جميع فصول : الفصل -الفصل 30

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第21話:廊下の独占欲と、完璧な変装

社長室の扉が静かに閉まると、先ほどまでの張り詰めた空気が嘘のように、廊下には柔らかな静寂が広がった。 コツ、コツ、と二人の足音がリズミカルに響く。 璃子は抱えた私物の箱を見つめながら、未だにバクバクと激しく波打つ心臓を必死になだめていた。 「驚かせてしまいましたか? お嬢さん」 仁さんは璃子をからかうようにニヤリとしながらそう言った。 その表情を、他の女性たちに見せてはいけない。なぜなら、瞬殺くらいの破壊力があるからだ。あまりの色気と格好良さに、璃子は思わず見惚れてしまい、コクコクと頷くことしかできない。そんな璃子の様子を見て、仁さんの口元がさらに意地悪く、愛おしそうに歪んだ。 「璃子。今、何やら良からぬことを考えていなかったか」 良からぬことを考えていたかもしれない。でも、仁さんが思うような良からぬこととは絶対に違う。 「はい。仁さんの、その顔の破壊力のことですかね」 今の仁さんにはそう言っておくことで、理解するだろう。他の女性に気をつけろという意味ではないが、モテすぎてトラブルに巻き込まれますよ、と解釈してくれればいいのだが。 「僕の顔のこと? これから、いい武器になると思うな」 嬉しそうな横顔を見て、璃子の思う意味とは少し違う気がするけれど、確かに今後の仁さんの顔が武器になることは間違いない。 私たちが向かっている部署は、あの白金葵と佐藤翔太に田中だ。どんな言い草が飛んでくるかも分からない。顔がいいだけで、周りの女性陣から黄色い声援が飛び交えば、この三人の目にとまるものの、近寄りがたい印象を与えられるはずだ。 「仁さん! 絶対にバレないようにしてくださいね」 自分の顔が褒められて少々浮かれ気味の仁さんを見て、璃子はふと不安になり、小声で釘を刺した。調子に乗って、うっかり身内感を出して墓穴を掘るような仁さんを想像してしまったのだ。 すると仁さんは一瞬だけ足を止め、眼鏡の奥の瞳を悪戯っぽく細めた。 「お嬢さん、僕を誰だと思っているんだ。――お望み通り、完璧に演じてみせますよ」 璃子の中では仁さんは仁さんだ。本当に、仁さんは自分自身のことを山城グループの『山城陸』であることを忘れてしまいそうだから心配なのだ。 「はい。もうすぐ着きますよ」 そう言っている傍から、仁さんはこっそり璃子の手に触れてくる。これでは、スパイにもならない。
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第22話:虎の威を借る狐と、冷徹な拍手

白金葵、佐藤翔太、そして田中だ。 「ちょっと、本当にどうなってるのよ!?」 さっき社長室から強制退場させられたばかりの葵は、プライドをズタズタに引き裂かれ、般若のような顔で佐藤と田中に怒りをぶちまけている最中だった。 「社長室に行ったら、あの如月が優雅に座ってたのよ! しかも庶民って言っただけで、社長から『下がれ』なんて……っ! 絶対に何かの間違いよ!」 「ええっ!? あの女、クビじゃなかったんですか!?」と佐藤翔太が驚愕の声を上げれば、 「信じられん……あの如月に、そんなバックがいるわけないだろ」と田中も忌々しそうに吐き捨てる。 傷を舐め合うようにして、悔しさと怒りに満ちたひそひそ話を咲かせている3人の目の前へ、璃子は仁さんと共に、堂々たる足取りで一歩を踏み出した。「さっきの白金さんですね。ご自身に非がないと」 そこへ、仁さんが追い打ちをかけるように告げる。 「お金があるないで、身分の差を口にしてはいけませんね。それにこの部署は、重要な部署ではないですか」 仁さんは至極真っ当なことを言っているけれど、当の本人たちにはピーンと来ていない様子だった。彼女たちは生まれた時から、お金が物を言うと教育されている。仁さんの言っていることは世間一般の常識だが、庶民の方が圧倒的に多い世界の中で、彼女たちとは最初から前提が違うのだ。その価値観の違いに気づく財閥が、果たしてこの会社に何人いるだろうか。そう思うと、璃子の心はすっと冷めていった。 彼女たちとこれ以上、感情的に向き合う価値もないと判断するほか、何もない。 「真壁さん。あまり関わる必要ないかと思います」 璃子は白金葵たちへ視線を向けることなく、仁さんへそう告げた。 「なによ、その態度は……!」 白金葵は顔を真っ赤にして、怒りのあまりにワナワナと震えている。 結局のところ、彼女は自分の機嫌を取ることもできない、感情だけで行動し、発言をする人なのだ。これまでは家柄という盾があったから許されていたに過ぎない。 「白金さん。私のその言葉で理解できないのであれば、仕方ありませんね」 璃子がこの令嬢、令息たちに真っ当なことを言っても伝わらないことは分かっている。だけど、口を出さずにはいられない。 「しっかり、相手が何を言いたいのか、表の言葉と裏の言葉を自分の中で考えて行動、発言をするよう訓練すると
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第23話:全額請求のターン――暴かれた余罪

