Alle Kapitel von 私は空へ、あなたは後悔の中へ: Kapitel 1 – Kapitel 10

21 Kapitel

第1話

葉酸を飲み続けて2年。だが、それが避妊薬にすり替えられていたと知ったその日、神谷遥(かみや はるか)は雷に打たれたような衝撃を受けた。すぐさまタクシーを拾い、神谷怜(かみや れい)に真相を問いただそうとバーへ向かう。個室の前までたどり着いたその時、中から神谷汐里(かみや しおり)の責めているような声が聞こえてきた。「怜!どうして何の理由もなく私の彼氏を殴ったの?彼は今も病院にいるんだよ。今すぐ謝りに行って!」そんな汐里を見つめながら、怜は険しい表情のまま黙り込んでいる。気まずい空気に耐えきれなくなったのか、怜の友人がかわりに口を開いた。「その男の浮気現場を見たんだ。だから、怜はお前のためを思って……」それでも納得できない様子の汐里は、やはり怜に対ししつこく謝罪を強要し続け、最後には悔しさのあまり目を赤く潤ませた。汐里の泣き顔を見た瞬間、怜の心は揺らいだ。険しい表情のまま、汐里の携帯を取る。電話が繋がった途端、受話器の向こうからは、おどおどとした男の声が聞こえてきた。「怜さん、すみませんでした。二度とあんな真似はしませんから」相手の声に不快感を露わにしながらも、涙を浮かべる汐里を見て、怜は怒りを押し殺し、渋々謝罪の言葉を並べた。「手を出して悪かったな」「あ、え?い、いえ……骨折だけだから、すぐに退院できるって言われたので大丈夫です」骨折していると聞いた汐里は、慌て始める。怜の手から携帯を奪うように取り返すと、電話の相手にすぐ行くと言い、個室を飛び出していった。汐里の姿が見えなくなるや否や、怜の友人たちは一気に不満を爆発させた。「怜、なんで謝ったりなんかしたんだよ?浮気してたのは汐里の彼氏の方だぞ。それに、お前は汐里のために殴ったのにさ」「ったく、汐里のやつ。お前の家に養子で迎えられたとはいえ、本当に昔から何一つ変わってないな。いつだって自分のことしか考えていない。あの頃、お前たちは確かに両想いで、お前があいつのために家に逆らった時だって、何も言わずに黙ってた。それだけじゃない。お前が汐里を助けるために視力を失ったというのに、別れを切り出したかと思えば、あっさり別の男と海外へ行ってさ。このままあいつのわがままを聞いてたら、お前が駄目になっちまうぞ?」「もう汐里のことなんか、ほっとけよ。それよ
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第2話

そして、1ヶ月後はちょうど怜の誕生日。その時に、プレゼントとしてこれを渡してあげよう。それまで、自分は我慢すればいい。そう考えると、張り詰めていた遥の心がすっと軽くなった。一階でシャワーを浴び終え、寝室に戻ると怜はもう寝ていた。寝ていてもなお、彼は遥を抱き寄せて寝言を言う。そしてどの寝言も、汐里に関係するものだった。この2年間、遥はもう慣れきっていた。かつては、自分が諦めなければ、いつかは振り向いてもらえると信じていた。だが、自分のそんな努力なんて、すべて無駄だった。だからもう、無理に頑張り続ける必要なんてない。翌日の朝9時、遥は空港へと向かった。オフィスのホワイトボードには、今週のフライト予定が詳しく書かれている。怜に同行する副操縦士として、今日の午後3時のフライトも、変わらず怜と同じフライトに乗務しなければならない。準備を終え、遥は定刻通りにコクピットへ入った。少し遅れてきた怜を一目見れば、彼が何を求めているかはすぐに分かる。遥はそっと手袋を怜に手渡した。一緒に乗り込んできた客室乗務員が、二人の息の合った様子を見て冷やかす。「さすが長年一緒にやってきただけありますね。お二人とも、息ぴったりです。私の弟がもうすぐ航空大学校を卒業して、目標は神谷機長なんて言ってるんですけど、当分席は回ってきそうにないですね」怜は口元を少し上げると、隣の遥を見た。「俺と遥は最高のパートナーで、ずっと一緒さ」前の遥なら胸をときめかせていたはずだろう。しかし今日は、言葉を返すこともなく、黙々とシート位置を調整する。飛行機は問題なく離陸した。だが、着陸の30分前、突然の乱気流に見舞われ、機体が大きく揺れ始めた。客室では物が散乱し、乗客の悲鳴が上がる。客室乗務員たちもパニックになり、手が付けられない状態だった。そんな状況下でも、怜は冷静さを保ち、緊急着陸の準備をしつつ機内放送でアナウンスを行う。遥も気を抜かずに、乱気流の状況を細かく確認し続けた。乗務員を落ち着かせた後、怜はティッシュを何枚か取り、優しく遥の額の汗を拭い、軽く冗談を飛ばした。「遥、大丈夫だよ。もし本当に何があっても、一緒に埋めてもらえれば、死ぬまで一緒だってことだろ?」遥は視線を落とし、言葉を返す代わりに管制塔への連絡を続け
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第3話

