事務所へ戻った時には、表の灯りが半分ほど落とされていた。久我誠司は、入口脇の傘立てに自分の傘がないことを一瞬見てから、昼間に雨が降っていなかったことを思い出した。八月の夜は、日が暮れても空気が重い。車を降りてから建物へ入るまでのわずかな距離で、シャツの背に湿気がまとわりついている。廊下の奥では、清掃を終えた若い者が一人、会釈をして帰っていった。いつもなら、まだ何人かが残って電話を受けたり、翌日の段取りを確認したりしている時間だが、今夜は妙に静かだった。坂下が、余計な者を残さなかったのだろう。久我は、事務所の奥へ足を向けた。開け放したままの小さな打ち合わせ室に、坂下が座っていた。机の上には、茶も珈琲もなく、薄茶色の封筒が一つだけ置かれている。その封筒の位置が、普段の事務書類の置き方とは違っていた。読み終わったものではなく、誰かに渡すために向きを揃えられた置き方だった。「お待たせしました」久我が入ると、坂下は立ち上がらずに小さく頭を下げた。「お呼び立てして、すみません」「構いません。見せたいものいうのは、それですか」「はい」坂下は、封筒を久我の前へ滑らせた。久我は椅子へ腰を下ろし、封筒の口を開いた。中から出てきたのは、一枚の名刺と、数枚の提案資料、それから坂下の字で整理された聞き取り記録だった。余計な言葉のない、几帳面な字だった。取引先の名前、来訪した会社名、訪問日、尋ねられた内容、黒瀬側から紹介した事実の有無。その下に、確認できていないことが別にまとめられている。名刺を取る。初めて見る会社名だった。表向きは催事支援や人員手配、施設管理を扱う会社らしい。裏には湾岸部の住所が刷られている。久我はその住所に一度だけ目を止めたが、そこへ意味を決めつけることはしなかった。「この会社が、古い取引先へ来たんですか」「ええ。今日、先方から直接相談がありました」「何を聞かれた」坂下は、机の上で両手を組んだ。「うちとの取引が今後も続くのか。秋以降の催事がどこまで決まっ
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