「――さて。白金さん、佐藤さん、田中さん。ちょっとこちらへ。本日からの新体制について、ご説明させていただきます」 仁さんの言葉にフロアの空気が張り詰める中、白金葵、佐藤翔太、田中の三人は、ダラダラとこちらのデスク前へ集まった。 「真壁さんでしたっけ? 外部コンサルだか何だか知りませんけど、私たちは忙しいのですが。手短にしてもらえますか?」 佐藤翔太がポケットに手を入れたままそう言ったけれど、この人に仕事という仕事は存在しない。全てをこちら側へ流して、完成したものを確認するだけだ。全くもって忙しくはない。どの口が言っているのだと、仁さんを見ると、手元のタブレットをトントンと叩いていた。 「ええ、手短に。――佐藤翔太さん、あなたが先月、如月さんに自分の分のデータ処理を押し付けて定時退社した回数は計12回。その間、あなたは友人と飲み歩いていた」 「自己紹介ですよね?」 佐藤翔太はそう聞き返しているが、仁さんが言っていることは余罪の告発だ。どこまでも状況が読めないのか、読まないのか、的外れな返し方しかできない人だ。 もちろん、仁さんは佐藤翔太の言葉を右から左へ聞き流してそのまま話を続けようとしている。 「田中さん。あなたが自分のミスを如月さんの書類不備のせいにし、始末書を一通書かせた件。共有サーバーのログを解析したところ、データ改ざんの痕跡があなたのPCから見つかりました」 田中は直樹さんの太鼓持ちだから、色んな人からのどんな視線も浴びせられている。だからか、仁さんの視線を浴びながらも、 「何の話をしているのか、全く身に覚えのない話ですね」 難なく、言いのける。一番、質の悪い人でもある。 仁さんには勝てないだろう。 「白金葵さん。あなたが『庶民の如月にはこれが似合いよ』と、シュレッダーの手伝いと称して彼女の個人的な私物を破棄させた件。防犯カメラにしっかりと映っています」 白金葵は、自分よりも優れているものや自分よりも高価なアクセサリーなどを持っている女が嫌い。だから、璃子の私物で高そうなものを勝手に破棄した。それも、今思うとその品物は全て麗香専務が直樹さんにプレゼントした物だ。麗香専務としては、直樹さんが破棄したのかと、推測する。違えば、誰の仕業か調べるはずだ。 ポン、ポン、と乾いた音を立てるように、仁さんの口から三人の陰湿な嫌がらせの具体例が
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第24話:今夜、ひとりにしたくない

