離れの朝は、いつもと同じ音で始まっていた。庭の砂利を箒が撫でる音。遠くで車のドアが閉まる低い響き。本家の方からかすかに聞こえる男たちの声。短く交わされる挨拶は、朝の空気の中で乾いていて、それでも美緒には、もう長いあいだ耳に馴染んだ音だった。黒瀬本家の敷地内に建つ離れは、夫婦だけの住まいだった。けれど、完全に外から切り離された家ではない。庭を挟めば本家の気配があり、石畳を辿れば渡り廊下へ続く。季節ごとに手入れされた植え込みも、朝早くから動き出す人の気配も、ここがただの住宅ではなく、黒瀬の内側なのだと毎日知らせていた。美緒は、その音を背に受けながら湯を沸かしていた。やかんの底から小さな泡の音が立つ。湯気が細く上がり、台所の空気に淡い湿り気が混じった。美緒は棚から湯呑みを二つ出した。指が自然に、いつもの位置へ伸びる。迅が使う濃い灰色の湯呑みと、自分の白磁の湯呑み。何年も繰り返してきた朝の所作だった。けれど、今日はその動きのすべてが、どこか空々しかった。居間の低い机の上に、白い紙が置かれている。離婚届。その三文字を目でなぞらないようにしても、白さだけが視界の端に残った。畳の色も、湯呑みの丸みも、丁寧に畳まれた布巾も、壁際に掛けられた迅の黒いスーツも、すべていつも通りそこにあるのに、その紙一枚のせいで部屋の重心が変わっていた。美緒は湯呑みに茶を注いだ。ほうじ茶の香ばしさがふわりと立つ。けれど喉は少しも温まらなかった。茶托の位置を直し、布巾の端を揃え、机の角度までほんのわずかに直す。しなくてもいいことばかりをしていると、自分でも分かっていた。時間を稼いでいる。そのことに気づいた途端、胸の奥が冷えた。美緒は二十九歳だった。鏡の前で低くまとめた黒髪は、今日も乱れていない。生成りのブラウスの襟元を指先で整え、落ち着いた色のスカートの皺を掌で払う。装いは控えめだったが、粗末には見えないようにしていた。派手に飾るためではない。黒瀬の家にいる以上、誰の目に触れても礼を欠かないようにするためだった。仕立屋の娘だった頃から、服は人を映すものだと教えられてきた。襟が浮いていれば、その人がどこか落ち着かないことがある。袖口がくたびれていれば、手元をよく使う仕事をしている。肩の線が合っていなければ、本人も気づかないまま息を詰めていることがある。美緒は人を値踏みするため
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