄暗い裏口の前に佇んでいた人影が、車のライトに照らされてゆっくりとこちらへ歩み寄ってきた。 「よう! 美優。待ちくたびれたぞ」 そこにいたのは、仕立ての良い高級なスーツを完璧に着こなした、驚くほど見栄えのする一人の紳士だった。威圧感はない。むしろ、酷く洗練された穏やかなオーラを纏っている。 「璃子ちゃん、驚いたわよね。ごめんなさいね」 聖子さんはそう言って、その男性の横へ並んだ。 「璃子ちゃん、初めてよね! この人は宇佐美よ。素敵な男性でしょ!」 聖子さんは気さくに紹介してくれているけれど、璃子の頭は「宇佐美」という響きにフリーズしかけていた。宇佐美といえば、山城グループと大差のないほどの財力と権力を持つ、あの巨大財閥の――宇佐美ファイナンシャルグループの宇佐美頼人さん。 (なぜここに……!?) 混乱する璃子に、その紳士はさらに優しく微笑みかけてきた。 「美優、いや、璃子ちゃんの前では聖子と名乗っているようだね。私は、聖子の夫・宇佐美頼人と申します。これから、聖子共々よろしくお願いします」 ツッコミどころはたくさんある。だけど、璃子の頭の中で真っ先に浮かんだのは、全く別のことだった。 (美男美女夫婦の子が生まれたら、どんな容姿になるのだ……!) 「璃子ちゃん。頼人さんは、宇佐美銀行頭取なのよ」 聖子さんが我がことのように自慢げに胸を張る。 メガバンクの頭取。直樹さんや麗香専務が逆立ちしても絶対に手が届かない、文字通りの雲の上の存在だ。 そんな人が、自分の復讐の味方をしてくれていたということか。 「立ち話もなんだ。中に入ろう」 そう言って頼人さんが促し、全員でCrescent Moonの店内へと足を進める。 鍵が開けられ、見慣れた店内の明かりが灯った瞬間、璃子は張り詰めていた緊張が解け、その場にへたり込みそうになった。 そんな璃子の背中を、ポン、と軽く叩く温かい手があった。 (へっ、仁さん? 今少し支えてくれた?) 「璃子……中に入ってくれないと、僕も入れないな」 「あ、すみませんっ……! 仁さん」
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第17話:ご指導、喜んでお受けいたします

次の日の朝――。 華美すぎず、品のあるオフィスカジュアルに身を包んだ。桐島ホールディングスのエントランスの前に立った。 すでに、周辺では「よく出てこられたわね」、「山城代表に色目でも使ったんじゃない」という冷たい視線とコソコソ話が飛び交っていた。 いつも通り、入館証をゲートにかざしてエレベーターへと向かうと、 「おはようございます!」 ひと際元気で大きな声が背後から聞こえ振り返る。 「明衣ちゃん。おはよう」 そんな明るい明衣ちゃんの声をかき消すほど、エレベーターホール内はざわつき出した。 「山城陸さんとどこで、出会ったんですか?」 これまで一度も話をしたことのない、挨拶すら交わしたことない女性社員たちがしきりに問いかけてきた。 「如月さんって、芹沢さんと婚約していたんですね!」 社内で璃子と直樹さんが付き合っていることを知っているものは、五本の指で数えれるくらいだろう。そう言われてもおかしくはない。 こんな時、女性社員たちにどう返答したらいいものか、困惑する。 「ご想像にお任せいたします。それでは」 そう言ってみたものの 「えー、色々聞かせてほしいわ!」 「ちょっとだけでいいから教えてよ!」 女性社員たちは興奮した様子でなかなか引いてくれない。困惑する璃子を明衣ちゃんが庇おうとした。 「ちょっと、朝から何を騒いでるのよ。こちらの耳が、壊れそうだわ」 人だかりをかきわけるように、ツカツカとヒールの足音を立てながらこちらへ向かってきた。 周辺いた女性社員の数名が、 「わぁ、白金葵さんよ。今日も気合入っているわね」 「見て、あの爪、あの指輪。キーボードすら打てないコネ入社の女よ」 「巻き込まれるのはごめんだわ」 白金葵への不満をコソコソと囁き、いそいそと到着したばかりのエレベーターへ乗り込んだ。乗り損ねた女性社員たちは、サーッと波が引くように静まり返り道をあける。 「ただの事務員でしょう! それ以外に何がありますの」 麗香専務の取り巻きである白金葵。誰もが知る国内有数の宝石メーカーの令嬢。 「昨日ちょっと注目されたからって調子に乗るなよ!」 そう言ったのは、令息でもなんでもない田中。 「如月さん。芹沢さんや麗香専務の代わりに、俺たちが直々に教育してやるよ」 そう言ったのは、直樹さんの太鼓持ちとして有名な佐藤翔太。
