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All Chapters of Asymmetry: Chapter 101 - Chapter 110

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101話

「俺が高級マンションに住んでるって知ってるでしょ? あれ、その精神科医が借りてくれてるんだよ」「ということは、あなたはまだ……」「そう、治療続行中。けど、東堂精神科から退院しないとね」 吹っ切れたように言ったかと思えば、千夏にメニュー表を差し出した。「たくさんおしゃべりしたし、おなか空いちゃった。夕飯食べよう」「え? 夕飯って、今何時ですか?」 時計を見ようと部屋中を見回すが、時計はどこにもない。腕時計は外されている。「今夜の7時半。先生結構寝てたからねー。ほら、ステーキとかあるよ」 成也はスマホで時間を確認すると、肉料理のページを開いた。 その頃、笹塚事務所にひとりの客人が訪れた。がっしりした身体を黒い司祭服で包み、肩に赤いストラをかけた中年男性だ。白髪混じりの髪をオールバックにし、穏やかな笑みを貼り付けたその男は、幸男を見るなり声を出して小さく笑った。「ふふ、随分と太ったものだね。昔の君は、もっとスリムでハンサムで、女性にモテていたのに」「何の用だ、神代」 幸男はドスの効いた声で男の名前を呼び、睨みつける。男は臆するどころか、失笑した。 男の名は神代宗介。幸男の同期の弁護士だった男だ。千夏の父親を救った男でもある。ひろしが千夏の前から姿を消したのと同時期に、この男も行方知れずとなっていた。「冷たい言い方だね。ま、無理もないか」 宗介は肩をすくめると、氷のように冷たい目を幸男に向けた。ありとあらゆる業を詰め込んだような瞳に思わず後ずさりそうになったが、ぐっと堪える。「今日、ゲレティヒカイトに君のところの可愛い弁護士さんが遊びに来てね。オイタをしようとしていたから、君の代わりに躾けておいたよ」「本条さんに何をした!? あの子はお前の親友の娘だろう!?」 幸男が目を見開いて怒鳴りつけると、宗介はクツクツと喉を鳴らしながら笑う。「何がおかしい?」「昔のよしみで忠告をするよ、笹塚くん。ゲレティヒカイトに関わってはいけない。次に何かしようものなら、あの子を父親に犯させるどころじゃすまないよ」「神代、お前という奴は!」 幸男は顔を真っ赤にして、宗介の胸ぐらをつかむ。宗介は幸男の手首を力強く掴んだ。じわじわと力を込められ、手が痺れてくる。「ぐぅっ……!」 幸男が唸り声を上げると、宗介はその手を離した。
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102話

「もう一度言おう。昔のよしみで警告している。我々の正義を邪魔するな」「何が正義だ! お前達のやってることはただの犯罪だ!」 幸男の言葉に、宗介は眉間にシワを寄せる。考えるような素振りを少し見せると、ゾッとするほど歪な笑みを浮かべた。「どうやら君にも躾がいるようだね。ついでに、可愛い弁護士さんももう少しキツく躾けてあげようか。もう二度と、変な気を起こさないようにね」 宗介は楽しげに言うと、事務所から出ていった。 彼が階段を降りていく音が、やけに大きく響く。「あぁ、なんてことだ!」 幸男はその場に崩れ落ちた。 翌朝、千夏はいつもより少し早い時間に起きた。広々とした部屋を、不思議な気持ちで見回す。「変な感じ……」 昨晩、ふたりは夕食を一緒に食べた後、成也が千夏をマンションに送ろうとしたのだが、下着が乾ききっていないため、ホテルに残ることにした。 成也は数千円置いて帰宅した。 昨晩聞いた精神科医の元へ帰らせるのは気が引けたので、勇気を出して呼び止めたが、成也は千夏を茶化しながら断った。「大丈夫だといいんだけど……」 成也のことを心配しながらシャワーを浴び、身支度を整えるとホテルを後にした。 早朝から営業している喫茶店に入り、ダージリンとサンドイッチを注文する。 スマホでニュースをチェックしていると、ダージリンとサンドイッチが運ばれてくる。「ふふ、ちょっと贅沢かも」 いつも朝は慌ただしい。紅茶を飲んでる余裕などないほどに。事務所が遠くにあるのであまりゆっくりはしてられないが、紅茶が飲める朝は千夏にとって贅沢と言えるだろう。 朝食を終えると、軽い足取りで喫茶店を出て、駅へ向かう。出勤ラッシュで大勢の人がいるが、今日はこれしきのことで気落ちしない。 ずっと探していた父に強姦されかけたのはショックだったが、ずっと胸の内に抱え込んでいたものを吐き出せて清々しい。 境遇などが違えど、子供の頃から苦しい思いをしている人間がそばにいると知れたのが嬉しかった。傷の舐め合いをしたいわけではないが、多少なりとも理解してくれる人間がいるのは心強い。 高校時代に同級生から昔のことを聞かれ、「辛いことがたくさんあったから話したくない」と答えると、「辛い思いしてるのは千夏だけじゃないよ」と言われたことがあった。それ以来、自分は誰にも理解されない孤独な人間だと
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103話