「私がいなくなったあと、分からなくなるんじゃないかって思って」その言葉に怜は眉をひそめる。「数日離れるだけだろ?別になんてことないよ」怜は遥が消え去る可能性など、微塵も考えていないようだ。その事実に気づき、遥は唇を小さく震わせて何かを言いかけた。しかし、結局は言葉を飲み込み、俯いて荷物の整理を続ける。怜もワイシャツの袖をまくり、一緒に片付け始めた。しばらく片づけていると、遥が捨てようとしているものが自分に関連する物ばかりだと気づき、思わず声をかけた。「これ、俺の高校時代のバスケウェアだろ?なんでお前が持ってるんだ?それに、南都大の資料も溜め込んでたみたいだけど、本当はそこに進学したかったのか?このラブレターも、お前が書いたやつ?」もう全てを手放そうと決めていたため、遥はかつての恋心についても、ありのままを平静に答えることができた。隠し事などせず、正直にひとつひとつ答えていく。「バスケウェアはあなたの友達から6万円で買い取ったし、元々は医学部志望だったけど、あなたと一緒にいたくて航空大学校に変えたの。その手紙は若い頃に書いたやつなんだけど、渡せなかっただけ」怜の全身に衝撃が走った。まさか、遥が高校時代から自分に好意を寄せていたなんて……しかし、それほど大切に保管してきた思い出の品を、なぜ今さら捨てる必要があるのだ?腑に落ちない思いで遥に尋ねようとしたその時、ふと彼女の左手に目が留まった。「婚約指輪はどうしたんだ?」遥は顔色一つ変えずに嘘をつく。「飛行機が揺れた時に、無くしちゃったみたい」何もついていない遥の薬指を見て、なぜだか怜は言いようのない違和感を覚えた。怜は片付ける手をとめ、遥の手を取り部屋を出た。「新しい指輪を買いに行こう」何度か断った遥だったが、怜の意志は固く、そのまま店へ向かうことになった。店に到着すると、店長は怜を見るなり熱烈な態度で出迎えてきた。「神谷さん、お久しぶりです。4年前、10種類もの指輪をご注文されて、毎年ひとつずつ持ってプロポーズするんだっておっしゃっていたのに、その後連絡も取れなくなってしまったので、忘れてしまわれたのかと思っておりましたよ!」4年前といえば、怜が視力を失う前年。怜はあの頃から既に、汐里へのプロポーズを考えていたらしい。たとえ家
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第4話