ここに転がっている過去の資料の山には、直樹や麗香専務が関わるプロジェクトの致命的な不備が隠されているはず。それを仁さんは気づいていた。だから、佐藤たち自身に掘り起こさせる。これ以上ない皮肉な罠を仕掛けたのだ。 「それでは、白金さん、佐藤さん、田中さん。定時ですので、お先に失礼します」 時計の針は定時を回っている。これまで定時で上がったことがない。だから一度でもいいから、そう言って会社を出たいと思っていたことだ。 「あんたがここを片付けないよ」 白金葵はそう言ったが、望むなら『お疲れさまでした』と一言耳に収めたかった。だが、口から出る言葉は不満ばかりだと言うことをすっかり忘れていた。 「何が重要な資料なんだか、全く分からない」 田中はそう言いながら、仕分ける作業すらできないようだ。あなたたちの自業自得なのだが、教えるかとさえ思えた。だけど、これまで璃子に押し付けてため込んだツケは、自分たちの手でしっかり整理させる。それが学びだ。 「私の仕事では、ありませんから」 璃子はそう言ってフロアを出た。 さて、仁さんはどこに行ったものか。先にエントランスで待っていてくれているだろうと思い、エレベーターで一階へと向かう。 ガラス張りの向こうに見える外の景色は、夕日ではなく、すでに夜の帳が下りた青黒い空だった。帰路を急ぐ大勢の社員たちが、足早に自動ドアを行き交っている。 「お疲れ! 璃子」 想定通り、エントランスの喧騒の中から仁さんの声が飛んできた。 先ほどまで特別推進部署のフロアで繰り広げられていた白金葵たちの醜い叫びなど、まるで最初からこの世に存在しなかったかのように、仁さんは璃子だけを真っ直ぐに見つめている。 「……待っていてくれたのですか?仁さん」 歩み寄ると、仁さんは何やら普段とは違う、どこか悪戯っぽくも甘い笑みを浮かべていた。これは、まさか――。 「……今夜、ひとりにしたくない」 「……はい?」 とんでもない発言が仁さんの口から発せられ、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。 ここをどこだと思っているのだろうか。まだ桐島ホールディングスの本社だ。大勢の社員たちが好奇の視線をこちらに投げかけながら通り過ぎていく、まさにそのド真ん中である。 お迎えに上がる高級車が続々と列をなす車寄せの場所で、そんな映画のセリフのようなことを大真面目に言
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第25話:返却請求代行と――私と結婚してください

「ええ、もちろんよ」 聖子さんは優しく、そう言った。 やがて見えてきた、Crescent Moonの看板が暗闇の中で優しく光っている。 車から降りるのと同時に、聖子さんが店のドアのカギを開ける。 静かな店内で、手際よく淹れられた温かいお茶の香りとお茶の湯気が、こわばっていた璃子の喉をゆっくりとほどいていく。二人の目を真っ直ぐに見つめ、口を開いた。 「恋愛感情とは別に、社会的立場やカモフラージュとしてのパートナーを必要とする需要があります。……それを、私がビジネスにします」 自分で言いながら、頭の中で明確な輪郭が浮かび上がってくる。 「奪われた人生を感情ではなく仕組みで奪い返す、返却請求代行。会社名は『Blue Code Studio(ブルー・コード・スタジオ)』」 返却請求代行と聞けば、世間では復讐代行と呼ぶかもしれない。きっと聖子さんも仁さんもそう思うだろう。 「璃子ちゃん、面白いこと考えるわね。ちょうどいいわ」 聖子さんは身を乗り出して、思いついたように言った。山城グループとは言え自分と同様に返却請求したい人がいるのだろうか。日本の頂点に立つ二人でも仕打ちされることもあるのだろうかと想像した。だけど、そんな大物からの依頼スタートはさすがに解決できる気がしない。 「聖子さん。何がちょうどいいのでしょうか」 「仁を最初のパートナーとして使いなさいよ」 なるほど。確かに相棒は必要だと思っている。ただ、まだ設立もしていないこの状態で果たして仁さんを雇うほどの賃金を出せるかが問題になる。ざっと見ても、時間給5000円は必要だろう。 「仁さんを、ですか?」 「ええ。外見と佇まいだけは一級品でしょ。隣に立たせるには、これ以上ない最高の商品価値があると思わない?」 仁さんの圧倒的な存在感と余計な詮索を許さない完璧な佇まいは、このビジネスの最初の契約相手として十分すぎるほどに相応しい。だけど、無償では無理だよな。 「隣に立たせるには、おあつらえ向きでしょ」 少々真剣に考え過ぎていたようだ。聖子さんのせっかちさが、璃子の背中を押すように言葉として出ている。 「それに、仁は本当に璃子ちゃんのこと、気に入っているわよ」 「私に、ですか? 効率的ではない推測ですね、ありえません」 この仕事は依頼人との信頼関係で成り立つ仕事ではあるが、気に入って
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第26話:電撃入籍と、車内の恋人繋ぎ

