All Chapters of 壊したいほど好きだから、: Chapter 51 - Chapter 60

112 Chapters

第1.5章:030

  一度言葉にしてしまえば、あとは勢いよく言葉を紡ぐことができた。「俺の彼女になってください。これから先もずっと、渚と一緒にいたい」 玲の瞳は、渚を映し込んでいたからこそ――彼女に訪れた微小な変化が、誰よりも痛いほどに分かってしまった。 渚の顔が、まるで酷い痛みに耐えるかのように苦しそうに歪んでいく。その唇は、血の気が失せて白く染まるまで強く噛み締められた。 喉が小さく震え、マフラーに埋まった唇が僅かに開いて、ひゅっと冷たい息が漏れ出る。 この口から紡がれるであろう次の言葉を、聞きたくない、絶対に聞いては駄目だと脳が拒絶を叫ぶ。 だが、その拒否の言葉を玲は絞り出すことができなかった。「ごめんね」 無情にも、静かな声が冬の空気を震わせた。「玲とは付き合えない」 渚が目の前にいるはずなのに、歪んだ視界の中で上手く捉えることが出来ずにいた。「私たち、会うのやめよう」 世界が反転するような衝撃のなかで、玲が強く握り締めていたはずの渚の手が、ゆっくりと離れようとする。 離したくない。絶対に離してなるものか。 そう強く願って、指先に力を込めたはずだった。それなのに、どうしてか自分の身体ではないように全く力が入らず、渚の華奢な手は、玲の指の間から驚くほど簡単に、するりと離れていってしまった。 気付けば、玲は一人だった。辺りは暗く、外灯が心細く彼の足元を照らしている。 渚の手を握っていた指先は、体温が失われたかのように冷たく、渚からもらったチョコレートだけが唯一、玲を今世に繋ぎ止めていた。(これで、終わりなのか……?)「本当に?」 掠れた呟きが、冷え切った暗闇に虚しく溶けていく。 来年もチョコを渡すと言ってくれた、その口で、「会うのをやめよう」と告げられた。そんな残酷な矛盾が、どうしても現実のものとして受け入れられない。 あそこで告白しなければ、来年の今日、また渚からチョコを貰っていたはずの未来を、自分は自らの手で粉々に壊してしまった。渚も俺と同じ気持ちだという慢心さえ抱かなければ、彼女の
Read more

第1.5章:031

 ※ ※ ※ 三年生に進級し、周りのクラスメイトたちの空気は一変した。 誰もが「受験」や「就職」といった現実的な未来を意識し始め、進路説明会の資料を睨みつけ、休み時間には参考書を片手に未来の選択肢を話し合う。教室の空気はにわかに熱を帯び、全員が必死に前を向いて進み始めようとしていた。 玲だけはその波に乗ることが出来なかった――というよりも、何もしていなかった。 玲は机に頬杖をついたまま、窓の景色を眺める。グラウンドで生徒たちがじゃれ合い、楽しそうに笑い声を上げていた。(あーやって……渚と笑い合うことは二度とないのか……)『私たち、会うのやめよう』 そう呟いた渚の顔を、玲はなぜか思い出せなかった。脳がショックを和らげようと防衛反応でも働かせているのか、いくら記憶を遡ろうとしても、彼女が最後に見せた拒絶の表情には分厚い霧がかかっている。代わりに、いつも思い出すのは、彼女が直前に見せていた、あのマフラーに顔を埋めたはにかんだ笑顔ばかりだった。(告白なんてしなきゃ、ホワイトデーのお返しを渡せたのにな) 最初はお揃いの、あるいは彼女の白い肌によく映えるアクセサリーを買おうとした。けれど、付き合ってもいない幼馴染からのそんな贈り物はあまりにも重すぎるだろうと寸前になって思い直した。結局、お洒落な洋菓子店でクッキーを購入した。 それは今も、玲の勉強机の引き出しの奥で、静かに眠っている。「渡せる保障もないのにな」 窓ガラスに映る自分の生気のない顔を見つめながら、玲はぽつりと自嘲した。 賞味期限なんて、とうに切れているかもしれない。 けれど、それをゴミ箱に投げ捨てることさえ、今の玲には彼女との繋がりを自ら完全に断ち切ってしまうような気がして、どうしてもできなかった。 それは、渚から貰ったあのチョコレートも同じだった。 あの日、彼女が緊張しながら手渡してくれた小さな紙袋。中に入っているチョコレートは、箱すら開けられることなく、今も自宅の勉強机の上にぽつんと置かれたままだ。 本当なら、嬉しそうに食べる自分の姿を
Read more