1週間の休暇が終わる前日、汐里が一枚の仲睦まじい写真をインスタにアップした。それは、彼氏である浅井樹(あさい いつき)との写真。あれだけの喧嘩をしたのに、どうやらよりを戻したらしい。その夜、帰宅した怜の手には、プレゼントの袋が提げられていた。遥はいつものように迎えには出ず、プレゼントを受け取ると、そのまま寝室へ向かった。怜が戸惑ったような表情で遥を引き止める。「遥、神谷家で食事会があるんだけど、怪我はもう大丈夫?一緒に行けるか?」静かに頷いた遥は、時間だけを確認した。翌日の仕事終わり、遥は駐車場で怜の姿を見つけた。神谷家までの車中、怜は絶えず遥に話を振っていたが、数日前のことについては一切触れない。だから、遥もあえて聞かずに、気まずくならない程度に相槌を打つ。神谷家に到着すると、すでに夕食の支度が整っていた。食事が始まるや否や、早く孫の顔が見たいと何度も繰り返す怜の両親。「二人ともいい年だし、結婚してもう長いでしょ?そろそろ子供のこと考えてもいいんじゃない?怜、あなたが会社を継がないとしても、誰かは神谷グループを継がないといけないの。それに、遥ちゃんも、そろそろ本気で考えないと、高齢出産は危ないから……」怜は箸を握りしめ、視線を落としたまま小さく頷いた。遥も口を挟めず、ひたすら料理を口に運ぶ。食事会は、重苦しい空気に包まれたまま終わった。食事の後も怜の母親は遥に、もう少し真剣になった方がいいと言い聞かせた。遥は適当に受け流し、怜の母親がいなくなると、息苦しさを紛らわせるためベランダに出ようとしたのだが、窓を開ける寸前、外から汐里の泣き声が聞こえてきた。「怜、子供なんて作っちゃ駄目」怜はベランダの柵にもたれ、黙って煙草をふかしている。そんな彼の沈黙を見て、汐里はさらに声を上げて泣きじゃくった。「怜に子供ができたら、家庭ばっかになって、どうせ私のことなんかかまってくれなくなるんでしょ?」すると、目を赤くした怜が、勢いよく汐里の手を握りしめた。「汐里!お前、俺がお前を好きだからって、それをいいことに好き放題俺を振り回してるんじゃないのか?俺はお前と一緒になるためなら、なりふり構わず必死だった。無茶だって散々やった。けど、お前は俺に歩み寄ろうともしなかった。その後、俺が失明した時
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第5話

怜が中身を確認する前に、遥は素早くそれを奪い取った。「前の契約書の期間が切れちゃって。これは更新契約書」一瞬の出来事で、怜はその書類が何なのか確認することはできなかったが、遥のあまりに素早い動作に、彼はふと疑念を抱いた。「本当?」遥は努めて冷静にうなずく。なんとなく腑に落ちなかった怜は、さらに問い詰めようとしたが、その時、汐里からメッセージが届いた。【怜、週末空いてる?チャリティーパーティーがあるんだけど、一緒に参加してくれないかな?】疑問などどこかへ消え、怜は夢中で返信を打ち始めた。汐里とのやり取りに30分を費やして、怜がようやく顔を上げると、遥はすでに自分で手当てを終えていた。「自分でできるから、怜は怜のことをして」その声はあまりに静かで、かえって怜の胸にどっしりとした重みを与える。蹴られたところが赤く腫れあがっている遥の顔を見て、ようやく口を開いた。「遥、俺たちは夫婦なんだから、そんなに遠慮することなんてない」「すぐに、夫婦じゃなくなるから」と、遥は思わずつぶやく。しかし、怜には聞き取れなかったようで、彼女のために包帯を巻きながら、聞き返した。「今、何か言ったか?」優しい彼の手つきに、遥はまつ毛を伏せ、話をそらした。「何でもない。あのさ、2日後は祖父の命日だから、時間があれば最後にお墓参りに付き合ってくれる?」怜はうなずいた。その後の数日間、二人はいつも通り出勤し、飛行任務をこなした。退社後は一緒に帰宅し、たびたび同僚から仲睦まじいとからかわれ、怜はいつも笑顔で応えていたが、遥は反応することはなかった。しだいに怜もそんな遥の違和感に気づき、キャンドルディナーを用意して、彼女の機嫌をとることにした。「父さんと母さんからの催促は今に始まったことじゃないだろ?それに、俺たち二人の問題なんだし、子供がいようといまいと俺は気にしないから、プレッシャーに思うことはないよ。運命に任せよう」揺れるキャンドルの明かりが、彼の凛々しい顔を照らしている。遥はふと、バスケコートで眩しく輝いていた少年の姿を思い出した。ナイフとフォークを置き、静かに口を開く。「なら、もう産むのをやめるし、薬ももういらない」その言葉に怜は固まり、彼の表情が引き攣った。「そんな……諦めるなよ。薬は続けて飲んで
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第6話