「――本当に、出すんだな」 翌朝、区役所の受付の窓口の前で、仁さんは手元の一枚の紙を見つめたまま、文字通りフリーズしていた。 普段、ビジネスの場では一切の躊躇なく何億もの決断を下す仁さんが、婚姻届の「夫になる人」の欄に自分の名前が書かれているのを見て、耳の先まで微かに赤くしている。 (そもそも自分で名前を書いているはずなのだけど……) 「効率を重視した結果ですから。仁さん、今更引き返すのは困ります」 女性は一度、腹を括れば、過去を振り返ることなく瞬時に動き出せる生き物だ。少なくとも、自分はそうだ。 「……分かっている。分かってはいるけど」 これまで社内でも数多くの人間を観察してきたけれど、男という生き物は、どれほど社会的地位があろうと、いざ人生の重大な決断や覚悟を迫られると、あれこれと理屈や責任を抱え込んで足踏みしてしまう傾向がある。 山城グループの代表である仁さんでもそちら側であったのか、と思っていると。 「これで、お願いします」 仁さんは小さく呟き、窓口の職員へ書類を差し出していた。 あの時間は何だったのだろうかと思うほど、手続きは驚くほどあっさりと終わった。 「はい、確かに受理いたしました。おめでとうございます」 職員のお祝い言葉を聞き、仁さんへ視線を送ると、 「書類上だけじゃないからな!」 すっと、仁さんの手が伸びてきた。 考える時間すらもなく、璃子の右手の五本の指を隙間なく絡め取った。 「あの~? これは、恋人繋ぎというものでは……」 仁さんの顔を覗くと同時に、 「……違和感あるか?」 仁さんは恥ずかしさを隠すように、不器用そうに頭を掻いた。 「いえ、そうではなく……」 「婚姻届を出した以上、しかも本名である真壁仁の名前で提出したんだ。契約だろうが何だろうが、璃子は俺の妻で、俺の家を継ぐ女だ」 そう言われて、計算外であったと気づいた。 (私も少々、頭の回転が鈍くなったようだ) 山城グループの御曹司が結婚したとなれば、本家や世間、メディアが黙っていない。もちろん、璃子と仁さん、そして聖子さんや頼人さんの動きが桐島麗香や直樹さん、白金葵や佐藤翔太、田中に察知されれば、潜入調査に支障が出るものだ。 「仁さん、続きは車で話しましょう」 世間にバレないよう恋人繋ぎを解いて、極力無言のまま駐車場へ向かった。車に乗り
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第27話:そういうことだったのね

「璃子、このまま特別推進部署へ向かう。機材のセットアップは、姉貴が得意だからね」 朝の区役所で無事に婚姻届を提出した後、桐島ホールディングスへと向かう車内で、仁さんがハンドルを握りながらそう言った。 「聖子さんに、そこまでお願いしては、申し訳ない気が……」 「問題ない。璃子と同じで姉貴もパソコン関係が好きなんだ。それに、頼人さんも居るしな!」 仁さんは悪戯っぽく笑う。 聖子さんと頼人さんが、私たちのために裏オフィスBlue Code Studioの環境をCrescent Moon2階で環境を整えてくれている。その心強さに胸を温めながら、私たちは桐島ホールディングスのフロアへと出社した。 自分のデスクにつき、パソコンを立ち上げた。 「ちょっと、如月さん」 背後から、刺すようなトゲのある声が響いた。 振り返ると、白金葵が立っていた。その後ろには、佐藤翔太と田中の姿もある。 「……おはようございます、白金さん。何か御用ですか?」 極めて何事もなかったかのように挨拶をすると、 「何か御用ですか、じゃないわよ! 私たちが昨日、あの膨大な書類整理に何時までかかったと思っているの!? 終電ギリギリまでかかったのよ!?」 白金葵はキーッとヒステリックに声を尖らせた。 以前に、一度エレベーターが故障した際、エレベーター内で白金葵は『ちょっと、何よ! 終電に間に合わないじゃないの』と激怒していた。だけど、白金家よりも格上の令息たちの前では『毎日、高級車での送り迎えですのよ』と鼻高々に言っていたこともある。白金葵は、気を緩めると本音が出る。 「終電、ギリギリですか?」 疑い深く、白金葵にそう言うと、 「昨日は、田中と一緒に帰宅する予定でしたの」 下級クラスの田中を従えているのは、こう言った時に利用するためだ。 田中もいい気はしないだろう。 「それはご愁傷様です」 本当は、『不正の件のペナルティとして真壁コンサルタントが命じた業務ですから、私に言われましても』と言いたいところだが、どうせ話は通じない。 「なっ……! 何を清々しい顔で出社してるのよ! 社員から派遣に変わったのでしょう!」 「いいえ、社員のまま特別推進部署へ、昇進したのですが……」 白金葵は黙った。 「もう、いいでしょうか?」 周りの視線を気にした佐藤翔太が小さな声で「行きま
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第28話:漆黒の招待状と、一網打尽のシナリオ

