湯呑みの立てた音の余韻が消えぬうちに、重蔵は目を閉じた。 長い息を吐き出す。今まで一度も見せたことのない、老いた男の素顔がそこにあった。俺は問い詰める言葉を飲み込み、ただ待った。三十年待った答えだ。あと数秒待つくらい、どうということもない。「……どうやら儂の負けのようだな」 掠れた声だった。「お前の母親が京都支社の帳簿を調べ始めたのは、もう三十年も前のことだ。白鷺の融資記録、黒川商会が動かす裏金——あの女は、ありとあらゆる不正の糸を一本残らず辿ってしまった」 重蔵は視線を庭へ向けたまま、続けた。「その糸の先にあったのが、本家の帳簿そのものだと気づいた時、あの女は本気で評議会に報告するつもりだった。三十年かけて儂が積み上げてきた地位も財産も、全部あの女一人の報告書一枚で灰になるところだった。財務チームが洗い出したという二百十億——あれは、ほんの入り口に過ぎん」 数字の大きさに、俺は奥歯を噛んだ。母が命を賭してまで暴こうとしたものの正体が、ようやく像を結んでいく。 子供の頃、京都支社から遅くまで戻らなかった母の背中を思い出す。あの背中は、この老人一人のために削られ続けていたのか……「だから、母の命を奪ったのか」 重蔵はゆっくりと頷いた。「白鷺の副頭取に融資の便宜を図ってやる代わりに、黒川に汚れ仕事を頼んだ。あの雨の晩、崖道でのことは……お前も既に映像で見ているだろう?」 淡々とした声だった。三十年前、一人の女の命を奪った男の声とは思えないほど、平静そのものだ。 積み上げてきた証拠の数々と、あの復元映像——崖に佇む重蔵の姿と車体の下で手を動かす清掃屋。すべての断片が、今ここで一本の線に繋がっていく。「なぜ、樹を絵里香に近づけた」 俺は問いを重ねた。母を消しただけでは、説明のつかないことがまだ残っている。「死んだ女の忘れ形見が、まだどこかで生きている——儂はそれが気掛かりでな。お前がこの街のどこに潜んでいるかまでは掴めなかったが、いずれ動き出すなら、金の匂いのする場所に必ず現れると踏んだ。黒川の駒を絵里香とかいう女の会社に潜り込ませておいたのも、その網の一つに過ぎん」「俺を待ち構えていた、ということか」「待っていたわけではない。網を張っていただけだ。かかったのがお前の元妻だったのは、儂にとっても些か出来すぎた偶然だったがな」 薄ら笑
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