遥は、去っていく怜の背中を見つめるだけで、引き留めはしない。一人で花を墓前に供えると、亡き祖父にこれまでの思いを語りかけた。「おじいちゃん、私、別れることにしたよ。天国で見守っててくれるかな?怜が私を愛していないことを、おじいちゃんは最初から見抜いてたんでしょ?だから亡くなる前に何度も、『孫娘をよろしく頼む』なんて言ってくれてたんだね……無理矢理作った夫婦関係なんて、やっぱり長続きしなかった。もう彼に無駄な時間を使うのは終わりにしようと思う」そう言葉を重ねるうち、胸にこみ上げるものがあったが、それは怜への未練ではなかった。これまで執着して、彼から離れられなかった自分自身への情けなさだった。長々と小一時間ほど墓石の前で語った後、遥は静かに墓地を後にした。市街地まで来て携帯の電源を入れると、通知の欄に数十件もの不在着信が並んでいた。すべて怜の友人からの電話だった。ラインにも、彼らから何十件ものメッセージが届いている。【遥さん!怜が交通事故に遭ったから、すぐ病院に来て!】その瞬間、遥に言い知れぬ不安が広がった。タクシーを飛ばして病院へ向かい、救急治療室の前で立ち止まった時、中から医師が慌てた様子で飛び出してきた。「出血が多すぎる。当院の在庫だけでは血液が足りない。Rhマイナスの血液型の人はいないか?」怜の友人たちには、Rhマイナスの人は誰もいない。彼らはパニックに陥り、遥を見つけるなり、わらにもすがる思いで詰め寄ってきた。「遥さん!怜が言ってたけど、二人は同じ珍しい血液型なんだよね?」遥がぽかんと立ち尽くし、小さく頷くか頷かないかのうちに、そのままスタッフによって献血ルームへ連れ込まれた。看護師は慣れた様子で、「遺伝性の病気や、深刻な貧血はないですか?」と確認の事務作業を進める。すぐ目の前にある採血用の注射針を見つめ、遥は少し黙ったあと、静かに返した。「パイロットをしているので、健康状態は大丈夫だと思います」尖った針が皮膚を突き破り、鮮やかな血が管を通って採血バッグへ流れ込んでいく。100cc、200cc、300cc……遥の顔色はみるみるうちに青ざめ、頭に霧がかかったようにくらりとした。採血バッグが満たされ、看護師がようやく針を抜いた。しかし、刺した箇所からは血が止まる気配
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第7話

怜は1週間、入院生活を送っていた。その間、怜は汐里に何度もメッセージを送り、事故の件を伝えていたのだが、形ばかりの返事が返ってくるだけで、彼女は一度も見舞いに来ることはなく、SNSには絶え間なく旅行中の写真が投稿されていた。それを見るたび、怜の表情は険しくなる。遥はすべてを見ていたが、何も言わず、医師の指示を守りながら病室に詰め切りで世話をしていた。そこまでしている遥を見かねて、怜の友人たちが一度休んではどうかと勧めると、ようやく我に返った怜は、疲れ切った遥の顔を見て、初めて彼女を労る言葉をかけた。「遥、お前も血を抜いたばかりなんだから少しは休んだ方がいい。俺の身の回りのことは、誰か別の人に任せればいいから」遥は手に持っていたグラスを置き、淡々と答える。「大丈夫、私はあなたの妻だから」その言葉を聞いた怜は、わずかに目を見開いた。妻……2年間、わざと気づかないふりをしてきたその言葉が、今、不意に重みを伴って胸に響いた。病室で献身的に世話をしてくれる遥の姿を見て、ずっと固く閉ざされていた怜の心に、わずかな亀裂が入る。怜はようやく息がつけたような気がした。退院の日になって、ようやく汐里が顔を見せにきた。駐車場で怜を見つけるや否や、彼女は駆け寄ってきて、手に持っていた大小様々な紙袋を怜の元に押し付けた。「怜!これ全部お土産!喜んでくれるかな?怜の病状を言って、盛沢市の名医たちに頼んで特別に用意してもらった薬もあるし、私が祈願して回ったパワーストーンも…」それを見て、長い間落ち込んでいた怜の気分が、次第に上がっていく。怜は愛おしそうに汐里の髪を撫で、笑みをこぼした。「こんなにしてくれるなんて、本当に嬉しいよ。でも、これからは無理をして飛び回らなくていいからな。お前の体が心配になる」荷物を抱えた遥は少し離れた場所で、笑い合う彼らを眺めながら、先に運転席へと乗り込んだ。帰りの車内、汐里は旅行中の楽しいエピソードを語り続け、怜は目を細めて慈しむようにそれを聞いていた。途中、汐里が「お腹すいた」と言い出すと、怜は躊躇うことなく車を停め、一緒に食事へ行こうと提案した。二人が自分を見つめる中で、遥はただ疲れたと告げ、一人車で自宅へと帰った。家に戻って荷物を整理していると、汐里の持ってきたプレゼント
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第8話