人は、単調で膨大な作業を強制さると、精神的に極限まで疲弊する。すると必ず注意力が散漫になるものだ。さらに「どうせゴミとして処分する古い書類だ」という油断が生まれれば、自分が過去に犯した隠しておきたかった不都合な書類の存在にまで頭が回らなくなる。 明衣ちゃんが送ってきたのは、白金葵の実家である白金ジュエリーの深刻な赤字を補填するための、裏の資金移動計画書だった。 一言で言えば、会社を私物化していた、という表現がぴったりな代物だ。 罠に引っかかった理由はこれだ。 白金葵は、婚約者である地方建設会社の御曹司・黒岩悠斗の実家から、新規プロジェクトの共同出資という名目で多額の資金を巻き上げ、それを実家の横領隠蔽に流用しようと画策していた。 それだけではない。白金葵の父親は、その黒岩家の資金を使って、いずれは桐島ホールディングスさえも乗っ取るか、あるいは自社より格下に引きずり下ろそうと牙を研いでいたのだ。 (だから、あの日――) エレベーターの中で黒岩悠斗は、 『如月さん。白金さんをうまく、言い負かしましたね』 何かあるのだろうとは思っていたが、まさかね。 婚約者である白金葵の高飛車な態度や、自分の実家を都合よく利用しようとする白金家の企みに、とっくに気づいて腹の底で激しい屈辱を抱えていた。 (自分の実家の罪を隠し、さらに上へのし上がるために、婚約者を奈落の底へ突き落とすなんて。……直樹さんと麗香専務がやっていることと、全く同じ) つまり、黒岩悠斗は、白金葵にとって都合よくむしり取られるためだけに用意された、哀れなカモに過ぎないということだ。 さて、黒岩悠斗さんから初の依頼が届くように。 ある小さな紙を一枚、そっとジャケットのポケットへ忍び込ませ、昼休みの隙に彼のデスクへと仕込みに向かった。 裏サイトへと繋がる、漆黒の招待状を。数日後。 夜のCrescent Moonの二階。 臨時オフィスと化したその部屋で、璃子と仁さん、聖子さんは、並んだ3台のマルチモニターを今か今かと見つめていた。 ピコン――。 静かな室内に、電子音が鋭く鳴り響いた。 3枚のモニターのちょうど真ん中、立ち上げたばかりの返却請求代行特設サイトの問い合わせフォームに、一通のチャットが滑り込んできたのだ。 「あら、噂をすれば……最初の依頼人、黒岩さんかしら?」 聖子さ
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第29話:晴れ舞台の処刑台