第1.5章:032

 ※ ※ ※ 玲は自宅に帰り、まっすぐ自分の部屋へと向かった。 肩に食い込んでいた鞄を下ろす元気すら湧かず、制服のまま、ベッドの端に力なく腰を下ろす。重たい身体を丸めるようにして視線を落とすと、その先に、あの勉強机が嫌でも視界に入った。 そこには、あの日から一ミリも動かされることなく、静かに佇む渚から貰ったチョコレートの小さな紙袋があった。(渚……) 紙袋を受け取ったあの日、繋いだ手を思い出す。 玲は膝の上に置いた自分の両手を見つめた。 何をしていても、結局はあの場所に、あの瞬間に引き戻されてしまう。 あの時、確かに繋がっていた掌。今は驚くほど冷え切っていて、いくら指を握り締めても、温かい渚の体温が戻ってくることは二度となかった。 玲は鞄を下ろさないまま、重い身体ごとベッドへと倒れ込んだ。 仰向けのまま天井を見上げ、すぐに、逃げるように両手で顔を覆い隠す。(渚に会いたい……) その渇望だけが、濁流のように胸の奥で渦巻いていた。 暗闇を強引に作り出すように、顔を覆う玲の手の隙間から入り込む冷たい空気だけが、玲の頬を静かに撫でていく。 ――ピロン。 その静寂を切り裂くように、制服のポケットの中で、携帯のメッセージ受信音が短く鳴り響いた。 けれど、玲は顔を覆った手を微動だにさせず、携帯を取り出そうともしなかった。どうせクラスメイトからの他愛のない連絡だろう。今の玲にとって、渚以外からの言葉はすべて無価値な雑音でしかなかった。 画面を確認する気にすらなれず、玲はただ、深い泥のような思考に沈んでいく。(告白なんて、しなきゃよかったんだ……) 来週に迫ったゴールデンウィークだって、当然のように渚と会って、どこかへ出かけていただろう。手を繋いで映画を観たり、あるいは夢にまで見た狭いカラオケボックスで二人きりの時間を過ごしたりしていたかもしれない。 ぽっかりと空いてしまった大型連休の予定。何をして時間を潰せばいいのか、今の玲には全く思いつかな
Read more

第1.5章:033

  その声が間違いなく渚だと理解した瞬間、玲は跳ね起きるようにしてベッドの上に身を起こした。背負ったままだった鞄が重く床へ転がり落ちたが、そんな音は一切耳に入らない。「渚?」 低く冷たかった玲の声は、一瞬で温度があるものへと変わった。「いきなり電話してごめんね」「どうしたの……?」 玲は声を震わせながら訊ねた。 会うのをやめようと言ったのは、渚のほうだった。なのになぜ今になって連絡をしてきたのか――深く考え込むよりも先に、彼女の声を二ヶ月ぶりに聞くことが出来た感動の方が戸惑いよりも大きかった。彼女の息遣いが伝わり、玲は喜びに胸を震わせる。「あのね……」 渚の声が途切れた。 玲の鼓膜に、渚が深呼吸を繰り返している音が届く。言葉を吐き出そうとしては、飲み込んでいるような気配がした。「今週の土曜日、会えないかな?」 予定なんて、あるはずがなかった。「玲に話したいことがあるの」 自分に話したいことがある――二ヶ月前の話の続きをするつもりなのだろうか。(俺を振った理由を聞かされるのか?) 心の傷を抉りにかかるのだろうか――そんな考えが駆け巡ったが、それは一瞬だった。「会えるよ」 玲はすぐに答えた。渚に会いたい理由は沢山ある。会えない理由なんてない。自分が何を言われるか、聞かされるのかという怖さよりも渚に一生会えない方が、不幸だった。「じゃあ、土曜日よろしくね」 玲の返事に、渚がホッと息を吐いた。「渚の学校に行くよ」「ううん。私が呼び出すから、私が玲のところまで行く」(渚が俺に会いに――……) 渚と再会してから初めてのことだ。 玲は女子寮まで迎えに行くつもりだった。彼女に会うために揺られる電車がどんなに満員だったとしても、一度も苦痛に感じたことはなかったから。(でも、電車は人が多いのに大丈夫かな) 初詣、映画館の人混みに青褪めていた渚が脳裏に浮かんだ。あのよ
Read more