怜は気まずそうに表情を歪め、二人の会話を遮った。「今日は遥と俺の結婚記念日でもあるから、一緒にお祝いしようと思ってさ」汐里は「へえ」と声を上げ、複雑な表情で遥を見つめる。「結婚記念日?今までずっと結婚式も挙げなかったのに?なんだか無理やり結婚させられたみたい……」すると、怜の表情がみるみるうちに険しくなった。「汐里!」汐里は渋々口を閉じた。だが、それで機嫌を損ねたのか、それ以降は終始無言で窓の外を見つめていた。車内の空気は、息が詰まるほど重苦しい。やっと目的地に着き、車を降りると、怜の友人の姿が目に入った。彼らは汐里のことなんかには目もくれず、親しげに遥に声をかけると、彼女を取り囲んで中へ連れて行った。輪の中心になることに慣れていない遥は、隙を見て、トイレに行くふりをしてその場を抜け出す。ところが、部屋を出た途端、いつの間にか姿を消していた怜が汐里を引き留め、困り果てた様子で言い聞かせているのが見えた。「遥の前であんなことを言うなよ」腹を立てた汐里が、言い返す。「あんなことって何?怜の友達たちだって、私を見ても嫌な顔ばかりするのに、あの人たちには何も言わないの?」「分かった。あとであいつらには厳しく言っておくから。もう怒らないで。いいな?」ようやく納得した汐里。「次はないからね!」そう言ってなだめる怜の表情には、優しい笑みが浮かんでいた。遥が怜のこんなに甘い表情を見るのは、初めてだった。愛する人の前では、怜も普通の恋する少年のようになるらしい。遥は息を深く吐き、下の階へと向かう。階段を数段進んだところで、追いかけてきた汐里に腕を引かれた。「ねえ遥さん。なんで黙っていなくなったの?怜の心の中には、私しかいないって分かったから?」勝ち誇ったような汐里を見て、遥はその腕を振り払い、冷ややかに言った。「あなたと争うつもりはないし、もうすぐここを離れるから安心して」だが、意味が理解できない汐里の目は、嘲りに満ちていた。「妊活中だって聞いてるけど、はっきり言ってあげる。あなたになんか怜の子は一生産めないわ!あの時、私が海外に行っていなければ、あなたが怜のそばにいられることなんてなかったんだよ?それに、体を使ってしか怜を引き止められないあなたを、怜の妻って認めないから!」
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第9話