 温かい気持ちでいつもより長い時間電車に揺られ、いつもの駅に降りて事務所へ向かう。 お茶菓子が少なくなっていると聞いたのを思い出し、途中にあるコンビニで洋菓子や煎餅の詰め合わせを購入し、事務所に行く。「おはようございます」 ドアを開けて幸男に挨拶をすると、彼は目を見開いて千夏を見たかと思えば、うつむいてごにょごにょと小声で喋りだした。「所長? どうしたんですか?」「昨日は……、いや……」 千夏の問いに口を開きかけた幸男だが、すぐに閉じて重苦しいため息をつく。千夏がどうしようかと困っていると、成也が出勤してきた。「おはようございます、って、何この重い空気は……」 成也は休業の看板をドアに引っ掛けると、給湯室で3人分のお茶を用意し、来客用のテーブルに置いてソファに身を沈めた。千夏はわけの分からないまま成也の隣に座り、幸男は少しためらう素振りを見せてから座った。「どうせ重苦しい話してたんでしょうから、もうひとつ増えたって構いませんよね? 昨日は先生が実の父親にレイプされかけました。俺が助けて事なきを得ましたけど」 ストレートに言い過ぎだと咎めようとした千夏だが、幸男が顔を覆って泣き出し、それどころでなくなった。「あぁ、私はなんて無力なんだ!」「所長!? 落ち着いてください。私は無事でしたから」 千夏が隣に来て背中をさすると、幸男は涙でぐちゃぐちゃになった顔を上げて鼻をかんだ。「すまんね、本条さん……。大丈夫だから、そこに座って、話を聞いてほしい……」「話、ですか。分かりました」 まだ幸男のことが心配だったが、座らないと話が始まらないと思った千夏は、ゴミ箱を彼の隣に置いて成也の隣に戻る。「実は昨晩、教祖である男が事務所に来たのだよ。本条さんを、父親に襲わせたと言いにね」「教祖って、メシアのことですか? でも、メシアについての情報は出回っていないはずじゃ……」「話の腰を折るようで悪いんだけど、メシアって? ていうか、ゲレティヒカイトのことは、怪しい宗教団体ってことしか知らないから説明してもらっていい?」 成也は千夏が言葉を途切れさせたのを見計らい、手を上げて質問をした。
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104話

