数日後、三嶋洋服店の奥には、白い線の残る黒い布が掛けられていた。完成品ではない。裁断された布は、まだ仮の形をしている。肩、背中、袖口には白い仮縫い糸が走り、ところどころにチャコの淡い線が残っていた。布端はまだ処理されきっておらず、仕上がったスーツのような滑らかさはない。それでも、その布はもう、ただの布ではなかった。黒瀬迅の身体に合わせるために切られ、留められ、これから少しずつ形を決めていく一着だった。美緒は作業台の前で、仮縫い糸の端を確かめていた。針山、チャコ、メジャー、帳面。必要なものを順に並べる。前回と同じ作業のはずなのに、手元がいつもより少し慎重になっている。迅が来る。それはもう、初めての客を待つ緊張ではなかった。黒瀬興業の若頭が来るという名前の重さにも、多少は心の準備ができていた。けれど、別の緊張がある。前回、美緒は迅に言ってしまった。肩が張っていること。今のスーツの胴回りが少し余っていること。休めていないように見えること。仕事として必要な確認だった。父も止めなかった。迅も怒らなかった。それでも、後になってから、言いすぎたのではないかという不安が胸に残った。黒瀬の若頭に、初対面の仕立屋の娘が何を言ったのだろう。そう思うと、針を持つ指がわずかに止まる。父は仮縫いのスーツを人台に掛け、肩のあたりを見ていた。「今日は、肩と背中をよう見なあかんな」「うん」美緒は短く答えた。前回、自分が気づいた場所だった。だからこそ、目を逸らすわけにはいかない。けれど、また余計なことまで言ってしまいそうで怖かった。母は帳場で来客の準備をしている。湯呑みの位置を整え、予約帳を開き、店先の様子を一度だけ確かめた。母も何も言わないが、今日の空気を分かっているようだった。やがて、店の戸が開いた。黒瀬迅は、前回と同じように黒いスーツで現れた。店へ入ってきただけで、空気が少し重くなる。それは変わらない。けれど美緒は、前回ほど顔立ちに意識を奪われなかった。整った
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