第1.5章:034

 ※ ※ ※ 土曜日。玲は約束の一時間前には、すでにあの公園に立っていた。 かつて幼い自分が、渚を置き去りにして待たせてしまった場所。あの日の身勝手な自分を責め立てるように、玲は何度も何度も、同じ景色を、同じ足元を確認せずにはいられなかった。(ここでいいはずだ。渚が言ったのは、間違いなくこの場所だ) 時間が進むにつれ、心臓の奥がじわじわと冷たい不安に侵食されていく。(本当に、渚は来るのだろうか) やはり来ないかもしれない――直前になって怖気づき、約束を白紙に戻してしまったのではないか。そんな最悪の想定が頭をよぎり、足元がぐらりと揺らぐ。 それでも、玲はその場を頑なに変えようとはしなかった。一歩たりとも動くつもりはなかった。 幼い頃は、自分が渚を待たせた。だから今度は、玲が待つ番だった。どれだけ長くても、たとえ陽が落ちようとも、彼女が来るまでここで待ち続ける。その決意だけが、玲の身体をその場に縫い留めていた。 約束の時間が近付いたその時、公園の入口近くに一台のタクシーが滑り込んできた。 人混みが苦手な渚がここまで来るための手段がそれだったのだと、玲は瞬時に理解した。 ドアが開き、車内から見覚えのある小さなシルエットが降りてくる。(……本当に、来た) 胸の奥から、堰を切ったような猛烈な感動が突き上げてくる。夢じゃない。自分に会うために、渚がここまで来てくれた。その事実だけで、玲の心は破裂しそうなほどの歓喜で満たされる。 しかし、ゆっくりとこちらへ歩いてくる彼女の表情を見た瞬間、玲の歓喜はすっと不安へと色を変えた。 見えてきた渚の顔には、かつてのはにかんだ微笑みは一切なかった。きつく結ばれた唇と、何かに耐えるような硬い眼差し。自分に何かを告げようとする、強い覚悟に満ちたその表情に、玲の背筋には再びあの冬の日のような冷たい戦慄が走った。 玲の前まで辿り着くと、渚はふっと笑顔を見せた。 けれど、それはあまりにもぎこちなく、引き攣ったような、無理やり作った笑顔なのだと玲は瞬時に悟ってしまう。「急に呼び出してご
Read more

第1.5章:035

  暫く、重い無言が二人を包み込む。 何を切り出せばいいのか分からない玲を前に、先に静かに口を開いたのは渚だった。「あのブランコでさ、二人でどっちが高くブランコを漕げるか遊んだよね」 目の前のブランコを見つめる渚の視線を追って、玲もそちらを見た。 よく覚えている。かつてあの場所で並んで座り、必死に地面を蹴って高く、もっと高く、まるで一回転するくらいの勢いで漕ぎ合った記憶。結局一回転なんて出来なかったけれど、ただそれだけで楽しかった頃を思い出し、玲の口元に自然と笑みが浮かぶ。「あの砂場でお城を作ったけど、上級生に壊されて……私が泣いちゃったのを見た玲が、上級生に向かって行ったの。勇敢だった」 結局、上級生の方が身体が大きくて玲は簡単に飛ばされてしまった。渚以上にギャン泣きしてしまい、彼女に慰められた情けない思い出。「ジャングルジムで、どっちが天辺まで早く上がれるか、とか、滑り台を滑り続けるだけで一日を潰すとか」(忘れるもんか) 渚との思い出は何一つ忘れたことはない。玲と渚は毎日一緒に過ごした。雨の日もわざわざ傘を差してこの場所に向かい、公園の中心にあるゾウのシェルター遊具に潜って、雨宿りをして過ごし、地面を叩く雨を眺めている時間でさえ楽しかった。 渚も同じように覚えていてくれたんだ、という喜びよりも彼女の懐かしい思い出を一つずつ拾い集めるような言葉は、二度と戻らない遠い過去を惜しむような、寂しい響きを帯びていた。「渚……」 玲が思わず声をかけようとすると、渚はそれを遮るように、玲を見ることなく正面を見つめたまま言った。「黙って聞いていてほしいの」「うん」 玲は頷き、拳を握り締めて、彼女の次の言葉を待った。 そのまま、渚と同じように正面を向き、かつて二人で漕いだブランコを見つめた。 隣で、渚が何度も何度も深呼吸を繰り返す音が聞こえる。何かを必死に吐き出そうと、喉を震わせている気配が伝わってきた。 そして、静寂を切り裂くように、渚の口から信じられない言葉が溢れ出た。「私、小学
Read more