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第18話:そう来ましたか、往生際の悪いトカゲたち

「璃子さん! 凄いですよ。璃子さんは、絶対強い人だと思っていたんですよ」 明衣ちゃんはテンション高めに、そう言った。 「強い人? 腹黒い女だったのかもしれないね」 直樹さんからの裏切りと屈辱を味わったことで、ずっと抑えていた感情を表現したのだと自覚している。 (きっと、直樹さんよりも、麗香専務よりも、誰よりも憎い人間が私なのだろう) ふと、冷静になると、エレベーター内は少しざわついていた。 「如月さん。白金さんをうまく、言い負かしましたね」 そう言ったのは、黒岩悠斗だった。 「言い負かせたかな。あ、イベント部署の……黒岩さんですか?」 璃子がそう聞くと、黒岩さんはにっこりと微笑んで頷いた。 「ええ。いつも如月さんの正確なデータ処理には助けられていますよ。……それでは、また」 エレベーター音が鳴り、扉が開く。 爽やかに会釈をして先に降りていく黒岩さん。 その背中を見送りながら、璃子と明衣ちゃんも自分たちのフロアへと一歩を踏み出した。 何やら部署の社員たちが、ソワソワとした様子でこちらを見た。 「如月さん!」 手招きをしながら、焦ったように名前を呼んでくる部署の男性社員がいる。 璃子と明衣ちゃんは顔を見合わせ、一緒にその男性の元へ向かった。 「何かあったのですかね……?」 明衣ちゃんが不思議そうに首を傾げる。この会社では『人間拡声器』と言われるほど、社内のあらゆる噂話を一番に仕入れてくる情報通だ。その明衣ちゃんですら事情を掴めていないらしい。 「何だろうね? 嫌な予感はするよね」 璃子がそう呟くと、明衣ちゃんはキュッと拳を握りしめて璃子の顔を見つめた。 「本当にそうです。でも、私は何があっても璃子さんの味方ですからね! もし変な嫌がらせなら、私が代わりに文句でも言ってやりますよ!」 どこまでも真っ直ぐな明衣ちゃんの言葉は、璃子にとって、最高に心強く、逞しく感じられた。 「如月さん、大変だ。……社長の秘書である渡辺さんが、会議室でお待ちかねだぞ」 その男性社員は額の汗を拭いながらそう言って、フロアの奥にある応接用の会議室を指差した。 「秘書の渡辺さんが、わざわざここに……?」 社長秘書がフロアまでわざわざ足を運んで社員を待つなど、普通ではあり得ない事態だ。 周囲の社員たちの視線が、一気に同情と好奇の入り混じったものに
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第19話:トカゲが手放した、最大の価値

会議室から出てきた璃子の顔を見て、待っていた明衣ちゃんが血相を変えて駆け寄ってきた。 「璃子さん……! 大丈夫でしたか!? 何を言われたんですか?」 「明衣ちゃん、心配かけてごめんね。……ちょっと、荷物をまとめてくる」 璃子はそれだけを静かに告げると、自分のデスクへと戻った。 部署のフロアに戻った璃子は、周囲の視線を一切気にする様子もなく、淡々と、無言で私物を箱に詰め始める。 「何で、ですか? 何で、璃子さんが?」 璃子のデスクに駆け寄った明衣ちゃんは、そう言った。 「これが、現実ね」 璃子はそう言って、再び手を動かす。 その様子を見たフロアの社員たちは、一瞬にひそひそ話を始めた。 「やっぱり、クビなんだ……」 「山城代表をたぶらかしたって噂、本当だったんだね」 憐れみ、蔑み、関わり合いたくないという冷たい空気。 