「ゲレティヒカイトというのは、前にも話したように、元は冤罪被害者の会だったんです。活動内容は知りませんが、最初は目立った存在ではなかったんです。けど、いつの間にか復讐集団になってしまったんです。といっても、証拠はありませんが……」「そういえば前に言ってたね。犯罪者を狙ってるって」 成也の言葉に、千夏は大きく頷く。「えぇ、そうです。ですが全員黒づくめの格好で、すれ違いざまの犯行なので捕まらないと聞きます。ひったくり、切りつけ、何かを投げつけるなど、犯罪内容はバラバラですが、全員黒づくめですれ違いざまの犯行という共通点があります」「でもさ、すれ違いざまの犯行でも、捕まる時は捕まるんじゃない?」「彼らはとても計画的でね。被害者が言うには、人通りの少ない場所でされることが多いらしい。追いかけようにも、共犯の車で逃げてしまうから捕まえられない」 成也の問いに、幸男が重々しく答える。その声と顔には、悔しさが滲み出ていた。「でも、車に乗ってたならナンバーとか車種とか、被害者が見てることがあるんじゃないですか?」 成也の疑問は、千夏も思っていたことだ。たとえ被害者が車に詳しくなくても、防犯カメラなどで犯人が割り出せそうなものだが、そういった話は聞いたことがない。「逃走に使われる車は、盗難車かナンバーを隠しているかしているらしく、足取りが掴めないのだよ。以前リレー方式で警察が追ったのだが、彼らの教会付近には、地域性の関係で監視カメラはなくてね。教会付近まで着くんだが、教会と断定できんのだ……」 リレー方式というのは特定の人物や車などを周辺の防犯カメラや監視カメラなどの映像をつなぎ合わせ、容疑者の居場所を突き止める手法である。「教会付近まで突き止められたんなら、任意で捜査協力してもらって車を見ることはできないんですか?」「残念ながら、車の色が変わっている上に、証拠も見つからないらしい……」 成也の問いに答えながら、幸男は頭を抱える。その姿は千夏の目には、追い詰められた草食動物のように写った。
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105話

「所長は、どうしてそんなにゲレティヒカイトに詳しいんですか? メシアだって、老若男女すら不明だっていうのに、どうして訪ねてきたのがメシアだって分かったんです?」 思い切って、千夏はソファに座ってからずっと抱えていた疑問をぶつけた。常陰将馬が自殺を図ったと電話をかかった際、ゲレティヒカイトの名前を言えなかった彼が、どうしてこんなに詳しいのか、ずっと引っかかっていた。「話を戻すついでにメシアについて話をしよう……。その、ゲレなんとかのメシアは、かつて私の同期だったのだよ」「なんですって!?」「それだけではない……。メシアのことは、本条さんも知ってるはずだ。なんたって、神代宗介その人なのだからね」「そんな……!」 鈍器にでも殴られたような衝撃だった。まさか憧れの弁護士が、おかしな宗教団体の教祖になっていたなんて、想像すらしていなかったのだから。「どうして……」「理由は私にも分からん……。気がつけば神代は法廷から姿を消していた……。ようやく見つけたと思ったら、そのゲレなんとかを作っていた。できたばかりの頃は冤罪被害者に寄り添いたいと言っていたので、当時は何も言わなかったが、まさか、こんなことになるとは……」 幸男は顔を両手で覆い、野太い声で泣く。なんと声をかけていいのか分からず、千夏は黙って白髪混じりの大きな頭を見つめることしかできない。「すまない、本条さん……。あのバカのせいで怖い思いをさせてしまって……。神代に憧れていたから、あいつがあんなことになっていたと言い出せなかったんだ……」「そんな、所長が悪いんじゃないですから……。頭を上げて、涙を拭いてください」 千夏がティッシュボックスを更に幸男の方へ押すと、彼は涙を拭き、鼻をかんだ。「そういえば所長、神代って人が事務所に来たって言ってましたよね? どんな話をしたんですか?」 しばらく黙っていた成也の問いに、幸男は重苦しいため息をつく。「神代は、本条さんを父親に襲わせたと話しておった……。ゲレなんとかに関わるなとな。それだけではない、アイツはこの事務所にまだ何かするつもりでおる……」「何かって、その宗教は何するつもりなんですか?」「それは分からん……。ただ、私と本条さんを躾けてやると言っていた。次は父親に襲わせるどころでは済まないと……」 おぞましさに、千夏は自分の腕を掴んだ。キツく掴
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106話