第1.5章:036

「男性全体が駄目なの。犯人に似ていないのに、お父さんでさえ身体が強張っちゃって、息が苦しくなるの。カウンセリングにも通ったけど、自分の体験を言葉にするのが嫌で、やめちゃった」 そこまで言って、渚はふっと力なく笑った。 何が面白いのか、玲には全く分からなかった。面白いことなんて、何一つとしてないのに。(――あの日、俺が約束の場所にいかなかったからだ) 自分が約束を破らなければ。自分が彼女を一人にしなければ、渚がこんな地獄に突き落とされることはなかったはずだ。 何も知らずに、渚は約束を破った自分に怒っているのだと思っていた。だから、謝罪の手紙を一日も欠かさず彼女の家のポストへ入れ続けた。 渚が再び学校へ来た時に困らないよう、その日にあった出来事も書き連ねた。「仔犬を見に行こう」「夏祭りに行こう」と、待ち合わせ場所まで指定した。 けれど、返事などあるはずがなかった。渚がそこへ来られるはずもなかった。 何も知らず、渚に許してもらおうと必死だったあの行動は全て間違いだった。 自分の行動が悲劇を生み出し、そして渚は引っ越していった。その理由を知らないまま、渚を探し求めていたのだ。 全ては、自業自得だった。 渚に好かれているかもしれないなどという淡い期待は、ただの身勝手な幻想だった。(俺のせいで渚は傷ついた。俺は渚に恨まれるに値する人間だ) 渚と再会した当初、彼女があれほど怯えていた本当の理由がようやく分かった。男性という存在そのものが、恐怖の対象だったのだ。玲の胸に、容赦のない罪悪感が突き刺さる。あまりの申し訳なさに、もう渚の顔を見ることすらできなかった。「人混みが苦手なのも、男性と身体が近付くのが無理だから。汗の臭い、口の臭いが全て無理なの。電車はいまだに一人じゃ乗れない」 そんな深刻な傷を抱えた彼女が、玲に会うためだけにここまで来てくれたのだ。タクシーを使い、忌まわしいトラウマが生まれたこの町へ戻ってくることに、どれほどの恐怖と勇気が必要だっただろうか。「この話をしたのが、玲で二人目」 その言葉を聞いた瞬間、玲の脳裏にふと綾乃の姿が思い浮かんだ
Read more

第1.5章:037

 「ごめんなさい。私は玲とは付き合えません」 渚の声は震えておらず、はっきりとしていた。「私は汚い、ずっとそれが頭から離れないの。私は汚い」 その口から壊れたように零れ落ちる「汚い」という自虐の言葉。玲は衝動的に渚の両手を強く掴み取っていた。 渚が驚いて目を見開き、恐怖に身体を強張らせて怯む。けれど、今の玲にはそんな恐怖の視線すらどうでもよかった。 玲にとって、今この瞬間に何よりも重要なのは、ただ一つだけだった。「汚くない! そんなはずないだろ!」 玲は張り裂けんばかりの声で叫んだ。「俺は思わない!」 そのまま、渚の華奢な身体を強く抱き寄せた。 腕の中で、渚の身体がビクッと大きく強張るのが分かった。男性への恐怖からくる拒絶の反応。けれど、今の玲にはどうしても腕の力を緩めることができなかった。渚が自分自身を否定する言葉が、責める言葉が、どうしても許せなかった。彼女は何一つ、責められることはない。責められるべきなのは渚を傷つけた変質者であり、そいつに会わせてしまった自分だと玲は思った。あの日、この公園に約束通りに行っていれば、砂場で上級生に歯向かったように渚を守ることが出来ていたはずだから。「俺が好きな渚を、渚自身が自分のことをそんなふうに言うなよ! 傷つけるな!」 玲の胸に顔を押し付けられたまま、渚が短く喉を鳴らした。 直後、「うわーん」と、堰を切ったような大きな泣き声が公園の空気に響き渡った。 それは、かつてこの場所の砂場でお城を壊されたときに聞いた、幼い渚の泣き声よりもずっと不格好で、まるで泣き方を忘れてしまったかのように歪んでいた。 あの日から今まで、渚が声すら出さずに一人で涙を流し続けてきた孤独な時間を想像して、玲の胸は引き裂かれるように苦しくなる。 玲は渚の後頭部に手を回し、さらに強く自分の胸へと引き寄せた。コートの肩口が、見る見るうちに彼女の熱い涙で濡れていく。そんなことは少しも気に留めなかった。 だらりと力なく落ちていた渚の両手が、ぎゅっと玲の背中の生地を掴んだ。まるで唯一の命綱に縋り付くように、激しくしがみついてくる。(―
Read more