朝、エレベーターホールで白金葵たちを言い負かした輝きなど、まるで嘘だったかのように、フロアには璃子への終わりを確信するコソコソ話に花を咲かせているようだった。 私物を箱に入れ終えると、パソコンの前に座り直した。 「あの、璃子さん……」 そう言って明衣ちゃんが、隣の椅子を引きこちらへ寄り添った。 「明衣ちゃん。これから引き継ぎをしないと、なの」 「璃子さん、そうしたら私がお手伝いします! 何からやればいいですか?」 明衣ちゃんはそう言って、涙目になりながらも必死にデスクに両手を突いた。 「明衣ちゃん。最後の最後までありがとう。普段からまとめてあるから」 璃子はそう言って、デスクトップにある一つのフォルダを開き、綺麗にラベル分けされたデータをUSBメモリと共有サーバーへと移した。 「明衣ちゃん、この中に業務マニュアル、日々のルーティン、トラブル時の対応策を入れたから、心配なときにでも使って」 璃子はそう言って、デスクトップからUSBを取り明衣ちゃんに渡した。 「今、見てもいいですか?」 受け取ったUSBを自分のデスクトップへ差しながら、明衣ちゃんはそう言った。 「いいわよ。気になる点があれば、聞いてね」 そう言ったそばから、明衣ちゃんのマウスを動かす手がピタリと止まった。 「璃子さん! 動画にもしてくれているんですか?」 「時間があったからね。暇なときに少しずつね。明衣ちゃんから見て分かりにくいところあ
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第20話:最上階の逆転劇――トカゲの引き際

最上階の役員応接室の扉を開けると、そこには桐島ホールディングスの社長だけでなく、聖子さん、そして頼人さんまでもが、並んで座っていた。 「よく来てくれた。如月くん」 社長が直々に立ち上がり、一般職の璃子に対して、まるで国賓を迎えるかのような敬意を持って迎え入れた。 コンコン、と室内に小気味いいノックの音が響く。 「失礼します。山城グループより派遣されました、特別外部コンサルタントの者です」 ドアを開けて入ってきたのは、仕立ての良いスーツを完璧に着こなした、一人の見知らぬ男性。大人の色気と、ビジネスパーソンとしてのオーラを纏ったその男性の姿に、璃子の鼓動が激しく動いた。 (美男美女を引き寄せる何かを、私は持っているのだろうか) その男性を見ていると、心も体もすべてを持って行かれるような気分になった。 「如月くんと真壁くん。空いている席へ」 桐島社長がそう言って、璃子は先ほどの男性をもう一度見た。 (真壁? 仁さんのこと?) 雰囲気をガラリと変える知的な眼鏡、顔の形はそのままかもしれないけど、仁さんとは全くの別人の顔だ。 (特殊メイク?) 「桐島社長。御社のサポートを担当させていただきます、真壁 仁と申します」 仁さんは眼鏡を少し下げた状態で、桐島社長へ名刺を渡していた。 「山城グループの美優様からとても優秀な人材だと。今後とも我が社を支えて下さると。この如月くんと一緒に、よろしく頼みます」 桐島社長はそう言った。 「それで、部署はどちらに」 仁さんは桐島社長へ問いかけた。 「ああ、申し訳ない。我が社にとってとても重要な部署を任せたいと思っていてね」 桐島社長はそう言って、一度席を立ちデスクへ向かった。 デスクにある電話に向かって「お二人を案内してくれるか」と言った。 しばらくすると、社長室のノック音が響いた。 「社長。失礼します。白金です」 そう言って目線を下にして、白金葵が入って来た。 白金葵が目線を前に向けた。 「えっ?」 白金葵のまぬけな声が、漏れる。 驚愕のあまり、白金葵の視線が璃子と、その隣に座る見知らぬ絶世の美男子――真壁仁の間を何度も激しく往復した。 「白金くん。今回我が社の最重要プロジェクトの統括サポートに就任する如月くんだ。そしてこちらが、山城グループからお招きした特別外部コンサルタントの真壁仁
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