「大丈夫だよ、先生。なんかあったら、また俺が先生のこと助けてあげるしさ。所長もあんまり気負わないほうがいいですよ」「だが、実際に本条さんは……」「先生のことは俺が守ります。だから……」 成也の言葉を遮るように、電話が鳴った。一同は固まり、電話を見つめる。「……私が出よう」 幸男は重い腰を上げ、電話に出た。「はい、笹塚法律事務所です」 いつもどおり対応した幸男だが、見る見るうちに顔が赤くなっていく。「冗談じゃない!」 ふたりが様子をうかがっていると、幸男は声を荒げて乱雑に受話器を置いた。 2年半ほど幸男と共に働いてきた千夏だが、彼がここまで激怒したのは見たことがない。「ど、どうしたんですか……?」 怒りで肩を震わせる幸男に恐る恐る聞いてみると、彼は無言でテレビをつけた。ちょうどやっていたニュース番組が映したのは、隣町の駅前だ。ところどころがブルーシートで覆われ、大勢の鑑識や警察が神妙な顔で捜査をしている。「所長……?」「辛いだろうが、今はこのニュースを見てほしい……」「え?」 どういうことか分からず、言われたとおりに見ていると、険しい顔をした女性キャスターが映る。『昨晩、駅前で無差別殺人が起きました。6人もの男女の命が一瞬にして奪われたのです。葛西きよし容疑者は、何故このような凶行に及んだのでしょうか?』 ひろしが護送車に乗っている映像に切り替わる。ショックのあまり、言葉も出ない。「先ほどの電話は神代からで、葛西ひろし被告の弁護を、本条さんに頼みたいというものだった……」「これが躾のつもりかな? ただの嫌がらせじゃん。先生、受けることないよ」 吐き捨てるように言う成也に、千夏は首を横に振る。「いえ、引き受けます。父のためにも、自分のためにも」「本条さん、無理することはない」「やらせてください。過去とも父とも決別したいんです」 千夏の目は真剣そのもので、強い意志が感じられる。「だが、君の父親で……」「法律上、問題ありません。それに、私なら大丈夫ですから」「所長、いいじゃないですか。先生はそんなにヤワじゃありませんし、ここで先生止めたら、所長も先生も後悔すると思いますよ?」 成也の言葉に、幸男は苦しそうに唸り声を上げる。
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107話

「所長」「ううむ……、分かった。ただし、何かあったらすぐ私に相談するように」「ありがとうございます」 千夏は深々の幸男に頭を下げると、振り返って成也を見る。「末安さんも、ありがとうございます」「いいって。それより、どうすんの? 俺、先生がこういう事件に関わったの見たことないから、順序が分かんないんだけど」「被告人に接見します。けど、先程所長が断ってしまいましたし、どうしましょうか」 タイミングよく、電話が鳴る。3人は顔を見合わせた後、千夏が受話器を取った。「笹塚法律事務所です」『千夏ちゃんか、久しぶりだね。覚えてるかい? 君のお父さんの友人の、神代だよ』 慈愛に満ちたように聞こえるこの低い声を、千夏が忘れるわけもなかった。「……ご無沙汰してます、神代さん。あなたには失望しました」『はははっ、他人行儀だね。君に失望されるのは少しヘコむな』 ヘコむ、と言いながらも、その声は明るいままだ。「父をけしかけといてよくそんなことが言えますね。あなたさえいなければ……」『私がいなければ、君のお父さんは冤罪をかけられたまま、刑務所に服役することになっただろうね。君も、ずっといじめ続けられていただろう』「くっ……」 宗介の言うことは、あながち間違いでもない。あの時宗介が助けてくれなければ、絶望的な人生を歩んでいただろう。もしかしたら首を切りつけられるだけでは済まなかったかもしれない。 だが、それと父親をけしかけたことは話が違う。「その時のことは、感謝します。ですが、あなたがやったことは犯罪です。きっと無差別殺人だって、あなたがけしかけたのでしょう?」『それは言いがかりだね。それに、このままでは話が進まない。単刀直入に聞こう。君に葛西ひろしの弁護を引き受けてほしい』「えぇ、お受けします。そしてあなたの悪事を暴いてみせます』 千夏は宗介の返事を聞かず、受話器を下ろした。「行きますよ、末安さん」 その目に迷いはない。成也は口角を上げると、千夏からもらった手帳を持った。「はい、先生」 ふたりは幸男に見送られ、警察署へ向かった。
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108話