第1.5章:038

  ※ ※ ※「父さん、夏休みに車の免許取りたいんだけど」 朝食のテーブル。新聞を開いていた父親が、パラリと紙面を下げて顔を上げた。「大学は東京なんだろ? なら、わざわざ車なんて乗らんだろ。免許なんて取る必要ないじゃないか」「あっても困らないって。それに、あったら身分証にもなるし……お願い」 向かいのキッチンで味噌汁をよそっていた母親が、呆れたように振り返る。「ちょっと玲、まだ受験すら終わってないのよ? 受かってから言いなさい受かってから」「……俺が大学落ちると思う?」 不敵に口角を上げてみせると、父親は「ははっ!」と痛快そうに声を上げて笑い、新聞をパタンと畳んだ。「だな! よし、いいぞ。費用は出してやるから受講の手続きしてこい」「あなたったら、甘いんだから……」 呆れる母親を横目に、玲は「サンキュー」と言ってトーストをかじった。――東京の大学に進学する理由はただ一つ。 渚が東京のデザイン科がある女子大を志望しているからだ。 渚の両親からは県外の大学へ進学することを最初は心配されたらしいが、「このままでは前に進めないから」と必死に説得し、合格したら一人暮らしを許されたと聞いていた。引っ越し先も女子専用マンションにするつもりだと言っていた。 渚が県外へ行くなら、俺も行く。 大学は違っても、東京にいればいつだって会える。渚の近くのマンションに部屋を借りよう。 そして、夏休みに車の免許を取る本当の理由。それも渚が同じタイミングで教習所に通うからだ。同じ教習所を選べば、一緒に講義や技能教習を受けられる。 それに、免許を取れば人混みを避けて渚をどこにでも連れて行ってあげられる。「教習所は、うちの近くのところで申し込むのよね?」 台所で片付けをしながら母親が聞いてくる。玲は指定の教習所の名前を口にした。「えっ……そこ、うちからだとかなり遠いわよ」 母親が渋い顔をする。
Read more

第1.5章:039

   家を出て通学路を歩き、最初の角を曲がったところで、見覚えのある人影が立っていた。真央だ。  玲は視線すら合わせず、そのまま横を通り過ぎようとする。 「玲」  名前を呼ばれても無視して歩みを進めるが、続く彼女の言葉に足を止めざるを得なかった。 「相良さんと、付き合ってるの?」  玲はゆっくりと足を止め、振り向いた。その瞳には一切の温度がなく、まったく笑っていない。 「……関係あるか? ないよな、お前に」 「最近、男子たちが『玲の付き合いが悪くなった』って言ってるよ」  渚が苦手な男性のタイプは、男らしくてガサツで、騒がしいやつらだ。だから、そういうクラスメイトの男子たちとは学校以外での付き合いをすべて切った。セフレ関係も全員清算し、連絡先も着信拒否にしている。  もちろん、目の前にいる真央だって例外ではない。 「俺たち受験生なんだから、遊んでる場合じゃないだろ」  冷淡に言い放ち、玲は真央の元から立ち去ろうとした。  しかし、不意に腕を引っ張られ、真央に手を掴まれた。 「なにすんだよ」  玲は底冷えするような眼差しで彼女を睨みつけ、その手を強引に払い除ける。けれど真央は怯む様子もなく、玲を絶対に逃さないと言わんばかりに、再び力任せに手首を掴んできた。 「私、玲の性欲処理になる」 「なに?」  玲は激しい嫌悪感を露わにして真央を拒絶した。再度、手を払い除け、真央の肩を押しやるも――彼女は動じなかった。真央は玲の瞳の奥を覗き込み、不気味に微笑んだ。 「お前、おかしいんじゃないか?」  玲は苛立ちを隠さず低く問い詰める玲に対し、真央は伏し目がちに、ボソッと何かを呟いた。  蝉の鳴き声に掻き消されて聞き取れず、玲は不快そうに眉間に皺を寄せる。  すると真央はゆっくりと顔を上げ、今度ははっきりとした、どこか狂気すら孕んだ声で言った。 「玲には無理だよ」  一瞬、言われた意味が理解できず、玲の思考が凍りつく。  真央はゆっくりと口元を歪めた。 「玲は、相良さんで満足できない」 「玲は、私に戻ってくる」  胸の奥にドス黒い毒を注ぎ込まれるような、気味の悪い呪いのような言霊。 「……は?」  ゾッとするような寒気が背筋を走り、玲は吐き気を催しながら今度こそ激しくその手を振り払った。 「一生、俺に話しかけてくるな」
Read more
PREV
1
...
45678
...
12
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status