診察の結果、傷は浅く、大事には至らないということだった。診察室にいた怜の友人たちはほっと胸をなでおろしたが、数針縫った遥の姿を見て、どう声をかければいいのか戸惑っていた。結局、誰かがおずおずと進み出て、労りの言葉をかける。「遥さん、怜にはもう言ってあるから、メッセージを見たらすぐ来るはず。もう少し待っててね」遥は何も答えず、震える携帯を取り出した。汐里から動画が送られてきていた。それは怜が薬を汐里にゆっくりと飲ませている動画で、彼の瞳には隠しきれない心配が宿っていた。遥は最後まで見ることなく動画を閉じ、時刻を確認すると、静かに首を振り、静かな声でこう言った。「来るか来ないかなんて、もうどうでもいいの」あと少しで、すべてが終わる。もうここを離れていくのだから。退院の日、家に帰った遥はすぐさまスーツケースを取り出した。服や日用品、大切な書類をすべてそこに詰め込んでいく。詰め終えると、家政婦を呼び、残すべき伝言を一つ一つ細かく書き残させた。メモを取っていた家政婦が、最後に聞いた。「奥様、もしかしてどこかへ行かれるのですか?」その瞬間、ドアが乱暴に開けられた。3日間姿を消していた怜が笑みを浮かべて入ってきて、反射的に口を開く。「誰がどこへ行くって?」「私」すると怜は、遥が以前「少し家を空ける」と言っていたことを思い出し、深く追及することなく、そのまま書斎へと入っていった。扉が閉まると、家政婦が再びおずおずと尋ねた。「旦那様と離婚なさるんですか?」不安そうにする家政婦を見て、遥は静かに笑った。家政婦にさえ分かる違和感に、怜だけが気づかない。まあ、今の彼の視界には汐里しか入っていないのだから、仕方ないのだろう。自分への関心なんてあるはずがない。一晩休息を取った後、遥は離婚協議書を金庫へ入れ、スーツケースを引いて出社した。すれ違う同僚たちが、口々に「おめでとう」と遥に声をかける。遥の後ろにいた怜は不思議そうに眉をひそめ、何事かと問いただそうとしたその時、運航部長が二人を呼び止めた。「遥副機長、この後の会議があるからね。神谷機長も家族として参加してくれよ!」遥が頷いてオフィスへ入ろうとすると、怜に呼び止められた。「何の会議だ?」遥はそれが昇進に伴う表彰式だと知って
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第10話

汐里がプロポーズを受けるというインスタを見た怜は、全身に電流が走ったような衝撃を受け、手から携帯を落としそうになった。周囲の景色が霞む。怜の頭を支配したのは、ただ一つの狂気じみた思考……絶対に、汐里と樹を結婚させてはならない!これからの会議のことなど頭から消え去り、遥の制止の言葉も耳に入らない。彼は、目を見張るような速さでその場から駆け出した。駐車場に着くと、すぐに車を発進させた。タイヤがアスファルトを擦り、悲鳴のような音を上げて黒い跡が残る。アクセルを思い切り踏み込み、車が今にも浮き上がりそうな速度を出していた。ハンドルの上で白くなった指の関節。心の中は荒れ狂う嵐のようだったが、一つだけ、決して揺るがない決意があった。このプロポーズを止める。自分には家庭があって、このような行動は倫理に反するものだとは分かっていたが、汐里への愛の前では、もはや理屈などどうでもよかったのだ。怜は汐里のマンションの下から、彼女の部屋の窓を見上げた。心の中で、入り混じる感情が波のように湧き上がってくる。しばらくしてエレベーターへと向かった。ボタンを押し、階数が上がるとともに、心拍数も跳ね上がっていった。エレベーターの扉が開くと、汐里の悲痛な叫び声が聞こえてきた。物が壊れる音と、男の言い訳。怜は胸騒ぎを感じて、汐里の部屋へと急いだ。ドアが半開きだったので押し入ると、目にした光景に一瞬で激しい怒りが爆発した。リビングの中央で、女の下着を握りしめ、涙を流している汐里。その向かいには焦って服を着たような樹と、同じく狼狽えている女がいた。浮気現場を現行犯で押さえられたのだとすぐ分かった。「汐里!違うんだ、とにかく話を聞いてくれ!」樹が汐里の腕をつかもうとするが、汐里はそれを激しく振り払う。「話って何?なんであんたがこの女と私のベッドにいるの?結婚しようって言いながら、他の女と関係を持つわけ?!」汐里は肩を震わせ、涙を流し続けていた。怜の拳はさらに固く握りしめられた。大股で歩み寄り、樹の胸ぐらを掴み、そのまま思い切り顔面へ拳を叩き込む。樹は弾かれるように後ずさり、口端から血を流したが、怜を不敵に睨みつけた。「怜さん、俺のことまだ殴り足りないんですか?」樹は血を拭い鼻で笑った。「汐里の心にずっといるのは、あなただから、何年一緒にいても、汐里は
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