 警察署に着くと、手続きを済ませて接見室へ行く。ひろしは取調中とのことだが、取り調べの中断させて来てもらうことになった。接見室に入る前に、成也を見上げる。「末安さんは、ここで待っていてください」「分かった。終わったら、抱きしめてあげようか?」「いえ、遠慮しておきます」 成也の軽口を軽く受け流すと、接見室に入る。アクリル板の向こう側には、グレーのスエットを着たひろしがうなだれている。「弁護士の本条千夏です。違法、任意性のない取り調べをしていないかを立証するために、今から会話は録音させていただきます」 感情に流されまいと、冷たい物言いをし、ICレコーダーで録音を始める。ひろしは顔を上げて千夏を見ると、ニィっと笑う。そこには優しかった父親の面影はない。「久しぶりだな、千夏。お前が弁護士になってたなんて思いもしなかった。それで、俺はどうすればいい? 精神錯乱したフリをすればいいのか?」 この期に及んで無罪になろうとしている父に、嫌悪感を抱く。自分がこんな男の娘だと思うと、今にも発狂しそうだ。(怒りに身を任せてはダメよ、千夏。相手は被告人。ただの被告人) 心の中で自分に言い聞かせ、小さく息を吐く。「いえ、あなたとは昨日もお会いしました。あなたは私を強姦しようとしましたね。証拠品もありますし、被害届も出してあります。あなたの罪状は強姦未遂と傷害と殺人です。無罪になれるとは思わないでください」 キッパリ言うと、ひろしは困り顔をする。まるで子供のおイタを見つけた父親のように。「そんなこと言わないでくれよ、千夏。あれはメシア様の神託を守ったんだ。お前が悪いことをしたから罰を与えるようにって。それに人を殺したのだって、神託を守っただけだ。正義のために必要なことだって」 その目に偽りはない。ひろしは本気で宗介をメシアと崇めたて、彼の言うことを聞く操り人形と化してしまった。「何がメシアですか! 何が神託ですか! あなたのしたことは立派な犯罪です! 私は、絶対にあなたを有罪にします」「弁護士なのにか?」「弁護士は罪人を無罪にする仕事ではありません。このような話をしていてはキリがありません。どうしてあなたはこのような事件を起こしたのですか?」 感情的になってしまったのを反省しながら、本来の仕事に戻ろうと質問を投げかける。
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109話