「璃子さん。驚きですよ!」 「どうしたの?」 「会場の最前列に、別部署へ異動になった芹沢直樹さんと、自宅待機中のはずの麗香専務が座っているんですよ」 桐島ホールディングスの一大イベントである新規プロジェクト発表会。 本社の大ホールは、役員や主要株主、そしてメディア関係者までが詰めかけ、異様な熱気に包まれている中、確かに最前列に二人の姿があった。 「社長は知っているんですかね? 知らなかったら、完全にあのお二人さんは社長の顔を潰したことになりますけどね。そう思いませんか、璃子さん」 「社長は知らないと思うよ。今回も同様でしょう」 璃子は明衣ちゃんにそう言って、マイクテストをしている佐藤翔太へ視線を投げた。 「本日の進行を務めます、佐藤翔太です。お忙しいところお越しいただきありがとうございます」 高級なスーツに身を包み、これ以上ないほど得意げな顔でフロアを見下ろしている。 「わたくし、白金葵と申します。進行役の佐藤とご一緒に進行させていただきます」 ステージの上で、白金ジュエリーの豪華なダイヤのネックレスをこれみよがしに触りながら、白金葵がくすくすと上品ぶった微笑を浮かべそう言った。 璃子の隣にいる仁さんは静かに腕を組み、獲物を極限まで追い詰めたような視線を投げていた。 「皆様、本日はお集まりいただきありがとうございます。我が社が誇る次世代のプロジェクト、そして、その強固なパートナーである黒岩建設様との共同出資計画について、ご説明いたします」 白金葵は流暢にプレゼンを進めていく。3台並んだ巨大なプロジェクターのスクリーンには、美しくデザインされた新規事業のグラフや計画書が次々と映し出されていった。 会場全体が彼らの「輝かしい未来」の提案に聞き惚れている ――誰もが、そう思った。 「……それでは最後に、我が社と黒岩建設様が築く、揺るぎない勝利の中核となる財務データをご覧いただきましょう。佐藤さん、スライドを次のページへ」 白金葵が誇らしげに、勝者の笑みをステージから会場全体へ向けて合図する。 「かしこまりました」 佐藤翔太がこれみよがしにドヤ顔でパソコンを操作した。 その瞬間。 【白金ジュエリー 赤字横領補填計画】 「……え?」 壇上の白金葵の声が、マイクを通じて奇妙に裏返った。 「あれ……? 違う、違う」 佐藤翔太の声
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第30話:リアルタイム・リーク

ステージの下で、カメラのフラッシュが激しく焚かれ、怒号と私語が渦巻く。 その混沌とした狂騒を、私は特別推進部署の席から、静かに見つめていた。 (ターゲット以外には、底知れない恐怖の種が植え付けられた) 最前列で顔面蒼白になり、ガタガタと震え出している芹沢直樹と麗香専務の姿が視界に入る。 「返却請求代行」という言葉の響きに、彼らは本能的な恐怖を感じ取っているのだ。 横にいる仁さんが、フッと満足そうに口元を歪めた。 「璃子、この先の人間模様をじっくり見るといい」 仁さんの言う『人間模様』とは、何か今の璃子には到底思いつかない。だけど、分かることは、裏でこっそり解決されるようなものではないと言うことだけだ。 「はい」 「どうなってんだ! パソコンが、操作を全く受け付けない」 佐藤翔太は顔面蒼白になっていた。 「璃子さん。頼人さんがプログラムを組んでくれたんですよ」 明衣ちゃんはそう言って、小さく笑っていた。 「明衣ちゃんが、頼人さんにお願いをしてくれたの?」 「はい。せっかくの情報ですから、スライドで流れてしまっては意味がありませんから」 明衣ちゃんは得意そうにそう言った。 「白金さん! これは黒岩建設からの資金横領の証拠ですか!?」 「佐藤さん、あなたもこの不正に関わっているんですか!?」 メディア関係者からの投げかける質問に、白金葵も佐藤翔太もタジタジになっている。 「違う! 僕は知らない! 進行役として指示された通りにやっただけだ!」 佐藤翔太は保身のためにあっさりと白金葵を裏切った。 マイクを放り出してステージの袖へと逃げ出そうとした。だが、そこに待ち受けていたのは、すでに通報を受けて駆けつけていた本社の警備員の人間だった。 「ひっ……!」 腰を抜かしてへたり込む佐藤翔太。そして、周囲の冷徹な視線と容赦ないカメラのレンズに囲まれ、白金葵はプライドを完全に打ち砕かれてその場に崩れ落ちた。 そんな彼らの哀れな姿を見下ろしていると、手元のノートパソコンが、狂ったような通知音を鳴らし始めた。 ピコン、ピコン、ピコン――。 画面を開くと、社内の様々な部署の人間、そして今回のプロジェクトに関わっていたはずの一部の役員たちから、リアルタイムでメッセージが次々と滑り込んできていた。 『実は白金葵の件で、以前から不審に思っていた
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