「さっきも言ったろう。メシア様の神託があったからだ」 小バカにするような言い方に少しムッとしたが、小さく息を整えて気持ちを落ち着かせる。「あなたに殺人を教唆したメシアは、誰ですか?」 宗介であることは分かっているが、どうしてもひろしの口から聞き出したかった。だがひろしは、不思議そうに首を傾げるばかり。「誰? おかしなことを言うな。メシア様はメシア様だ」(ここまで洗脳されてるなんて……) かつての友をメシアと崇めたてる父が、哀れに見える。ゲレティヒカイトについて理解した時、ある程度覚悟はしていたが、ここまで洗脳されたのを目の前にすると、情けなくなってくる。「質問を変えます。そのメシアとは、神代宗介ですね?」「お前がメシア様の名前を軽々しく口にするなぁ!」 怒り狂ったひろしは立ち上がり、アクリル板を何度も叩く。「やめなさい!」 すぐに看守が駆けつけ、ひろしを取り押さえる。「今日はお引き取りください」「分かりました」 看守に従い、千夏は接見室から出た。壁に寄りかかって待っていた成也は、目を丸くして千夏を見る。「随分早いね。どうしたの?」「被告人が暴れ出しました」「怪我とかしてない? 大丈夫?」 心配されるのが妙に嬉しくて、思わず頬が緩む。「大丈夫ですよアクリル板がありますし、看守さんが取り押さえましたから」「そっか。じゃあ帰ろっか」「そうですね、事務所に帰ったら、今後の方針を決めましょう」 ふたりは一旦事務所に戻ることにした。「ただいま戻りました」「おぉ、おかえり。どうだったかね?」 事務所のドアを開けると、ウロウロしていた幸男が顔を上げる。「なんと言っていいのか……。とにかく、これを聴いてください」 千夏はICレコーダーの再生ボタンを押した。接見室での会話が事務所に流れ、幸男と成也は時折顔をしかめながら聞いた。「これは、目も当てられんね……」「酷いな、被害者のことなんてなんにも考えてないんだ」 ふたりは嫌悪で眉間にシワを寄せる。「何を言っても神託だ、の一点張りですしね……。でも、これのおかげで神代宗介がメシアであるということが証明できますね」「あぁ、よくやってくれた。私に手伝えることがあれば、なんでも手伝わせてもらおう」「ありがとうございます、とても心強いです」
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110話

 幸男が協力してくれるならどうにかなるだろうと思った千夏だが、現実はそう甘くない。 本来なら被告人と打ち合わせをしたり、裁判のリハーサルをするのだが、ひろしは正義のための一点張りか、親子であることを持ち出して情に訴えかけるかのどちらかだ。 これだけでも参るのに、警察署から強姦未遂の犯人はひろしで間違いないと連絡が来た。 成也が撮った写真で分かっていたとはいえ、改めて言葉にされるとおぞましい。 途中で何度も投げ出したくなるのを堪えながら、ようやく法廷に立つことになった。 裁判当日、千夏はひろしと一緒に法廷に入る。検察官や裁判官達はすでに座っており、傍聴席を一瞥すると満席だ。その中には成也と幸男の姿もあった。(大丈夫、問題ない。念入りに準備をしてきたんだから) 自分に言い聞かせながら、席に座る。「全員揃いましたね。ただいまより、無差別殺人事件の裁判を始めます。被告人は前に」 初老の裁判長の声が、厳かな法廷に響き渡る。ひろしはおずおずと前に出ると、裁判長を見上げた。「氏名と生年月日は?」「葛西ひろし、1963年、8月12日です」「本籍、住所はどこですか?」 ひろしは教会がある街の隣町の住所を告げた。「よろしい。被告人には黙秘権があり、自身に不利益になることは証言しなくても構いません」「分かりました」「では忽那《くつな》検事、起訴状の朗読をお願いします」「はい」 フチ無しメガネをかけた、神経質そうな男が手元の資料を持って立ち上がる。(まさか忽那検事が出てくるなんて……) 千夏は思わず彼の顔を見つめる。 忽那羅門《くつならもん》はまだ30にもならない若手検事だが、歯に衣着せぬ物言いと鋭い着眼点で被告人を追い詰める。有名な寺の生まれで、どんなに不利な状況になっても顔色を変えないことでも知られている。 情に流されることもなく、知的で端正な顔立ちをしていることから、鉄の貴公子と呼ばれている。「被告人は、令和2年、10月2日午前5時40分頃、駅で2本の包丁を振り回し、4人を負傷させ、6人を殺害した。罪状及び罰条、傷害、殺人、刑法204条、199条。以上につき、ご審理願います」羅門は淡々と起訴状を読み上げると、ちらりとひろしを見てから座った。「先ほど検事が読み上げた公訴事実《こうそじじつ》に、どこか間違っているところはありますか?」
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